BARカジャナカロカ

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昔話5 - Name: カナメ No.1771 - 2022/01/10(Mon) 20:11:17
■「評価」と「感情」の不一致
素晴らしい作品を書くから(=評価)、その作家を好きになる(=感情)。当然の帰結です。
いついつまでも、それが一致し続けているひとは幸せです。ファンの鑑です。たとえその「評価」が「感情」に寄せたものだとしても。ファンとは、そういうもの。それがファンです。クリエーターはそんなファンの、温かい応援に包まれ、支えられているのがいいのです。繰り返しますが厳しい評価など、身近な関係者にまかせておけばいいのです。

評価の低下とともに、感情も醒めてしまうひと。『死霊狩り』までだったね、とか云ってるひと。こういうひとも幸せです。ぜひこれからも、まっとうな人生を送ってください。

冷静な評価を下しつつも、無粋なことは口にせず、なおかつ好きであり続けられるひと。立派です。ザ・大人です。見習いたいものだと思います。

始末に負えないのが、好きだという気持ち、愛のポテンシャルそのままに、容赦ない酷評、憎悪の言葉を撒き散らす、ついでに自分の不幸まで周りに撒き散らす手合いです。ワタシが云うのもアレですが、どうしたもんでしょうねえ? ワタシが云うのもアレですが、シバくか逃げるかしてください。勝てる相手ならシバきましょう。勝てない相手なら逃げましょう。

■悪口の「罪」
ネガティブな批評が、クリエーター当人や、そのファンを傷つけてしまうという現状に、ワタシは明快な答えを持ちません。

ウルコムは、そういう「場所柄」ではなかった。
ならば、ここや何ちゃんねるのような、「他所」で云うぶんには、罪はないのか?

いいえ。それは面と向かって直接罵倒するよりは、いくぶん罪は軽くとも、それでも罪はあります。
チクったやつも同罪。――そう、ワタシは云いました。これは半分冗談です。

ネットで公言すりゃあ、そりゃあ伝わりますって。自らエゴサーチするひともいりゃ、チクるひとだっている。傷つけるつもりなんてなかった。どうして教えたりするんだ? 「情報伝達罪」(>星新一の内的宇宙)だ! ――そりゃ、通りませんって。

罪のない悪口。云い換えれば、当事者その他大勢を傷つけない悪口とは何か? それはこれに尽きると思います。

今期の朝ドラ、むっちゃクソしょーもないわあ〜。かんぱーいッ。

そんなふうに、オフ会ででも口にするしかありません。

ネットで公言する限り、当事者の面前であろうがなかろうが同じことです。それは当事者に伝わるし、少なくとも伝わる可能性があります。当事者でなくとも、その人やその人の作品を好きな人を傷つけます。その罪からは、免れないのです。
どうしても、そういうことを云いたい、云わずにはおれない。そういう方はクリエーター当人に寄り添い向き合うファンをやめ、遠く離れて冷徹な論評を下す批評家になりましょう。

■毒念の「成仏」
いまでも思い出すのは、この作品です。
「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」
http://goo.gl/G07sEI


作者である彼女は、このことで大バッシングを受けることになりました。
批評家も表現者のハシクレですからね。プチ奇人・変人・狂人(>No.1765)としては、そこを否定されると辛い。思い当たるフシのある人々の、したたか痛いところを突いてしまったのです。

ワタシは心情的にこの作者さんに同情しますが、同時にこうも思います。そうしてこの作品を描くことで「復讐」に転じたあなたも、「無罪」ではいられなくなったのだと。でも、このことを訴えたかった、そうせずにはいられなかった、その気持ちは本当によくわかる。痛いほど。

せめてもの対策として、当人の面前、そのファンの集う場所、そうした場所は避ける。「場所柄」をわきまえる。公表するとしても、個人のブログ、SNSという場所を選ぶ。そうして、なるべく被害を少なく抑える。そのぐらいのことしか思いつきません。

「どの口が云ってるんだ」と聴こえる気がするのは、たぶん気のせいでしょう。さすがにこの期に及んで、ワタシごときたかが一介の素人の読者風情に、熱心な注目が注がれいているなどと思うのは、自意識過剰というものでしょう。

あくまでエッセイですので、そういう方がおられると仮定して、話を続けます。
そうやって、お前はいつまでもヒールでいろ。そしてお前をいつもまでも叩き続けさせろ。それが、「お前が云うな」「どの口が云ってるんだ」というフレーズです。逃げ道はありません。全方位で塞がれています。決して、「お前もたまにはいいこと云うじゃないか」、とは認めてくださらないのです(笑)。すみませんねえ。あいにくワタシも血の通った人の子として、多少は丸くなるし、大人にもなるんですよ。

仕方がありません。それがワタシの受けるべき「罰」というものです。
といっても、読んでないから、どってことないんだけどね。
そんなものが、果たしてあるのかどうかも知りません。自意識過剰な妄想でしょう、きっと。

ワタシ、そういうの読まないので。

コサーンKぇぇぇイッ


……文字列だけで伝わるかな? 伝わるよね?
群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、岸和田のとなりで生まれ育った笑いのセンスと柄の悪さだけが彼の武器……

あなたはそれを思う存分、心ゆくまで気の済むまで、好きなだけ云ってくれればいい。そして、ワタシはそれを読まない。
それが、腐す者と、腐される者の、最も平和な共存の仕方ではないでしょうか。

そうすれば、いずれ飽きますよ。そのことに。それが「成仏」です。
ワタシも平井和正への毒念を思いっ切り吐き出したから、それを成仏させることができたのだと思います。
そこに罪があるとしても、それはどこかでやっておかねばならない。自らの傷を癒す解毒としての通過儀礼ではないでしょうか。

■「盛り」を過ぎたクリエーターとの向き合い方
クリエーターは誰しもいつか衰えます。「盛り」を過ぎてしまうのです。平井和正に限った話ではありません。
シンガーソングライターのあの人もあの人もあのグループも、往年の神懸かり的名曲を創ることはなくなりました。(むしろ、いまも第一線で現役を張り続け、職人的ヒットメーカーであり続けていることを称賛すべきでしょう。)

そのときにどう振る舞うか? そこにファンとしての、人としての「稟性」を問われます。
ワタシは幸か不幸か、平井和正に深い思い入れをもってしまった人間です。それこそ面白い/つまらないなど度外視で、これからも付き合い続けるほかはありません。父親が家庭を顧みないフーテンの旅ガラス、そんな人間だったとしても、息子としては関わらざるを得ない、想わざるを得ない。わりとそれに近い、そういうノリです(笑)。
いまが盛りのクリエーターを花から花へ、そんなクールな蝶にはなれぬアリンコです。

不毛の荒野にその眼に映ろうとも、掘り起こしてみれば、なんか見つかるんじゃね? そんな平井和正埋蔵金に挑むトレジャーハンター。たとえ何も見つからなくたって、それはそれで、なんかおもろい番組つくれんじゃね? そんな水曜スペシャル的(>喩えが昭和世代)ケレン味も野望に抱いて。
プチ奇人・変人・狂人(>No.1765)としては、そんなふうに思っています。

郁江大好き内村君的ビリーバーが、グルッと一周回って、ここまで来ました。
天国の平井せんせい、不忠の読者をお赦しください。

THE END


Re: カムカム、今週は全部見ました。 - Name: カナメ No.1770 - 2022/01/09(Sun) 21:23:28
奈津さんも、おめでとうございます。第10週の本放送をご覧になったとのこと、祝着です。
どんないい子にも、感情の嵐が吹き荒れることはあるんじゃないでしょうか。それでも、あのあとグレもせず、ああいう大人になれたのは、親譲りの資質と、環境=育ちが良さ、なにより「日向の道を見つけて歩いていこうね」という三つ子の魂に刻まれた母の教えでしょう。

平井和正の未読の作品があるというのは、羨ましい。
ワタシも「トルテック」が電子化されるまでに、『地球樹の女神』以降の平井和正後半生の作品をあらためて読み、語る、大冒険の旅を……終えるというのはさすがに無理、せめてその時までには始めていたいとものだと思います。

電車通勤の激減は、それに伴ってワタシの「読書の時間と習慣」を大幅に奪ってしまいました。勢い朝ドラブログになってしまうわけです(笑)。このニューノーマルとかいう世の中で、なんとかそれらを取り戻せるかが、目下の課題です。
今年もよろしくお願いいたします。

2022.01.10 本日放送の48回を視て、ここはこう書かなければ、と思った箇所を変更しました。そうか、ジョーの正体は、そうだったのか。「幼かったわたしを置いて、アメリカへ行ってしもうた」――それ、半分はきみのせいなんだけどね(笑)。


Re: 私も少々朝ドラブログ感想を - Name: カナメ No.1769 - 2022/01/09(Sun) 10:38:09
DONDENさん、あめましておめでとうございます。
勇と雪衣が以前からデキてた、という解釈は成る程アリですね。そのほうが妥当で自然でしょう。たまたまゲロ吐いた、というよりはね(笑)。
でも、そうは思いたくないなあ。それだと、あんまり勇を好きでいられなくなりそうで。大企業の次期社長にふさわしく、妾にでもする気だったのか!? 悪いやっちゃなあ。DONDENさん、イヤなことを云うわあ(笑)。まあ真実の味とは、苦いものなのかもしれませんね。

平井和正もそうですが、朝ドラに関しても、ワタシあんまり「世間の声」をリサーチしないので、参考になります。理由は様々あげられますが、要は知りもしない人の云う「情報」や「意見」に、あんまり興味が湧かないのです。面白い・魅力的な人に出逢ったら、その人のブログを隅から隅まで読んだりするんですけど。結局、その人のファンになって、贔屓の引き倒しをしてしまうタイプなんでしょうね、根っからの。

同人誌・ファンジンもそうですが、「掲示板」の面白さは、レギュラー固定で、各人のキャラが立っていたことだと思います。このキャラがこう云った。キャラ同士の丁々発止。そこが面白かった。
「仲間」という云い方はあまり好きではありませんが、その濃密な関係性においては、プロレス的クロストークも成立し得たし、心ある苦言だって有り得たのだと思います。

『“ガチャ文”考』は一億総批評家時代の今こそ読まれるべきエッセイだという思いは変わりませんが、SNS時代を迎えて、当時とはだいぶ様相が違ってしまったとも思います。
こう云ってはまことにおこがましいですが、「シン・“ガチャ文”考」として(笑)、昔語りをしているつもりです。思いのほか力作になったので、一般論にアレンジしてブログでも発表したいところですが、ここやウルコム、旧2ちゃんねるのことを抜きにして語ろうとすると、個々のフレーズは使えるとしても、まったく違う仕立てになるなとは思います。次回が最終回になるはずです。
本年もよろしくお願いします。


カムカム、今週は全部見ました。 - Name: 奈津 No.1768 - 2022/01/08(Sat) 23:40:09
カナメさん、こんばんは。
カムカムエヴリバディ、深津絵里版るいはとても愛らしくて、「I hate you」と言ったるいと同一人物に思えません。どいうか、あの場面がとても異質。額の傷を見せつける行為からは相手の心をえぐり取るようなむき出しの憎悪を感じます。それだけ激しい感情を投げつけたことで、お母さんも自分も傷つけてしまって、ちゃんと癒えるか心配です。自分から戸をぴしゃっと閉じてるし。るいも安子もどうか幸せになれますように。
でもって、算太もまた出てきますように!

過去ログ、全部じゃないけど興味深く拝見しました。消えた分は勿体ないですね。歴史が欠けたような気がして補修できないし。
で、懐かしい遣り取りなんかを読んでて、結局トルテックは未だ電子書籍化されず、私は未読のままだなあと、しみじみ感じ入った次第。
いつか読む日が来るのだろうか・・・。そのときは、ここに書き込みに来られるといいなと思いました。

ということで、今年もよろしくお願いします。


私も少々朝ドラブログ感想を - Name: DONDEN No.1767 - 2022/01/08(Sat) 15:10:17
あけましておめでとうございます。

正直言って、朝ドラはその日ごとにツイートされている感想を読んで満足してしまっていることが多く(本当に鋭い切り口でつぶやいている方が多い)、カナメさんのブログはそれほど読み込んではいないので、本当はあまり書き込む資格はないのですが、奈津さんの書き込みも読んで、少々考えたり思ったりしたこともあったので、以下、よろしくお願いします。


>若い美人の女中に好かれても眼もくれず、ひたむきに「あんこ」義姉さんを想い続けた勇の純情一途。
>勇は千々に乱れる情欲のままに、雪衣と深い関係になってしまいます。

勇に関しては、実は以前から雪衣と関係を持っていたのでは…という見方が多いようです。手当ての時の会話はそう考える方がしっくりくる気がします。
雪衣の件を抜きにしても、勇の頑ななまでの「あんこ」呼びには引っかかるものを感じていました。これはシンプルに"安子を見ているようで見ていない、理解していない"のだとも捉えられます。
また勇が劇中で執着していたのは安子以外には野球だけですが、彼自身が「兄に勝てるのは野球だけ」と語っていました。思い返せば安子に対するスイッチが明確に入ったのは、兄が関わってきて(ここで呼び名も絡んでいる)からのようにも思えるし、「義姉さん」でなければあくまで「あんこ」呼びになるのは、『兄との勝負』を無意識に続けていたから、とも考えられます。この場合、安子はいわゆる"トロフィー"でしかなく、そういえば安子に結婚を申し込んだときにも「兄さんも認めてくれるじゃろう」とは言っていても、"安子が認めるか否か"という点、彼女自身の意志には考えが及んでいない様子でした。
何にしても、「あんこ」呼びは安子への思いが純情一途と言い切れないものであることの象徴に思えます。

>かつて「あきらめん」と云っておきながら、結局はあきらめ、兄との勝負をしなかったように、今度はロバートとの勝負を避けました。
>勇の一番悪いところ、弱いところが出てしまいました。

これはどちらかと言えば、バッターアウトで明らかな負けは負けとして認める(というかあきらめるもなにも安子には終始、恋愛・結婚の対象として見られていないので、根本的に勝負になっていない)、野球で培われた美質と言える気がします。

(勇への見方は、twitter感想に影響されている部分が大きいです。参考までによく感想を読んでいる方のブログを記しておきます。
  今日はなにを観た?https://lotustea.hateblo.jp
 まあこちらもブログの方はあまり読み込んではいないのですが。)

>るいは幼い日、母・安子にした仕打ちを、いまどう思っているのでしょうか。
>でも、残酷な言葉で傷つけたことを、いまは後悔しているのではないでしょうか。

るいがあそこまで傷を知られる、見られるのを忌避するようになったのは、子供ではなくなったからという以上に、かつて意図して母を傷つけた記憶に直結しているからのように思えます。

>ですが、あらためて強調しますが、そもそもは誤解なのです。だからこそ、これは悲劇です。

ただ、この"誤解"の解釈には異論があります。

>るいが見、るいが知るのは、入学式当日になっても帰らず、店の用だと嘘をつき、ロバートと不倫の愛にふける、不潔でふしだらな母の姿です。
>が、るいはすっかり母を蔑み、憎んでいました。

ロバートと安子の会話は最後以外は聞き取っていたようにも見えたし、その後でかつて雪衣が傷を見ながらるいに言った「女手一つで育てることをあきらめた」「雉真家にお返しした」という言葉が回想されていたことを考えると、蔑みではなく『母の人生に自分は重荷(傷はその象徴)で、だからどんなに願ってもここに残していくのだ』と認識しての絶望だった、そしてそこからの憎しみを突き付けた…という流れ(だからのちの手術の拒否という、るいの意地の実体は『それを望んでいた訳じゃない』)のように私は思います。

こうして見ると、勇にせよ、安子にせよ、また雉真父にせよ、"相手の願っているもの、本当に必要としているものを思いやることなく一方的な思い込みで起こした行動は不幸な結果にしかならない"という描写は一貫しているな(対極だったのが算太に対した雉真母)、とそこまで考えて気付いたのですが、るい編冒頭の挿話「善女のパン」はまさにそういう話でした。
深く考えなくても、結果はどうあれ『客においしいパンを』と願ったミス・マーサは安子に通じるし、安子編を総括するかのような「善女のパン」を好きな話と言う、るいの思いは果たして…。

>生きてさえいれば、取り返しのつかないことなんてないのですから。

公表されている、るいの娘の名前からすると心配はないとは思いますが、これまでがこれまでだし、やはり「平清盛」の脚本家は一筋縄ではいかないという感じなので、戦々恐々ではあります。


平井和正関連の話も、思ったり考えることが無くはないのですが、どうも数行で終わって広げられないものばかり("でもこういう話は「作家と交際する」で自己分析して書いてたよな"とか、"映画幻魔大戦は改めて考えてもやっぱり駄目だ、あのラストは典型的打ち切り大団円でそれこそ髑髏の月で回避したはずのものだ"とか)なので、やはりまたの機会によろしく、ということで…。


昔話4 - Name: カナメ No.1766 - 2022/01/08(Sat) 09:29:36
■批評家の道、ファンの道
(前回のあらすじ)
どこの誰とも顔も見えない名前も知らない、外野に過ぎない一読者、一視聴者が、好きだからこそあえて厳しいことを云わせていただきます。――だあ? おこがましいわと。
そんなふうに自分の暗黒衝動を、いい子ぶって正当化してるんじゃない。もっと自分に正直に「I hate you.」ってディスっとけ。そう思います。


う〜ん、ちょっぴり、言葉が過ぎたかな?
その言葉に一切の嘘偽り、自己欺瞞もなく、真実まごころから発したものだとしても、あなたが一読者、一視聴者、一観客に過ぎないとしたら、それが当事者に望ましい形で届くことはまずないということです。あえて云います。善意のネガティブ発言など、ないということです。少なくとも、赤の他人には。
言葉というのは、単に文字列だけでは届かない、刺さらない。それを発する者の人格や関係性とセットになって、初めて効力を、説得力を帯びるものだからです。

それは良くて不愉快に思われるだけ。悪くすれば愛するクリエーターを傷つけ、場合によっては死に至らしめてしまうかもしれません。言葉はひとを殺せるんですよ。精神的に。
それでいいんですかということです。道徳ではありません。これは損得勘定です。
「●してしまう」でアップしたら、強制的に非表示なってしまいました。「殺せる」はOKなのに?

そういうことは、彼の仕事上の関係者とか、友人知己にまかせておきましょう。
イエスマンばかりで周りを固めるクリエーター、経営者は堕落する。などと、よく云われます。それが事実だとしても、だからといって、どこの馬の骨であるあなたが、それを買って出たとて、そういう役割の人にはなれません。彼が身近な良き批判者・忠告者を排除したとすれば、それが彼の器量、限界だったのです。

〇〇〇よ、おれの批判から逃げるな! そうやって都合の悪い意見から目を背けているから、お前は成長しないんだ!
そうかもしれません。あなたは実に素晴らしい、質の高い、傾聴に値する主張をしているのかもしれない。しかし、それを見つけるまでに、いったいどれほどの、箸にも棒にもかからない、分別の欠片もない、悪意したたる、ヘドロのような罵詈雑言の十字砲火に晒されねばならないのか。なかには素晴らしいものもあるかもしれない。しかし、それを探し出している間に、殺されてしまいます。それはどこかに埋まっているかもしれない宝物を地雷原から探すようなものです。

『ザ・ファブル』の宇津帆さんの云うとおり、確かに「敵」は「本当のこと」を云ってくれる。でも、敵の云うことを反省のよすがにはしていられない。少なくともワタシは、それほど強くない。こう見えて傷つきやすいので。だからツッコミを入れてくれる信頼に足る知人の存在は有り難い。貴重な友人の貴重なツッコミを大切にしたいものだと思います。人は誰しも、過ちを犯すものなのだから。

彼が信頼のおく身近なひとにまかせておけ、というのはそこです。それが真に心のこもったメッセージだったとしても、周りの無数の野次、猛毒の悪意にまぎれ、埋もれてしまいます。当事者に対しては、そんなものにマトモに向き合うなと云わせていただきます。

あなたが目指すべきは、孤高の批評家であって、憧れのあの人に認知されるファンではないはずです。
直接コンタクトを取るなど厳禁です。ミーハー精神は、この際捨ててください。極力距離を置き、離れましょう。ファンからもです。あなたはクリエーター当人からも、ファンからも疎まれ、憎まれる存在だからです。そんなあなたを好きになってくれる、あなたのファンと交際してください。

■妄想と事実と反省と
歴史に「if」は不毛と云われます。それでもウルコムに関わらなければ、個人サイトでひとり孤独に平井和正を語っていたなら……そう、妄想してしまうことはあります。

ウルコムに関わるな。それが身のためだ。平井せんせいの、多くの平井和正ファンのためだ。お前は近い将来、加藤みどりさんもビックリ、「なんということでしょう!」とナレーションされる劇的ビフォーアフターを迎えることになるんだ。
1999年にタイムリープし、そう経験者の忠告を伝えたところで、20年前のワタシは耳を貸さなかったに違いありません。

ワタシはそこで大いにハシャギ回り、郁江大好き内村君的ビリーバー、親衛隊長として大暴れしました。……そのこと自体、大いに反省するところですが、なお一層悪いのは、そのさなかで悪しざまに罵る側に転じ、「敵」に回ったことです。
そこでウルコムを去り個人サイトに引っ込んだのはいいとしても、もはやそれで片付く問題ではありませんでした。ワタシはすでに自分の器には大き過ぎる、分不相応な注目を浴びる身になっていたのです。

TO BE CONTINUED


昔話3 - Name: カナメ No.1765 - 2022/01/06(Thu) 22:06:03
■20年前の自分との対話
ウルフガイ・ドットコム掲示板(以下、ウルコム)というのは、株式会社ルナテックが運営する、読者(顧客)サービスであり、広報活動であったはずです。
そこでネガティブ発言が歓迎されないのは当たり前、排除されても文句は云えないぐらいです。それを「批判的言説も受け容れるべき」と当たり前のように考えるのは、虫が良すぎます。

「耳の痛い批判も容認します」と当事者が自ら云うなら立派な心掛けです。しかし、それを利用者の側から要求するのは、立場をはき違えている。「お客様は神様です」は商売をする側が口にする言葉であって、「お客様は神様だろ!?」と客が云ってしまったら、それこそあんた何様? ということになります。

もちろん、いまのワタシに云わせれば、ということです。当時のワタシの考えは、まるで逆でした。平井和正も落ちぶれたと思っていた(苦笑)。情けない、これが『“ガチャ文”考』を書いたひとの云うことか!――と。
これは当時のログを読み返し、昔を回顧したワタシと、いまより二十歳若いワタシとの対話です。井沢郁江の云う「反省」そのものです。

これは道徳以前の、損得勘定で考えても明らかです。
悪口で埋め尽くされた掲示板など、いつまでも運営し続けてくれるでしょうか? 商売のマイナスにしかならないとなったら、とっとと閉じてしまわれるのが関の山です。それでうれしいですか? それがお望みですか?
その継続を望むなら、その「場所柄」における振る舞いをどうすべきか、自ずと答えは出るはずです。
シビアな批評がお好み、お望みなら、それに相応しい場所を、他に求めればいいことです。何ちゃんねるとかね。

ウルコムを去り、ここを立ち上げたのは、我ながら賢明な選択でした。褒めてつかわす。よくやった、二十歳若いおれ。――どこが反省だよ?

■「批判」は「成長」に寄与するか?
平井和正は自分に向けられた批判に対し、「そんなことをして何になる」というようなことを折りに触れて、エッセイで語っていたように記憶しています。それに口を極めて罵るほどワタシも若くはありませんが、職業作家としては、いかがな発言かとは思います。あまり、みっともいいとは思えません。云わせたこちらも悪いんだけど。

仰っておられること、それ自体は正しい。「その通りだ」とは思うんですよ、いまはね。そのことについては後程。
ただ問題は、それをするひとの動機です。
あまり胸を張って云えることじゃありませんが、ワタシは「平井先生のためを思って」「作品の改善、品質向上を考えて」、そういうことを云ったつもりは、毛頭、カケラもありませんでした。
憎悪を込めて、こき下ろしたのです。「I hate you.」ですよ。
そのことを時を経て、歳を経て、ひどいことを云ったと、悔恨、懺悔することもあるということです。

とまれ、プロもアマも、表現衝動の根本は同じだと思います。自分のなかで、言葉があふれてくるのです。それを綴り、誰かに伝えずにはいられない。それが憎悪の言葉であれば、それを材料にそうするだけのこと。
彼がそれを三度のメシより好きで、彼がそうしている以上、彼を止めることは困難です。
作家が奇人・変人・狂人だとすれば、彼の作品を人前で熱く語る読者もまた、プチ奇人・変人・狂人なのです。

なんでそこまで云われないといけないの? おれきみになんか悪いことした?

そんな発言をちょくちょく見かけます。気の毒に思います。
表舞台で表現をする以上、批判されるのは当然のこと。――これもまた、よく見かける論調です。ワタシはそれを「当然」とは思いません。どうにかすべきではあっても、どうにもならない現状――でしかないと思います。

表現をするひとは、「自衛」に努めるしかないのです。現状。
ワタシもそうです。ワタシはエゴサはしません。自分の評判を見て回ったりしません。どうせロクなもんじゃない。それは中には嬉しいものもあるでしょうが、圧倒的に不愉快なもの、傷つくものが大多数でしょう。
気にならないと云えばウソになります。ですが、気にしないように努力しています。

ワタシに直接アクセスしてくださる方のみ、お相手します。直接アクセスして迷惑行為に及ぶ方はブロックします。運営する掲示板は、自主投稿式をやめ、フォーム入力式に変更しました。そのように自分の精神衛生は、自己防衛するしかないのです。

平井せんせいは、こう云えばよかったのです。
親愛なる読者諸君、カナメとかいう読者がつまらぬことを云っていても、決してぼくには教えないでくれ。カナメがつまらぬことを云っているのを見かけたら、勇気をもって、きみがあいつに焼きを入れてくれ。
いまさら遅いですけど。

それが「自分を甘やかすことになる」とは、ちっとも思いません。
批判は成長の糧? ノン・ノン・ノン。成長どころか殺されますよ。そんなものとマトモに向き合ってたら。

苦言、諌言、心ある忠告――それはそれを云ってくれるひととの信頼関係が、大前提だと思います。喩えるなら、井沢郁江と木村市枝、田崎宏と河合康夫、そんな関係がまずあって、初めてそれは正しく作用するのです。
どこの誰とも顔も見えない名前も知らない、外野に過ぎない一読者、一視聴者が、好きだからこそあえて厳しいことを云わせていただきます。――だあ? おこがましいわと。
そんなふうに自分の暗黒衝動を、いい子ぶって正当化してるんじゃない。もっと自分に正直に「I hate you.」ってディスっとけ。そう思います。

その点でも、二十歳若いおれは正直でよろしい。褒めてつかわす。
郁江先生、「反省」って辛いわぁ。

TO BE CONTINUED


昔話2 - Name: カナメ No.1764 - 2022/01/04(Tue) 21:41:40
そもそもの話をすると、ココを立ち上げたきっかけそのものが、ウルコムに居場所を失くしたワタシが、自分で掲示板を作ったのではなかったかと思います。時期から考えて、そのように推測されます。こんな云い方をするのは、もはや昔過ぎて、自分でも記憶が定かではないからです。どなたか覚えてるひと、いらっしゃいますか?

当初の名称は「言論冊陣地帯」。確か、そのようなものではなかったかと記憶しています。主催者のギザギザハートがむき出しのネーミングですね。さすがに物騒過ぎるってことで、ほどなく「サロン・ド・超革廚」に改名しました。
以降は記録があります。
サロン・ド・超革厨(200X年?〜2013年6月)
サロン・ド・GENKeeeeN(2013年6月〜2018年2月)
サロン・ド・ぼへみ庵(2018年2月〜2019年12月31日)
 終わりと始まり。〜新章開幕のごあいさつ、そして利用規約じゃないけどまあそれ的なやつ。
 http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1559


そして現在の「BARカジャナカロカ」に至ります。
 「カナメ、掲示板やめるってよ」〜リニューアルオープンのごあいさつ
 http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1707


掲示板に歴史あり。ファンとしての道のりもしかり。
思えば平井和正ファンとしては、郁江大好き内村君的ビリーバーであったワタシの、劇的ビフォーアフター――セミリタイヤとともに、この掲示板は始まりました。
そんなワタシがいつしか、自分のほうこそ青かった、そう己れの未熟さを悟る。あのひとのダメなところ、弱いところを赦せるようになった。そういうところも引っくるめて、あのひとを好きになれた、好きであれた。やっぱり、おれ、あのひとと、あのひとの作品が好きだわ、そう思えるようになりました。
山あり谷あり、自分で云うのも憚りですが、まるでロードムービーのような読者人生だったと思います。もっとも、それを自覚したときには、あの方はすでに作家としての全ての活動を終えておられたのですが。


新年のごあいさつと昔話 - Name: カナメ No.1763 - 2022/01/02(Sun) 18:10:19
あけましておめでとうございます。
本年以降もワタシの公開ゲストルームとして、ブログに発表するほどでもない、ちょっとしたおしゃべりや、投稿もお寄せいただける「窓口」として、運営していきたいと思います。

『カムカムエヴリバディ』・るいと『スチュワーデス物語』・片平なぎさとの相似は、ツイッターでご指摘いただき、それをブログに反映しました。こういうこともあるので、ひと付き合いはやっぱり大事です。自分の目や耳、脳みそを何倍にも拡げてくれます。自閉するのは損だと思います。

ワタシが平井和正ファンである以上、その話題が中心になると思いますが、そこはあまり四角四面にならず、おおらかにやっていきたいと思います。といって、コロナ問題のガチ論争も困るわけですが、投稿をお寄せいただける方は、そこはあまりお気になさらず、ワタシの塩梅におまかせいただければと思います。
掲載・採用されれば、それはOKだということだし、そうでなければそれはNGであったか、別の事情があるということです(入院したとかね)。

――と、継続の意志を表明したところで、ひとつ残念なお知らせをしなければなりません。
ワタシの設定ミスで、過去ログ保存がけっこうな長期間、できていなかったのです。なんと、2007年9月(No.1139)から2016年3月(No.1378)にかけてのログが、虚空へと消えてしまいました。一体なんのために有料会費を払い続けていたのやら。トホホ〜ですよ。
ワタシ宛に通知されるメールは残っているかと思ったのですが、メールアドレスを変更してて、前のアドレス宛てのメールも一切がディスクのクラッシュとともに消滅してました。

ワタシ自身のテキストなんて、どうでもいい。いま読み返せば文筆の拙さ、考えの浅さともに赤面もの、噴飯ものですから。ただ、その当時の話題、空気感を振り返る資料として貴重だったのに、と思います。

Internet Archive
https://web.archive.org/web/20150527040943/http://www1.rocketbbs.com:80/612/bbs.cgi?id=t_kaname&page=3


断片ではありますが、この辺に残っているのはあります。なかなか熱い討論を繰り広げていました。若いっていいよね(笑)。拾い読みをして、あらためて思ったのは、ウルフガイ・ドットコム掲示板(以下、ウルコム)末期の平井せんせいのご子息による強権的運営も、当時は反撥しましたが、いまはわかるし、ムリもなかったなと思います。
パブリックな掲示板で「和やかな雰囲気」を維持しようとすれば、それを乱す者に対して、強権的にならざるを得ない。ルール抜きに、みんなの気遣いでそれができれば理想的ですが、現実問題としてそれはかなわない。

表現者のすべてが筒井康隆でも、小林よしのりでもありませんからね。
平井和正というひとは、気が小さいからこそ喧嘩っ早い、傷つきやすい詩人であって、こちらが最大限気を遣わねばならぬひとでした。ご存命であれば、こういうことを云うことさえ憚られる。頼むからチクったりすんなよ? きみは平井せんせいを傷つけて平気なのか? そこに愛はあるのか? そう云わねばならぬひとです。

道徳として云うのではありません。せんせいに良い仕事をしてもらうには、そう努めるのが読者としての利益だったと思うからです。『BLACK LAGOON』・バラライカさん的カッコ良さを平井和正に求めたのは、ワタシの手前勝手な幻想であり、若さゆえの過ちでした。

胸を撫で下ろすのは、ワタシが平井和正にガッカリし、セミリタイヤした一時期、ウルコムからも撤退したことです。少なくとも、お膝元で失礼は働かなかった。むろん、こういう「他所」で云ったから免罪になるわけでもない。現にご本人にも伝わっていましたし。ただ、チクったやつも同罪だとは思う。「情報伝達罪」(>『星新一の内的宇宙』)ですよ。お蔭で罪の意識も半減です。

むしろ、ワタシがウルコムで反省すべきは、郁江大好き内村君的ビリーバー、親衛隊長として振る舞ったことです。あれは大いに禍根を残しましたし、大いに同好の士の嫌われ者にもなりました。当然の報いでしょう。
タイムリープできるものなら、1999年あたりからやり直したい。いま現在の多少は分別ある意識のままに。そしたら、ウルコム掲示板発足と同時にここも立ち上げ、そして抜かりなく、最初の発言から保存しておいたのに。そんなことを年頭に妄想しました。

たいへんな状況はいまなお続いており、今年もそれはしばらく変わらないでしょう。しかし、いずれ明けない夜はない。それを信じて生きていきたいものです。本年もよろしくお付き合いください。


Re: こちらに感想を書いてみる。 - Name: カナメ No.1762 - 2021/12/31(Fri) 20:28:57
ブログの感想をいただき、ありがとうございます。
浜村淳の映画紹介かよと自分で思ってしまいましたので、そう云ってもらえると救われます。
奈津さんの投稿を読んで、あらためて土曜の振り返りダイジェストを視てみました。確かに勇と雪衣がデキてしまうところ、算太がそれを知ってしまうところがバッサリカットで、あれだけ視ると算太が安子のコツコツ貯めたお金を持ち逃げしただけのヒドイやつになってますね(笑)。
算太は悪い人間ではないのですが、たとえああいうことがなかったにしろ、金を預けてはいかん人間ですよ。妹なのに、そこをわかっていなかった。妹だからこそ、なのか。

また、奈津さんの投稿には大いに刺激を受け、「るい編」開幕の最新カムカム日記にも反映させてもらいました。
なぜ、「I hate you.」だったのか? ワタシなりの考察を述べてみました。今週分のネタバレがありますが、都合がつきましたらお読みください。振り返りダイジェストは、年明け1月8日土曜日です。

やっぱりコミュニケーションって大事だと思います。続けてよかったぁ 続けてよかったぁ♪ ですよ。
これを年の瀬にご覧いただけるかどうかはわかりませんが、ワタシからはこうご挨拶しておきます。奈津さま、皆さま、どうぞ良いお年を。

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