BARカジャナカロカ

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こちらに感想を書いてみる。 - Name: 奈津 No.1761 - 2021/12/29(Wed) 19:52:41
ご無沙汰しています。

ブログの「12分過ぎのオープニング・アゲイン〜カムカムエヴリバディ」を読みまして、ちょっと一言言いたくて。
カナメさんのブログを読んで、なるほど、そういうことだったのかと第8週の流れが理解できました。

私は、朝ドラは毎日視聴はしていないので、土曜日のまとめの回でなんとなく流れをつかんできていました。
で、先週のカムカムエヴリバディなんですが、「たちばな」を再建しようとしていた算太がどうしてお金を持って消えてしまったのか、ロバートと自分と安子の絵を嬉しそうに描いていたるいちゃんが、どうしてロバートに抱かれた安子を見たぐらいで、母親に「I hate you.」なんて言葉を投げつけたのか理解できなくて、ちょっと置いてきぼり感がありました。
「I hate you.」はきつい。「大嫌い!」って言われたほうがまだまし。わたしは、いきさつがわかっていないので、なんで、なんで、なんでそんなに憎まれたのだろうと自分が安子になったつもりで足元が崩れる感じになりました。
そうか、そうか、そうだったのか。だから、算太はいなくなり、るいは自分が捨てられたと思い込んでの言葉だったのかと、合点いたしました。

算太はやっぱりいい加減な奴だったのかと、ちょっと悲しくもなっていたので、そうじゃなかったとわかり、ほっとしました。

5日分を15分でまとめるのは、ちょっと無理があった週だったのですね。細かい機微もわかりづらいし。カナメさんのブログで補いながら朝ドラを楽しんでいます。ありがとうございます。


このシリーズに限り「大人買い」を「ウルフ買い」と呼びたい。 - Name: カナメ No.1760 - 2021/12/02(Thu) 00:40:32
原作至上主義的ファン目線からすると、正直云ってデコレーション盛り過ぎのような気がします。この作品を「いま」(といっても、もはや少し前ですが)世に問うとなると、これぐらいのフルアーマー装甲化が求められたということなのでしょう。あと、少々エロの方向に振れ過ぎていたのは、掲載誌のせいか?(笑)。

そんな、作監・余湖裕輝画風を色濃くインストールした泉谷あゆみ・作画の平成の漫画『ウルフガイ』がデジタル・リマスター完全版としてリニューアル。
古いバージョンの電書を買い揃えていたひとは悔しいかもしれませんが、アップデートはされません。もはや手に入らないレアバージョンを持っているのだと思うことにしましょう。ワタシもそうです。

雑誌掲載時のカラーページの再現がうれしい。全巻一気に「ウルフ買い」するのは、ちと厳しいですが、いま(12月2日現在)なら1巻と4巻が2週間限定で99円です。古いバージョンを持っている方も、そうでない方も、リマスターされた平成版『ウルフガイ』の世界に触れるチャンスをお見逃しなく。

■田畑由秋先生のツイート
https://twitter.com/tabazou/status/1465264129078272003
 


新しい本のお知らせ - Name: カナメ No.1759 - 2021/10/03(Sun) 18:58:14
■『果しなき流れの果に』『たそがれに還る』『東海道戦争』『悪夢のかたち』『産霊山秘録』『司政官』……ハヤカワ文庫JA1500番到達記念復刊フェア開催!
https://www.hayakawabooks.com/n/n39d10497cbda

2018年刊『日本SF傑作選4 平井和正 虎は目覚める/サイボーグ・ブルース』以来、久しぶりの「紙の本」です。
しかも、表紙画はアレですよ。画集には収録されても本のカバーになったことはない、あのイラストが表紙になるなんて嬉しいじゃないですか。“粋”じゃないですか。
そして収録される表題作『悪夢のかたち』は、幻の「宇宙塵」掲載バージョンだそうです。表紙画が幻なら、小説もまた幻!
ウルフガイ・ドットコムのツイートとともに、以前この掲示板でまさにそのことに触れた投稿をリンクしておきます。

■ウルフガイ・ドットコムのツイート
https://twitter.com/ebunko8/status/1444300121001250819

■悪夢のかたちの雑感 <No.678 - 2003/12/31(Wed) 15:01 掲載分を再アップ>
http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1440
 


「理屈」はオシャレジャケット - Name: カナメ No.1758 - 2021/07/26(Mon) 17:52:30
やっぱり結局案の定、あなたは血も涙もないコンピューターのような冷血漢、そのうえ鬼で悪魔のひとでなしのサイコ野郎、かつて2ちゃんねらーから蛇蝎のように怖れられ嫌われた「古参K」なんだわ! 嫌いよッ、近寄らないでッッッ!!!

待ってくれ、さち子さん、ぼくの話を聞いてくれ。これは昨日、東京ドームで買った、エイトマンTシャツなんだよ!

リメンバー東京ドームということで、三十年前のテキストを発掘して、再公開しました。それで、こんなフレーズが浮かびました。オリンピックも無観客で開催しているのよ!? この非常時に、どうして東京ドームで有観客のプロレス興行なんてしているの!? なんて非常識な人達なの!? 憲兵さーん、早く来てー! ここに超危険なプロレスファンで、なおかつヒライストがいまーす! 連行してー! 拷問してー! 洗脳してー!

そう云いたくなるかもしれませんが、それについては、あたらめてブログで云い訳、説明させていただきます。

ワタシだって血は通ってるし、情は厚いですよ。これでも朝ドラ見て、むっちゃ泣いてるんですから。それを云うなら映画『アンタッチャブル』のアル・カポネ=ロバート・デ・ニーロだって、オペラを観劇しながら、おいおい号泣していたし、そのさなか部下からジム・マローン=ショーン・コネリー殺害の報せを耳打ちされると、ニッタァと悪魔の笑みを浮かべている。このシーンは実に、人間の多面性というものをよく表していると思います。でも、ワタシは悪党としても、ヘマをした部下の頭をバットフルスイングで粉砕するカポネよりは、どちらかと云えば『ワンピース』のジョーカー、ドフラミンゴのような、ファミリーにはやさしいタイプだと思うんですけどね。

だからこそ、プロ作家だって人間で、怒るし、傷つくし、腹に据えかねりゃ、やり返してくることだってある。そういう立場を取る。匿名X君はまだまだ若く、未熟で、ゆえに平井和正にかかって手もなく捻られたわけですが、その主張が「正当」であるならば、その相手が「プロ」だろうが、「実力者」だろうが、それは悔しいだろうし、屈辱だろうけど、それに歯を食いしばって堪え、噛みしめるしかないじゃないかと思う。
この経験をいい方向に生かせたら、あんた、でっかい男になれるで、とも。

しかし、こう云って、「ガチャ文・考」を擁護、是認する論陣を張り、仮にそのロジックが完璧で、一言の反論も赦さなかったとしても、決して、納得はされないのです。それでも、議論で相手をやり込めるのは、その正否を問わず「辱め」であり、「暴力的」であり、ゆえにそれをプロの作家が素人の読者を相手にするとは何事だ、という気持ちは揺るがないし変わらない。

その点は、ワタシも同じです。見事に上記の論理を覆され、論破されたとしても、驚き、感心し、成程そういう考えもあるかと思いはしても、でも、おれの考えは変わらんけどな。というのがオチなのです。

論理の結果として、結論が出たのではない。結論は初めからあり、なおかつ揺るかず不動であり、それを「こういう論理、理屈です」と後付けで説明しているだけなのです。

敬愛する実在の人物、平井和正。お慕いする非実在の女性、東三千子さま。憧れの非実在のヒーロー、悪漢ウルフ・犬神明。おれはこんな男で、こんな漢。どうぞ、ご覧あれ。……いくらなんでも、フル〇ンはダメです。きちんと、身なりを整えてくだい。
「論理」とは所詮、その「身なり」に過ぎません。お前そのファッション、ダサ過ぎるぞと云われ、その圧がなかなかのものであれば、その村のしきたり、流行に合った服装に着替えることもあるでしょうが、それを着ている自分は変わらない。

実社会で、意に染まぬ制服を着させられているストレスに晒されている者ほど、ブログやSNSでは着たい衣装を着ている自分、あるいは半裸の自分(笑)を見せたがるのでしょう。

いかがでしょうか。あの話題は封印したので、その身代わりとして「ガチャ文・考」をサンプルにして論じてみました(笑)。我ながら実に解りやすく、かつ本質を突いていると思います。この問題は通底しており、人間としての根本的「性質」に関わっており、心から納得する・させる、説得する・させることは、まずないのです。
ワタシの通信カラテ2級の正拳が通用せず、柔道黒帯の締め技に失神KOを喰らったとしても。おれの通信カラテは敗れたが、空手が柔道より弱いわけではないぞと(笑)。

「合う」ひとからは、その通りだ、激しく同意する、よくぞ云ってくれたとガッチリ握手できる。
けれども「合わない」となったら、有り得ない、信じられない、こんな人がいるなんて、となる。

平井和正ファンとしては、仲良しだったのに、思想信条の対立のもつれから、袂を分かった人達を少なからず見てきました。その人達にはその人達の譲れぬ想いがあったのでしょう。それをとやかく云うつもりはありません。が、ワタシはその点はオトナというか、小狡いというか(笑)、ワタシはそこまで思想信条に誠実になる気がないのですよ。
ワタシの親しい友人には、「右派」も「左派」も同じぐらいいますが(笑)、そのスタンスが幸いしていると思います。仕事仲間とは仕事でだけ繋がってりゃ沢山であって、それ以外の部分でより仲良くなれるならともかく、モメるなんてバカバカしいと思う。同じように平井和正ファン仲間とも、その部分で繋がってりゃいいのであって、それをコロナ問題でモメて、切れるなんてアホらし過ぎる、愚の骨頂だと思います。

だから、そもそも、あれをフルオープンの公開の場で発表するべきではなかった。行きつけの床屋で大将と、ゲラゲラ笑いながら、生ルストハリケーンを出し合う、いわゆる「床屋政談」をやってりゃよかった。

日本人男性が全員ヴァン・ヘイレンで、なにがあかんねん。むっちゃ不要不急やんか。どこがエッセンシャルワーカーやねん。ユリコに替わって「自粛」を「厳命」するわ(笑)。
勘弁してくださいよー(笑)。商売させてくださいよ―(笑)。生活かかってるんスよー(笑)。

例の問題に関して、ワタシは「コロナと友達になろう派」ですが、そのことで異なる「派」の平井和正ファン仲間と争いたくはありません。「ガチャ文・考」を認める・認めないでガシガシやり合うなら、望むところですけどね。


「裏ブログ」でこっそりつぶやく。 - Name: カナメ No.1757 - 2021/07/23(Fri) 12:15:29
裏ブログです。閑古鳥の鳴き声すら、聴こえなくなりました。
裏ブログです。裏ブログです。裏ブログです……。


> ガラスの部屋 / ペピーノ・ガリアルディ

再び「コロナ問題」を語りました。自分的には合格点です。あれなら二十年経って読み返しても、後悔はしないでしょう。
思想的にはいろいろ思われるところもあるでしょうが、ワタシとしては、その先というか手前というか、あのテキストから感じ取れる、ワタシの人格、人間性とでもいったものを感じていただけたらと思っています。
カルトにあれが書けまっか? ちょっと頭のオカしいイカれたやつに、あれが云えまっか? という部分です。

その点、前のコロナ問題テキストは、典型的ガチャ文でした。書き手の精神が病んでおり、荒んでおり、軽く壊れていました。その原因は入院生活のストレスにあったとワタシは考えていますが、そこのところでまず読み手を不愉快にさせ、それが根本の衝動・動機となって、反撃を招いたわけです。

ですから、あれを読んで、考えは違うがコイツとなら、これからも友達付き合いを続けてもいいと思ってもらえたのなら、ワタシとしては大手柄です。
ますます、コイツはヤバいやつだ。やっぱり付き合うのはよそう。そう思われたとしたら、これまでの友情に感謝し、いままで本性がバレずに付き合ってもらえたことが幸運だったのだとあきらめるほかありません。

いずれにせよ、この問題は、これっきりにしようと思います。
やはり、これは下手に手を出すとヤバい。人間関係を壊す劇薬ですよ。

なぜならこの問題は、命を超える価値はあるか? という根源を問うからです。
真面目に思想的な話をすれば、行動の自由も営業の自由も、憲法で保証されています。つまり、いまの「自粛」という名の半強制的人流抑制は明らかな憲法違反なのです。それはよろしいんですか、リベラリストの皆さん? という思いがあります。

もちろん、それほどに「命の問題」は重いということでしょう。それをワタシは、事もなげに「俺たちは天使だ」の主題歌を口ずさんでみせる。

これってなんか、「ガチャ文・考」の是非論争を彷彿とさせますね。
ここで問題となるのは、作家が読者を辛辣に批判することの、是非です。(プレバト・夏井せんせい風に云ってみました) 前にも云ったと思いますが、一般的にそれがいけないこととされてきたのは、例えば森川ジョージ先生が少年マガジン誌上で名指しで一般読者を攻撃しても、その一般読者には少年マガジンで反撃する機会は与えられないからです。それはアンフェアなので、ダメだったのです。それが従来の一般的な「常識」で「道徳」でした。
ファンクラブ会報は、会員なら投稿が可能です。逆に云えば、だからこそ彼の「投稿」を平井和正は批判したわけです。そして、いまやその双方向性のフェアネスは、当たり前の状況になっています。
ネットという共通の土俵でケンカをするなら、それは対等な人間対人間のタイマンのステゴロです。プロだのアマだの実力の多寡をワタシは問題とはしません。土俵が「対等」であれば、それでよし。

SNSでさんざんボロクソ、ボロカスに悪口を云うだけ云っといて、たまぁに反撃されたら、プロの有名人がそんなことをするなんて、とかムシのいいことを云ってのを見ると、さすがの仏のカナメさんも怒りの12気筒エンジンにイグニションキーが入ります。相手が誰だろうが、悪しざまに云ったんだろう。受けて立ってケンカを買うか、謝るかしろよ、とは思います。いままで云いっ放しで何事もなかったのは、運よく放置されてきただけで、それが「赦される」わけでも「正当な行為」だからでもない。プロだろうが、有名人だろうが、同じ人間で、彼らだって怒るし、傷つくし、そして仕返ししてくることもある。その覚悟もなく悪口云ってやがったのか? とっととその糞つまらないうんこテキストを排泄する手を止めろ。お前には資格がない。

「ガチャ文・考」でタコ殴りにされてしまった匿名X君に対しても、ワタシはええ経験したなあ、なかなかないで、プロの作家にシバかれんのは、まあ頑張りや、と思うだけです。でも、真面目に「ひどい」と思う方はいて、それがどうやら多数派らしいのですね。

この辺は生まれ育った土地柄でしょうかねえ。なにしろ、西は岸和田(カーネーション・小原糸子が生まれた!)、東は河内長野(おちょやん・竹井千代が生まれた!)、全国区のヤンキータウンと、全国区のヤンキー村に挟まれた――だから、お前のいた自治体はどこやねん?――大阪ディープサウス出身の、ガラの悪さなんでしょうか。
むかしむかし、いまやワイドショーのコメンテーター西村博之氏がトップを務めていた頃の2ちゃんねるで話題にされた、世代間対立もありました。「派閥」と云われてましたけどね。派閥はその結果としてできたもので、本質は世代間ギャップじゃないかと思います。インターネット黎明期の当時は、そういうのがありました。パソコン通信出身者、それ以前の同人誌出身者は、それこそ前述のように「覚悟の持ちよう」「気合の入り方」(笑)が違うわけですよ。云うなれば「精神文化」が違う。
もちろん、新世代・インターネット世代であってもこちらに共感してくれるひともいて、そういう気持ち的に結びついた人達のグループが自然にできて、(あの当時の)今どきの人達との感覚・価値観をめぐる衝突、対立がありました。それを傍からは「派閥」と呼ばれたわけです。

で、最初の話題に戻って、この問題には、そうした、そもそもの精神文化の相違、衝突、対立を感じるわけです。結論から云うと、これは話し合ってもムダ。喧嘩になるだけ。お互いに「そっとしておくのが吉」。そう思います。ワタシもこれ以上、話すつもりはありません。いくらなんでも、情けないぞ、ヒライストとして。もっと、おれみたいになれ! ……さすがに、そこまでは云えませんよ。いくらなんでも。

でも、一度死にかけてみるのは、いい経験だと思いますよ。もちろん、死んでしまっては元も子もない。いい塩梅に死にかけてみる。この加減が難しいというか、それこそ運次第、天命次第なのですが、これは是非おすすめしたいと思います。病院食生活で体重も減りますが、それよりも命のウェイトをダイエットできます。某CMのパーパーパパッパーパーパーパー♪パーパーパパッパーパーパーパー♪の音楽に乗って、スリムになった身体を見せびらかしてるやつになってます。
いまのワタシの命の重さは軽いですよー。モスキート級ですよ。みよ、この軽快なフットワークを! これを倒せるのは、宮田一郎並みのカウンター、幕ノ内一歩並みのダイナマイトパンチしかないでしょう。

もちろん、自分で望んで死にかけたわけじゃありません。そして、たまたま運よく生き延びただけ。
だから、これ以上、ひけらかすな。いい気になるな。ワタシの本能がそう告げています。
「さかしらに僅かな不運を見せびらかすな」
『もののけ姫』のエボシの言葉は座右の銘。これに従おうと思います。
ですから、この問題に触れるのは、これでやめにします。あれはあくまでも、以前の失態のケジメとして書きました。その始末はつけました。これ以上、やるつもりはありません。
意見の異なる同好の士のみなさんとは、思想・信条の違いを超え、同じ作家とその作品をこよなく愛する仲間として、引き続き親しい良好なお付き合いをこれからも続けてもらえたら、うれしく思います。


先日のツイート ディレクターズ・エディション - Name: カナメ No.1756 - 2021/06/27(Sun) 21:10:17
たまには140字の制約下のつぶやきにも挑んでみるかと思ってトライしてみましたが、まるでダメでした。
「プレバト!!」だったら、夏井先生に散々罵られる「才能なし」査定ですね。
二つに割ってもまだ字余り。そこで今回はノーカット、ディレクターズカット版を披露いたします。本文にも直しを入れ、ツイッターでの発信とは多少異なっております。
ブログではなくここで発表するのは、これが将来ブログで発表するテキストの「隠し玉」になりそうな気がするからです。

●(1)リツイート
https://twitter.com/ebunko8/status/1408115578057854978

●(2)最初のつぶやき
SFか否かについては、SFの定義はSFが好きな人の数だけ存在しますからね……。
ただ、ウルフガイも、幻魔大戦も、実に平井和正的であった。と、ワタシは思います。
その意味では、全作品、生涯にわたって、「平井和正的」であり続けたのだと、いまはそう思っています。
平井和正は、死ぬまで平井和正であった。……当たり前か(笑)。

●(3)次のつぶやき
「いまの作品は好きじゃない」……それで済む話を、なにを深刻ぶってたんでしょうね? やっぱり、平井和正の小説を面白いと思えなくなった!!! というのは人生の一大事であって、なんとか正当化せずにはいられなかったのですよ。ハイ、ココ重要、試験に出るよ!


Xデーには気を付けます。 - Name: カナメ No.1755 - 2021/04/24(Sat) 11:43:13
この世のあるゆる一切の、自粛、自粛、自粛……
おのれ、そうはさせないぞ!!!
ターン・ターン・タッターン♪

ぜったい、そっちの側だと思ってたんですけどねえ。
あれ? もしかして、おれ、悪もん!?!?!?

まさか、そこを自問する日が来ようとは。さすが現実の浮世は奥が深い。そして(不謹慎ですが)面白い。

■「ホームページ」が消えてもうたがな! https://ameblo.jp/tkaname/entry-12665804418.html

四月も明け新年度ですので、いい加減、棚下ろしをしなければらないでしょう。……という出だしでこれを書き始めたのは、四月の初め。時期は早、迫る初夏、地獄の軍団。全面的に稿を改めることも幾度か、時間がかかったことをまずお詫びしておきます。
一連のコロナ問題への言及に対して、ただいまのワタシの所見はブログで述べました。あちらはあれでも必要最低限、上澄みだけ汲み取った一番搾りです。ここは「裏ブログ」ですから、尺を気にせず、もう少しざっくばらんにおしゃべりをしてみようと思います。

まずはワタシの思考のクセ、習い性について触れておきましょうか。まあ、云い訳です。
そう「思う」ということ。そのことに正しいも誤りもない。それは確固たる事実なのだから。そこから出発して、自分がなぜそう思うのかを説明すればよい。それができなかったとすれば、それは単に自分にその腕前が足りなかったというだけで、そう思ったことを自ら否定することはない。
弘田さんがブログで、小説幻魔大戦は「幻魔大戦」である必要がなかったと述べておられます。ワタシはその主張を至極正しいと思います。と同時に、ワタシが小説幻魔大戦を好きだと思う、その気持ちもまた揺るがない。だって、ワタシは好きなんだから。ネグリジェの郁江と石像から飛び出すベガが共存する、あの変な世界が。
それは矛盾なく両立し、ゆえに己れの実存が脅かされることはない。ムキーッと腹を立て、「そんなことないもん!」と反駁する必要がないのです。ワタシは自分がなぜそう思うかをうまく、面白く説明すればよい。

しかし、これはあくまでフィクションの話。このノリを現実の社会問題にまで、持ち込むべきではありませんでした。道徳的にどうこうではなく、それは自分の望まぬ展開を呼び込んでしまうのだと。

それよりなにより、アレはひどい。アレはないわ。特にここで書いたやつ。ひど過ぎて、いまもまともに読み返せない。「ああーっ」と身悶えしてしまう。見ちゃおれん、お恥ずかしい。
ヤクでもキメてたのかと。入院してましたら、まともなお薬ならやってましたけどね。過去には平井和正せんせいをコキ下したこともありましたが、あれなどは青臭いながらも真っ直ぐで、まだしも好感が持てる。今回のはまるで救いがない。「ガチャ文」とはまさに、ああいうものを云うのでしょう。
投稿をお寄せ下さったお二人をはじめ、お読みになったすべての皆さんに心からお詫びします。ごめんなさい。実にみっともない、見苦しい真似をしました。

何がどういけないのか、それを理屈で説明する――それこそ、なぜそう「思う」のかを説き明かすのは、これがなかなか難しい。その自己分析は後に回します。
「ガチャ文」の本質とは何か。それはいわく云い難い「なんかコイツ、ムカつくなぁ」という、その「なんか」ではないでしょうか。それはムラムラと反撃の衝動を掻き立て、勢いその「事実誤認」や「論理のほころび」といった、わかりやすいスキを突いてしまうのですが、実はそこが「芯」ではないと思っています。

今回のケースの「芯」とは、これではないでしょうか。平井和正のあのちょっと困ったお人柄は、あの比類なき才能と引き換えに、特別に赦される。銭になるだけの才能もなく、性情だけちょっと平井和正に似た劣化コピー、カタギのド底辺が、なにを尊大にまっとうなカタギを上からディスっているのかと。
ワタシが自分自身を他人のように客観視し、他人のように説教するとしたら、まさにそこ。ですからワタシはご指摘いただいた具体的各論については、華麗にスルーじゃないですが、有り難く承りつつ、お言葉を返すことはせず、ワタシの人格、精神に起因する、この恥ずべき行為を深く反省、陳謝するとともに、この一件から手を引きたいと思います。

ワタシは脳梗塞、すなわち脳に障害を被り、二カ月半を病院で過ごしました。このコロナ禍でのそれは、病棟での隔離生活そのものでした。それを云い訳にするのは気が引けるのですが、事実をありのまま申し上げます。その環境はワタシの精神を無自覚のうちに、ひどく蝕んでいたようです。
当時、ワタシはいままでとは違うことを云っているなと、漠然と自覚していました。ワタシはそれを心境の変化だと思っていました。しかし退院し、社会復帰してみれば、なんのことはない。心境も感覚もすっかり元通り。ぶっちゃけ目が醒め、気付いたのです。ずっと続く心境の変化などではなかった、期間がちょっと長い酔っ払い、テンション上げ上げ状態、ただの変調、失調、血迷っていたに過ぎなかったのだと。

さあ、大変なのはここからですよ。ザ・苦悩の日々。うわー、やってもうたあ。どないしょー。過去に戻れるものなら、戻ってやり直したい。どっかにラベンダー、落ちてへん?

こぼれ話をひとつ。お二人の投稿を目にした方は、あれをワタシが同じタイミングでアップしたのだと思われたのではないでしょうか。実はあの二件は、日はもちろん、時刻までほぼほぼ同時に、こちらに届いたのです。まるで、示し合わせたかのように。こんなことって、あるんですね。

ワタシの発言から、約十日の間があったのは、天祐としか云いようがありません。
もし発言の直後にいただいていたら、あのハイテンションでリアクションをしていたかもしれません。さらに被害拡大ですよ。お蔭で命拾いをしました。
投稿をいただいたときは、もうすでに酔いも醒め、自分がやらかしたであろう部屋の惨状を眺めて、二日酔いの頭痛をかかえて「あっちゃー」と呟いてるところでした。
お蔭でまともに向き合い、熟読する勇気を奮うことさえ、ずいぶん時間がかかりました。根性なしですみません。

安心してください。元に戻りましたよ。そう自己申告することに、意味はないでしょう。ワタシがどうかしてしまったのか。大丈夫なのか。前からおかしなやつだと思っていたが、とうとう本格的におかしくなられたのか。それはワタシのこれからの言動、振る舞いをご覧いただき、判断していただくほかはないと思います。
あんな「おれの黒歴史決定」の悪文に、真剣にリアクションくださった、DONDENさん、弘田さんに心から感謝いたします。


……と、ここで締めたほうがスマートなんですが、最後に蛇足を。
本店「レッドロビンの趣」が消えたのは、前述のブログに書いたとおりです。迂闊でした。弘田さんなど、前から気にしておられたとか。そんなものでしょうね。他人からすれば、更新があるかもしれないから、巡回アクセスぐらいはする。でも、ワタシは更新なんてしてないことを誰よりも知ってますから、見もしない。そしたら、なんのことはない。全削除という、究極の更新をやられてたというね。これぞ、カナメ・クォリティ。この男、もはや処置無し。
でも、安心してください。いまでも読めますよ。しっかり残っております、とにかく明るいカナメのページは。

Internet Archive - レッドロビンの趣
https://web.archive.org/web/20210126151012/http://www006.upp.so-net.ne.jp/t_kaname/index.html

しかし、負け惜しみでなく、抜かりなく承知していたとしても、告知はしても、移転まではしなかったと思います。積極的に削除はしないが、積極的に残す程のものでもない。あんな若書き、習作、思い出以上の価値はなし、未練なし。もっとええもん、ぎょうさん書いたらあ、という意気です。

ここは少なくとも、ワタシが積極的に閉じる気はありません。いまは消えてくんないかなと、ちょっぴり思ってますけど(笑)。しかし、運営会社次第ですので、いつなんどき、その日が来るかはわかりません。
ワタシだけのモノではない以上、ログごとネット上の別の場所にお引越しするのは、まず無理でしょう。せめて参加者で希望される方にはテキストでも提供できるようにするとか、来るべきXデーには抜かりなく、備えはしておきたいと思います。

それよりも、弘田さんがブログを始めたというのが、すべてを吹き飛ばすビッグニュースですよ! 「(初出)BARカジャナカロカ」というのを見てびっくり。ここのログを確かめましたよ(笑)。ほんと、このように目ぼしいテキストは、みなさんでぜひ「保護」しておいてください。
弘田さんのブログはですねぇ、ほんまこのひとは悪ッるいわあ(笑)。ワタシはなんだかんだミーハーで、一度ファンになってしまうと、つい情に流される甘いところがある。その点このひとはほんま、批評サイコやわ(笑)。なんて失礼な云い方。でも、ホメてます。
これはワタシの特殊な価値観かもしれませんが、ワタシは悪口が特別に赦されるひとがいると思ってます。それは、悪口が面白いひとです。そんなことは、神が赦さぬ。ならば、おれが赦すまで! 弘田さんはその一人だと思います。残念ながら、ワタシはダメでした。ワタシにもそれが出来ると思ったし、出来たとも思った。でも、正気に戻ったら、まるでダメでした。負の感情を食材に、おいしい料理を作るには、まだまだ苦労が足りないようです。
ここで平井和正評論・論という、裏ブログにふさわしいメタ評論が書ける気もしてきましたが、それはまた機会をあらためまして。


カエサルのものはカエサルに 科学の領分は科学者に - Name: 弘田幸治 No.1754 - 2021/01/15(Fri) 21:35:38
 科学に関しては、俺は完全に権威主義者ですね。

 原発事故のときもそうでした。
 その昔、原発推進のCMに出ていた竹内均を信じていましたし、いまでもそうです。
 反原発は広瀬隆の気色悪さが先に立っていい印象がないですね。
 このあたりは『危険な話』直撃世代の印象論かもしれませんが。

 科学はおよそ18世紀あたりまでは日常感覚で理解可能だったかもしれませんが、それ以降、たとえば20世紀に入っての相対性理論とか量子力学とか、完全にシロウトのカンカクでは「理解不能」になりました。

 科学がそれ自体SFじみたものになったのですね。
 カール・セーガンの『コスモス』などは、通俗科学番組でしたが、それだけで立派なエンターテインメントになっていました。
 それだけ、日常感覚とは別の世界なわけです。

 もちろんここでいう科学とは狭義のそれで、フッサールが危機と呼んだ諸学とは別の話です。
(俺は日本の古代史なんて全然信じてない)

 日常感覚でピンとこないことでも、科学というのは根拠があるし、日常感覚でピンとくる表現だからこそデマだったりするわけです。

 こと科学に関しては、ピンとこなくても、飲み込むようにしています。

 医学もそうです。

 集中治療室に入るときは、入念な手洗いと、もちろんマスクの着用を義務付けられます。
 手洗いとマスク。
 俺にとっては普通のことですね。

 コロナ患者を入院させるには、それ用の施設が必要になるので、病院の倒産とは直接の関係はないです。
 コロナ患者用に急遽開いた病棟と、防疫施設の整った病棟、両方知っていますが、前者はかなり無理やりというか、壁ではなく(笑)、ビニールのカーテン?で遮っていました。
 野戦病院というのは言い得て妙ですね。

 陽性であっても運よくコロナから復帰できたとしても、保健所から、接客業はもちろん、人と会って仕事をするのも好ましくないというお達しがきます。そういう場合もあります。

 若者でも発症して重篤化すれば苦しいのは当たり前であって、死亡率だけをみても仕方ないかなと俺は思いますね。

 コロナで人生を奪われる、ということはおおいにあるんですね。
 もちろん自粛で人生が詰んでしまった、という方も多いでしょうが。

 これが癌のような感染性のない病気であれば、個々人の死生観で自由な選択というのもありえますが、そうではないわけで。

 台湾のようにコロナ対策に成功した国もあるわけですから、いまの日本が相対的にどれだけヒドいかは自明の理ではないかと考えています。

 政府も国民も、コロナ対策では失敗してしまった、という自覚なしには、どうにもならない気がしますね。

 「敗戦」をなかなか認められないのは日本人の宿痾なんですかね。

 東京、自粛ムード、ゼロですからね(笑)。
 東京っ子としては、悔しいことに、都民の「民度」は全国最低だというしかない。

 先の大戦もそうでしたが、日本の危うさは、一人のヒトラーではなくて、無名の大衆の「イケイケドンドン」にあるような気がします。

 海の向こう側では敗戦の色が濃厚なのに、本土ではのんびり舞踏会を開いているようなものです。これではね。


今回も迷いましたが - Name: DONDEN No.1753 - 2021/01/15(Fri) 21:27:09
どうにもモヤるので、書いておくことにします。少々ぶしつけにならざるを得ませんし、迷ってる間に状況も大きく変わりましたが…。

>DONDENさんのこの問いからお答えすれば、扱っていません。まあそれはマスクのすき間とウィルスのサイズの話が出てる時点で、推して知るべしですよね。

これはまあ予想通りでしたが、

>ですが、それは些末事であって、この本の評価を下げるものではないと思っています。

それは果たしてどうなんでしょうか。私の目線ではマスクの件は基本的な土台に空いた大穴なので、他にも…という疑念はぬぐえません("二類相当の指定感染症"の件ももっと一線の専門家の発言で判断したいところです)。探せば内容を検証したサイトは出てくるでしょうが、前に書いたように、この本に時間を費やす気にはやはりなれません。

>ワタシのコロナ報道に対する感覚も、まず第一は直感です。云い換えれば体感、生活感。庶民感覚というものです。なんやこれは? なんか胡散臭いぞ? という。知識・情報は、あくまでそれを補完するものです。そんな健全な直感というものを多くの人が喪くしていたり、あったとしても取るに足りないものとして無視してるんじゃないでしょうか。

ここが一番引っかかるるところですね。
最終的に"自己責任の上での判断"を下すにせよ、懐疑的に検証した結果であるべきで、"直感"も"知識・情報"と並列に扱い例外なく検証対象とすべき、というのが私の感覚です。
例えば私自身の"直感"で言えば、新型コロナに関する『小林よしのり』というのは「うさんくさい、結局ベクトルが違うだけでワイドショー系の報道と同質同根じゃないのか」でしたが(笑)、これを検証すると「なるべく最前線の医師・研究者の発言・一次情報、シンプルな事実情報をもとに判断したい」という私の志向から、『小林よしのり』のキャラを"夾雑物""ノイズ"のように捉えていたことからの"忌避感"、"バイアスのかかった短絡思考"であり"直感"を装った異質なものなのですね。
あくまで私のケースですが、"直感"に重きを置きすぎるのは危険に思えます(マスクの件は客観的判断情報として助かりました)。何にしても、強い思い込みのままに検証をおろそかにすると人は簡単に間違える。そのいい例が先日の古関裕而の件だったと思いますが…。
若干カナメさんの"直感"を検証させていただくと、

>ワタシも昔は、こんなことを云っていました。

>■まさに、これですね。
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12587040830.html

>これをアップして、早8ヵ月。一向に英霊が帰ってくる気配もない(あくまでこの国では、ですが)。どうしたことかと思いますね。

うかつにも最初気付かなかったのですが、平井和正の書いていたのはもとより『数年』で変化していった事象です。発生後約一年の新型コロナ過にそれを求めて「どうしたことか」と感じるのはせっかちに過ぎるし、その心理・思考プロセスこそ要検証ではないかとも考えます。

>ワタシはそんなおかしなやつですが、そのワタシから見ても、ご近所にも知り合いにも、一年近く経っていまだ一人の罹患者もなく、それでよくテレビの云うこと真に受けて震え上がっていられるなと。ちったぁ自分の皮膚感信じてみようとは思わないか? なんかおかしいと不審には思わないか? 君らもいい加減、モー○ングショーの見過ぎじゃないか? とまあ、世間のなんとなく風潮に流されちゃってる人々には思ってしまいますねえ。

日々積み上がるシンプルな事実と数字中心の情報より、一応の検証(継続的に複数ソースで確認、程度ですが)をして判断するかぎり、新型コロナは思った以上に危険で厄介な感染症であり、インフルエンザ並みに蔓延したり、またワクチン接種が遅滞すれば、平井和正の書いた状況を目の当たりにすることになるかもしれない…と感じます。
とりあえず、各種数字の新し目のデータが解るサイトを載せておきます。

日本医師会の中川会長「現実はすでに医療崩壊」と危機感 東京の感染者1591人
https://www.businessinsider.jp/post-227489
(1/6の会見、インフルエンザと比較し言及)

結局「新型コロナウイルス感染症とインフルエンザ」を比べるとどっちがどれだけ危険なのか?
https://gigazine.net/news/20201218-covid-19-seasonal-influenza-risk-death/

新型コロナの症状、経過、重症化のリスクと受診の目安(2021年1月)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20210108-00216594/

新型コロナ 世界と日本の流行状況(2021年1月)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20210109-00216825/

あと気になっているのが、カナメさんはどれだけ新型コロナの後遺症について認識されているかということです。
なにせ何も言及がないので…。

新型コロナの“真の脅威”
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/nhkspecial_1108/detail/detail_01.html

新型コロナ“後遺症” けん怠感や脱毛などに悩む人 受診相次ぐ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201228/k10012788941000.html

新型コロナ入院者の76%が「感染から6カ月後も症状が残っている」と報告している
https://gigazine.net/news/20210112-covid-19-patients-symptom-6-months/


すべての話題は平井和正に通ず。 - Name: カナメ No.1752 - 2021/01/05(Tue) 08:41:10
『新型コロナ―専門家を問い質す』(https://www.amazon.co.jp/dp/B08N3WNNZZ/)をようやく読み終えました。いざ読み始めればドライブがかかる。あっという間でした。どうも、おまっとうさんでした。
(ちなみに電子書籍版では、脚注のウィンドウがその場で開いて便利です。)

> 各リンク先の諸々の内容に関してはどう扱っているのでしょうか。
No.1748

DONDENさんのこの問いからお答えすれば、扱っていません。まあそれはマスクのすき間とウィルスのサイズの話が出てる時点で、推して知るべしですよね。不織布繊維の分子間力の働きについては眼から鱗でした。小林よしのりはこのことをご存じないのかもしれませんが、泉美木蘭さんは勉強家でありチェック魔であって、(本書に間に合ったかどうかは別にして)知らないはずはないと思います。悪意ある眼でみれば不都合な情報をスルーしたとも考えられますし、ワタシなどはもう少し好意的に、判断留保して本には取り上げなかったのではないかと考えます。いずれにせよ、マスクについての主張には、文字どおり穴があると思います。

ですが、それは些末事であって、この本の評価を下げるものではないと思っています。マスクがらみでこの本を取り上げたことがまず失敗でしたし、それをネタにしたこと自体が、そもそも失敗だったと思っています。
それはワタシにとり「口実」でしかなく、マスクの効果があったらあったで、「それでもイヤなものはイヤ」という根本は変わらない。兄が大超能力者になっても、人生観はちっとも変わらなかった東卓のようなものです。
マスクに効果はあるでしょう。少なくとも期待はできる。それでもなお、着けぬ自由はあると認めるのか。この本が問う重点ポイントも、そこにあると思います。

アルコール消毒をしたあとで、おしぼりを手渡される。拭くのかよ!?――というエピソードなんかも、ワタシもまったく同じことを考えてました(笑)。これは別の方からご指摘をいただいて、アルコール消毒の効果は一瞬であって、それで効果がなくなることにはならないと教えていただきました。
そういう「素人」としての誤りは、まだまだワタシが気付かないだけで、ほかにもあるのかもしれません。

だから、素人はものを云うな。お偉い先生の云うことを黙って聞いてりゃいいんだと。その考えには与しません。素人も素人なりに考えなければ、自分自身に責任を負えないと思うものです。また、そういうところに共感もする。多少の誤りがあったにしてもです。

馬鹿ゆえに間違ったとしても、ああなんておれは馬鹿だったのかと、自らを悔いたい。ただ云いなりに従った挙げ句、それが正しいと云われたから、そうしろと云われたからそうしたのに、間違いだったのかよ。〇〇ってヒドいよな。(「政府」とか「玉川」とか、お好きな単語を入れてください。)
それで手のひらを返したとて誰も責めない、どこからも文句は来ない。自分は憐れな被害者で、一切の責任無し。クレバーな、お利口な生き方だとは思います。でも、それってやっぱり恥ずかしい。そんな生き方はしたくないですよ。

高度に専門的な領域であれ、素人は素人なりに判断しますし、そうせざるを得ません。この医者は、この法律家は、この建築技師は、信用できる。(自分がアスリートなら)このコーチについていこう。そういう「直感的」判断ができなければ、選挙で政治家に票を入れることすらできません。吉村さん、イケメンやし好っきゃわあ。せやから、都構想に賛成。……それも素人なりの判断です(苦笑)。

だから、民主主義は危険なんだ。愚民どもに自由を与えるな。行動・言論を制限せよ。国家・自治体は、強権を発動すべし。そこまで考え、その上での主張なら、ワタシは反対ですがその考えはわかります。でも多くは、そこまで考えてるようには思えない。正しいことなんだから、法律なんか関係なくやっちゃえばいいじゃん。その程度のノリでしょう。「どうなっても知らないよ」と云いたいところですが、そうもいかない。そんな社会主義国家で奴隷の安息を得たいのなら勝手にすりゃいいが、おれまで巻き込まないでくれと云いたい。

民主主義は危険。――これはワタシ自身の考えでもあります。「愚民」が多数派を占めたとき、その国は大きく道を誤るという。しかし、その欠陥を織り込んで、ワタシはその制度を選択します。同じように、新型コロナ感染・発症のリスクを受け入れたうえで、この国の自由を守りたい。この一事でそれを手放せば、その後に大きな禍根を残すことになる。一民間人として、ワタシはそう思います。話を素人判断→直感に戻します。

ワタシのコロナ報道に対する感覚も、まず第一は直感です。云い換えれば体感、生活感。庶民感覚というものです。なんやこれは? なんか胡散臭いぞ? という。知識・情報は、あくまでそれを補完するものです。そんな健全な直感というものを多くの人が喪くしていたり、あったとしても取るに足りないものとして無視してるんじゃないでしょうか。

ワタシは小林よしのりに感化され過ぎているかもしれず、なんならその前に平井和正に心酔している盲信者で狂信者です。いったいどこの世界に、コロナ問題を語るのに、『死霊狩り』を引き合いに出すやつがいるのかと。
ワタシはそんなおかしなやつですが、そのワタシから見ても、ご近所にも知り合いにも、一年近く経っていまだ一人の罹患者もなく、それでよくテレビの云うこと真に受けて震え上がっていられるなと。ちったぁ自分の皮膚感信じてみようとは思わないか? なんかおかしいと不審には思わないか? 君らもいい加減、モー○ングショーの見過ぎじゃないか? とまあ、世間のなんとなく風潮に流されちゃってる人々には思ってしまいますねえ。

実際に検査を受けた弘田さんのように、実体験など立場の違いから意見の相違が生まれるのは、まだ救いがあります。ワタシだって検査を受け、陽性者として隔離の憂き目に遭えば、云うことはもっと違ってくるかもしれません。あるいはさらに激烈な鬼となって、いまの世の中を批判するかもしれません。

人々の深刻な分断の原因が、それぞれの確固たる譲れぬ信念、思想信条からでなく、テレビでそう云ってるから、そんな「情報」でしかないというのが、情けないやら、アホらしいやら。
無症状者まで検査するから、おまけに二類相当の指定感染症で医療施設が限られてるから、そこだけが過酷な野戦病院状態になる。それを救おうと、策を論じるひとがいると、なんてことを云うんだと真剣に怒るひとがいる。うーんと頭を抱えますよ。ワタシなんぞは誰からも相手にされず、平和なものですが。

テレビなんて所詮が電気の見世物小屋。もともと水曜スペシャル、木曜スペシャルやってた、裏番組を視ると頭が痛くなる、おもしろ箱ですよ。テレビばかり視てるとぉぉぉ、アタマが悪くなる!!! ……先代・引田天功さんに倣って、そう云わせていただきますよ。
それが少しはマトモになったかと云えば、体質はさらにビルドアップして、アイドル、お笑い芸人がメイン司会をやっている。それをマトモになれと云うほうが無理でしょう。その本質は現代も、矢追純一のオリバーくんなのだと、我々自身がわきまえなければならないと思います。

最後に、このテーマで思うところがあれば、遠慮なくお寄せいただければと思います。けんか腰の罵倒で応じることはしません。そのことはお約束します。逆にけんか腰の投稿は、採用しません(笑)。敬意を払い合う間柄で意見の相違があったとき、どんな対話が成り立つのか。試してみるのも一興でしょう。
ここは一応、平井和正掲示板ですが、そのことをあまり気にする必要はありません。それはタイトルのとおりです。原発だろうがコロナだろうが、すべての話題は平井和正に通ず、です。
 

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