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記事No.1492に関するスレッドです


再読『その日の午後、砲台山で』 - Name: カナメ No.1492 - 2017/04/30(Sun) 12:54:01
昔話をします。『幻魔大戦deep』で老齢で登場した東丈・三千子姉弟が、ともに何の脈絡もなく若返ってしまったことにドン引きしました。魔法、奇蹟って云や何でもありか? しんどなっただけですやん――と。前々作『インフィニティ・ブルー』から、心の底では感じていたこと。でも、熱烈一途な信者であったワタシが、無意識のうちに意識すまいとしていたこと。それが公式サイト掲示板等での一部言動に真面目にムカついて、ワタシの中でのカリスマ性が揺らいだことで、それまで心理的タブーであった批判的考察が解き放たれました。平井和正は作家として衰えたのではないか?――と。
冒険心は認める。これまでやらなかったことに挑む。インブルでマフィアの御曹司を主役に据え、deepでは老境を迎えた東姉弟を描く。その意気やよし。ところが、物語が進むにつれ、新機軸はどこへやら、『月光魔術團』でおなじみのノリになってゆく。deepでの三千子と丈の若返りがとどめを刺しました。脈絡なし、必然性なし。考えられる理由はひとつ。もう一度云います、しんどなっただけですやん!

『その日の午後、砲台山で』はエッセイ風の作者のひとり語りで始まります。その作者・平井和正の前に後藤由紀子が現れる。『地球樹の女神』には、もともと幕間のインターバルに作者が登場し、キャラクターと会話を交わします。だから、そこまでは別に驚くにはあたらないのですが。
しかし、その平井和正が四騎忍に変身――最初は幼児の、次に中学生に――し、さらには東三千子や木村市枝と出逢い、作家・平井和正の知識を有する四騎忍として小説『幻魔大戦』の世界に介入し、暴力団塚田組の凶漢・矢頭が杉村由紀を襲う、その歴史を変えてしまう。この展開がスリリングでね、本当にゾクゾクしました。
なんといっても、常軌を逸したこの発想ですよ。まるで富野由悠季作品で地上人がバイストンウェルに召喚されるように、自らの創造した作品世界に作家・平井和正が引きずり込まれてしまうんですから。いや、念のために云っておきますが、その手の物語はありますよ、別段珍しくもない程度に。登場人物である「作家」が劇中劇である自身の創作世界に迷い込む、あるいは現実化する物語というのは。ワタシにも見た覚えがあります。しかし、仮にも有名人気作家が、リアルな自分自身をキャラにして、既存の自身の作品に手を加えるなどという例は、寡聞にして見たことがありません。つくづく、異常――常ならざることを旨とする作家なんだなと思います、平井和正って。これは小説という形式そのものを破壊する、新たな創造ですよ。
冒頭でお話しした昔話、その見解がこれでコペ転したわけでは、さすがにありません。ですが、あらためてこの作品に触れたことで、なんか常識に囚われてたなとは思うようになりました。平井和正にはそういう常識の縛りが一切ない。限りなく自由。『地球樹の女神』と『幻魔大戦』は異なる作品である。その当たり前の認識がそもそも、ない。それらは一如なのだと。
異なる作品と作品のその境界線が揺らぎ、消え、融合する。そしてそれは、作品世界だけにどまらない。キャラの年齢はもとより、作者と登場人物、小説とエッセイ、究極は現実と虚構にまで及ぶ。それらが不確かで、定形をとどめず、自在に変化する。それは単に作家である自らが創造したファンタジーではなく、まさにそんなマジカルワールドを平井和正は生きていたのだと思います。
その認識を受け容れられないひとは、いきおいこの作品をウルフランド的セルフパロディとして片付けるでしょう。かつてのワタシのように。※
もちろん、小説の解釈に正しいも間違いもありません。そういう解釈も、それはそれです。けれど、いまのワタシはこの作品、リアルに受け止めます。正編の『地球樹の女神』や『幻魔大戦』とは別の平行宇宙に、この世界も存在するのだと。そう受け止めたほうが絶対面白い。平井和正だって、そのつもりで書いたに違いないのです。

http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=829

ここからは余談です。
アマゾンからキンドル版が発売されましたが、ワタシは『地球樹の女神 -最終版-』CD-ROMに収録されたドットブック版で読み返しました。ドットブックはKinoppyを使ってスマホでも読めるのですが、一部の文字が文字化けしてしまうのですよね。前後の文脈から見当はつくのですが、やだなあと思っていたら、これって修正パッチがあったんですね。すっかり忘れてました。修正パッチはいまもe文庫サイトにアップされていて、入手可能です。

間違いじゃないの? という気になる記述がありました。
杉村由紀は固く直哉の学生服をつかんだまま放そうとしなかった。
直哉なんてこのシーンにいないどころか登場しないし、どう考えたって由紀がつかんでいる学生服は四騎忍のそれのはずなんですが、でも校正で見逃すミスとも思えず、気になっていました。修正パッチを当てても、ここは変わりませんでした。
キンドル版で確かめたら、おれに修正されてました(笑)。生前の先生に確認したかは深く追及しませんが。

キンドル版の前サブには「幻魔大戦スペシャル」と銘打たれています。『地球樹の女神 -最終版-』CD-ROM収録分では秘されましたが、別個に販売する分には確かにこれは謳ったほうがいいでしょう。主人公こそ四騎忍=平井和正ですが、比重から云えば地球樹番外編というよりは幻魔大戦枝編なんですよ。特に『ハルマゲドンの少女』でさえ語られなかった、高鳥慶輔のその後の動向が語られていて、ファンには見逃せません。こんな重要なことも、すっかり忘れてました。

四騎忍相手にちょっぴり不良モードの木村市枝がいい。『幻魔大戦』の市枝って、生真面目な印象が強いですが、それは周囲の人々との関係性(東丈、三千子、田崎など)がそうさせるので、元黒バラ会(なぜか本作中では「黒百合会」でしたが)ヘッドの不良の地が消えたわけでは決してないのですよね。軽い不審や反撥を覚える忍に、親しい康夫とのタメ口以上に不良の地金を見せる市枝は素敵に新鮮でした。

『ボヘミアンガラス・ストリート』のパートは、本編のディティールをほとんど忘れていて、十全に愉しめなかったのが悔しい。ボヘガラを読み返したら(いったいいつになることやら)、あらためて味わい直してみたいと思います。

初出時に一度だけ読んで、干支がひと周りして再読したのですが、こうも印象が変わるものかと吃驚しました。ひとは変わる、成長する。読みのレンジも、考えも、感性も変わる。だから昔読んだ作品の印象も変わり得る。ああ、とうとうワタシの身にもヒライストあるあるの「お迎え」が来たのだなと(笑)、そんな風にがっかりした作品も、再び読み返せばまた違って見えるかもしれないと、あらためてそう思えました。


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