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記事No.2839に関するスレッドです


BicycleFilmFestival2008 その4
その3からの続き。

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<LES NINJA DU JAPON の感想をまじめに書く試み>

・真剣に感動した。あまりにいろんな想いが脳内をぐるぐるしてしまい、
 おかげで週末のブエルタ観戦に身が入らなかった上に、
 ドイツ・ツアーの最終ステージと ヴァッテンフォールサイクラシックスを
 テキストライブでチェックしようと思ってたのに完全に忘れた。
 は!別府フミが16位に入っているじゃないかヴァッテンフォール!

・舞台は2006年のツール・ド・ファソ(2.2)。
 10/25〜11/5に開催。全11ステージ。オーガナイザーはASO。←映画には出てこない豆知識
 →CNのサイト:http://www.cyclingnews.com/road.php?id=road/2006/oct06/faso06/default<2006年
 →公式サイト:http://www.letour.fr/indexTFA_fr.html<2007年

・このときのレースについていろいろ調べてから書こうと思っていたのだけれど、
 検索するほどに情報が出てきてえらいことに。
 なので、えいやで書くことにいきなり方向転換します。
 →監督の久保さんが当時書かれたブログ:http://blog.esperance-stage.com/?eid=406962
 

<時間切れに付き続きはまたあとで>
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<というわけで続き>

・ここには、3つの物語があります。
 ロードレースに参加した日本選手たちの物語。
 レースに関わるブルキナファソの人々の物語。
 そして、ブルキナファソという国そのものの物語。

・11日間にわたるレースを追いながら、途中途中に、
 選手一人一人(&彼らの家族)を
 おそらくはレース後に日本で取材したと思われる
 インタビュー映像がさしはさまれる。

・当然ながらメインは、日本選手たちの話。
 彼らは日本でそれぞれ別の仕事をしている。
 公務員だったり、リンタクを運転してたり、競輪選手の人もいた。
 誰がそんなコメントをしていたか忘れてしまったけれど、
 共通して言えるのは、誰しも勝利への渇望と上昇志向を持っていたこと。
 一人の選手ははっきりと「目標はツール・ド・フランス」と言っていた。

・そんな彼らを送り出す家族の表情もまたそれぞれ。
 通学用に自転車を買ってやったらこんなになっちゃった、と笑うお母さん。
 本人が選んだ道だからしかたない、と穏やかに微笑むお母さん。
 まだ若い奥さんは、レース開催中、WEBで夫のリザルトをずっと追っており、
 それまで総合がそこそこ上位だったのにある日突然大幅に順位を落としたのを見て、
 「何かあったな」と推測していたりしたそう。
 (そのステージで夫がひどい落車をし、結構な怪我を負ったことを後で知ったそうだ)

・などというエピソードを交えつつ、レースは進んでゆく。

・チームプレゼンテーションシーンも映画に出てきた。
 どこかの山間の小学校の校庭の朝礼台、みたいな簡素なステージに
 日本の6人の選手が並び、司会のにーちゃんがノリノリで紹介してゆく。
 足元にはバッタが跳ねる。Jスポで見るような大レースの華やかなプレゼントは
 比べるべくも無い。

・もちろんレースが行われる道の多くが未舗装。
 赤い砂埃の中を、プロトンとサポートカーの車列が走ってゆく。
 車はベンツらしいが埃だらけで、「ポンコツ」と言ってもいいくらいの外見。
 もちろん車の屋根に自転車など置けるような状況ではなく。
 換えのホイールが車の中に山のように置いてあり、
 その隙間にスタッフが挟まって寝ている。 <寝るなよー

・ブルキナファソの公用語はフランス語。
 監督の久保さんはフランス語OKであるため、
 現地人の運転手やスタッフとなんとか意思の疎通が図れるが、
 他の選手たちはあまり話せなかったらしく、
 上手くコミュニケーションできない場面もあったらしい。

・それ以前にのんびりした現地の人たちとの温度差があったりして、
 それが、すっとこどっこいな膝栗毛状態な様相を呈しているのがおかしい。
 スタート地点への移動で道に迷い、スタート時刻に遅れそうになったりとか <結局間に合った
 
・が、狂言回し的な役割を演じている現地の人たちにも、ドラマがある。
 現地のスタッフ(運転手?運営の人?)は、子供の頃にレースでコッピを見たことがあり、
 いつか自分もレースをやってみたいと憧れたのだそうだ。

<あーまた時間切れなので続くー>
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<さらに続きを書いている今日は9月21日>

・うわーかなり書きたかったことを忘れてしまっているよ!
 ブルキナファソの国の話が残ってただろうか。

・この国はまだ貧しくて、庶民の娯楽も少ない。
 なので、沿道の人たちは年に一度やってくるロードレースを
 とてもとても楽しみにしている。

・コーン畑の親方は、収穫作業をしている女たちが手を止めて話を始めるたび
 「口より手を動かせ!」と叱り飛ばすのだけれど、
 プロトンが脇を通るときは、作業を中断して見に行くことを許すばかりではなく、
 自分も一緒になって声援を送っているのだった。

・ツール・ド・フランスはスポーツエンターテイメントとして
 大きなビジネスに成長してしまったけれど、
 始まったばかりのときは、こんな素朴なレースだったのに違いない。

・そして、ツールと同じASOが、こんなプリミティブなレースも主催しているという
 この不思議……。ASOにも、初心を忘れるな、という気持ちがあるのかもしれない。

・日本人選手へのインタビューの最後は、必ず
 「サンカラを知っていますか?」という質問で締めくくられる。
 誰一人としてこの問いに答えられなかった。

・映画のラストに、その答えが示される。
 「サンカラ」とは、ブルキナファソの前大統領「トーマス・サンカラ」のこと。
 国の民主化、近代化を推し進めた人で、今でも人民から愛される政治家だそうだ。
 >トーマス・サンカラ - Wikipedia
 
・彼は、元大統領によるクーデターにより暗殺される。
 1987年10月15日のことだった。

・ツアー・オブ・ファソが初めて開催されたのが、1987年。おそらく10月。
 サンカラの死と前後して始まったレースが、今でも歴史を重ね続けていることには
 何か深い意味があるのかもあるのかもしれない。
 (というあたりを調べようと思ったけど挫折しました)

・今年、ジャパンカップはUCIランクを上げて、それは確かにめでたいことなのだけれど。
 上を目指すのではなくて、地元の人に愛されながら、毎年淡々と続けていく、というのも
 レースのあり方なんではないのかしら、と思いました。
 そんなレースはヨーロッパにも日本にもたくさんあるんじゃないのかなあ。

とりとめないですが以上!
ふー、なんとか収拾付けられてよかったよかった。


No.2839 - 2008/09/08
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