| 皆さん、単行本32巻はお買いになりましたでしょうか? 1話だけ曹植のエピソードがありましたが、あとは全編「夏侯淵軍 VS 新生劉備軍」でしたね。 毎回述べてますが、週刊連載をじっくり考察するのもいいですが、単行本で一気に読むのも、これまたいいです!
表紙の「曹操の手の間を舞う花」は、作中の「漢中の山々を血の花で染めようてか」という台詞が頭に浮かびました。
そして、裏表紙は「 " 漢中目指してまっしぐら" の新生蜀軍を、荊州から眺める関羽」でしたね。青龍刀を振り回していたのは、エールを送っていたのでしょうか? こーいうシーンを裏表紙に使うってことは、荊州攻防戦はじっくり描かれそうな気がします。
さて、表3のコメント。「佐久間象山・浅野忠信・マーロンブランド」ってのは、順に「荀攸・何晏・董卓」でしょうね。 荀攸と何晏は、なるほどって感じですが。董卓は意外な感じしました。マーロン・ブランドはゴッドファーザーのイメージでしょうか? でも、そんな事より「それぞれに特別な理由があって使った。」というのが是非知りたいところです。 佐久間象山を使うのにどんな特別の理由があったのでしょう!?
|
No.11189 - 2004/08/29(Sun) 21:12:09
| ☆ Re: 32巻考 / つね [関東] | | | | 単行本で少し考察してみます。一部、前後の巻に渡りますが、漢中攻防戦を時系列で並べてみると以下のようになります。
建安22年冬 :劉備 漢中に進攻 :曹洪 援軍として漢中に到着 建安23年正月:吉本の乱 :劉備 陽平関占拠 7月:曹操 西方へ出征 :侯音 宛城にて挙兵 :定軍山決戦 夏侯淵戦死 建安24年正月:夏侯淵の訃報、駆け巡る
月が書かれているのは、作品中に明記されているところですが、これを見て気付くのが、32巻がほぼ1年に渡っていること。疾風怒濤の暴走漢中戦でしたが、実は描かれていない睨み合いや小競り合いがあったようです。 当時、急報とは言え、漢中から鄴まで1月程度はかかったであろうことと、30巻にて曹操が漢中から鄴までの帰還に3ヶ月かけてることを考慮に入れます。上の空白のうち、陽平関失陥は恐らく6月でいいとしても、曹操の漢中到着は10月以前(帰還時よりは速いはず)でなくてはなりません。ところが、曹操の漢中到着は正月以後。これを解く鍵は侯音の挙兵ではないでしょうか。このあたりの空白を推測を交えて書くと、
7月 :曹操 西方へ出征 (9月) :曹操、長安に到着、侯音 宛城にて挙兵 曹仁、侯音討伐開始、曹操、洛陽に戻る (12月):ようやく敵情が劉備陣営に伝わる 曹仁、侯音討伐にめど。曹操、洛陽から長安に再進軍 定軍山決戦。夏侯淵戦死
とこんなところではないかと。(そうでないとつじつまが合わない。)こう見ると、法正が「早すぎる」と嘆いた侯音の挙兵でしたが、この時期でないと、10月くらいには曹操は漢中に到着、蜀軍は夏侯淵軍と曹操軍の挟撃を受けていた可能性があります。実は侯音は漢中攻略の隠れた殊勲者だったのかも。
|
No.11195 - 2004/08/30(Mon) 00:00:06 |
| ☆ Re: 追記 / つね [関東] | | | | 一つ書き忘れてました。
それにしても夏侯淵は半年以上も包囲された定軍山に立てこもっていたことになります。彼の孤独と結果を思うと、痛ましい限りです。
|
No.11197 - 2004/08/30(Mon) 00:16:35 |
|