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幸せ・・・ / 兄ィ
はじめまして 「蒼天航路」大好きです。一つ一つの台詞が生きてます。願わくば我を蒼天航路へ…
No.12338 - 2005/09/25(Sun) 09:48:25
今週の蒼天<麦城の辞> / TATSU@管理人 [関東]
こんばんは〜。

今回も次回モーニング発売直前のUPになってしまいました。ごめんなさい。
はっきり言って最近レビュー書くのに苦しんでおります。いや、レビュー書くこと自体は苦しくないのです。レビュー書く時間が全然無いのです! 職場が変わり地位も変わり、すごく忙しいんです! この辛さ、社会人の方は分かりますよねっ!ねっ!
正直な話、ごく簡素なレビューにして今週はお茶を濁すか。とか悪魔の囁きが聞こえる時もあります。でも、それはそれで今まで一生懸命書いてきたプライドが手抜きを許さないのです〜。という訳でジレンマに悩みつつ、今週の蒼天を続けております。

そんな管理人を励まそうなんて思って下さる殊勝な方!是非、ROMするだけじゃなくRES付けて下さい!!皆様の書き込みが管理人の励みでございます〜。

No.12232 - 2005/08/30(Tue) 23:32:32

今週の蒼天<麦城の辞> / TATSU@管理人 [関東]
【STORY】

「なんだい?」
長安めざし北上する劉備は、背後の趙雲に尋ねていた。
誰かに呼びかけられたように感じた劉備は、それが空耳であったことを知った。
劉備は東の空を見上げた。

***************

「関 雲長。大王(との)の裁可を仰がず、」
関羽は西の空に拱手した。
「己が一存にて、孫権に断を下すことを許し賜え。」
とるべき道は一つであり、孫権と折れ合う所以などなかった。

***************

−大王...漢中王か。−
桟道を往く劉備は考えていた。
戦略を聞いた時には胸が高鳴り、天下の反応も期待以上であったが、漢中王という呼ばれ心地はだんだん悪くなってきていた。高祖・劉邦が倒した項羽という男は、曹操より強かったのか?−劉備は考えていた。−自分は劉玄徳であり、戦い続けてきた相手は曹孟徳であった。つまり曹操の強さを一番知っているのは自分であった。
そこまで考えると劉備は、今一度各軍勢の後方をしっかり固めるよう成都の諸葛亮に伝令を発した。

***************

麦城から出た関羽・趙累・関平は、潘濬の前に馬を進めた。
荊州は、劉備が劉表一族より託された領土であり、孫呉に主権が移ったことは一度もなかった。そして盟を破ったのは4年前の呂蒙の侵攻が先である。趙累は潘濬にそう告げた。襄陽に戻るよう再度諫言し、孫権の書状を差し出す潘濬。その書状は関羽の青龍刀によって真っ二つに切り裂かれた。
「生き延びて、南郡の民に尽くせい。」
そう告げると関羽は馬を進めた。

盟とは、人と人が己の本体をあきらかにし、天神に誓って結ぶものである。関羽はそう信じていた。だが孫権は、その盟(ちか)いを詭弁で汚して戦いの具とした上、姑息にも背後を忍び侵していた。−孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし。およそ民の上に立つものにあらず。−関羽はそう断じた。

「いかな乱世であれ、」
地平線の彼方から現れた軍勢に、関羽は咆哮した。
「この邪(よこしま)な所業を罷(まか)り通すこと、関雲長が許さぬ!」
関羽軍の雄叫びが大地にこだました。

***************

「やっかましいのう。」
先鋒軍の大将は軍を停止させ、迷惑そうに耳を抑えた。孫皎であった。
「要するに、こっちの勧告は呑めんと言うこっちゃな。」
孫皎は、独り進み出て来る関羽にそう告げた。
「勧告するのは我らの方だ。」
関羽は馬を進めつつ答えた。その言葉に孫皎は冷笑した
「何様じゃ われ。」
「名のれと?」
関羽はみるみる孫皎へと近づいた。孫皎は関羽の名乗りなど聞く気は無かった。挨拶なんかいらんし、かかって来いや。と孫皎は大剣を抜きつつ手招いた。

青龍刀を掲げ、突進する関羽。その関羽を翻弄するが如く、孫皎の必殺剣が放たれた。
−黒虎背剣−


【REVIEW】

■「なんだい?」

久しぶりの劉備の登場です。以前のレビューで、『 ところで北上して長安を目指す劉備軍が全く出て来ないんですが、何してるんでしょう? もう長安には到着し城攻めを開始してるんでしょうか? それとも魏軍に阻まれ北上途中なんでしょうか? 』 って書きましたが、普通に北上中でした。関羽が樊城に攻め込んでからかなり時間が経ってる筈ですが、なんか呑気な感じもします。もっと一気呵成に長安めざし北上すべきじゃないんでしょうか。蜀の天険がそれを阻んでいるんでしょうか。あるいは後の孔明の北伐のように漸進作戦を取ってるんでしょうかね。

■「関雲長 大王(との)の裁可を仰がず、」

なんとルビが「せき うんちょう」。もちろん単行本では修正されているのでしょうが、この誤植は悲し過ぎます。魏諷が曹丕に向かって「曹子植」と叫んだのにもコケましたが、今回は誤植のレベルが違います。関羽の姓を「せき」と誤植なんて折角のシーンがギャグ化しかねません。これって三国志の知識皆無の担当の仕業なんでしょうか。そんなのが蒼天の担当なんて由々しき事態のような気もします。
...気を取り直してレビュー続けます。

■「己が一存で孫権に断を下すことを許し賜え。」

先週、関羽は劉備に何を語り始めるのか凄く気になっていたのですが、それは孫権の提示条件に対し、独断を行なうことを詫びる事でした。先週は“二者択一”と述べましたが、「とるべき道はひとつ」であり、「孫権と折れ合う所以などない。」と趙累と関平も考えてました。

当然と言えば当然かもしれません。他の武将ならともかく相手は関羽なのです。曹操曰く「愚直なまでの義理堅さ・頑迷なまでの潔癖さ」が関羽の身上であり、凄まじいまでの自尊心と義侠心が関雲長その人なのです。その関羽が、本拠を掠め取られたのにも拘わらず、孫権の要求通り「北へ戻り、魏との戦いを続ける。」訳ありませんものね。

さて、そうなってくると、孫権は何であんな要求をしたのかという疑問が湧いてきます。孫権は関羽の性格を把握しきれてなかったのでしょうか。それとも要求を呑むと思えないが、一応チャンスを与えたのでしょうか? 孫権の書状の真意が謎です。(ちなみに管理人は張昭の献策説をとっておりますが。)

■「呼ばれ心地はだんだん悪くなってきやがる。」

「大王」「漢中王」という響きにだんだん違和感を感じてきた模様です。孔明から「漢中王宣言とそれに続く戦略」を聞いた時はわくわくし、天下の至る所で「反曹」の火柱が上がったのは期待以上だったみたいですが、どうも劉備はここに至って“ヤバイもの”を感じてきたのではないでしょうか。これも劉備が以前から誇っている“第六感”ってやつでしょうか。

“漢中王”の呼称は高祖・劉邦と劉備を結び付けるものであり、曹操は項羽に擬えて地に陥とす−。素晴らしい政略だが、やはり劉備は劉備であり、相手にしているのは項羽ではなく曹操である。劉備はそんな感覚に目覚めたように思えます。その曹操がどれだけ強いかを知っているのは「漢中王」としての自分ではなく「劉玄徳」としての自分である。それに気付いた劉備は「ここらで今一度、各軍勢の後方をがっちり固めるよう」成都の孔明に伝令を発します。つまり“勝って兜の緒を締めよ”的発想でしょうか。しかし、時既に遅く、関羽軍の後方は....。
劉備の第六感は、「関羽の声」を感じ取り、同時に「孔明の戦略の破綻の兆し」を嗅ぎ分けたのかもしれません。

ところで、孔明は漢中を掌握した後は、成都に帰還していたんですね。法正を見舞ったりしたんでしょうか? あと、馬超と張飛は何処にいるんでしょう?そう言えば黄忠は?

■「荊州は劉備殿が劉表一族より託された領土。孫呉に主権が移ったことは一度もない。そして盟を破ったのは、4年前の呂蒙の侵攻が先だ。」

趙累が述べていました。これは孫権の書状 『 関羽軍は孫呉との盟約を侵し、国境の食料庫を強奪した。よって南郡の貸与を無効とし、呉の領土に戻す 』 に対する反論ですね。
孫権は南郡の貸与を無効とするというが、そもそも荊州は劉表より劉備が託された領土であり、孫権より貸与を受けた訳ではない。というのが主張なんでしょう。確かに蒼天を読む範囲では、孫権が劉備に貸与云々というシーンがないので、趙累の発言の通りに思えます。

でも、ここらへんは微妙なんですよね。この「荊州貸与問題」についてちょっと考察してみます。

蜀書「先主伝」注「江表伝」によると、赤壁大戦の後、『 周瑜は南郡太守となり、長江南岸の地を割いて劉備に与えた。(中略) 劉備は周瑜のあてがった土地が僅かで、住民を落ち着かせるには不充分だったので、孫権から、さらに数郡を借り受けた。』と明記してあります。でもこの「江表伝」というのは呉に都合良く書いてあって信憑性は低いみたいです。

呉書「魯粛伝」には『 劉備が京(けい)にやって来て荊州の都督にならせて欲しいと求めた時、魯粛だけが、荊州の土地を劉備に貸し与え、協同して曹操を退けるのが良いと孫権に勧めた。曹操は、孫権が土地を分け与えて劉備の後ろ盾となった事を知ると、筆を床に落として驚愕した。』とあり、更に「程普伝」にも『 曹操を烏林に破り、南郡に侵攻して曹仁を破ったあと、程普は江夏太守となった。周瑜が死んだので、かわって南郡太守となった。孫権が荊州を分けて劉備に与えたので、再び戻って江夏を領した。 』とあります。

以上の記述から判断すれば、呉は南郡から手を引き、劉備に貸与したようにとれます。でも、これは呉書の記載であり、やはり「呉サイドに立った見解」というのは否めません。

さて蜀書のほうには貸与を受けたような表現は見当たりませんでした。(管理人の見落としでしたらご指摘下さい。)でも、前述の蜀書「先主伝」の本文のほうにはこんな記載があります。『 孫権は劉備が益州を手中にしたので、使者を遣わして荊州を返すように要求した。しかし劉備は「涼州を取ったら返却する。」と返答した。』 この返答に孫権は激怒してます。そして趙累言うところの“4年前の呂蒙の侵攻”が開始されました。

蒼天でも「貸した荊州を返せ」という孫権に、劉備は「おねだりの仕方を教わって来い。上手に言えたら返してやる。」みたいな返事をしてました。つまり孫権の「荊州返せ。」という要求に、劉備は「ふざけんな!いつ俺が荊州を借りたんだ!?」とは正史でも蒼天でも言ってない訳です。そう考えると明らかに「借りた」という盟約は無いにせよ、それに近い意識は劉備サイドでも持っていたのではないでしょうか?

あ、もちろんこれは史実に対する解釈ですよ。蒼天の関羽や趙累はそんな感覚はさらさら無い様ですが。

■「孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし!およそ民の上に立つ者にあらず!」

関羽が断じていました。理由は、1.神聖なる盟というものを、詭弁で汚して戦いの具としたこと。2.その上、姑息にも関羽軍の背後から忍び寄り、侵略したこと。でした。

1については同盟が戦争の具となることは乱世にはよくあることのように思えます。しかし、2については確かに姑息な手段のように感じました。前述の「貸与問題」はさておき、孫権の書状の『 関羽軍は孫呉との盟約を侵し食料庫を強奪したから、南郡を呉の領土に戻す。』 の部分は明らかに詭弁のように思えます。趙累も言ってましたが、「ずっと侵攻の機を窺っていた」孫呉が、「食料庫強奪を口実に南郡に侵攻した。」というのが正直なところでしょう。

やはり、何よりも『 関羽が北上したら、すかさず同盟を破棄し背後を占領した。』というのは、客観的にみて“狡猾にして卑怯”というのは否定できないと思います。関羽が孫権に激怒するのも分かります。
ただ孫権サイドからすれば、そんな事は乱世の常であり、呂蒙も言ってましたが、「陸遜を侮り警戒を解いていた。その時点で関羽軍の敗北は確定していた。」ということになるのかもしれません。

■「いかな乱世であれ、この邪(よこしま)な所業を罷り通すこと、関雲長が許さぬ!」

でました!有無を言わせぬ関羽の審判!
「いかな乱世であれ、」というところがポイントです。管理人は前項で「乱世においては云々」という表現を何回かしましたが、関羽においては「乱世ゆえ」などというのは重々承知してる模様です。しかしながら関羽内部には独自にして不変のスタンダードが在り、「乱世であっても許せる事と許せぬ事がある」のですね。
つまりこの台詞は、「乱世だから、という理由で何でも許されると思うな!」という関羽なりの凄まじいまでのジャッジメントが下されたのだと思います。

−今は乱世である。乱世ゆえ邪悪な所業もやむを得ないと人々が思おうと、この関雲長一人は断じて許さない。−

関羽には“義”という絶対にして厳格な基準(スタンダード)が在り、それはいついかなる時も侵されることは無く、圧倒的にして有無を言わせぬ断(ジャッジ)を下しました。

蒼天関羽のこの台詞によって、管理人の「貸与という事実はあったか。」「後背を衝かれたのはどちらが悪いのか。」みたいなこまい考察は吹き飛ばされちゃった気もします(笑)

■「要するに、こっちの勧告は呑めんというこっちゃな!」

出ました!武闘派公子・孫皎!
先陣は自分がやると言う呂蒙に「商人に化けるという面白い役を呂蒙に譲った以上、今度は派手にやらせてもらいたい。」と言ってましたが、先鋒をやらせてもらったようです。

関羽は関羽で凄まじい断を下していましたが、この孫皎の「なんかウダウダ言ってるが、つまり返事はNOってことやな。」みたいな倣岸な態度もこれまたいいです。
物語も終盤になって孫呉から非常にイイ味出してるキャラが出ました。


■黒虎背剣

なんかまた得体の知れない技を繰り出してきました、公子・孫皎。 “背”という漢字を使うということは、関羽の背後に回るような剣技なんでしょうか? なんか揺らめくような、剣舞のような、不思議な技でしたね。

さあ、李典昆の傷癒えぬ(と思われる)関羽は、孫皎の必殺剣をどうかわすのでしょうか!?
他の孫呉の面々はいかなるタイミングでいかなる攻撃を仕掛けてくるのでしょうか!?

関羽・最後の戦い。引き続き 目が離せません。

No.12233 - 2005/08/31(Wed) 00:00:38

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / zal [甲信越]
はじめまして、管理人様。キリ番を踏む日を夢見るzalと申します。
毎週レビュー楽しみに読ませて頂いております。こちらにお邪魔するようになってからだいぶ月日は経つのですが、書き込むのは初めてです(汗)お仕事も忙しい中、レビューにキリイラにご苦労様です。蒼天も終盤ですが、これからもがんばってください!応援しております。


荊州をめぐっての蜀と呉のやりとりはどっちの主張が正しいのか。

>蒼天関羽のこの台詞によって、管理人の「貸与という事実はあったか。」「後背を衝かれたのはどちらが悪いのか。」みたいなこまい考察は吹き飛ばされちゃった気がします(笑)

納得してしまいました(笑)

あとは、孫皎の黒虎背剣が次週楽しみです。
二人がどういった戦いを繰り広げるのか期待してようと思います。

中身の無い駄文で失礼しました。
これからも毎週読ませて頂きます。
管理人様、これからもがんばってください^^

No.12234 - 2005/08/31(Wed) 15:53:34

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 鳳卵 [東北]
 「時間がない」というのは、世の社会人が等しく持つ悩みじゃないでしょうかね。
 管理人さんがこれ程素晴らしい文章を書かれるために、どれ程のものを犠牲にされているか、想像するに余りあります。大変、お疲れ様です。

 さて、久しぶりの劉備でしたが…あんた、まだそんなとこにいたんかい!? ここ、漢中の桟道じゃないですか! まだ漢中からすら出ていなかったとは、思いもよりませんでした。
 魏軍の方は、北方からの軍勢さえ樊城に到着して関羽と激戦を繰り広げてたのに、随分のんびりした行軍ですねぇ。
 なんというか、ちょっと御都合主義的なものを感じてしまったんですが…

>−孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし。およそ民の上に立つものにあらず
 このセリフ、晩年の孫権の行動を見てると、結構納得できるものがあるんですけど…ま、それはここで言うことではないですね。

 孫権としては、結構本気で関羽が欲しかったんじゃないですかね。九割方は諦めつつも、なお関羽を自分の臣下として使いたいという想いが、ああいう微妙な降伏勧告になったのではないかという気もしてきました。

>相手にしているのは項羽ではなく曹操である
 そもそも、劉備を劉邦に擬えるのはともかく、曹操を項羽に擬えるということ自体、ムリがあるんですよね。
 曹操は宦官の孫であり、古い因習を打破して新しい体制を整えようとする改革者なんですが、項羽は古い名門の出身であり、どっちかというと古い体制を復活させようとした方なんですから、全然違います。
 やっぱりここら辺、蒼天孔明の策には血が通っていない感じですねぇ。

 荊州貸与問題に関しては、なかなか難しい面があります。
 呉の国の悩みとして、人口が少ないということがあるんですよね。なので、領土を拡げようとしてもなかなかうまくいかない。
 孫呉側としては、赤壁の戦における盟は対等のものではなく、劉備が孫権に臣従した形だという意識があったのではないでしょうか。(孫権と劉備の対談は、常に劉備が孫権の本拠地に出向いており、孫権が劉備の元を訪れたり、両国の国境線で両者が対談したりということはありませんから)
 もちろん、劉備側としては対等の盟だと思ってますから、そこら辺に意見の齟齬があったように思えます。

 関羽としては、それほど荊州が欲しいなら、盟など結ばず、正面から堂々とかかってこい! 人が留守にした隙なぞ狙うな! と言いたいところなんでしょうね。
 尤も、その盟は、曹操が漢中に攻め入ったために劉備側から求めたものだったんですが…
 
 孫皎は、さすがに現実派というか、理屈なんかどうでもいいって感じですね。関羽の威名にもまるで動じてないようです。やっぱり、中原から離れて暮らしてる人には、関羽の名前も余り轟いていないのでしょうか。

 それにしても、前回の虎燕拳といい、今回の黒虎背剣といい、こういう技の名前になにか元ネタとかあるんでしょうか? 

 次回、型にこだわる関羽と実にこだわる孫皎のどちらに軍配が上がるか、楽しみです。

 しかし、それ以上に、“途轍もなく強い”関羽と、“関さんを殺そうと必死になってる”欣太先生の勝負が、見所ですねぇ〜〜(笑)

No.12235 - 2005/08/31(Wed) 20:57:03

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / コチョコチョ
はじめまして、毎回楽しみに拝見させていただいてます。

■黒虎背剣
太極拳の剣術の動きの黒虎探山→蘇秦背剣って流れが
元ネタなんですかね?

http://www9.plala.or.jp/tombe_A/Pages/tou.html

ちなみに虎燕拳ってのは少林寺拳法の型の名前にあります。

まあ、色々な武術の達人ってことですね。

No.12236 - 2005/08/31(Wed) 22:36:22

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / ブ王 [関東]
> そんな管理人を励まそうなんて思って下さる殊勝な方!是非、ROMするだけじゃなくRES付けて下さい!!皆様の書き込みが管理人の励みでございます〜。
………と申されているので、いっつも中身が無い乍ら書かせていただきます。

関羽の死っていうのはもう分かり切っていることなんですが、それでも最後の最後まで悪足掻きをしてもらいたいです。
足掻いた生け贄として、孫皎が次回瀕死になりそうな気がします。曹洪ですら鎧着けてなかったから腕をもぎ取られたのに、今の武は張飛より上かも知れない関羽に対し、公子さんは腹丸出しですからね。

No.12237 - 2005/08/31(Wed) 22:38:09

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / TAKE [関東]
はじめまして。TAKEと申します。
毎週毎週ROMしているだけなんですが管理人様の素晴らしいREVIEWに敬意を評して初RESします。

>孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし!およそ民の上に立つ者にあらず!
関さんかっこよすぎです。感動しました。歴史を歪曲してでも生き延びて欲しいとすら思ってしまった。。。こんなかっこいい関さんをKING先生はどのようにCENSOREDんだろう。せめて夏侯淵以上の感動する描き方を期待しようっと。

最近、連載考かな?の過去REVIEW見ながら再度単行本読み直したりしています。今まで何度も読んでたのにREVIEW見ながら読むとまた再発見されて更に蒼天航路が好きになります。
管理人様、さすがです。これからも頑張って下さい。応援しています。
あいや〜!!

No.12238 - 2005/09/01(Thu) 00:01:20

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 英英 [関東]
孫皎、また出た!
「やっかましいのう」に笑いました。
樊城・曹仁軍の兵士に聞かせてやりたいですよ。
“吶喊”といい“大呼勧告せよ”といい、関羽軍は発声が命。

孫皎が、かつて甘寧と彼が喧嘩になった理由がわかる気がしました。
「何様じゃわれ」「挨拶なんかいらんし」ですと!?
甘寧は「ニィメンハオ」「挨拶は?」と礼を正す人だもの。
そりゃ親分、刃物を出すよな〜って思いました。
武の礼を尊ぶ関平とも合わなそうです。
「名のれい!孫皎」
「……(つっこんだ方がええんやろか)」


そして中原にいない人は、関羽への妙な恐れがないのですね。

>「知らんやろ、こんな技」

危ういな…孫皎。
相手が自分の技を知らないことが前提なのですか?
じゃあ相手に見切られたらどうするんですか?
意表つく技って、相手にかわされたら終わりじゃないですか。
さらに奥の手はあるんですか?
孫皎は確かに廖化を一撃で倒したし、絶対の自信があるんでしょうけど…。

でも軍神も魔人様も、一騎討ちで相手の手の内がわからないことなど当然って状態で、数十年戦場を渡り、生き抜いてきた。だからこそ、最強の武を誇ってるんだと思うのです。
「知らんやろ、こんな技」…だけで、軍神と呼ばれる武人や歴戦の将を倒せると思っちゃ危険だよ、公子。
「孫呉の公子は活躍してなんぼ」とはいえ、何も関羽と一騎討ちすることないのに。孫権に期待されてるっぽいのに、大怪我でもしたらどーするのー(><)

…と孫皎を心配してますが、もしかしたらイイ線いくのかな?とも思ったり(^^)
李典が発明した武器は関さんに傷を負わせましたし、孫皎もそれなりに一撃を与えたりしそうです。
まさか、この一騎討ちとその後の戦闘で「麦城の戦い」が終わるなんてこと、ないですよね?
「麦城の辞」というタイトルが、「送別の辞」を連想させて終わりが近いことを改めて思います(と毎度書いてるような気がします)。

鳳卵さんが書かれてるように、「途轍もなく強い”関羽と、“関さんを殺そうと必死になってる”欣太先生の勝負」は、まさに見所ですね。
孫皎は、関さんを殺そうと必死な欣太先生が送った刺客でしょうか。


管理人様、毎回毎回<今週の蒼天>ありがとうございます。
私もいろいろ追われる日々なので、お忙しい中ジレンマを感じる管理人様の心中お察しいたします。しかし、地元北海道を離れて慣れない東京仮住まいをする私には、木曜日に蒼天航路を読んで週明けに<今週の蒼天>を書き込む日常がとっても貴重です!!
UPが遅れようとも、しつこくお待ちしてますから(笑)、残りあと少しと思われる蒼天レビューを、どうか頑張って完遂されてください。

No.12241 - 2005/09/01(Thu) 04:10:47

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 平助 [東海]
管理人様!
お忙しいとは思いますが、がんばってください。
勝手に管理人様のレビューを読むのが習慣になってしまって。
管理人様ががんばってくれないと私の生活習慣が狂ってしまいます(笑)。

>>孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし!およそ民の上に立つ者にあらず!

私と関羽の考え方の一番合わない点ですね。
権力者や支配者、もしくは為政者と呼ばれる人間に要求されるのは豊かな社会を作ることであり、外敵を倒すことです。孫権が蜀を裏切った結果は長江を使った防衛網の完備や、呉の懸案だった人口問題の解決です。中国全体の視点から見れば乱世を延ばすだけとも言えますが、孫権にとっては当然の選択だったと思います。

乱世の華も散り行く時が近づいているようです。ワクワクする漫画はたくさんありますが、切なくて楽しい漫画は少ないです。蒼天万歳!

No.12242 - 2005/09/02(Fri) 01:47:13

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 文月 [近畿]
今週は休載でしたね。

蜀軍の進軍が遅いわけ。
蜀の軍隊は機動力が非常に低く、行軍に関する限り牛歩以下だったと、とある本に書かれていました。
ただでさえ行軍速度の鈍い軍にその上天険と言われる蜀の桟道とあっては劉備の進軍がこれだけ遅いのも納得でしょう。

No.12243 - 2005/09/04(Sun) 12:10:47

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 閻行 [関東]
>>孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし!およそ民の上に立つ者にあらず!

>私と関羽の考え方の一番合わない点ですね。


私は権謀術数とは別にして、関羽の言うことにも一理あると思います。
呉という国は良くも悪くも大義の薄いところから出立してますよね。

これまで劉備一行が天下をぐるりと周ってきたことで培ってきた大義とは、天下のさまざまな想いをその巨大な器に収め、どんどん成長していった民の想いでもあります。
孫堅−孫策−孫権+周瑜が培ってきた大義も小さなものではないにせよ、どうしても孫家もしくは江南限定であり、天下を打ち震わすほどの大きさではありません。
だからこそ曹操も孫権を認めつつも「江南を任せる息子」といった表現をしているのかもしれません。

呉一国の維持伸張という意味では有効な戦略であり、大義に則っているともいえますが、天下統一=前提として曹操打倒という意味では、かなりの後退といえます。
そして同盟者(しかも民衆の英雄とされている劉備及び関羽)を裏切った者という意味でもかなり大衆の持つイメージがマイナスです。

関羽からすれば、「打倒曹操の大義(義)を踏みにじり、天下への大計(実)を無に帰し、民の心情(心)をないがしろにした孫権は民の上に立つにふさわしい人間ではない」というのは当然である、といえましょう。

ちなみに樊城の戦いでの孫権の裏切りの場合、呉としては蜀に対する優位ではあっても対魏に対する防衛としては防衛ラインが長くなり、必ずしも有利ではないという点、人口問題を解決するには、荊州よりも中原を版図に収めたほうが効果的、という観点から、効果的であったとは思いません。
当然、荊州を手に入れた分長江の防衛網も完備され、人口も増えたかもしれませんが、魏の領土を奪ったわけでもなく、ただ同盟者同士で叩き合ってくれただけであり、むしろ劉備と関羽の巨大な影響力をつぶしてくれたことで、魏の中原支配は磐石のものとなった、といえます。

なので天下全体を見ると、どうも孫権には分が悪いような気がします。
権謀術数は不可欠ですが、あまりにも利益優先とえげつなさが表に出すぎてどう考えても民衆や兵士が好感を持つとは思えません。

私は関羽と意見が同じとまでは思いませんが(独善的過ぎますから)、自分が現場に立ったとして孫権の謀略を知ったとしたら、孫権の元にいることに誇りはもてませんね。

No.12252 - 2005/09/04(Sun) 22:53:02

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / いっちい
私は呉びいきでーす。

> これまで劉備一行が天下をぐるりと周ってきたことで培ってきた大義とは、天下のさまざまな想いをその巨大な器に収め、どんどん成長していった民の想いでもあります。

やっぱり、劉備ってば、大義(これは儒家の考え方か?)を味方につけて、特に孔明を始めとする荊州知識階層を、大量引き入れているってことかしらん。孔明の策って、旧き儒家思想勢力を呼応させるってことで。
関羽の仁侠ってば、ある意味典型的な儒教側勢力ってことでしょうか??

> 孫堅−孫策−孫権+周瑜が培ってきた大義も

完璧に南方の新興勢力ですよね。唯才の曹操も、儒家思想を陵辱する側ですし・・。大義という概念より、天とか、宿命を受けて、なーんて、考えてるとこが蒼天のミソかなあ。

> 呉一国の維持伸張という意味では有効な戦略であり、大義に則っているともいえますが、天下統一=前提として曹操打倒という意味では、かなりの後退といえます。

ど、どうでしょ。曹操、孫権、そしてだれより劉備は、ぜーったい、他人の下に屈服することのない人生を選択している訳ですから、(だから三国のそれぞれの主になった訳で)そして、周郎の戦略によれば、蜀を併呑して、(二国鼎立の後)魏へ雪崩れ込む予定だったのですから。呉による天下統一という意味では(多分、後年の孔明の北伐が本気だったように、呉の天下を真剣に考えていたのでしょう。陸遜も”天下の戦いが始まる”とか云ってますし)、別に蜀を叩いたって、後退じゃないでしょう。

以上、呉の応援団からでした。

No.12261 - 2005/09/06(Tue) 04:55:44

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 安楽斎 [近畿]
管理人様!

いつも素晴らしいレビューご苦労様です!(拱手
同じ社会人として、あのような激を飛ばされて、
なお座視するようでは関さんの青龍刀で真っ二つでしょうね^^
諸兄のご意見に及ぶべきもない、駄文ですが今回初カキコに踏み切りました!

孫呉陣営とその外交施策についての話題が多いようなので私の雑感を少々。
特に孫呉びいきではないのですが、
この時期の孫呉の外交戦略は冴えに冴え渡っていたように思います。

関さんには「義なく、実なく、心なし」と一刀両断されていましたが、
周瑜亡き後、魯粛の三国鼎立路線を国家戦略としていた孫呉にとって
劉備の漢中王宣言を受け、座して待つだけでは中原の覇権を争うどころではなくなってしまいます。

結果、魏には降伏の姿勢をとりつつ合肥に兵を進め、同盟国の蜀にあたっては関羽の背後を衝いた上で尚も同盟の維持を訴える。
このジリジリとしたパワーバランスに中にあって実に巧妙な駆け引きではないでしょうか?

この周瑜から魯粛へと綴られた緻密な国家戦略に対し、
関さんの、曹操をして「愚直なまでの義理堅さ・頑迷なまでの潔癖さ」と言わしめる
義侠心との、ぶつかり合いがこの荊州争奪戦であると感じでおります。

この情熱と冷静の狭間をどう書き綴るのか、次週の内容が楽しみでたまりません!

> 孫権の書状の真意が謎です。(ちなみに管理人は張昭の策謀説をとっておりますが。)

わたしはやはり呂蒙に1票を投じます。
呂蒙は周瑜の天下二分の戦略案に強く影響を受けていると思いますし、
当然蜀を得た上で、魏にあたるという路線を常に検討していたのではないでしょうか?

呂蒙伝にある孫権への上奏文の中に『我々が死んでしまうと機を逃す。』と
自らの死をほのめかすような1文もありますし、
そうとう前から対関羽への戦略を練っていたのでしょうし
孫権もそんな呂蒙の想いに乗ったのでは?と愚考します。

No.12263 - 2005/09/06(Tue) 18:01:29

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / ごん
何かと引き合いに出されがちな項籍と劉邦ですが、
劉備=劉邦はともかく、曹操=項籍は無理がありすぎますねー。
特に人材活用、兵站能力の重視、官僚機構の構築の3点が項籍と曹操の一番の違いと感じます。
劉備側からすると曹操=項籍論は今の郵政民営化論のように単純化されて民に分かりやすいものであるため蒼天諸葛亮が選択したのでしょうが...  亜父とジュンイクでは殺し方の事情も違いすぎるし(笑)
とにかく曹操は項籍より政治的、戦略的にスケールが大きいと、そう言いたいのです。まあ、時代が400年違いますが。2000年の今と関が原の違いですもんね400年は......

No.12266 - 2005/09/08(Thu) 22:52:24

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 鬼奎
>孫呉の降伏勧告

私はこの発案者は陸遜じゃないかと感じました。
的はずれかもしれませんが、
張昭は極力戦を避けて外交で片をつけようとし、呂蒙は残り少ない命を関羽との戦いで燃やそうとしているはず。
そう考えると、突拍子もないように見えるこの降伏勧告は呉の新星・陸遜にふさわしい気がしました。
初登場時も「先にそちらが呉の食料庫を襲った」と兵士を論破していましたし。

>孫呉の戦略について

周瑜が健在であった頃とは随分と状況が変わっている現在、
果たして孫呉が天下二分に基づく天下統一構想を持っているのかかなり疑問です。
蜀びいきの私などは、最終的に超大国魏を打倒する為には蜀との協調路線を取る以外に道はないように見えてしまいます(笑)
勿論それぞれの思惑もあり、孫呉としては漢中王宣言に乗れない対面もありで難しいのは分かりますが、
受諾される可能性の低い降伏勧告など、首をひねらざるを得ない所です。
この辺り、孫呉の事情に詳しい方の意見をお聞きしたいところです。

No.12268 - 2005/09/08(Thu) 23:47:35

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 曹沖
こんばんは
今回の蒼天はかなりよかったです。
関羽の死へのカウントダウンが始まったって感じがしました。
できれば、関羽は史実のような捕らえられて死ぬより、孫コウに討たれ・・・・いや、孫コウもこの後すぐに死ぬのだからいっそ孫コウと相討ちになってほしいです。蒼天初期からでている古参のキャラなので関羽には夏候淵に勝るとも劣らない死に様を遂げてほしいです。

No.12269 - 2005/09/09(Fri) 20:27:38

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / つね [関東]
こんなに遅れると拙いレスをつけるのに引け目を感じてしまいます。まこと社会人は忙しい。誕生日のプレゼントに何がいい、と聞かれて「時間」と答えたけど楽しみです。

1.劉備の戸惑い
2.関羽の糾弾
3.孫皎の挑発

 英英さん同様、孫皎には危うさを感じます。甘寧に喧嘩を売ることといい、実力はあるけれど、世間知らずのお坊ちゃんらしさを感じます。

>関羽の義

 蒼天と史実とは一線を画してみるべきものなのでしょうが、実は蒼天では関羽の落ち度となるような話は全て省かれているんですよね。

・単刀付会・・・魯粛に関羽が言い負かされる。
・婚姻拒絶・・・孫権からの、関羽の娘と孫権の息子の婚姻の申し出に対し、「虎の娘を犬の息子にやれるか」と侮辱して拒絶する。
・謙下の書・・・陸遜が関羽にへりくだった手紙を送ったため、関羽は油断する。

 また劉備も、孫権からの「一緒に益州を攻めよう」という申し出に対し「同じ劉氏を攻められない」と断っておきながらちゃっかり自分だけのものにしてます。それらの事情を知っていると、関羽のセリフなんて自分勝手に思えて仕方ありません。蒼天世界では別の判断基準が必要なのでしょうが、この演義異常の関羽美化はどうもいただけません。

No.12273 - 2005/09/11(Sun) 04:50:27

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RYU [東海]
お疲れ様です。

>孫呉の降伏勧告

前のとこで、孫権が関与してるんじゃないかと書きましたけど、呂蒙は対関羽の中心的な戦略立案者であり、陸遜にいたっては孫権が自分の印璽を持たせて対蜀の外交戦略については必ず可否を判断させたそうですので、参謀の誰かじゃないかな、という気がしてきました。

>孫呉の戦略について

まだまだ勉強不足ですけれども、「シビアな国際外交」は外敵を狙い通りに翻弄・分断し、こちらは政治的に絶対優位な立場を確立して行く、外敵には長期に渡る政治的損害を与え続ける、同盟国は無条件のパートナーでなくお互いに利用し合えるものだと思います。
仲良くできるに超した事はないですが、外敵扱いされるリスクがあるなら、こちらもシビアにやらざるを得ないと思っているだけではありますが・・。
国内の政では和が第一ですし。

とにかく、対立する二国の間を上手に渡り合う孫呉はかなりの外交巧者だと思います。

>劉備側からすると曹操=項籍論は今の郵政民営化論のように単純化されて民に分かりやすいものである

呉との協調路線によって成り立つ天下三分策と漢中王宣言ってリンクしていない気がしますので、劉備陣営の御都合主義という側面はかなりあると思います。
しかし、人々の生活を悪くする組織は改革が必要だと思いますし、全体的な戦略に郵政民営化はリンクしていると思います。

>“狡猾にして卑怯”というのは否定できないと思います。関羽が孫権に激怒するのも分かります。
>孫権サイドからすれば、そんな事は乱世の常

関羽→孫権「義なく、実なく、心(しん)なし!およそ民の上に立つ者にあらず!」
作中に無いですので、孫権→関羽のコメントが気になる所ですが、果たして「途轍もなく強い武神」なのか「古い侠客」に過ぎないのか。
かじった知識で恐縮ですが、正史の呂蒙の手紙には「関羽をあてにする必要はない」と書いてありますので、「一強敵」に過ぎないのか・・。
どちらにしてもお互いでお互いを正確に評価できない立場である気がします。

それに対して曹操は、
曹操→関羽「愚直なまでの義理堅さ・頑迷なまでの潔癖さ」
曹操→孫権「父と兄・二代の遺したものに跨りつつも、そのまま押し上げられて天下に出てゆくことをよしとせず、あたりまえのように自軍が引いた長江という戦の境界を思わず破ってきおったか。思わずいきなり−そこに新たな人の始まりを感じるぞ」
であり、双方の特徴を正確に把握できてしまうんですよね。
僕も最近まで曹操と孫権は非常に近い立場にあると思ってたんですけど、いくつかの要素を見ると中間的立場とも考えれるんですよね。

例えば、国の戦略の違いとして呉蜀と比較した際の魏の長所について考えてみると、曹操は冷徹なリアリストでありながらどちらか一方でなく様々な選択肢を採れるバランス派であります。漢朝政策についてはやり過ぎの感ありですが無為の破壊でなく陰謀への報復であるという面もあり、彼個人は皇帝にも就かない訳ですから当初は古きを保持しようとした面もあると思います。(漢朝への勲功第一等の曹操への陰謀を企てた朝臣の判断力に問題があっただけで。)
ラストサムライの言葉を借りちゃうと、言わば「今古有神奉志士(新しきと古きに和をもたらす者)」であり、呉蜀双方の折衝的な立場でありながら時代を牽引する実力を持つ大国である所が抜きん出ている違いではないでしょうか。
それに対して、孫権は漢朝に対して何の意見も持ってない訳で、周瑜にいたっては赤壁で「この戦は天子の羽根を剥ぎ取る戦い」とまで明言してますよね。

僕個人は孫呉がかなり好きなんですけど、曹操と孫権の「リアリスト」というのは別物である気がします。
曹操は中央政権であり、孫権はそうでないですから漢朝や中央社会との付き合い方も知らない訳ですので、後者のように名分が皆無であるリアリストが中央でそのまま通用するかどうかは疑問です。

名分にこだわらないからこそできる大仕事もあると思いますので、ここらへんは複雑な心境ではありますが。

No.12274 - 2005/09/11(Sun) 04:55:45

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 松ブ@上海 [外国]
孫呉に大儀はあるのか? 曹操や劉備にはあるのか?
勿論ある訳ですが、皆が同じ土俵で考えているというのは間違いではないでしょうか。
矢張り豊かな江南からスタートした者の考えと例えば厳しい自然環境の中幽州からスタートした者の想いは異なって当然で、さらに中原という中心地もまた異なる想い、だと思います。

大体関さんと曹仁が会話するのは解りますが、甘寧と許猪が同じ言語で会話できたんだろか、という疑問がのこります。
同じ漢民族同士だったとしても、上海語と普通語って外国語ですよ。
その当時のことは知りませんが。

言語議論ではなくて、ことほど左様に発想が違って当然、従って孫権の想い描いている天下と曹操の想い描いている天下は非なるものではないか、と受け止めています。
曹操と劉備は足場は同じかもしれませんが。

然し、庶民・兵士の大部分の戦う理由は「食う為」「死なない為」「かあ〜〜こぇぇ」のどれかだったと思いますし、劉備に何十万の民衆がついてきたのも、その大儀に感動したこと以上に、「飯がくえるかも」が先だったのではないでしょうか。
そういった意味では孫権は地方の為政者として極めて正しい道を選んでいたと思います。

No.12281 - 2005/09/11(Sun) 13:54:15

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 閻行 [関東]
大義より権謀術数が大事的な発言に対し、「大義も重大な戦略ですよ」、くらいの意見を述べたつもりだったのですが、予想以上の反響でびっくりしました。

孫権の行動が間違っていたわけではないですよ。
このまま蜀が襄陽・樊城を制圧して許昌を圧迫するようなことがあれば、万が一長安を占拠するようなことになったら・・・
孫権としてはもう蜀に首根っこをつかまれたようなものですし、長江の上流という地理的に優位にある蜀との戦いになれば、へたすれば水戦でも敗れるかもしれません。

ですが、関羽にも関羽の行動原則・大義があり、関羽も大義に殉じた理由があるわけです。そして民衆の支持は現実は関羽を神に祭り上げるほどのものであったのですから、その大義に影響力がなかった、と決め付けることもできませんし、そういった民衆の感情を孫権の行為は著しく逆撫でした側面を考えざるを得ないわけです。

われわれ現代に住む日本人にしても、「理想の上司」「素敵な恋愛」など妄想するわりには、日常生活は即物的です。
ですが、政治家や有名人にはそういった妄想をストレートにぶつけますよね。
それこそ民衆の支持であり、関羽という人物が庶民のヒーロー劉備の守護神として民衆の抱いているイメージこそ、民衆の大義といえます。

呉は孫策の時代から滅ぶまで山越という異民族を抱えているとはいえ、反乱に悩まされ続けます。これは鎮圧した後でも民衆の感情をうまくなだめることができていないため、反乱の指導者が現れるとそれに呼応する庶民がそれだけ多いためではないでしょうか?

それぞれに大義名分があるとは思いますが、結局民衆に支持されていたのは「関羽」というのが私の意見です。

個人的にはいくら権謀術数を利用して卑怯な手をいっぱい使って結果を得ても、それが維持できなければ労力を費やすだけです。
手段は卑劣でも最終的に大義に則り、民衆の支持を集めなければ、名君とはいえないでしょう。

No.12284 - 2005/09/11(Sun) 21:22:38

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RUN
>管理人殿
わかるっすよー。社会人で責任あるお仕事と地位に就かれていればお忙しいことこの上無いですよねー。私、たいした仕事と地位にあるわけでもありませんし能力もたいしたことありませんが、一時期、書き込みするのもおっくうになりましたもの。HP運営していること自体脱帽です。
逆に私、近況ですが、最近地元に戻って転職のために学生になりまして、自由な時間が増えました。この機会にかねてから念願だった正史三国志やっと一巻から三巻まで購入しました(ウレシー)
本題と関係ありませんが、がんばってください。
今日は選挙ですね。引越しの関係で投票行きませんでした。911でもあります。仙台はジャズフェスティバルで盛り上がってましたが、平和の祭典のつもりでそっち見に行きました。世界が平和でありますように。関羽の死が気高く尊厳に満ちたものでありますように。
関係無い話が多くてすみません。本題については後日感想を述べたいと思います。

No.12287 - 2005/09/11(Sun) 21:58:51

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / ビート肉 [中国]
こんばんは、お疲れ様です。

>孫呉について
僕は日本の幕末の薩摩藩のような印象を受けました。
尊皇攘夷主義なのに力を付け過ぎてきた長州藩を追い落とすために会津藩や幕府と手を結んで、長州藩を散々に叩いてその人々を怒り狂わせたり、逆にその後で長州藩と同盟を結んで会津藩の人に感情的に理解しがたいというか割り切れない思いを抱かせたり。
長州にしても会津にしても自分たちは尊皇攘夷主義なり佐幕なりの主義・思想に従って行動してるのになぜ薩摩は??っていう気持ちがあったと思います。
孫呉にしても薩摩藩にしても思想や主義ではなく、国力増増強して天下を取るってことがそれより優先して、それに従って戦略・政略を組み立ててこう、ってやり方なのでしょう。
変な例えですみません。

孫呉は老獪で計算高く、それでいてそれを隠さない。素直というか即物的ですよね。

>孫呉の降伏勧告
前からいろいろ議論されてますが、僕は呂蒙の案に一票です。
こんな降伏勧告なんかしたら、間違いなく関羽は怒りくるって向かってくるだろう、そこを何とか是が非でも討ち取りたいなって事で。
まあ、孫権を含めて首脳陣の総意を酌んだものだという気がするのですが。
それで関羽が飲んでくれたら(ないでしょうが)儲けもの、って孫呉の計算高さを男らしく高らかに謳い上げて♪

>趙累
いいキャラですね。趙累のキャラクターは正史にどう書かれてるか詳しく知りませんが、関羽の周りにはこういう人たちが居た、ということなのでしょうね。そこから想像を拡げて演技に山賊上がりの周倉も部下として登場するっていう。

蜀びいきなので、馬ショクを使わせてもらいます。蒼天での彼、諸葛亮の理解者っぷりが良いですね。

No.12293 - 2005/09/12(Mon) 21:34:37

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RUN [東北]
蒼天は読みつづけているが、他の三国志関連の漫画や別のジャンルの漫画や本も読む。ただ他の本を読むにつけても思い起こすのは蒼天のことである。蒼天は私にとって色んな事柄への関心や好奇心を引き起こさせてくれた特別なものである。久しく投稿から離れることがあってもそれは変わらない。今はまた休載だが続きは見たいが、なるべく永く連載は続いて欲しいという矛盾した思いに囚われている。
もうすぐ連載が終わるのだが、このHPは続いて欲しいですね。流砂以来蒼天といえばこちらしか思いつきません。まだ蒼天は語りつくしていない者にとっては寄り木を失う思いです。今正史三国志を読みながらまた中国への憧憬が強まりました。それに収まらない思いが湧きあがってきます。<麦城の辞>を読みこみ上げてくる感情は何であるか。また思うがままに言葉を発してみたくなりました。

『詩を学ばざれば以って言う事なし』と孔子が言った詩経に次のような詩がある。

「相鼠」
鼠をみるに皮あり、人にして儀無し。
人にして儀無きは、死せずして何をか為さん。

鼠をみるに歯あり、人にして止無し。
人にして止無きは、死せずして何をか為さん。

鼠をみるに体あり、人にして礼無し。
人にして礼無きは、何ぞすみやかに死せざる。

この詩は古代の民衆が悪辣な施政者を諷刺し、威儀も恥も礼儀も無いのにどうして生き長らえているのかとこきおろしたものだが、何気なくこの詩を目にし、関羽の「義なく、実なく、心(しん)なし。およそ民の上に立つものにあらず」の言葉が思い浮かんだ。無論王欣太氏がそれから引用したとは深読みはしない。にもかかわらず関羽の「悠々たる我が心」(果てしない口に出せない我が心)をかいま見た思いがした。
いかなる義をもってこの天にあるのか。
いかなる実をもってこの地にあるのか。
いかなる心をもってこの人にあるのか。
何者もうかがい知れぬ関羽の心!!はかりしれぬその思いに身悶えする思いだ。

ここにおいて心が別な物語に想いが飛ぶ。切ない話である。その男は本格の盗賊の二代目であった。父親の遺言を守り本格の仕事を看板にしている。ある時、片腕の無い物乞いの女に出会う。金子を落とした商人の財布をわざわざ届けた女に興味を持ち、女に死ぬ前に一度食べたいと願っていたという鰻をごちそうする。何故金子を盗まなかったのかと問う男に女は「私は人様の情けを受けて生き長らえている。そんな私が一つだけ心に誓ったことがある。『人の物は盗まない』という看板を背負ってます」と語る。そんな女の身の上を聞く男が青ざめる。かつて自分が手がけた「仕事」で雇った見張りの男が賄いをしていた女の腕を切り落としたのだと知る。女は鰻を頬張り涙ぐむ。「私はとうとう鰻を食べましたよ」と。男は善行を見せてもらった礼にと金を女に渡して別れる。
その晩女は物乞いの仲間にその金でご馳走や酒を振舞い、はしゃぐ。その晩「こんな幸せな気持ちのままCENSOREDねえ」と涙ぐみ首を吊る。男は自らの業と底の浅い情けを悔やみ、父親に仕えた老侠に本格の掟を汚した見張りの暗殺と自身の妻子の世話を頼み、役人の家に夜更けに訪れ、盗賊の看板をおろすことを伝える。役人は言う。「お前ら盗賊の看板は盗人の見得にまみれたクソまみれの看板だ。女が切ない思いでぎりぎりの思いで磨き上げた看板とは違う」と。男は黙ってその言葉を聞き、その後密偵として名を捨て凶賊の摘発に協力する。そして闇の掟に従い、報復され殺される。役人は男の遺骨を自分の自宅の庭に埋葬し毎朝祈りをささげた。(出典は控えます)

ここに私は思う。かつて名前と故郷を捨てた男がいた。いかなる事情があったかは知る由は無い。それでも汚されぬ看板が彼にはあった。その看板の為にすべてを捨てることがあっても彼には後悔は無かった。およそ侠者の心はそのようなものである。いかなる時代も場所も超越している。曹操は言う。「関羽は劉備のものか」否。彼はすでに万人のものとなった。すべてを被う蒼天の雲である。蒼天航路も私にとってそのようなものとなりつつある。

No.12294 - 2005/09/12(Mon) 22:11:41

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / いっちい
二週休載だったので、読み返していたら・・

> 「生き延びて、南郡の民に尽くせい。」

関羽ってば、敗死を覚悟したってこと?自分の死後、呉の占領下で、南都の為に頑張ってくれっていう意味??

張遼は、呉の圧倒的大軍に噛みついたけど、今回の包囲は違うからね。
覚悟しながら、でも大義の勝利を疑わないっていうことかなあ。

死の覚悟とは、無縁の、どよーんとした凡人には測りかねます。

No.12298 - 2005/09/13(Tue) 21:07:59

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 法 [関東]
凡人だからってどよーんとしてるとは限らないですけどね。
普通の人も明るい人も居ますよね。

大義というよりは、強い方が勝つべくして勝つのではないでしょうか?

No.12299 - 2005/09/14(Wed) 18:00:04

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 閻行 [関東]
>凡人だからってどよーんとしてるとは限らないですけどね。
>普通の人も明るい人も居ますよね。

→だからといって、死の覚悟をしている人は少ないですよね。


>大義というよりは、強い方が勝つべくして勝つのではないでしょうか?

→なら関羽が勝つのでは?どう考えても関羽の強さがきわだってるよう
 にみえますが・・・

以上、なんだかつっこみどころがズレてる感じがしたので。

No.12300 - 2005/09/16(Fri) 00:58:28

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / つね [関東]
めずらしく2回目の投稿(そろそろ休載に飽きてきた)。

>孫呉の降伏勧告

 張昭、孫権、呂蒙、陸遜・・・と発案者についていろいろな説が出ていますが、どの説の支持者であっても「この勧告が受諾される可能性がほとんどないことは分かっていたはず」という部分が共通しています。

 発案者は別として、降伏勧告を出した理由として「責任転嫁」説を出したいと思います。つまり「我々は関羽に対して助命のチャンスを与えたが、断ったのは関羽である。だから関羽敗死の責任は関羽自身にあり我々にはない」と、世間、劉備、そして関羽自身に語っているのでは。いってみれば「言い訳」ですが、こんな言い訳が必要になるということは、その人は内心では卑怯な手段に対する後ろめたさがあるのではないかと。

 では発案者は誰か。張昭、陸遜は今回、個人的な罪の意識を感じる必要はあまりなさそうです。呂蒙は最大の責任者かもしれませんが、言い訳なんてしないような気がします。世間の批判は甘んじて受ける覚悟もあったのでは。孫権は私人としてではなく、「呉の主」として世間にアピールする必要があったのではないかと思います。

 ということであいかわらず孫権説で。もっとも「呉の立場」を考え、というのは、誰にでも可能性が出てきますが。

No.12301 - 2005/09/17(Sat) 12:42:03

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RUN [東北]
>つねさん

私も休載に飽いてきました。
ところで孫呉の降伏勧告の発案者については誰かは断定できません。しかし荊州侵攻の最終決定者は孫権ですから、孫権が直接書いたわけでは無くともとにかく誰かには書かせたのでしょうね。
対比として関羽は先の戦争で干禁らに降伏を勧告しています。「そもそも将が兵を犬死から救うことは絶対的法則・・・」と断じたり、曹仁に降伏の勧告を迫る立場が一転、立場変わって自分が降伏勧告を受ける立場となるとは夢にも思わなかったことでしょう。
自分の降伏勧告には義があるが、孫権の降伏勧告には不義があるとする関羽の判断はどこから来るのでしょう。孫権に躊躇いやうしろめたさがあったとは私は思いません。むしろあってはなりません。天下人たる者が・・・。あったらそれこそ天下に不義不実の「痴れ犬」です。むしろ不義不実を言い立てる関羽が哀れで滑稽に見えます。むしろ受け(られ)るはずのないあの降伏勧告こそ「体裁」のためのものではなく、関羽に死の宣告をする「遅すぎた宣戦布告」「死刑宣告」のように思えます。

天下人たる孫権はその天下人たる大いなる意思をあらわにし、「お前をCENSORED」と言い放ったのです。

というのが私流の解釈でした。「責任転嫁」説に対抗して「確信犯」説というのはどうでしょう(挑発的?)

No.12302 - 2005/09/18(Sun) 10:11:15

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / Dr
>RUNさん
私的には孫権は天下人ではないような気がします。
曹操・劉備が天下の民のことを考え、統一しようとしているのと違い、孫権の目的は江南を富ませ、江南の民を支配することだと思います。それゆえ、常に億万の民を食わせることを考え、天下のことを思い、悶え苦しんでいる劉備を想うと、極端な話自分達のことしか考えていない孫権のことが許せなかったのではないでしょうか?拙い考察ですが、私はそう感じました。

No.12303 - 2005/09/18(Sun) 11:37:53

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RUN [東北]
>Drさん
以前私も呉は孫氏中心の国で民との接点が見つからないと思った事がありました。正直今もそう思っております。
ただかつて孫氏や徐州の名士層と反目していた江南の名士の代表たる陸氏の陸遜の政権参加あたりから、江南が「国家」として動き出し、独自の政権を志向しつつあると見るようになりました。江南の民を富ませたり支配するだけなら、荊州は不要です。政権維持の防衛的な意味での侵略という解釈も可能ですが、蜀漢にとって中原回復に荊州は必要不可欠ですし、、防衛だけなら蜀漢の領土でもいいわけです。かつての大戦でドサクサまぎれに占拠したと考えていても前の講和で領土問題は決着しています。それをあえて不義の批判を承知で侵攻し、荊州を求めるのは中原、すなわち天下を志向しているからです。
まあ関羽にしてみれば孫権は魏や蜀漢とは別に何の正統性の根拠の無い私的独立政権の首長に過ぎません。(今も私もそう思ってます。正直、天下上等!のノリですね。嫌いじゃないけど)まあ正統性自体幻想の一種ですから、孫権は「歴史」(既成事実の集合体)を創っていると言えますからね。そうした意味で孫権は「天下人」かなあと思えます。

No.12304 - 2005/09/18(Sun) 20:27:48

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RYU [関東]
携帯からなんで手短で失礼します。

蒼天的に、天下人なのか「王」なのかどちらで呼ぶべきかは分かりませんけど、
曹操や劉備と比べてみた場合に限り、孫権は微妙な気がします。

大義といった名分にこだわらないから、中央社会を抑える曹魏の裏を掻く
巧妙な外交が展開できたのかもしれませんけど、中央政権でなく軍閥に近かったからこそ、
「威信の失墜を魏・蜀ほど気にする必要が無かった」という強みもあり、
だからこそ乱世の外交を断行できたんじゃないかと思います。
このへんは、呉の外交に翻弄され続けた曹丕政権の外交感覚に問題を感じたりもしますが。

(現代では、イレギュラーな情勢次第で大国でも政治的危機のリスクを抱えるので、
内政でなく国際外交に限っては巧妙さ・狡猾さが必要だと思いますが)

威信や信頼というのも無形なんですけど時に目に見える効果をもたらすもので、
交渉事なんかがあっさり決まってしまったり、スタッフ・提携先・業者を
強く動かしたり、強い熱意のあるベンチャー社長を見込んで投資家が集まったり、
割と、実利と直結してしまう事がありますよね。

当時の国際政治レベルとなると、
「威信や信頼が果たしてどれほどのパワーを発揮するか」を推測しかねますので、
今の流れで挙げるには的外れな例え話かもしれないですけど。

既に外交の現場に居る段階の方とかなら事情に精通してるんじゃないでしょうか。


ですので、孫権には勿論長所もあると思いますが、
内外での信頼性・不評を残さない形での交渉のツブシ、優位が揺らいだ際に
組織が分裂・弱体化してしまわないような人材の選び方・教育・チームワーク方法の問題や、
リーダーの資格の一つである「長期的に人を育てる・まとめ続ける」という観点から
見ても、蒼天の王や天下人として、曹操だけでなく、関羽・夏侯淵・周瑜や、
もしかしたら劉備にも及ばないのではないでしょうか。
一部根拠が蒼天でなく正史にもシフトしてしまって恐縮ですが、
「王としての孫権はどうか」という意見としては、上述の優秀な
ロールモデルと比べると、僕的にはどちらかというとDrさん寄りですかねえ・・。

そういえば、曹操は政を真剣にやりながらも、実利もやってのけてますよね。
松ブ@上海さんのリアルを踏まえた御意見の通り、実利を得るのもリーダーの資格の一つで、
そちらを重視する観点だと孫権は非常に優れた部類だと思いますが。

No.12305 - 2005/09/18(Sun) 23:00:17

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 黒助 [関東]
管理人様、皆様、こんにちは!黒助です。
いつの間にか私がリクエストした曹丕がこのサイトのTOPに!感動です。その上管理人様からのROMメンバー(これって重複言葉ですね…)への熱い呼びかけにも関わらず少し書き込みに間があいてしまいすいません。
関羽対孫呉の決戦を前にして盛り上がっていますね〜。
ただこの関羽と呉はともに私にとって蒼天における位置づけが難しい存在なんですよね。なかなか書き込めなかった理由もその辺にあります。
というわけで今日は一日時間があったので呉に関わる部分を中心に久しぶりに蒼天をじっくり読み返してみました。
まだうまくまとまってはいませんが幾つか思ったことを書いてみたいと思います。


>「荊州貸与問題」
管理人様の正史に基づいた考察、いつもながらに脱帽です。ところで蒼天読み返して気付いたんですが、南郡の貸与だけでなく呉と荊州には深い因縁があるんですよね。
そう、孫呉先駆けの名君・孫堅が果てた地、これこそが関羽と曹仁が熱い激戦を繰り広げた樊城だったんですよね。
そのシーン、蒼天においては都の復興活動と玉璽の発見によって洛陽での高い声望と勢力を確固たるものとした孫堅が袁術に命じられたからではなく、南の民の求める声に応えるために自ら決断した南下として描かれています。
劉表は戦うことなく襄陽に引き、孫堅軍は民衆の歓迎によって樊城へと入ります。そして蒼天ではこの時呉軍の各将がこの地をもって孫呉の天下への拠点を得たと確信したことが描かれているんですよね。

「何か天下に一歩近づいたような気がしないか?」(韓当)
「荊州に足を踏み入れたとき俺も確かにそれを感じた!」(孫策)

孫堅自身も荊州が南から中原へ進軍する上での重要な軍事拠点となりうることを思索した後かの名言を放つわけです。

「叢雲のかげにあって月は満ちていたか」

これらはあくまで劇中のセリフで史実においてもそうだったかはわかりませんが、少なくとも蒼天において荊州は孫呉にとっては初めて明確な天下への思いをはせた地であり、物理的側面以上に大切な天下への足がかりの地となっていることは疑いようがないように思います。
このころから荊州争奪戦への布石を打っている辺り、さすがですよね。
そしてRUNさんも仰っている通り、その荊州を頑なに狙う孫権は本人も宣言している通り天下へ挑み続ける者であると私も思います。


>孫仲謀に、義なく、実なく、心(しん)なし。およそ民の上に立つものにあらず
>関さんかっこよすぎです。感動しました。
>私と関羽の考え方の一番合わない点ですね。

皆さんの意見が見事に分かれて面白い点ですよね。実は私も孫呉の天下・大義については孫権よりはるか前、孫堅の当時からずっと頭を悩ませています。
蒼天において曹操・劉備が天下人であることあることは明白で、かつ「唯才・理」、「源流回帰・理外」と民衆を捉えるイデオロギーもそれぞれまさに対極として見事に描かれています。
では、天下三分の残り、孫呉の天下とはどう捉えたらいいのか?
孫堅に関しては曹操自身が明確に天下を担うにたる人物だと評価しています。

‐私とは違う種の人間で天下をになう者がいるとすればああいう男だろう。

ただこのセリフの前に曹操は孫堅の武功の金子での要求、捕虜の家族保証の際の「信用なくして孫家100年の存続無し」の発言、黄巾に対する戦ぶりを見てこういっているんですよね。

‐派手で粗暴にさえ見えるがやることは愚直なまでに合理的だ。

ここで悩むわけです。
「理」は曹操の天下のイデオロギーと同じではないの?でも曹操は違う種の人間といいきっているし…う〜ん、難解!
また曹操は孫権に関しても赤壁時にこういっています。
‐孫堅は良い子をのこしたようだ。
すなわち、曹操は孫権に関してもともに天下を競うにたる人物であると判断しているんです。

しかし、一方で皆さんに多く指摘されている孫呉の大義の薄さに関しても蒼天でも言及されています。例えば洛陽での孫堅に対する「都を遠く離れた江南の貴軍には漢朝への忠義心が薄いという世評を耳にいたす」という夏侯惇の進言であったり、何より孫堅、孫策が恨みによる暗殺で倒れた事実ですね。
また今回の強襲に関しても蜀の盟約違反を利用した魏・蜀両陣営への強気外交は両者の隙・弱みを突いた見事としか言いようがないものですが、結果、魏軍・関羽軍そのどちらからも卑怯のレッテルを貼られてしまっています。そのプラス・マイナスは皆さんも議論されている通り賛否両論でしょう。

ただ、ここで考えてほしいのは果たして恨みを買う、信用を失う、大義を汚す行為をもって孫権が天下人でないと断定していいのかということです。
荊州は孫呉が天下を狙う上で絶対不可欠の地であり、今こそ奪還の最大の好機であることは明白です。私はむしろこの好機を逃すようでは天下人の資質はないような気がします。
曹操も徐州において、劉備も成都において天の理を得るためのまさに最大の好機においては卑怯の誹りを顧みません。そんなものを吹き飛ばすほどのスケール、それこそが天下人の資質なんではないでしょうか。

孫権の君主としての出発点は問いでした。
‐董卓までもが恐れたわが父・文台こそはこの乱世を制すべき天下人ではなかったのか?
‐覇王・項羽のごとしといわれたわが兄・伯符のその覇気が中原に至らなかったのはなぜじゃ?
‐文台、伯符の天命は一体何であったのか?
‐わしがはたしてその天命を担うにふさわしい者であるか?
彼は曹操、劉備が成し遂げた天の理への飛翔に孫堅・孫策が出届かなかった理由を探し続けます。そしてその壁を自身が乗り越えられるのか問い続けます。孫権は今まさに真の意味での天下人への飛翔に挑んでいるのではないでしょうか?

彼はこの後侠武の化身殺しに挑みます。これまでで最大規模の恨みを買うことになります。しかし、孫策がこう言い遺しています。

‐おまえは人の恨みを飼いならせる。曹操を、乱世を、天下を飼いならせ!

私はこれまでこのセリフ、孫権は孫策と違いうまく恨みを買わないように立ち回ることができるというようなことを言っているように思ってました。
しかし、今この時点で読み返してみると関羽殺しを乗り越えることを示唆しているように思えてなりません。恨みを買わないのでなく、飼いならすのですから!

以上、いつも以上にまとまりの無い駄文になってしまいましたが結局のところ私もここまでの時点では孫権の行動に真の意味で「王」、天下人たる理由、孫呉に魏・蜀に対抗しうるイデオロギーを見出せてはおらず、その意味ではRYUさんと同意見です。
ただ劉備が反曹の民の盟主となることで曹操と対抗する手段を得たように、孫権は既にその嗅覚で持って曹操に配下の礼をとり玉座を要求することで攻撃の手段を奪うという曹魏への対抗策は獲得しています。
だからこそ私は漢中王宣言によって劉備が真の天下人へと飛翔したようにこれからの戦いを通じて関羽の神への昇華だけでなく孫権の飛翔が描かれることを期待しております。

最後に孫権の関羽への降伏勧告の意図ですが、私は曹操への書状も含めてあの必要以上の強気は形式上ではあっても孫呉の大義を示すと同時に、孫権は若くとも天下へ挑む者であり孫呉は魏・蜀と対等の立場であるとの歴戦の魔王・英雄への咆哮であると思ってます。(いうなれば決意表明説でしょうか?)

管理人様、お忙しいとは思いますがこれかもがんばってください!!

No.12306 - 2005/09/19(Mon) 02:29:31

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 法 [関東]
>凡人だからってどよーんとしてるとは限らないですけどね。
>普通の人も明るい人も居ますよね。

→だからといって、死の覚悟をしている人は少ないですよね。


>大義というよりは、強い方が勝つべくして勝つのではないでしょうか?

→なら関羽が勝つのでは?どう考えても関羽の強さがきわだってるよう
 にみえますが・・・


私は、意図した内容と全く違う観点からや阿呆な指摘されると脱力する達なんですが、
死の覚悟といかないまでも、何かしらの覚悟や気構えを持つというのは、自分の仕事に自信を持ったり、プロフェッショナルとして自覚する人ならあるもので、
「そういう人なら結構居ますよ」という意図だったんですけどねえ。

関羽雲長の傑出した強さというのは、武力・戦術の域であって、戦略的にはかなりの劣勢ですよね。
「リアルの戦場での強さ」というのは様々な要素がありますよ。

No.12307 - 2005/09/19(Mon) 03:34:21

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 閻行 [関東]
>私は、意図した内容と全く違う観点から指摘されると脱力する達なんですが、

???そもそもの反論そのものが書いた人との意図がズレているのに、さらに深い意図があったとは。

いっちい様の言う「凡人」というのが「死の覚悟」とはほどとおい人間であることを示しているにもかかわらず、「明るい人もいる」というわけのわからない反論をしていいます。
だからあえて「明るい人」=「死の覚悟のある人」ではないと言ったまで。
プロの自覚だのなんだのある人はすでに「凡人」じゃないんじゃないですか?

>関羽の強さ
まあ、わかっててあえて突っ込んでるんですが・・・
ここでは戦の勝敗を超えた関羽の心意気を語っているんであって、この時点で戦に負けるのは関羽はわかってるでしょう。
追い詰められた状況でそれでも強い関羽ってことであって、戦略だの戦術だのいいだしたら話をする意味がありませんよ。

No.12308 - 2005/09/19(Mon) 09:56:09

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / 文文丸
管理人様!皆様!初めまして!!
蒼天考ROM歴は樊城戦あたりからと若輩者の私ですが、
管理人様の熱意に打たれてついに書き込むことにしました!
ふつつかですがよろしくお願いします!!

最近は休載で蒼天ファンとしては張り合いのない一週間を送ってます
が、そんなときにも皆様が熱く語られているのを拝見すると蒼天連載
の楽しみと同じものが得れて、本当に蒼天考のよさが身にしみます。

ちなみに、私は根っからの孫呉びいきなんですが、最近蒼天考での
孫呉の旗色が悪くて鬱々としていたんですが、黒助さんの素晴らしい
考察に触れて、非常に感激しています!なんといっても孫呉のよさは
父・文台、兄・伯符、弟・仲謀の三代が各人各様に積み上げ、黄蓋、
周喩ら家臣たちが押し上げてきた結束にあると思います。黒助さんの
蒼天の回顧をベースにした深い考察は孫呉の歴史の重さを噛みしめさ
せてくれるものでした。そして三国志中、比較的不人気な孫権に対す
る温かい眼差し。最高です!

ただ、劉備、曹操に比べて掲げるものの弱さというものは誰しも否定
できないようですね。無論私もです。そこで浅はかながら三者の掲げ
るものを考えてみました。

まず曹操は「法」。彼はいつも新時代の先駆者的な描かれ方をします
よね。よく信長に例えられあったりするし。つまり曹操は漢王朝時代
に代わる新たなるスタンダードを生み出そうとしたようにみえます。
それは曹操が新たな世を統治するために作る「法」に象徴できるので
はないでしょうか。

次に劉備は「情」。なんたって侠の人ですし、民の心情に寄り添う事
を出発点にした人ですし。まぁ「義」でもいいかと思いますが、そこ
はあえて「情」で。

とまぁ、曹操、劉備は既存のイメージがしっかりしてるんで細かい所
の差異はあってもだいたいこんなもんだと思うんですが、やっぱり考
えてみると難しいのが孫権ですよね。っていうか、曹操、劉備が対極
的すぎるんですよね。「合理」対「仁義」とかにしたら呉の割って入
る余地がないですよね?で、私はちょいと変えて、二人を「法」と「情」
にしたんですが(ほとんど一緒かな・・・)、その二つに対して、
孫権は「物」で!ダメですかね?発想元は安易に孫堅の商い思想なん
ですが・・・。「物」って、なんか精神的価値がないから立場低そうで
すが、人間が生きる上で「法」や「情」と対等以上に「物」もかかわ
りをもちますよね?天下を志向しつつ、国内の豊かさを追求した孫権
も決して魏蜀に劣る国を作ったわけじゃないと言いたいんですが・・・。
蒼天孫権は他で描かれる孫権より天下志向が強いと個人的に思います。
だからきっと黒助さんのおっしゃる通りきっと大先輩二人に負けない
自分の天下を作ってくれると思うんで応援してます!(本当は孫策が
一番好きなんですが・・・)

以上、拙い駄文で汚して失礼しました。今週は連載されてますように!

No.12316 - 2005/09/19(Mon) 22:51:33

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RUN [東北]
>常連の皆様へ
蒼天ファンは長いのだけれども、投稿生活にブランクがあり、旧知の人がいなくなってしまいました。こちらの管理人殿は以前に訪問していたサイト以来、こちらの一方的な知己きどりで訪問させていただいてもらってます。以前活発に交わされていた議論が懐かしく思われます。エスカレートして(私も我を忘れて)度をはずすこともありました。匿名の投稿がこうも人格に影響を与えたり変化させるか自分でも驚嘆しました。しかし害悪も考慮しても自分の思索に深化を与えてくれる対象があるというのは幸いです。議論が活発になってきましたね。末席なりともこうした議論に参加させてください。宜しく。

だんだん、孫権の「大義」の在り処や「天下人」の資質ありやという議論に集約されてきましたね。降伏勧告○○説など諸説紛紛で面白いです。こういうまとめ的レスってひんしゅくものなんですっけ。何かで聞きました。その辺の作法が分かりません。2ちゃんねるにもこの前初めて行きました。噂に違わずすごいとこです。(ついてけません、といいつつ時々見に行くようになりました)

自分としては多角的な見方がしたい。今も蒼天からみで「クニミツの政」(主人公が蒼天劉備っぽくていい、ライバルが曹操に例えられているが蒼天曹操からは遠い、権謀術数を駆使するが実はいい人)や「太陽の黙示録」(あれ、三国志の設定ですよね)の曹操役(内にマグマの如き激情と闇を持つ!蒼天曹操みたい、善悪さだかでは無いがスケールがある、劉備役は優等生でつまらない)に注目している。いずれも劉備と曹操のライバル関係を模倣しているが、孫権役は存在しない。これが事実上孫権の世間一般のイメージではあるまいか。主義主張が曖昧で存在意義自体が希薄・・・で、唯一の存在価値が抗争の展開を複雑にするための第三勢力的位置付け・・・。嗚呼、哀し。利己的、利的な面の強い商人、ベンチャー、新興勢力のイメージが強い。

蒼天の孫権はどうだろう。洛陽を復興し民徳を積んだ父と、江南の民に笑顔を向け、民情を孫氏に惹きつけた兄の覇業と徳の基礎を受け継ぎ、自らのものとしつつ独自に江南の繁栄と覇業を打ちたてようとする孫権を曹操は「俺の子にならんか」と求める。お前は俺の「後継者」にしてもいいぞと言わんばかりの発言だ。曹権にはならずあくまでも孫権として「孫氏」の天命を問う孫権は「王」であるか「天下人」であるか。己の血の中にある「運命の力」の「可能性」を全身全霊を持って問い、歴史を創造せんとする熱量を何と判断したものか。今後孫権が民との関わりをどのように処するかにかかっているだろう。描かれる機会があればの話だが。

ところで皆様には蒼天と異なる話題に触れたことは蒼天サイトの趣旨に反するので、脱線は私だけに留まり、乗ってこないようにお願いいたします。

No.12319 - 2005/09/19(Mon) 23:55:24

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RYU [関東]
>「クニミツの政」(主人公が蒼天劉備っぽくていい、ライバルが曹操に例えられているが
蒼天曹操からは遠い、権謀術数を駆使するが実はいい人)

大局を判断する能力と戦略立案に優れる人というと、何か、坂本龍馬を彷彿とさせますね。

かなり昔に一度だけ立ち読みしたことがあるんですが、坂本龍馬議員とか居ませんでしたっけ?
禿げたオッサンで「おい、違うだろ」でしたけど。

>「太陽の黙示録」

高校の時に「沈黙の艦隊」を愛読してました。
自衛隊に秘密裏に配備された原子力潜水艦を使って、神がかった軍神の艦長と
選りすぐりのエキスパートである若いクルー達が、ニューヨークの国連にたどり着くまでの
闘いを繰り広げる、まさに現代版「宇宙戦艦ヤマト」のようなストーリー仕立てで、

なおかつ、国内の権力闘争や総選挙・舌戦と胆力を尽くす外交交渉の有り様や、
シビアな国際政治をフィールドとする、エリート達が持つモノの考え方がビビッドに描かれ、
それらは漫画のために誇張・脚色されているには違いないでしょうけど、かなり面白かったです。

「きらびやかでクールだが、シビアな知性と冷徹な闘争原理に支配された格闘技のような世界であり、
実の正論と虚をてらう巧妙な駆け引き、内に秘めた度胸を持つスペシャリティーが住む高嶺の社会」
というややこしい感想を、高校生だった当時の僕に抱く事はできませんでしたが (笑、
今思い起こすと、多分そんな感想を漠然と持ってたんじゃないかと思います。

「太陽の黙示録」も読んでます、面白いですよね。


>2

あそこはピンキリだと思いますので、まじめな気構えで行かない方がいいですよ(笑

No.12328 - 2005/09/22(Thu) 01:02:34

Re: 今週の蒼天<麦城の辞> / RUN [東北]
> RYU さん
この話に続いてくださるとはありがたいことです。この話題ばかりは続けられませぬが・・・。

>かなり昔に一度だけ立ち読みしたことがあるんですが、坂本龍馬議員とか居ませんでしたっけ?
禿げたオッサンで「おい、違うだろ」でしたけど。

坂上竜馬ですね。パクリのような名前ですけど(笑)でも禿げたオッサンは別な人のことですね。

>「沈黙の艦隊」を愛読
蒼天同様、漫画であれ、童話(特に子どもの頃に読んだ童話や児童書で大人が読むに足る名作)であれ、古典であれ、繰り返しの鑑賞に堪えうる名作というものは、読む時節年代によってより深い理解と鑑賞と感動を得るものですね。

忙しい管理人殿を差し置き、今週のスレッドが立つ前に今週号の感想は述べませぬ。でも読んじゃった・・・。今週は感想はひかえます。とても良かった。でもクビガスパンなんだもの・・・。

No.12330 - 2005/09/23(Fri) 23:38:48
(No Subject) / 関西人
管理人はん、おつかれさん。
アイコン140個に増えたなあ・・・。これからもよろしゅうたのんまっせ。
っにしても連載いつ再開するんやろか?なんかこの頃、モーニング開いて目次みて、蒼天航路やってへんかったらなんかさびしいわ。
まあ、GONTA先生は最終回をええもんにしようとがんばってるんやろうけど、まだ終わって欲しくないなあ。


どうも、曹沖改め関西人です。孫呉の人は孫こうといい、孫尚香といい、甘寧といい関西弁を上手につかってます。
で、アイコンを孫こうに換えた上で、関西弁を使ってみました。
管理人さん、これからもよろしくお願いします。

No.12321 - 2005/09/20(Tue) 20:07:38

Re: (No Subject) / RYU [東海]
関西人さん、改めましてこんばんわ。
僕も、蒼天は正直終わって欲しくないと思ってます。

自分は、気質的に名古屋に愛着を持つ人間ですが、神戸・関西も良いところですね、
本質的に人の心根が良いと言いますか、そういうのってちょっと話すと分かっちゃいますよね。九州もかな。

とにかく、一度行ったらまた行きたくなるような所ですね。

管理人さん、フィナーレが近いかもしれんけど、頑張ってください。

No.12325 - 2005/09/20(Tue) 23:49:18
はじめまして / 柴犬
去年の今頃。夏候淵の最後に感動し、蒼天を検索したら、この
すばらしいHPにであいました。それから毎週ROMしていましたが、
皆様の鋭い考察を、楽しみながら、新しいこといえそうにないので、ついつい、書き込みをためらっていました。でも・・・・

>おう おう おう! 来るね!来るね!
>しかし気の毒になあ。アイコンも使わぬうちに終了かあ。

満寵将軍の挑発に乗ってしまいました(^^;)

いまさらながら、蒼天のすばらしさ、皆様すでにご指摘ではありますが、1人1人の魅力ですよね。懐かしい初回に、曹操は「3人の英雄の中で、最も「人」に興味を持った人物であり、それが英雄をさらに大きくした」(1巻が実家にしかないのでうろ覚えですが)とあったと思います。実は、GONTA先生自身が、そうなのではないでしょうか。
だからこそ、どんな脇役でも、輝いている。たとえば、馬玩なんて、他の三国志小説では、一刀両断にされる端役なのに、あんなに魅力的。
今話題の孫咬も、まさにそうですよね。
明日、載っているのかな・・・関羽との一騎打ち、目が離せませんね。

それから、これも今更ながらではありますが、TATSUさん、いつも
すてきなREVIEW本当にありがとうございます。

フィナーレに向けて、蒼天が一層盛り上がりますように。そして、その後も、このすてきな掲示板が、蒼天をめぐる魅力的な話題が花開く場所であり続けますように。。。。

No.12265 - 2005/09/08(Thu) 01:01:50
関さんのボケ? / schin [関東]
今日は。たまにお邪魔させていただいておる者です。ところで表題ですが
「何様のつもりじゃワレ!?」と問われ「名乗れと?」と返す。
これ盲点でした。
このやりとりに一瞬固まって、吹き出したのは小生だけでしょうか?
しばらくROMして誰も何も突っ込まないので、これ普通のやり取りなのかな?
とも思ってしまいますが如何でしょうか?
今度是非、試してみようとも思います。
お邪魔しました。

No.12264 - 2005/09/07(Wed) 23:05:38
コラ! モーニング編集部よ! / 競輪王 [近畿]
 「せき うんちょう」ってどういうことやねん!

 「誤植脱字は熟読の障り。 直せい、編集者!」

No.12219 - 2005/08/25(Thu) 11:33:31

Re: コラ! モーニング編集部よ! / くっく
わざとではないのでしょうか
No.12220 - 2005/08/25(Thu) 16:36:56

Re: コラ! モーニング編集部よ! / 文月 [近畿]
競輪王さんに同感です。

「関(かん)さん」が「せきさん」…
どこの日本人だよ!!(爆)

No.12223 - 2005/08/25(Thu) 18:27:52

Re: コラ! モーニング編集部よ! / 競輪王 [近畿]
>>「せきさん」…どこの日本人だよ!!

 …ったく…。「ギャンブルレーサー」じゃないんだから。

No.12225 - 2005/08/25(Thu) 22:01:52
今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / TATSU@管理人 [関東]
今週で蒼天も400話となりました。凄いです。モーニングではクッキングパパに次ぐ長寿漫画なんですよね。ちなみに第200話は曹植が許の宴に招聘される「許都へ」でしたから、あそこらへんが折り返し地点だったみたいです。

蒼天の構成を振り返ってみるに、大きく3部に分かれているように思えます。第1話から官渡大戦の終了する第186話までが第1部。187話から赤壁の終了する第276話までが第2部。そして277話から最終話までが第3部。タイトルを四字でつければ群雄割拠・天下迂遠・覇道新章って感じでしょうか。
本レビューを開始したのは258話からですから143話分の感想を書いたことになります。我褒めですがこれも凄いです。

それでは、144回目のレビュー、開始させて頂きます。

No.12211 - 2005/08/23(Tue) 21:16:03

今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / TATSU@管理人 [関東]
【STORY】

江陵の北90里−
関羽騎馬隊1,000騎は麦城の前で停止していた。
城門は開け放たれ、見張りも見当たらず、麦城には人の気配が無かった。関羽は遠望のきく城楼を見上げ、何故空城であるのか思考していた。

その時、馬蹄の音と共に趙累と関平の軍4,000が現れた。関羽の無事を喜ぶ趙累。許可無く軍を動かし関羽を追走した事を恐縮する趙累に、関羽は素直に礼を告げた。それは趙累だけにしか聞けない言葉といえた。

***************

麦城に入城する関羽軍。城内はもぬけの殻であり、それは江陵・公安の陥落を予想させた。

関羽・関平と共に、望楼へ続く階段を昇る趙累。都督である趙累は、孫権の悪辣性を推し量れず、且つ士仁や麋芳などの輩(やから)に留守を託した己の不明を悔やんでいた。

望楼に立つ3人。江陵の原野を眺め趙累は、荊州に侵攻した孫呉の兵力や、その動きについて考えを巡らしていた。至急劉備に実情を報告し、本営の指示を仰ぐ必要があった。だが、長江を遡って蜀に至る通信は既に潰されている事は想像に難くなく、残る手段は上庸経由の通報のみであった。

「目視で陣は確認できぬが、」
ふいに関羽が告げた。
「あちらこちらで、兵の発する気が漏れ、地を這っている。」
その言葉に趙累は戦慄した。続けて関羽は10里ほど先の林を指し示し、風も無いのに木々が揺れていることを指摘した。一方、東方を眺めていた関平は、山中にも炊飯と思われる煙が漂っていることを告げた。関羽は、総勢数万という呉軍が江陵の大地で蠢(うごめ)いていることを感じていた。

額の汗を拭き趙累は、直ちに引き返し、態勢を整える必要がある事を関羽に諫言した。
「趙累、よくぞ兵を率いて駆け付けてくれた。」
唐突な関羽の返事に趙累は戸惑った。関羽は、遥か漢水の方向を指し示した。大河に反射する陽の光。その水平線の一角だけ途切れている箇所があり、それは呉の水軍の存在を示していた。麦城の関羽軍は、退路にまで廻り込まれていたのである。
「既に完全包囲ですか?」
退却も侭ならい事を知った趙累は、再び額の汗を拭いた。
「しかも、こちらの動きは筒抜けだったようだ。」
関羽が答えた。関羽の視線の先には、城外に現れた一人の騎馬の男がいた。

***************


男は江陵の官吏・潘濬であった。
江陵の政務を離れ、麦城に何か用か?と話かける趙累。その問いに答えず、潘濬は孫権からの書状を読み上げた。

−関羽軍は孫呉との盟約を侵し、国境の食料庫を強奪した。よって南郡の貸与を無効とし、呉の領土に戻す−。

その言葉に関平は激昂した。潘濬を叩き斬ろうと望楼を降りようとする関平。だが、関羽は関平を押し留めた。潘濬は書状の続きを読み上げた。

−関 雲長に告ぐ。直ちに北に戻り、魏との戦(いくさ)を続けよ。そうすれば同盟修復の意思ありと見なし、孫呉は関羽軍を後方より支援する−。

その驚くべき申し出に望楼の3人は沈黙した。いずれにせよ孫権が荊州侵攻の機を窺っていたのは明らかであった。

使者は、書状を読み上げてのち叫んだ。
曰く、関羽軍兵士の妻子及び南郡に暮らす民20万。その民の安寧を慮(おもんばか)り、なにとぞ呉の申し出に応じて頂きたい−と。
それは決死の懇願であった。

関羽軍にざわめきが起きた。城門付近の兵士達は、潘濬を斬り捨てるべく馬を進めた。

「潘濬!」
望楼から関羽が語りかけた。
「孫権が来ておるのだな。」
そう告げると、関羽は西の彼方に目を向けた。

「大王よ。」
関羽は続けた。
「わが主君、漢中王・劉 玄徳殿よ。」


【REVIEW】

■扉は、洞窟のような処に入ろうとする関羽軍が描かれていました。これはどういう意味があったのでしょう?次のページでは普通に麦城前に現れてましたから、この洞窟を抜けて麦城前に到着したんでしょうか?それともこの扉絵はキャッチコピーにあった−関羽、孫呉の魔界に踏み込む!−というのを象徴的に描いたんでしょうか?

■「私はそんなに粗忽か。趙累。」

そのまま1,000騎で攻め入るのではないかと、ずっとハラハラしていた。と告げる趙累に関羽が上記の台詞を告げていました。やはり関羽は1,000騎で江陵・公安を奪還する気は無かったんでしょうか。そうなるとやはり後方の状況を確認すべく偵察に来たんでしょうかね? つまり本拠がどうなっているか見にきたという訳ですね。 で、その後はどうするつもりだったのでしょう?

■「いや、すまん。色々気を遣わせるな。」

『苦労性の自分としては、大胆不敵な行動をとる関羽が心配でしょうがなく、傍にいるほうがよほど気が楽なので勝手に追いかけて来た。』と笑う趙累。関羽の反応がないので驚いたように「だめでしたか?」と尋ねる趙累に、関羽は上記の言葉で答えました。
関平はそれを聞いて『趙累殿しか聞けない言葉だ。』と微笑んでました。士仁や麋芳には絶対聞けない言葉なんでしょうね。いや、息子の関平や義弟の張飛にも聞けない言葉なのかもしれません。そう考えると関羽と趙累って本当に気の置けない仲なんですね。

関羽は以前、趙累に対し「昔を知る私の前で小胆を装うな。」と笑ってました。更に「豪気であるがゆえに世間から溢(あぶ)れた。」という関羽の言葉に、趙累は「お互いに。」と答えてましたよね。この二人は相当古い頃からの仲間みたいです。そういう意味では劉備と簡雍みたいな間柄なんでしょうかね。
『世間から溢れた』頃からの仲...もしかして趙累って関羽が“美髯団”を結成した頃からのメンバーだったのでは?とか妄想してしまいます。

■「孫権がここまで悪辣であることを推し量れず、彼らに留守を託したわが不明。」

「孫権が留守にした南郡に攻め込んでくることを見抜けなかったこと。」「その留守をあっけなく占領を許すような士仁や麋芳に任せてしまったこと。」それを自分の不明であると都督である趙累は悔やんでました。今さら省みても詮無きこととは言ってましたが、結局、この責は誰にあるんでしょう?都督である趙累でしょうか?荊州を任された関羽でしょうか?全体の戦略を立てた孔明でしょうか。それとも荊州を関羽に任せきりにした劉備でしょうか。

■「黙視で陣は確認できぬが、あちらこちらで兵の発する気が漏れ、地を這っている。」

“あの城楼は遠望がきく”と関羽が呟いていた望楼。その楼閣から江陵の平野を眺め関羽は上記台詞を口にしました。『兵の発する気が、地を這っている』なんてかなり感覚的な言葉なので、関羽は第六感で物を言ってるのかと思いましたが、そうでもありませんでした。「近いものでは、10里先の林が風もないのに木々が揺れている。」と望楼から指差していましたから、遠い箇所でも何か不自然な光景を発見してたのではないでしょうか。東方を睨んでいた息子の関平も、山中に炊飯と思われる煙を発見してました。そういった幾つかの“兵の潜伏している兆候”を見て、関羽は『兵の発する気が、地を這っている』という表現をしたんですね。なんか凄い洞察力です。今までの三国志ものの関羽は、ほうほうの体(てい)で麦城に逃げ込む訳ですが、蒼天の関さんは余裕綽々(しゃくしゃく)ですね。いや、余裕は無いのかもしれませんが終始冷静です。

■「趙累。よくぞ兵を率いて駆け付けてくれた。」

「直ちに引き返し、態勢を整えたほうが良い。」と告げる趙累に関羽はこう答えました。
唐突な台詞に趙累は「は?」と不審そうでしたが、関羽の感謝の言葉には理由がちゃんとありました。それは漢水に呉の船団が浮かんでいる兆候があるということ、即ち退路にまで呉軍が回り込んでいるということで、趙累の言うような“直ちに引き返し”という事は不可能となっていた事でした。つまり、『完全包囲されてしまった今となっては、1,000の兵で事態を打開するのは難しく、趙累が援軍を率いて来てくれたのは、結果的には大変助かった。』ということですね。そう考えると、いくら偵察とはいえ1,000騎で出かけたのは無理があったんじゃないでしょうか。

■「しかも、こちらの動きは筒抜けだったようだ。」

城外に現れた潘濬を見て、関羽はこう呟きました。潘濬は呉の使者として現れており、関羽軍が麦城に入城すると同時に呉の使者が現れるということは、関羽軍の動きは呉軍に完全に掌握されていた。ってことですね。
ここから推測するに、呉軍が麦城を空城にしたのは、関羽軍をそこに集結させ、使者がそこに行き易いようにするという狙いがあったのかもしれません。関羽軍と趙累の援軍が、江陵の平野をあちこち疾走し続けたら使者は出会うのに一苦労ですもんね(笑)。
もう1つ言えば、高い城楼を有する麦城を敢えて関羽軍に明け渡したのは、その城楼から廻りを見れば自軍が完全包囲されたことが分かる筈であり、使者の告げる言葉が効果的になる、ということを狙ったのかもしれません。

■「元気そうじゃないか。ん?。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?」

趙累が潘濬に嬉しそうに告げていました。ちょっと“お人よし”過ぎる台詞に感じました。だってその前に『 すなわち江陵・公安の陥落を厳然たる事実と受け止めねばならん。』って趙累は呟いてましたよね。その陥落した江陵に居た潘濬が突然現れたのですから、“ん?江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?”は、ちょっと間抜けな質問じゃないでしょうか?呉軍に完全包囲された今、趙累としては、不意に現れた潘濬に対し「呉の侵攻をうけた時、江陵は何をしておった!?なぜ貴様がここにおる!?」ぐらい叫んでもいいんじゃないでしょうか?
やはり孫権の悪辣さを見抜けず、士仁や麋竺に留守を任せたのは、趙累の“人の良さ”も原因だったのかも(笑)。

■「よって、南郡の貸与を無効とし、呉の領土に戻す!」

貸与を無効とする−。奪い取っておいて随分勝手な言い草のようですが、嘗て孫権と劉備は書簡でこんな遣り取りをしてました。

孫権:「読めんのか? 荊州を返還しろと書いてあるんじゃ。」
劉備:「返せだ? おいおい、まだそんな事をほざいてやがんのかよ。」
孫権:「新しいねぐらを ぶったくったんじゃろ。さっさと出て行かんか。居候!」
劉備:「おねだりの仕方を教わってきな。上手に言えるようになりゃ、くれてやってもいいぜ。」
孫権:「玄徳。」
劉備:「やんのか、ひよっこ。」

...やんのか?という挑発に、孫権は今回応えた訳ですね。

■「ただちに北に戻り、魏との戦(いくさ)を続けい!」

驚きました。意表を付く命令、というか要請です。更に孫権は「そうすれば同盟修復の意思ありと見なし、孫呉は関羽軍を後方より支援する!」と宣言してました。

何という凄まじい要求でしょう。まさに乱世の外交。酷薄な同盟。人の本拠を強奪しておきながら、抜け抜けとそのまま魏を攻め続けろと要求しています。普通であれば舐めるのもいい加減にしろ!と一蹴されるところです。ただこの要請の凄まじいところは、それを行えば呉は関羽軍を支援する、即ち『蜀・呉の連合軍 VS 魏』という形勢は崩さないと約しているところです。

つまり、孫権は関羽に二者択一を迫っている事になります。このまま完全包囲され5,000の兵で65,000の兵と戦い、戦場に屍(しかばね)を晒すのか、或いは北に戻り、蜀呉同盟のもと呉軍の支援を受けつつ魏と戦闘を再開するのか...。

穿った見方をすれば、孫権は関羽軍の主目的は“北上する劉備本隊を支援するべく、できるだけ多くの魏軍を引き付けておく”であることを見抜いているのかもしれません。その観点からすれば、「江陵で殲滅されてしまう」のか、「呉の支援を受けて魏との戦闘を再開する」のか、どちらが劉備軍の北上を容易にするかは明白です。

この倣岸不遜な要求に、望楼の3人は沈黙していました。即座に「ふざけるな!」と拒絶しなかったのは、上記“二者択一”という状況が3人の頭を掠めたからかもしれません。

あまりにも人を食った要求ではあるが、現実的に考えれば真っ向拒否も出来ない。実に練った外交のように思えます。孫権サイドからすれば、関羽が要求を蹴れば、このまま殲滅し江陵・公安は完全掌握できます(ただし蜀を敵に回すというデメリットはありますが)。逆に関羽が要求を呑み、蜀呉同盟が修復できれば、自分の兵力を使用せずに荊州における魏の勢力を駆逐できます。

この策謀は誰が考えたんでしょう?管理人の個人的憶測を言わせて頂けば、呂蒙じゃないような気がするんですよね。あくまで呂蒙は関羽との正面対決を前提に軍を展開していた。ではこのような老獪にして欺瞞に満ちた外交を考えたのは誰か....蒼天張昭その人ではないでしょうか!?

「こりゃあ!何度言うても戦(いくさ)は政(まつりごと)の一つであることをわかりおらんのかぁ!」
違ってたらごめんなさい。

■「なにとぞ呉の申し出に応じていただきますように!!」

潘濬は拱手して叫んでいました。
関羽に対し、『 関羽軍兵士の妻子 および南郡に暮らす民20万の安寧を慮(おもんばか)って欲しい 』 との思いから使者となった模様です。

関平からは「恥を知れい!」「留守を守れず早々と降り、その上あろうことか孫呉の使いっ走りか!」と罵倒され、関羽軍兵士からは「何をぬけぬけと。言いたいことはそれだけか。」と潘濬は斬り捨てられそうになっていました。
関平や兵士たちの怒りはごもっともです。あっさり降伏しておきながら、今度は敵の使者となって現れ、敵の要求に従ってくれと懇願するなど、斬り捨てられて当然の行為です。関平からすれば“武の風上にも置けぬ”行為ではないでしょうか。兵士からすれば、降伏しておいて“民20万の安寧を慮(おもんばか)って”などと白々しいことをほざくな!って感じでしょう。

でも、潘濬は単騎で現れ、孫権の書状を読み上げた後も、その場を動こうとしませんでした。必死ではあるが堂々とした態度。もしかして潘濬は自分がどう扱われるか、十分覚悟の上で現れたのではないでしょうか?

と、いう訳で管理人は、正史における潘濬の人と為りを調べてみました。以下、呉書「潘濬伝」より。

潘濬。字は承明。武陵郡漢寿の人。
二十歳前後のとき、宋忠から学問を教わり、三十歳になる前に劉表に招かれて荊州・江夏郡の従事に任じられています。当時、江夏の沙羨(さい)県の長は、賄賂を取り汚職を行ない、法を蔑(ないがし)ろにしていましたが、潘濬はその県の長を法に照らして死刑としました。この一件で江夏郡の人々は震撼し心を引き締め、のちに潘濬が湘郷県の令に転任したときも、その統治は非常に評判が良かったそうです。劉備が荊州を統治すると、潘濬を治中従事に任じ、入蜀の際も、引き続き荊州の事務処理に当たらせていました。

潘濬は聡明な資質を具え、人との応対は機敏にしてその言葉は道理に適っていたそうです。建安七子の王粲は、潘濬と会ってその人物を高く評価し、そのことから潘濬の名は知れわたりました。

さて、蒼天にある通り、荊州は孫権の手に落ちます。荊州の武将や役人達は、みな呉に帰順する訳ですが、潘濬だけは病気と称して孫権に目通りしようとしませんでした。孫権は、人を遣わせて牀(しょう/寝台のようなもの)を潘濬の家に運びこみ、その上に潘濬を乗せて担いでこさせます。ところが潘濬は孫権の前でも牀から起き上がろうとせず、悔しさのあまり止め処もなく涙を流します。

孫権は、古(いにしえ)の荊州の賢者が一度は捕虜になりながら、後に抜擢され名臣となった例を幾つか挙げ、「そう成ってくれぬか。」と懇願し、側近の者に命じて巾で潘濬の顔を拭わせました。
潘濬は、身を起こして牀から降りると拝謝し、孫権はその場で潘濬を治中に任じました。

以後、潘濬は異民族平定に数々の功績を残し、呉国の中央政権にあって御意見番として活躍します。孫権の側近として、権勢をほしいままにしていた呂壱も、潘濬の諫言により失脚しました。最終的には太常の位にまで昇り、赤烏二(239)年に死去。

以上のことから潘濬はかなりの“気骨の人”であるようです。蒼天オリジナルである今回の使者の件も、孫権の要請ではなく、潘濬自ら死を覚悟して、使者に立候補したのかもしれませんね。
関羽軍兵士の妻子 および南郡に暮らす民20万の安寧の為に...。

■「わが主君。漢中王・劉 玄徳殿よ。」

ふいに関羽が劉備に語りかけます。
絶体絶命の窮地において、孫権から悪辣にして究極の選択肢を突きつけられた関羽。義の人・関羽は、どう判断し、劉備に何を語りかけるのでしょう?

来週の“関さんの言葉の続き”が気になってしょうがありません。

No.12212 - 2005/08/23(Tue) 21:20:26

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / Shigeru [関東]
管理人様、いつもREVIEWご苦労様です。
毎週、REVIEWを読むのを楽しみにしています。

>「元気そうじゃないか。ん?。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?」趙累が潘濬に嬉しそうに告げていました。ちょっと“お人よし”過ぎる台詞に感じました。

私は、この台詞を、趙累が潘濬に対して「精一杯の嫌味」を言っているのだと感じました。
それにしても潘濬って相当な人物なんですね。
管理人様の文章を読んで、はじめて知りました。

いよいよ関羽の最期も近づいてきましたね。
蒼天関羽は、正史や演義よりも更に冷静で完璧な人物に描かれていますよね。私個人の意見としては、最期は呉に降伏を申し込むぐらい人間臭く描いて欲しいものです。

No.12213 - 2005/08/23(Tue) 22:09:44

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / 夏樹 [関東]
 夏樹でございます。
 木曜に蒼天を読み、週明けあたりに管理人様のレビューを見ないと生活のリズムが乱された気がするこのごろであります。


 今回の風景が多かった穏やかさと、状況にしては落ち着き払ったように見える各人の台詞は、緊張感が伝わってきてすごく良かったです。
 そして、その静寂を破る孫権の驚愕の申し出。
 管理人さんがおっしゃるように、既にタイムリミットを悟り、関羽と対決することに全力を傾ける呂蒙の策とは思えませんね。
 受け入れられないにしても、この策は今後も何らかのかたちで活きてくるのでしょうか。


 趙累の「元気そうじゃないか。ん?。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?」は、その人の良さと軍をあずかるものとしての計算高さとの両面をも表しているように感じました。
 表面上は、shigeruさんのおっしゃる如く「(攻め込まれた割には)元気そうじゃないか。ん?(おまえは抵抗せずに降伏したのか)。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?(今さらどの面下げてきた)」と潘濬に嫌みを言っているように聞こえます。
 しかし、これを関平のようにあからさまに非難しないところは趙累の優しさともとれます。
 そして、敢えてこのような遠回しな嫌みを言った最大の理由は、潘濬との会話から、あわよくばより多くの情報を引き出そうということではないでしょうか。

 潘濬の想いと孫権の申し出の強烈さがそれを吹き飛ばしてはしまいましたが。


 関羽の次の台詞は、今後の戦の性格を決定づけるものになりそうな予感。まったくもって続きが待ち遠しいです。

No.12214 - 2005/08/24(Wed) 05:27:41

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / 英英 [関東]
麦城…秒読みの段階に入ってきたんですね。
すでに十二月ですし、関羽軍に十分な兵糧があるとは思えないし。あと何日なんだろう?危機的状況なのに、なんとなく落ち着いた気持ちで読めるのは、関さんが異様に落ち着いてるせいかも…と思いました。
ちょっと前まで額に矢が刺さってたり、水上を歩いたりしてたのに。

>「元気そうじゃないか。ん?。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?」

話題の都督・趙累。
嫌味も含まれてるかもしれませんが、私あまり感じないんですよね。
むしろ“親しみやすさ”さえ感じます。
ただ、潘濬が敵の使者であることは、趙累は百も承知でしょう。「しかもこちらの動きは筒抜けだったようだ」と、直前に関さんが言ってますし、なんたってこの状況ですから。

関平のように即座に憤ったら、それ以上交渉の余地がないからかな。
いや、関平の言うことは正しいと思いますけど。なんたって彼は若いし!今まで落ち着きすぎてティーンエイジャーに見えなかったから、かえって安心しました。満寵のお下品な挑発や侮蔑には全く応じないのに、裏切り(と言うと語弊ありそうですが)には激昂するとは、さすがは関さんの息子。義侠にもとることは許せないらしい。

>必死ではあるが堂々とした態度。もしかして潘濬は自分がどう扱われるか、十分覚悟の上で現れたのではないでしょうか?

関平が怒鳴った言葉は、潘濬自身すでに自責してるように思いました。
もし今ここで関羽を止める(救う)ことができなければ、関羽軍に殺された方がよい、と必死の覚悟で現れたんだと思います。それが、潘濬なりの“義”の示し方で。
潘濬自ら死を覚悟して使者になっただろう…は私も管理人様に同感です。

潘濬の覚悟は、少なくとも関羽と趙累には伝わったように見えます。

ところで、この状況でこの孫権の言葉は“降伏勧告”じゃありませんか?『蜀・呉の連合軍 VS 魏』の構図よりも、孫呉陣営に関羽軍を取り込もうとしているように感じるんですが。


顔色を変えずに書状を読み上げる潘濬、
「黙って聞け」と関平を制する趙累。
決死の潘濬。書状の内容に憤りながらも、
潘濬の覚悟を知って表情を少しやわらげる趙累。

管理人様が調べてくださった正史によれば、潘濬は聡明で理にかなっている人物のようです。一方趙累は豪気で篤実な与太者(関羽談)。建安七子の王粲に評価された潘濬とあぶれ者の趙累は、似てないようですが、でもどちらも気骨の士。
もしかしたら、割と仲が良かったのでは…と思います。
全く理解し合えない関係には思えないのです。
怒ってる関平にしても、かつて関羽が曹操に降った時の張飛の怒り方に似てます。
都督は豪胆で神経細やかそうですから、(内心の憤激を抑えて)使者として現れた元同僚を慮ることができたのではないかと思いました。

今にも斬られそうな潘濬ですが、兵を止めてくれるのは関羽か趙累か…

No.12215 - 2005/08/24(Wed) 15:30:27

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / RYU [東海]
潘濬の落ち着き払った表情・・、
遠目から見るとジュンイクにちょっと似てる気がしました。

疑心と不安に駆られ、固唾を飲んで1人の男を凝視する
麦城5000の将士たち、「ゴクッ・・」
満座の中で、その時潘濬は・・
「あいやー、カンペ忘れたアルよ〜」(爆)

とか言って、ロビーにでもまたがって颯爽と去って行って
欲しかったですよね!!
少なくとも案外若さのある関平は撃沈でき(爆)
関羽軍のモラルも微妙に下げれる気がシマス。

ただ立ち尽くす関羽と趙累と、建安24年12月の蒼い空・・ _| ̄|○

関羽「飲むか趙累」
趙累「はい ( 'ー`)」

No.12216 - 2005/08/24(Wed) 18:22:06

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / アベール
潘濬は初め劉表に仕えその後は劉備に、関羽が敗れた後は孫権にと転々と主君を変えてます。蒼天航路ではむしろ己の意思で孫権に降ったようにさえ見えます。
初め潘濬という人物を知ったとき少し節操に欠ける人だなと感じました。しかし彼の統治した土地はつねに評判がよく、法にも厳格な人物だったようです。
「人を統べる才とは、何人かに仕えて発揮できる力ではない」(その166)
万人と向き合う施政者の才とは、立場や仕える主君が違っても変わることはないのでしょう。

>「元気そうじゃないか。ん?。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?」

私もこの趙累の言葉は嫌味や猜疑ではなく、度胸のよさと余裕、部下の失敗に対する度量の広さを感じ、非常に好感をもてました。

最後の関羽のセリフが野太くなってますが、すでに胆は決まっているのでしょう。

No.12217 - 2005/08/24(Wed) 22:59:33

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / つね [関東]
考えてみれば魏王が逝去しても三国時代が終わるわけではないので、新キャラがこの時期に続々出てきても不思議ではありませんね。というか、まだ三国時代は正式には始まってない! ネオ三国志名乗るんならもっと続けなきゃ。

1.麦城入城
2.孫権の要求、潘濬の懇願
3.関羽の覚悟

>「元気そうじゃないか。ん?。江陵の政務を離れ、麦城に何かようか?」

私はこれは皮肉を感じました。潘濬のような人物には、関平のようにあからさまな罵声を叩きつけられるよりも棘になりそうです。

>「ただちに北に戻り、魏との戦(いくさ)を続けい!」

やはり呂蒙の策ではないように私も思います。

「臣下の礼をとりつつ曹操を攻め 劉備と同盟を結びつつ荊州を窺う」

私はこのセリフを思い浮かべました。でも今回の申し出は孫権自身の発案ではないでしょうか。蒼天孫権は、曹操への天子推戴といい、実現されそうにないことを分かってて言ってきそうな雰囲気がありますから。

「ああー 難儀じゃわい!」

No.12218 - 2005/08/25(Thu) 00:29:09

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / 英英 [関東]
2日連続の書き込みで失礼します。趙累と潘濬のことばかり書いてて、自分が一番よかった♪と思ったことを書き忘れてました(^^;

それは、関さん。
初めて“お父ちゃん”らしさを感じました!(*^-^*)
疑ってたわけじゃないけど、関さんより趙累に父性を感じてたんです。
今回やっと、上司というより父って感じで関平に接してたなあ♪
そして管理人様が想像してるように、もしも趙累が“美髯団”の頃からのメンバーだったらおいしい設定ですね。

孫権が同盟継続を口にするのはやっぱり変な感じがします。
関羽と蜀との通信を断っておきながら…。本当に同盟維持を考えるなら、成都に使者を送るのが筋だという気がします。完全包囲しておいて関羽に選択を迫るのは、関羽を劉備から独立した勢力とみなしているか、あるいは関羽を自勢力に取り込もうとしてる(つまり降伏勧告)ようにしか思えない…

そして、たびたび言われる食料強奪事件は誰の責任なのか謎です。
樊城包囲中に関平が、「兵の数に比べて兵糧が多すぎたり少なすぎたり…」と危惧してたんですよね。もし関羽や趙累が孫呉兵糧庫の強奪を指示したんなら、樊城戦の中枢部が兵站の乱れを心配してわざわざ廖化を江陵に送り込む理由がわかりません。
もし士仁らの独断でやってたんなら、今追い込まれてる関さん達があわれ…。まあ、中枢部が実情を知らなかったというのは問題ありですが。


>「ただちに北に戻り、魏との戦(いくさ)を続けい!」

管理人様は“張昭”、つねさんは“孫権”

じゃあ私は、故・魯粛の案ということで一票を。

最初は呂蒙が描いた策だと思ってたんですよ。蒼天では描かれなかった「呉下の阿蒙にあらず」と、魯粛に褒められた時に提案したのがこの策なのかな〜と。
でも管理人様とつねさんの書き込みを読み返すうちに、なんか蒼天呂蒙っぽくないなあと思いはじめました。(優柔不断なやつめ)

魯粛を推す理由は、劉備に荊州貸与を提案したのは魯粛ってことと、

 ―215年(でしたよね?)、荊州の春は凍てついていた―

あの時…漢中に侵攻した曹操を背後に劉備がギリギリ勝負を強いられたあの時に、頃合を見計らったように荊州に侵攻して、蜀は強気に出れまいと恐喝のような外交で荊州分割を迫ったのは魯粛だからです。
(↑というように蒼天の荊州争奪戦を読みました)
呂蒙は、濡須戦で「口を開けば目先の戦のことばかり」とじーさんに怒られてましたから、当時は外交駆け引きっぽいことは考えてないと思うんです。ということで、

 元ネタ=魯粛
 アレンジ=呂蒙
(いや、じーさんかな…でも商人の件は呂蒙っぽいし…)

No.12221 - 2005/08/25(Thu) 17:34:41

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / 文月 [近畿]
こんにちは。またしても木曜日のカキコです。

> ■「孫権がここまで悪辣であることを推し量れず、彼らに留守を託したわが不明。」
>結局、この責は誰にあるんでしょう?都督である趙累でしょうか?荊州を任された関羽でしょうか?全体の戦略を立てた孔明でしょうか。それとも荊州を関羽に任せきりにした劉備でしょうか。

劉備、諸葛亮、そして関羽ら蜀の臣たちのそれぞれにとって、孫呉そして孫権とは一体何なのでしょうね。漢の天子を奉戴しているでもなく、漢室と同じ劉姓というわけでもない孫呉、孫権は彼らにとっては単なる漢室の臣下に過ぎず、孫権が劉備よりも一世代分若いということもあって劉備ら蜀の首脳陣は孫権を、孫呉を「曹操の魏よりも(蜀よりは地力はあるが)弱小で、自分たち(漢中王・劉備の蜀)よりも漢室の繋がりが薄い、ゆえに劉備とは同等とみなす価値は無い、だからその盟も対等であるべきではない(「孫呉の主」でしかない孫権よりも「漢中王」である劉備の方がずっと偉いんだぞ)」と考えているのでしょうか。
この呉を見下したような外交姿勢(「玄徳。」「やんのか、ひよっこ」のやりとりに代表されるような)も、関羽の敗死と荊州失陥という諸葛亮の戦略にとって最悪の事態を招くことになってしまった大きな要因の一つでしょうね。

で、その孫呉の完全包囲にも相変わらず落ち着き払ってる関羽。
最近の蒼天関羽には悪い意味でも人間臭さが薄れてきているように(少なくとも私には)感じられるので、そろそろ自分たちが追い詰められた、ということに対しての焦りや、弱気になる、後悔するといった、人間らしい弱さを見せるところも見たいような気がします。蒼天じゃむりなのかなあ。

No.12222 - 2005/08/25(Thu) 18:24:40

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / 鳳卵 [東北]
 今週は忙しくて、書き込みが遅くなってしまいました。もうそろそろ次のレビューが掲載される頃かもしれませんが、書き込ませていただきます。

>直ちに北に戻り、魏との戦(いくさ)を続けよ。
 これは、孫呉の手先になって戦えということだし、実質的な降伏勧告ですね。孫権は以前、「聞かんと思って言うでない」みたいなことを呂蒙に言ってましたが、なぜこんな、関羽が聞くわけもないことを言うんでしょうね。

 空になった麦城の状況を見ると、関羽軍は包囲されたというよりは、自ら進んで孫呉軍の中に飛び込んでしまったような気がします。
 動きが筒抜けだったというよりは、関羽軍の動き自体が孫呉軍の誘導だったような感じです。

 ああ、なんだか、どんどん読むのが辛くなる蒼天ですが、最後まで読み続けたいと思っています。

「いかに戦う、関羽!?」

No.12229 - 2005/08/28(Sun) 07:48:47

Re: 今週の蒼天<使者 書状を読み上げてのち曰く> / RYU [東海]
一周遅れの書き込み失礼します(笑


「乱世の外交、酷薄な同盟」

>「しかも、こちらの動きは筒抜けだったようだ。」

魏呉の外交合戦の狭間で、関羽軍は手の平の上で完全掌握されてしまっている、
という感じがして痛々しいですね。
双方の裏を探り合う外交が、すでに完成したプランとして遂行されているだけなのか、
それとも参謀軍団が情勢に応じて臨機応変の策略を打っているのかが
気になりますが、後者の方と考えて下に書いて行きたいと思います。

呉「無名の陸遜を前線指揮官にして、油断した関羽が主力を率いて北上する
 ように仕向け、魏軍と衝突している隙に公安・江陵を奪取してしまう」
               ↓
魏「呉軍の共闘要請を受け入れるふりをするが、魏呉の密約外交が
 成った事をひそかに関羽に知れせ、後方の江陵奪還に向かわせて、
 蜀と呉を戦わせて双方を疲弊させる」
               ↓
呉「魏の漏洩行為は織込み済なので、関羽が奪還作戦のために南下する
 事を見越して、来たらただちに包囲できるように伏兵を配置する。
 関羽はその気質上、襄陽を放棄して蜀本拠に撤退する事もできないし、
 軍事戦略上、魏に背後を見せる事はできないので、全軍をもって投機的作戦
 を選択する事も有り得ないので、全滅を狙うために麦城を空城にして籠城させる。
 65000の兵力で完全包囲の布陣を展開する」
               
敢えて麦城を空けて籠城させる、という判断が凄いと思いました。
籠城戦では守り手の3倍の兵力が寄せ手には要るとか言いますが、
5000という寡兵であれば楽勝!!
もし、管理人さんご推測の関羽全軍15000強が打って出てこれば、呉にも相当な
打撃を与えるハードな戦闘になったのではないかと思いますが。
さらに、籠城戦であれば野戦で最大限発揮されるであろう関羽の武力を
封じる事ができると思います。
これは、曹操が呂布に対して打った手と同じではないでしょうか?

>「ただちに北に戻り、魏との戦(いくさ)を続けい!」
>更に孫権は「そうすれば同盟修復の意思ありと見なし、孫呉は関羽軍を後方より支援する!」と宣言

あまりにも老獪といいますか、これが呉の外交力の強さだと思いました。
曹丕政権は面白いように翻弄されましたし、もしかしたら、司馬懿でも
こんな狡猾な威圧外交はすぐには思い付かないのではないでしょうか?

じーさん・呂蒙・魯粛といろいろな御意見が飛び交ってますが、
つねさんが言われるように、僕もやはり孫権が深く関与しているのではないかと思います。

>「いかに戦う、関羽!?」

うーん、キツイ状況ですからねえ。
やはり襄陽からただちに撤退すべきだったなあと、今となれば「賽は投げられた」ですが(笑
どこかに「長江は封鎖されてるだろうから、上雇ルートしかないあるよ」
というセリフがありましたけど、シュミゲーだと永安方面に抜ける山間部の
ルートもありませんでしたかね?ネタ的に当てにならないか!(爆

それから、呂蒙も陸遜も関羽の気質を知り抜いているだけに、意表を突く
予想外の撤退への対応は鈍くなると思います。
猛烈な勢いで撤退する関羽軍の迎撃体制に入れ、という司令部の指示が無ければ、
臨沮やあちこちの伏兵隊も、戦闘力を発揮できないまま突破される気がします。

比較として扱えないと思いますが、
個々の部隊戦術や末端の連絡系統が遥かに進化していると思われる近代戦で、
元首や司令部からの適切な命令が無かったために、最強とされた大勢力の方面軍が、
奇襲攻撃によってほとんどの艦隊を失ってしまった、という戦歴もあります。

>趙累の言葉は嫌味や猜疑ではなく、度胸のよさと余裕、部下の失敗に
対する度量の広さを感じ、非常に好感をもてました

なるほど〜、
趙さんはO型ですかいな(爆
そんな勘ぐりをすると、孫権は怒りそうですが。


しかし、大変な闘いを見るにつけて、
「いかに戦う、関羽!?」
とは至言だなあと(爆)

No.12239 - 2005/09/01(Thu) 03:59:39
今週の蒼天<孫呉包囲網> / TATSU@管理人 [関東]
今週は場面を転じて、関羽を待ちうける孫軍の面々が描かれました。

背後を衝かれ、南下する関羽。通常 呉軍は「関羽を迎え撃つ狡猾な軍団」として描かれそうですが、蒼天はそんな事ありません。関羽軍には関羽軍なりの、呉軍には呉軍なりの、“正義”があり、“信じるところ”があるという描かれ方でした。 一方を善とし、他方を悪とする。そんな単一な描き方をしないところが、蒼天航路の魅力の一つですよね。

さあ、孫呉の武将たちはどんな想いを胸に、武神・関羽を迎え討つのでしょう?
では、今週のレビュー 開始させて頂きます。

No.12180 - 2005/08/07(Sun) 22:14:54

今週の蒼天<孫呉包囲網> / TATSU@管理人 [関東]
【STORY】

漢水−。
呉の水軍1万が遡上していた。

艦の舳先に蒋欽と吾粲が座っていた。吾粲は樊城の戦いの様子を聞けば聞くほど、関羽という人間が分からなくなっていた。関羽は、ただ強いというだけではなかったのである。

蒋欽は艫先で巨大な矛を振った。関羽の武は張遼より上と言われており、聞こえてくるのはそれを遥かに上回る武であった。だが、蒋欽はまず“張遼の武”に追いつこうとしていた。
「吾粲、足らん分はおまえの智力で補え。」
そう告げると蒋欽は笑った。無論だ。と吾粲は頷(うなづ)いた。
−それぞれが、それぞれの高みを目指し、昨日より今日、今日より明日と日々鍛え、そしてその力を一つに合わせ戦いに臨む−。それが天下に挑む孫呉の戦(いくさ)であった。

望楼の兵士が、斥候艦が帰還してきた事を叫んだ。
それ聞いた吾粲は、関羽の出現を悟った。

********************

江陵の北・呉軍本営−。
整列した軍勢の先頭で、馬上の呂蒙と孫皎が轡(くつわ)を並べていた。

呂蒙は、孫皎は公子ゆえ、自分が先陣に向かうと告げた。孫皎はそれを拒んだ。商人に化け江陵を抑えるという面白い役を呂蒙に譲った以上、今度は派手にやらせてもらいたい、と孫皎は要請した。更に孫皎は呂蒙の顔を覗き込み、本当に病気ではないのか?と尋ねた。最近、呂蒙の顔色が優れなかったのである。慌てて否定する呂蒙。そこに漢水の水軍からの急報が齎(もたら)された。

関羽の兵1,000騎が早朝に長坂を通過し、その後方に数千騎が続いていた。 そのあまりの少なさに、孫皎は呆(あき)れた。だが、それは関羽が北への侵攻を諦めていないことを示唆していた。

既に兵数にして十倍以上の包囲網が敷かれ、更に孫権自身が1万の兵を率いて現れる筈であった。なにか大仰(おおぎょう)過ぎて格好悪い、と呟く孫皎に呂蒙は告げた。
「例え、関羽一騎に対し、10万で囲おうとも大仰とは思わない。」
更に此度の布陣は、ただ関羽と戦うことだけを目的としてはいなかった。
「この陣立ては、」
呂蒙は遥か彼方を見つめ告げた。
「まだまだ先の勝利を求め、孫呉の戦を積上げる為の布陣だ。」

********************

夷陵−。
幕舎で陸遜は書を認(したた)めていた。

陸遜は呂蒙と別れた後、宜都を攻め落とすや枝江・夷道・秡帰を次々と占領。夷陵に駐屯し、蜀の侵攻に備えるべく三峡の出口を固めていた。
「私は三千を割いて関羽の包囲に加わるが、」
陸遜は、夷陵駐屯軍の新編成を記した書面を、眼前の男に手渡した。
「駱統。後は頼んだよ。」
そう告げると陸遜は幕舎を出、長江の辺(ほとり)に佇んだ。

蜀が如何に斥候を張り巡らせていても、呉軍の侵攻を知るまではもう少し時間がかかる筈であった。それは劉備があまりにも長く関羽を孤立させていた結果と言えた。
陸遜は背後の駱統に告げた。
「もうすぐここが天下の局面を握る戦場となる。」
陸遜は大河を見つめ、静かに続けた。
「長江の機嫌を損ねぬよう、軍を波浪と峡谷に馴らしておけよ。」

* *******************

臨沮・潘璋軍屯営−。
高台に座り、潘璋と朱然は兵糧を食していた。

関羽を仕留めれば最上級の褒賞が見込め、兵士の士気は上がっていた。それは孫軍一の“悪たれ軍団”と呼称される潘璋軍の本領発揮の場とも言え、潘璋は朱然軍に後詰めをするよう要請した。

朱然には、一つだけ疑念があった。潘璋ほどの将が何故かずっと3千の兵しか率いていないのである。それを口にすると、潘璋はそれが“悪たれの法則”であると笑った。
−“悪たれ”はたいてい貧乏で金に釣られてすぐ集まる。そして褒美目当てでよく戦うが、蛮勇ゆえにまたよく死ぬ。しかも軍規を嫌うからよく逃げるし処分も頻繁。人間は入れ替わっても、なぜか自然に3千あたりが手元にいる−。潘璋はそう告げた。
3倍強の働きをさせれば1万の軍に匹敵し、一人分の褒賞は3倍以上...理に叶っている、と朱然は感心していた。



潘璋軍屯営の片隅に、飯を掻き込む集団がいた。丁奉の部隊であった。
その部隊の中に、背中を丸め 手にした鈴を見つめる巨漢がいた。 食用の馬が手に入らず、丁奉は阿撞にそれを詫びた。無言の阿撞に丁奉は告げた。
「よしッ。阿撞!久しぶりに あれやるか!?」

夜の臨沮に鼓(つづみ)が鳴り、丁奉の笛の音(ね)が朗々と響き渡った。
阿撞は鈴を微かに鳴らし、立ち上がった。

建安二十四年十ニ月の空に、獣の音(ね)が谺(こだま)した。


【REVIEW】

■今週のタイトルは「孫呉包囲網」。ちょっと変な気がしました。まるで孫呉が包囲されているような....それを言うなら「関羽包囲網」じゃないでしょうか? ○○包囲網っていう場合、○○には包囲する側じゃなくて、される側が入ると思うんですが。

とはいえ、扉の孫権は良かったです。鎧のデザインがニューバージョンになってましたね。虎皮の着物を羽織ってましたが、これは仁でしょうか?んな訳ないですね。

 「蒼天航路」のタイトルで隠れてましたが、孫権の頭上には「孫」の一文字が大書されてました。“孫家の名にかけて関羽を討つ”といったところでしょうか。キャッチコピーは、こうでした。

−関羽が往く先は、孫呉が虎口(ここう)!−

■「だが、俺はまず張遼の武に追いつかねばならん。」

関羽の武は張遼の上であり、聞こえてくる戦いぶりは、遥かに上である−。巨大な矛をビュンビュン素振りしながら蒋欽が考えてました。でも、とりあえず蒋欽は目標を “張遼の武”に置いてました。蒋欽は合肥の張遼の姿を思い浮かべてましたね。確かに合肥の張遼も凄かったですから目標としては十分だと思います。樊城の関羽の鬼神ぶりも凄まじいものでしたが、合肥の張遼もそれに負けていなかったように思えます。管理人的には“張遼の武”に追いつけば、関羽とは互角の勝負になりそうな気もするんですが...。 

でも、関羽の樊城の戦いぶりは『 ただ強いわけではない。』と吾粲は評してましたから、関羽の武は色んな要素も絡んで凄いのかもしれませんね。例えば“戦いの小宇宙”で裸体で対決したりするのは関羽にしかできない技ではないかと(笑)。

■「それぞれが それぞれの高みを目指し、昨日より今日、今日より明日と日々鍛え、そしてその力を一つに合わせ戦いに臨む。」

「足らん分は、お前の智力で補え。」と笑う蒋欽に告げたのが、吾粲の上記の台詞です。
いいです!この台詞!不覚にもジワ〜ッときてしまいました。ラグビー経験者の管理人は、こういう台詞に弱いんです。これって“チームワーク”の基本なんじゃないでしょうか。
チームとして強敵を倒そうとする時の重要な要素がここにあると思います。こういう要素があるから、チームプレーのスポーツって面白いんですよね。

例えば、無名のチームが優勝候補の古豪チームを破ったり、スタープレーヤーのいないチームが強豪メンバーを有するチームに勝ったりする時がありますよね。 それがまさに吾粲の言うところの『 昨日より今日、今日より明日と日々鍛え、そしてその力を一つに合わせ戦いに臨んだ 』結果だと思うんです。だからチームプレイのスポーツって、見てもやっても面白いんですよね〜。
はっ、話が脇に逸れた!

■「孫家の公子は、ええ働きをしてなんぼ。」

孫皎が呂蒙に告げていました。孫家の場合、公子だからといって後方で安穏としていてはいられないんでしょうか。孫家って厳しいんですね。先週話題にした“孫権からの叱責の手紙”を読んでも孫皎は孫権に目をつけられているみたいですしね、ここが頑張りどころなのかもしれません。

それから“商人に化ける あのおもろい役”は、孫皎もやりたかったみたいです。それを聞いて呂蒙は、ちょっと苦い記憶を呼び起こしつつ、孫皎なら貧乏臭くはないが...と考えてました。貧乏臭くはないですが、孫皎の変装もばれそうな気はします。関西弁は良いとして凄く横柄な商人になりそうな気が。

士仁:「商人の物言いではない!」

■「ということは、やはり関羽はまだ北への侵攻をあきらめていない。」

南下して来る関羽軍が数千しかいないことを知り、呂蒙はこう考えていました。関羽軍が全軍で南下してこないというのは、やはりそういう事になるんでしょうか。全軍で南下しないのは『 北への侵攻を諦めていない 』というより、『 魏の大軍を引き付けておくことを諦めていない 』のではないかという気もしますが...。でも、以前 管理人は<関羽へ>のレビューでこう書きました。

劉備軍の北進を容易にする為に、魏軍を引き付けること「だけ」が目的であれば、関羽は、王甫の策“襄陽籠城”を選択するのではないでしょうか? しかし関羽は本拠奪還に動きました。 思うに関羽は、劉備の“北進支援”と同時に、“荊州制覇”も目論んでいたように思えます。 孤高の武神・関羽であれば、そのくらいの高い目標を持っていても不思議ではないと思います。天下を震わす震源地と成り、魏の大軍を次々と誘き寄せ、同時に、荊州の各拠点も手中にする。劉備の為に魏軍を引き付けると同時に、劉備の為に必争の地・荊州を制圧する。関羽は壮大な志(こころざし)のもと、軍を動かしたのではないでしょうか?

思うに、関羽って志(ここざし)が高過ぎて、時に現実的でない行動を選択するんじゃないでしょうか。それが今回の1,000の騎兵を率いての南下に現れているような気がします。でも関羽の廻りの侠客たちにとっては、そこらへんの義侠っぷりが堪らないのかもしれません。

■「なんか大仰(おおぎょう)過ぎて格好悪いでんな。」

孫皎の台詞です。南下する関羽軍は、関羽隊1,000に趙累・関平軍の4,000、計5,000でした。
では、それに対し“大仰過ぎる”という呉の包囲網はどういうものでしょうか?孫皎が「すでに10倍以上の包囲網」って呟いてるシーンに“呉の布陣図”が出てますので、それ見ながら分析してみましょう。

漢水を蒋欽の水軍10,000が北上。臨沮には潘璋・朱然の軍5,000が駐屯。江陵には20,000の守備兵がおり、江陵北郊に呂蒙・孫皎が10,000の兵を率いて布陣しています。更に江陵以西の長江沿いには、陸遜軍10,000が展開し、孫皎の発言によると孫権自身も10,000の兵を率いて参戦する模様です。
合計すると65,000。 確かに5,000の兵に対し10倍以上の包囲網を形勢しており、大仰と言えば大仰です。(その他、呉軍は公安にも兵を留めているでしょうから、侵攻した呉軍は70,000を超える兵力なんでしょうね。)

ただ、陸遜が「3,000を率いて関羽の包囲に加わる。」と言っているように、侵攻した呉全軍が一斉に関羽軍に襲い掛かる訳にはいかないでしょうから、直接関羽軍と衝突するのは、潘璋・朱然軍の5,000と呂蒙・孫皎軍の10,000、そして夷陵から駆け付ける陸遜軍3,000あたりでしょうか。(漢水水軍から歩兵が数千、参戦するかもしれません。)
そうなると、当面の戦いは関羽軍5,000と呉軍 約20,000の激突となります。それでも関羽は約4倍の兵力を相手にしなければなりません。でもそのくらいの差なら武神・関羽は撃破できそうではあります。
しかしながら致命的なことに 呉軍はいくらでも兵力を増強できるのに対し、関羽軍は5,000のまま戦い続けなければならないんですよね...。 

なんとなく関羽軍の悲壮な戦いが浮かんできそうではあります。

■「この陣立ては、まだまだ先の勝利を求め、孫呉の戦を積上げる為の布陣だ。」

呂蒙は「これは、ただ関羽との戦いであるというだけではない。」という台詞に続けて上記の台詞を口にしました。“まだまだ先の勝利”とは何でしょう?
このシーンの後、場面は長江沿いの拠点を次々と制圧する陸遜軍に移りました。故に管理人は、呂蒙が上記の台詞を口にした時、その目は西の彼方を見つめていたように思えます。

関羽戦に勝利した後には何がくるのか。それは、蜀の“猛烈な報復”がくるのではないか。関羽を討つという事は、劉備の凄まじい恨みを買うことになるのだから...。それを呂蒙は理解しているのではないでしょうか。それ故、今からその蜀との“熾烈な戦い”に勝つ備えをしておく必要がある。呂蒙はそう考えているように思えます。荊州侵攻に続く“大仰な布陣”は、『 関羽を討つ 』ことと同時に『 蜀からの侵攻軍に打ち勝つ 』ことも視野に入れているのではないでしょうか。管理人にはそんな気がします。

妄想ですが、荊州侵攻前に、呂蒙と陸遜は膝を付き合せて色々戦略を練ったのではないでしょうか。いかに関羽軍を油断させるか、江陵・公安をどう陥とすか、関羽をどう迎え討つか、そしてその後の蜀の反撃にどう備えるか...お互いの役割分担を決めたりしたんじゃないでしょうかね。

ただ、その“蜀からの侵攻軍”を迎え撃つ頃、呂蒙は既に...。

■「劉備は、あまりに長く関羽を孤立させたな。」

蜀の侵攻に備えるため、三峡の出口を固めた陸遜。その陸遜が、蜀が我々の侵攻を知るまではまだ時間がかかる、と予測した後に上記の台詞を口にしました。 なんたって7年ですからね。つまりは7年もの間、“兵家必争の地”であり“乱世の分水嶺”である荊州を、劉備は関羽一人に任せっきりでした。それも名だたる将や軍師は皆、蜀の平定に呼び寄せちゃったんですよね。

孫呉としては、それ故、荊州に侵攻するやいなや一気に長江沿いの各拠点を制圧できたのかもしれません。あまりに長く関羽を孤立させた。−それは関羽が偉大過ぎたゆえの弊害でしょうか。

■「もうすぐここが天下の局面を握る戦場となる。」

陸遜は予言してました。陸遜も呂蒙と同じく 既に関羽討伐後も視野に入れている模様です。上記の台詞は『 もうすぐ復讐に燃える劉備自身が蜀兵を率いて殺到してくる。』って意味でしょうね。 あ、ネタバレ?でも、その戦いは蒼天では描かれないからいいですよね。 でも蒼天における“夷陵の戦い”も見て見たい気がします。やっぱ続編やってくれないかな〜(笑)

ところで北上して長安を目指す劉備軍が全く出て来ないんですが、何してるんでしょう?もう長安には到着し城攻めを開始してるんでしょうか? それとも魏軍に阻まれ北上途中なんでしょうか?

■「孫軍一の悪たれ軍団 本領発揮だ。」

潘璋って、呂蒙を庇って進言する他は目立ったシーンがほとんど無く、戦場では活躍の場が全然無かったですよね。 ここにきてキャラが立ってきました。なんと潘璋は孫軍一の“悪たれ軍団”3,000を率い、自身も貧困の境遇から一攫千金を狙って100人のゴロツキを集めて旗揚げしたという強者(つわもの)でした。

赤壁の頃からの発言を通じ、“八頭の獣”の中では唯一の穏健派の武将なのかと思ってましたが、そんなことありませんでした。朱然に向かって「うちの奴らは危険だから、君の軍は後詰ね。」なんてウィンクしてましたが、手柄は独占したいみたいです。正史読んでみましたら、若い頃はもちろん、偉くなってからも強盗まがいの事をしたりして、相当のワルだったみたいです。

ちなみに朱然は合肥戦の時に2コマだけ登場してましたので、今回で2回目の登場です。潘璋とは対照的な境遇の将として描かれてましたね。

■「いや、言わば悪たれの法則だな。」

なぜ潘璋のほどの将が3千の兵しか率いていないのか。それは“悪たれの法則”によるものでした。
悪たれは金に釣られてすぐ集まって来るが、様々な要因で減ってゆく、よって人間は入れ替わっても何故か自然に3千あたりが手元にいるそうです。しかしながら、3千の兵は3倍強の褒賞を得るべく戦うので、潘璋軍は1万の兵に匹敵するそうです。スゴイです。悪たれ軍団の強欲ぶり(笑)。

そう言えば、馬超討伐に向かう際、賈翊も似たような“無頼の中軍”を率いてましたよね。賈翊が「もめごとが起これば必ず死人が出るわ、それを捌く楊沛が足を折るわで、ついには三分のニに減ってしまいました。」と愚痴ると、曹操は「そして戦闘でさらに人が絞り込まれれば、この関中むけの厳格な督軍がひとつ仕上がる。」と言って笑っていました。“無頼の中軍”は行軍中でしたから、募兵はできませんでしたが、それをしてたら“悪たれ軍団”と同じように人数を減らさずに厳格な軍が出来あがっていたかもしれませんね。


■「今日は 馬、手に入んなかったんだって。ごめんな。」

丁奉が阿撞に詫びていました。他の兵士は飯を食べてたのに阿撞だけ鈴を見てました。ってことは、阿撞って馬しか食べないんでしょうか! でも「馬が手に入らなかった」って、潘璋軍は全軍歩兵って訳はないですから、馬はある筈ですよね。でも騎馬隊の馬をいちいち阿撞に食べさせてたら、騎馬隊自体が役に立たなくなっちゃいますし...。病気とかで役に立たなくなった馬が出たら、阿撞に食わすんでしょうか? なんか厄介です。 別に馬じゃなくて鶏か豚とかじゃダメなんでしょうかね。

■「よしッ、阿撞!久しぶりにあれやるか!?」

丁奉は阿撞を慰めるべく、仲間の演奏にあわせ笛を奏でていました。 
しかし管理人的には丁奉が“男装の女性兵”に見えて仕方ありません。潘璋が“孫軍一の悪たれ軍団”と豪語した割に、最初に登場した潘璋軍の将が“男装の麗人”みたいなキャラってのは如何なものでしょう。そもそも丁奉をこんな女みたいなキャラに設定した理由は何かあるんでしょうか。

“女性のような将”が率いる“悪たれ軍団”。そしてそこに所属する“獣のような怪童”。
なんか関羽を倒すのは、際物(きわもの)部隊なんですね...。

No.12181 - 2005/08/07(Sun) 22:48:05

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 黄色い弾丸
いつも楽しく読ませていただいてます。
千の兵で万の敵に向かう関羽…しびれますねぇ。無謀ですが男ですね。 率いる将が呂布だったら何の違和感も無いんですけどねw
かなーり不評の、獣のような阿撞ですが今週号でやけに綺麗な瞳をする化け物だなぁと思いました。もし関羽との一騎打ちがあるとすれば、技量じゃなく精神戦になりそうな予感…。関羽の小宇宙での阿撞は見たくないですけどね。蒼天での夷稜の戦いは是非見たいです!作者が早く連載終了させたいみたいなので、無理でしょうけど。せめてエピローグで亀の回想シーンのような形で曹操死後のエピソードも見たいですね。

No.12182 - 2005/08/08(Mon) 01:01:46

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / RYU [東海]
管理人さん、いつもありがとうございます。

>関羽軍には関羽軍なりの、呉軍には呉軍なりの、“正義”があり、“信じるところ”がある
>単一な描き方をしないところが、蒼天航路の魅力の一つ

魏・呉・蜀ファンのいずれにとっても、読み易いスタイルは大好きです。
僕自身、「蒼天航路」に出会わなかったら、三国志をそれほど好きになっていないと思ってます。

>関羽の武は色んな要素も絡んで凄いのかも

蜀の将士はもとより、張遼・徐晃・曹仁や敗れた顔良・寵悳らといった名だたる将軍達の方寸を掴み、猛将達をまとめ上げる才において傑出しているのかも知れませんね。

>「足らん分は、お前の智力で補え。」
>これって“チームワーク”の基本なんじゃないでしょうか

呂蒙というと、かつて「武」に身を置いていたキャリアから参謀へと転身した将帥というイメージがありますが、吾粲も「陳武、昔よく行っていた虎刈りを思い出すな」というセリフを見るあたり「武」を理解する参謀であるのかも知れません。
「武」と「知」を両道するアイデンティティーを持つ者の強みというか、諸葛亮や司馬懿らとはまた違うタイプであるような気がします。勿論、彼ら両名も能力の高い参謀であり、大変な政治家である事は言うまでもありませんが。

ちなみに僕なんかは今以上に“チームワーク”が苦手でしたがw

>関羽は『 魏の大軍を引き付けておくことを諦めていない 』

やはり、江陵・公安が陥落した時点で、重大な決断をするべきだったと思います。
魏に対抗するための襄陽籠城も、呉による蜀本拠奇襲の可能性を鑑みると困難な選択肢で、かといって呉から江陵・公安を奪還する事も兵力的に不可能であるので、臨沮経由で全軍規模の撤退を行うべきではないでしょうか?
関羽全軍(15,000強?)を以ってすれば潘璋・朱然の軍5,000も労せずに踏破できたように思えますが、総勢70,000を超える呉の包囲網を打ち破るのは、陣容の厚さ(孫権・呂蒙・孫皎・陸遜・蒋欽・吾粲・潘璋・朱然・丁奉ら)を見てみても困難だと思います。

>「劉備は、あまりに長く関羽を孤立させたな。」

(上述続き)ただ、関羽の壮大な志と義理に篤い気質からしてみても、荊州を放棄するという決断は無理だったと思いますので、これはすなわち、蜀軍の人材不足を直接的原因とする関羽軍における参謀不在に敗因があり、間接的原因としては劉備の情勢判断にミスがあったとも言えてしまうと思います。

>呂蒙は既に...。

呂蒙の顔グラが使いにくくなりますね(爆

>丁奉をこんな女みたいなキャラに設定した理由は何かあるんでしょうか

“戦いの小宇宙”攻撃を封じるためとか(爆


>率いる将が呂布だったら何の違和感も無い

いやいや、まだ勝敗がどうなるか分かりませんよ。
何しろ、関さんは呂布と互角の戦いを繰り広げましたから、「陽平関」の惇兄みたいに次号の扉絵で落城させてるかもしれませんよW

>亀の回想シーン

そのネタ、いただきます(爆

No.12184 - 2005/08/08(Mon) 06:49:10

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 白
初カキコです。
今回は丁奉について気になっています。
彼(彼女?)は男か?女か?
顔のパーツやら鎧の形からしてまず女なのでしょう。

ところで丁奉の顔に見覚えありませんか?
別の蒼天航路を扱うサイトでも取り上げられていましたが、
24巻・赤壁戦で曹操が厄介になっていた村にいた少女に似てません?
孔明が「多少の才があるが(曹操の)傍らに侍らす程ではない」と評した、あの少女です。
赤壁が確か208年ですから、ギリギリ在り得そうな年齢ですね。

No.12185 - 2005/08/08(Mon) 11:04:08

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 英英 [関東]
丁奉を見たときは、ええっ!?と思いました。
お、女の子!?そんなはずは…!
白さん(初めまして)同様、赤壁前哨戦で弱った曹操をじーっと見つめてた少女に似ていてビックリです。でもあれは少女だしな〜。まさか、最近発売された34巻の終わりで、GONTA先生が言ってた「女の子描きたい」発言が丁奉に表れてるんでしょうか?
男装の麗人…そんなことないはず…と思いつつ、じーっと丁奉を眺めると、手つきや指先がゴツイのでやはり男性なのかな〜と思えるようになってきました。
線が細いのはまだ少年だから、髪型と服装は彼の主義ってことで(笑)

>「今日は 馬、手に入んなかったんだって。ごめんな。」

阿撞が食べる馬は、戦死した馬や負傷した馬を餌にしてるのでは?
孫呉にとって軍馬はかなり貴重だと思うのです。
管理人様のおっしゃるように、私も他の動物あげればいいのにと思いました。民家から牛でも犬でも買ってきたらいいのに…。
「阿撞=馬忠」説が前回からでておりますが、馬さえ食わせておけば忠実だから“馬忠”と名づけられたのかな…とくだらないことを考えて気をそらそうとしてます(^^;

「後はたのんだよ」「はい。駐屯軍の新編成」「夜が冷たくなったね」などなど、陸遜のしゃべり方が妙に新鮮に感じました。書き終えて、トンって勢いをつけて、コロコロ巻物を戻すような、そんなかわいらしい(?)ところがあったのですね!なんか、自分がモテることを熟知した人間のさりげない動作を垣間見た感じです。(呂蒙すねないで)
例の“おもろい役”取り合い場面では、「もう、好きにして…」とか思っていそうです(笑)。
そして、心の中では自分が一番ピッタリなのにとため息をつく。

夜が冷たい季節なのに、孫呉の公子は半そで&腹だし。
「建安24年12月」
いよいよ、その時がきてしまいましたーっ(><)
最後の一文が一番ショックでした。

No.12186 - 2005/08/08(Mon) 21:40:34

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 鳳卵 [東北]
 潘璋のセリフを見て、ふと、懐かしの堅パパ(この呼び名は…)の初登場シーンを思い出してしまいました。
「この地での我が武功を、位ではなく金子で見立ててもらえんですか」
と、孫堅は言ってましたが、今回の潘璋も、まさにそんな感じでしたね。
 虚名より実利を求める気風は、脈々と受け継がれているようです。

 孫呉に仕える人々って、身分の差が激しいのですよね。朱・陸・顧あたりの名家だと孫家より上の家格だったりするのですが、その他になると、そこらのゴロツキとえらく違わなかったりする人も…
 そういう環境だと、孫家に生まれたからと言って安穏とはしていられないんでしょうね。以前、孫堅が周瑜に家を乗っ取られることを心配してましたが、スキを見せると自分の地位を乗っ取られてしまうという危惧が、孫家の人々にはあるのではないかと思います。

 さて、それぞれがそれぞれの知恵と力を磨いてそれを一つにまとめ上げる孫呉と、1人高みに関羽がいて、周りの人がそれに寄り添う形の関羽軍。色んな意味で関羽軍は“後がない”状況になってます。悲壮感漂いますね…

 陸遜の「関羽をあまりに長く孤立させた」というセリフは、地理的な条件だけでなく、関羽と伍していける人材を配置しておかなかった、という意味も含んでいるように思えました。

 ここに来て、また新しい登場人物が…まぁ、前回名前が出てたので登場は順当なところですが、まさかこんな美少年とは思いませんでしたね、丁奉。…いや、女の子じゃないと思うけど…どっちかというと、成公英に似てなくもないような…狙いは『美女と野獣』なんですかねぇ。

 

No.12187 - 2005/08/08(Mon) 23:34:25

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / あのつ [関東]
管理人さん、いつもありがとうございます。

>今週のタイトルは「孫呉包囲網」。ちょっと変な気がしました。まるで孫呉が包囲されているような....それを言うなら「関羽包囲網」じゃないでしょうか? ○○包囲網っていう場合、○○には包囲する側じゃなくて、される側が入ると思うんですが。

一瞬、確かに。と思ったんですけど、そんな事もないと思います。

確かに例えば、日本でも戦国時代に「信長包囲網」というのがありました。足利義昭が発破をかけてあちこちの群雄達や本願寺門徒衆が織田信長を苦しめたあれの事です。ここでは、される側ですが、
一方、第二次世界大戦中に日本が経済面でも軍事面でも制裁をうける「ABCD包囲網(陣)」。こっちではされる側じゃなくて、する側だったりしますので、たぶんどっちでもOKなんでしょう。
どうでもいいですね、すいません。自分的に引っかかるものがあったんで。

白さん、英英さん、丁奉は絶対赤壁の時の女の子ですよね!

No.12188 - 2005/08/09(Tue) 02:57:59

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 夏樹 [関東]
 こんばんは、夏樹です。

 管理人さんがチームプレイの話を、鳳卵さんが堅パパの精神の話をなさっておりましたが、孫呉の多様なキャラがより細かく描かれてまいりましたね。
 フロンティアの過酷な環境は、布告を出したり儒者と対決するまでもなく、「唯才」であることが求められるのでしょうか。
 中央では有能な治臣たる王朗や華歆が、江南においては「時流に乗る才能がない」などと評されて孫策にこてんぱんにやられるのも、江南という地域の特殊性のあらわれなのでしょう。


 丁奉、やっぱり女性に見えますよね。あの髪型は女性のものだと思うのですが。
 もっとも、江南では蒋欽みたいな髪型もアリのようですので、やっぱり男性なんでしょうが。

 ちなみに、私、成何(成公何)が「兄」というまで、ずっと蒼天の成公英は女だと思っていました。だって韓遂の侍女にまぎれて出てくるんだもん。

No.12190 - 2005/08/09(Tue) 21:47:29

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / ごんた
クライマックスに近づく中、GONTA先生には悪いのですが、本当に曹操の死で終わって欲しくない気持ちでいっぱいです。
個人的には三国志は280年(せめて諸葛亮の死まで)まで描いて欲しく、番外編で項羽と劉邦(しかも項籍が主人公。GONTA版亜父に期待)を描いて欲しいです。賛同してくださる方署名運動とかしましょう!!!

No.12191 - 2005/08/09(Tue) 22:40:00

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / つね [関東]
今週は陸遜の挙動に魅せられてモーニングを買ってしまいました。

1.孫呉の戦ぶり
2.将来のための布陣
3.夷陵の貴公子
4.臨沮の悪たれ

>「夜が冷たくなったね」

蒼天人多しと言えどもこのセリフ、この口調が似合うのは陸遜(と微妙にタイプは違いますが荀イク)くらいしかいなさそう。大人としての風格と余裕がただよっています。

丁奉は本当に男か女か迷いました。英英さん同様に手つきから男と判定しました。あと?Y夏さんの女性兵と比べると胸がないんですよね。(セクハラ? ご勘弁を)

それにしてもこの布陣に甘寧がいないのがなんとも残念です。

>建安二十四年十ニ月の空

旧暦なので月の形から日付まで推定できてしまいますね。大体10日くらいでしょうか。魏王の逝去日まであと・・・

No.12193 - 2005/08/10(Wed) 01:52:01

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 文月 [近畿]
こんにちは。

丁奉は、私も英英さんやつねさんと同様、男の子ではないかと(というか史実ではそうなのですが)思います。
そもそも、こういう「女顔の美少年」というキャラ自体が、今までの蒼天にはいなかったために、今回のように「丁奉の性別論争」があちこちで沸き起こることになってしまったのではないかと(笑)。

今回のスレでは今のところ触れられていないようなので今後の展開について、ネタバレに触れると思われるような事柄を少々…。
孫皎だけでなく蒋欽も、史実での没年は呂蒙と同じく219年なんですよね。
彼らの命が今から心配でなりません…。

商人に扮した孫皎…。
「貧乏臭くは無くとも、余計に怪しまれる」というのは私だけでなく管理人様もそう思っていらっしゃったのですね。良かったv(笑)

No.12194 - 2005/08/10(Wed) 17:01:28

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / アベール
自分は丁奉は女と読みました。丁奉は大将軍の位まで昇進してます。
「女だろうが強靭な野郎どもを集めてのしあがってやるぜ!!!」そういう熱いキャラだと想像しました。
殷王朝の時代に戦陣に立った女武人がいた、という話を聞いたことがあります。三国志演義のチョウ蝉も魔王に喧嘩売ってますし、戦乱時代なので女、子どもが弓矢をとらざるを得ない状況もあったでしょう。
あながちありえなくもないかな、と思います。
女なら力ではなく技のキレで敵を圧倒する必要があります。それゆえに「身には大小の傷を受けた」(正史・丁奉伝)のかなと勝手に想像しています。

「平穏な徳川時代に比べて、戦国時代のほうが明るい時代に感じるのは立身出世の風通しがよかったからだ」と司馬遼太郎氏が書いておりました。
今週の丁奉は、そういう「三国志時代の風」を感じさせてくれました。

>成何(成公何)が「兄」というまで、ずっと蒼天の成公英は女だと思っていました。

成公英は韓遂の恋人なのでは?!とおもってます。
叛の人・韓遂なのでそういう乱れた欲望もあるのかなと。
馬騰に忠節を尽くしたホウトクも髪の毛に苦労の後がうかがえます。やっぱり乱の連続なので、不安定で心配事が絶えない立場だったのだと思います。
違ってたらすみません。

No.12195 - 2005/08/10(Wed) 20:32:43

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / RYU [東海]
自分の意見の追加で恐縮です・・。

>呉から江陵・公安を奪還する事も兵力的に不可能

襄陽を放棄して関羽全軍で孫呉包囲網に当たるという投機的作戦も考えられますが、自軍後方からは襄陽に進出した魏軍の追撃を受けるリスクを抱え、前面には孫呉の大布陣が展開、蜀への退路には伏兵の陣が敷かれた状態に自らを追い込む形となり、さらには、魏と呉が共闘する事にでもなれば、魏呉包囲網を張られる危険性すら出てきます。
だから、不可能と言う事で。
 自 演 乙  (爆


>臨沮経由で全軍規模の撤退を行うべき

関羽全軍で、潘璋・朱然の軍5,000を叩いた直後に、その足で対呉前線を張る事も可能です。
蜀前線(シ帰・永安あたり?)から孫呉陣営を見れば、潘璋・朱然らは
侵攻軍の先鋒に当たりますから、孫呉の前線を叩いた有利な状態で、防衛戦に臨める事になり、蜀将兵のモラルも高揚します。
つまり、荊州放棄により下がるであろう関羽軍のモラルを挽回し、戦勝に浮かれる孫呉の鋭峰を挫き、本隊との連絡も回復し連携をとれるようになる訳です。

No.12196 - 2005/08/12(Fri) 02:59:36

Re: 今週の蒼天<孫呉包囲網> / 曹沖
こんばんは
丁奉は男なんですかね?やっぱり女なのかな?
そして、もし女なら赤壁時に曹操に驚いていた女の子なのでしょうか?
謎は尽きませんね・・・。
まあ俺的には男であると信じたいです。
演義上とはいえ男のなかの男の張遼が女の丁奉に敗れたなんて少し情けないような・・・。

No.12272 - 2005/09/10(Sat) 18:13:53
イラスト2枚完成!! / TATSU@管理人 [関東]
こんばんは〜。皆さん、夏休みはいかがお過ごしでしょうか?
少し早めの夏休みをとった管理人は、先日 旅行先で“ラフティング”なるものを経験してきました。予想以上の面白さでした。機会があったらまたやりたいです。

なんて欣太先生が聞いたら、人がこれから関さん殺そ思て必死こいてネーム考えとる時に なに悠長なこと書いとる!とか怒られそうではありますが、更にモーニング休刊を利用して、溜めていたキリイラを一気に描き上げました。

藤次郎さん、黒助さん、大変長らくお待たせ致しました。「諸葛兄弟」&「曹丕」出来あがりました。描画考・MY GALLERYにUPしてありますので、右クリックして持ち返って下さいませ。

しかし考えてみれば、レビュー1回書く時間で、イラストは2枚描けちゃうんですよね。やっぱり模写するより感想書くほうが大変だってことに気付きました。

No.12197 - 2005/08/14(Sun) 22:38:45

Re: イラスト2枚完成!! / 鶏肋 [沖縄]
初めて書き込みします。
管理人様のイラスト拝見しました。私がリクエストしたわけではないのですが、やった〜!という感じです。

黒髪の孔明、素敵です。振り返る視線に痺れました。お兄さんにはどんな口のききかたするのでしょうね。敬語なのかなぁ。
それから曹丕。座った姿がかっこいー!!お父さんよりクールかも。

No.12199 - 2005/08/16(Tue) 12:38:54

Re: イラスト2枚完成!! / 藤次郎
藤次郎です。お忙しい中キリイラご苦労様でしたm(_ _)m 誰もも寄せ付けないって感じで凄くしびれました! 改めてみるとお兄さんはロバというより孔明のいた桃源郷の小さいお爺さんにも似てますね。もしかしたら兄のほうも桃源郷出身かも(でもあの馬づらでハーレムをつくっている図は想像できませんが)
それでは管理人さんや全国の蒼天ファンの皆さんも夏バテには気をつけてがんばってください 

No.12202 - 2005/08/17(Wed) 08:36:18

Re: イラスト2枚完成!! / RYU [東海]
諸葛亮が意外にカッコイイではないですか!!
兄者は相変わらずロバ顔ではないですか、彼と孫権が仲良く会見してる
想像がつきません。孫権は動物大好きコレクターですけど、虎や鷹や鷲やワニとか
飼っているのは肉食動物が多いですから、草食系には慣れてないのでわ
ないでしょうか?!

曹丕がクールですねえ。
親父より悪そうっては、若年の跡継ぎにしては褒め言葉のような気もします。

No.12206 - 2005/08/20(Sat) 07:09:01

Re: イラスト2枚完成!! / 黒助 [関東]
こんにちは〜。
やっと書き込めました。管理人様、キリイラ見ました!
いったいどのシーンを描いてくれるのかなぁとずっと楽しみにしていましたが玉座シーンですね。
いやぁ、かっこいいです。玉座で足を組み、腕を組みながら浮かべる微笑に不遜を不遜と思わない余裕と意思を感じます。
このシーン、それまで実子ながらもあくまで魏の一将に過ぎなかった曹丕が初めて曹操の枠を超えて自分の天下を描く意思を態度で示した場面であったように思います。
この時見せてくれたスケールに惚れてのリクエストだったのでまさに希望通りの絵でした。
ありがとうございます。

諸葛兄弟の会談も異様な雰囲気が十分に出ていますね。
この二人、どんな風に言葉を交わすのかもし私がその場にいたら後ろからそっと盗み聞きしたくなるような気がします。
が、気付かれてこんな風に二人と視線が合ってしまったら間違いなく逃げます。

No.12207 - 2005/08/21(Sun) 18:56:06

Re: イラスト2枚完成!! / 英英 [関東]
“見返り微人!?”(←「美人」とは違うな〜ってことで)

TOPイラストに、ちょっとビックリしました(笑)
なんか…孔明に「呼びました?」と振り向かれたみたいな感じがして、「呼んでない!呼んでないからっ、諸葛亮」と心の中で主張。
弟から目をそらすと、ばっちり兄御と目が合うんですよね〜!
お見事な構図です!

>黒助さん
こんにちは。お久しぶりですね(*^-^*)

>気付かれてこんな風に二人と視線が合ってしまったら間違いなく逃げます。

私も逃げたいところですが、目が合ったら動けなくなりそうです。
諸葛瑾は大大好きなのに蒼天の子瑜殿は微妙です。
でもずいぶん見慣れました、素敵とは言いませんが…(^^ゞ

No.12208 - 2005/08/22(Mon) 21:05:44

どうもです! / TATSU@管理人 [関東]
前回のキリイラ完成時はリクエストした方の反応もなく、かなり寂しい思いをしたのですが、今回は色々と書き込み頂いてとっても嬉しいです。

鶏肋さん、RYUさん、英英さん、感想ありがとうございます。藤次郎さん、黒助さん、喜んで頂けたようで何よりです。
色々コメント頂くと再びイラスト描く意欲が湧いてまいります。
引き続き当サイトはキリ番設定しておりますので、宜しければまた狙って下さいませ〜。

No.12210 - 2005/08/23(Tue) 21:03:30

Re: イラスト2枚完成!! / Dr.N [東海]
> 前回のキリイラ完成時はリクエストした方の反応もなく、かなり寂しい思いをしたのですが、今回は色々と書き込み頂いてとっても嬉しいです。

ありゃー、スミマセン。これは私のことですね。
いつも「今週の蒼天」ばっかチェックしてたためかNo.12125のトピックに気がつきませんでした。(検索して気がつきました)
イラストの方はもちろん拝見いたしましたよ。陸遜、素敵に描いていただいてありがとうございました。またお忙しい中、出番の少ないキャラで苦労させてしまってスミマセンでした。
そしてご挨拶が遅れまして申し訳ありませんでした。作品の方は大詰めですが、今後のレビューも頑張ってください。期待しております。

No.12230 - 2005/08/28(Sun) 22:30:00

Re: イラスト2枚完成!! / TATSU@管理人 [関東]
ありゃ、見て頂いてたんですか。
こりゃまた御礼を督促したみたいになって失礼しました。陸遜はご満足頂けてたみたいで何よりです。

「今週の蒼天」もチェックして貰ってるようで嬉しいです。もし宜しければこちらにも感想なぞを...

No.12231 - 2005/08/30(Tue) 23:25:39
せつない / 松ブ@上海 [外国]
こんばんわ。初カキコします。上海在住の者です。
今年4月、当地に赴任してから、定期的に読み込むこともなかなか
できず、たまに時間が空いた時にマンガ喫茶にいってモーニングから
蒼天だけを抜き読みしている有様です。

大分前からそろそろ終わりが近い、ということを感じつつ読んで
いますが、先日の徐晃の関羽への想いや呂蒙の
「でないと、俺...間に合わんぞ。」
という台詞、終盤にさしかかった感じが強く、しかもこの2人の
好敵手を想うその気持ちがとんでもなく切なく感じます。良い意味で
凄く直球で気持ちを出す、子供っぽい2人が素敵です。

好対照なのが、慌てず騒がずの夏侯惇ですね。「ぃよっ」というのは
最高、彼しかこなせない台詞だと思いました。現場の気持ちも理解でき
汲み上げてやることもできながら自分がそこに安易に感情移入して
しまうことなく、自分の責務を果たす、オーナーから主力工場
を任される工場長のような存在です。

当地で働いていると(中国の仕事は既に10年を超えましたが)関羽の
ように物凄い人物よりも、惇兄のような地に足のついた存在に惹かれ
ますし、そういうキャラには中国の人達もついて行くと感じます。

全てのキャストに深い思い入れをさせてくれている欣太先生に感謝
しています。

No.12198 - 2005/08/15(Mon) 22:30:03

Re: せつない / 平助 [東海]
はじめまして松ブ@上海さん。

名古屋在住の学生をやっております平助といいます。
いきなり質問も失礼かと思いますが、若輩者に教えると思って許してください。
自分は来年から就職するので、もしかしたら中国の方と接する機会があるかもしれません。そんな時に三国志の話題なんかは世間話にはいいのではないかと思いまして、質問させて頂きたいと考えました。

・中国での三国志の人気はどのようなものなのでしょうか?
・中国の方に、日本人にはない三国志の好みはあるのでしょうか?
・その他に気をつけた方がいいことなどがありましたら、お願いします。

No.12200 - 2005/08/17(Wed) 04:02:15

Re: せつない / 松ブ@上海 [外国]
平助さま
当方の感じている限りでお答えしますと、
・基本はやはり三国志正史ではなく三国演義です。桃園の誓い、ですね。
・然し、割と劉備がどうこうというよりも最近は曹操の評価が高い
 ようです。ズバリ「曹操」というTV番組もあったようですし。
 矢張り義侠ひとすじ、というよりも民衆に実利を与えてくれるか
 どうか考えたら曹操、といったところでしょうか。
・関羽は勿論神様と化してますからみんな知ってます。その割りに
 張飛を知らん奴がいたなぁ。諸葛亮や孫権はちゃんと知ってるのに。
・どちらかというと三国志や史記は大人が読む、で、子供はみんな
 西遊記と水滸伝を読む、といった感じで、これは日本でも同じでは
 ないでしょうか。当方もまず横山水滸伝から吉川水滸伝、最後駒田
 信二訳、という順番ではまりました。その中でもずば抜けて有名
 なのは武松と李鉄牛でした。
・横道に逸れましたが、中国大陸と島国日本では考え方がまるで違う
 ということだけはご認識下さい。「自分の身は自分で守る」つまり
 「村(共同体)が守ってくれる」といった日本的切り口は甘い。
 どうやって自分が生き延びるか、を4千年間繰り返してきた民衆
 が15億居ると思えばよいと思います。
・三国志の話に違わず、なんせ中原と江南は言葉、考え、その他基本
 から違います。外国です。勿論蜀も西涼もまるで違うでしょう。
 ですから「中国」とひとまとめで考えて接するよりも、相手の方が
 どこの地域(三国志的にいうと「州」?)の方なのか、まずそれを
 解って、その気質はどうなのか、等を受け止めていかれるのがよいと
 思います。
長々と失礼しました。

No.12203 - 2005/08/17(Wed) 22:26:20

Re: せつない / 平助 [東海]
松ブ@上海さま

ありがとうございます。
いろいろと参考になりました。
自分もそうですが、どこか甘いのでしょうね。
日本的な良さを捨てる気もありませんが、違う文化圏の人とも対等に、普通に付き合いたいです。
40歳くらいになったときに夏侯惇将軍の様な味のあるおっさんになりたいと、独りで願望に遊んでいる夏です。

No.12204 - 2005/08/17(Wed) 23:08:32

Re: せつない / RYU [東海]
雑誌の記事などで、中国に進出するたいていの企業経営者が直面する
問題や、成功者のアドバイス、現地スタッフの本音などが掲載されて
いるものを読んだ事がありますが、日本人だけの職場にあるような
経営者・上司 vs 従業員という壁だけでなく、さらに日本人と中国人
という集団意識の壁が強いそうですね。
上司や社長通訳として抜擢された中国人でも、言う事を聞かない中国人従業員
の味方に立つ事が多いとかで、コミュニケーションの取り方や、
お互いに打ち解けるのが中々大変そうでした。

松ブ@上海さまも、中国でご勤務という事ですが、現地の人たちと
三国志のお話などをされている所を拝見しますと、相当仲良く
打ち解けられているようにお見受けしました。

ちょっと興味本位でお聞きしたいのですが、
例えば、日常的会話の中にお互いの文化や歴史といった内容が
上がる事はありますか?

No.12209 - 2005/08/23(Tue) 05:06:12

Re: せつない / 松ブ@上海
>RYUさま

「お互いの文化や歴史」にふれるというのは、実は結構難しいのだと
思います。大体こちらの文化なんかに興味ないでしょうし、向こうは。
たまたまこちらが興味あり、思い入れがあるからむこうがどう考えて
いるか思いを馳せながら話題に上げている、ということであって、
日常的会話の中では特段文化歴史は出てこないと思います。
たまたま日系企業にいますから、同じ職場の中国スタッフはいろいろと
理解していると思いますが、それ以外の一般の現地の方は、まずそんな
ところに触れませんね。ややこしいし。

No.12227 - 2005/08/26(Fri) 21:53:07

Re: せつない / RYU [東海]
松ブ@上海さま、ありがとうございます。

やはり、現場を知る方のご意見は説得力がありますね。

ごく一般的な民間企業の社会人は仕事をスムーズに進める事が正義であり、
文化交流というのは芸術志向のアーティストや有志の市民団体、
時間に余裕のある非労働者にしかできない事かもしれませんね。
もしくは、自由市場のビジネスにおいて成功を収めつつ、カルチャーとしての
勝ち組も狙う余裕のあるグローバル企業が事業の一環として行うか、
親アジア外交を戦略としないのならば、友好関係を多少なりとも改善し、
バランスを取るという狙いで国がやるべき事であると思います。
ODAよりもかなりの低コストで済む上に、交流のアプローチは一般の人々が対象と
なりますので、東アジア諸外国の対日世論に影響力を持つ事ができると思います。

「郷に入れば郷に従う」というように、外国人労働者としては現地の人が
好きなネタや、持ち掛けて来た話題に慎重に応じるという気構えがベストなのでしょう。

>一般の現地の方は、まずそんなところに触れないです

そうしますと、デモに参加するほどの反日感情の強い人達が、目の前の
日本人に対して考えを問いただすという行動はリアルにはあまり起こらない
という事ですかね。
ニュースで大袈裟に伝わったか、あるいは子供がやるようなただの悪ふざけ
であり、中国のいっぱしの大人とは別物として評価した方が無難かも知れませんね。


松ブ@上海さまのように経済交流でガンバられるグローバル社会人の方は
本当に立派だと思います。
ありがとうございました。

No.12228 - 2005/08/27(Sat) 22:23:20
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