サロン・ド・ぼへみ庵

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クッキーを食す / 呪文

値千金の平井和正の一手(Re: 平井和正ビンゴ) - Name: カナメ Mail - Home No.1637 - 2019/02/17(Sun) 14:43:40
SEをお持ちとはうらやましい。一部愛好家からは「スティーブ・エディション」なんて呼ばれてるようですが。ワタシはiPhone 6なんですが、タブレットを持つと、あのサイズがいいのですよね。もう、あのサイズの新型モデルは出ないんですかねえ。

「平井丸」、なつかしいなあ。これももう三年前なんですね。
http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1390

あの方のパイオニアとしての電子出版の取り組みは、わりとドン・キホーテというか、電子出版の今日の状況にどれ程の影響を与えたかと云えば、全くなかったでしょう。結果はキンドルという黒船の独り勝ち。アップルの端末でキンドルを使って電子書籍を読んでいる。すっかり我が国は沈没してしまいましたね。平井和正が何もしなかったとしても、現状に何ら変わりはなかったでしょう。
なら、ムダだったのかと云えば、自身の作品の電子書籍化という点に関して云うならば、熱烈愛読者の編集者を巻き込んで、e文庫というレーベルを立て上げていなければ、なにひとつ平井和正の作品は電子化されていなかったという暗黒の現在も、十二分に考えられました。

現在、『アンドロイドお雪』を古書をあたることなく買い、読むことができる。それも立風・早川・角川の三つの版の巻末文をオールコンプリートで収録し、おまけに角川文庫の生頼範義の表紙画を飾ったパーフェクトなバージョンで。それは(e文庫の中のひとの剛腕ぶりには感服、感謝しなければなりませんが)平井和正の一手があったればこそです。
本を持っていれば、それはいつでも読み返すことはできます。ですが、実際問題それは実家にあるわけで、いままさにホットな気持ちで語るに気にはならなかったでしょう。平井和正という作家、作品そのものが、遠い日の思い出になっていたとしてもおかしくはありませんでした。

HP200LXの話が出ましたので、久しぶりに灯を入れてみようと思ったのですが、お亡くなりになっていたようです。テキスト配信の『ボヘミアンガラス・ストリート』を表示したところをご覧いただこうと思ったのですが。こんな感じで読んでましたよ。それ用のアプリを使って、ディスプレイを縦向きに、縦書き表示でテキストを表示できたのです。'90年代のお話です。
このサイズのマシンで、DOSが動く。パソコンにやらせていることが、こいつでもできる。それがなんとも可愛らしくてね。便利とか、実用的とかいう以上に、可愛いかったのですよね。まさにしゃべる飼い猫のように、愛いやつでした。どんなにスマホでそれ以上のことが、よりコンパクトにできるようになっても、あの可愛らしさを感じることはなくなりましたね。


『アンドロイドお雪』の読書日記、公開しました。 - Name: カナメ Mail - Home No.1636 - 2019/02/16(Sat) 20:23:37
ようやく発表に漕ぎ着けることができました。読書日記という言葉、いいですね。批評、論考、レビュー、感想、…どれも自分のやってることを云うにはイマイチしっくり来ない単語でしたので。
時間はかかりましたが、それだけ語り甲斐のある作品でした。本当に面白くて、一度は電車で乗り過ごしてしまったほどです。久しぶりにやらかしました。肝心な部分までキレイに忘れ去っていたのも幸運でした。記憶力が乏しいのも功徳ですね。
表紙からあとがきまで、キャラはサイボーグ犬・フォスに至るまで、さらに勝手に妄想した物語のその後まで、語り尽くしました。よろしければ、『アンドロイドお雪』をいま一度読み終えてからお読みください(笑)。

作家平井和正の“三つ子の魂”〜『アンドロイドお雪』
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12439516898.html


Re: 平井和正ビンゴ - Name: カナメ Mail - Home No.1633 - 2019/01/31(Thu) 23:06:04
> カナメさんの「あらすじを説明できるレベルで憶えている」というのにはまいりました。大河小説のあらすじを憶えているってどれだけ凄まじい記憶力なんですかね!?
これは痛いところをツッコまれました(笑)。「ならば(月光魔術團)『ウルフガイDNA』5巻のあらすじを述べてみよ」と云われても、さすがにスラスラと正確なお答えはできません。云い方に語弊があったと、ご寛恕の程を。なんと云えばいいのか、大まかなストーリーと結末が頭に入っている、というあたりがワタシの云わんとするニュアンスに近いでしょうか。
『アンドロイドお雪』をいま読んでいまして、あらためて面白いなと思っていますが、主人公の野坂がこれからどうなるのか、まったく覚えていません。ケイとダイがもの寂しく会話をしていたのがラストシーンだったと、薄らぼんやりと記憶していますが、それすら正しいかどうか自信がありません。なので何卒、しばらくこれについてのネタバレはなしでお願いします(>ワガママ)。

> 今年で五十一歳になる俺には電子出版は苦しく(PC画面は目にくるので)
パソコンで読書は、ワタシもムリです。やはりコレですよ(末尾画像参照)。コレでワタシは完全電子派に転向しました。小説はスマホで読んでいましたが、漫画はやはりコレですよ。この面積がなければ。所持しているコミックスも、読み返す機会もしくはセールの機会に買い直しています。
書斎を持ち歩く!? そんなことが可能になる前は、そんな欲求、利便性があることに気付きさえしませんでした。ですが、いざこれをやってみると、これがなかなかいいものなんですよ。出掛けるときに、持っていく本を選ばなくていいというのは。
スマホ&タブレットでの電子読書、布教するつもりはありませんが、おすすめします。Kindleなどの専用端末であれば、価格もリーズナブルです。
特にタブレットは、読書だけでなく、ネットライフも一変します。ウェブを視るのにパソコンに貼り付くなんて、もうやってられない。トイレで、寝床で、好きな姿勢で、スワイプスワイプ。パソコンはもっぱら書きものに使うだけです。……やっぱり布教してますかね?

> ですから“泉谷あゆみ期”の諸作品は、“愛のある批評精神”をお持ちのカナメさんにアウトソーシングしてしまおうと思っています(笑)。
そう云っていただくのはまことに光栄ですが、ワタシとしては弘田さん本意気の読書評を読んでみたいと思っております。ワタシの拙い読書日記が、眠れるローンウルフを起こす役に立てればいいのですが。まあ、がんばってみます。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1634 - 2019/02/01(Fri) 18:42:36
 「大まかなストーリーと結末が頭に入っている」というだけでビックリですけどね。大河ストーリー“群”ですからね。ヒライストが自分に課すハードルの高さと言ったら……。

 いろいろ調べた結果、Kindleがいいかなと思いましたが、必ずしも平井作品を網羅しているわけでもないらしく、迷うところです。

 スマホはiPhone SEを使っていて、ちょっと画面が小さいような。老眼なので読めるかな。

 タブレットは友人からネット関係の設定を頼まれたときに触ったんですが、わりと重かった記憶があって読書をするという発想がありませんでした。

 検討してみます。

 平井和正の話に戻ると、彼の進取の気性というのは興味深いですね。商業ネット時代にボヘミアンガラス・ストリートだもんね。俺なんかまだDOS使ってたもの。
 日本が不況にならず、バブルとまでは言わないまでも、好景気を続けていれば、ネットのインフラもここまで米企業にやれることもなかったかもしれませんね。そうすれば平井丸も天下をとったかもしれないな。贔屓の引き倒しかな(笑)。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: keep9 Mail - Home No.1635 - 2019/02/16(Sat) 20:06:14
MiniじゃないiPadにするとマンガも見開き余裕で読めるのがいいですね。モノクロTFTMacノート時代にPINOリーダーを使って以来、どうやったら快適に電子書籍が読めるかというのは、なかなか解消しないテーマでしたが、今はほぼほぼ問題は解消しちゃっていますね。むしろ新書系の電子書籍を衝動買いしてしまう弊害があるくらいです(苦笑)。
おかげで完全版「怪盗ルパン伝アバンチュリエ」もiPadで読めたし、SHERLOCKのコミカライズも読めた。
カナメさんが愛用されていたHP200LXはいいマシンでした。あの頃Palmデバイスとかで何とか実現しようとしていた電子読書は、あらゆるスマートフォンやタブレットでほぼほぼ実現できていますよね。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: カナメ Mail - Home No.1623 - 2019/01/28(Mon) 01:59:32
こんさん、コメントありがとうございます。いや、そんな恐縮いただく必要はありません。ワタシのなかの控え投手に、マウンドに登る出番が与えられたというだけですので。愉快な友だち「粘着X氏」の件もありましたし。
『“ガチャ文”考』の匿名投稿は、ただ未熟というひと言に尽きます。未熟な考え、未熟な文章、そして未熟な人格。それはしょうがなくて、あの当時の十代の高校生だったワタシなんてもっと未熟で、あれぐらいの文章だってよう書きませんでした。匿名投稿の方も、同じぐらいのお若い人だったのでしょう。
その未熟さにどうリアクションされるかは、相手の人柄によります。部活動でも仕事でも、やさしいひともいれば、厳しいひともいる。平井和正はとびきりの後者だったと(あの方の場合、たまに文句なし理不尽そのものってこともあるので、注意は必要ですが)。自分の未熟さを厳しく指摘されるのは、心地好いものでは決してないでしょう。でも、それをどう受け止めるかで、自分の将来は変わってきます。いい勉強になったんじゃないのと、いいオジサンになったワタシは思います。

それに引きかえ、プライベートで「金輪際関わるな」と云われ、おまけに「あんたがイヤ過ぎて閉じるはずだった掲示板は続けることにしたが、あんたの参加はもちろん固くお断りします」とも云われ、表の掲示板上でも「出入り禁止」「二度とお目にかかることがありませんように」とまで云われ、それでも名前変えてシレッと書いてこれる神経ってもうバケモンだと思いません!? いい歳をして、こういう大人に仕上がってしまったら、もう手の施しようはない。どうせ、おととい来やがれと云ったところで、あしたもあさってもしあさっても来やがるでしょう(苦笑)。なので、せめて見世物になってもらうことにしました。
掲示板のスレッドとして「没供養ミュージアム」(No.1610)を開設しました。どうですか、これぞ「おもしろユートピア」の発想というものでしょう。これが当掲示板の最大の見どころにならないよう、皆さま今後ともふるってのご参加をお願いいたします(笑)。

弘田さんも、ありがとうございます。
「文章の向こう側に書き手の人格を視る」というのは、ワタシもまったく同感です。「No.1369」を云われて読み返しました。コイツええこと云うわぁ、めっちゃ共感するわぁ、ハッ、おれか。

(「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。について)書いてみて思ったのは、言論に関してはワタシも立派な原理主義者だなと(笑)。まっとうな人の道を軽く踏み外してますね。あと、そこは「おとなしディストピア」とすべきだろうと。修正はしませんが、こういうとこはまだまだ未熟ですねえ。

「没供養ミュージアム」にもアップしましたが、いまのこの流れを生んだ元をただせば、薄っ気味悪い「初投稿」の匿名のオフのお誘いなんですよね。それをやんわりと謝絶する意図を込めて、大槻ケンヂのアルバムのことをアップしたら、あの投稿があり、それを受けて弘田さんが「平井和正はいつから「頭おかしかった」のか」(No.1589)を書いてくださった。
「粘着X氏」との関わりなんて、まったく望んでませんが、こういうのは不思議なものですね。これもひとと交わるダイナミズムというものなのでしょう。「苦」を「楽」に変えるのは、行動と心の持ちようなのだと実感します。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1624 - 2019/01/29(Tue) 03:31:36
 「粘着X氏」の話題はこれきりにしますが、 物事には一線を越えるか越えないか、というものがありますからね。
 善意の第三者であろうとしいても、見過ごせないこともあるわけで。

 なるべく後ろに流そうと、No.1588を書き、No.1589を書きました。。
 DONDENさんがご指摘してくださったように(No.1602)、No.1589は根本的なところで俺の知識不足、リアル平井和正(笑)への無知などがあって、外した話になっていることが判明しましたが(笑)。
 言われてみれば、No.1599のS氏の画、『地球樹の女神』っぽいですね。
 
 ここの掲示板はいいですね。
 俺なんかツッコミどころ満載の文章しか書けずSNSなんかやった日には火だるまになるでしょう。
 それを紳士的に扱ってくださるのだから、いい場所です、ここは。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: DONDEN Mail - Home No.1626 - 2019/01/30(Wed) 19:43:50
「おもしろユートピア」という切り口、久しく私の内から抜け落ちてました。
つくづく平井和正、平井作品は単純な切り口やモノサシでは測りきれないなあ、という感じです。

>「おもしろユートピア」とは「母の庇護の下の幸せ」なのだと思います。

この弘田さんの分析で、私が逆説的に連想するのが『月光魔術團』です。あの世界はそれこそ「母の粘着」で構築され“悪意で戯画化されたウルフガイ”として展開するはずが、鷹垣人美の出現でそれが塗り替えられていく、というのが大まかな構図だと思うのですが、見様によっては「おもしろユートピア」の裏返しの世界を舞台にしていたとも取れます。
そうすると平井和正は「おもしろユートピア」のその先を見出そうとしてたのかもしれない、とか考えました。少々突飛な発想かもしれませんが。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: カナメ Mail - Home No.1632 - 2019/01/31(Thu) 02:42:03
> なるべく後ろに流そうと、No.1588を書き、No.1589を書きました。。
やっぱり、そうだったんですねえ。そう云ってもらえると、心強いです。
生ゴミのような不快を催す投稿を放置するのは、掲示板の主としての怠慢。日頃そう思ってはいても、また自分の感覚、判断に自信を持ってはいても、いざ手を下すとなると、迷いが出ます。「自分の私情ではないのか」「自分だけが神経質に気にしてるだけじゃないのか」 そんな自己への疑いが常に付きまといます。自分の因縁が関わっているだけに尚更です。まあ究極、私情ですが何か? と云って差し支えはないのですが。

> 俺なんかツッコミどころ満載の文章しか書けずSNSなんかやった日には火だるまになるでしょう。
「それは事実とは異なります」「私は違う考えをもっています」 それを云えばいいだけなのに、どうしてそう喧嘩腰に、ひとを莫迦にするように云うのかなあ、ということが本当にネットには溢れかえってますよね。ワタシもブログでたまに朝ドラなんかについて述べたりすると、それはあちらは平井和正ファンなんかとは母数が違いますから、まったく見ず知らずの赤の他人様から「違うんだよ!」とばかり語尾に感嘆符が付いてくる強い調子で、コメントをいただくのですよ。確かにそれはこちらの間違いであって、ご指摘感謝しますなのですが、もうちょっと優しく云ってくれてもなあ(笑)、とは思います。「怖ッ」って思いますよ(笑)。言論原理主義者でも。
議論とかクロストークって、本来愉しくできるものだと思うんですけどね。面子に体面、自我防衛が絡んで、まあギスギスと殺伐としていること。もっと大らかに、ゆとりを持ちませんかと、ワタシが云うのもなんですが、そう思いますね。


没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1610 - 2019/01/27(Sun) 18:07:28
仏のカナメさんが、残念ながら掲載をお断りせざるを得なかった没投稿を慈悲の心で再掲し、弔ってまいります。南無阿弥陀仏。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1611 - 2019/01/27(Sun) 18:09:34
この投稿は掲示板のスクショ(スクリーンショット)を撮っていなかったため、通知メールを掲載します。内容以前の云うに事欠いてな記名で一発退場となりましたが、これ以後、胡乱な投稿が相次ぐことになります。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1612 - 2019/01/27(Sun) 18:16:06
善意の第三者による親切なご忠告……を装った匿名の知人による含むところのある投稿、と考えるのが妥当な判断ってものですよねえ?


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1613 - 2019/01/27(Sun) 18:21:34
これは番外ですが、管理人である友人の許可を得て掲載します。前述の投稿とほぼ同じ日時に、似たようなフレーズを用いた投稿を違う名前でされておられます。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1615 - 2019/01/28(Mon) 01:13:40
その1/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1616 - 2019/01/28(Mon) 01:18:29
その2/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1617 - 2019/01/28(Mon) 01:19:57
その3/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1618 - 2019/01/28(Mon) 01:22:43
その4/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1619 - 2019/01/28(Mon) 01:24:13
その5/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1620 - 2019/01/28(Mon) 01:25:42
その6/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1621 - 2019/01/28(Mon) 01:44:42
「初投稿」で匿名の方からのオフのお知らせ。こんな薄気味悪い誘いに、色よい返事がもらえるとでも思ったのでしょうか。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1622 - 2019/01/28(Mon) 01:48:41
で、やんわりと謝絶する意図を込めて、これは本当にクリスマス12月25日に届いた大槻ケンヂのアルバムのこと(No.1586)をアップしたら、この反応。わかりやすいといったら。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1630 - 2019/01/31(Thu) 02:29:57
この投稿の内容自体には、何の問題もありません。しかし、「粘着X氏」とワタシが名付けた人物は、存在自体が厄種であって、投稿の内容如何を問わず、ひらがな一文字、参加を認めるつもりはありません。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ Mail - Home No.1631 - 2019/01/31(Thu) 02:35:27
特になし。


平井和正ビンゴ - Name: おかもと Mail - Home No.1614 - 2019/01/27(Sun) 21:18:29
めけぽんビンゴで、「平井和正ビンゴ」を作りました。
平井和正の小説やマンガ原作、どれだけ読んだ?
http://www.utabami.com/bingo/?cid=n21u6p5mqsxogk49


Re: 平井和正ビンゴ - Name: カナメ Mail - Home No.1625 - 2019/01/29(Tue) 22:51:39
「読んだ」という設問だと、あっさりパーフェクトをとってしまうので、あらすじを説明できるレベルで憶えている、というラインでトライしてみました。初期作品はけっこうアヤしいですね。読み返す愉しみがあっていいのですが。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: おかもと Mail - Home No.1627 - 2019/01/30(Wed) 20:10:38
マニアックな楽しみかた、さすがですね。

このビンゴ、他の方々の結果はこんな感じのようです。
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%E5%B9%B3%E4%BA%95%E5%92%8C%E6%AD%A3%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B4&src=unkn


Re: 平井和正ビンゴ - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1628 - 2019/01/30(Wed) 22:20:27
 おかもとさん、どうもです。
 平井和正ビンゴ、俺も楽しませてもらいました。

 カナメさんの「あらすじを説明できるレベルで憶えている」というのにはまいりました。大河小説のあらすじを憶えているってどれだけ凄まじい記憶力なんですかね!? それとも愛ですか愛のなせる業ですか。

 俺はやっぱり『月光魔術團』で“落馬”したのが痛かったですね。まあおかげで「作家買い」しなくなりましたし、良かれ悪しかれ、青春に決着をつけられたわけだけれども……。

 今年で五十一歳になる俺には電子出版は苦しく(PC画面は目にくるので)、紙の本で済ませたいのですが、まさかここまで日本の不況が続くとは予測できず、角川から岩波まで文庫で得られる素晴らしい読書体験が、出版不況のなかで、失われていくとは思いも寄りませんでした。

 さすがの平井和正も紙の本が手に入りにくくなっている未来など、俺は想像もしたことがなかったですからね。

 いつかご縁があれば──いや縁はあるはずなので──どこかで“再会”できると思っていたのですがね。どうも俺の人生行路とはうまく合わなかったようです。
 ですから“泉谷あゆみ期”の諸作品は、“愛のある批評精神”をお持ちのカナメさんにアウトソーシングしてしまおうと思っています(笑)。

 No.1626のDONDENさんの記事を読むと、『月光魔術團』、すごく読みたくなるんですね。出版当時、すぐに読まなくてもいいから買っておけばいいのに、と過去の自分に説得しにいきたいですね。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1629 - 2019/01/30(Wed) 22:24:15
あれ? 画像が出ないんだけど……


「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: カナメ Mail - Home No.1607 - 2019/01/26(Sat) 15:06:30
> エッセイスト平井和正は独特の魅力がありますが、ぼくは「ガチャ文考」は苦手でしたね。ホームといえる機関紙で、素人を手厳しく断罪する姿勢にはドン引きしました。

こんさん、鋭い。ワタシのスルーできないホットスポットをぶすりと突いてきますね。
まあ、言霊美食倶楽部の海原雄山みたいな人ですからね……。この文章を書いたのは誰だあああッ! 出ていけえええッ! ……鬼っスよ、鬼。ワタシは狂信者なので、あのひとのそういうとこ、けっこうシビレてもいるのですが。

こんさんのご意見は、ごく一般的な反応だと思います。ワタシも(新)ウルフ会の当時から、何人もの方から同じようなことを聞きました。「文章のプロが素人を非難するなど、もってのほか」「“ガチャ文”考こそガチャ文だ」といったような。当時のワタシは、それに反論できませんでしたが、しかし納得することもできず、モヤモヤした違和感を抱き続けていました。なぜそう思うのか? 明確に言葉にできるようになったのは、ずっとあとになってからです。ワタシの考えが、平井せんせいのそれを代弁するものかはわかりませんが、どうか気を悪くせず、お読みいただければと思います。

マスコミ有名人が、一般人を名指しで攻撃するのは、通常、タブーとされています。その理由は、多くの場合、「フェア」ではないからです。マスコミ有名人がテレビや雑誌など、マスメディアで一般人を攻撃しても、一般人はそれに反論できません。なので、それはいけないこととされ、それが世の常識になっています。
ですが、これには例外があります。その代表格がネットです。ネットでは一般人にも発言の機会が与えられています。同じリングに上れるのです。プロだろうが作家だろうが、そこでは対等なリングに立つ一個人です。有名人が無名の発言者を批判したっていいのです。むしろ、そこでも有名人は一般人に手出しまかりならぬと縛られ、一般人はその有名人を殴り放題だとしたら、それこそ不公平でしょう。

その例外のケースに、ファンクラブの機関誌もまた含まれるとワタシは考えます。文句がありゃあ、原稿書いて送ればいいんですから。それがファンクラブという、同じ発言の機会を与えられた者同士の関係でしょう。作家もまた、ちょっと文章が達者な一個人なのです。読者が書いたファンレターが失礼であれば、作家が怒りの返事を寄こすこともある。そのシチュエーションに近いでしょう。

むろん、「対等」は「互角」とイコールではありません。プロとシロートが素手ゴロすりゃあ、後者が地に這うのが関の山。でも、ワタシはそれを問題とはしません。それはしょうがない。ただの実力差。悔しくても、それは受け止め、精進するしかないのです。
文筆の腕力の多寡は問題ではないのです。そこを問題とするどうかが、意見の分かれどころでしょうね。

暴力という例が最も端的ですが、圧倒的な強者が弱者を虐げるのを見るとき、加害者に怒りを、被害者に憐れみを感じるのは、まともな人情でしょう。ただ、そうしたモラルや感傷を議論、言論という領域に持ち込むべきではない。ワタシはそう考えるものです。それは「どちらがより正しいか」を問う言論の純性を損なうからです。
問われるべきは、それを誰が云ったかに関わりなく『“ガチャ文”考』の主張は「正しいのか」「正しくないのか」であって、仮に会員Aさんの発言だったら許されるが、作家・平井和正の発言としては許せないという立場をワタシは取りません。

――しかしながら、
と接続詞を用いて話を続けます。そう単純明快にスパッと割り切れないのが、この問題のデリケートで難しいところです。
それでも、議論で言い負かされるのは、やっぱり悔しい。自我が傷つく。ましてや、それが公衆の面前であれば。
議論は勝つより負けるが収穫。自分の知識や考えの足りなさを知ることができたのだから。それを克服するよう頑張りゃいいんだ。いくらそんな風に云われても、それはわかっていても、どうにもならないのが人の心というものです。
その心理につけ込み、相手の心を傷つける、精神的ダメージを与えることをハナから目的とする、議論・批判の名を借りた諍い、侮辱がネットに絶えません。こうした言論まがいの暴力や嫌がらせは、これは厳に戒められねばなりません。一見、矛盾しているかのようですが、この微妙かつ決定的な差異を見極める努力を怠ると、常識的感覚を欠いた原理主義、マニュアル思考、極論に陥ってしまいます。
「批判、否定的な意見は一切ダメ」あるいは逆に「いかなる発言もひとつの意見として尊重する」、そのどちらもこのパーティの主催者としてワタシは採用しません。

まさに、そうした文筆によってなされる劣情の垂れ流しを平井和正は“ガチャ文”と名付け、『“ガチャ文”考』でその現象に警鐘を鳴らしました。
昨年末に掃除をしてしまい、跡形もありませんが、マメにお読みいただいていた方は目撃されたと思います。不思議不可解極まりないことに、嫌いな作家、あまつさえは嫌いな一読者>ワタシにわざわざ関心を持ち、悪意したたる文章を寄越してこられた幾度もの投稿を。あれもまた、“ガチャ文”の一典型と呼べるでしょう。華麗にスルーなさった皆さんの賢明さには、パーティ主催者として感謝と敬服を捧げます。

想像してみてください。ああいう投稿で埋め尽くされた掲示板を。たまりませんよ。見に来る気も失せるというものです。野放図な発言の場は、往々にしてそうなります。ああいった人物や発言は、決して珍しいものではありません。「アンチの粘着投稿」なんて、「掲示板あるある」と云ってもいいぐらい一般的で、ありふれています。こんな日頃閑古鳥が鳴くプライベートそのものの個人掲示板でさえ、そんなことが起こるのです。
事実、幻魔大戦ファンクラブの紙面で、そういった投稿が蔓延したといいます。平井和正の危機感は、やはり相当なものであったのだろうと想像します。
平井和正は何と云っていたか。『“ガチャ文”考』から引用してみます。

「そうでしょう。“文は人なり”と昔から言いますが、このことを言うわけですよ。“ガチャ文”を書く人間は、己れの鈍感さ、無神経さ、愚劣な自己満足癖といった、嫌な性格の偏りを如何なくさらけ出しています。自分の書いた文章が、他人にどんな心理的反応を惹起するか、一切考えないからです。相手が不愉快な思いをしようが知ったことじゃないのです。
 つまりですな、“ガチャ文”の書き手には、想像力というものがないんです。他人への思い遣り、濃やかな心遣い、心配りという精神的潤いに無縁なんです。一言でいえば、愛が欠乏しています。感性が干からびてガチャガチャしています。それで“ガチャ文”と名付けたんですがね。
 こうした“ガチャ文”ライターが、普段の日常生活において、どんな振舞をするどんな人物か、おおよそ想像がつくというものではありませんか。
 変に高圧的な口のききかたをしたり、人を見下げていたり、繊細な人間心理の綾というものを全く理解できない、手前勝手な、心の冷たいエゴイスト。自省や内省という高度な心理作用に無縁な嫌われ者。
 誰でも、すぐに何人かそうした類いの嫌われ者の心当たりが浮かんでくるんじゃないですか?
 気持の優しい人間は、必ず優しい思い遣りのある文章を書きます。思慮深い人間は綿密に配慮に富んだ文章を書くのです。理論的な人間は堅苦しい文章を書き、感性豊かな人間は詩的な文章を書きます。
 そして小児的な気儘者、他人の感情生活に無頓着な、無神経で鈍感な人間は“ガチャ文”を書くわけです」


浮かぶ、浮かぶ。浮かび過ぎるは、採れたてシャキシャキの新鮮な心当たりが(笑)。今回、あらためて読み返したのですが、三十余年の歳月を経て、まったく古びたところがありません。畢竟、テクノロジーがどんなに発達し、ペーパー同人誌がネットワークのSNSに替わったところで、そこに横たわる人と人とが交わる悩みや問題は、何ら変わりはないということなのでしょう。

ですが、『“ガチャ文”考』は同時に失敗でもあったと思います。それはやはり、こんさんのような受け取られ方が、大勢を占めたと思われるからです。前述したとおり、ウルフ会の会員さえも、そのように反応しました。主旨はあくまでも、一般論としての“ガチャ文”への警鐘であり、問題の匿名投稿への批判は、その具体例としての見本に過ぎなかったのですが……。しかし、肝心の主旨はさほど理解されず、プロ作家が素人を腐した、ひどい、かわいそう、と、その面ばかりがネガティブに受け止められました。

結果論の後知恵でしかありませんが、のちにエッセイ集に収録するのはいいとしても、ウルフ会においては、編集に携わるスタッフにのみ伝える「秘伝」に留めるべきだったのかもしれません。
もちろん、一定の効果はありました。以後、機関誌に悪文が載ることはなくなりました。ですがそれは、委縮し、闊達さを欠いた、不健全な平穏ではなかったかと思います。なにしろ機関誌には、当時現在進行形で雑誌連載されていた『黄金の少女』について、「犬神明不在のストーリーに対する是非」という、当然あってしかるべき声が、ただの一つも載ることはなかったのですから。ウルフガイのファンクラブであるにも関わらず、です。
効果があり過ぎた、と云えるかもしれません。

でも、これだけは弁護させてください。あの方はなにも「こいつムカつくからシバいたれ」と思って、あれを書いたわけではありません。一本の“ガチャ文”を看過し、それが燎原の火のように紙面を汚染すれば、それで迷惑し、不愉快な思いをするのは、素人たる多数の会員たちです。彼らを守るためにも、悪しき芽は摘んでおかねばならなかった。そのために一人の素人を容赦なく批判したのは、確かに鬼の業ですが、それは長谷川平蔵のそれでありましょう(鬼の平井で、こちらも鬼平です)。真意が理解されず、結果的に失敗だったとしても、その点は氏の肩を持っておきたいと思います。

不満についても、述べておきましょう。
収録したエッセイ集『ウルフの神話』の編集には、大いに不満があります。それは“ガチャ文”とされる問題の投稿そのものを掲載しなかったことです。確かに要所の引用はされているので、おおよそのアウトラインは掴めます。それでも、全文を読まないことには、本当に著者の批判が正しいのか、そのジャッジはできません。
許可が得られなかった、というのは考えられます。そりゃまあ、“ガチャ文”の見本ってことで、掲載していいですか? なんて訊いても色よい返事はもらえないでしょう。あるいは初めから、そんな許可求められるわけないだろ、ってことだったのかも。それはわかるんですけど、やっぱり残念ですね。
また里帰りしたら、パチリと写して、アップしちゃいましょうかね。

ああ、そうだ。いいこと思いついた。(と云うときは、たいてい悪いことを思いついている)
掃除した投稿も、スクショを上げればいいんだ。……なんてね。実は前から考えてました。
同列に掲載はせず、読みたくないひとはそれを避けることができ、興味のあるひとだけが閲覧いただける。それよりなにより削除された投稿ほど、どんなシロモノか見てみたくなるのは、人情ってものですからね。
おとなしくしててくれりゃ、そこまですることはなかったのですが、あれほどハッキリ「出入り禁止」と申し上げたというのに、性懲りもなく、まだ投稿を続けておられる。いやはや、分別のかけらもお持ちではないようで。そうとなったら、こちらも遠慮なくやらせてもらいましょう。すみません、これは余談です。

「おもしろユートピアの建設」を掲げるウルフ会でしたが、すっかり、おとなしユートピア、ヒツジ会になってしまいました。紙面の頽廃は防いだものの、それとはまた逆位相の望ましからざる状態に陥ってしまったように思います。そして、平井和正もまた、『黄金の少女』執筆に没頭し、会への関与から離れてしまいます。
『黄金の少女』という「腫れ物」に誰も触れず、ノン・ノベルで出ている範囲の旧作についてばかり、無難におしゃべりしている……。ヒハンしちゃだめ、ケンカしちゃだめ、やさしくやさしく、おだやかにおだやかに。……蓮の花咲く極楽浄土でも目指してんのかと。どうしても、ひとは極端に走ってしまうのですよね。
文句を云ったっていいし、バトルを繰り広げたっていい。大事なことは、読むに堪えない劣情を垂れ流すのではなく、それを読むひとに面白く愉しんでもらえるものにしようという創意であり、その努力です。
おもしろユートピアにしろ、“ガチャ文”考にしろ、平井和正が訴えたかった根本はそこにあると思うのですが、皆さんはいかがお考えになるでしょうか。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: こん Mail - Home No.1608 - 2019/01/26(Sat) 19:41:13
これは力の入った文章を……。私の数行の文章に、ここまでリアクションしていただくと、なにやら申し訳ない気分になります。もちろん、皮肉で言ってるんじゃありませんよ。

カナメさんのおっしゃることには、大筋で賛成するものであります。
ただ素人の粗雑な投稿に対する応酬という形で書かれた『“ガチャ文”考』は、やはり誤解を生みやすい形式だったんでしょうね。
あくまで一般論として書いて名指ししないか、プロの文筆家相手の反撃文だったら、もっと素直に受け取ることができたかもしれません。
飲み込みずらい薬だな、もうちょっとオブラートに包んでよ、という印象です。

それにしても、この『“ガチャ文”考』を目のあたりにしたら、会員の皆さんもそりゃ委縮するよな、とちょっと可笑しくなってしまいました(失礼!)。
うかつに投稿して、もし平井和正のこの剛腕パンチを己も食らってしまったら……想像するだに恐ろしい。至上最強のボクサーに、ひょろひょろの素人が完膚なきまでにボコボコにされてしまうようだ、とでも申しましょうか。
ライオンはウサギを狩る時も全力を尽くすと言いますが、当時ぼくが平井和正に感じた異様さはそれと似たようなものだったのかもしれません。

つまり相手が誰だろうが、手抜きをしない。生真面目で、真正直で、何事にもいつでも真剣、体当たり。
その常人を逸するとも言える、あまりにもストレートすぎる姿勢に、ぼくは引いたのかもしれませんね。
もちろん同時にそれが、平井和正の大いなる美点であることも、間違いないところでしょう。

ただ、その平井和正の資質と、ウルフ会の「おもしろユートピア」の理念は、水と油だったかもしれませんね。特に「黄金の少女」というハルマゲドン真っ最中小説を書いていた彼にとっては。
自身にない資質だったからこそ、憧れた理念だったのでしょうか?
だってやっぱり『“ガチャ文”考』は読んでいて「おもしろ」くも「ユートピア」でもない……いや、やっぱり面白いか? まあ、少なくとも腹は抱えませんよね。
たぶん筒井康隆なら、ユーモアあふれる文章かつ平井和正に匹敵するような腕力で『“ガチャ文”考』を書いたのではないでしょうか。

『地球樹の女神』あたり以降の「ハルマゲドンが去った後」の小説を読むと、それでも最終的には理想とした「おもしろユートピア」の境地に、彼はたどり着いたんでしょうかね?

さて……。カナメさんの力作に見合った返信になっておらず、申し訳ありませんが……。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1609 - 2019/01/27(Sun) 04:24:59
 カナメさんとこんさんのやりとり、大変興味深く拝読しました。面白いなー。

 ひとつのケースとして、俺の『“ガチャ文”考』の感想を書かせてもらいます。

 機関紙を読んでいなかった、ということが大きかったと思うのですが、『“ガチャ文”考』に違和感というのは感じなかったですね。
 元になった一素人、一個人の文章を掲載しなかったことが功を奏していたのかな、とカナメさんとこんさんのやりとりを知って思いました。
 あくまでも“一般論”として読めたんですね。

 俺はどちらと言えば右翼で本多勝一とは政治的立場は真逆ですが、文章に関しては彼が師匠なんですね。文章の基本は本多勝一の『日本語の作文技術』で学びました。

 『“ガチャ文”考』を読んだとき、これは平井和正の文章教室かな、と思ったんですね。
 本多勝一のそれとは違って、具体的・実践的なものではありませんでしたが、平井和正の“文章観”が現れていて、ちょっとビックリしたことを覚えています。と同時に襟を正すような気持ちになりました。

 文章の向こう側に書き手の人格を視る、というのは、いかにも『幻魔大戦』の作者らしいな、と今となって感じるところです。
 いや『幻魔大戦』以前からのものだったのかもしれません。
 
 情念の作家・平井和正にとって、文章とは「想いを伝えるもの」だったのでしょう。
 ファンレターに必ず返事を書く作家。愛には愛で応える作家。
 そんな作家にとって“ガチャ文”というのは本当に許し難かったものだったのではないでしょうか。

 平井和正には私小説家の核があって、そのうえでエンターテインメントを書くとしたら、それは極めて私的な読者へのラブレターだったのでしょう。
 平井和正にとって読者とはラブレターの受け手であり、受け取ってくれた以上、自分を愛してくれている、と信じていたのではないしょうか。
 だからこそ、カナメさんがNo.1369でご指摘したように、読者に近づいては失望する、ということを繰り返したのかもしれません。
 俺が書いたラブレターを受け取ってくれたのだから、もっと自分を愛してくれ、もっと自分を理解してくれ、と感じていたのではないでしょうか。

 “泉谷あゆみ期”の作品をろくに読んでいないので断言はできませんが、平井和正の資質と「おもしろユートピア」とは相性が悪かった、と俺も思います。

 >自身にない資質だったからこそ、憧れた理念だったのでしょうか?

 というこんさんのご指摘はまったく同感で、「おもしろユートピア」とは「母の庇護の下の幸せ」なのだと思います。
 平井和正以前に管理人さんへの愛を告白したのは糸井重里でした。糸井重里もまた母との関係がよくなかったと言います。
 「母の庇護の下の幸せ」に幻想をもっている人間たちを魅了したのが、『めぞん一刻』だったのでしょう。

 平井和正と筒井康隆の文章に対するスタンスの違いは、標準語との距離感というのがありそうです
 神奈川県出身の平井和正と違って、筒井康隆はどうしても標準語との距離がある。筒井康隆にとって文章とは「伝えるもの」以上の機能があるのではないでしょうか。

 『“ガチャ文”考』を書いたのは、書けたのは、平井和正だったからだと思っています。
 読者への思い入れが強すぎるんですね。
 なにせラブレターの相手ですからね。


リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ Mail - Home No.1595 - 2019/01/14(Mon) 00:40:35
まずはワタシの見解を述べておきましょうか。かの人物を「本物」か「ニセ者」かと問われれば、99パーセント後者でしょう。詐話師ないし本気の妄想癖の持ち主だということです。公表された情報を読む限りでは、そう思わざるを得ません。SFアドベンチャー誌の「ウルフランドレポート」というコラムに掲載された「彼のそっくりさんが現われて、周囲に迷惑を及ぼしている」という話なんて、正常な猜疑心を持っていれば、そりゃアンタだろう!? とツッコむしかない、うさん臭さ満点のエピソードです。不思議な人には不思議なことが起こるのではなく、うさん臭い人がうさん臭いことをやっていた、というのが身も蓋もない真実ではなかったかと思います。

それでも、「ニセ者」としてのリアル犬神明ことS氏は実在しており、実際にインタビューはおこなわれた。それは紛れもない事実であって、公表されたインタビューそのものがでっち上げ、創作、捏造ではないかという疑惑の余地はまったくありません。平井和正というひとは、そんなウソをつく方ではないし、それは信じるというより知っていると云いたいぐらいです。

自分の財布を預けるぐらい誰かに入れ込んでは、苦い別離に至る。それはあの方の宿痾、物悲しい歴史であって、女性カリスマしかり、リム出版社長しかり、超大作でデビューした作家しかりです。S氏もまた、そんな人物のひとりとして、カウントできるかもしれません。
「自分は犬神の末裔」「満月期には不死身になる」「CIAと暗闘を繰り広げた」……こんな与太話を信じるとしたら、どうかしていると。反平井和正の手合は格好のキテレツ・トンデモ事案として罵倒・嘲笑のネタにし、常識的な親平井和正の読者は「またビョーキが始まったよ」「こういうところさえなけりゃなあ」と困惑する。
でも、考えてもらいたいことがあります。それは肝心な一点で、われわれ一般読者は、平井和正と同じ土俵には立っていないということです。それはS氏と直に接したかどうかという一点です。
平井和正自身でさえ、あの一連の紙面を読んだだけで、その内容を額面通り信じはしなかったでしょう。平井和正はS氏と直に接し、この人物がこれまでの有象無象の木の芽時の来訪者とは違う、重要なメッセージを託されて自分の前に出現したのだと直感したのでしょう。それは「情報」しか材料のない傍観者には、うかがい知ることのできない領域です。それがあとでイヤほど後悔する、あまりアテにならない直感、第六感であったとしてもです(苦笑)。

とまあ、いまでこそこんなことを云ってますが、もっと若く、もっと純真だったころは、もっと違うリアクションをしていました(苦笑)。こんなワタシでも、歳をとると多少は分別臭くなるもんです。ワタシの黒歴史をご存知の皆さまにおかれましては、どうか大人の分別で見逃していただければ幸甚です。
まあ本当に分別ってものがあれば、この話題には決して触れないでしょうけどね。

もうひとつは小説のネタにしなかったことである。
熱心な平井和正ファンであった俺が一番アタマきたのは後者である。


弘田さんのこの視点はなかったですね。読者として、正しいと思います。ワタシにとり平井和正は、エッセイストであり、思想家であり、オカルティストでもあって、それらの文筆、言説、活動も消費の対象にしていました。その差ですね。平たく云えば、ミーハーなのでしょう。
それでも、晩年にブログ的に活用していたウルフガイ・ドットコムの「近況」「近況+」は、さっぱり面白くなくて(とてもじゃないが書籍化はムリでしょう)、それを無料でやってんだからゴチャゴチャ云うなよみたいなことを口走ってしまうところに、物書きのとしての堕落を感じて、結構真面目にガッカリはしたものです。怒りのポイントは各々違うものですね。

確かに、狼への過剰な思い入れや、新宗教とその教祖への傾倒は、ダイレクトに作品化された。それに対して、高橋留美子作品との出逢いや、リアル犬神明の出現は、作品として実を結んではいません。せいぜい、そのふたつ込みで『女神變生』という一冊のコミックリリーフになったぐらいで。

高橋留美子作品との出逢いも、“おもしろユートピア”への開眼が第二次幻魔大戦を終息させたであろうことは、間違いのないところであるにしても、じゃあ続く『黄金の少女』はと云えば、「おもしろ」ではなく「ユートピア」ではさらにない、血と硝煙の匂い漂う男のヒューマンドラマでした。
リアル犬神明の出現は、『黄金の少女』の連載が終わったSFアドベンチャー誌の次の号で発表されました。この事件もまた第二次ウルフガイを終わらせたのか? それとも時期がたまたま一致していたに過ぎないのか。その後の創作・作品性に何らかの陰を落としたのか、そうでもなかったのか。いまのワタシには、述べるに足る考えの持ち合わせがありません。

小説のキャラクターが現実に現われた、そのキテレツさはスルーし、自分の前に現われたその人物の印象、直感で、真面目にその人物の話に耳を傾けてしまう。それが平井和正というリアル犬神明に負けてないビックリ人間なのです。そんなひとだからこそ、まあ良くも悪くもビックリな作品(笑)が書けたのだと、読者のハシクレとして、ワタシはこの一件をゆる〜く受けとめています。

ちなみに、大槻ケンヂの例の歌、『奇妙に過ぎるケース』ですが、二番以降で小説家でもあるオーケンの前にも「あなたの小説の作中人物だ」と称する女が現われます。驚くなかれ、オーケンは彼女を「本物」と認め(笑)ます。つまり、リアル犬神明は導入のネタフリなのですね。どういう結末を迎えるか気になる方は、この歌だけでもダウンロードして聴いてみてください。
平井せんせいも、犬神明が夢枕に立ったというのは作り話で、実はモデルがいたんだ――そう云ったほうが、まだしも世間から納得はしてもらえたかもしれませんね。
Too much リアルに過ぎるケースさ。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ Mail - Home No.1596 - 2019/01/14(Mon) 00:42:19
実家で発掘しました。(新)ウルフ会機関誌「狼火」最終号です。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ Mail - Home No.1597 - 2019/01/14(Mon) 00:44:28
この表紙を描いたのが、実はこの方なのです。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ Mail - Home No.1598 - 2019/01/14(Mon) 00:53:59
そして、この方のサイン(爆)。
リアル犬神明ことS氏が実在することそれ自体は、疑問の余地はありません。それは南山宏氏や当時のSFアドベンチャー編集者など、幾人もの証人がいますが、ワタシもその一人というわけです。
箱根小涌園で開催されたウルフ会全国大会でいただきました。特になにをするわけでもなく、ゲストに招かれたS氏でしたが、サイン会みたいなことになりました。最初にサインを求めた勇気ある会員さんには、感謝を捧げます。まるでヒーローショー。ショーはありませんでしたが。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1599 - 2019/01/14(Mon) 10:57:00
 リアル犬神明ことS氏の画、いいじゃないですか!
 独自の世界観を持ってらっしゃる!
 ああ……これは平井和正がハマるかもしれない。無理もない。
 論理的なメカニズムをもつオカルトが好きな平井和正好みですね。

 俺もこの画からアレコレ妄想できる!(笑)


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: こん Mail - Home No.1600 - 2019/01/17(Thu) 03:11:59
>もうひとつは小説のネタにしなかったことである。

女性カリスマからの離反も、小説にしてませんよね。
エッセイ「平井和正『幻魔』を考える」などで批判したのみ。
小説家なら批判は小説でやれよ、やってほしい、とぼくは思いましたが……。
すごくいいネタだと思うけど、エッセイ書いただけで気がすんじゃったのかな?
それとも小説だと、自己の作品否定をしかねないネタなのが、本能的に彼から小説化を避けさせたのでしょうか?
あるいはハルマゲドン失中後、平井和正にとっては小説にするほどのボルテージは感じられないということだったのでしょうか?

1991年から1992年の時期に「平井和正『幻魔』を考える」でカリスマからの決別文をしたためたのは、相当な心境の変化があったと見られますね。この時期、彼の内面でなにが起こったのでしょうね? ハルマゲドン的人類への憎悪が消えたんですかね?
「黄金の少女」で自己治療に成功したんでしょうか? 冷戦終了は関係あるのかな?

エッセイスト平井和正は独特の魅力がありますが、ぼくは「ガチャ文考」は苦手でしたね。ホームといえる機関紙で、素人を手厳しく断罪する姿勢にはドン引きしました。
善悪二元論、正しいか正しくないかのどちらかしかない、物事を峻別する作家ですよね。

リアル犬神明事件を含めて、エッセイを書かなければ、また評価の違った作家だったろうなという気もしています。
虚実の境を、次第に越えていった作家ですよね。もちろん、そこが面白いのだ、という意見があったとしても、おかしくありませんが。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: DONDEN Mail - Home No.1602 - 2019/01/20(Sun) 01:04:52
この一連の話題には納得しそうになったのですが、考えてみると一応『BACHI・GAMI』がリアル犬神明氏を元ネタにした作品として存在してますね。あくまでリアル犬神明氏の一側面の反映ですが。
さらにうっかり失念してたのが、“リアル犬神明事件”は舞台の一つである某T峠がモデルの場所が『地球樹の女神』に登場し、そこを経由して水面下で玉置神社へと連動していった話だったということです。そういう点では、わかりやすい元ネタではないにしても創作・作品性には影響している、と言えると思います。
どちらかというと幻魔大戦シリーズは、実体験の検証という側面からか、元ネタの投影がストレートというか、原型を留め過ぎてる気がします。だからそれを基準にすると色々と見落としてしまう部分が大きくなるのではないかとも考えます。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ Mail - Home No.1603 - 2019/01/20(Sun) 23:54:52
「『“ガチャ文”考』を考える。」というテキストを書いているのですが、これがなかなか歯ごたえがあり過ぎる題材でして……。少々時間がかかりそうです。今頃? というタイミングでアップするかもしれません。力及ばずお蔵に入ったら、ごめんなさい。


Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ Mail - Home No.1604 - 2019/01/21(Mon) 00:26:08
DONDENさん、毎度貴重なご指摘、ありがとうございます。
云われてみれば、確かにそのとおりです。やはり転んでも(転んだのか?)、ただでは起きない、作家の矜持。しっかり元は取ってたんですね。平井せんせい、ごめんなさいとお詫びしておきます。
ひとの意見は聞かないといけませんね。


命日は過ぎましたが…… - Name: カナメ Mail - Home No.1601 - 2019/01/18(Fri) 01:25:03
今頃は、ヨコジュンさんを歓迎して「あの世麻雀」※の真っ最中でしょうか。

こんさん、投稿ありがとうございます。ご意見、興味深く拝読しました。
読者としてのタイプの違い、と云ってしまえばそれまでですが、ワタシはあの方の雑文も好きなのですよ。“平井和正雑文全集”が電子書籍で出たら、欣喜雀躍しますね。まあ、実現性はリアル犬神明氏がホンモノである可能性と同程度に限りなく低いとは思いますが。近頃はスマホアプリのOCRソフトも精度が高いと聞きますし、自分で手当たり次第にテキスト化してやろうかいと目論んでおりやす。

平井和正の雑文は、さだまさしのおしゃべりと同じぐらい、もう一方の柱だと思うのですよ。さださんはそっちが本業かもしれませんが……。もとをただせばファンレターの返事を書き過ぎて、小説を書くのがおろそかになってしまうという、無類の文通好きであらせられるわけで。

でも、高橋佳子への三行半については、確かにそうだよなぁ、とちょっと思いました。そんな読者サービスの言霊があるんなら、ちょっとでも『ハルマゲドン』の続きでも書いて、読ませてくれりゃいいのに。

土屋香、井沢郁江と大ゲンカしてGENKEN離脱!!!

読みたい! すンげえ読みたい!(笑)
安らかに(?)あの世麻雀も結構ですが、残されたわれわれ読者は困っておりますよ。ほんとにもう。
(寄ってたかってカモってたりしてね。)

http://hiraist.fan.coocan.jp/mokuroku/bib/bib5_aa.html#AA103 参照
 ヒライストライブラリー http://hiraist.fan.coocan.jp/index.html



SFショートストーリー傑作セレクション - Name: keep9 Mail - Home No.1593 - 2019/01/06(Sun) 16:38:36
昨年末から、日下三蔵さん編の日本作家短編アンソロジーのシリーズ(全4巻予定)が出始めました。明らかに小学校高学年以上を狙ったハードカバーの叢書ですので、さっそく職場の小学校図書館に入れ始めています。というか、これ図書館が買わなかったらよほどのSFファンの親でもなければ子どもに買い与えたりしそうもないし、図書館が買わずして誰が買う!的なシリーズでもあります。

平井作品の収録作は、2冊目までのところで「人の心はタイムマシン」「ロボットは泣かない」の2編。もし自分から借りて読む子が居たら感想を聞きたいところです。


Re: SFショートストーリー傑作セレクション - Name: カナメ Mail - Home No.1594 - 2019/01/12(Sat) 12:35:17
SFの灯を現在にリレーする仕掛け人・日下三蔵さんの営為には頭が下がります。
昨年暮れは多忙で足を運べませんでしたが、先日無事に『ロボット篇』を書店で買うことができました。いま読書中の真幻魔大戦(月影どの、CRA登場!)のパートの次に、読んでみようと思います。
今月末には「次元を駈ける恋」を収録した3冊目、『異次元篇』が刊行されます。未来あるキッズたちに広めてください。


新年のご挨拶 - Name: カナメ Mail - Home No.1592 - 2019/01/05(Sat) 19:25:00
あけましておめでとうございます。
リニューアルして、初の新年を迎えることができました。

2018年という年は、平井和正読者的にはたいへんメモリアルな年になりました。早川書房から平井和正の本が出るなんて、歴史的和解といっていいでしょう。それが機運となって、「平井和正氏を偲ぶ会」も開催されました。それから、これは私事に属しますが、それがまんざら無関係でもなく、間接的なきっかけとなって、当掲示板も終了から一転、リニューアルすることになったりもしました。
生頼範義展も忘れてはいけませんね。宮崎、明石など、各地で開かれていた展覧会が、東京上野で開催されました。あれから丁度丸一年が経つのですね。ちょっと信じられない気分です。ついこの間のような気がしているので。

一年なんて、あっという間。(第二次)幻魔大戦再読の旅も今年中にどこまでいけるか。無印幻魔全二十巻、真幻魔第二部までを目標にしていますが、雑誌掲載一回分をテキスト一本で計算しても、あと16本分あるのですよ。なかなかキビしい行程です。そこから真幻魔第三部があり、ハル少、ハルマゲドンがあって、それらが終わって、ようやくヤングウルフガイ、初期シリーズ全四巻、黄金の少女全五巻にいける。実にワタシの読書のスケジュールは、来年までぎっちり埋まっております(笑)。半額セールの電子書籍で買った合本『鬼平犯科帳』全二十四巻、読み終えるのはいつになることやら。

幻魔大戦の発表順を末尾に再録しておきます。驚くべきは、平井和正せんせいの怒涛の執筆ペースですよ。こちらがちょっと文字多めの読書日記を書いてる間に、あちらは小説そのものを一冊分書き上げている。お陰で、あの当時のオンタイムの読者の気分をより忠実に追体験できています。ワタシはアニメ幻魔きっかけの読者で、この時代には乗り遅れてしまったので。

ワタシがやっているのは、所詮はちょっと文字多めの読書日記です。これをやることで、ただ漫然と読むだけで済ませるよりも二倍、三倍、消化吸収が良くなり、ワタシ自身がより愉しめるのです。お裾分けと云うのもはばかりですが、お読みいただいた皆さんにも、何かの参考になったり、愉しんでいただけたのなら、望外のよろこびです。
本年もよろしくお願いいたします。


≪幻魔大戦発表順≫
◇ビッグ・プロローグ
「SFアドベンチャー」徳間書店 1979.8
◇サディスティック・サイキック・タイガー
「SFアドベンチャー」徳間書店 1979.10
◇スーパー・バロック・プリンセス
「SFアドベンチャー」徳間書店 1979.12
◆幻魔宇宙
「野性時代」角川書店 1979.12
◇ザ・ESPファミリー
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.2
◆超戦士
「野性時代」角川書店 1980.2
◇スリーピング・ビューティー
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.4
◆最初の戦闘
「野性時代」角川書店 1980.4
◇イデオット・プロット
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.6
◇メサイア・メーカー
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.7
◇メサイア・メーカー
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.8
◆救世主への道
「野性時代」角川書店 1980.8
◇非・円滑化現象
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.9
◆巡り逢い
「野性時代」角川書店 1980.9
◇夢魔の寝室
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.10
◆悪霊教団
「野性時代」角川書店 1980.10
◇ベアトリスの釵
「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.11
◆浄化の時代
「野性時代」角川書店 1980.11
◆集結の時
「野性時代」角川書店 1980.12
◇ビッグ・インタルード
◇超能力者たち
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.1
◆青い暗黒
「野性時代」角川書店 1981.1
◇サイキック・ゲーム
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.2
◆超能力戦争
「野性時代」角川書店 1981.3
◇ソウル・イーター
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.4
◆闇の波動
「野性時代」角川書店 1981.4
◇幻魔からの脱出
◇時を継ぐ者
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.6
◆大変動への道
「野性時代」角川書店 1981.7
←−−−−−−−−−−−−−−−−−−−いまココ
◇炎える不死蝶
◇播種プロジェクト
◇秘密預言書
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.8
◆魔王の誕生
「野性時代」角川書店 1981.9
◇預言教団
◇超霊媒
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.10
◆幻魔との接触
「野性時代」角川書店 1981.11
◇超霊媒
◇鬼界漂流
◇優里の冒険
「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.12
◆幻魔の標的
「野性時代」角川書店 1982.1
◇犬神一族
◇妖惑者
◇再会
◇霧の中の巨眼
「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.3
◆光の記憶
「野性時代」角川書店 1982.3
◆光のネットワーク
「野性時代」角川書店 1982.5
◇魔の山を行く
◇鬼怪の岩場
◇再会の二人
◇青春彷徨
「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.6
◆ハルマゲドン幻視
「野性時代」角川書店 1982.8
◇待つ女
◇験比べ
「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.9
◇◇ムウの人狼
◇◇超空間での誕生
◇◇不死身の戦士
『平井和正の幻魔宇宙』徳間書店 1982.10
◆暗黒の奇蹟
「野性時代」角川書店 1982.11
◇超絶の死闘
◇送り狼
◇父と子と
◇赤い牙
「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.12
◇激闘! 犬神の里
◇時空の関門
「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.3
◆光芒の宇宙
「野性時代」角川書店 1983.3
◇◇ラチル
◇◇洞窟基地
◇◇犬の法廷
『平井和正の幻魔宇宙 2』徳間書店 1983.10
◇◇犬の法廷
◇◇暗黒神の供儀
◇◇汚辱の記憶
◇◇幻魔書
◇◇堕天使ルキフェルと遭う
◇◇堕天使の息吹
◇◇復讐の女神
『平井和正の幻魔宇宙 3』徳間書店 1984.4
◇◇離散
◇◇非常警報
◇◇秘密間道
◇◇魔神目覚める
◇◇超戦士ドナー
◇◇黄金の獣神
『平井和正の幻魔宇宙 4』徳間書店 1984.10



今年の汚れ今年のうちに - Name: カナメ Mail - Home No.1591 - 2018/12/30(Sun) 21:29:36
弘田さん、こんさん、お久しぶりです。よくぞこのタイミングで、投稿をお寄せくださいました。
もうね、ワタシに悪意敵意のある方に、わざわざ活動の場を提供してるだけなのかなあ、ヘナヘナ〜と脱力しているところでしたので。
お陰で来年からも、この掲示板を続けていこうという力が湧いてきました。
弘田さんの強力サーブに、どんなリターンが返せるか、ちょっと思案させてください。取り急ぎ、お礼まで。

やっぱりこれが掲示板の醍醐味ですよ。自分しか書いてないんじゃ、ブログと変わらない。画面いっぱいのテキストの応酬、濃厚コミュニケーション。SNSもいいんですが、いまいち食い足りなさを覚えます。
厄介事のリスクもありますけどね。いま起きている問題だって、元をただせばそもそもの因縁は、この掲示板から生まれたわけですし。

批判はあっていい。毒もまたしかり。
賞讃しか認めない――なんてワタシ自身、云う資格はありません。ただ、その質、語り手の放つ魅力、これは大いに問われるべきでしょう。弘田さんの投稿を読んで、あらためてそのことを思いました。
せっかくお越しくださり、お読みいただいている皆さんを、ただ不愉快にさせるだけの毒なんて、ただの毒です。ディナーのテーブルに撒き散らかされた精神的汚物をそのままにするとしたら、それは掲示板の主としての怠慢です。

幸い、そのために最も省力かつ適切な対処法があります。ベガの空間干渉波のごとく強力なシステム権限ってやつが。当掲示板には相応しくないと判断した投稿については、リニューアルのときに申し上げた規約的なやつ(No.1559)に宣しましたとおり、きれいさっぱり削除させていただきました。お一人様が都度お名前を替えておられたのか、お名前の数だけ人数がおられたのかは存じませんが、あなたの素晴らしい言説は、どこか別の場所で発表なさってください。
文句のひとつもあろうかとは思いますが、以後あなたと思しき投稿は、削除させていただきます。すなわち、出入り禁止です。お互い、無駄な労力は払わずに済ませていただけることを願っております。というか、出入り禁止には、もうすでに一度しているような気がするのですけどね。二度とお目にかかることがありませんように。

2018年は上野の生頼範義展に始まって早川での書籍復刊など、平井和正ファン的には何かと盛り上がった一年でした。慶事と比例してトラブルもまた増えるものなのかもしれませんね。税金みたいなもんだと思って、なるべく最小限で済ませるように払っていくことにしましょう。
それでは良いお年をお迎えください。


平井和正はいつから「頭おかしかった」のか - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1589 - 2018/12/30(Sun) 06:36:24
 平井和正がいつから「頭おかしかった」のかは世代論でしかないのかもしれない。

 自分の妄想世界にエクスキューズがない、となったのはウルフガイ・シリーズからである。

 なにせ「いかに狼が高貴で云々」という作中人物のタワゴトに誰もツッコミを入れないのだ。
 この頃から「頭おかしかった」わけだ。

 GLA体験を経て書かれた無印幻魔大戦シリーズは、誰が読んでも「頭おかしかった」(笑)。
 これはわかりやすい。

 リアル犬神明事件に問題があるとすれば、平井和正が「咀嚼」をせずに吐き出してしまったことだ。
 「咀嚼」をしないことの問題点はふたつある。

 ひとつはナマの「頭おかしかった」平井和正が読者の前に出てしまったことだ。
 ウルフガイにしろ幻魔大戦にしろ、作中人物のタワゴトとして読める。しかしリアル犬神明事件はそうではない。
 作中人物のタワゴトではない。作者のタワゴトだ。

 もうひとつは小説のネタにしなかったことである。
 「狼が云々」「幻魔が云々」、作者が「頭おかしかった」にせよ、とりあえず面白い小説になっていた。
 「リアル犬神明が云々」は小説にならなかった。

 熱心な平井和正ファンであった俺が一番アタマきたのは後者である。
 作者が「頭おかしかった」のは熱心な平井和正ファンであれば周知の事実だ。
 小説としては「頭おかしかった」のが武器になっていた。
 作者がマジで妄想を信じているのが、作品の「迫力」になっていた。

 俺が平井和正のなかに私小説作家を視るのはそこにある。

 私小説作家たる平井和正が、対談でお茶を濁すとは何事じゃ、堕落しおって、と思ったわけだ。

 俺が密かに感謝しているのは、高橋親娘であり、GLAの人々である。
 なにせ幻魔大戦のネタになってくれた。平井和正ファンとしては、こんなにありがたいことはない。

 リアル犬神明を名乗るオカルトマニアにアタマきたのは、たいしたネタも持たず平井和正の前に現れたことだ。
 『さんまのまんま』でさんま師匠が「ネタも持たずにくる女優とかアタマくる」という旨の発言をしていたが、俺はまさにその心境だったのである。
 いや、だった、というのは現在から過去をみた話だ。
 リアル犬神明はさぞや面白いネタを平井和正に提供してくれるのだろうな、と期待していた。

 世界新記録を短距離走者として出してくれてもいいし(ドヤ顔の平井和正)、ぜんぜん足が遅くてもいいし(ショボン顔の平井和正)、まあ何でもよかったのである。
 それが平井和正のネタにならず、大槻ケンヂのネタのなる始末である。

 当時すでに平井和正はネタ不足だったのだろうな、それで飛びついてしまったのかな、という想像も現在から過去をみた話だ。

 その後のネタは、なにせビタミンである、なにせダウジングである、なにせカスタネダである。どんだけネタねーんだよ、と遠くから眺めていたのだ。

 平井和正がベストセラー作家から転落するのは、『地球樹の女神』の改竄事件以降であって、リアル犬神明事件は関係ない。(というかリアル犬神明事件を知って衝撃を受けたのはファンだけだ)

 『地球樹の女神』は平井作品のなかで一番好きだが、ある種の「迫力」がない、ラストがあんまりだ、ということは俺も認める。それでまあ、一番好きなことは変わりがない。

 ベストセラー作家から転落したといっても、売れなくなった、ということではないのは、これもまた周知の事実だ。
 なにせ出版不況のただなかにあって、十巻を越える作品をいくつか出版できているのである。

 生頼範義期と泉谷あゆみ期との断絶は決定的なものだが、同時に商業出版時代と自費出版時代との断絶も大きいだろう。

 なぜ平井和正は自費出版に「引きこもって」しまったのか。
 彼が被害妄想をこじらせていた、という話もある。

 平井和正以外で、ヒーローがどこかで実在し、それを自分が叙述しているだけだ、という話をしている天才作家がもう一人だけいる。
 ロバート・E・ハワードだ。
 彼もまた晩年は被害妄想にとりつかれていたという。
 ハワードは「引きこもる」のではなく「自殺」するのだが、この二人の作家の共通点として見逃せない事実ではないだろうか。

 偉大な妄想にとりつかれた作家が、卑小な妄想によって押しつぶされる。
 そこに何かかしらの法則が働いているような気がしてならない、と感じてしまう俺は幻魔大戦の読みすぎかな(笑)。


Re: 平井和正はいつから「頭おかしかった」のか - Name: こん Mail - Home No.1590 - 2018/12/30(Sun) 19:46:54
「いかに狼が高貴で云々」というのがタワゴトというのは、今更ながら、ちょっと目から鱗ですね。結構最初から思い込みの激しい作家だったんですね。
作品を書く上で、色々触媒を必要とした作家だったんですね。
彼にとり後藤由紀子、高橋留美子、まつもと泉も触媒だったんでしょうね。
「幻魔大戦deepトルテック」発表から没年までの数年間、作品が発表されなかったのは、新たな触媒が見つからなかったということでしょうか。読者としては残念な話ではあります。


「GENKEN物語」の漫画化と漫画幻魔大戦が漫画でしか表現されていない問題 - Name: カナメ Mail - Home No.1583 - 2018/10/14(Sun) 01:34:23
ツイッターなどでは話題になっていますが、小説『幻魔大戦』の「GENKENパート」の漫画化作品が公開されています(※1)。ネームは20巻までできているそうで(※2)、4巻だけではなく全編を漫画化する構想のようです。
※1 https://www.pixiv.net/member.php?id=13448719
※2 https://twitter.com/ebunko8/status/1048562769430106112

あふれる久保陽子愛が好もしい。もちろん個人的には、このシーンはもっとコマを費やして描き込んでほしかったとか、このコはもっと美人に描いてほしかったとか(笑)、それはまったく不満なしというわけにはいきませんが、この途方もないチャレンジは応援したいと思います。

『幻魔大戦』の3巻までと4巻以降は、話の筋は繋がっていても性質は違う「別の作品」なので、こっちがやりたいのなら、これが大正解です。持ちネタのように繰り返し云ってることですが、このほうが読者も「口では立派なことを云ってるけど、コイツほんとに超能力なのか?」というGENKEN会員目線に立てて、ミステリアスなのですよ。

「GENKEN物語」を漫画幻魔大戦のストーリーの延長上に創ったのは、痛恨の極みだったと思っています。これはこれで面白さがあるし(好みは分かれますが)、作品的価値があるのに、その正当な評価が阻害される。「幻魔大戦をこんなにしやがって」という評判、怨嗟の声がどうしても勝ってしまう。いっそ4巻から「ハルマゲドン」にタイトル替えしてしまって、ストーリーは繋がってるけど違う作品ですよという扱いをしていれば、それだけでもずいぶんと読者の受け止め方も違ってきたんじゃないかと思うのですけどね。
アダルトウルフガイと同じ過ちを繰り返してしまったとも云えるし、“「犬神明が帰ってくる」サギ”になってしまった『黄金の少女』にも同じことが云える。平井和正の作家論には、どうしてもこの問題がつきまとってきます。

ある時期を境に作風がガラッと変わってしまう作家は、特段珍しくもありません。柳沢きみおなどが、よく知られた例になるでしょう。平井和正が特異であるとすれば、それは変わってしまったあとも旧作を書き継いだことです。柳沢きみおの例で云えば、氏が現在の作風でエロス&バイオレンスな「翔んだカップルdeep」を描くようなものです。これをやられると、読者としてはなかなか複雑なのですよね。

まあ、この世を去った作家に文句を云っても始まらない。これらの問題はこちとらの受け止め方で対処するしかありません。疑問も不満も、前向きなエネルギーに昇華していきたいものだと思います。
ワタシにはムリですが、御存知『幻魔大戦 Rebirth』やご紹介のpixiv漫画のように、創作として描き継ぎ、語り継ぐというやり方もある。
「GENKEN物語」はビジュアライズが始まりました。この上は、ワタシは是非とも、漫画幻魔大戦の忠実な小説化を切望するものです。なにも平井和正の文体を模写しろとは云いません。文才があり、そして筆を理性で御せる作家さんであれば。
平井和正がやろうとし、そして果たせなかった、すべての幻魔シリーズの原点であり原典の漫画『幻魔大戦』のノベライズ。なぜ誰もやろうとしないのか、不思議なくらいです。どなたかやってくれませんかね。平井和正先生と競うのはちょっと……というなら、なんなら、3巻の8番シークエンス以降の続きからでも結構ですよ。「のりしろ」付きでね。


Re: 「GENKEN物語」の漫画化と漫画幻魔大戦が漫画でしか表現されていない問題 - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1588 - 2018/12/30(Sun) 06:31:29
 俺も無印幻魔大戦のコミカライズ、中学時代にやっていました!
 ジャポニカ学習帳に鉛筆で書いていた!
 あと生頼範義の表紙に不満のあった中坊の俺はなんと表紙を裏返して自分のイラストを描いていたのだ!
 虎2はもちろんラムちゃんがモデルだったのだ! 虎2=ラムちゃんというのは俺は中坊の時代にすでに気づいていたのだ! おお、俺の何という先見の明か!

 いや俺の場合、たんなる黒歴史なんですけどね。


クリスマスプレゼントが届きましたよ! - Name: カナメ Mail - Home No.1586 - 2018/12/26(Wed) 07:59:31
アウトサイダー・アート
大槻ケンヂミステリ文庫


『ウルフガイ 燃えろ狼男』サウンドトラック - Name: カナメ Mail - Home No.1582 - 2018/10/09(Tue) 22:45:42
『馬場浩ワークス ウルフガイ 燃えろ狼男』が到着しました。さっそく聴いてます。奈美悦子が唄う挿入歌「女の爪は虎の爪」に感激。
……カップリングも素敵。


ゾンビーハンター再読によせて - Name: おみゃー Mail - Home No.1578 - 2018/09/16(Sun) 19:42:34
ずいぶんとお久しぶりになります。
ヒライストの卒業宣言はしたもののハヤカワのおかげで久しぶりにヒラリンの紙の本を読んでしまいました。
そこでつらつらと感じたことなどを文字にしてしまったので、お目汚しかもしれませんがよろしくお願いいたします。


エイトマンの鎮魂歌として書かれたというサイボーグ・ブルース。
21世紀となった現在でも実現されそうにない超科学技術を背景に、超高速躰の戦闘機械と化した主人公のアクション作品という体裁を見せている。
だが、根底に流れている隠されたテーマは
「精神と精神の完全な調和。すべての人間がひとつの巨大なこころを共有する」こと、
いやそれではお上品過ぎる。もっと内面に踏み込んで言えば

「俺の気持ちを理解してほしい」
「仲間がほしい」
「(子供の頃から不仲だった)母親の愛情を一身に受けたい」

という願いの裏返しだったのではないだろうか。

平井和正の根本に有った創作原理は『求めても得られない愛と友情』と考えたらどうだろう。
それら"得られないもの"から疎外される被差別のシンボルとしてサイボーグ・ブルースでは二グロの男性を主人公にしたのではないだろうか。
執筆当時、米国での差別がどれほど救いの無いものだったろう。
これはそのまま、母親への思いがどれほど救いの無いものだったかが容易に想像できる。

サイボーグ・ブルース作品世界の主人公は、自分の肉体が親から受け継いだそれではなくなっているにもかかわらず、誰かから必要とされることに悦びを感じている記述がある。
これは、「お前など何の価値もないクズだ!」と言われないために必死で何かに縋り付いて生きている作者の心象風景が透けて見えないだろうか。
たとえ超常の能力(チカラ)を得ていたとしてもなんとかして自己否定の感情から逃れたい。
愛されたいのだ。



ゾンビーハンターもサイボーグブルースと同様に、破壊の権化と化した主人公が苦悩しながら敵を倒す物語の体裁を見せてはいる。
だが其の実、愛と友情のギフトの物語だった。
(誰のレヴューでもそんなことは書いていないけど、再読の時にギフトだと意識してみてほしい)
俺は「3」の初読の時点でギフトだと感じていた。
再読して、どれほど愛情に飢えていたらあれほどのギフトを考えつくのだろうと考え込んでしまった。
# ギフト。それは副読本として「転生」を読んでいただき感想を語り合いたい。

そういえば平井作品のどこかの後書きで「ラブレターを毎日書く」というエピソードを紹介していたと記憶している。

「こっちを見てくれ」
「俺を知ってくれ」
「愛してくれ」

平井和正のあの文章で、あの情念で、自分のためだけにしたためた手紙をもらったとしたら!
もし俺がもらう立場だったと考えたら、それは身震いするほどの宝物だ。


これは俺の妄想だが、平井和正は例の宗教家の女性(ミカエル)に母性を見いだしてしまったとは考えられないだろうか?
実の母親に対し、求めても得られない"慈愛"というものをミカエルに見いだしてしまった。
この時のラブレターが真創世記の3部作だったのではないだろうか。

同様な話として、真偽はともかく麻原彰晃こと松本智津夫の話でこんなのを見かけた。
>就職して仕事や人間関係に行き詰ったOLがオウムに連れて行かれて、麻原は彼女の話を辛抱強く聞いてくれて、一言だけ「ヨガをやらないか?」って、言ったそうです
https://twitter.com/nako2013/status/1015516610524614656

そう、話を聞いてくれる。ただそれだけでも何の反論も否定もせずに優しく聴く。
ただそれだけでコロリといくなんてよく有る話ではないか!

ところが肉の躰を持つ聖者もあまり近づき過ぎると聖人でない部分が見えてしまうのだろう。
恋い焦がれた"慈愛"が幻影でしかないことが腑に落ちてからのミカエルとの決別作品がヤングウルフガイシリーズ後半の「犬神明」だと俺は思っている。
幻影との決別が昇華して湧いてきたのが"マーとの対決"だと思うからだ。
(仏教用語でマーヤーとは『幻:げん』[サンスクリット: māyā]人の目をまどわすこと。また、その術。実体のないまぼろし。)

もちろん幻魔大戦シリーズで教団(というよりも組織そのもの)の腐敗に対する描写もミカエル教団での経験が元になっているのだろうが、まだミカエルの影響が生々しいとも思えてしまうからだ。

そういう視点で各作品を見直すと「地球樹の女神」では母親やミカエルの呪縛が解けているかもしれない。
「ボヘミアン〜」以降は主人公が世之介と化している(笑)ということは完全に吹っ切れているのではないだろうか。


Re: ゾンビーハンター再読によせて - Name: カナメ Mail - Home No.1580 - 2018/09/25(Tue) 01:51:56
お久しぶりです。ソウル迸る書き込み、ありがとうございます。
平井和正の創作の源泉は、まさに「そこ」だと思います。
そこのところが、とことん癒されたとき、平井和正の作家性も、劇的に変わるのは、必然だったのだろうと思います。

そうして生まれ変わった「ゆるふわひらりん」の作品群についても、いずれ本腰を入れて読み直すつもりです。そのときには、新しい発見もあるのではないかと期待しています。なにしろアダルトウルフや幻魔大戦、死霊狩りにしてからが、今なお新しい発見があり、「惚れ直して」いるわけですから。
以前のワタシには、正直ピンと来なかったとしても、それらの作品を心から好きだという知人はいて、だからきっと、ワタシにはわからぬ魅力というものが、確かにあるのだろうと思います。
願わくばそれを確かめたくて、わかるようになりたくて、平井和正の世界を旅し続けます。まだまだ、先は長いですけどね。それは素敵なことなんですよ。なぜってそれはワタシには楽しくってしょうがない、心踊る旅路なのですから。


『死霊狩り』論コメントへのお礼 - Name: カナメ Mail - Home No.1577 - 2018/08/31(Fri) 00:33:44
拙文『死霊狩り』論へのコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
我ながら、金にもならぬテキスト書きに何を一生懸命になっているのかと思わないではないのですが、やっぱり好きなんですよね、こういうことが。なにより、これをやると読書が5倍ぐらい愉しく面白くなる。
実際、びっくりするような発見があるのです。ゾンビー化した田村俊夫に血が流れていたなんて、テキストを書くまで、思いもよりませんでした。
不思議なことに、テキストを書くという手続きを踏まないと、こういう発見は訪れません。ひと通り読み返した時点では、俊夫のデスが突然変異だということは頭に入っている。そこでその辺を言及しようと、再チェックをしていると「なになに、代謝がどうだって――?」と気付いたりするのです。

アメブロにも再掲しましたけど、「林石隆の格闘術は、少林寺拳法らしかった。」という記述しかり。
少林拳と少林寺拳法は違うんだけどなぁ、というご愛敬のツッコミどころとしては認識してましたが、ちょっと待て、「らしかった」というからには、これは俊夫の意識だよな? ネタとしてひとくさり書こうとする段になって、こういうところがまるでマーカーでも引いたように、眼に飛び込んでくるのですよね。

これって、ただ景色を眺めているのと、キャンパスにそれを写生しようとするのとでは、おのずと視る集中力が違うということなのかもしれません。

『人狼戦線』や『ウルフガイ・イン・ソドム』にしても、テキストを書く前とあとでは、ガラッと認識が変わりました。人狼戦線がウルフの奮闘ぶりが胸をうつ浪花節に見えて、実は、神の経綸を説いた物語であって、ウルフの行為なくしてリュウの核弾の不発という奇跡もなかった。ソドム篇も生かされなかった伏線ではなく、前作・人狼白書の解決篇だった。これらの認識は、書くという行為なくしては、たどり着けなかったでしょう。もちろん、ますます好きになりました。こういうことがあるので、やめられないのですよね。


弘田さん
近親者から愛読書を受け継ぐ――いいですね。ワタシにはない経験なので、憧れます。
わが実家にも「親父の本棚」はあるにはあったのですが、お前ぜったい読んでねーだろ、という世界文学全集が並んでいるぐらいで。あと、石原慎太郎の「スパルタ教育」を見たときは引きましたね。こんなん読んで、おれをギャクタイしてくれやがったのかと(笑)。


おかもとさん
貴重な死霊、もとい資料のご紹介、ありがとうございます。
アラ探しより愛ある解釈を、というのはまったく同感です。
せんせいご自身はぜんぜん無自覚なのでしょうけど、こういうところがしっかり≪信者教育≫になっているのですよねえ。“S”に育てられた田村俊夫のような平井和正信者がここにもいますけどね。


「死霊狩り」の輸血の件 - Name: おかもと Mail - Home No.1576 - 2018/08/28(Tue) 15:25:58
昨日、平井和正のインタビュー記事を読んでいて、面白そうなものをみつけました。

カナメさんのブログ記事 『死霊狩り』の謎を解く。〜『死霊狩り』を考える(2)
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12396828269.html
に関連するものです。

このインタビュー記事はあまり知られていないと思うので、こちらに貼っておきます。

画像は、「あとがきにかえて」http://hiraist.fan.coocan.jp/mokuroku/bib/bib5_aa.html#AA086
の元になった、「Book Begin」神奈川県立鶴嶺高等学校図書館・図書委員会 1984.10.15(24号)の
p2の最下段とp3の最上段です。


カナメさんのあまりにも重厚な『死霊狩り』論を読んで。 - Name: 弘田幸治 Mail - Home No.1575 - 2018/08/21(Tue) 16:08:33
 『死霊狩り』には思い入れがある。
 “生頼範義期”の作品のなかでも、もっとも大藪春彦に近似していた時期の作品である。
 「現代を舞台にした活劇小説」、そんなことが可能なのか、と驚愕し、それを可能にした大藪春彦の天才性が顕わになった時期だ。日活無国籍ガンアクションではない。あくまでも現代世界を舞台にした活劇だ。

 『ベーブルース物語』や『戦艦大和の悲劇』などは読んでいたが、一般向けの小説ではじめて読んだのが『死霊狩り』だ。叔母の書棚には大藪春彦の黄色い背表紙やウルフガイの黒い背表紙があったが、にもかかわらず選んだのは緑の背表紙の『死霊狩り』だ。
 霊感が働いた、と書ければカッコいいのだが、実際は「44オートマグ」といういまひとつコンセプトのわからない拳銃に存在をうまく活用している点に興味を覚えたのだ。

 実際に読んだ『死霊狩り』は圧倒的に面白かった。俺が“小説読み”などという非生産的な存続に堕したのは『死霊狩り』のせいである(笑)。

 『死霊狩り』は、平井和正の美質がもっとも現れた作品だと思う。素晴らしいアイディア、周到なプロット、迫力の戦闘シーン、印象的なキャラクター、それらがうまく混ざり合い、傑出したエンターテインメントにしている。
 神秘主義にアレルギー、ある種の文学性に忌避感をもつ人間でも、“気軽”に楽しめるのが『死霊狩り』だ。
 『黄金の少女』がウルフガイの一編として書かなければ、成立したかもしれない、平井小説の頂点のひとつだ。

 平井和正自身は『死霊狩り』をそれほど評価していないように思えるのも印象が残る。
 かれのなかでは『幻魔大戦』シリーズの方が評価が高いのかもしれない。

 俺が思うに、『死霊狩り』は「人類ダメじゃない」小説になっていまっているからである。
 カナメさんのご指摘のように、『死霊狩り』では田村俊夫たちが勝利して、物語の幕は閉じる。
 「人類さん、ハッピーエンドを迎えました、よかったネ」という作品構造に不満を抱いたのではないだろうか。

 『黄金の少女』の長いあとがきを読むとわかるのだが、平井和正は決して人類を「赦して」いなかった。
 地球の裏側の子供たちが何人餓死しようと、自分の飼っているペットが食い過ぎで死んだ方が悲しいと喝破したのが平井和正だ。

 天使の時代? 高橋圭子?

 たしかに影響を受けた。アダルトウルフガイ・シリーズはそれで破綻した。

 しかし平井和正が「人類ダメ小説」の書き手であることは決して変わることはなかった。
 理想への希求と現実への失望。『幻魔大戦』シリーズでそれは繰り返される。しかし決して「人類さん、よかったね、救われましたね」とは書かれないのだ。
 『エディプスの恋人』や『魔法少女まどかマギカ』では、実際に主人公は「時空」そのものになる。そこにある種の「救済」が描かれる。

 東丈はどうだ。失踪したきり時空改変の奇跡もおこさず、残れた人々のエゴ、嫉妬と増長の物語が語られることになる。

 これはカナメさんと立場が違ってしまうのだが、福島第一原発事故のとき「東京」で“反原発踊り”で盛り上がっている人々を俺は憎んだ。
 原発事故など専門家に任せるほかなかく、素人は玄人の努力を応援するほかないのである。人知の領域だからだ。
 一方、津波に亡くなった犠牲者は二万人を越す。人知を越えた悲劇である。マスコミはじめ、いったいどちらを重要視するべきか一目瞭然ではないか。それがあのザマである。雨の降った翌日は線量はあがる。ちょっと調べればわかることじゃないか。それで大騒ぎだ。バカか。シね。人知を越えた「どーにもならない」人々の悲しみも苦しみもそこには存在しなかった。

 平井和正はある作品のあとがきでこう書く。

 人類は原発を乱立し地球温暖化に対応するか、手をこまねいて地球温暖化に身を任せるか、どちらかだ。
 そして原発の過酷事故は必ずおきる。

 原発でもツんでいて、地球温暖化でもツんでいる、それが人類なのだと。

 天使? 高橋圭子?

 そんな時代はとっくに過ぎている。

 それでも平井和正はそう書かずにはいられなかった。 平井和正は決して人類を赦さなかった。
 「人類ダメ小説」を書き続けたのだ。天使もへったくれもないのだ。

 だからこそ、「人類さん、よかったね、救われたね」という『死霊狩り』の自己評価が低いのは仕方がないのかもしれない。

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