| 感動の合掌でした。今週の蒼天。
描画考のKING GALLERYの「周瑜」のとこに書きましたが、蒼天周瑜は管理人のお気に入りキャラです。なんで今回はスッゴク長くなります。ご容赦下さい。
孫権の来訪を告げる呂蒙。扉の向こうで「今すぐ献策したいことがあるので近くの湖で停船してもらうように」と答える周瑜。しかし扉の向こうの周瑜は... すごかったですねーっ!「灸」と「鍼」をいっぺんにしてました!それも自分で!「人体図」見ながら!エライ器用です。 しかし「最期のシーン」から推測するに周瑜の病って「心臓疾患」系だったみたいですが、一時的にせよ灸と鍼で治せるものなんでしょうか?白亜先生どうなんでしょ?あと「ストレスからくる心臓疾患」ってあるんでしょーか?
さて孤高の司令官・周瑜は涼しい顔して孫権に対面します。最初の発言が「私の不徳により覇業を1年遅らせてしまいました」 かーっ!かっちょえーっ!これって江陵制圧に1年かかったことを言ってるのですね。 呉に戻って養生しろと告げる孫権。気遣いはご無用と微笑む周瑜。「舞を舞い、充ちた気をお目にかけましょうか」なんて言ってます。他のキャラが言ったら気障ですが、音楽に精通した(何たって酒飲みながらも奏者の演奏の間違いに気づく男ですから)周瑜が言うといいです。「よい」と断りながら孫権は周瑜をじっと見つめます。−思うていたほど悪くは見えぬが、公瑾のこと− これってこの後に『例え病が篤くとも決して表面に出すまい』みたいな台詞がくるんでしょうね。
「劉備抑留作戦」をやめたのも自分を案じたからか?と尋ねる周瑜。劉備はともかく?Y夏ちゃんが納得しないと答える孫権。それに関羽・張飛を指揮するというのも「やや」無理があると孫権が言います。 「彼らをおのずから孫呉の戦に加わらせる策がある」と告げる周瑜。ここで周瑜の「今すぐ献策したいこと」が開陳されます。
すなわち『五斗米道の侵攻に揺らぐ蜀を制圧、続いて五斗米道の張魯も併呑、更に涼州に拠る馬超と同盟。同時に周瑜は襄陽を、孫権は合肥を陥落させ、四州・四拠点から中原へ侵攻する』 おお!なんて壮大な戦略!曹操包囲網!!「中華で唯一曹操を破った男」だからできる献策じゃないでしょーか!演義では孔明だけが「天下三分」みたいな大局的戦略を持ってたように書かれてますが、魯粛も同じような戦略を孫権に告げてますし、周瑜は孫呉自力による「天下二分」を考えてたんですよねー! −視野に捉えておくべきは、烏林の敵陣をはるか越え、華北の果てに及ぶ百万の軍−ですもんねー!
「曹操が翼のほころびを繕うている間でございます」と至急の決断を仰ぐ周瑜。「わずかだが」いつもより性急に過ぎるぞ。と孫権が反論します。「やや」とか「わずかだが」とかビミョーに孫権の台詞が周瑜を気遣ってるような気が... 「まだ私の体の具合を問うておいでか?」と微笑むのをやめて尋ねる周瑜。黙ってうなづく孫権。やっぱ「野生の嗅覚」を持つ孫権にはわかるのでしょうか?突如周瑜が叫びます。 「挑む者ならば一瞬たりとてその歩みを止めてはならぬ!王たる者が一臣を顧みて覇道を見失えば、万の臣を死に至らしめるぞ!」 突然の叱責に愕然とする孫権。 周瑜曰くこれが、「孫権の母より後事を託された義理の兄として」&「孫権の兄・孫策の無二の親友として」発言させてもらう「孫堅の声」なんだそうです。こんなこと孫権に言えるのも(蒼天では)三代に仕えた周瑜ならではでしょうね。
「ぬしは いつまで守役をやっとるかーッ!」と絶叫して湖に飛びこむ孫権。こんなこと言ってくれる臣下を持って嬉しくもあり恥ずかしくもあり、その「自分を顧みずただひたすら孫呉だけを思う態度」にやるせなささえ感じてるんじゃないでしょーか? 「以後、いかなる僭越も不遜もゆるす!天下に向かい存分に軍略を描けい!次に相見えるえるのは中原じゃ!!公瑾!!」叫ぶ孫権。なんかこんなにはしゃぐ孫権って久しぶりです。やっぱ子供の頃から知られてる周瑜にだけ見せられる「はしゃぎぶり」のような気がします。
こうして孫権の船団は東へ、周瑜の船団は西へと分かれます。去りゆく船団を見つつ「魯粛には悪いが、わが戦は天下三分の上には描けない」みたいなことをつぶやく周瑜。いや周瑜だからこそ孫呉独力による覇道を推進できるんじゃないでしょうか? 魯粛への私信を書くべく呂蒙に筆と硯を持たせる周瑜。その懐には竹簡が入ってます。それは?と聞く周瑜に「さ 左伝でござる」と照れる呂蒙。あまりの無学ぶりに孫権にえらく叱られたそーです。あっ、ちゃんと「呉下の阿蒙」のエピソードがさりげなく書かれてますね。
「では、代書を頼もうか。魯粛への私信だ。君が代書してあいつを驚かせてや...」 ここで激しい動悸が周瑜を襲います!「戻ってきたか。じゃじゃ馬!」と脂汗を流す周瑜。それと気づかず照れまくる呂蒙。更に「かつてない凄まじい勢い」の動悸が周瑜の体を震わせます。 「きたか ついに」歯を食いしばり呂蒙から筆を受け取る周瑜。もう時間がありません。 「ご主君!」と心で叫び、周瑜は帆に思いを書き連ねます。 「瑜の後は魯粛に!」と最後の文言を書き終えたあと、血がほとばしるような衝撃が!
周瑜の体から何かが抜けてゆきます。魂でしょうか?それにしては禍々しいような気が...管理人としては周瑜の背負い込んだ「重責」のようにも感じました。「死」によってその「任」を終えた周瑜はその「重責」から解き放たれたのではないでしょうか? 死の直前の周瑜に去来する想いは「心を燃やすは帝王の軍略。心を包むは孫家三代。」ここで腰の拝刀の紐をほどき両手に捧げ持ちます。「天は一個の武心に これほど裕福な天命を与えたことがあったか」 拱手してその命を終えます。享年36歳。
−孫家三代に心を包まれ、「帝王の軍略」に心を燃やすことができた。こんなに幸せな天命を与えられた武人は俺だけではないだろうか− まさに赤壁で「この天命が孫家のもとにあることは確か」と嘯く「王佐の男」らしい最期じゃないスか!!
周瑜が帆に書き連ねてた文章。あれって正史で「病の床にあって孫権に献じた書簡」で「後任に魯粛を推す」文章があるんです。それ紹介しますね。周瑜の想いがよーく伝わってきます。うわーっ、なんか「人物考・周瑜」みたくなってきた!
私には取りたてて才能もありませんのに、かつて討逆将軍さまより特別の御礼遇をいただき、御信任を受けて任務に就き、軍の指揮に当たってまいりました。御君主の為に犬馬の労を取り、軍旅の間に手柄を立ててご恩報じをしたいと願ってまいりました。 巴蜀の地を取り、続いて襄陽を手に入れようと計っておりますが、我が君の御霊威をお借りするならば既に手中にあるも同様、元より容易な事でありました。 しかるに、身を謹みませんでした事から、途上にあって急病を得、先ごろより療養に努めてはおりますが、病は衰える気配がございません。人として生まれた以上、死は運命であって、ここで命を捨てる事は惜しくはありません。ただ私のいささかの志が為されぬままに終わり、もう御命令を奉じる事ができない事が心残りでございます。 ただいま曹公が北方にあって国境地域はなお多事であり、身を寄せて来る劉備にも油断はならず、天下は未だ帰結が知れません。これこそ朝廷にある者達が寝食を忘れて力を尽くすべき秋であり、陛下も御聖慮を巡らせられる日(とき)でございます。 魯粛は真心を尽くして役目に励み、事に当たってなおざりな行動は致しません。私にかわって職務にあたる事ができます。人が死のうとするとき、その言葉に邪意はないとされます。私のこれらの言葉に御採用頂ける所がございますならば、私が死にました後も、魂は永遠に生き続けるのでございます。
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No.6236 - 1970/01/01(Thu) 09:00:00
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / 克哉 [関東] | | | | もうTATSUさんが書きこむの待ってました。 遂に、この時が来てしまいました(>_<)
>「灸」と「鍼」をいっぺんにしてました!それも自分で!「人体図」見ながら!
これ見て「自分でやって正確に打てるの?」なんて突っ込みが浮かび上がりました。しかし打っている姿は鬼気迫るものがあります。周りには病気の自分を見られたくないというある種の執念でしょうか。
周瑜の最後って、演義や他の作品だと悔いが残るような最後ばかりなのに、蒼天ではこうも爽やかに、笑みまで浮かべて果てるなんてもう感無量です。(この辺はDAIさんと同じ意見です) 最後のあの剣を持っているあの手は、孫堅か孫策か・・それとも。
敬意を表して黙祷・・・。
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No.6238 - 2002/06/13(Thu) 23:12:01 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / MIKA [近畿] | | | | こんばんは。久々に書き込みします。
今週のモーニングを開いて最初で最後の周瑜の半裸がでてビックリしました。 「か、鏡を貸してあげましょうか?」と言いたくなります。 でも、他の作品とちがって病に倒れながらも表に出さない辺が蒼天周瑜らしいと思います。 最期に微笑して目を閉じてくれたのが切なく、泣かせられます。 欣太先生、1話分の短さで周瑜を自分の人生を満足させてくれてありがとう。
くり返し読むと当然かと思いますが、僅かながらも孫策の最期に似ている様な気がします。 志し半端で負傷しながらも最期ギリギリまで出来る所まで手を伸ばし、後継者に言葉を託して天に召される…。 なんだか皮肉さを感じさせます。
名脇役が次々と亡くなられるのは本当に読んでて辛いですが、どれも感動させられるのでこれからも蒼天の人生を見守り続けたいと思います。 合掌。
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No.6239 - 2002/06/13(Thu) 23:38:36 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / 多忙な暇人 | | | | 今週は寂しさ、爽やかさ、色々な感情が綯交ぜになり、複雑な気持ちです。
>「灸」と「鍼」をいっぺんにしてました!それも自分で!「人体図」見ながら! 見ていて悲しくなりました。あくまでも推測ですが、医師に頼らないのではなく頼れない周瑜に。自分の容体が悪化しているということが呉軍に、曹軍・劉備軍・他の勢力にまで与える影響の大きさを鑑み、決して周囲には悟らせることのできない重責に激しく胸を打たれました。
>克哉さん >最後のあの剣を持っているあの手 袖口の模様から見て、周瑜自身ではないかと思います。 「都督の任をお返し申します」みたいに感じましたが如何でしょう?
4週間の休載ですね。21日には単行本25巻が発売されるので休載の間赤壁後を振り返るよい機会かもしれませんね。
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No.6242 - 2002/06/14(Fri) 00:20:00 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / 水素 [関東] | | | | 周ユとうとう召されましたね。 これからというときのことでに悔しいのにもかかわらず天命を素直に受け入れる潔さが孫堅、孫策とだぶらせます。
ここで周ユはみたところ病死が天命ですが私はなんだか預かったままの孫堅の意思を孫家の跡継ぎに伝えるのが彼の最大の使命だったのかなという気も起こさせます。そして今までその意志を携え続けたために体がもたなくなってようやく孫権にその全てをわたす前に今回のようになってしまった、と考えてしまいます。 王佐の才でもジュンイクとは違って王の姿は孫堅であり、孫堅としての軍略はみえているにもかかわらず王の器ではないためにジレンマに陥るような部分もあったように感じました。 ただそんな中でも主君を思う気持ちに一瞬の揺らぎもなく孫呉を王佐として支え続けた彼は胸打つものがありました。
孫権は覇業を自分のものとして昇華できるのでしょうか。願わくば周ユとの最後の会話で親父のものを踏まえた天下人かつ覇王の意思というのに近づいてほしいです。
最後に阿蒙のこのころの年齢ってどのくらいなんでしょうか?まだ未成年なんでしょうか?
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No.6243 - 2002/06/14(Fri) 00:49:11 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / やまめ [東北] | | | | 私にとっては週刊だとトギレトギレでイマイチなので、単行本を楽しみにしています。。。
>周瑜の体から何かが抜けてゆきます。魂でしょうか?それにしては禍々しいような気が...
重責というのは別のところから見れば妄執のようなものかもしれませんね。逆説的な禍禍しさなのでしょうかね。
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No.6244 - 2002/06/14(Fri) 00:51:41 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / Mazurka [地球外] | | | | 今週は久しぶりに真面目に物思いに耽りました。(笑)
周瑜は最期まで、二枚目な生き様でしたね。 今回の連載を読んで、ふと三島由紀夫の「豊饒の海」の中の、人は「記憶される者」と「記憶する者」の二種類に分けられるという記述を思い出しました。 記憶される者としての周瑜、記憶する者としての孫権あるいは劉備という関係で捉えられるのかなあという感じです。 美しく(容貌という意味ではなく)気高く、鮮烈な印象を人に与えて記憶される周瑜は若くして世を去る。 そして、その強烈な人生を記憶に留める孫権は長く生きる代わりに老残の身を晒す・・・ もちろん、地位や身分とは関係無く、老いて偉大になる人間も世の中には大勢いますが、孫権や劉備の晩年を思うにつけ、今後、老残の度合いを強める彼らの記憶に周瑜はどのように映るのか・・・ これが、郭嘉対曹操の関係であればどうなのか、等など、とりとめもなくそんなことを考えてしまいました。(どんどんずれてますが^^;)
ところで、蒙ちゃん、愛くるしかったですね(^o^)
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No.6246 - 2002/06/14(Fri) 01:03:28 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / RIP [北海道] | | | | 孫策は受けた毒と、養生するよう懇願する周瑜を 覇気をもって制しましたが、ついには天命に追いつかれました。 しかし周瑜は己の病を制する気さえなかったように思います。
赤壁での孔明の忠告を思い出しました。 「曹操の生還 出現 そしてその荒療治ぶり その驚きを君は包み隠さず表に表すべきだ でも どうしてもそれができないのなら 孫仲謀を早くここに呼んだ方がいい ただ 生き残りたければ・・・・の話だが」
最期まで周瑜は驚きを表すこともなく 主君に頼ることもなく 生き残ることをも選ばなかった。
それでもその最期に見せた表情は 玉璽を見つけて跳ねたり泣いたりしてた頃より ずっとずっと豊かでした。
美周朗よ、永遠なれ。
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No.6248 - 2002/06/14(Fri) 01:32:57 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / はくあ [関東] | | | | 美周郎は最期まで美周郎でした。 最後の瞬間まで、内なるもうひとつの一個の人間としての自分自身を抑えこんで王佐としての生涯を全うして美しく散ったってカンジです。 演義の人間らしい、醜い部分も曝け出して死ぬ周瑜の姿に惹かれないと言ったら嘘になりますが、蒼天航路の周瑜にはあの最期がしっくりきます。 欲を言えば、あんなに内容を1話に積め込まないで、せめてもう1週くらいかけてさらに丁寧に描いて欲しかったような気がしますが、これは我侭ってヤツですね。 もう一人の王佐の才である荀イクがどんな最期を遂げるのか、少し気になってしまいました。
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No.6250 - 2002/06/14(Fri) 02:08:37 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / BUN [近畿] | | | | うっわ〜!!りょ、呂蒙が初めて普通に吹き出しでしゃべったぁ〜!! でもやっぱし『あややッ』(笑) ...ネオさんてば...
...全身にハリだらけの周瑜... 克哉さんと暇人さんのご意見に賛成です〜! 医者にすら頼れない立場...彼の性格の因果さを感じてしまいます〜。
>「公瑾のこと」 >これってこの後に『例え病が篤くとも決して表面には出すまい』みたいな台詞が そ〜ですよね!!彼の性格は絶対他の誰より知ってることですし、心配してるはずだし...
んだからこそ、周瑜はそこを慮られたくはないだろうと思ってたんです... これを聞きたかったんです。 そこを問わせない、周瑜の想い。 ...しかもそれを『心の帝王 孫 文台』の叱責として、孫権を厳しく諭すなんて... 彼にしか言えない、彼だからこその想いだと、そう思います。 どこまでも不調を隠す理由も含まれてるようにも思います。 ...それでも孫権にはわかったんじゃないかって思います。 それでもそれを顧みることを許さない周瑜に、悲愴さよりもむしろ孫堅の合理性に満ちた説得力を持って臨まれては...湖に飛び込んで涙を隠してでも、納得するしかない... ...私には、権坊の方が悲壮に映ります。
孫家三代に仕え通し、あくまで中原を目指し続けた周瑜。 そしてそれにことごとく応える主君!! ...結果だけ見ればむくわれてないように見えたとしても、本当に理解されたい人に理解されてるその姿は、ほんとに「裕福な天命」って、そう感じました...
私は、大満足なんです。
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No.6260 - 2002/06/14(Fri) 21:01:26 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / CHIEN [九州] | | | | モーニングは、買うどころか立ち読みもしたことはなかったのですが、ついに、読みました。周喩の死。 うっかり立ち読みで涙ぐんでしまいました・・。
>美しく、気高く、鮮烈な印象を人に与えて まさにそのように天命をまっとうしましたね。桜の花みたいに激しく静かに散るなんて、ちょっとにくいです、美周郎。
蒼天の桜花に合掌。
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No.6262 - 2002/06/14(Fri) 21:50:06 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / RUN [東北] | | | | 涼やかなる死。こういう表現がしっくり来る今週号でした。最後までやせ我慢の人でした。最後まで自分の苦しみを人に見せずに死んでしまった。彼の苦しみを分かち合いたいと思う人々にさえ、いやだからこそ、心から大切に思う人たちだからこそ苦しんでいる顔は見せたくなかったのだろう。自分のために苦しんでほしくないと思えばこそひたすら隠し通すのだ。死んではならない。守りたいと思う人々を置いて死ぬことはできない。でもその時は来る。魂魄は無理やり清廉な肉体から引き離される。抜け殻となりつつもその空身は居ずまいを正して見苦しさのかけらも見せずに沈みゆく。見苦しいその身を晒して、残された人を悲しませてはならない。残された人を苦しませてはいけない。心ではなく魂でもなくその現身に刻まれた刻印がそうさせるのだ。
感じ入った人が多かったですよね。私もその一人でした。たまに来て独白を吐く。勝手なものですが、今回は特に何か書いてみたかったのです。山形に転勤とあいなり、私事に追われる毎日でしたが、久方ぶりに感じ入る内容に心に言い知れぬものが湧き上がったので・・・。
DAIさん、やっぱり・・・。熱いコメントを予想してました。
管理人殿、近況はいかに?ワールドカップの勝利で宮城は騒然としてますね。18日は渋滞かな、やっぱ。県外逃亡ですね。
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No.6267 - 2002/06/14(Fri) 23:52:42 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / 上也 [九州] | | | | こんばんは。久しぶりにお邪魔させていただきます。 とうとうこの時が来たんですね。私はどこかでこの時を待っていた感があります。もちろん周郎の死をでなく、彼の死の瞬間の場面をです。色々な周郎の最期を見て参りましたが、これほど病醜を見せない、あるいは「臨終」という意味での美を纏わないかの君は初めてだったような気がします。何と言うべきか、確かに感情の迸りはあったものの、もっと根本での悲壮とか執着とか未練とかそれとも見果てぬ夢への幻想とか、そういう気配をまったく寄せ付けていないような。前に向かって着々と進んでいく準備をしていたとある時点にたまたまゲームオーバーがあったというか。さらに重要な関心事のために、『死』が彼のなかで結局一番の大事になりえなかったというイメージが浮かびました。 勝手な感想なのですが、蒼天の周郎という御仁は他の蒼天の英雄豪傑にある『自由』ってものを持たない人だったのかなと。逆に『荷をおぶっている』ことに充実を、誇りを感じていたんだろうなと。だから、『自由』である郭嘉の最期の朗らかな諦観に到りもしなかったし、呂布の飢えを知る必要もなかったし、董卓の猛りを己の野望とすることもなかったんだなと。 それは確かに、ひとつの美の形だなと。 いいたいことちゃんと言えているかどうか自信ないけど、今回どうしても言いたかった、蒼天周郎への私の思いです。
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No.6268 - 2002/06/15(Sat) 00:02:02 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / 否雪 | | | | 泣きました、今週の蒼天は。呂蒙が出てきて嬉しかったのも事実ですが(笑)
もう、パラパラと立ち読みして最後の「周瑜 字を公瑾 享年36」ってのを見た途端、涙が出そうになりました。速攻でモーニング買って家で読んで大号泣!!
孫家の為に本当に最後まで尽くしてきた周瑜。孫堅・孫策・孫権の三代に仕え、最後まで孫呉に尽力した周瑜。 「天は一個の武心にこれほど裕福な天命を与えたことがあったか」
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No.6269 - 2002/06/15(Sat) 00:08:00 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / JUNKO [関東] | | | | こんにちは、JUNKOです。まさかこんなに早く周瑜が死んじゃうとは思ってなかったので、悲しいというより、まずびっくりしました。(兆しはあったんですけど、まさか今週とは…。) それで、感想とかも出てこないくらい呆然とした気持ちだったのですが、こちらで皆さんの感想コメントを拝見して、だんだん納得できるようになって参りました。 周瑜のあの最期にはいろいろな意見があると思いますが、私は、微笑んで満足して死んでいくあの姿、やっぱり蒼天の周瑜らしく、かっこいいと思いました。
>周瑜の体から何かが抜けてゆきます。魂でしょうか?それにして>は禍々しいような気が...管理人としては周瑜の背負い込んだ>「重責」のようにも感じました。 これ、なるほど!と思いました。なんかコワイなあ…と思ってたのですが(苦笑)、「重責」だとしたら納得です。うーん、それにしても、あんなコワイものを背負っていたとは…。 引用してくださった周瑜の遺言も味わい深かったです。 今日は周瑜の出てくる回を読み返してみようと思います。
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No.6270 - 2002/06/15(Sat) 04:25:49 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<美周郎> / 小桃 [甲信越] | | | | こんにちは〜。先週あたりお邪魔させてもらった小桃です。 今週のを見て、なんだかいたたまれなくなってしまったので、かきこませていただきますね。 しゅーゆさん・・・なんかいっぱい刺してましたよね。はりとか お灸とか・・・何の病気だったんでしょうか。 今なら治せるのになぁ〜と思ったら、なんだか泣きそうになってきて( ̄ロ ̄)・・・はぁ・・・ 可哀相ですよね。やっぱり・・・死ぬ時笑顔でいても、やっぱり。 なんか矛盾です。昔って。 あんなに頑張ってる人が治す術もなく早死にしちゃって、あたしらみたいな今をのうのうと生きてる人が、最新の医術で長生きできて・・・そう思ってしまいました。 あ、あと・・・心に残ったことと言えば、呂蒙さんも慌てっぷりですね。アイドルの松浦さんみたいな感じです。 あやや〜って。
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No.6283 - 2002/06/16(Sun) 12:56:03 |
| ☆ 美周郎 / ヴィエリ〜 [関東] | | | | ゴンタ先生は終始一貫して美周郎を貫いてくれました。 身は孫氏の中に置き、心は武人として生涯を全うする。
周喩が体中に鍼と灸を施すのを見て、やはりこの人らしいと思いました。劉備の言を借りれば、 「何でもひとりで抱え込んじまう」 医者に病を診せることも、孫権のすすめにしたがって体の療養をすることもできたであろう。しかし、それらをすべてことわって、自分で治療まで抱え込もうとする性格が、まさに周喩なんです。
正史では孫堅が董卓征伐で北へ向かう際、廬江で周喩の家に家族をあずけて行きました。周喩は南側の家を孫策に貸し与え、生活用品はおたがい融通しあっていました。 そこから始まった孫策との友情、友の死の間際の託された願い。 せまりくる恐怖にすがってくる呉の人々。 でも周喩はそれらすべてから逃げなかった。弱音さえはかなかった。つらいとも言わなかった。 そして周喩はみごとに江南の地を曹操に踏ませませんでした。
武人であるが故のもろさもありました。もし周喩がもうすこし、自分の中の心情を他人に見せる勇気があれば……。 周喩は純粋すぎるほど潔癖なんです。人に弱みを見せられない性格だから、自分で鍼をするくらい真面目に普通を装うんです。 それも主君の前では極端になります。自分と曹操との差を考えていても、孫権が現れたら平静をみせて主君を安心させる。やはり、 あれらすべても周喩の負担になったんでしょう。
ゴンタ先生が選んだ周喩の死に様は、絶命した周喩が自らの剣をほどいて孫権にささげ、臣下の礼をとりながら去っていく。 本当に最後まで礼節を忘れず、指揮権も返す義務も果たし、いなくなる後も何も濁さないきれいな去り方でした。
本当にきれいな、周喩らしい生涯でした。
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No.6333 - 2002/06/21(Fri) 14:20:26 |
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