『新型コロナ―専門家を問い質す』(https://www.amazon.co.jp/dp/B08N3WNNZZ/)をようやく読み終えました。いざ読み始めればドライブがかかる。あっという間でした。どうも、おまっとうさんでした。(ちなみに電子書籍版では、脚注のウィンドウがその場で開いて便利です。)> 各リンク先の諸々の内容に関してはどう扱っているのでしょうか。(No.1748)DONDENさんのこの問いからお答えすれば、扱っていません。まあそれはマスクのすき間とウィルスのサイズの話が出てる時点で、推して知るべしですよね。不織布繊維の分子間力の働きについては眼から鱗でした。小林よしのりはこのことをご存じないのかもしれませんが、泉美木蘭さんは勉強家でありチェック魔であって、(本書に間に合ったかどうかは別にして)知らないはずはないと思います。悪意ある眼でみれば不都合な情報をスルーしたとも考えられますし、ワタシなどはもう少し好意的に、判断留保して本には取り上げなかったのではないかと考えます。いずれにせよ、マスクについての主張には、文字どおり穴があると思います。ですが、それは些末事であって、この本の評価を下げるものではないと思っています。マスクがらみでこの本を取り上げたことがまず失敗でしたし、それをネタにしたこと自体が、そもそも失敗だったと思っています。それはワタシにとり「口実」でしかなく、マスクの効果があったらあったで、「それでもイヤなものはイヤ」という根本は変わらない。兄が大超能力者になっても、人生観はちっとも変わらなかった東卓のようなものです。マスクに効果はあるでしょう。少なくとも期待はできる。それでもなお、着けぬ自由はあると認めるのか。この本が問う重点ポイントも、そこにあると思います。アルコール消毒をしたあとで、おしぼりを手渡される。拭くのかよ!?――というエピソードなんかも、ワタシもまったく同じことを考えてました(笑)。これは別の方からご指摘をいただいて、アルコール消毒の効果は一瞬であって、それで効果がなくなることにはならないと教えていただきました。そういう「素人」としての誤りは、まだまだワタシが気付かないだけで、ほかにもあるのかもしれません。だから、素人はものを云うな。お偉い先生の云うことを黙って聞いてりゃいいんだと。その考えには与しません。素人も素人なりに考えなければ、自分自身に責任を負えないと思うものです。また、そういうところに共感もする。多少の誤りがあったにしてもです。馬鹿ゆえに間違ったとしても、ああなんておれは馬鹿だったのかと、自らを悔いたい。ただ云いなりに従った挙げ句、それが正しいと云われたから、そうしろと云われたからそうしたのに、間違いだったのかよ。〇〇ってヒドいよな。(「政府」とか「玉川」とか、お好きな単語を入れてください。)それで手のひらを返したとて誰も責めない、どこからも文句は来ない。自分は憐れな被害者で、一切の責任無し。クレバーな、お利口な生き方だとは思います。でも、それってやっぱり恥ずかしい。そんな生き方はしたくないですよ。高度に専門的な領域であれ、素人は素人なりに判断しますし、そうせざるを得ません。この医者は、この法律家は、この建築技師は、信用できる。(自分がアスリートなら)このコーチについていこう。そういう「直感的」判断ができなければ、選挙で政治家に票を入れることすらできません。吉村さん、イケメンやし好っきゃわあ。せやから、都構想に賛成。……それも素人なりの判断です(苦笑)。だから、民主主義は危険なんだ。愚民どもに自由を与えるな。行動・言論を制限せよ。国家・自治体は、強権を発動すべし。そこまで考え、その上での主張なら、ワタシは反対ですがその考えはわかります。でも多くは、そこまで考えてるようには思えない。正しいことなんだから、法律なんか関係なくやっちゃえばいいじゃん。その程度のノリでしょう。「どうなっても知らないよ」と云いたいところですが、そうもいかない。そんな社会主義国家で奴隷の安息を得たいのなら勝手にすりゃいいが、おれまで巻き込まないでくれと云いたい。民主主義は危険。――これはワタシ自身の考えでもあります。「愚民」が多数派を占めたとき、その国は大きく道を誤るという。しかし、その欠陥を織り込んで、ワタシはその制度を選択します。同じように、新型コロナ感染・発症のリスクを受け入れたうえで、この国の自由を守りたい。この一事でそれを手放せば、その後に大きな禍根を残すことになる。一民間人として、ワタシはそう思います。話を素人判断→直感に戻します。ワタシのコロナ報道に対する感覚も、まず第一は直感です。云い換えれば体感、生活感。庶民感覚というものです。なんやこれは? なんか胡散臭いぞ? という。知識・情報は、あくまでそれを補完するものです。そんな健全な直感というものを多くの人が喪くしていたり、あったとしても取るに足りないものとして無視してるんじゃないでしょうか。ワタシは小林よしのりに感化され過ぎているかもしれず、なんならその前に平井和正に心酔している盲信者で狂信者です。いったいどこの世界に、コロナ問題を語るのに、『死霊狩り』を引き合いに出すやつがいるのかと。ワタシはそんなおかしなやつですが、そのワタシから見ても、ご近所にも知り合いにも、一年近く経っていまだ一人の罹患者もなく、それでよくテレビの云うこと真に受けて震え上がっていられるなと。ちったぁ自分の皮膚感信じてみようとは思わないか? なんかおかしいと不審には思わないか? 君らもいい加減、モー○ングショーの見過ぎじゃないか? とまあ、世間のなんとなく風潮に流されちゃってる人々には思ってしまいますねえ。実際に検査を受けた弘田さんのように、実体験など立場の違いから意見の相違が生まれるのは、まだ救いがあります。ワタシだって検査を受け、陽性者として隔離の憂き目に遭えば、云うことはもっと違ってくるかもしれません。あるいはさらに激烈な鬼となって、いまの世の中を批判するかもしれません。人々の深刻な分断の原因が、それぞれの確固たる譲れぬ信念、思想信条からでなく、テレビでそう云ってるから、そんな「情報」でしかないというのが、情けないやら、アホらしいやら。無症状者まで検査するから、おまけに二類相当の指定感染症で医療施設が限られてるから、そこだけが過酷な野戦病院状態になる。それを救おうと、策を論じるひとがいると、なんてことを云うんだと真剣に怒るひとがいる。うーんと頭を抱えますよ。ワタシなんぞは誰からも相手にされず、平和なものですが。テレビなんて所詮が電気の見世物小屋。もともと水曜スペシャル、木曜スペシャルやってた、裏番組を視ると頭が痛くなる、おもしろ箱ですよ。テレビばかり視てるとぉぉぉ、アタマが悪くなる!!! ……先代・引田天功さんに倣って、そう云わせていただきますよ。それが少しはマトモになったかと云えば、体質はさらにビルドアップして、アイドル、お笑い芸人がメイン司会をやっている。それをマトモになれと云うほうが無理でしょう。その本質は現代も、矢追純一のオリバーくんなのだと、我々自身がわきまえなければならないと思います。最後に、このテーマで思うところがあれば、遠慮なくお寄せいただければと思います。けんか腰の罵倒で応じることはしません。そのことはお約束します。逆にけんか腰の投稿は、採用しません(笑)。敬意を払い合う間柄で意見の相違があったとき、どんな対話が成り立つのか。試してみるのも一興でしょう。ここは一応、平井和正掲示板ですが、そのことをあまり気にする必要はありません。それはタイトルのとおりです。原発だろうがコロナだろうが、すべての話題は平井和正に通ず、です。 言霊を引用