| ごめんなさい!! 「当面は質より速さ」などと言っておきながら、こんなに遅れてしまいましたーッ! ちょっと現在、仕事のペースが掴めないでおります。もう少し経てば余裕が出るかもしれないので、ご容赦下さい。
皆様! 今頃UPしてもモーニング読んだ時の感想が呼び起こせないかもしれませんが、是非是非、思い出して書き込んで下さいませ〜。レス、お待ちしております!!!
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No.10466 - 2004/04/11(Sun) 16:02:30
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / TATSU@管理人 [関東] | | | | 【STORY】
書状を手にしたまま硬直する司馬懿。「読みあげろ。」と背後から告げる曹操。
孫権は書状にて、曹操を“親父”と呼んだ後、『 この先も永々と生きるつもりなら、自分が天子の座につかせてやる。慎んでこの孫権の降伏を受け入れよ。』と告げていた。 天を見上げ、鼻息も荒く微笑む曹操。一方、書状を手にしたまま司馬懿は震えていた。背後の曹操を振り向いて告げる司馬懿、 「これは降伏という言葉を使いながらも、その態度は極めて不遜。論も不条理。しかしながら、」 そう告げる司馬懿は内心、“気宇はまぎれもなく天下人のもの。”と考えていた。額に汗を浮かべながら、司馬懿は曹操に尋ねていた。 「魏王(との)。なぜ、あなたは、玉座につこうとなさらぬのですか?」
貴様もそれを聞くのか!というような表情で司馬懿を睨む曹操。次ぎに曹操は天を見上げ朗々と語り始めた。 「万民から愛おしまれる存在に祭り上げられながら、社稷を祭る祭祀をすっぽかしては四海をうろつき、 野に草をかじり、市にて豚を捌(さば)く。 名もなき人に交じっては酒を酌み、箸で皿を打ち音曲を奏で、気の赴くままいたる所に現れては、ただ心情のままに言葉を放つ。」曹操は暫し天を見つめて微笑んだ。 「そんな天子を戴いてみろ。天下万民は不安のどん底だ。」 司馬懿を静かに見つめる曹操、「それとも司馬懿。」 ふいの問いかけに思わず緊張する司馬懿。曹操は高らかに問いを発した。「俺が人間であることを、誰かがやめさせると言うのか!?」
−天子とは、人のかたちをした天。− 人間・曹操の問いに、司馬懿は天を見上げ独白していた。 そこへ、許猪が目に大粒の涙を浮かべ、曹操のほうへ歩み寄ってきた。許猪の口から出たのは李典の名であった。
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「曹操が王なら、あなたも王。でしょ?」 成都で諸葛亮がそう告げていた。 でしょ?と言っても、王は天子が認めなければなれないもんだろ。と、城壁に座る劉備は振り向いて口を捻じ曲げた。 「なりますか?2年もあればなれますよ。」羽扇を掲げて飄々と答える諸葛亮。思わず、ほんと?と聞き返す劉備に、孔明は笑いながら羽扇を突き出した。 「ほら 感じませんか? もう曹操の風を待つのではなく。今度はあなたが吹かす番。」 それを聞いた劉備は、羽扇の指し示した方向を見ながら微笑んだ。 「王な。でけえ嵐をおこしてその上へ。ってのはどうだ?」
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合肥。 曹操は、立ち並ぶ5つの墓碑の前で、書簡を手にしていた。背後から沢山の書簡を抱えた温恢が、“どのお方も皆、いまわの際まで 競うように筆をとっておられました。”と、涙ぐみながら告げていた。 建安の文学者5名は疫病により没していた。曹操は手にした書簡を広げた。いまわの際に書き殴られた文字は、判読に難かった。墓前の前で独白する曹操。 −文言と弁舌の俊才たちよ。望んだ詩想は得られたか? もう 新たな詩賦を味わえぬが、おまえたちの大業は、すでに次代の扉を開いている。−
次ぎに曹操は、喪服を着て別の墓前に座る司馬懿のもとへ歩いていった。 それは、袞州刺史・司馬朗の墓であった。兄の墓の前に座る司馬懿の背後から、曹操は静かに告げた。 「司馬懿。しばらく軍を離れ、内政に専念しろ。」 振りかえる司馬懿に、続けて告げる曹操。 「孫権に触発され、天下を語る言葉を持ち始めた所だろ。中央で国家百年の計に取り組むいい時期ではないか。」 更に曹操は、背後の温恢に、李典の亡骸(なきがら)も、武官の陵墓では無く、眼前の陵墓に埋葬するよう命じていた。それは、討ち死にを嫌い、朝服で死ぬことを願っていた李典への手向(たむ)けであった。
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「入れろ! ひと目 顔を見るだけだ!!」 曹操は扉を叩いて叫んでいた。 その曹操の眼前に立ちふさがり、扉を抑えこむ侍医。“すでに死者千人を超えるこの疫病が、いかに尋常ならざるものかは、重々おわかりのはず”と侍医は必死に叫んでいた。 中に入っても感染するとは限らん、と叫ぶ曹操に、あなた様は魏王、国家一のお体!!と侍医は決死の覚悟で両手を広げていた。
「およそ、お見せする姿ではござらん。」 ふいに部屋から声がした。曹操は身を乗り出して叫んだ。 「話せるのか、楽進!!」 少々。と言葉少なに答える楽進に、無理に話してはいけない、えぐられた臓腑もまだ治っておらんのですぞ。と侍医は部屋の中に向かって叫んでいた。
曹操の背後には、南征に参加した将軍達が並んでおり、中央の夏侯惇が曹操に告げていた。 「この楽進の戦いは、あなたとて援護のできぬ戦い。」 わかっておる!!と叫ぶ曹操に、部屋の中から再び声がした。 「魏王(との)。何時(いつ)か 戦地にて。」 「待つ!」と叫んだ曹操は、「もうしゃべるな、楽進!」と制止し、振りかえった。 背後の将たちのもとへ歩いてゆく曹操。 やがて魏王並びに麾下の将軍達は、楽進の病室に向かって立ち並び、一斉に拱手していた。
翌 建安23年、楽進 逝去。
【REVIEW】
●一気に濡須編は終局を迎えました。 孫権からの書状は「天子にしてやるから、俺の降伏を慎んで受け入れろ。」という凄まじいものでした。まさしく司馬懿の言う通り、不遜にして不条理。厚顔にして道理の合わないような書状でした。 “わしが天子の座につかせてやる”ってのはどーいう意味だったのでしょう? まさか孫権が献帝に向かって禅譲を迫る訳にもいかないでしょうし...。 “気宇はまぎれもなく天下人のもの”と司馬懿が独白してましたから、孫権からすれば「俺が天子として認めてやる。」ということは、「俺が天子にしてやる」と同義だ。ぐらいに思ってたんでしょうか? だとしたら、まさに傲岸不遜。孫仲謀ならではの“天下人としての心意気”といったところでしょうか?
で、結局、曹操は降伏を受け入れた訳ですが、そこらへんの曹操の真意は語られませんでした。(天子にならない理由は語られましたが)。これはやはり、張昭の叫んでいた『劉備の軍備拡大の危惧』や呂蒙のつぶやいていた『世継ぎ問題・儒者とのいざこざ・内紛の火種』とかも影響していたんでしょうか? で、「緩衝地帯を決めてとっとと引き上げる(by張昭)」という事となったんでしょうか?
ところで、先週、「攻撃じゃ。狙うは曹操ただ一人。」って孫権は言ってましたよね。今回の書状が「曹操ただ一人を狙った攻撃」っていうのはちょっと弱いかな、って気もしました。“曹操一人を狙った”というのは確かにそうですが、「天子にしてやるから、俺の降伏を慎んで受け入れろ。」は、“攻撃”と言えるものなのでしょうか? ここらへんは前回kazzさんがおっしゃてた「尾根での雷撃発言」との一連の流れで、
>「曹操から戦場を奪うことによる“挑発”」から「曹操から戦場を奪うことによる“攻撃”」に進行したと解釈しちゃいます。孫権側が“平伏する用意がある”という姿勢をつらぬく限り、曹操に戦をする理由は残されていないわけです。乱世の収束という点で。
ということになるんでしょうか? また別スレでDAIどんが語っていた、
>曹操が玉座に上れば、この戦は終わらせることができる。つまり、今回の戦に限って、乱世を治めるという言い訳はできない、むしろこの戦こそが乱世そのものという部分が出てきてしまった。
ので、撤収せざるを得なかった。というのもあるのでしょうか? なんか管理人、推測しまくってますが、もうちょっと作品中で、そこらへんに触れて欲しかった気もします。
●「俺が人間であることを、誰かがやめさせると言うのか?」 蒼天曹操の基本的スタンスです。 −天子とは人のかたちをした天−と、この後、司馬懿が独白してますから、『 俺は、人間であり続ける。なんぴとたりともそれを拒めんだろ?』 という感じでしょうか。以前、曹操が述べていた「天より人、そう考えるのが俺であり、俺は俺でしかない。」にも、やや通じるような気がします。
これは「玉座に就く意志はございませんか?」と問う荀?ケに対して「俺は死ぬまで詩を謳い、戦場を駆けまわるのだ。」と告げたことと同義ですね。 古くは、荀?ケの「皇帝への道を宣言するのか?」という問いに対する「勝ち抜いて己を天子と叫べば人間が天子となれるのか?天子として君臨せずとも統治はできる。やらねばならないことの多い身に天子は余分だ。」 あるいは、献帝の「何故玉座にのぼり天子と称さない?」という問いに対する「曹操は蒼天を飛翔する鳥にあらず。蒼天のもと地をゆくものなり。巨大なる社稷を祭るものではなく、社稷のもと雄大に政(まつりごと)を行なうものです。」にも通じます。
●司馬懿の『 狼顧の相 』が出ましたね〜。司馬懿が登場してから、「首の回転」の件はずっと出てこなかったので、蒼天では採り上げられないのかと思ってました。 唐突に出てきてちょっと驚きました。 曹操がさっそく真似してグキッとなってましたね。これ、笑えました。 しかし、1回出たらすぐに2回目もやってました。司馬懿、癖になっちゃったんでしょうか? 曹操に「首だけでこっちを向くな!」って気持ち悪がられてましたが。これから振りかえる度に、これをやってたら笑えます。つかギャグです。
でも史実知らない人は、唐突過ぎて訳わかんないでしょうから、軽く解説しときますね。 司馬懿には、“「狼顧の相」があると聞いた曹操が、試してみようと考え、御前に進みでて来させておいて、急にうしろを振り向かせた。すると、噂どおり、司馬懿の顔は真後ろを向きながら、体はまったく動かなかった。”というエピソードがあるんです。
●成都では早くも諸葛亮が、劉備の「漢中王」の画策を開始しました。このシーンは漢中争奪戦へ移行する為の布石でしょうか? しかし前回登場した孔明は“超真面目人間”と化したように見受けられましたが、今回の孔明を見た限りではそうでもないようでした。「人間の質は変わらん!(by関羽)」といったところでしょうか?
●建安の文学士たちはあっけなく逝きました。従軍を申し出るシーンが印象的だったので、従軍中の何か面白いエピソードでも出るかと思ってたんですが残念です。 それよりもっと寂しかったのは李典の死。 「軍事より学問」と言い張る将なんて非常にユニークですし、甘寧相手に次々と "からくり武器" を繰り出すところなんて、かなりツボでした。 討ち死により朝服で死ぬことを望んでいたなんて、李典らしくて泣けるじゃありませんか〜。 三国志って、「乱世だからこそ能力を発揮できた人物」が多いような気がします。その中にあって蒼天李典は、きっと乱世に生まれなくても、その才を十二分に発揮できた人物であった。管理人にはそう思えます。
『魏に張遼あらば、呉に甘寧あり。』 張遼が陳武を討ち取ったように、甘寧の報復は李典と言う成果を欲したのでしょうか? 合掌。
●楽進−。合肥の負傷で身体が弱まっているところに、疫病を罹患したという感じですね。 名も無き一兵卒として練兵に加わっていた楽進。それを一軍の将へと大抜擢したのは若き日の曹操でした。 曹操の唯才の信念を“退くこと無き武”で発揮したのが楽進だったような気もします。
死の床に、傷だらけの甲冑と槍と剣が立てかけてあったのが印象的でした。病床で「およそ お見せできない」姿となった楽進は、枕もとの甲冑を見つめながら、往時に想いを馳せていたのでしょうか? いえ、振り向くことを知らない楽進は、死の間際まで、その甲冑を纏って戦う日を、黙然と待っていたような気がします。
以前も書きましたが、呂布や関羽や張遼が閃光のように発する「武」とは違いますが、楽進が発揮する愚直なまでの「武」は、楽進軍の兵士達の誇りだったように思えます。
−誰もが知る その武の居所は、 戦場の 決して退いてはならぬ陣。 楽進はつねに必ず そこにいた。 極太の肝玉ひとつで そこにいた。−
退いてはいけない局面には、必ずそこに居る将。そこにいるだけで、兵士達が「俺も頑張らにゃ!」と励まされるような武。楽進の武は、そういうものだったんじゃないでしょうか。
こうして「合肥の守将」三人の内、張遼を残して二将が逝きました。管理人的には、郭嘉の「智」に加え、李典の「才」と楽進の「武」が、張遼の中で生き続けていると信じたいです。
再び合掌。
●さて次回より新章でしょうか? なんとなく濡須編の最後が駆け足だったような気がします。 単行本31巻はもう1話分入ると思われますから、管理人的には、あと1話分ぐらいは濡須編の締め括りを続けて欲しいところです。
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No.10467 - 2004/04/11(Sun) 16:54:54 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 笠松但馬守 | | | | 今回の蒼天はなんだか切なくなりました。。。 これから、いよいよ終盤です。思い入れのある武将たちが死んでいくのは辛いですね。 読みたいけど、読みたくない。 今回、お亡くなりになった武将たちに合掌。。。
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No.10468 - 2004/04/11(Sun) 17:35:36 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 文月 [近畿] | | | | 李典も楽進も逝ってしまいましたね。
「討ち死にだけはまっぴら」といいながら、戦の中で敵将の刃を受けて倒れた李典。 何時か再び戦場に立つことを夢見ながら、牀の上で力尽きた楽進。
それぞれの望んだものとは逆転したような死の形ではあったけれども、それでも彼らは(健安七子も含めて)満足だったとおもいます。 乱世の中で、まさしく「その性のままに」己が才を思う存分にふるうことが出来たのですから…。
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No.10469 - 2004/04/11(Sun) 18:19:21 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 櫻 [関東] | | | | 先程来て「あれ、まだUPされてない。。。」と思い、一度は退出。しかし戻ってきてみたらされてるじゃないですか! 管理人様、ご苦労様です。 そんなこんなで早めにレス。
司馬懿の首、ようやく出ましたね〜(笑)あの司馬懿の首が回るところなんて想像できませんでしたがいざやってみると意外にあっさりしてました。っていうか殿もっとビビろうよ。変だよ。気持ち悪がってるのと真似して首捻ってるのは笑えたけど。
殿の話はずっと言いつづけられてきたとおり。安心できますね。こうやってずっと変わらないこと言いつづけてくれる人って。まぁ殿の場合別の意味で安心できませんが・・・(笑)
孔明変わってねー!!!ホントですね。あの益州攻略の際の真面目キャラはどこへ行ったんだ?三つ編み浮いてるし(爆)そろそろ漢中戦だなあ・・・。
しかしどんどん殿のもとから人がいなくなる・・・今週だけで七人!?そんなぁ・・・。李典、妹が悶えてたよ(報告)。楽進も悪いときに疫病かかっちゃってもう・・・。やっぱり惜しい!! でも殿、「くそぉ〜・・・読めん!」はないよアンタ・・・。やはり武士(by張遼)? ところで「うつったとて九割は死なんのだろう!」と殿が仰せでしたがそれって今回の六人は相当運が悪かったってことでしょうか。張遼はいつの間にか復活してましたけど。 それにしても張遼って共に戦った人々が次々に死んでいくよなぁ・・・(怖)。郭嘉還って来ーい。
しつこいようですがフランケンは・・・?濡須戦で死んだというような場面は無かったようですから董襲ではない・・・?まさか本当にあれが陸・・・
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No.10470 - 2004/04/11(Sun) 18:32:09 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 子孝 | | | | 久々にカキコします。司馬イの首が180度回転する話は、かなり笑いましたが、李典と楽進の死が分かっていたとはいっても、衝撃でした。特に曹操が、自ら兵卒から抜擢した楽進の最期に、思わず泣いてしまいました。管理人さんがおっしゃるとおり、純粋な武を求めた呂布や侠気の勇を見せ付けた張飛の武とは一線を画しますが、戦場で絶対に退いてはならぬ場所に立ってひたすら前をみて進む楽進の姿もまさしく、蒼天に咲いた大輪の武だと思います。濡須戦も終わりましたが次は、遂に定軍山の戦いでしょうか。あまり言いたくありませんが夏侯淵の最後の活躍に期待したいですね。
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No.10471 - 2004/04/11(Sun) 18:38:17 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 風華 | | | | 楽進さんに黙祷しつつ、
>天下万民は不安のどん底だ 一応、自覚あったんですね、殿
孔明さん、以前よりふっとんではいないとはいえ、変わってません
楽進・・・・一兵卒出身とはいえ、徹頭徹尾まさしく「兵の将」であり続けた彼は、死ぬ間際まで軍師であり続けた郭嘉の姿とダブるんですよね・・・・再び黙祷
で・・・・・結局フランケンは、謎のまま?
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No.10472 - 2004/04/11(Sun) 19:28:51 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / shigeru [関東] | | | | 2度目まして。 とってもいいキャラクターだった楽進がついに逝ってしまいました。 かなりショックです・・・
>「うつったとて九割は死なんのだろう!」と殿が仰せでしたが >それって今回の六人は相当運が悪かったってことでしょうか。 >張遼はいつの間にか復活してましたけど。
櫻さん、はじめまして。 私はこのセリフ、「うつっても九割は死なない」=「7,8割は死ぬ」って理解しました。 強烈な猛威をふるっっている疫病ですから、そんな気が致します。 張遼は、流石に鍛えられたか頑健の持ち主ですから復活出来たんでしょうね。 曹操は年配ですから、もしうつってしまったら相当やばかったと思います。
次は、いよいよ漢中戦ですかね。
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No.10474 - 2004/04/11(Sun) 22:08:51 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / kazz [東北] | | | | TATSU様、お忙しいところお疲れ様です。押忍っ。 【REVIEW】の方へ私の拙い文章を引用していただき「あわわわ(汗」有難う御座います(笑。
今回の蒼天考路、清々しかったですね。いや、もちろん死者多数につき合掌!なわけなんですけど。なんというか曹操の人間らしさが溢れ出てて、私なんかはほのぼのしちゃいました。
“人間らしい”←コレ今回の曹操のテーマだったんですかね? 「曹操は曹操でしかない」どころか「曹操は人間である」と来ましたか。現代民主主義人の感覚ですよね、まるっきり。まぁ、だからこそ蒼天曹操なのでしょう。 皇室批判とまではいかないまでも、イロイロと考えさせられました。あいや、もちろん私が勝手に趣味で拡大解釈してるだけですけどね(笑。
実質上は曹操の負け、と捉えました。 疫病、劉備の動き、その他諸々っていう史実的背景を考えないで、あくまで蒼天孫権と蒼天曹操の遣り取りを見た場合です。 言い返しが無いんですもの…。アレで“孫権の資質に感ずるところ有り、自ら退いた”っていうのは格好つけすぎかなぁ…と個人的には思いましたので。
>蒼天李典は、きっと乱世に生まれなくても、その才を十二分に発揮できた人物であった。 コレすごく同意です。いい人材でしたね。蒼天李典。
狼顧の司馬懿、扇いで風つくってる諸葛亮、謀臣2人とも良い味だしてますね。
楽しく進め、楽しく進もう、その名の通り。ただ前へ。 最後のコマの爽やかな笑顔。魅せるなぁ。
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No.10475 - 2004/04/11(Sun) 22:14:35 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 英英 [北海道] | | | | 管理人様、今週も<今週の蒼天>アップありがとうございます! 合肥戦で、にわか楽進ファン李典ファンになった身としても今回はしんどかったです。描かれないよりはマシなんですけど。 あ〜でも最初の方は、曹操vs孫権の結果をはぐらかされた気分になりつつ、「仲達の首はフクロウの首〜♪」と笑って読んでたのに。 (動揺してるとついやっちゃうのか) 感想、いつも長々としててすみません。
◆あのー、司馬懿さん。 魏王の首がグキッと異様な音をたててるのに、心配するでもなくそのまま天を見上げてるのはどうかと思う(笑)。それに興奮してるのか喜悦の表情なのか舞いあがってるのか、司馬懿の内心がわかりませぬ。<孫権、雷撃>の時だってラストページの表情は、結局あなたは何を考えてたんだ? 新世代謀臣がやっと冷や汗ダラダラで表情を出しはじめたのに、やっぱりつかめない。お願い、独白してくだされ。 彼を「発する気もおぼろ」と表現した周泰は的確だと思う。
◆「でしょ?」「ほんと?」←成都にて。 かわいい会話だ(笑)。三つ編みすごく上手だよ、孔明。 王だのさらにその上だのいう話題なのに、ノリが軽すぎ(笑)。ありえん、ありえんがゆえに劉備一家。許都の巻狩りの時と大違い。孔明すっかり人間に馴染んだな〜。ていうか劉備が孔明に馴染んだのかな。張飛はじめ成都の群臣とどんな会話してるのか気になります。 (立ちションに割り込むことはもうしないでしょうが)
◆殿ぉぉ〜!李典がぁ〜(;□;) ここで死んじゃうとは思わず、隙をつかれました。 先週で負傷してたにも関わらず、油断してました。 (合肥で甘寧と対戦した時の方が焦ってました) 「そりゃあ殿!討ち死にだけはまっぴらでござる」って李典。そんなに朗らかに言わないでよ〜、かなしくなるから(涙)
◆「うつったとて九割は死なんのだろう!」 お、魏では疫学の統計をとり始めたんですね。画期的だ。 てか、死ななきゃイイってもんじゃないでしょうが、魏王! その九割だってまだ死んでない…ってだけかもしれないし。
抗生物質のない時代、どうやって治療したんだろう。華佗の漢方薬が役立ってそうです。解熱剤や胃腸薬・咳止めくらいはありますよね。でも全員に配れるんだろうか。食事療法と隔離と自然治癒にまかせるなら、一割近くが死んでるってかなり危険な事態じゃないかと想像します。体力が尽き、食べれなくなったら最期。看病する人も命がけ。ならば死者は増える一方…。 死者1000人を超えてるってことは、患者数はすでに1万人以上になります。ん、でも合肥の人口って確か8万人じゃ?…惨事(恐)。あ、魏軍20万(マイナス戦没者数)のうちで死者1000人以上なのかな。それでも恐ろしい、予防接種ないのに。
疫病の話では、楽進を見舞おうと激する魏王と、惇兄の言葉と、張遼の甲冑姿に「ああ、よかった」と温かい気持ちになれました。張遼はやっぱ愛馬トリオの帰還が嬉しくて復活したんでしょうかね(笑)。それとも愛馬奪還に燃えて無理やり治したのかな(慈しめよ…)
◆翌 建安23年、楽進“絶息”。 『永眠』ではなく『臨終』でもなく『死去』でもなく…。 本当に最期まで、戦って戦って戦っていたんだなあ。 常に前へ、一歩でも前へ前へ進んで、息絶えた、楽進。 彼が後ろを振り返るのは「全軍 進むぞ」と微笑む時。 ラストの笑顔は哀しかったけど勇気づけられました。 先に逝った先輩・荀攸が、きっと言っています。 「楽進殿!見事な将帥ぶりでござる!」
>櫻さん >それにしても張遼って共に戦った人々が次々に死んでいくよなぁ・・・(怖)。郭嘉還って来ーい。
げっ!そう言われれば…(可哀想) 昔年の戦友・臧覇が生き残って活躍してて良かったです。 郭嘉が出陣したらやっぱり疫病に罹患しそうな気もしますが、しかし!もしも郭奉孝ありせば、孫権の雷撃で曹操をみすみす敗北させなかったっ!…と思いたい(><)。 魏王の傍らから「黙らっしゃい!」と反り返って居丈高に反論。 「へろへろ雷撃に付き合ってやる暇なんかないな」とか(意味不明)、「今、真の天下人が描くべき戦いというのは…(以下略)」とか? 郭嘉、あなたは激している時が最高! …それ以前に会いたいっす。
張遼って戦友だけでなく主君も次々となくしてますよね。 最初は丁原で何進→董卓→呂布→曹操でしたっけ? 張遼は関羽のファンっぽいぞ(たしか関羽の戦いぶりに感じ入って青龍刀を選んだんですよね?)と思ってるんですが、今度は張遼あこがれの軍神までなくしちゃうんだなー…(可哀想)
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No.10476 - 2004/04/12(Mon) 02:48:15 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 陳孫 [関東] | | | | TATSUさん、今週もお疲れ様です。 今回の話は、楽進・李典・建安七子の死と、悲しくなりました。 思えば楽進もまた、混沌の世に、曹操と共に至弱の戦を戦い抜いてきた男でしたね。 程?cが去り、郭嘉・荀?ケ・荀攸らが没し、今また一人、いや李典も入れて二人が去ってゆきました・・・ そして建安七子。 『毒と毒薬』の最後で、似合わぬ軍装に身を固めて従軍を志願した彼ら。
「今が乱世であることを血肉が忘れ、オホッ、いつしか言葉は真の天下を失いまする!」
と叫んだ王粲。 赤壁の直前、『激なる丞相の瞬間』で曹操が、
『あの男、使う言葉の調子が面白い。』
と言ってた通りでしたね。 もうチョット出番があればと期待してましたが、その彼らもまた、全員帰らぬ人となりました。 次代の扉を開いて逝った彼らは、幸せだったのでしょうか?
ところで孔明がまた出てきましたね。 29巻末の作品ノートで、なにやら最後の登場だとか書いてあったから諦めていましたが、また出てきて楽しくなりました(w そういえばこれまで、郭嘉・周瑜・荀?ケ・龐統らの最期では、その次の回から舞台が変わりましたね。 ということは次の舞台は蜀? ひょっとすると孔明ガールズも・・・?
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No.10477 - 2004/04/12(Mon) 12:43:14 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 陳孫 [関東] | | | | 続けて失礼(汗
>やがて魏王並びに麾下の将軍達は、楽進の病室に向かって立ち並び、一斉に拱手していた。
この時、向かって左から満寵・曹仁・許猪・夏侯惇・張遼の順に並んでたと思いますが、右端に立っていた武将は誰でしょう? 曹洪でしょうか?
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No.10478 - 2004/04/12(Mon) 12:50:04 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 趙繍 [九州] | | | | 感動しました!楽進の最後をあんなふうに書いてくれるなんて。 魏将のなかで1番思いを入れて書いてくれてるんじゃないでしょうか?と思うほどです。最後に合掌。
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No.10480 - 2004/04/12(Mon) 19:45:24 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / ギルガメッシュ [関東] | | | | >向かって左から満寵・曹仁・許猪・夏侯惇・張遼の順に並んでたと思いますが、右端に立っていた武将は誰でしょう? それは蛇のように兵を操る漢、臧覇です。初登場の時には肩に鎧がなかったですが、このときにはありましたね。
孔明はおそらく「公と私」の顔とを使い分けてるんじゃないでしょうか?益州攻略のときの厳格に見えた孔明の顔は主従関係をきちんと表すためにあえて、厳しい態度をとっていると思います。で、劉備や気心知れた者と接するときには本来の性格が顔をのぞかせるといったところではないでしょうか?夏候惇が人がいるときには曹操に敬語を使っているような。
楽進が合肥の戦いにて着用したボロボロの鎧を置いているのも、病気に身を蝕まれている自身を奮いたたせているのではと思います。最後の 「楽進 絶息」というのも最後の最後まで戦地に戻ろうとして、死の直前まで退くことなく病魔という最大の敵と闘った楽進の生き様が伝わってくるようでした。
李典、楽進等・・・。至弱の戦いを知るものがまた逝ってしまった。曹操の胸中には何が去来してるんでしょうか?李典にしろ楽進にしろ最後の姿は笑顔です。悲しいながらも、かっこいいですね。もうあの「ズンッ」というのも見れなくなるのはかなり寂しい・・・。
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No.10481 - 2004/04/12(Mon) 23:04:40 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 我流軍師 [東海] | | | | 楽進将軍の御冥福をお祈りします。
今回は中々感慨深いものでした。 「前へ」というラグのフレーズが、彼には本当に似合いますね。心の底から尊敬しますよ。 DAIさんが「孫呉学園ドラマ」って書いてましたけど、 楽進軍の「スクールウォーズ的スポコンドラマ」なんてのも面白そうですね。
>1回出たらすぐに2回目もやってました。司馬懿、癖になっちゃったんでしょうか? スポーツしてても、捻挫なんかは癖がつくらしいですしね(笑) 武人だけでなく、文官も健康管理は大変なんでしょうか? Dr.華佗にでも観て貰えれば良かったんでしょうが。
今回は、欣太さんの優しさというか人間好きが本当に良く伝わって来るものでした。 楽進のショックが最大だと思いますが、陳琳ら建安文学者五名と司馬朗の死、 それらは悲しいものではありますが、 「人はいずれ死ぬ」 「大地はどこまでも続いて、人はどんどん生まれてくる」。 ベテランの引退や死の後には次世代が続く訳ですから、悲しみだけでは無いと思います。 しかし、悲しさや切なさを強調されている所を見ると、本当に人間が好きなんだなあと 改めて感じる事ができました。
|
No.10483 - 2004/04/13(Tue) 00:32:53 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / つね | | | | 管理人様、お疲れ様です。
1.天への想い 2.合肥での弔い 3.楽進の戦い
それにしても、この年の疫病は凄まじいですね。「うつったとて九割は死なんのだろう!」は「致死率一割未満」を指すのだろうと思っていますが(そうでないと曹操のセリフに説得力がなくなってしまいます。)、その割には、程普、魯粛、司馬朗、楽進と、栄養状態も手当ても普通より恵まれた環境にいるであろう人たちが死んでいっています。この当時、疫病による撤兵はよくあることです。(今回、孫権の降伏文書に紛れていますが) 建安五子? 彼らは一般兵士より虚弱でしかも戦場は慣れてないだろうと思われるのに「特別扱い」してもらえませんでしたからね。その上、誰か一人が感染しても決して隔離などせず、身を寄せ合って励まし合いつつ、笑顔で筆を振るっていそうですから、全滅やむなしかと。合掌。
いつの間にか濡須口編ラストですね。開戦から降っていた雨も前回末であがったし。もう一週くらいはあるかもしれませんが。呉では魯粛はまだ死んでないし、陸口に行った呂蒙と語り合ってほしいものです。思い出とか今後の抱負とか。(水没したままの董襲については語られないような予感。)
いよいよ漢中編でしょうか。これまで有名無実だった諸葛亮の天才軍師ぶりが見られるか。文庫本なんか(徐州大虐殺のときとか)を読み返して見ると、本来、諸葛亮を「曹操生涯のライバル」のような形にもっていこうとした気配が見られます。結局、赤壁で大コケし、「武帝記には一字もその名が見られない」というラストになってしまったのではないかというのはうがち過ぎですかね。もっとも漢中編は法正の舞台なのですが(蒼天の諸葛亮と法正は確かに馬が合わなそうです)、ここを逃すと、もう見せ場がなくなってしまいますからね。蒼天諸葛亮と蒼天司馬懿の五丈原はぜひ見たいところですが。
長々と失礼しました。
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No.10484 - 2004/04/13(Tue) 03:24:30 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 陳孫 [関東] | | | | >それは蛇のように兵を操る漢、臧覇です。 >初登場の時には肩に鎧がなかったですが、このときにはありましたね。
ギルガメッシュさん、ありがとうございます。 そうでしたか、臧覇だったとは気付きませんでした(汗 そういや張遼の傍に立っていましたね。
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No.10485 - 2004/04/13(Tue) 11:16:20 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / DAI [関東] | | | | ええい、じじいが意固地になるとかなわんわ。(笑
前へ!
その意気やよし! あっぱれ、その一言。 勇将に黙祷。
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No.10487 - 2004/04/13(Tue) 11:38:33 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 陳孫 [関東] | | | | こんにちは、「つね」さん。
>建安五子? 彼らは一般兵士より虚弱でしかも戦場は慣れてないだろうと思われるのに「特別扱い」してもらえませんでしたからね。 >その上、誰か一人が感染しても決して隔離などせず、身を寄せ合って励まし合いつつ、笑顔で筆を振るっていそうですから、全滅やむなしかと。 >合掌。
失礼ながらつねさんのこの文章を読んで、益々悲しくなりました。 彼ら文人たちは、わずかばかりの才をたのみに中原に安住していても別に誰からも責められないに、文人としての自らの使命のために、敢えて危険な道を選びました。 戦死ではありませんでしたが、戦場での疫病による死ですから同じこと。 自分で選んだ道だから仕方ないと言えばそれまでですが、せめて一人ぐらいは無事に生還して、文人としてより壮大な仕事をして欲しかったです。 しかしつねさんも指摘する通り、全滅もやむなしのようですね。 次代の扉を開いた建安七子。 惜しまれる死でしたが、それでも残した功績は大きかったようですね。
ところで5人の墓前で曹操が震えていたのは、彼らの死を惜しんでいたからでしょうか? それとも彼らの文章が読めなかったからでしょうか? 両方かな。
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No.10488 - 2004/04/13(Tue) 14:58:12 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / つね | | | | 陳孫さんへ
いささか配慮に欠ける文章だったようで申し訳ありません。 ただ、もし誤解があったらいけないので(私が陳孫さんの文章を誤解している可能性もありますが)補足いたしますと、私は決して建安五子の戦病死を嘲笑しているわけではなく、「全滅やむなし」の点に力点を置いています。もう一つ言うと、彼ら自身にとって悔いのない満足のいく死だったのではないかという感想も込めています。
>ところで5人の墓前で曹操が震えていたのは、彼らの死を惜しんでい>たからでしょうか? >それとも彼らの文章が読めなかったからでしょうか? >両方かな。
両方だと思いますが、どちらかというと後者が強い気が。というのは、彼ら文人たちの遺作が読めないというのは、書き残した人たちの心情を思えば、曹操にとって悔しいことこの上ないと思われるからです。
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No.10489 - 2004/04/13(Tue) 23:44:34 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 陳孫 [関東] | | | | どうも、つねさんお気になさらずに(w 別につねさんを批判しているわけではなく、やむを得ぬ事だということが判り過ぎているので、殊更無念だっただけです。
>彼ら自身にとって悔いのない満足のいく死だったのではないかという感想も込めています。
これには私も同感です。 戦場で特別扱いをしてもらえなかったのは、むしろ彼ら自身にとっても本望だったと思います。 彼らは今が乱世であることを血肉に忘れさせず、言葉が天下を失わないために従軍を志願したのです。 曹操もそれ解っていて、彼らの意志を汲んでやり、敢えて特別扱いをしなかったのでしょう。 戦場の厳しさを身を持って知った彼らは、きっと望んだ詩想を得られたでしょうが、それを全て残せなかったのが残念でしたね。
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No.10490 - 2004/04/14(Wed) 13:42:33 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 陳孫 [関東] | | | | ついでにもう一つ、今気付いたのですが、従軍した建安七子の中にいた徐幹は、そういえば赤壁の直前の『激なる丞相の時間』に名前が出てきましたね。 王粲にばかり気を取られてましたが、確か華陀や司馬懿らと共に曹操が、
「乱世に才を出し惜しみする奴は許さんぞ」
と言ってました。 そして彼は才を出し惜しむようなことはしませんでしたが、それを形に現せずに逝ってしまいました。 つねさんのおっしゃる通り、
>彼ら文人たちの遺作が読めないというのは、書き残した人たちの心情を思えば、曹操にとって悔しいことこの上ないと思われるからです。
曹操にとっても無念このうえないことでしょう。
ところで楽進についてですが、『遼来来』で凌統の槍に貫かれたのは、一年も前なんですよね? ということは楽進は、一年も病床で苦しみ続けたということでしょうか。 最後の魏将たちの涙。 ソリの合わない張遼までが涙を流していたのは、楽進の死を惜しむ気持ちはもちろん、生粋の武人である楽進が戦場ではなく病床で長く苦しみ続けたことへの悲しみもあったのではないでしょうか。 彼らが強引に一目見ようとした曹操を諫止したのは、曹操の気持ちを理解しながらも、曹操に疫病を感染させないために、そして苦しむ姿を見せたくないという楽進の武人としての誇りを汲んでのことだと思います。
今回の話は、武人にせよ文人にせよ、あまりにも素晴らしい男たちが逝ってしまいましたね。
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No.10491 - 2004/04/14(Wed) 14:03:18 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 英英 [北海道] | | | | 数日つねさん陳孫さんの文章を読んでいて、<その性のままに>生きて死んだ彼らのことをゆっくり考えることができ、また静かな感動にひたっております。自分1人で読んでると大好きキャラにばかり目がいってしまうので、私は建安五子にまでこんなに深く考えが及びません。(彼らが曹植の詩に触発されて従軍したので、ちーちゃんが責任感じてなきゃいいな〜くらいの感想でした…) なるほどな〜そうだな〜と思いながら皆様の書きこみを読んでいて、自分が気づかなかった部分の感動がどんどん水増し(笑)されていきます。 『蒼天考』にお邪魔するのはすでに日課(^^)
>ところで楽進についてですが、『遼来来』で凌統の槍に貫かれたのは、一年も前なんですよね?ということは楽進は、一年も病床で苦しみ続けたということでしょうか。
合肥戦は215年の8月頃だったと思います。 楽進の絶息が218年なので、 2年半くらい闘病し続けたのではないでしょうか? あきらめることなく、前へ…! (;o;)
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No.10494 - 2004/04/15(Thu) 20:52:45 |
| ☆ Re: 今週の蒼天<その性のままに> / 侠客 [東北] | | | | はっきり言って、人死に過ぎってのが今週の感想です。 建安の文学者たち、司馬朗、李典、……そして楽進。
私は思います。曹操に仕えた者は武人、軍師、文官、学者、隠者を問わず、皆“戦士”だった、と。 乱世に出で、曹操と共に新たなる時代を作り上げるべく戦いぬいた“戦士”だった、と。 いや、これはもはや“勇者”と称してもいいでしょう。 この中でも涙を誘ったのは楽進の死でした。立ち読みしている最中に泣くのを必死でこらえてました。 かつての、初登場したときのあの笑顔……。寝台に横たわる楽進の傍には武具……。これで涙を流さぬ方が無理でしょう。 そして、自分の文言の引用を以って追悼文に変えたいと思います。
> 楽進――彼はその名の通りただ前へ「進」み続けた……。その姿は凌統>の言うようにまさしく愚直……。しかし彼にどことなく“美しさ”“気高さ”を感じ>るのはなぜでしょう? > 前へ! 前へ!! 彼は言葉なくとも読者に強烈な印象を残しました。た>だ正面のみを見つめて、何者も囚われず、己を貫け――彼はそう読者に言>っていたのかもしれません。
> あまたの戦から生還した彼が……。しかし彼は不死身です。いささか陳腐>な表現になりますが、彼の雄姿は多くの読者の心を掴んで放さず、読者の>心に刻み付けられたのですから。
最後に。 曹操に付き従い、戦いぬいた“勇者”たちよ! 魂の輝きを見せた“勇者”たちよ! 貴殿たちに永久(とわ)に栄光あれ!
そして――これは濡須篇を締めくくる言葉です。 王欣太は、筆を重ねるたびに豪壮になってゆくのじゃあ!
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No.10507 - 2004/04/17(Sat) 17:29:11 |
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