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今週の蒼天<閃光の華> / TATSU@管理人 [関東]
今週の蒼天、「魏公の思惑は如何に!?」って感じでした。 不気味な、というか得体の知れない貫禄を纏ってまいりました、曹 孟徳。

          ***************

まず扉絵。
剣を抜き放った夏侯惇が、漢中兵に向かって歩いて行きます。恐慌をきたす漢中兵...これ、一瞬、夏侯惇が空高く跳躍したのかと思いました。でも足元から小石を跳ね上げてるんで、上から俯瞰した構図だったんですね。
そして中央に躍るキャッチコピー

−この瞬間、勝敗は決した。−

          ***************

「迷子の夏侯惇、陽平関を落とす。」
馬上の曹操がつぶやきます。 それを聞いて、背後から叫ぶ夏侯惇。
「道に迷ったのは俺ではない!」
横を駆ける許猪が、恥ずかしそうに顔を赤らめてます。曹操は聞こえなかったかのように続けます。
「深夜の山中、迷子になったおまえに出くわせば、俺でも怖くて逃げる。」
昔、荊州・襄陽に入城した時も、そんなような事言ってましたよね。
「あんな夜襲は前代未聞。いや後世の名将も真似できまい。」
と、後ろを振り返り曹操が笑います。ふんッ!と唸り、顔を反らす夏侯惇。
あれっ!? 救出部隊と漢中兵との戦いは終わっちゃったの!? な、なんと扉絵だけ? 
ホントに 『勝敗が決した瞬間』 だけの描写で終わっちゃいました。これは戦闘シーン大好きな管理人としては非常に寂しい!! バガボンドみたく延々と描けとは言いませんが、せめて数ページぐらい割いて欲しかった〜。
ここでナレーション、

−漢中の玄関口・陽平関を護る軍勢3万は、
 一夜にして総崩れとなり、
 教祖・張魯は、漢中までをも開け放って、
 南方・巴中へ逃走した。−

ありゃ〜、あっけない...張衛は?

曹操が馬上で尚も告げます。
「惇。ついに歴史に名を残したな。」
横では惇将軍が、言うな、という感じで ぐわあぁ、と叫んでます。
管理人もこんに早く終わっちゃって、ぐわあぁです。史実にある「陽平関一時撤退」「解瓢・高祚奇襲部隊」と、「夏侯惇・許猪 救出部隊」「漢中兵との不慮の遭遇」というストーリーを上手く絡めたな〜っ、てワクワクしてたんですが。残念...
再びナレーション、

−建安20年(215年)8月 曹操、漢中に入城−

曹操軍が渓谷を抜けると、眼下に大地が広がります。漢中を見下ろしながら、曹操がまた告げます。
「みろ。おまえの手柄の土地だ。」
「がはーッ!」

いくら齢を重ねようと、髪に白いものが混じろうと、この2人の関係は変わらない模様です。(笑)

          ***************

漢中に入城する曹操本軍。
城内では投降兵達が跪(ひざまず)いて迎えます。
「今、城内に残っている者は、」
投降兵の先頭の将が低頭し、語り始めます。
「武を持たぬ五斗米道の民と、われら、貴公に敗れここに落ちのびた涼州兵のみでござる。」
おおっ、涼州兵!す、するとこの将は!?
「名は?」
馬上の曹操が将に問います。
「ホウ悳。」
あ〜、やっぱり! でも、最初分かりませんでした。あのファーみたいのがついた兜をかぶってないからだ! でも顔は間違(まご)うことなきホウ悳だ!! 
眼前の男がホウ悳と知り、曹操が静かに告げます。
「逃げてしかるべき名だ。」
頭を下げたままホウ悳は答えます。
「馬氏2代に仕え、漢朝に叛いたこの身の覚悟はできております。」
襟を広げ、ぐっと首を突き出すホウ悳。
「ただ、心に主君を失った兵の生き場を求める為に、生き延びておりました!」

おお!自分の命と引き換えに、涼州残党の助命を嘆願している訳ですね!! この義に篤い将は、次々と掃討され、追い詰められ、殺されてゆく兵士達を見るにつけ、漢中が陥落した今となっては、曹操の庇護を受けるしか兵士達の生き場は無い、と判断したのではないでしょうか?自分の命と引き換えに...。
馬超と袂を分かち、兵を委ねられたホウ悳は、ずっと同胞達の生き長らえる方法を模索していたのでは無いでしょうか?自分の命は顧みることなく。 お、漢だ。ホウ悳。 

「運命は性格の中にある。」
カッ、カッとホウ悳のほうへ馬を進めながら、ふいに曹操がそう口にします。
「あまたの運命も、その性格で背負わなければならぬのが、主君というやつだが、」
呆然と曹操の発言に聞き入るホウ悳。
「主君が自分の主(あるじ)を必要とするか?」
と、問う曹操。続けてホウ悳の脳裏にこだまする曹操の声。

−おまえたちの主君など、もとより存在せぬ!−

愕然とするホウ悳!

この一連の台詞の意味、管理人は暫し沈思してしまいました。ちょっと考察させて下さい。
『主君が自分の主を必要とするか?』 この問いがポイントですね。つまりこれは 『 劉備を主として仰いだ馬超 』 を指しているのではないでしょうか。
馬超に対し、兵士を自分に委ねよ!と要求したホウ悳。 結果、「心に主君を失った兵士たち」に責任を感じ、その生き場を求め、自らの命を犠牲にしようとホウ悳は考えます。そのホウ悳に曹操は、

「あらゆる運命を己(の性格)で対処するのが主君であり、他人を主として仰ぐような奴は主君では無い。"心に主君を失った" とお前は嘆き、責任を感じているようだが、もとより馬超はお前らの主君では無かったのだ。」

曹操はこう告げているのではないでしょうか?
そう考えると深いです、この台詞。 ここに股肱の臣を失った主君がいます。その性格ゆえ世間からは、「主君が追い詰めたから自害した。」と言われようとも、言い訳ひとつしようともしない男。あらゆる悪評を得ようとも己一身で処する男。決して他のものに頼らず、只一人覇道を往く男。その男が語るからこそ、この「主君」発言に重みがあるのでは無いでしょうか?

「ホウ悳。その首で負わなければならぬものは何ひとつない。」
曹操はホウ悳の眼前でそう告げます。
曹操からすれば、もともと指導者が存在しない兵士達が投降してきたので、俺がなるだけだ。お前が、存在もしなかった指導者の代わりに責任を負う必要なぞ全く無い。って感じではないでしょうか?
「曹操に敗れた将が、曹操に何かを求めるなら、」
ホウ悳の横を、騎馬のまま通り過ぎながら曹操は告げます。
「おのれの武をつくして果たす、命令を求めよ。」

去ってゆく曹操を、目を見開き、呆然と見つめるホウ悳。
劉備に出会った馬超もある意味カルチャーショックを受けた訳ですが、曹操と接したホウ悳についても、それとは一味違った衝撃を受けたような気がします。
う〜ん、夏侯惇の夜襲話が割愛されたのは残念ですが、ホウ悳の投降話が、こんな味わい深く描かれたのは嬉しいです。

         ***************

漢中の蔵の扉が開かれます。中からは無傷の宝物が...

「蔵の財貨・宝物はいっさい手をつけず、封印までして逃げ去っておることから察し、教祖・張魯の肝は降伏。」
場面変わって、評定の席にて一人の臣が語っています。
「少しでも魏公(との)の心証を良くし、できる限り有利な条件での降伏を望んでおるに相違ありません。」
こう語るは杜襲。おお、江陵で華キンと言い争っていた杜襲がこんなとこに!
脇では曹植がオブザーバーとして軍議の記録を録っています。そして五斗米道のマークが描かれた階段の上には、曹操が着座しています。ここは張魯が座っていた席なんでしょうね。

「孫権らしい。またもや出し抜けだ。」
苦笑しながら曹操は手にした手紙を手放します。
「は?」
と曹操の唐突な発言に当惑する杜襲。すると曹操の傍らに侍っていた男が手紙を受け取るやいなや、凄まじいスピードで跳躍!杜襲の前にスタッと着地して手紙を差し出します。んん!?このターバンの男って、荀?ケが西域を旅した時に曹操に遣わした諜者じゃなかったでしたっけ? まだ使ってたんか〜。
手紙を広げる杜襲、それを覗き込む両脇の臣。しかし、それは漢字で書かれたものではありませんでした。う...と文字とも記号とも判別しない文章に絶句する杜襲。
「諸葛兄弟の会談により、孫と劉の講和が成立。」
いつの間にか杜襲の背後に立った劉曄が、その手紙を読み上げます。
「孫権は劉備との臨戦態勢を解くや、軍勢10万を率いて長江を下る。」

−なんと!!−

一瞬、凍りつく軍議。 なんと、あっという間に形勢逆転! 三勢力の鼎立関係は気が抜けません! 杜襲は手紙をぐっと握り締め、
「孫権の狙いはおそらくまた、しつこく合肥! しかしわが合肥軍はわずか7千!」
と叫び、曹操を見上げ声を張り上げます。
「魏公(との)ーッ! ただちに救援の...」
「今からでは到底間に合いますまい。」
杜襲の発言を遮るように告げる劉曄。忌々しそうに劉曄のほうを振り返る杜襲。

「司馬懿。」
手にした鐘(鈴?)をチリーンと鳴らして、曹操が呼びかけます。この鐘にも五斗米道マークが付いてます。きっと遺留品なんでしょうね。
「はい。」
と群臣の最後方から答える司馬懿。曹操は鐘をチリーン、チリーンと左右に振りながら話しかけます。
「合肥の張遼には、すでに対応を示してあるが、孫権はお前の予想を、日数で10日、将兵で2倍上回ってきた。」
わずかに頭を下げて司馬懿が返答します。
「猛省し、孫権をCENSORED方策に生かしてまいりまする。」
態度は穏やかですが、言ってることはエグイです。傍らでは曹植が息を呑んでその会話に聞き入ってます。
なるほど。孫権来たる!の急報に群臣は動揺してましたが、司馬懿は既に、劉・孫が講和し、孫権が合肥に軍を進めるであろうことを予測・献策していた訳ですね!多少数字にブレはありましたが。
曹操が告げます。
「だが、合肥の備えと、今の張遼・楽進・李典の武を考えれば、さらに対応を講じる必要は無い。」
ほほお、多少早く侵攻されたのと、予想の2倍の兵が動員されたのは、誤差の範囲内って感じなんでしょうか?
司馬懿も曹操も、こーいう大勢を予測することにかけては、中華で右に出る者はいないんじゃないでしょうか。

思わず筆を紙に押し付けた曹植、驚愕の表情を浮かべ、独白します。

−今、神算鬼謀の光芒が、はるか万里を交錯する!−

ふいに曹植は、取り憑かれたように筆を走らせ始めます。

−武が咆哮し、鮮血が大地を覆う、その天空に、
 人の智は幾重にも絡んで引き裂きあい、
 これほど壮美な華を咲かせていたのか!−

次々と紙に何かを書き連ねてゆく曹植。

−嗚呼!この華にくらべれば
 わが詩賦のなんと貧弱なことか!−

一心不乱に筆を走らせる曹植!ところで、曹植って書記官として議事録を作っているんじゃないんでしょうか?途中から詩を書き始めちゃったのかっ!?

          ***************

チリーン...と鐘が鳴り、それに続き
「今日の居残りはふたりか。」
と、曹操の声が聞こえます。はっと我に返る曹植。
筆を止め、顔をあげると、曹操が窓際に腰掛け、二人の幕僚が居残っていました。もう軍議は終わった模様です。曹植、何を書いてたかわかりませんが、没頭し過ぎ!(笑)
居残り組は劉曄と司馬懿でした。
部屋の中央に立たずむ劉曄が告げます。
「多分に無謀な策ながら、是非 熟慮願いたく残ってございます。」
座ったまま、黙ってそれを聞く司馬懿。曹操は
「聞こう。」
と促します。語り始める劉曄。
「この漢中は予想をはるかに越える食糧の備蓄をもつ上、人民もその信仰心ゆえか、ほとんど動揺を見せておりませぬ。加えてホウ悳と千余の兵の帰順。」
「蜀に兵を進めよと?」
曹操が尋ねます。一瞬沈黙した後、劉曄はコクッとうなずきます。
「司馬懿が残っておるのも同じ進言のためか?」と再び尋ねる曹操。
「いえ、私はただ劉曄殿の献策を拝聴いたしたく。」
と、相も変わらず、韜晦したような台詞で答える司馬懿。

曹操は鐘を微かに鳴らしつつ、ふいに詩を一節吟じます。そして、
「続けてくれ。」
と、劉曄を横目で見つめます。咳払いをして、劉曄は献策を続けます。
「劉備のほうは蜀を奪ってわずか1年余。将兵も民もいまだ完全に掌握してはおりませぬ。」
詩を口ずさみながら劉曄を見つめる曹操。劉曄は額に汗を滲ませ続けます。
「さらには魏公(との)の漢中攻めで、蜀の民は肝を潰し、暴動もおきかねぬほどの動揺ぶりと伝わってきております。」
進言しつつ同時に劉曄は考えます。
−なぜ、何の反応もなさらぬ?−
「い、今こそは、蜀を奪いとる...」
−やはり、意にそわぬのか!?−
「絶好の...機。」
曹操は詩を口ずさみつつ、目だけは劉曄から離しません。
−いや、はたして私は蜀へ進軍すべしと本当に考えているのか!?−
自分の献策に疑問を抱き、一瞬言葉を失う劉曄。

その時、座ったまま司馬懿がズイッと進み出ます。
「確かにこの漢中へ10万の軍を入れただけでも孫呉に攻める気をおこさせており、この上 蜀に兵を進めるとなれば、」
急に進言を始めた司馬懿。発言を続けつつ、自分の態度に動揺します。
−私が人を割って進言!?−
「合肥方面の危険はさらに増します!しかし!」
−しかもこんな声高に!−
「その危険をおかしてでも先々の劉備の害をとり除いておくべきかと!」
−そもそもこれは私の進言か!?−

二人の軍師の周りを、曹操の詩吟が流れてゆきます。
司馬懿が独白します。
−まるで、何かに喋らされているような...−

横では劉曄がハッと何事かに気づきます。
−もしや、−
"無の瞳"で二人を見つめ、静かに詩を吟じる曹操。
−今、最も蜀に攻め入りたがっているのは、この方自身ではないのか!?−

          ***************

さぁ、まるで軍師を操るかのように詩を詠う曹操。その表情に抑揚は無く、その瞳は漆黒の闇に沈んでおります。
今までも「軍師を煙に巻く態度」は何度となくとって参りましたが、今回の曹操はその"無の瞳"故か、なんとも言えぬ不気味さ、得体の知れなさを醸し出しています!!
さて、どうなるのでしょう!?張魯征伐!そして蜀侵攻は!?更に風雲急を告げる合肥の行方は!?
続きは次号!克目して待つべし!!


はっ!はたして管理人は "蜀侵攻は?"などと本当に考えているのか!?
まるで何かに喋らされているような...

No.9588 - 2003/11/28(Fri) 02:43:05

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / なるみ [北陸]
蛇足ですが、最後の柱のコピーが書いてないようなので。
「目前の”蜀”、そして孫権軍が迫る万里の彼方”合肥”。その間を飛び交う光速の思考!!」

ぜんぜん違う話ですが、自分のところのキリ番のカウンター、昨日からカンストしてる(888888になってる)んですが。
自分のとこだけ?

No.9589 - 2003/11/28(Fri) 03:22:26

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / ロッテファン
久々の龐悳!!
なんか他の漢中兵とは鎧がかなり違う・・・むしろ格好も他の涼州兵と一緒で、かなり御苦労された様子です。
やはり信者ではないために龐悳以下千名は冷遇されていたのでしょう。
それはそうと馬岱はどこに行ってしまったのか気になります。何所に行ったのかなぁ?

No.9590 - 2003/11/28(Fri) 11:20:35

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / 陳孫 [関東]
>なんと、あっという間に形勢逆転! 三勢力の鼎立関係は気が抜けません!

うーむ、先週の劉備の台詞が思い出されますね。

 「ひとりを背中で睨みながら、もうひとりの肝とは限限(ぎりぎり)の駆け引き! 誰かが倒れるまでそれをやり続けなきゃならねえ。すでにお互いそういう段に突っ込んじまってんだよ。」

まさに三国鼎立!

ところで、あのターバンを巻いた密偵たちは、随分久しぶりですね。
密書に書かれていたのは、西域の文字でしょうか?
劉曄は、どうして読めたんでしょう?

No.9591 - 2003/11/28(Fri) 12:04:49

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / GT!
「今日の居残りはふたりか」
今回の司馬懿による対孫権の献策も、先週号の夏候惇のような居残り軍議で行われたのでしょうか。曹操軍の軍議って、居残りがメインなのかな?

今回の居残り軍議、生前の郭嘉らのへろへろ軍議の時代のイメージを連想してしまいました。まるで殿の意思を代弁しているような・・・なつかしいっ

No.9592 - 2003/11/28(Fri) 13:33:03

新世代の活躍 / 陳孫 [関東]
連載再開以来、劉曄・司馬懿ら新世代の出番が多いのは嬉しい限りです。
これまで劉曄も司馬懿も、涼しい表情しか見せてきませんでしたが、今回は二人とも曹操とのやりとりで珍しく動揺の表情を見せました。
これは覇王の重臣としての洗礼みたいなものでしょうか?
彼らの今後の成長・活躍が非常に楽しみです(w

ただ、劉曄とともに新世代の重臣として登場した蒋済の出番が無いのが残念ですね。
以前曹操が、

 「温恢の下で軍事を学ばせたあとは傍らにおき、大局の仕事をさせてみよう」

と言ってましたが、この頃は何をしていたのでしょう?
まだ合肥にいたのでしょうか?

No.9593 - 2003/11/28(Fri) 14:10:48

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / 名も無き一振りの戟 [北海道]
うう・・・夏侯惇の活躍ぶりが見たかったのにぃ・・
頼んますよ欣太せんせぇ・・・(泣)
戦闘シーンを削るのはいたたまれないですよ・・・
そういえば曹操はまだ「無の瞳」でしたね。
はっきり言ってあの瞳で夏侯惇といつもの掛け合いをするのは
違和感ありまくりだった気がします。

No.9594 - 2003/11/28(Fri) 14:13:01

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / 簡鍛
 最近えらく蒼天航路の進むスピードが速く感じる今日この頃です。

 ってか、なぜ曹操軍と五斗米道の戦いを描いてくれなかったのでしょうか?張魯とか閻圃とか色々見たかったのに〜。でもありえんがゆえに、蒼天航路ってところでしょうか?
 
 何か時代の移り変わりって気がしますね〜。夏侯惇と許褚以外に曹操が率いているほとんどは、結構最近登場してきた人たちばかりですからね〜。
 しかもこういうときには賈詡もいそうな気がするんですけど、それは史実にはなかったんでしょうか?

 来週はせめて張魯や閻圃の登場をいのるとともに、久々に、李典、楽進、張遼(だったっけ?)の登場も期待したいです!!
 

No.9595 - 2003/11/28(Fri) 16:53:55

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / 張良 [中国]
漢中攻略ではもっと詳しく描いてほしかった。
楊松への賄賂、それによるホウ徳の孤立、降服。
(↑は演義だけでしょうか?)
う〜ん、物足りない。

合肥はものすごい期待してます。
頑張れ張遼!!
これを省略されたら泣きますよ!マジで!!

No.9596 - 2003/11/28(Fri) 17:10:09

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / 伽瀬 [地球外]
ひょっとして先生はもう戦を書く気はないのですかねぇ。
・・・合肥は書いてほしいなぁ。ほしいなぁ。

惇が曹操の事を昔と同じだっていってたのは何か納得しました。
だってやりとりが赤壁の時と同じ感じですもん。
少なくとも惇とのやりとりは変わらないのですね。

No.9597 - 2003/11/28(Fri) 18:27:22

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / 小龍 [近畿]
まずは龐悳 管理人さんの言うように一瞬誰かわかりませんでした。
久々に登場でこれで関羽対龐悳のシーンはあるかな
でも伽瀬さんのいうように最近戦闘シーンは避けてるような気が、
戦闘シーンを書くのはかなりパワーがいるのでしょうか?
次に簡鍛さんが書いてるように賈詡が出てないのも気になりますね。
この時期史実では何をしていたのでしょうか?
曹否(そうひ)と家督争いの相談か?

No.9599 - 2003/11/28(Fri) 22:46:26

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / t.s
渓谷を走る画ってなんかいいですね。軽やかで。
杜襲が張魯の打算を見抜いて得意顔してるのを無視して、話を変える曹操がなんともおもしろかったです。
「そんなつまらん話に興味はない!」という態度が。
確かに、誰でもわかってることで、その後の本題に比べれば次元の低い話ですね。
才を愛する曹操としては劉曄・司馬懿と杜襲以下その他で完全にライン引いてるみたいに見えました。
その劉曄・司馬懿は、曹操幕下軍師の誰もが通る道に至ったようですね。顔面蒼白にして。
この二人、こういう表情するんだぁ〜と、新鮮な感じがしました。

No.9600 - 2003/11/28(Fri) 23:34:36

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / kazz [東北]
皆様仰っていますように最近は展開が早いですね。

五斗米道のシンボルと曹操後ろの掛け軸。
キョンシーが頭から離れませんでした。アレおでこに貼る札と同じですよ、確か。ピョンピョン。

ホウ悳との遣り取りにおけるTATSU様の考察、「なるほど!」と唸らせていただきました。馬超を絡めて考えれば良かったのですね。
私的にはもっと個々の精神論的なものを想像してしまって。また無駄な深みにはまってしまうところでした。この時代、訳す言葉すら見つけられないであろう Freedom という言葉を感覚で捉えることができた唯一の人、曹操。そんなバックグラウンド、妄想してしまいました。
でも、これで対関羽戦にホウ悳が絡んでくるシーン、期待できそうですね。

乱世に咲く壮美な知略の華。その美しさに気付いてしまった曹植。
この辺りから“覇を担う自分の姿”を頭の中で創りだしてしまったのでしょうか。一種の憧れと申しますか。
正直、彼にしか生み出せないはずの恋詩や慕情詩を「貧弱」と言って欲しくはありませんでした。どちらにせよ時代と生まれが芸術者でいることを許しはしなかったのでしょうが。

新世代謀臣も曹色に染まってきましたね。ただ司馬懿の初進言シーンがアレだったのが残念といえば残念。さすがは曹操といったところでしょうか。
郭嘉達を引きつらせていたあの頃の曹操に今、老獪さが加わってきています。ある意味“智”のみを考えれば今の曹操は最強。それに触れて育てられた司馬懿あたりが大物になるのは必然なのかも知れませんね。

魏諷もそろそろ動き出す頃でしょうか。
次回も楽しみです。

No.9601 - 2003/11/29(Sat) 00:39:11

曹操とホウ徳 / 陳寿 [関東]
 この二人の問答がいまいちピンとこなかったのですが、管理人さんの解説を読んでスッキリ納得しました。うーん、蒼天の台詞は奥が深い。
No.9612 - 2003/11/30(Sun) 15:10:46

Re: 今週の蒼天<閃光の華> / Blue [関東]
 「今週の蒼天」読ませていただきました〜♪

 実は、自分としては前回の話がどうも消化不良でした。確かに、三国鼎立の形が整って間も無い緊迫した情勢であったのは分かりますが、呉の内部事情や荊州の状況など、重要な点があっさり流されてしまっている印象だったからです。さらに今週の話を読んでもいきなり勝っちゃってるし・・・。
 しかし、よく考えれば陽平関の戦いや荊州包囲の話は演義などにもきっちり描かれていますね。しかし、合肥包囲戦についてはどうか。
 思うに、ゴンタ先生はこのあたり、演義などにくわしくない部分を優先的に、じっくりと描きたいのではないでしょうか?この合肥包囲戦は、下手をすると孫呉の北方進出を許すかも知れぬ非常に重要な戦いでしたから。むろん演義にもこの話は出てきましたが、いまいち地味な感じでしたし、何より張遼が久々に実戦指揮するわけで、描き甲斐もあろうというものでしょう。

 新世代の幕僚たちも、ようやく曹操という人物の真髄に触れはじめ、戸惑う姿が昔の荀?ケや郭嘉らを彷彿とさせて、むしろ懐かしい感じがしましたですよ。彼らもまた中華の新時代を拓く精鋭たちであるわけで、今はひたすら主君の後を追うばかりでしょう。苦労は絶えませんねw

 最後に何晏より一言。「植ーちゃん、あんた書記失格」

No.9613 - 2003/11/30(Sun) 15:21:01
サンゴックンさんの雑感に対する返事 / 陳寿 [関東]
疑問考BBSにあったサンゴックンさんの疑問に対する返事を書いておきます。少し長くなりますが、『蒼天航路』で正史に興味を持った方は、暇つぶしにでも読んでみてください。(とくに3番)

 私見ですが、正史の構成と蒼天航路の構成、共通点があると思いませんか?

No.9574 - 2003/11/24(Mon) 09:41:38

1.「帝国」という言い回し / 陳寿 [関東]
>たぶん90年代くらいから日本においてもこの「帝国」概念は議論されておりまして、以来この用語を適用できる政体は歴史上限られていっているようなので、ちょっと気になりました。

 現在の日本では、「皇帝」を頭に戴く国という意味で使っています。もちろん、国や時代によっていろいろな解釈の仕方があると思いますが。

No.9575 - 2003/11/24(Mon) 09:45:55

2.中国人にとっての歴史 / 陳寿 [関東]
>記録官がいない、歴史を書く意識が低いという時点で既に「欠陥」であるというのはあの三国時代の説明としては苦しいのではないでしょうか?

 そもそも儒教が国教となった漢の時代より前から、中国では自国の歴史を編纂するのは、朝廷における重要な仕事だったのです。「法家」だけでなく、「儒家」すら誕生していなかった周の時代にも朝廷には記録官が置かれ、国史を編纂していました。

「祖先の事跡を正しく後世に伝える」こと。これは昔の中国人にとって、この上なく重要な義務だったのです。そうした事を怠っていた蜀は(ついでに言うなら呉も)、古代中国人の観念から言えば、「不孝の国・欠陥王朝」でしょうね。ですが、三国時代は乱世です。国史を編纂したり、祖先のことを記述するよりも先に、軍事・外交など、優先すべきことがたくさんあったのでしょう。私が使っている「欠陥王朝」という言葉も、あくまで「儀礼的な意味」に限られています。

 サンゴックンさんの「歴史編纂の観点から議論すれば、恐らく、三国とも王朝としては、やはりそれほど十全のものではなかったのではないか」という説には、私も同感です。魏が評価できるのは、「呉や蜀よりも、多少、真面目に自国の歴史の編纂に取り組んでいた」という点だけであり、肝腎の史書の出来映えはあまり良くなかったものと思われます(ちなみに、正史に註釈をつけた裴松之も酷評しています)。

 さらに魏に関して言えば、「完璧な王朝」どころか「政治機構の面では、欠陥だらけの王朝」でした。この件に関しては(管理人さんの許しがあればの話ですが)、後日、「なぜ、曹魏は滅んだか?」というテーマで論じてみたいと思います。

No.9576 - 2003/11/24(Mon) 09:48:56

3.なぜ、陳寿は『三国志』を書いたのか? / 陳寿 [関東]
『三国志』の本編はあくまでも「魏志」です。これは「魏志」の文字量が全体の60パーセントを占めていることでもわかります。陳寿が仕えたのは、魏から禅譲を受けた晋であり、晋の正当性を主張するためには、魏を正当な王朝とする必要があったのです。

 しかし、陳寿は「魏」を正当の王朝としながら、なぜ「蜀志」「呉志」を書いたのでしょうか? そして、「魏志」の中になぜ、袁紹・董卓など、後漢の群雄たちの伝記まで書かれているのか? さらに、魏の初代皇帝は曹丕なのに、なぜ曹操の伝記から書いたのか?

 答えはただ一つ。「三国時代」という乱世について語るには、「魏志」だけでは不充分だからです。

 魏の初代皇帝は曹丕ですが、魏の事実上の建国者は曹操です。そこで、陳寿は曹操の伝記から書き始めるのですが、曹操について書くには、彼が生きた後漢末期の戦乱を避けて通る訳にはいきません。そこで、董卓・袁紹・袁術・呂布など、曹操が戦った群雄たちの伝記も必要になってきます。さらに曹操の天下統一の志を阻んだ劉備・孫権を無視することも出来ません。

 曹操という巨大な太陽を中心に、その周囲を劉備・袁紹・孫権・孫策といった衛星が回る。正史の構成はそんな形になっています(ちなみにこれ、『蒼天航路』の構成と同じだと思いませんか?)。つまり正史・三国志を「魏の建国史」として見るなら、主人公は曹操ただ一人であり、彼が「魏志」の中心人物であるのは当然の成り行きと言えましょう。曹操の伝記と比べ、曹丕・曹叡の伝記が簡潔なのは、彼らが名君とはいえ、彼らの果たした歴史的役割が曹操ほど重用ではないからだと考えられます。

 さらに陳寿は魏を正当王朝としながらも、蜀・呉に対して偏見を持たず、可能な限り公平に記述しようと努力しています。つまり、魏だけでなく、蜀や呉、後漢末の群雄のことも書くことが、「後漢末期から三国時代」という乱世の姿を、後世に伝える有効な手段と考えたのでしょう。正史・三国志は、魏を必要以上に良く書いたとか、蜀を贔屓にしているとか、そんなことを基準に評価されるべき史書ではないのです。

No.9577 - 2003/11/24(Mon) 09:51:49

4.正史・三国志の評価 / 陳寿 [関東]
 サンゴックンさんが疑問考BBSで論じたように、正史・三国志には著者・陳寿の細かい心配りが見られます。

「魏志」の列伝で書かれている人物が「蜀志」「呉志」で批判されていたり、正当な皇帝ではないはずなのに、劉備・劉禅を「先主・後主」と敬ったりと、陳寿の祖国・蜀への想いや、時の政権に対する遠回しな批判(晋の重臣は、魏で立伝されている人物の子孫が多い)が、正史の行間に見え隠れします。これらは『正史』を読む楽しみの一つであり、個人の伝記の集合体である「紀伝体」のスタイルを有効に利用しているというサンゴックンさんの指摘は正しいと思います。

 しかし、正史・三国志が良史として評価されているのは、その透徹したリアリズムによるものです。事実を尊重することに徹し、どんなに面白い話でも、事実と認めない場合は史書に取り入れない。これが陳寿の史家としての姿勢でした。

 もちろん正史『三国志』の中には、時の晋王朝に対する配慮も見られます。例えば、司馬懿の子・司馬昭の部下が、魏の四代皇帝・曹髦を殺害した事件に関しては、「皇帝殺し」の汚名を避けるため、司馬昭が取り繕った通りのことしか書いてありません。ですが、そうしたことを差し引いても、そのリアリズムゆえに、中国歴代正史の中でも、『三国志』は良史として評価が高いのです。

No.9578 - 2003/11/24(Mon) 09:55:27

Re: サンゴックンさんの雑感に対する返事 / 初
変な疑問ですが、表と書がないのはどうしてなんでしょうか?
史書として不都合ではないのでしょうか?

No.9605 - 2003/11/30(Sun) 00:16:01

表と書 / 陳寿 [関東]
 中国の正史は、司馬遷の『史記』同様「紀伝体」のスタイルをとっていますが、「表(年表類)」「書(制度や文化に関する史的展望)」を史書に掲載するか否かは、その史書の編者が決めることのようです。別に表・書がなくても、史書として不都合な点はないと思います。(『三国志』以外にも、表・書がない正史もいくつかあります)

 陳寿がなぜ、「表」「書」を『三国志』にのせなかったのかは、私にもわかりません。これはあくまでも想像ですが、もし「表」や「書」を『三国志』にのせるなら、正当王朝である魏以外にも、曹操が仕えた後漢、さらには蜀や呉の「表」「書」まで作らなければならず、その煩雑さを陳寿は嫌ったのではないでしょうか。

No.9609 - 2003/11/30(Sun) 11:51:46

表と書(2) / 陳寿 [関東]
 『三国志 きらめく群像』(筑摩書房)によると、二十四史(史記から明史までの二十四の正史)のうち、「表」があるのは九史(『史記』『漢書』『新唐書』『新五代史』『宋史』『遼史』『金史』『元史』『明史』)だそうです。表に関しては、やはり史書に入れるか否かは編者が決めることのようです。

 『三国志 きらめく群像』の著者・高島俊男先生は「そもそも陳寿という人は、制度とか官の事業とかいったことに関心がなかったのではないか」と述べられていますが、確かに正史を読む限り、屯田制とか九品中正制など、国家事業に関する記述は非常に少ないです。『三国志』に「書」がないのも、高島先生の説を裏付けているように思われます。

No.9611 - 2003/11/30(Sun) 15:06:56
曹操 / ヒツジ
最近もう一度蒼天を見直してるのですが疑問に思ったことがあります。
宛城の戦いで曹昂が死んだとき曹操の目から何か出てきますよね?
後29巻の一気にふけた曹操の目からも何か出てますよね。
これって曹操の涙でしょうか?

No.9598 - 2003/11/28(Fri) 19:20:24

Re: 曹操 / TATSU@管理人 [関東]
あれは曹操の目から金平糖が出ているのです。
な、わけないですよね。
涙です。涙。

不思議な形をしてるのは、曹操が破格の人だからです。

No.9602 - 2003/11/29(Sat) 22:11:33

Re: 曹操 / AKI [九州]
めったに泣くことのない曹操。
重みが違います。

やっぱ破格ですね。

No.9604 - 2003/11/29(Sat) 22:42:31
描画考「YOUR GALLERY」に新作! / TATSU@管理人 [関東]
最近の管理人の一押しサイト、「黄鶲(きびたき)」のちくさんよりイラストを頂きました〜。
「江東の若き義兄弟」です。巧みなデッサン・水彩画風の渋いタッチにご注目下さい。
では、皆さん、描画考へGO!

No.9522 - 2003/11/16(Sun) 18:44:22

Re: 描画考「YOUR GALLERY」に新作! / めろんぱんだ [近畿]
おおお〜〜!!!!
すごい、すごくカッコイイです!!!素晴らしい!

兄ちゃんと周郎ですね。どちらも蒼天では悲しい最期でしたが、こんな風に不敵に微笑まれたら、呉びいきになってしまいそうです…

ちくさん、素晴らしい絵を見せていただきました!ありがとうございます。ご覧になってない方は、是非!(私が勧めても仕方ないか)

No.9534 - 2003/11/17(Mon) 20:26:29

Re: 描画考「YOUR GALLERY」に新作! / kazz [東北]
すごくキレイで、淡い塗りと色使いが今は亡き両君の面影をより感慨深いものにしていますね。巧いっ!

孫策の出した右手には周瑜の差し出した玉剣が。
きっと「剣をっ」「はいよっ」の言葉のやりとり無しに出来た自然なポーズなんでしょう。むしろ孫策が手を出す前に周瑜が剣を差し出してそうですよね(笑。以心伝心。

No.9537 - 2003/11/18(Tue) 21:28:31

Re: 描画考「YOUR GALLERY」に新作! / 紅いキバ [東海]
繊細で綺麗な絵ですね。
セピア調の色合いが「若き日の想ひ出」という感じで、いい雰囲気出してます。
といっても二人には若き日しかないわけですけど(泣)
写真立てに入れて孫権の机の上に飾ってあげたいですね。

No.9538 - 2003/11/19(Wed) 00:03:40

Re: 描画考「YOUR GALLERY」に新作! / ちく
レスが遅れましたが、
めろんぱんださん、kazzさん、紅いキバさん
拙作に感想を下さり有難う御座います!
描写考を見て、サイトを立ち上げることにした自分としては
畏れ多くも有難き幸せにございまする、とちっちゃい声で言ってた魏延の気持ちです…。

素敵なテキストを付けて下さったTATSUさん、本当に有難う御座いました。
私もあの剣は孫家の宝刀だと妄想することにします(笑)

No.9580 - 2003/11/24(Mon) 17:21:34

Re: 描画考「YOUR GALLERY」に新作! / TATSU@管理人 [関東]
あっ!ちくさんだ! 書込み有難うございます!ここでは初めまして〜。
描画考を見て、サイトを立ち上げることにしてくれた、なんて聞くと嬉しいです〜。
これからも素敵な蒼天イラを見せてください。で、宜しければまた寄贈してくださいませ〜。

No.9586 - 2003/11/28(Fri) 02:06:42
遂に悲願の・・・!! / 名も無き一振りの戟 [北海道]
こんばんは。久方ぶりです。
今久しぶりに見に来ましたら420000番をGETしました・・・
この番号をまさか自分の誕生日にGETできるとは・・・(泣)

No.9498 - 2003/11/15(Sat) 21:57:54

Re: 遂に悲願の・・・!! / はくやくん
わわわ、おめでとうございます〜。実は私も今日出張から帰ってきたばかりの久方組です。今週号のモーニングは帰りの飛行機の中で読みました。今日お誕生日なんですか〜重ね重ねおめでとうございます!!(^^♪
管理人さんの素敵イラスト、たのしみですね〜。

No.9502 - 2003/11/15(Sat) 23:11:02

Re: 遂に悲願の・・・!! / kazz [東北]
いち訪問者として、おめでとう御座います。
誕生日とはこれまたおめでたいですねっ!

では管理人様からのイラストは誕生日プレゼントということにも・・・(笑。
よーく吟味してリクエスト考えてみてください。TATSU様のイラストほんと素晴らしいですものね。

自分も踏んでリクエストしてみたいものです。いつも惜しいところにはいくんですけどね(笑。

No.9514 - 2003/11/16(Sun) 12:13:54

Re: 遂に悲願の・・・!! / TATSU@管理人 [関東]
おお! 3回連続でキリ番申告があったの初めてじゃないでしょうか!? 何か皆さん、キッチリ狙ってくれてるみたいで嬉しいです〜。

名も無き一振りの戟さん、キリ番GET&誕生日おめでとうございます!!悲願とまで言ってくれると恐縮です。
では、ご存知かとは思いますが、下記3つの特典(?)を宜しくお願いしまーす。

1.記念にHNをご希望のアイコンと一緒に掲載させて頂きます。下記gillさんのサイトに行ってお好きなアイコンを選んで下さい。
http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Acropolis/4079/sangokushi/icon.html

2.願い事が叶うと(管理人の中で)有名な神龍に願いごとができます!アイコンと一緒に「願いごと」をこのスレに書き込んで下さい。

3.宜しければ、管理が稚拙ながらもイラストを描かせて頂きます。描いて欲しい蒼天キャラがありましたらリクエスト下さい。(過去のリクエストは描画考「MY GALLERY」をご参考に。)

以上、お待ちしております!!

No.9520 - 2003/11/16(Sun) 18:24:32

Re: 遂に悲願の・・・!! / 名も無き一振りの戟 [北海道]
そうでしたね・・そんな特典があるのを忘れてましたw
それでは
1 魯粛
2 明日が全ての人々に用意されてますように。
3 その三百十七(錦馬超)で、馬超が
「ただ一心に斬り 刺し 突き 裂く!」と心の中で呟きながら
青洲兵を斬りまくるシーンがいいです〜。(難しかったらすみません)

No.9526 - 2003/11/16(Sun) 21:48:15

Re: 遂に悲願の・・・!! / TATSU@管理人 [関東]
>そんな特典があるのを忘れてました

「遂に悲願の」とか書かれてたんで、てっきりご存知なのかと。それは失礼しました。
お名前、アイコン、願い事はUPしておきました。で、

>「ただ一心に斬り 刺し 突き 裂く!」と心の中で呟きながら青洲兵を斬りまくる

描画考はご覧になりましたでしょうか? 「290,000HIT記念イラスト」がそのシーンなんです。 同じ処を2回描くのはアレなんで、別のシーンを希望して頂けると嬉しいんですが...

No.9529 - 2003/11/17(Mon) 00:28:52

Re: 遂に悲願の・・・!! / 名も無き一振りの戟 [北海道]
そうでしたか・・・・見落としてました。
それでは最新刊よりホウ統が「たれ流すな天下人」と言って
絶命する場面でお願いします。

No.9533 - 2003/11/17(Mon) 15:37:20

Re: 遂に悲願の・・・!! / TATSU@管理人 [関東]
リクエスト頂いたイラスト、完成しました。

TOPと描画考の2ケ所に置いてあります。 宜しければ「画像を保存」でお持ち返り下さい。

No.9565 - 2003/11/23(Sun) 21:17:21

Re: 遂に悲願の・・・!! / 名も無き一振りの戟 [北海道]
おお・・素晴らしいです!ありがとうございます!
ではありがたく保存させてもらいます!

No.9568 - 2003/11/23(Sun) 21:54:35

Re: 遂に悲願の・・・!! / t.s
TOPイラスト拝見しました。
「垂れ流すな」といわれても、垂れ流しちゃいますよね。劉備の表情。
ああいう白というかクリーム色のような鎧に、青系統のマントって結構相性いいんですね。色合いが綺麗です。
軍師の靴(わらじ?草履?)も、飄々とした感じがいいですね。

No.9569 - 2003/11/24(Mon) 02:28:42

Re: 遂に悲願の・・・!! / kazz [東北]
キリ番イラストに祝辞を。

かなり難しい構図ですよね。ポーズといいますか。
その辺り苦労なされたのかもしれませんが、実に、そしてまさに横たわる鳳雛、それを見取る劉備。あの場面、鮮烈に思い出させて頂きました。
相変わらず迷いの無い主線。鎧の“確かさ”(“細かさ”の域越えてます)イイ感じですっ。

No.9579 - 2003/11/24(Mon) 10:55:51

Re: 遂に悲願の・・・!! / TATSU@管理人 [関東]
>ではありがたく保存

気に入って頂いたみたいで何よりです!
実は、管理人的には「劉備の髪型」が今いち納得いけてないのですが。

>青系統のマントって結構相性いい

t.sさん、毎回感想ありがとうございます! 
いや、ホント、いつも配色には苦労してるんです。劉備のマントも赤やら緑やらグレーやら色々試しました。

>迷いの無い主線。鎧の“確かさ”

kazzさんんも、いつもレスどうもです!
下書きではいくつも線があるんですが、それを1本の主線で清書するのが結構快感だったりします。鎧については、描くこと自体が好きなんで、ディテールにこだわったりして...

No.9585 - 2003/11/28(Fri) 02:03:15
今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / TATSU@管理人 [関東]
今週の蒼天、「猛将復活」って感じでした。
いや、このテの話、管理人は大好きなんであります。何度も読み返しちゃいました。
先週みたいな話も、それなりに考えるところは多いんですが、やっぱ今週みたいなストーリーは読んでてワクワクしますね〜。

          ***************

扉絵では渓谷を騎馬で進む魏公と許猪が描かれていました。その眼下、谷底では軍が縦隊にて進んでいます。これは道がうねっているんでしょうか?
では、キャッチコピーいってみましょう。

漢中へ−
天然の要害を往く
この行軍がすでに戦。

おおっ!ついに第2次征西、「張魯討伐」が開始された模様です!

          ***************

「読めんのか? 荊州を返還しろと書いてあるんじゃ。」
孫権が告げます。
遠く蜀の地で書簡を手にした劉備が答えます。
「返せだ? おいおい、まだそんなことを ほざいてやがんのかよ。」
呉の地で孫権がムッとします。
「新しいねぐらをぶったくったんじゃろ。さっさと出ていかんか、居候(いそうろう)。」
おお、居候呼ばわり! 相変わらず歯に衣着せぬ物言い! それを聞いた劉備、笑いながら、
「おねだりの仕方を教わってきな。上手に言えるようになりゃあ、くれてやってもいいぜ。」
と、書簡を放り捨てます。おお、劉備、負けてません。つか、かなり挑発的な態度です!!
「玄徳。」
建業にて、目を据え憎憎しげにつぶやく孫権。
「やんのか、ひよっこ」
成都で答える劉備。

ここでナレーション、

− 建安20年(215年) 荊州の春は凍てついた −

描かれるは、水軍を率いて船上に立つ呂蒙!
同じく軍を率いて岸壁に屹立する関羽!

ふがっ。いいです!この導入部、すごくいいです!! まさに軍事的緊張高まる!って感じしました。
劉備の蜀取得により、荊州返還を迫る孫権。劉表から継承された地を譲渡する必要無しと拒む劉備。
孫権からすれば、赤壁で勝利したのは呉軍。荊州は当然呉に帰属するものだし、「蜀を共に攻めよう」という誘いを拒んでおきながら、勝手に奪取して踏ん反りかってる劉備は許せないんでしょうね。 一方、劉備からすれば 「甘ちゃんめ。今は乱世だぜ。荊州も蜀もおいらが自力で攻め落した拠点だ。手紙ぐらいでホイホイ渡すと思ってんのか。」ってな感じじゃないでしょうか?

さて、ナレーションは続きます。

− 呂蒙は 荊州に2万の兵を集め、南部3群を掌握。 魯粛の軍勢1万と合流した後、益陽にて関羽の3万と対峙 −

描かれるは呂蒙・魯粛のコンビと、それに対峙する関羽。 おっ、呂蒙、ついに髭を生やしました。なんか貫禄でましたね。 一方、関羽はニューバージョンの鎧を纏ってました。軍事的緊張に興奮しつつも、こーいうチェックは怠りません(笑)
続けて、船団を率いて長江を東進する劉備が描かれます。

− さらには、劉備自らも蜀を発し、公安まで兵を進めるに及び、劉・孫、一触即発の事態となる。 −

きた きた きた〜ッ! 軍事的緊張 極まってきました。 なんかこの展開、緊迫感あっていいです!

         ***************

公安−
雨にうたれつつ、城壁に立つ劉備。
「どうした。大将!? また何かの勘か?」
背後から簡雍が叫びます。おお、簡雍。まだ登場するんですね。どうやらレギュラー入りか? 
「まさか関羽がぶちきれて、全面衝突なんてことになるんじゃねえよな? なあ?」
豪雨の中、簡雍は叫びます。
「今ここで、おっぱじまりゃ、喜ぶのは曹操だろ!? みんなわかってんだろ!? な!?」
不安げに叫ぶ簡雍に、腕を組んだ劉備がおもむろに答えます。
「はっきりしてんのは、こっから先は、わずかの余裕もねえってことだけだ。」
雨にうたれ、虚空の一点を見つめながら、劉備は続けます。
「ひとりを背中で睨みながら、もうひとりの肝とは限限(ぎりぎり)の駆け引き! 誰かが倒れるまでそれをやり続けなきゃならねえ。すでにお互いそういう段に突っ込んじまってんだよ。」

おお!この台詞。イイです!!これぞ三国志の世界!! 劉備の蜀獲りによって、既に 『三勢力が鼎立』 する時代に突入している訳ですね。軍事・外交を駆使して三者が競い合う時代に! 
簡雍が思わず絶句して劉備を見つめる間に、一頭の早馬が駆けてつけてくるのを劉備は発見します。
「みろ簡雍、きたみたいだぜ」
伝令の告げた急報は−


−曹操の大軍 五丈原に現る!
 的(まと)は漢中!−


大雨の中、歯を食いしばる劉備!
蒼天の下 "無の瞳"で馬を進める曹操!

          ***************

ここでナレーション

−前年よりひそかに軍を長安に集結させていた曹操は、この年、春、約30年にわたり宗教国家を経営していた五斗米道の教祖・張魯の征討にのり出す。−

劉備の言うところの「背中で睨んでいた」曹操が早速動き始めました。ナレーションは続きます。

−先鋒と別軍で周辺のテイ族を打ち払うは、夏侯淵・徐晃・張郤ら涼州掃討組−

軍を率いて谷あいを爆走する三将が描かれます。相変わらず徐晃が元気良さそうです。「がはっ!掃討!掃討!」

−兵の調達・運送を担うは兵站のスペシャリスト、河東郡太守・杜畿−

あ、「さらに一年戦が延びようとも、備蓄は対応できまする。」って言ってた杜畿だ。
続けて渓谷にて物資移動を指揮する「人見知り」張既が描かれます。

−過酷を極めるこの険しい山岳地帯の行軍を支えたのは、彼らと張既をはじめとする涼州・関中復興組。その3年に及ぶ政(まつりごと)の成果であった。−

なるほど〜。 「政と戦を絡める」がテーマだった第1次征西が、ちゃんと第2次征西に結実してる訳ですね。そう言えば、馬騰に「復興は3年を目処にしている」って曹操言ってました。有言実行だ...

          ***************

陽平関に駐屯する曹操本軍。
「まさかこれほどの城塞を築いておったとはな。」
幕営から外へ出てきた曹操軍幕僚達が会話しています。
「それに3万軍勢の統率ぶり。」
「う〜ん。信仰心というやつはやはり侮れん。」
と勝手の違う戦に戸惑いつつ、幕舎をあとにする幕僚達。

「どうした?」
幕舎の中では曹操が尋ねています。
最後に幕舎を出ようとしていた劉曄と司馬懿の二人が、思わず振り返ります。
そこには一人の将軍が、席を立たずに座り続けていました。
「何か言い足りんのか?」
と再び尋ねる曹操。
「いや。 むしろ、私に何かの下知を下されるのではと、逆に感じましたが。」
と飄々と答える将軍。
あっ!!この隻眼の将はっ!か、か、か。

久しぶりの登場です!(あ、でも 荀攸の葬儀に居たか)
こうやって曹操と会話するのは、赤壁直後の礁での会話以来、ましてや遠征に従軍するのは、長坂とそれに続く江陵の孔明話以来です。(その後の長江の河下りからは登場しませんから、きっと荀?ケと同時期に許都に帰ったんでしょうね。)
ところで、夏侯惇もかなり白髪が増えてますね〜。でもシブク年とってます。

夏侯惇の発言に首をかしげる曹操。夏侯惇は「うむ?」と声を発し、ぐぐと身を乗り出します。曹操を見つめ、座ったまま、ずず...ずず...と前へ進む惇兄。
「下知?」
と聞き返す曹操。夏侯惇は更に曹操に近づき、
「もしや、撤退命令か?」
と唐突に尋ねます。
「なに?」
と聞き返す曹操。夏侯惇はそれに答えず「ぐ〜む」と曹操の顔を凝視します。
あは、何か変なの。会話が噛み合ってるような噛み合ってないような...。ところで夏侯惇まで "無の瞳" みたくなってるのは何か意味があるんでしょうか?

「惇」
と曹操が語りかけようとすると、
「ならば、高祚たちの奇襲部隊はただちに戻さねばならん。」
と夏侯惇が発言します。(もう"無の瞳"じゃありません)  どうやら惇兄は曹操の表情から 『撤退』 と読み取った(決め付けた)模様です。
「ああ?」
と、口をへの字に曲げる曹操。

          ***************

「言いだしっぺが連れ戻しに行けといいやがった。」
森の中を徒歩で行軍しながら、夏侯惇がつぶやきます。
がはははは〜。夏侯惇って、どうもこーいう役回りですよね。「高祚軍救出ミッション」は言いだしっぺの夏侯惇将軍に下されたみたいです。 『 どれほど不可解で不愉快な命令であろうと、今まで通り意地でも従い抜いてやるぞ! 』

夜の山中を進む救出部隊。先頭を行く許猪が夏侯惇に尋ねます。
「でも、撤退?...」
「なに、一時撤退するだけだ。陽平関(ここ)を落とすには淵たちの別働隊を待って連携したほうがおそらく結果は早い。」
と答える夏侯惇。
「なら、いいけど...。だけどねえ、惇将軍、」
道なき道を進みながら許猪が言い出します。
「最近の殿の様子、ちょっとおかしくねえかあ?」
「いや、まったく変わりはないぞ。」
と言い切る惇将軍。
あははーっ。穴のあくほど曹操を凝視してましたが、全く変わりないそうです。夏侯惇からすれば 『 無?なんじゃあ、そりゃあ?』って感じなんでしょうか?さすが恐ろしくむさい母親はちょっと違いますね〜。
許猪は会話を続けます。
「頭にうつ鍼の本数もずいぶん増えたみてえだし...てっ!」
蝙蝠が飛び立ち、その羽が許猪の顔面に当たったのです。思わず目を押さえる許猪に、大丈夫か?と尋ねる夏侯惇。許猪は、平気だよお。と手を離します。
「フクロウ並みのおまえの夜目が頼りなんだからな。」
と語りかける夏侯惇。そー言えば、曹操に見えない馬超が許猪には見えてましたね。あれは夜じゃないけど。
「ん!わかってる。高祚たちが潜んでいる所まであともうちょっとだあ。」
と許猪は答え、草木をかき分け進みます。

「頭痛か。」
許猪の後に続きながら、夏侯惇は話を戻します。
「まあ、心配いらんだろ。ひとたび戦に立てばなぜか痛みがやわらぐ。なーんて言ってたしな」
と笑う夏侯惇。でも許猪の心配は拭いされません。
「んでも、前よりちょっと声が小せえような。 熱が低いような。 こわさも少ないような。 眼も...ん?」

次の瞬間、許猪の巨体が草木の下に消えます!ガガガッと崖を転落してゆく許猪!
「許猪!」
叫びながら崖下を覗く夏侯惇。と、ドガッと許猪が崖下に到達した音が聞こえます。
「ん!?」
許猪が落ちた崖下からは、仄かな灯が浮かび上がっています。それが松明だと分かった夏侯惇は、「なんだ、なんだ。」と笑います。
「もうたどり着いとるんじゃないか。」
崖をつたい折りながら、夏侯惇は声をかけます。
「おい、大丈夫か?」
その夏侯惇も足を踏み外し、「お、お、お、おわッ」と崖を滑り落ちます。

ザシッ!崖下に着地する夏侯惇。ふと足元を見ると一人の兵士が口から血を噴き出して倒れていました。その兵士の上には許猪が!!
兵士の体の上に尻餅をついた格好で、呆然と前を見つめる許猪。ピクピクと震える兵士。
「あー、あー、かわいそうに...」
思わずつぶやく夏侯惇は、
「他人の心配に現(うつつ)をぬかしておるからだぞ。許猪。」と諭します。
「なあ?」
と周りの兵士に語りかける夏侯惇。

ところが、周りにいる兵士は驚愕の表情で夏侯惇を見つめるだけです。中央の将らしき男が、夏侯惇を指し示し、声を搾り出しています。
「か、か、か、か、」

訝しそうに「ああ?」兵士を見つめた夏侯惇、状況を理解し、おもむろに告げます。

「なんだ。おまえら敵か。」

          ***************

さぁ、山中で敵兵と遭遇しちゃった救出部隊! 猛将・夏侯惇はどう切り抜けるんでしょうか!? ずいぶん余裕ありそうですが...
最後の頁の欄外コピーが面白かったので、転記しときますね。

−オオカミとイノシシが迷い落ちたは敵陣真っ只中。
 さあ、ついてないのはどっちだ!?−


...どー考えても、ついてないのは漢中兵かと。

No.9547 - 2003/11/20(Thu) 23:58:28

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / つね [関東]
キャッチコピー掲載感謝です。

本当は、私の言葉に管理人さんが動かされたのではなく、キャッチコピーがいいから載せているのだと思っていますが(掲示板では毎号掲載は断わられてますし)、嬉しいことに変わりはありません。


劉備vs孫権、背後で動く曹操

いよいよ三国時代に突入しましたね。
上記のような構図では、劉備も孫権も持たないのですが。

私にとって、荊州問題は、諸葛亮の「天下三分の計」の中心だけに、その構想がどこまで現実性があったのか疑わせるものです。
荊州を確保し、なおかつ孫権との同盟を維持しなければならないのですから、荊州の責任者は大変です。ほぼ正史準拠の蒼天にしては、めずらしく関羽は演義準拠に見えますが、これからの描かれ方も注目したいですね。
対する呂蒙も貫禄が出てきました。(この時点では呉の最高軍事責任者は魯粛のはずですが食われてしまいましたね。単刀赴会で見せてくれることを期待。)この後、病気がちになって人生を賭けた大仕事としての荊州攻略は蒼天でも物語になりそうです。

話転じて、曹操軍。曹操と夏侯惇とのやり取りは難しかいものでした。コンビニで立ち読みしている立場としては、そう考えているわけにもいかなかったのですが(買えよ)、どこか無気力なところは感じますね。それが「望蜀」に繋がるのだとしたら、なかなか深い伏線のようにも思えます。もっと言えば、ラストワルツあたりから老いの影響を感じさせます。個人的には濡須江の涙で悲しみを表現されたことに「うまい」と感じつつも不満を感じたものですが、うがちすぎかな。でもラストワルツ以後の違いは感じますね。

>...どー考えても、ついてないのは漢中兵かと。

私もそう思います。

No.9549 - 2003/11/21(Fri) 01:29:45

(No Subject) / 観音ラブ [近畿]
何か、曹操はどうしたんでしょうか?

 個人的には、曹操がボケて、夏候惇が介護してあげてる様な構図に見えてしまいました。
 完璧すぎる曹操に、小憎らしさを感じてたりしたのですが、こうなると、なんか寂しいものがあります。
 
 あ、さりげに曹殖がいましたね。やっぱり曹操はお気に入りなんでしょうか?

No.9550 - 2003/11/21(Fri) 09:42:58

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 業伯
こんにちは、業伯です。
惇兄再登場のうれしさに狂喜乱舞中です。

やはり曹操の死期は近いようですね。
あの真っ黒な目も、それと関係あるのかなと思います。そして、曹操の死期が近いということは、惇兄も死期が近いということです。二人してあの目をしていたのはそのせいかな、と、邪推してしまいました。
他の人物が言うならいざ知らず、母たる惇兄が、曹操は「変わってない」というのは、何か含みがあるように思えてなりません。

No.9552 - 2003/11/21(Fri) 12:44:08

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / mato [近畿]
はじめまして。いつもこのサイトを見に来ていたのですが、勇気をだして投稿させていただきます。よろしくお願いします。

今週、冒頭から引き込まれました。演出上手いなぁ、といつも思います。呂蒙、とても貫禄あって格好良かったです。 荊州ってことは、陸遜も蒼天にでてくる可能性あり?ですかね。楽しみです。
そして漢中。たとえ2コマでも、曹植好きとしてはたまりませんでした。出てくるとは思っても見なかったもので…。

>あは、何か変なの。会話が噛み合ってるような噛み合ってないような...。
私もそう感じます。曹操、まさか呆けてきたのでは…なんていらぬ心配してしまいます。杞憂だと思いますが。

No.9555 - 2003/11/21(Fri) 20:58:14

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 名も無き一振りの戟 [北海道]
呂蒙と関羽が戦ってるって事は
そろそろ関羽さんもお亡くなり?
ううむ・・郭嘉やホウ統でも泣いたのに関羽が死ぬと
多分三日ぐらい泣いちゃいます・・・・
それはそうと来週は多分惇兄と許猪のカッコイイシーンが見れる
んですかねぇ・・・
そして次々とやられていく漢中兵・・ついてね〜ww

No.9556 - 2003/11/21(Fri) 23:23:30

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 小龍 [近畿]
こんにちは 小龍です
私の好きな魯粛がでてきました。ちょっとうれしい
でも完全に呂蒙に食われてました。
軍の最高司令官のはずなのに。。。
そろそろ物語りもクライマックス
夏侯淵、ほうとく、関羽、曹操、夏候惇。。。

No.9557 - 2003/11/21(Fri) 23:48:54

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / kazz [東北]
今号の蒼天航路は実に緊迫感のある展開でしたね。
軍事的緊張、私も思わず息を呑みました。冒頭部さすがに巧い演出ですよね。

小龍様のご意見同様、魯粛が呂蒙に食われていたのが微妙でした。
まあ、この後の展開を鑑みればここで注目させておくべきは呂蒙だとの御判断なのでしょうね。そう見れば、対関羽戦描写の確約ともとれる部分だと思います。ってかそうであって欲しい。

さて、曹操と夏候惇の遣り取りなんですが。
アレを単に、あの後夏候惇に活躍の場を与えるためだけのコミカルな描写と捉えるか、曹操の状態を示唆する重要な数コマと捉えるかで大きく違うわけです。おそらくは両方の意味を含んだ表現なのでしょうが、その後の許猪と夏候惇の会話から後者の比重が大きいように感じました。
やはり瞳が気になりますね。許猪も何か言いかけてましたし。

個人的に気になったのは、許猪の眼にコウモリがぶつかった描写の必要性です。“フクロウ並みの夜目”ってことを明らかにするための伏線的コマなのかな。そのおかげで許猪と夏候惇の2人が会話しながら一緒に先頭を歩いてることもおかしくなくなりますし。それにしても、なんだか変に気になってしまいました。

呂蒙には貫禄がつき、
劉備に英明さが伺え、
曹操に危うい蔭りがちらつき、
夏候惇の相変わらずの豪胆さを確認でき、
そして、許猪はますます可愛くなっていく(笑。

そんな今号でした。次回が楽しみです。

No.9558 - 2003/11/22(Sat) 03:47:42

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 伽瀬 [地球外]
はじめまして。
恐る恐る投稿してます。

>会話が噛み合ってない
あ〜、私もそう感じました。
何か、なんども読み返してしまいました。
(それでもよく理解できなかったのですが)

魯粛が活躍してなかったのが少し悲しかったです。
関羽を押さえていたのは彼なのに・・・

No.9559 - 2003/11/22(Sat) 11:15:35

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 李桃桃内 [地球外]
 どうもこんにちわ。。李桃桃内です。

 今週の蒼天でまず思ったのは……漢中兵の鎧。
 きちんと五斗米道してましたね。曹操軍よりコストかかってそう。
 今回つとに感じたのは、やはり曹操軍(魏軍と呼ぶのは曹丕の頃からなのかな)の動きが完全にシステマライズされている点ですかね。以前は閣下もしくは荀?ケ、郭嘉なのの主導で動いていたんですけど、今は閣下が戦の意志を打ち出すだけで、戦争から戦後統治まで自動的に進むようです。
 そうなると、今でも豪傑の色が強い夏侯惇がなぜか異様になってきます。

 あと、曹操の目なんだけど、前に一度あんな目したことあるですよ。烏巣襲撃の際、投降してきた烏巣駐屯軍に対して青州兵とともに見せた瞳は真っ黒でしたな。その前の軍議で、だがこれが敵の息の根ではないと勝機を見定めて時も真っ黒です。
 小生はあの瞳が死に逝く者の空虚じゃなくて、ドデカい感情の爆発を秘めたものだと見たいス。閣下が五斗米道、そして三国時代に対してどのような私情を抱き、どう判断するか知りたいし。

No.9562 - 2003/11/23(Sun) 14:39:30

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / t.s
こんばんは。

面白い展開になってきましたね。
皆さん仰るように、気になりますね、曹操の様子。
あの無関心の目は、何を意味するんでしょう?ちょっと覇気のなさが心配ですが、今の所それが問題になってないあたりが、どうも不気味ですよね。嵐の前の静けさのような。
夏侯惇によれば「以前と変わらない」らしく、許楮によれば「何か変」に見えるようですが、この二人の視点の違いっておもしろいですね。
片目を失って、見えるものが見えるようになった夏侯惇と、従来、動物並に目が利き、少ないボキャブラリで的確に人を評することができる許楮。
それぞれ、曹操を見て、見えるものが違うという事が、今回のあの森の中の二人の会話なんでしょうか。

作戦変更が付き物の「孟徳の戦」なのに、変更がないことに違和感を感じたからですよね?軍儀の後、夏侯惇が居残ったのは。
それで、自発的に奇襲部隊を退却させることを進言したら、「言い出しっぺが行け」といわれた、ということでしょうか?
う〜ん、…難しい。

ところで許楮の下敷きにされた漢中兵って、兵卒ではないですよね。将軍か、将校クラスだと思うのですが、まさか張衛とかじゃないでしょうね。(笑)

No.9563 - 2003/11/23(Sun) 20:15:14

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 張良 [中国]
う〜ん、
夏候惇は大丈夫なんて言ってるんですが許楮のセリフが心配だな〜。
曹操も心配なんですが、今週では許楮と夏候惇のほうが心配か?

漢中と荊州の同時展開!!
あらためて考えると蜀って常に挟み撃ち喰らってますなぁ。

No.9566 - 2003/11/23(Sun) 21:21:38

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / TATSU@管理人 [関東]
お、先週はいなかった初投稿の方が、今週は2人も! ご挨拶させて頂きます。

matoさん、初めまして。蒼天考へようこそ。

>いつもこのサイトを見に来ていたのですが、勇気をだして投稿

おお、いつも来て頂いてたのですか!それは有難うございます! そういった方が投稿して下さると非常に嬉しいです。
なんたって訪問者は毎日何百人もいるのに、蒼天の感想は10〜20ぐらいしか無いのが、実はちょっと寂しいんです。

>荊州ってことは、陸遜も蒼天にでてくる可能性

はい。関羽の死を描くのであれば、陸遜登場の可能性は高いと思います。

>たとえ2コマでも、曹植好きとしてはたまりません

いましたね〜、曹植。 曹操の脇で、机に座って何かを書いていた感じでした。軍議において書記官みたいな役割をしてたんでしょうか。
ところでこの時、曹丕・曹彰は何してたんでしょうね。


伽瀬さん、初めまして。蒼天考へようこそ。

>恐る恐る投稿してます。

あはは〜、何を恐れることがありましょう! BBS上部にも記載してますが「今週の蒼天へのレスは大歓迎」なんです。

>それでもよく理解できなかったのですが

確かにあの会話は分かりづらいです。夏侯惇は「ぐ〜む」と曹操を見つめ、何を考えていたんでしょう? 夏侯惇の瞳も「無」だったのが気になります。
で、許猪との会話で「いや、まったく変わりはないぞ。」と言ってたのも、ちょっと気にかかるところですね。
気付かなかったとすれば、細かいことに固執しない夏侯惇の豪快な気質を現しているんでしょうか? 無の瞳どうしだったのが関係してるのでしょうか? それとも、気付いていて、わざとああ言ったのでしょうか? だとしたらそれには理由があるんでしょうか? もしくは深い意味はないんでしょうか?(笑)
疑問は尽きません。

>魯粛が活躍してなかったのが少し悲しかったです。関羽を押さえていたのは彼

そうですね〜。立ち読みだったら、気付いてもらえないような登場の仕方でしたよね。
周瑜の帆に書いた遺言状に「瑜の後は、魯粛に!」ってあったのにぃ〜!(笑)
でも、つねさんも書いてますが、「単刀赴会」で活躍してくれることを密かに期待してます。

No.9567 - 2003/11/23(Sun) 21:24:08

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / アベール
夏候惇との会話が噛みあわないのは、曹操に鋭気がないために曹操の脳は「理」よりも「イマジネーション」が先行してるからではないでしょうか。
自分の能力に振り回される、あながち曹植みたいに。

惇にとっては、いつもどうり曹操は意地悪してくるので「いつもと変わりない」ってかんじでは?

「ひとたび戦に立てばなぜか痛みがやわらぐ」
惇も漢中兵を見たとたん目が生き生きしてます。
まあ、要は「友達が死んでブルー」みたいなもんではないでしょうか。

赤壁についてだいぶ分かりましたので書きます。
そもそも曹操は本当に大敗をしたのか?
おそらく答えは、イエス。
24巻「揚州・合肥にて赤壁での戦没者遺族を、保護する旨の布告を発す(正史・武帝紀)」
そして注目すべきは「建安14年春3月、曹操はショウに到着、そこで水軍を訓練した後、秋7月合肥に進軍」
四ヶ月もの間、曹操は水軍の訓錬をしています。
25巻、夏候惇「随分念入りに兵を練っているではないか」
赤壁で生じたであろう、兵たちの「水軍への畏怖」は、兵の士気に必ず支障をきたします。
そこで曹操は、満足いくまで、兵たちに十分自信がつくまで訓練を行ったわけです。
「綻びをつくろい、傷口をおさえ、寒さと痛みに耐えながら鍛えられる」
親のつてではなく、誰かの縁でもない。
「無からたち、自力で乱世と戦ってきた」から失敗しても冷静に対処できるのです。
孫子「正を以って合い、奇を以って勝つ」
あながち、定期テストで間違えたところは次は落とさないみたいな。
しかも、そのあと、ちゃっかり「赤壁での戦没者遺族の保護」をやっています。兵たちは安心し、喜んで戦うでしょう。

ならば、なぜそこまで兵法に通じているのに、それどころか孫子を訂正するほどなのに、大敗したのか?
陳寿にもわからないようです、22巻、巻末特別寄稿、幻想の赤壁「正史本文ではほとんど分からない。先主(劉備)伝では、たった55語」
1巻冒頭「陳寿は曹操を破格の英雄とよんでいる」
「英雄」ではありません「破格の英雄」です。チンギスハンやアレクサンダーよりもすごいやつ。
諸資料の不足もある事とは思いますが、陳寿のいぶかしげな感じがつたわってきます。
ゴンタさんは当時の情景を「曹操が死んだなんて考えられない、まだ生きてることにしよう、そうしよう」て感じにしてますが、案外そんなもんかもしれません。
「やっぱり生きてたじゃないか!だれだ、死んだなんていったやつは!?」
「赤壁でなんで負けたのか分からないけど、難しいことはかんがえなくていいや。曹操は怖いし。」みたいな。

No.9581 - 2003/11/25(Tue) 02:22:48

Re: 今週の蒼天<奇襲部隊を連れ戻せ> / 櫻 [関東]
ごぶさたしました。今週は本屋で立ち読みしちゃいました。あーホントに主要軍師キャラ出ないし・・・。でも惇兄出たから全然オッケー!なんか曹操大丈夫でしょうか?目が・・・目が黒い!やっぱ死期が近いんでしょうか?はあ・・・。
No.9582 - 2003/11/25(Tue) 09:20:19
初めて投稿します / AKI [九州]
初めて投稿します、AKIといいます。
ずっと蒼天航路呼んでます。単行本も全巻集めてしまいました。
近頃ずーっと思ってるんですが、主要キャラがどんどん年を取ったり、死んだりして、ほんとーーに悲しいです。。。
荀?ケが逝ってしまったときは、何回か泣きました。
涙が止まらなかったのを覚えてます。
無理とは分かっていても長く蒼天の中で生きてて欲しいですよねー。
関羽とか夏侯淵とか、、、
漫画なのに現実を思い知らされるような感じがします。

No.9548 - 2003/11/21(Fri) 00:49:39

Re: 初めて投稿します / 文若 [北陸]
はじめまして。
そうですよね〜。
蒼天航路だけではなく歴史系は全部こうだと思います。
歴史というのは悲しいものです。
特に三国志は漫画にもなるくらいなんですから、
劉備や曹操、諸葛亮などが死ぬと悲しくなるんです。
変に書くと勘違いする人も出るので、変えることができないのが
歴史というものです。
まぁ生きててほしいと願うのは誰でもいっしょです。

No.9554 - 2003/11/21(Fri) 14:48:58

Re: 初めまして。 / TATSU@管理人 [関東]
AKIさん、初めまして。蒼天考へようこそ。

>主要キャラがどんどん年を取ったり、死んだりして、ほんとーーに悲しい

ほんとーーに悲しいですよね。特に新章では、曹操が白髪の老人になったのに加え、無の瞳になっちゃって、なんか様子が変ですし...

>何回か泣きました。涙が止まらなかったのを覚えてます。

おお、そこまで感情移入しましたか! 「涙 枯れ果てた」って感じですね。そういうファンがいれば、欣太先生も描き甲斐があると思います。

>関羽とか夏侯淵とか、、、

ですねー。曹操の死で話が終わるとしたら、主要キャラの死としては、夏侯淵と関羽の死が主なところですね。
どんな死に様を見せてくれるのでしょう? 悲しくもありますが、蒼天ではどう描かれるのか。実はちょっと楽しみでもあります。

No.9564 - 2003/11/23(Sun) 21:08:48
どうしても引っかかること / サンゴックン [外国]
どうも、フランス留学中のサンゴックンです。
先日、正史三国志全8巻をようやく揃え、自分の研究そっちのけでて読み始めています。そこで前々から引っかかっていることをつらつら書いてみようと思います。こういうのは疑問考のほうがいいのでしょうか?よく分からないのでこっちに書いてみます。

以前、飲みの席で、クリミア戦争あたりを研究している近代史の先輩と正史三国志の話をしていたときに、史家陳寿は元蜀の人間で、そんな彼が西晋という、いわば「敵国」の国で三国の歴史を書かなければならなかったところに、三国志の記述のあまりの簡素さ、そしてその中に陳寿が苦心し、微妙なニュアンスをつけて祖国蜀とその人物たちへの思いを描いていると、一般に学者たちが評していると、僕が述べたところ、その先輩は(中国史もよく知っている人なので、こういう議論ができるのですが)、本当にそうなのかなぁ、案外ほいほい魏を持ち上げて、書いたんじゃないの?歴史を書くとき、当該の権力のために書いているのだから、果たしてそんなに苦心して祖国への思いを綴るのか?そこに苦心のニュアンスを見出しているのは、現在の研究者たちがそう読みたいからではないのか?と、大体こんな感じの話をしたと思います。

そのとき、う〜ん、確かに、今の研究者たちがそう思いたがっているせいなのかな〜、と当時は思っていましたが(まだ1巻しか手元になかったので)、何か釈然としないものがありました。

というのも、僕も中国史が専門でありませんからよくは知りませんが、ただ、中国において、歴史を書くということは、ある種自分の命をかけた行為だったはずではなかったかと思うのです。中国は、自分の王朝を正当化するために、代々、先代の王朝の歴史を綴ることに執心しますよね。それが「正史」ってやつですよね。ですから、史家が権力におもねって書く可能性はないわけではないのです。ですが、司馬遷の『史記』などに代表される中国の歴史叙述において、歴史を書く人間には、そこに己の思想をこめて書いていたと思うのです。川勝義雄『中国人の歴史意識』(平凡社、1986年、rep.平凡社ライブラリー、1993年)の中で、司馬遷がなぜ史記を著したのかという箇所において、司馬遷は、この世は悪逆非道を行った者が栄え、清廉潔白な人間が不幸にして死ぬ、真に不条理な世界である。これを彼は、「天道是か非か」とと言う根本的な問いの形で発し、この不条理な世の中で、散って行ったそうした「敗者」たちを自分は「史」と言う形で綴り、救うのだ、そうしてあの『史記』が生まれたのだと、川勝氏は述べていたと思います(今手元にないんでしっかり記憶してませんが…)。で、やっぱり思うのは、陳寿も命かけたたかどうか分かりませんが、それでも、苦心して祖国蜀への思いを(例えばやはり蜀が正統王朝であるとか)込めて書いていたのではないのでしょうかということです。研究者たちが言うように、彼は様々な表現を使って、魏、呉、蜀の皇帝を記していたり、やたら簡潔に記す(特に蜀では甚だしいと言われている)のは、そこに彼なりの思想と、史家としての客観性、そして彼が庇護されている現権力(西晋)とのぎりぎりのせめぎあいから生まれた独特の歴史叙述のスタイルではなかったかと思うのです。僕は他の歴代中国王朝の正史を読んだことがないですから、別にこの考えが正しいとも思いませんが、一応魏書、蜀書、呉書を通覧してそんな気がするんですよね。

皆さんはどう思いますか?

長くてすいません。ほんと雑感です。

No.9500 - 2003/11/15(Sat) 22:07:43

?T.中国人にとっての歴史 / 陳寿 [関東]
 昔の中国人にとって、「歴史の事実を後世に残す」仕事は、この上なく神聖な義務でした。以下は春秋時代(紀元前722年〜481年)の歴史を綴った『春秋左氏伝』に見られるエピソード。


 春秋時代、斉の国の大夫・崔杼(さいちょ)は、主君である荘公と仲違いし、これを殺害してしまいました。このとき、斉の太史(宮廷に仕える歴史家)は「崔杼が主君を殺した」と記録します。怒った崔杼は、太史を殺し、記録を破棄しました。

 太史が死ぬと、今度は太史の弟が後を継ぎ、再び「崔杼が主君を殺した」と記録します。彼もまた、兄と同じように殺されます。しかし弟の弟が後を継ぎ、やはり同じことを記録すると、さすがの崔杼も感じ入り、記録を破棄することをあきらめました。このとき、太史一族がすべて殺されたと聞いて、地方在住の史官が竹簡(竹の札、紙が発明されるまではこれに字を書きました)を持って、都に駆けつけます。が、記録がすでにすんだと知って、故郷に帰っていきます。

 己の命を顧みず、権力に屈せず、ただ「真実」を後世に伝える。古来より、中国ではこの無名の太史一族を歴史家の理想としてきました。

No.9504 - 2003/11/16(Sun) 00:13:28

?U.史記と三国志の違い、そして正史から演義へ / 陳寿 [関東]
 前漢時代に書かれた司馬遷の『史記』は、単なる事件の記述ではなく、個々の人間を生き生きと描く「紀伝体」という新しい史書のスタイルを確立し、後世の歴史家たちに大きな影響を与えました。むろん、正史『三国志』を書いた陳寿もその一人です。

 ですが『史記』と『三国志』との間には、決定的な違いがあります。『三国志』が正史、すなわち国が命じて作らせた公式の歴史書であるのに対し、『史記』は司馬遷個人が書いたものであり、国の公式な史書ではないのです。

 当然、司馬遷は誰に遠慮することもなく(そもそも他人に見せることを目的としていないのだから)、『史記』の中で自分の主君である武帝の治世を厳しく批判しています。一方、陳寿はいわゆる「公務員」であり、自分が仕える王朝(晋)への配慮を忘れることはできません。

 晋は魏からの禅譲を受けて、成立した王朝です。そこで陳寿は魏を正当な王朝と見なし、曹操をはじめとする魏の歴代君主のことは、皇帝の伝記である「本紀」に書き、蜀・呉の君主や三国の武将たちのことは、臣下の伝記である「列伝」に書きました。たとえば、劉備の伝記は「先主伝」であり、これは「張遼伝」などと同じランクになります。つまり陳寿は、劉備を正当な皇帝として認めていないのです。

 ただ、全般的に言えることは、魏・呉・蜀の三国に対し、陳寿は出来うる限り、公平な態度で接しています。彼の書いた正史『三国志』は、事実を簡潔に記録し、中国歴代正史の中でも良史として高く評価されているのです。

 その一方で、陳寿が書いた正史の記述を「簡潔すぎて物足りない」と思う人もいました。陳寿より後の時代、南朝宋の時代の歴史家・裴松之もその一人で、彼は陳寿が採用しなかった三国時代の面白いエピソードや、正史にない異説をかき集め、注釈書を作りました。これが俗に言う『裴註』です。この『裴註』をもとに、やがて多くの説話や講談が生まれ、のちに小説『三国志演義』が誕生するきっかけとなりました。

No.9505 - 2003/11/16(Sun) 00:16:26

?V.なぜ、「蜀書」の記事が簡潔なのか / 陳寿 [関東]
 ずばりお答えします。それは蜀という国が欠陥王朝だったからです(笑)。まず、蜀という王朝は「歴史の事実を後世に伝える」という認識に欠けていました。

 たとえば、蜀の征西将軍・陳到という人物は、長年劉備に忠誠を尽くし、「趙雲に次ぐ」とまで評価された人物なのに、彼の記録は朝廷に残っておらず、おかげで陳寿も正史に陳到の伝記を載せることができませんでした。関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超といった「演義の五虎大将」ですら、正史における記述は簡潔で、熱烈な三国志ファンは物足りない内容になっています。しかし、陳寿にしてみれば「史料がないんだから、しょうがねぇだろ」といったところでしょう。なにせ、初代皇帝である劉備の父や祖父の字(あざな)ですら、記録に残っていないのです。

 つまり、蜀の朝廷には記録官さえおかれず、国史を作ろうなんて気はさらさらなかったのです。

 陳寿も「蜀書」を書くとき、史料の不足に悩まされたと思います。もっとも、北伐で忙しい孔明に、国史を編纂する余裕なんてなかったでしょうけど。

No.9506 - 2003/11/16(Sun) 00:25:54

Re: どうしても引っかかること / 初初
サンゴックンさん、陳寿さん初めまして、よろしくお願いします。
陳寿さんもいわれてますが正史とは、正しい歴史書ではなく
国が公認した、正当の歴史書だそうです。国に都合のいいうそとかも、書いてあるようです。

何の本かわすれましたが、当時の晋の知識人達は、陳寿が三国志を書いてはじめて、魏以外に蜀と呉という国があって、かってに皇帝を名乗ってる事をしったそうです。
 陳寿は、当時の人達に魏以外にも国があることをもっと知ってもらい、それが成功したとおもいます。

No.9507 - 2003/11/16(Sun) 00:55:39

Re: どうしても引っかかること / 左平(仮名)
> 昔の中国人にとって、「歴史の事実を後世に残す」仕事は、この上なく神聖な義務でした。以下は春秋時代(紀元前722年〜481年)の歴史を綴った『春秋左氏伝』に見られるエピソード。

陳寿さんのおっしゃるのは「崔杼其君弑」ですね。
同じ春秋時代に、もう一つ、注目に値する事例があるので、書いておきますね。こちらは、当時の覇権国・晋での話です。

覇者として知られる文公(重耳)の孫・霊公は、父の襄公が亡くなった時点ではまだ幼かった為、当初は位には就けないはずでした。しかし、母の泣き落としのおかげで、当時の宰相・趙盾(ちょうとん。趙宣子)によって擁立されます。
(趙盾の急な方針転換の結果、この時、士会【范武子】などが隣国の秦に亡命します。その後しばらく、晋はその士会に苦戦するというおまけつき)
結果として幼い君主をたてた趙盾自身は、君主を軽く見るという事はなかった様ですが、事が事であったせいか、霊公は、趙盾を恐れはばかり、やがて彼を嫌う様になっていきます。
人に石を投げつける程度ならともかく、ささいな事で料理人をCENSOREDなど、問題行動も多く、趙盾や士会の諌言も聞きません。
ついに、趙盾を暗殺しようとさえします。これは失敗し、趙盾は亡命しようとするのですが…
ここで、急展開。霊公の仕打ちに腹を立てた趙盾の一族・趙穿が、何と霊公を殺害したのです。
霊公薨去の報を聞いた趙盾は国境を越えぬまま帰朝しました。すると…

「趙盾其君夷皐(夷皐は晋霊公の諱)弑」と記録されているではありませんか!
趙盾は、これを書いた史官・董狐に詰め寄ります。当然でしょう。霊公を殺したのは、明らかに趙穿であって趙盾ではないのですから(もちろん、趙盾が趙穿にそうせよと命じたわけでもありません)。
しかし、董狐はこれを書き換える事はありませんでした。
「(君が殺害された当時)あなたは正卿【≒宰相】であった。にもかかわらず、あなたは君を弑した者を処罰しないではありませんか。あなたに責任がないと、どうして言えましょうか」
というのが、史官としての董狐の意見でした。結局、趙盾もこの記述を認め、史書にこの記事が残りました。

先の「崔杼其君弑」は、紛れもなく事実を記述しているのですが、こちらは、これから書く様に、やや意味合いが異なります。
歴史上においては、ともに史官のあるべき姿として賞賛されています。蒼天よりはるか後、南宋の丞相・文天祥の『正気の歌』に「斉にありては太史の簡 晋にありては董狐の筆」と書かれている様に(ちなみに、この中にはあの厳顔も登場します)。


さて、この場合の『真実』というのは、ちょっと注意してみる必要があるんです。というのは、『事実=真実』とは限らないから。

先の、「崔杼其君弑」の場合は、事情はこうです。
なぜ、崔杼は(自分が擁立した)荘公を殺害したか。それは、公が彼の妻を犯したからです。
「人の妻に手を出すという破廉恥な行為をしでかした者を殺した事が『弑』になるのか?」
崔杼が史官の兄弟三人を殺したのは、単に事実を書かれたからというだけではないというところがあるのです。『弑』では、臣下が君主を殺したという意味しか残りませんから。
しかし、史官としては、『弑』と書かねばなりません。いかなる事実があろうとも、君は君であり臣下は臣下であるのだから。

この、事実と真実の差が生じる理由に、「正統」という概念の存在があります。
これは、国家というものの存在理由を説明するのにも使えます。

国家は国民と「社会契約」を結んでいる。高校生以上の年齢の方であれば、公民の授業でこういう思想を習ったかと思います。
こういう契約は、実際には存在しません。しかし、現在の民主主義国家を語る上では、このフィクション(虚構ではなく、擬制という訳をあてるべきもの)を抜きにはできないのもまた事実です。
君主の尊厳というのも、またそういうフィクションによって成り立っているというわけです。

話が長くなりましたが、陳寿が『三国志』を書くにあたっても、そういった正統性は無視できないものでした。
「天に二日なく、地に二王なし」という建前がある以上、同時に複数の皇帝がいたとは書けない、しかも、今までにそういったサンプルがない…。
我々が思う以上に、様々な苦労があったでしょうね。

No.9508 - 2003/11/16(Sun) 02:07:42

左平さんへ / 陳寿 [関東]
 まあ、面子(めんつ)に執着する昔の中国人にとって、後世における自分の評価というものは、やはり気になるのでしょうね。崔杼にしてみれば、非は自分の妻に手を出した主君のほうにあるのに、「崔杼其君弑(崔杼、その君を弑す)」の一言で片付けられ、主君殺しの汚名を後世に残すのは厭だったでしょうし。

 陳寿の正史『三国志』が良史と呼ばれる所以は、魏を正当としながらも、出来る限り蜀・呉の君臣に対しても公平な史眼で伝記を書いているからなんですよね。面子にこだわりながらも、「斉にありては太史の簡 晋にありては董狐の筆」の心意気も失ってはいない、私はそんな陳寿が好きです。

 ちなみに司馬懿の伝記が書かれている『晋書』なんて、内容空疎で出鱈目ばかり、二十四史のうち最悪の出来だと酷評されていたりする(笑)。哀れ、司馬懿。

No.9510 - 2003/11/16(Sun) 04:35:40

Re: どうしても引っかかること / TATSU@管理人 [関東]
なかなか難しいですが、興味深い書込みが続いてますね。

サンゴックンさんの文章はどの部分が疑問なのか、やや分かりづらいのですが、管理人が理解した疑問点としては、

1.陳寿も命かけたたかどうか分かりませんが、それでも、苦心して祖国蜀への思いを(例えばやはり蜀が正統王朝であるとか)込めて書いていたのではないのでしょうか
2.研究者たちが言うように、彼は様々な表現を使って、魏、呉、蜀の皇帝を記していたり、やたら簡潔に記す(特に蜀では甚だしいと言われている)のは、そこに彼なりの思想と、史家としての客観性、そして彼が庇護されている現権力(西晋)とのぎりぎりのせめぎあいから生まれた独特の歴史叙述のスタイルではなかったか

と、いうふうに分けさせて頂きました。

1について言えば、おっしゃる通り、陳寿は客観的な記載をしていたとはいえ、蜀への想いはあったのだと思います(蜀が正統だ。とまで考えていたかは分かりませんが)。それが劉備のことを「備」と記載せず、「先主」と呼称したところに顕著に現れていると思います。
ですから先輩の、「案外ほいほい魏を持ち上げて、書いたんじゃないの?」は、違うような気がします。

2について言えば、皇帝の呼び名は上記の通りですが、「やたら簡潔に記す(特に蜀では甚だしいと言われている)」 のは、陳寿さんがおっしゃてる 『 蜀の朝廷には記録官さえおかれていなかった=蜀という王朝は "歴史の事実を後世に伝える" という認識に欠けていた 』 ことに起因していると思います。
つまり、それについて言えば、簡素なのは、陳寿の思惑によるものでは無いと思います。


これ書いてて思ったんですが、HNが陳寿だと、陳寿のことを書く時、紛らわしいですね(笑)陳寿さん、他のHNに変えませんか?

No.9519 - 2003/11/16(Sun) 17:59:28

Re: どうしても引っかかること / 閻行 [関東]
私の記憶が間違っていたら申し訳ないのですが、「正史三國志」とはいうものの、陳寿が命令されて書いた物ではなく、陳寿が個人的に記述した物を朝廷が「正史である」と認定した物であったと認識しているのですが。違ってましたっけ?

「三國志」という名前ももとからそうであったのではなく、『魏書』『蜀書』『呉書』と独立の名前で呼ばれていた物を後世の人々がまとめてそう呼ぶようになったようです。

私はどちらかというと魏派だったんですが、『蜀書』を呼んで蜀派よりになりましたよ。

ひとつはやはり蜀に史書がない分、風評や在野の文書などから採った情報が基になっているからではないでしょうか?
『魏書』には能吏の記録も多く、情報も緻密である分だけ真実も語られているわけですが、逆にお上の意向も気にしなくてはならないのでちょっと堅苦しさが残ります。
『呉書』はどことなくやる気のなさを感じます。陳寿も綿密に調べてはいるものの、元資料を丸写しっぽい感じの部分も多く見られます。

後に諸葛亮が絶対視され、関羽などが神格化されるのに、『蜀書』の庶民受けしやすい内容(と私は思う)というのはかなり影響していると思います。

No.9523 - 2003/11/16(Sun) 18:49:54

Re: どうしても引っかかること / サンゴックン [外国]
この短時間でこれほどの書き込みがあるとは!活気のあるサイトですね。改めて感服いたします。

いろいろな方がお答えしてくれて感謝です。

> サンゴックンさんの文章はどの部分が疑問なのか、やや分かりづらいのですが

段落分けの問題でしょうね。

> 1.陳寿も命かけたたかどうか分かりませんが、それでも、苦心して祖国蜀への思いを(例えばやはり蜀が正統王朝であるとか)込めて書いていたのではないのでしょうか
> 2.研究者たちが言うように、彼は様々な表現を使って、魏、呉、蜀の皇帝を記していたり、やたら簡潔に記す(特に蜀では甚だしいと言われている)のは、そこに彼なりの思想と、史家としての客観性、そして彼が庇護されている現権力(西晋)とのぎりぎりのせめぎあいから生まれた独特の歴史叙述のスタイルではなかったか

> に分けたほうが、いいような気がします。

僕は陳寿の歴史叙述に対する姿勢を問題にしたので、2つに分けることはあまり意味がないと考えています。

で、幾つかの回答に対するコメントと、回答によって新たに生じた疑問点を。

まず、僕の疑問に対する回答として、

陳寿さんは、
>ずばりお答えします。それは蜀という国が欠陥王朝だったからです(笑)。まず、蜀という王朝は「歴史の事実を後世に伝える」という認識に話が長くなりましたが、陳寿が『三国志』を書くにあたっても、そういった正統性は無視できないものでした。

左平さんは、
>「天に二日なく、地に二王なし」という建前がある以上、同時に複数の皇帝がいたとは書けない、しかも、今までにそういったサンプルがない…。
我々が思う以上に、様々な苦労があったでしょうね欠けていました。

管理人さんは、
> 1について言えば、おっしゃる通り、陳寿は客観的な記載をしていたとはいえ、蜀への想いはあったのだと思います(蜀が正統だ。とまで考えていたかは分かりませんが)。それが劉備のことを「備」と記載せず、「先主」と呼称したところに顕著に現れていると思います。
> ですから先輩の、「案外ほいほい魏を持ち上げて、書いたんじゃないの?」は、違うような気がします。
>
> 2について言えば、皇帝の呼び名は上記の通りですが、「やたら簡潔に記す(特に蜀では甚だしいと言われている)」 のは、陳寿さんがおっしゃてる 『 蜀の朝廷には記録官さえおかれていなかった=蜀という王朝は "歴史の事実を後世に伝える" という認識に欠けていた 』 ことに起因していると思います。

> つまり、それについて言えば、簡素なのは、陳寿の思惑によるものでは無いと思います。


と、お答えになっています。

で、僕の問い、陳寿は、蜀という亡き祖国を思いつつ、三国時代に対する彼なりの思想、史家としての客観性と、「敵国たる」現権力の庇護下で書かざるを得ないというぎりぎりのせめぎあいからあのような簡潔な叙述スタイルになったのではないか、ということだったのですが…

さらに分からなくなりましたね。答えから遠のいてしまったような…

更なる疑問点を述べさせていただきます。

まず、陳寿さんの言う「蜀は欠陥王朝だから簡潔〜」は、どうも、僕が書いた「簡潔」とややずれているような気がします。「やたら簡潔に記す」と僕が書いたのは、何も蜀に限定したわけではなく、三国志全巻を通じて、陳寿はそういうスタイルをとっているということと、ただ、なかでも蜀書が著しいと言われていると指摘したまでです。

で、確かに陳寿さんがおっしゃるとおり、蜀の記述がやたら簡潔なのは単に史料が無かったからだ、というのは、なるほどそうなのかも、とは思いました。記録官がいなかった、というのは結構厳しいですよね。

そこで、さらに疑問が湧いたのが、魏・呉・蜀では、記録官はいつごろから設置され、史料収集を行っていたのか?(蜀はいなかったから、その場合、なぜ記録官を置かなかったのか、あるいは置けなかったのか、になるでしょうね。)

また、陳寿が蜀書を書くに当たって駆使できた史料の種類と数、およびそれらの内容は現在判明しているのか?

さらに、単に文字の記録が無いことが、「史料が無い」と当時の史家が果たして考えたのか?つまり、オーラルな記録(記憶)は、史料ではないという考えが3〜5世紀の人間たちにあったのか?例えば、蜀で言うなら、ある人物について、陳寿の時代にまだ存命中の関係者の証言は、史料として採用されないものだったのか?

とりあえずこの3点の検証で、「陳寿の簡潔な叙述スタイル」が、単に史料不足から来たものなのか、それとも、陳寿なりの考えがあって採用したスタイルだったのかがある程度見えてくるのではないかと思います。(単につっこんで調べて書くのが面倒くさかったから、と言う仮説は無しにしておきます)(笑)

で、ここからはより大きな疑問なのですが、「紀伝体」という司馬遷が編み出した歴史叙述のスタイルが持つ意義、効果を以後の史家たちはどのように押さえていたのでしょうね。この叙述スタイルを編み出したことは、以後、彼ら(中国という地に生きていった人々)の歴史に対する考え方、姿勢に重大な影響を及ぼしていったと思うのですが。どうでしょう?(だんだん「蒼天」サイトであることから外れていって申し訳ありません…)

あと、これはおまけ的疑問ですが、陳寿さんの言う「欠陥王朝」というのは、どういった点を指して「欠陥」と言っているのですか?反対にどういったものが「欠陥」ではない王朝となるのですか?

それと、陳寿さんのレスの中で、「陳寿は公務員〜、司馬遷は他人に読ませる気が無かったから〜」という箇所がありますよね。そこで気になったのですが、他人に読まれることを念頭にして書かない「歴史」というものがあると思いますか?

以上、皆さんの回答に対する僕の感想でした。

No.9524 - 2003/11/16(Sun) 19:40:49

お答えします / 陳寿 [関東]
1.陳寿の簡潔な叙述スタイル

「文は人なり」という言葉がありますが、もちろん正史・三国志の文章が簡潔なのは、陳寿の書く文体がもともとそういうものだからでしょう。それに加えて、蜀書の情報量が少ないのは、私が上で説明した通り、蜀の朝廷があまりそうした記録を残すことに熱心じゃなかったからだと考えられます。

2.蜀は欠陥王朝

 朝廷に記録官がいない時点で、欠陥王朝です(笑)。

 中国では、仮に「帝国」を名乗る王朝なら、ふつう宮廷内に自国の記録を残す記録官を置くものです。それぐらい、中国という国は歴史や先祖を重んじているのです。にもかかわらず、劉備の祖父・父に関しては字(あざな)すら伝わっておらず、蜀が滅亡したときに自害した劉備の孫・劉?ェでさえ、字は記録されていない。皇帝の一族ですらこの有様。
要するに、蜀という国は正式な帝国の体裁を整える前に滅亡してしまったのです。

3.司馬遷の『史記』

 もちろん、司馬遷とて「他人に読んでもらう」ことを意識して『史記』を書いたと思います。ただし、国から命じられた正史でない以上、同時代人に読んでもらうためではなく、後世の読者のために史書を執筆したと考えるのが自然でしょう。事実、司馬遷は『史記』を完成させてから間もなく亡くなり、この本が普及したのは彼の死後のことですから。

 陳寿の場合、彼のパトロンは晋の重臣・張華であり、当然、書き上げた著書は彼に見せなければなりません。立場上、晋王朝に都合の悪いことは書けないでしょうし、同時代人の読者の目も気になるところ。そのへんが司馬遷と陳寿の違いでしょうね。

 

 

No.9527 - 2003/11/16(Sun) 22:49:44

そして乱世では / 陳寿 [関東]
 虚飾よりも、もっと他に優先すべき事柄がたくさんあったのでしょう。多くの詩人たちが活躍し、華やかな文学サロンが生まれた魏に対し、そういう方面まで手がまわらなかった蜀に、弱小国の悲哀を感じます。
No.9528 - 2003/11/16(Sun) 22:58:06

閻行さんへ / 陳寿 [関東]
 閻行さんの質問に答えるの忘れてました(笑)。「正史」の定義ですが、皇帝の命令によって書かれるか、もしくは皇帝の許可を受けて書かれた歴史書のことです。陳寿のパトロンは晋の重臣・張華であり、陳寿自身は晋の歴史編纂官でしたから、『三国志』は晋の朝廷が編纂した公式の歴史書と考えていいと思います。

 司馬遷の『史記』は、皇帝に命令されて書き始めたものではないので、厳密に言えば「正史」ではないのですけど、いちおう「二十四史(『史記』から『明史』までの二十四の正史)」に数えられています。 

No.9530 - 2003/11/17(Mon) 00:35:54

Re: どうしても引っかかること / 初初
ちょっと話題がずれますが、「三国志きらめく群像」の本に陳寿は、蜀が滅んだとき31才、魏が滅んだとき33才、呉が滅んだとき48才と書いてありますが、陳寿が31才まで、蜀にいたときに(仕官していたかは、しりませんが)もし仕官していたのなら、史官のような仕事をしていたのでしょうか?
No.9541 - 2003/11/19(Wed) 23:43:53

初初さんへ / 陳寿 [関東]
 蜀にいたころの陳寿は当時の大学者・ショウ周に師事し、蜀の帝室図書館員をしていました。のちに『三国志』を書くわけですから、史官のような仕事も兼ねていたのかもしれません。

 ちなみに当時、蜀を牛耳っていた宦官の黄皓に頭を下げなかったため、何度も左遷されたというエピソードが残っています。

 陳寿については、そのうち詳しく紹介したいと思います。一言で言うと「ついてない奴」です(笑)。

No.9542 - 2003/11/20(Thu) 04:15:12

Re: どうしても引っかかること / サンゴックン [外国]
忙しさのあまりすっかりご無沙汰してましたが、いろいろお答えになられているようなので、書き込みさせていただきます。ですが、やはり僕の文章の拙さのせいで、うまくこちらの意図が伝えられていないようなので、なぜ、こうしたことを疑問に思ったのか、少しその動機のようなものを述べさせていただきます。

もともと、先輩と飲みの席での例の議論は、歴史叙述の問題についてあーだこーだ話をしていた流れで出てきたものでした。下手に10年近くも歴史学と付き合っていると、いい加減歴史を書くことの問題の深刻さに、たとえナマクラ学生でも気がついてしまうものです。加えて近年、特に90年代に入ると日本においても盛んにこの問題が議論されるようになってきているし、さらには最近の歴史教科諸問題なども加わり、ますます歴史を研究する者の責任を深く考えさせらるようになってきたせいもあります。

こうした事情もあり、また、職業柄(といってもまだ職にはついてはいませんが)、例え専門に関係なく、邦訳の史料であってもつい、普通の読書では持ち得ない緊張感を持って接してしまう癖がついてしまっています。そのような姿勢で『正史 三国志』を読んでいたせいで、今回のようなお題を皆さんに振ってしまいました。

そのため、この「癖読み」で読んでいくと、この作者の陳寿が僕らにとっては非常に面白い人物に見えてくるんですね。もし僕が東洋史の学部生で、卒論三国志絡みでやってみたいなー、なんて思っていたら、迷わず彼をテーマにしてやっていた可能性があります。

史料を読む際、その史料の詳しい成立状況、誰が、どういう人間で、どういう事情から、そして何故、このテクストを書いたのか、書かざるを得なかったのか、というものをまず突き止めることから始めなければならないのは歴史学の基礎中の基礎ですが、『三国志』に関しては、僕の手元には文庫の「解説」ぐらいしかないので、一応これを頼りに読んでいって、上述の先輩とのやり取りへと相成ったわけです。

で、あの当時はまだ1巻しか持ってなかったのですが、今は全巻を揃え、結局解説はもとより、史料すべて読んでしまったので、さらに思うところがいろいろ現れ、ますます、陳寿という人物、紀伝体という歴史叙述のスタイルなどに興味をもったために(無論、別に彼の個人データについて詳しく知りたい、とかいったレベルでの関心ではありません)、今回しつこく書き込みをしてしまいました。

ここまで申し上げれば十分ご承知のことと思われますが、一応念のために付け加えておくと、僕は蜀に思い入れがあって、あのようなお題を立てたわけではありません。ですから、僕がまず「蜀書」を一番最初に読破した理由は、単に戦勝国の中にあって、敗戦国の人間がその国の正当性を示すための歴史を書く時、最も書きにくいのが敗戦国である己の祖国ではなかったか、そして彼は何を思い、どうやってそれを綴っていったのか、という「問い」が前提にあったからに過ぎません。

そのため、ここは蒼天航路のサイトなので、あまり三国志の突っ込んだことについて書いてはいけないのかな、と思いつつ、でも僕の疑問に答えてくれるような人もいるのではないかと思って書き込んでしまいました。僕が三国志専門のサイトを詳しく知っていれば問題なかったのでしょうが、僕が知っているサイトはあまり僕にはしっくり来ないものが多かったので、こちらで書かせてもらった次第です。蛇足ながらそもそも僕が蒼天航路に惹かれた大きな理由の一つが、この作品ほど作者の歴史に対する鋭敏な意識と深い読みが感じられたものはない、と感じたからでした。中でも董卓と蔡邕の歴史認識を巡るシーンにはかなりショックを受けました。そういうこともあって、蒼天航路ファンには絵のうまさや曹操を軸に持ってくるという視点の新しさと加えて、かなりコアな歴史好きもいるだろうと期待して、こちらのサイトで少し小難しい質問を書かせて頂いた訳です。

結局、今回多くの方から丁寧な回答があって大変うれしく思いました。ありがとうございます。ですが、やはり陳寿さんの回答を読ませて頂くと、なお引っかかることがあるので、まだ少し質問したいと思っているのですが、またあまりに長くなるので別に項目を立てて疑問考のコーナーで質問させて頂きます。興味のある方は是非何か書き込んでください。

No.9561 - 2003/11/23(Sun) 04:20:32
お初にお目にかかります / johan [四国]
ほぼ毎日みさせて頂いてますが投稿するのは初めてなので皆様以後よろしくおねがいします(礼)
昨日やっと蒼天航路を全巻集めることができました♪それで読み返していて思ったんですけど、キャラクターによってたまに礼の形が違いますよね(手とか)?あれは好みの問題なのでしょうか?それとも土地柄?う〜ん・・・謎です

No.9539 - 2003/11/19(Wed) 14:16:07

Re: お初にお目にかかります / TATSU@管理人 [関東]
johanさん、初めまして。蒼天考へようこそ。ほぼ毎日来てくださってるなんて嬉しいです〜。

>昨日やっと蒼天航路を全巻

おめでとうございます〜。単行本にして29冊。一気に揃えるのは辛いもんがありますよね。

>礼の形が違いますよね(手とか)

それは拱手(きょうしゅ)のことでしょうか?
でしたら以前話題になりましたので、BBS上部の「記事検索」をクリックして「過去ログを検索」にチェック入れて、『 蒼天で礼をするとき 』 と入力して検索かけてみて下さい。

No.9545 - 2003/11/20(Thu) 23:37:46

Re: お初にお目にかかります / johan [四国]
返答ありがとうございます!!(礼)

漫画を集めるのに奮闘したのはジョジョ以来です。やっぱり漫画を集めるのは気持ちいいですね♪

あれは拱手というのですか。やはり前にでていたんですね(汗)いや〜ほんと参考になります♪これからもよろしくお願いします(礼)

No.9551 - 2003/11/21(Fri) 12:23:56
もしもボックス。 / tsukago。
いつも拝見させて頂きます。
プロ野球で今日ドラフト会議がありました。虎はいい補強をしました・・・失礼。
みなさんは自分が君主だとして、誰をドラフト1位指名しますか?
僕は・・(長考)・・趙雲ですかね。なんか内外野守れるユーティリティプレーヤーぽいですし、いや野球をするわけではないです(笑)

No.9540 - 2003/11/19(Wed) 23:00:29

Re: もしもボックス。 / TATSU@管理人 [関東]
最近こういうお題が多いですね。 ドラフトか...それは武将として、でしょうか? 野球選手として、でしょうか? 
武将としてなら張飛。野球選手としてなら呂布ってとこスかね。

No.9546 - 2003/11/20(Thu) 23:38:42
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