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記事No.1537に関するスレッドです


お前はまだゲンマを知らない〜第二次幻魔大戦再読の旅・準備運動 - Name: カナメ No.1534 - 2017/08/11(Fri) 09:28:10
告白すると「A5のステーキ」という言葉を初めて耳にしたとき「デカいな」と思ってしまいました。いや、サイズじゃないから。犬神明(アダルト)ならペロリと平らげるどころか、「できればA4にしてくれ」とか云いそうですが。同じような勘違いで、夏目漱石の『三四郎』を「コイツはいつになったら柔道をやるんだ?」と思いながら読んでいたことも。いや、姿三四郎じゃないから。ていうか、『姿三四郎』も小説だし。小説に小説の原作は、普通ないから。

身を切った恥ずかしエピソードを枕にしたのは、小説のノベライズ、すなわち小説を小説としてリライトすることについて考えてみたかったからです。栗本薫亡き後も「グイン・サーガ」の続編が書き継がれてのいるように、もし才能豊かな作家が小説『幻魔大戦』――いわゆる無印幻魔を小説としてリライトするなら、1〜3巻のコミック版展開を抜きにして、はじめからGENKENストーリーとして書いてほしい、そんな願望を抱いています。

小説『幻魔大戦』に1〜3巻は不要と云ったことがあります( 1 , 2 )。その理由の一つは、シリーズにはコミック版が存在し、多宇宙のひとつとして認められているからです。
小説『幻魔大戦』はコミック版の小説化を企図して執筆が始まりました。新幻魔の世界を起点に生まれ、真幻魔とデュオをなし、そして滅びた「もう一方の世界」として。それがそもそもの青写真でした。しかし、物語は当初の構想・軌道を外れ、コミック版とは似ても似つかない様相を呈することになります。“小説版”ではなく、“別の物語”になってしまった。結果論ですが、ならば最初からGENKENストーリーでよかったはずなのです。

そのほうが物語として、ずっとスリリングだったでしょう。想像してみてください。物語に幻魔が登場せず、東丈が超絶PKを発動することもなく、ひたすら地道に幻魔の脅威を説く活動に従事している、そんな小説を。
「口ではうまいこと云ってるが、コイツは本当に超能力者なのか?」
「幻魔なんて本当にいるのか?」
作中のGENKEN会員同様、そんな疑念を読者も抱かざるを得ないとしたら? 発言や立ち振る舞いから感じ取れる人格だけで、田崎宏や平山圭子のように、東丈を信じることができるのか? 宗教団体小説としては、そのほうがずっとミステリアスです。
読者は神の目線で、真実を知っています。幻魔は実在し、地球に尖兵が送り込まれていることを。東丈が空を飛び、山をも動かす超絶サイキックであることを。それはコミック版展開があるからです。だからこそ不要であるどころか、かえって邪魔であるとさえワタシは思うのです。それが理由の二つ目です。

コミック版展開に軸足をおいて4巻以降を読めば、地味で辛気臭く、おれが読みたいのはこんな話じゃない、ということになるでしょう。逆に4巻以降に軸足をおいて1〜3巻を振り返ると、こんなマンガみたいな(事実そうだったのだから仕方ないのですが)パートいらないよな、ということになります。つまるところ、両者は性質として全く別の作品なのです。
性質的に全く別の作品が、ひとつの作品として無理くりくっついたキメラになってしまっているところが、小説『幻魔大戦』の異様さであり不幸です。

これは本当に同じ小説なのかと思わずにはいられない、まるで「トリコ」が「クッキングパパ」に替わってしまったかのような大転換! アダルト・ヤング両ウルフガイでも、同じような質的シフトはありました。しかし、アダルトでは執筆のさなかに作者自身の人生観の変化があり、ヤングでは執筆時期に懸隔がありました。同じ精神的ステージにあって、連続して書いた小説がこれほどに変貌を遂げた例は、平井和正史でも小説『幻魔大戦』をおいてありません。

3巻までと4巻以降がいかに小説として互いに異物であるか。それはたとえばこんな想像をすれば明らかです。

■もしもシリーズ もしもGENKENにベガがいたら――?

――平山ビルGENKEN事務局
圭子「大変ですっ、郁江さんが暴力団に連れていかれました!」
ベガ「私がいこう」

――塚田組事務所
暴力団員A「なんだ、テメェは?」
暴力団員B「CENSOREDぞ、コラァ!」
ベガ「空間干渉波!!!」

――こうして塚田組は壊滅した。
郁江「ダメだこりゃ」


GENKENストーリーの物語空間は、それこそ「サザエさん」並みに≪日常≫そのもので、ベガのような非現実の存在を受け付けません。これは幻魔シリーズ全体を見渡すと異色です。
「無印」と称されることが示すように、小説『幻魔大戦』はシリーズの元祖であり、本家です。おそらく、何の注釈もなく「幻魔大戦」と告げられたとき思い浮かべるのは、小説『幻魔大戦』であるはずです。たとえば、「妄想幻魔大戦」といった造語に込められた「幻魔大戦」のニュアンスは、おどろおどろしくもドキュメンタリー感に満ちた、小説『幻魔大戦』のそれに違いありません。しかし、その大きなウェイトと占めるGENKENストーリーこそ、実は毛色の違う異分子なのです。

それどころか、これほどに日常的フレームに収まった作品は、平井和正作品全体を見渡しても類を見ません。人の感情の襞をビビッドに描く大衆小説的作風で、SF界から異端視される作家ではありますが、そのくせ、純然たる非SF作品を書いたことは数えるほどしかありません。GENKENストーリーは設定さえなければ、ほとんど宗教教団の内幕を描いた非SFです。なにしろ4巻以降、人死にの一件も起きてはいないのです。人類の存亡を懸けたハルマゲドン・ストーリーであるにも関わらず。

先程1〜3巻は不要と云いましたが、それはワタシの真意としては正確ではありません。やはりコミック幻魔の小説版はほしい。というか読みたい。小説『新幻魔大戦』は劇画ノベル『新幻魔大戦』の原作小説そのものですが、小説『幻魔大戦』もコミック『幻魔大戦』の原作小説をそのまま上梓すればよかったのではないか。そのうえで、それとはまた別の作品としてGENKENストーリーがあれば、とてもスッキリするのにと思うのですけどね。ワタシは平井和正ほど大らかな性格ではないので、どうもそういうところは、のどに刺さった魚の小骨のように気になってならず、そんな埒もない夢想、妄想をふくらませずにはいられないのです。

タイトルも変える。「お前はまだゲンマを知らない」というのは冗談ですが、それこそはじめから「ハルマゲドン」でもいい。
極論を云えば、幻魔大戦でなくてもいい。そんな設定すら要らない。心清らかにして高い理想を抱く若者たちが、集い、頑張り、ぶつかり合い、別れ、そして堕落してゆく。そんな宗教根性青春ストーリーでいい。
さすがに、そこまでいってしまったら「ほかをあたってくれよ」ってことになりますね。自己の抱える文学的悩みをストレートに「文学」にはせず、SFという形式によって客体化して語ってきたのは、平井和正の作家性のまさに根本に関わる部分でしょうから。

とまれ、百弁は一読にしかず。かねてより予告していましたが、(小説)『幻魔大戦』と『真幻魔大戦』を発表順に読んでいきます。GENKENストーリーはことさら幻魔シリーズの一部として語られる必要性はなかったのか、それとも真幻魔とリンクし、相照らし合うからこその味わい、必然性が十二分にあるのか、確かめることもできるでしょう。
『幻魔大戦』『ハルマゲドン』全20巻+全3巻、『真幻魔大戦』全15巻、『ハルマゲドンの少女』全3巻、アダルトウルフ再読の旅よりも遥かに長い道のりになりそうですが、これからはじまる第二次幻魔大戦再読の旅に気長にお付き合いください。


Re: お前はまだゲンマを知らない〜第二次幻魔大戦再読の旅・序走 - Name: 名無しの平井ファン No.1535 - 2017/08/12(Sat) 02:16:47
無印は通して5回は読んでいるのですが、4巻以降誰も死んでいないというのは意外な指摘でした。確かに怪我人や病人はいても死人は出てませんね。平井和正にとって通常運行といえる「真幻魔」で飛鳥編以降どんどん死体の山が出来上がっていくのと対照的です。


Re: お前はまだゲンマを知らない〜第二次幻魔大戦再読の旅・序走 - Name: ニワカ平井和正読者の幻魔大戦ジプシー No.1536 - 2017/08/12(Sat) 12:14:41
私は確か1990年頃に角川映画をテレビでみてコミック版の1巻を読んで1992年にコミック版の2巻1993年に新幻魔大戦(徳間アニメージュコミック)2巻を読みました。
1993年の11月の祝日前に本屋に置いてあった緑の背表紙の幻魔大戦17,18巻を買うまでずっと、緑の背表紙の本はコミック版幻魔大戦の原作小説なのだと思い込んでいました。
秋田コミック2巻分の内容は、流石に20巻分の内容がすべて書かれていないだろうから、小説には月が落ち着てきた後の話が読めるのだろうと予想していました。
その期待を抱えて、17巻を読んだ時の違和感(杉村由紀が江頭に襲われるという真や砲台山にリンクするシーン),
18巻を読んだ時の更なる違和感(話が全然進まない・・・)。
もしタイムリープができるならば、昔の自分に幻魔大戦Rebirthを持っていてあげて、「おまえそれ読まんでええから、こっち読むほうがええで」と教えてあげたいです。
その後色々調べていくうちに改竄事件で干されて活躍の場を得るのに苦労した事とか、
某宗教団体のルーツに当たるらしいGLAの女教祖を信じてしまって自分の仕事そっちのけでゴーストライターまでやっていたことを知って、何かと合点がいくわけですが・・・

マーケティング的な観点で幻魔大戦の大きな欠点を挙げるとすると、後世の読者がシリーズをどの順番で読めばよいかが、タイトル見てわからないことなんですよね。。。

私1994年に隣の市の古本屋で徳間書店の漫画雑誌リュウVol2(e文庫の真幻魔大戦第2巻の後書き)とSFアドベンチャームック平井和正の幻魔宇宙を入手したり、
図書館でリム出版の平井和正全集などを読んだりして、
1971〜1974にどういう構想で新幻魔大戦(講談社の新幻魔大戦全2巻を購入すると幻魔大戦・抄がおまけで付いてくる)を書き、
1979年にそもそもどういうつもりで真幻魔大戦として幻魔大戦を再開したのか知る訳ですが、
その辺の話は今後、このサイトで触れられていくのだと思います。
あと幻魔大戦17,18巻を読んだ時の違和感の一つに、東丈の過去世が由井正雪という設定があります。
私は新幻魔大戦を読んで、「山本千之介が生まれ変わって東丈になるんだろうなぁ」と予想していたので、その辺ちょっと違和感ありましたが、
真で新幻魔大戦の主人公が本郷猛/ジョナサン・ジョースターのごとく先輩主人公として登場し東丈を導くのを読んで、
色々あって設定を変更したのかなと思いました。

私、前から思っているんですよ、幻魔大戦って、ちょっと評価というか知名度が低すぎると。仕方がないと言えば仕方がないのですが。
でも、石ノ森章太郎作品として振り返るとミュータントサブや怪人同盟などの石ノ森超能力者萬画の集大成になる作品です。
やはり石ノ森漫画としても幻魔大戦Rebirthはちゃんと完結させてほしいです。
来年の2018年1月6日 (土) 〜 2018年2月4日 (日)は東京・上野の森美術館で生?ョ範義 展が開催されるわけですが、
我々の世代で生?ョ範義の名前を知らなくても生?ョ範義の作品を知らない人はいないと思うから、
結構人が来て生?ョ範義の名前が再認識される良い機会になるのではないかと思います。
そのついでに幻魔大戦も再注目されて、アニメ化とかされるといいなーと思っている次第であります。
EDは切なさと希望を込めて歌える歌唱力の高いにDivaによる仮面ライダーBlackのエンディング主題歌 Long Long Ago, 20th Centuryで。


Re: お前はまだゲンマを知らない〜第二次幻魔大戦再読の旅・準備運動 - Name: カナメ No.1537 - 2017/08/17(Thu) 23:38:12
いまさらですが「序走」ってさむいなと思いましたので替えました。その前に元のタイトルでコメントがついちゃってるんでバレバレですけどね。
アニメ映画『幻魔大戦』を観たのは、小説全20巻をほぼ読み終えたあとでしたが、観る前から情報は耳に入ってきますので、いつになったらタオやアサンシは出てくるのかなと思いながら読んでいたと記憶しています。
それも生頼範義の表紙サギとも云える10巻を読み終えるまででしたけどね。その頃には、ああこれはこういう話なんだなと悟りというか、あきらめがついてしまいました。
ついでに云うと『黄金の少女』でも、似たような体験を味わいました。SFアドベンチャー誌での連載を読みながら「もうとっくに単行本一冊分は超えてるよな。いつまでこんな調子で続いていくのかな?」と毎月戸惑ってましたね。ええ、最後まであんな調子だったんですけどね。


Re: お前はまだゲンマを知らない〜第二次幻魔大戦再読の旅・準備運動 - Name: keep9 No.1539 - 2017/08/25(Fri) 08:23:10
ほんとにどうでもいい情報を書いておくと、昭和時代のフジテレビ日生ファミリースペシャルでアニメ「姿三四郎」をやったとき、脇役に「金之助くん」というオリジナルキャラが登場し、物語が全て終了した後に、「彼はこの後小説家になり、名作『三四郎』を書きました」なんてナレーションが流れました。実際に漱石の「三四郎」が「姿」ではなく「小川」であることを知ったのは中学3年生になってから……。


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