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作家の意地を魅せたヤング・アダルトウルフガイ〜『若き狼の肖像』 - Name: カナメ No.1531 - 2017/06/26(Mon) 23:04:35
ヤング・アダルト犬神明というと、なんか白いブラックサンダーとか、かおりムシューダみたいで、どっちやねん! という感じですが、実際若い頃のアダルト犬神明のお話なんだから、しょうがない。その名も『若き狼の肖像』。

この作品は切り口が多くて、どういう風に書こうか迷う。まずは周辺事項から書いていきましょうか。
たとえば“言霊使い”を初めてあとがきで自称したのはこの作品であることは、ファンなら押さえておきたいですね。
その言葉を最初に使った(創った)のは、中島梓です。「別冊新評 平井和正・豊田有恒集」に載った評論で「言霊つかい」と云ったのがきっかけとなりました。なお、この評論は電子書籍として刊行された中島梓の平井和正評論集『狼の肖像』※に収録されています。むろん、「若き――」のタイトルも、中島梓の評論からとっています。
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M117L0W/

以後、平井和正は出版社の注文によってではなく、言霊という内的必然性の命じるままに小説を書くという創作姿勢を確固たるものにします。
しかし、その一方で、当時出逢った新宗教とそのカリスマ教祖の絶大な影響下にあって、『人狼白書』〜『人狼天使』を発表し、物語の質的変容ぶりで物議を醸した作者が、その宗教性とはまったく無縁の小説を書いたことに驚きを禁じ得ません。
まあ、犬神明が天使に出逢う前のエピソードであるし、当然そうでなければならない、当たり前っちゃ当たり前の話なんですが、でも、あの平井和正がですぜ? 思わずこう思ってしまうわけですよ。なんだ、やればできるじゃん――と。

この少し前に発表された※『死霊狩り』2〜3もそうです。原典漫画『デスハンター』を忠実にノベライズしていて、田村俊夫の前に天使が現れるといった物語の質的変容(漫画『幻魔大戦』→小説『幻魔大戦』のような)は見られません。
『死霊狩り』なんて、それこそ小説版からはバッサリ削除された漫画版「エピローグ」の部分を発展させて、天使時代の一大巨編にすることもできたはずでした。不定形生物と合体することで人類はより良く進化できるというフィジカル設定に、作者の宗教観はなじまなかったのだろうとは思いますが。

『死霊狩り 2』/「野性時代」1976年9月号掲載
『死霊狩り 3』/「野性時代」1978年2月号掲載

ここから結論できるのは、(云い方は悪いですが)平井和正は「まともな」小説が書けなくなってしまったわけではないということですよ。よくヘタクソな絵を「ピカソの絵」とか云ったりしますが、云うまでもなくピカソはヘタクソであんな絵を描いてるわけではありません。写実的な絵を描かせたら幼少時から神童と云われた画家が、常人離れした発想・感覚でキュビスムの世界に行き着いたのです。平井和正もまた、真っ直ぐのつもりで描いた線が曲がっているとか、全力で投げた球がスローボールとか、そういうことではなく、アダルト・ウルフガイの質的変容は、まさに意図的に舵を切っていたのです。ファン・信者としてのリスペクトとして、と同時にヒネクレ・イジワル読者のツッコミとして、云わせていただきましょう。ワルいひとだなぁ(笑)。

では中身ついて、触れていくことにしましょう。
本当に久しぶりに読み返しました。前回読んだのはいつだったか。ハルキ文庫版が刊行されたときか? でも、買うだけで読まなかったかもしれない(大いにあり得る話だ)。ファンクラブの機関誌で特集が組まれたときか? そんな特集が組まれたかどうかも覚えちゃいませんが。まあ、それぐらい超ご無沙汰でした。ストーリーのディティールなんて、すっかり忘却の彼方です。お陰でほぼ初読の新鮮さで、読むことができました。

つい忘れがちですが、犬神明ってライター稼業なんですよね。ルポライターの「ライター」の部分を見過ごしてしまうのは、物語にあまり描かれたことがないからでしょう。実際、彼の職業が物語の起点になったことは、ほとんどありません。『狼狩り』、『虎よ! 虎よ!』のいずれも芸能界マナベプロがらみの事件ぐらいでしょう。確かに「事務所の狼男」とか「人狼、締切りに死す」では締まらない。ウルフランド的に一編ぐらいあってもいいとは思いますが。
職業もののドラマで陥りがちなのは、ストーリーの軸である出来事以外のルーチンの業務がどこかへ消えてしまうことですが、学生トップ屋の犬神明は荒事師たち相手に大暴れするさなかにも、雑誌記事原稿の締め切りを忘れることはありません。荒事師たちをやっつけたあとも、勝利の美酒に酔うこともなく、締切間際の原稿書きに精を出します。特に水中銃のモリで利き腕に重傷を負いながらも、口述筆記(ウェイトレスのマキコ→事務員の田島昭枝)で乗り切るところなど、アクションと物書きの見事な融合というほかはなく、ウルフの文筆のお仕事にスポットを当てたシリーズ随一の作品として貴重です。

締切厳守の職業意識プロ根性は尊敬に値しますが、下半身はだらしないですねえ。一人称でカッコ良く語ってはいますが、なかなか最低なヤツですよ、コヤツは。

なにが飢えた狼と哀れな子羊だ。女は外見ではわからない。性的に飢えているこの痩せっぽちの娘が、おれを餌食にしたということにすぎなかった。

おれは自らを女の所有に帰すことをだれにも許すことができないのだ。おれは二羽の小鳥がくっつき合っているようなべたついた関係を絶対に持ちたくなかった。いざという時に世間並みの規範を乗り超える行為に自己投企することが不可能になってしまうからだった。

おれは決して鉄鎖につながれた従順な飼犬であることができないし、荒野にある一匹狼であることに対して孤高な誇りを抱いていた。

おれが心の底から慄然とするのは、餓鬼どもがけたたましく走りまわる家庭で、髪にピンカールをたくさんつけた女房と怒鳴りあうという光景だった。他愛もないことで苛立ったり、あるいはドメスティックな自己満足に充足する飼い殺しの恐怖だった。

そう思うんなら、女の子に手出しすんなよと。もちろん、そんなことは本人もよくわかってはいるんですが、どうも犬神明氏の精神構造は、月の満ち欠けに似て、躁と鬱の振幅が激しいようです。このあたり、少年犬神明の爪の垢でも煎じて飲んだほうがよろしいですね。ちょっとここへ来て座りなさい。お前はたかと出逢うまで、エッチ※禁止だ!
※一九六X年の君にそう云ってもわかるまいが、セッ●スのことだ。

上の引用は羊子というバーの女の子と一戦交えたときのものですが、別れ際に自宅や事務所の電話番号でなく、雑誌編集部のナンバーを教えられた彼女なんてまだいいほうで、ウェイトレスのマキコなんてことの寸前でおあずけをくわされた挙げ句、暴力団に拉致されて、ひどい目に遭わされてしまいますからね。かわいそうといったらない。
若いころのワタシは、こんな感想は持たなかったと思います。ひたすらウルフのカッコ良さにシビれていた。歳とともに感じ方も変わるものですね。

そして、もう少し作品を俯瞰して批評家的に語るなら、宗教に思いっきりカブれている時期に、これが書けたということに注目してしまいます。これが当時の作者自身の本心であるはずもなく、必ずしも思想や自我をストレートに投影した主人公や物語しか書けないわけではないことを証しています。

「マサヒロ! マサヒロ! 死ぬな、マサヒロ!」
 盤台面が悲嘆に暮れて叫んだ。
「兄ちゃんが悪かった! マサヒロ、死なないでくれよ! お前がぐれちまったのは兄ちゃんのせいだ! 頼む、死なないでくれよ!」


この冒頭に登場する暴力サディスト変態兄弟も、だったらもっとマトモに生きろって感じなんですが、人殺しを屁とも思わない残忍な殺し屋にも、兄弟の愛情はあるのだなという、妙な可愛気を感じて、印象に残っています。この兄弟の登場は冒頭のワンシーンのみで、以後登場はしない端役なのですが、こんな端役にも血を通わせる、こういうところ平井和正というひとは本当に名手ですね。妙な可愛気といえば、石崎郷子を崇め奉る妖怪じじいも、なかなかいい味を出していたのですが、それはまた後程。

石崎郷子さまが物語に登場するのは、そろそろ終盤に差し掛かろうかというところで、ずいぶんじらされました。出てきたときは郷子さまキタァァァーッ、って感じでしたね。同じ大学にいても「口だってめったにきいたことがない」というウルフの彼女に対する印象はすこぶる悪く、この物語では二人の関係にさほどの進展はありません。しかし、郷子もまた自分と同じ人間社会のアウトサイダーだとウルフが知るのは、もはや時間の問題でしょう。この物語の一件が、よそよそしかった二人の距離を一気に縮めたのです。

「お前に申し渡す。石崎郷子に近づいてはならぬ。あれはお前ごときが触れることはおろか、目をあげることすら許されぬ神聖なる者だ。あの女に接近した者はことごとく落命する破目になる。あの者は祟り神の御稜威そのものだ」

「あの者は大いなる祟り神の子孫であり、憑代だ。あの者を穢す下賤なる者があれば、皇国には災いが降りかかってくる。多くの困難が襲いかかってくるのだ」

石崎郷子を崇め奉る妖怪じじい。三星商事の会長室に自由に出入りしているが、三星の会長=郷子の祖父ではない。物語のそもそもの起こりは、この老人の妄執であった。ウルフの行動とは無関係に手打ちになった石崎郷子拉致事件※も、同業者・和田が持ち込んだFX戦闘機疑獄※も、読者を惑わすフェイクでしかなかった。
ウルフは「気の触れた右翼老人」といってドン引きしているが、ワタシは認める。あんたが云っていることは正しい。老人が見誤っていたのは、ウルフもまた石崎郷子に等しく、彼女の友にふさわしい古代神の末裔であったということだ。
ほうっておけば犬神明が自ら郷子に近づくことはなかったし、あたら老い先短い寿命を縮めることもなかったものを。やはり、ウルフと郷子を結びつけることが、彼の使命だったのでしょう。もうちょっと穏当にキューピット役を務められればよかったのにね。
※石崎郷子拉致事件
 ウルフの奮闘むなしく、石崎郷子はご帰宅されていた。妖怪じじいが手を回して解決したのだろう。河内老執事も、初めからこちらに頼めばよかったのに。
※FX戦闘機疑獄
 和田の口にした「右翼の領袖と結ぶ“黒幕”の老人」とは、この妖怪じじいと思われる。

もし「ヤング・アダルトウルフガイ」がシリーズ化されていたら、ウルフと郷子が親友になるまでのプロセスが描かれていたのかもしれません。この物語でそこまで描かなかったのは、それを温存していたのではなかったのかなと。
ウルフが強敵と認めたマック※や菊川※が、死闘を演じつつも勝負なしで生き延びたのも、続編への布石であったように思えます。アダルト本編にも、これほどの常人の強敵はいませんでした。アダルトにおける西城になれるキャラだったと思います。願わくば、読んでみたかったですね。
※マック
 妖怪じじいに雇われた殺し屋コンビの片割れ。相棒のタイニーは巨大漢の変質者で冒頭の荒事師兄弟と相似形だが、こちらはコンビ間の友情は皆無。犬神明をして「満月でもない時期に喧嘩するには手強すぎる相手」と云わしめたプロフェッショナル・キラー。
※菊川
 妖怪じじいの護衛。手裏剣などの古武具を用いる剣客。犬神明いわく「こんなおっかないファイターにはほとんどお目にかかったことがない」。妖怪じじいへの忠誠心は本物。

そういえば、綿貫一平には何もコメントしてませんね。う〜ん、特に書いておきたいことはありません。


Re: 作家の意地を魅せたヤング・アダルトウルフガイ〜『若き狼の肖像』 - Name: カナメ No.1532 - 2017/06/26(Mon) 23:31:52
これで、アダルトウルフガイ再読マラソンを終えました。ずいぶん長くかかってしまいましたが、こんなものはまだまだ序の口です。平井和正ワールドの大冒険は、まだ始まったばかりだ(笑)。次なる冒険は「幻魔大戦を発表順に読む」だ。


「泉谷さん以外の犬神メイなど考えられない」〜Kindle版『月光魔術團』刊行開始記念 - Name: カナメ No.1530 - 2017/06/22(Thu) 23:24:49
泉谷あゆみは平井和正作品の挿絵師としては、長らくリリーフエースでした。
「幻魔」「ウルフガイ」は生頼範義のリリーフで、「地球樹の女神」は山田章博のリリーフ。決して悪くはないし、頑張ってはいたんですが、いかんせん前任のイメージが強烈すぎました。
先発での登板は、実に『月光魔術團』まで待たねばなりませんでした。『月光魔術團』もウルフガイの続編と云えなくもありませんが、まあこれはアダルト、少年に並ぶ第三の少女ウルフガイというべきでしょう。

初めから自分のイメージで描けることに加え、それまで積み上げ鍛え抜かれた画力も相まって、まさに本領発揮、才能が爆発した作品でした。しかも、電子出版の先駆けとして、オールカラー!(本人は大変だったでしょうが)
小説としての『月光魔術團』の評価は読者によって分かれるでしょうが、挿絵のパートナーとしてベストマッチであることは誰もが認めるところではないでしょうか。生頼範義がいいという人はあまりいないでしょう。

あらためてPCのモニターでイラストを眺めてみましたが、惚れぼれしますね。
ただ、変則サイズのイラストも一頁(画面)で大きく余白を空けて表示され、文章が同じページにレイアウトされない点は、以前のPDFやドットブックに一歩ゆずるところではありますね。じゃあ、ドットブックがベストなのかというと、特にスマホでの表示については、そうとも云えず、そこのところの詳細は、いずれあらためて触れてみたいと思います。


高層ビルアクションの傑作〜人狼天使 第三部 - Name: カナメ No.1528 - 2017/06/10(Sat) 19:46:23
■まえせつ
『人狼天使』が宗教・オカルトという一片のフレーバーだけで語られるのは、女社長の一代記である「おしん」が小林綾子の少女パートばかりフィーチャーされるのに似ている。そこで今回は、この作品がいかに娯楽小説としてもめっちゃ面白いかを力説してみたいと思います。

■偏見の理由
そもそもなぜ、そんなイメージがつきまとっているのか? その理由として大きいのは、やはり『人狼白書』と『ウルフガイ・イン・ソドム』の印象が強烈過ぎたのではないかと思っています。
異色作揃い、というかそうでない作品のほうが珍しい平井和正作品のなかでも、この二作は頭抜けています。暗黒の意識界(いわゆる地獄)をストレートに描いたのは、ワタシの記憶が正しければ、あの幻魔シリーズでもやっていない。前にも云いましたが、自分の新境地をどのように作品化するか、まだまだ暗中模索だったのではなかったかと憶測しています。だから、この二作は本当に特別、特殊なのです。この二作に比べれば『人狼天使』って、けっこう普通にウルフガイしてますよ。

■高層ビルアクションの傑作
『人狼天使』がなかなかどうしてアクション盛り沢山であることは記憶していましたが、あらためて読み返してみて、それはむしろ過小評価であったと認識を新たにしました。寡聞にしてそんな評価を聞いたことがありませんが、この作品は高層ビルアクションの傑作と云っていいでしょう。タワーリング・インフェルノ、ダイ・ハード(第一作)ばりの。
第二部の終盤から第三部の序盤にかけて、“デヴィルズ・タワー”での騒乱にかなりの尺が割されています。そこで犬神明に降りかかる災難ときたら、火災に巻き込まれるは、ネズミの大群に襲われるは、警官隊には銃を乱射されるは。そんな四面楚歌の状況のなか、瀕死のマイク・ブローニングを抱え、満月期の不死身性にものを云わせて強行突破もままならない。
極めつけはマイクを乗せて降下するエレベーターを追って、29階からエレベーター抗をダイブするシーンでしょう。ワイヤーを掴んでも、グリースでずるずる滑って止まらない。そうしている間にもエレベータは高速で降っていくから、やっぱり手離して自由落下。ぐんぐん加速がついて、ワイヤーを掴むも、グリースでずるずる滑って止まらない……。スピード感、恐怖感、そして油まみれ感。臨場感がハンパない。マクレーン刑事も裸足で逃げ出しそうです。まあ、狼男がアクションで不運な男を上回ったとしても、あまり自慢にはなりませんが。
エレベータにたどり着いたら(デヴィッド・ファーマーの魂消っぷりが可笑しい)、今度は管制でコントロールされ、ボタンがきかない。終点のメイン・ロビーには集団発狂の警官隊が待ち構えている。グロッキーのファーマーと意識不明のマイクとともに天井のハッチからエレベータを脱出する、エレベーターが停止し、扉が開くまでの時間との競走。ノンストップのハラハラドキドキの連続。手に汗握る、この緊張感が堪らない、エンターテインメントのザ・王道!
天使に悪魔、宗教、オカルト、そんなイメージ、先入観で食わず嫌いをしているとしたら、人生を損してますよ。

■“天使”ウルフの是非
もちろん、そうかと思うと、これは同じ小説なのかという辛気臭い(失礼)悪霊祓いのシーンも盛り込まれています。こうした側面も、スルーしてしまうわけにはいきません。それも光を使って調伏、退散させるのでなく、対話によって成仏させるのです。力自慢だけが能じゃない、心霊的導師としてのスキルを着実にものにしています。あるいはこれも体術の先天的センス同様、過去世の積み上げなのかもしれません。
ひとは変わる。同じように犬神明だって変わるし、成長もする。それはわかる。霊性が開けば「誰でも」同じことができる。作者がそう強く訴えたいのもわかる。でもそう考えても、犬神明のこうした振る舞いに、どうにもムズムズする違和感を拭い去ることができない。これは物語における、キャラクターの「役柄」に関わる問題ではないかと考えています。
ごくわかりやすい例をあげると、やっぱり8マンが心霊治療をしたら変でしょ? 印を結んで妖術を使ったりとか。キャラにはそれぞれ固有の「役柄」というものがある。犬神明のこうした振る舞いは、平たく云えば「似合わない」と思うのです。似合う似合わないでやってるんじゃないんだ! とウルフは怒るでしょうけど。

■互角!?の敵の登場
アダルト犬神明には、意外とサシでいい勝負をするライバル的な存在がいませんでした。血を分けた北野光夫に大滝雷太がせいぜいでしょう。中共保安省の“R”こと林石隆(平井ワールドではおなじみの名バイプレイヤー)と本気のバトルにでもなれば、面白かったのですけどね。
マイクの命を狙う爆弾魔オルテガは、なんと満月期の犬神明が手を焼く、文字通り「CENSOREDも死なない」化け物でした。キャラとしてはフラットな悪玉で、ライバルというには魅力と面白味に欠けています。大滝雷太がそうされたような、不死術を施されたコマンダーだったのでしょう。不死身の超人同士の格闘も、この作品の見所のひとつです。

■そして、矢島絵理子
そして物語は、宿敵オルテガとの決着を経て、矢島絵理子へと還っていきます。
犬神明が矢島絵理子に発した言葉は、まったくの正論でしたが、彼女の烈しい憎しみを買い、強力な敵に回す結果を招いてしまいます。云った言葉は正しいのだから、こちらは何も悪くない――。それでは済まされない問題がある。犬神明と絵理子にまつわる因縁は示唆的です。
矢島絵理子は今風に云う典型的なメンヘラであって、どんな風に接すれば良かったなんて正解はありません。あるとすれば、始めから関わり合いにならないこと、それが唯一の正解。彼女はそういう種類の人間です。それでもウルフは彼女を傷つけてしまったことを痛く悔やみ、贖罪の意識に駆られ続けます。

「あんたが本当のことをいっているのがわかるわ。あんたって馬鹿ね。自分はなにも悪いことなんかしていないのに……罪を償おうとするなんて。あたし、それはわかっていたけどあんたを一生憎み抜いて、どんなことをしてでも苦しめ抜いてやろうと固く決心していたのよ。そのために悪魔と取引さえしたほどなのに……」

魔道に堕ちることによって、犬神明の真心がわかるという皮肉。それはかつて誤解からウルフを呪い、苦しめた大滝志乃の末路そのままでした。
彼女の魂が救われるには、永い永い時を必要とするでしょう。それでもどんなに遥か遠くであっても、希望の灯火はともされました。ウルフの優しさに触れることで。取り返しのつかないことなんて、本当にはありはしないのですから。

■おわりに 作者へ、そしてウルフへ
電子書籍化されたのを機に久しぶりに読み返しましたが、つくづく未完も未完、壮大な物語のほんのとば口に過ぎないなと、あらためて思いましたね。UTT社長・グリーンマンは最後まで登場せず、マイク・ブローニングは終始ほとんど人事不省、米国のどこかにいるのはずの寺島雛子さんも姿を見せず、「アトランティス計画」とはなんじゃらほい。
犬神明とその仲間たちの転生輪廻を追いつつ、真の人類史を紐解く。そんな構想もあとがきから伺え、幻魔大戦とはまた違う、かつそれに匹敵するアダルトウルフ版ハルマゲドン・ストーリーの大宇宙がビッグバンする目は、確かにあったのです。
そのために、たとえ一人称形式を捨て、犬神明のいないシーンもしくは巻(!)が長く続くことになろうと、それを読んでみたかった。幻魔があるからそれでいい、ということにはならないのです。置きっぱで天に帰っちゃうなんて、そりゃないよ、ひらりん先生。
それとも、光の息吹きをフゥーッと吹いて悪霊退治、弟子たちを教え導くセンセイ・イヌカミ、そんなおつとめは、幻魔大戦の皆さんにまかせた、あとはよろしくってことなのか?
いい加減、そろそろ退屈してるんじゃないのかい? どこかに見込みのある作家がいたら、そいつの夢枕にまた立っておくれよ。


Re: 高層ビルアクションの傑作〜人狼天使 第三部 - Name: 弘田幸治 No.1529 - 2017/06/11(Sun) 17:28:03
 たいへん面白く読ませていただきました。

 >『人狼天使』が宗教・オカルトという一片のフレーバーだけで語られるのは、女社長の一代記である「おしん」が小林綾子の少女パートばかりフィーチャーされるのに似ている。

 というのは、なるほど、言い得て妙ですね。「フレーバー」というクールな見かたはできなかったので新鮮というか、カナメさんの読解のユニークさに驚かれされました。「おしん」のたとえは秀逸ですね。

 ただ「偏見」と言い切ってしまっていいのかどうかは疑問ですね。やはり大河小説としての側面がある以上、『人狼白書』や『ウルフガイ・イン・ソドム』の印象とその後の作品とを切り離して読むことを要求するのは、ハードルが高すぎる気がしますね。幻魔大戦に抵抗がない、かつ再読という点も働いているのではないでしょうか。俺の場合アダルトウルフガイを「大藪春彦文脈」で読んでいただけに衝撃がありました。伊達邦彦が心霊主義に目覚めたら嫌だもの(笑)。とはいえ『人狼天使』から平井なりに活劇ものに路線を戻そうとしていた、そういう努力の痕跡があるのかもしれない、ということを、カナメさんの指摘で気づかせてもらいました。

 「高層ビルアクション」というのは覚えていないんですよね。確かに手に汗握って読んだはずで、活劇も楽しんだはずなんですが、具体的なアクションは覚えていない。ただこれは他作品でも同じことがいえるので、具体的なものを記憶できない俺の記憶力の方に問題にあるんでしょう。カナメさんが紹介してくれたアクション・シーンの数々、たしかに活劇の王道ですね。

 アダルト犬神明の天使化は唐突すぎましたね。暗中模索と仰っていましたが、まさにその通りだと思います。幻魔大戦ほど洗練化されてないんですよね。ナマのGLAが出てしまっている。この頃はまだGLAと袂を分かってなかったのでしょうか。グルとしての犬神明は「似合わない」というのは本当にそうです。

 爆弾魔オルテガ! やっぱり覚えてないなー(笑)。北野光夫や大滝雷太は覚えているんですから、このあたりは俺が『人狼天使』にノレていなかった、あるいは「フラットな悪玉」という点で印象に残らなかった、ということなんでしょうね。「不死身の超人同士の格闘」というのもまったく思い出せない。情念のドラマがなかったんじゃないかなー。

 矢島絵理子のくだりは非常に印象に残っていて、彼女は好きなキャラクターのひとりですね。善と独善は似ていて、犬神明にもそのきらいはあった、と俺は読みました。正しさだけで人は救われない。正義のヒーローだったがゆえに、彼女の内面を指摘することは、弾劾に似てしまうんですね。このあたりに犬神明の限界があったのでしょう。東丈なら愛情乞食なんて絶対いいませんよね。

 ウルフ→幻魔と読んできた身としては、東丈の登場には本当に感動しましたね。「ああ、平井さん、うまいことやったなー」と感激しました。俺は「幻魔大戦があればいい」派ですね(笑)。ウルフから幻魔へというのは仕切り直しだったと考えています。まあ「アトランティス計画」とか面白そうですけどね。

 平井さんはもう転生してこないかな、というのが俺の霊感(笑)なんですけどね。ただアダルトウルフガイへの未練があるとしたら、あるいはもう一度……という可能性もあるかもしれませんね。


読者の「本職」 - Name: カナメ No.1524 - 2017/06/03(Sat) 11:41:23
弘田さんのNo.1523へのコメントです。話題が替わるので切り離します。

> そこで俺が感じる疑問は、なぜ幻魔→GLA(そのほか宗教団体)にいかなかったのかということですね。
> なぜ平井教の方にいったのか疑問なんです。そこに嗅覚なり直感なりが働いていたのでしょうか。


こりゃまた意外な質問が飛び出しましたね。リアル宗教ですか? ないっすわあ。それはない。
戦争映画が好きだからって、じゃあ兵隊になりたいかというと、それはまた別問題ですよね。それぐらい隔たっていると思います。根本のところでは「たかが小説」だし「ただの道楽」なんですよ。ワタシの場合はですが。

> 平井が(広い意味での)教祖に見えていたのでしょうか。その場合、幻魔以外の作品は物足りなくはなかったのでしょうか。

ワタシは幻魔大戦を小説として面白いと思っていますし、その面白さはウルフガイも初期SFも、それこそデビュー前の非SF習作集『虎はねむらない』の頃から通底しているように思います。ワタシの幻魔大戦好きは少なくとも「宗教」という要素によるものではなかったのでしょう。
幻魔から入った、その順序にはさほど意味は感じません。たまたまそれが当時の最新作であったというだけで。アダルトウルフガイを読むうえでは、テレビ放映終了後にエヴァンゲリオンを観るような、未来から来た観客のアドバンテージがあっただけだと思います。

ただ、職業軍人になるような人は戦争映画をよく観ていたでしょうし、それと同じように宗教に飛び込むような人は幻魔大戦を読んでいる、という傾向はあったと思います。

ワタシの知人の読者にも、実際に宗教に入信した方はいらっしゃいます。G、幸福、統一、……さすがに真理教に行った知り合いはいませんが。そういう人はそちらが本職だったのだろうと思います。ワタシはヒライストが本職ですのでね。宗教活動なんてやってるヒマがあったら、平井和正の小説を読んでいたい。
なに、幻魔が攻めてきた? あとにしてくれ。いま平井和正の小説を読むのに忙しいんだ。

おれは時々、自分がジャーナリストだってことを忘れるんだ。狼男の方が本職だからだな。
『人狼天使 第3部』


本職という言葉は、ここから思いつきました。ところでこのセリフ、いろいろと応用が利きそうですね。ワタシは自分がサラリーマンであることを忘れることは、あまりありませんが。
人狼天使 第2部、第3部を読みながら、思い浮かんだことをメモしています。近いうちに発表できるでしょう。『人狼天使』がいかに娯楽性にも優れているかを訴えることになろうかと思います。お楽しみに。


Re: 読者の「本職」 - Name: 弘田幸治 No.1525 - 2017/06/04(Sun) 16:55:54
 ご丁寧な返信、ありがとうございます。お気を悪くされたのならごめんなさい。

 基本的にカナメさんの仰ることはわかります。その意味では完全に同意します。

 そのうえで、俺の文脈を書いておきますね。俺からみた景色というのかな。

 俺の知るかぎり、ウルフや幻魔の時代は「信じるちから」で作品に迫力を持たせていたと思うんですよ。
 狼の時代は狼の高貴さを本当に信じていたんだと思うんですよね。
 幻魔の時代は幻魔の実在を信じていたんだと思うんですよ。かりにそうだとしたら、フィクションというか小説の範疇からはみ出していたかなと思うんですね。ウルフ→幻魔と読んできた身としては、そのはみ出した部分にある種の宗教性を感じざるを得なかった。そういう意味で幻魔に熱中する人々に対しては「うーん、宗教を求めているのかな」と悪意なく感じていたんです。(実際その後宗教ブームがおきますし)

 ですから「いきなり幻魔」だった読者が、平井ファンであることを選んだ、そこに葛藤があったのかなかったのか、というところに興味があったのです。幻魔の実在を信じることによってえられた“迫力”のない、「その意味では」“ヌルい”他作品をどう思ったのか興味がありました。たとえばウルフ→幻魔の俺ですら高橋親子の本は読みましたし、熱烈な平井ファンだったときですらマンガ原作者としての平井はまったく買ってませんでしたし。個人のみる景色に違いがある。「いきなり幻魔」の方のみる景色のひとつを知りたかったですね。景色のひとつをみさせていただき本当にありがとうございます。カナメさんの「本職」はヒライストなんじゃないかと思いました(笑)。

 俺がリアル宗教に偏見がないこと、広い意味で宗教性をもたない価値感はないと思っていることなどが、今回行き違いになってしまった原因かもしれませんね。

 >なに、幻魔が攻めてきた? あとにしてくれ。いま平井和正の小説を読むのに忙しいんだ。

 このあたり、カナメさんらしくて、クスリとしました。
 『人狼天使』論、楽しみにしております。


Re: 読者の「本職」 - Name: カナメ No.1527 - 2017/06/10(Sat) 18:23:15
『人狼天使』の感想を書くのに手いっぱいで、弘田さんへのお返事が遅くなりました。思い浮かんだフレーズって、すぐ文章化しておかないと消えてしまうような、そんな焦燥感に駆られてしまうんですよ。実際、消えてしまいますからね。なんか、いいフレーズが浮かんだはずなんだけどなあ……でも、それしか残ってないという(笑)。

弘田さんの問いには、たいへん愉しくお答えさせていただきました。天使時代の平井作品がフィクションの枠を超えているという点も同感です。思想・求道の側面は確実にある。それをエンターテインメントとして不純と思うか、それもエンターテインメントとしてのエッセンスと見るかといえば、ワタシは後者なんですね。

また、それは天使時代から突然始まったものでもないとワタシは思っています。平井和正が抱えているテーマとか問題意識みたいなものは、それこそ「人類ダメ小説」の頃からあった。平井和正はその点で昔から「私小説的」で「文学的」な作家でした。宗教への傾倒はその答えを探す旅路のひとつではなかったかと。実在の宗教(家)と結びつくことで、よりストレートにメッセージ性が強まったことは確かですが、あまりそれ以前・それ以後で分けて考えたり、それ以前の作品に物足りなさを感じたりするようなことはなかったですね。ワタシの性質はウルフガイフリークに近いと自分では思っています。弘田さんへの芯をとらえた答えになっているでしょうか?

平井和正は女性教祖の弟子におさまることはなく、自ら教団を興し教祖となることもなく、作家に戻ってきました。作家としての業がまさったのです。同じようにワタシも読者としての業がまさったのです(笑)。そういうことにしておいてください。

「作者が宗教にハマって変な方向に行ってしまった」。後期アダルトウルフガイが、そういう文脈でばかり語られがちなのは残念です。やや強すぎるメッセージ性、説教臭さ、それがあるのは事実です。でも、そこばっかり取り沙汰されるのは、ちょっと偏ってやしませんかと。
(「白書」「ソドム」はさておき)『人狼天使』ってけっこうストレートに面白いよ、ということを第三部の感想では書いたつもりです。忘れてはいけない、平井和正はカリスマ・宗教の影響下にあって、それを微塵も感じさせない『死霊狩り』2,3、『若き狼の肖像』を書いた作家であることを。
第三部の感想もまもなくアップします。もしよかったらご意見など聞かせてもらえたらうれしいです。


アダルトウルフガイ的「巡り逢い」〜人狼天使 第二部 - Name: カナメ No.1526 - 2017/06/04(Sun) 20:27:56
「しかし、今われわれの見た悪魔という人格的存在だって、別のしかるべき説明があるかもしれない。精神病理学的な理由で、納得できるかもしれない」
 ロディは執拗にいった。奇蹟は、それを見て信じなければそれまでだ。

「証拠を目のあたりにしても、それを信じなければそれまでさ」
 と、ガブリエル・ドーソンがいった。人々が口々に同意の声をあげた。

 ロディは旗色が悪くなったが、それでも懐疑心を捨て去る気は毛頭ないようであった。これが人間の厄介なところだ。人間が長年かけて築きあげた既成概念は、容易に崩れるものではない。長期間にわたり、親しく馴染んできて、居心地がよいとあれば、なおさらのことだ。


常人の目を欺く巧妙なトリックはある。この目で奇蹟を見たのだから間違いはないというなら、Mr.マリックも奇蹟能力者ということになる。ロディの懐疑心がアイデンティティ・クライシスを恐れる保守性の発露だとしても、ワタシはそれを健全だと思う。むしろ、ガブリエル・ドーソンの真っ直ぐさこそ、危なっかしいものに思える。
……とまあ、この場面については批判的に読んでいました。この頃の平井和正はリミッターをどこかに置き忘れていて、振り切ってしまっている。読者を「こっち側」に来させようと来させようと必死になってるなと。
でも、物語の奥はさらに深かった。のちにガブリエル・ドーソンはジュディ・ギャザラとともに離反することになります。逆に身の危険をおしてウルフに協力し、付き合い続けたのはロディのほうでした。
物質主義を否定して、心霊主義礼讃か!?――と思わせておいて、どっこいそちらの危うさもしっかり描く。このドンデン返しが心地良い。
アダルトウルフはご承知のように主人公・犬神明の一人称で語られるわけですが、その場その時の彼の思惟が全てではありません。ときに事の顛末を述懐するように「おれはこのことを後悔することになるのだが」などと読者に告げることもある、神の声でもあります。
このシーンでは、そうした神の声の補足は一切ありません。ですから、初めから筋書きを描いた上での意図的なフェイクだったのか、それともこの時点ではそんなことは考えておらず、筆が進むうちにそうなったのかはわかりません。まあ7:3で後者なんだろうなと思います。ここでは平井和正の筆に懸かった創作の神に、賛辞を贈っておくことにしましょう。

ジュディ・ギャザラは犬神明が渡米するジェットで出逢ったスチュワデス(小説発表当時のまま、こう表記します)で、最初の“教え子”でした。それが縁となって、ロディ・イエイツら彼女の友人知人が求道者グループとして、犬神明のもとに集まります。まさに「巡り逢い」で、のちのジュディ、ガヴィの心変わりも含めて、小説『幻魔大戦』の萌芽を感じさせます。
おそらくは、その後のアダルトウルフガイで語られるはずだった構想は、幻魔大戦へと受け継がれたのでしょう。だからといって、それで未完に終わっていることの不満が少しは解消されるというわけではないのですが。

蛇足ですが、ロディ・イエイツの名前は第三部からなぜかエディ・イエイツに変わってしまいます。作者の頭のなかで名前が変わってしまったのだろうとは思うのですが、再刊された角川文庫版、ハルキ文庫版では、これに手が入ることはありませんでした。いずれを正とするのか存命中にお伺いし、訂正・統一する機会に、電子書籍版の刊行が間に合わなかったのは悔やまれます。

さて、第二部の後半では、そのロディ(エディ)の調査によって、石崎郷子が紹介した超能力探偵・デヴィッド・ファーマーがオフィスを構えるスパイラル・ビルが、ほかならぬ“メトセラ・プロジェクト”の首魁、UTT社長・グリーンマンの悪魔崇拝の居城と知り、“デヴィルズ・タワー”に乗り込んでいきます。そこでアダルトウルフガイ史上屈指の大活劇が繰り広げられることになるのですが、それについては第三部の感想に譲ることにします。
次回予告代わりに、NONノベル裏表紙にも記載された一節を引用して、しばしのお別れです。近いうちにまたお目にかかりましょう。この熱いボルテージを見よ! 血が滾る!

「そこをどけ……」
 おれは深呼吸してから宣告した。信じられないほどの熾烈な闘志が充満してくるのを感じていた。これまでのどんな敵にもおぼえたことのない満々たる闘志であった。まさに宿敵へ向けてのみ発揮されるポテンシャルの高い、たぎりたつ情動だ。
「どかないと、胸板を蹴破っても通るぞ!」



幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第一部 - Name: カナメ No.1517 - 2017/05/21(Sun) 12:14:38
宗教とカリスマとの出逢い。それは平井和正の作家人生にあって、必然であり宿命であったように思います。
シニカルを気取るのでなく、暗闇を彷徨うように「人類ダメ小説」を書いてきた平井和正にとり、「人類はダメじゃないかもしれない」という光明をそこに見出すのは、路上駐車を繰り返すドライバーがいつか反則キップを切られるのと同じぐらい、当然の成り行きであるからです。もともと宗教にハマるべくしてハマる性向の持ち主だったのです。
もっとも、関与した現実の宗教とカリスマに対しては、こんなものにどっぷり浸かってる人間はもっとダメだった、と思い知る苦い失意に終わり、自らの夢や理想を筆に託す作家稼業に再び戻ってきたことは、読者には幸いでした。作者たる己れの自我を切り取った血のしたたるレアステーキのような(“活け造り”とどちらがいいか迷いましたが、まあ多少は火を入れてるだろうとこちらにしました)小説をさらに読めることになったのですから。たとえ劇的な心境の変化があり、作家として変貌を遂げていたとしても。

おりしも、アダルトで『人狼戦線』('74年)を、ヤングで『狼のレクイエム』('75年)を書き上げており、作家的な転機でもありました。これらの作品はエンタメ小説としてのひとつの到達点であって、同じ路線を続けたとしても、これ以上のものを書くのは困難だったでしょう。
よく平井和正は宗教にハマっておかしくなったなどと云われます。確かに『人狼白書』に見られる、シリーズさなかの路線変更はいかにも唐突に過ぎ、小説としては不細工と云わざるを得ません。また、犬神明の口、小説の場を借りた著者のお説教じゃないかと思える部分も随所に見受けられます。特に『ウルフガイ・イン・ソドム』で大天使が説く――しかも話の筋とは直接関わりがない――宗教的な真実なんて、まさに平井和正著「大天使ガブリエルの言霊」(霊言ではない、注意!)そのもの。
リアルの宗教観をいかにフィクションへ昇華するか、その部分でまだまだ加減がわからず、キリスト教の天使や悪魔がその名もズバリで直截に描写される。のちの幻魔大戦では、天使とは云わず「宇宙意識」と称したりして、このあたり随分と洗練されるのですけどね。
ワタシなんかはこの原液そのまんまのフレーバー、水や果汁で割らないどストレートの味わいも嫌いではないのですが、当時のファンの多くはむせかえったことでしょう。

でも、もし仮にそれまでのエンタメ路線を継続し、何ら自己変革も遂げることもなく、自己模倣に終始していたとしたら、それはそれで早晩作品はマンネリ化し、飽きられた挙句、「平井和正はあの頃がピークだった」なんて云われるのがオチだったのではないかと思うのです。
作家としての変化は必然であり、不可避だった。ですが、その変化をウルフガイに反映させたのは、のちに平井和正自身が語っているように、失敗だったのかもしれません。云ったところで詮ない結果論、歴史にifではありますが、この作家的変革期にスッパリ第二次幻魔大戦に移行していれば、読者の動揺はずっと少なかったでしょう。違う作品であれば、単に「好きではない」「趣味ではない」で済ませられるのです。
読者というのは超保守的な生き物なので、好きな作品が好ましからざる変化をすることを極度に厭うのです。ワタシにとっては『幻魔大戦deep』以降の第三次幻魔大戦がそうです。まあでも、それが平井和正なのですけどね。

あるいは後期アダルトウルフガイは、第二次幻魔大戦へと至る試行錯誤の捨て石を引き受けたのかもしれません。
だが、やはり、おれには荷が重すぎると痛感せざるを得ない。真のエースが登板するまでの、ワンポイント・リリーフのつもりなのさ」
「あくまでも、真の主役が出てくるまでのツナギだがね。精いっぱいがんばりますよ。」

ワタシの妄想で、アダルト犬神明が東丈にタッチをする情景が思い浮かびます。

けれども、好きか嫌いかで云えば、やっぱりワタシは好きなんですよ。後期アダルトウルフガイ、『人狼白書』〜『人狼天使』が。宗教テイストには免疫のある幻魔フリークであることもありますが、それ以上に犬神明の犬神明たる魅力は、寸毫も損なわれていないとワタシには思えるからです。

男は殴り返せない相手を殴るべきではなく、侮辱に対して反撃できない人間を侮辱するべきではない。無抵抗の人間をいたぶるほど卑しく恥ずべきことはないのだ。

好きすぎて座右の銘になっている言葉です。過去幾度も取り上げたことがあります。いじめや暴力の問題を考える百万の弁舌よりも、このひと言ですよ。3年B組センセイ・イヌカミですよ。この名言は『人狼天使』において生まれたのでした。ニューヨークの獄舎での悪徳看守に対する犬神明の評です。
世界観は変わっても、犬神明(ウルフ)の魂(ソウル)に変わりはない。多少の反省があったのかはわかりませんが、『人狼天使』においては「白書」や「ソドム」のように暗黒の意識界を舞台にすることはなく、作品的にも狼男(ウルフガイ)らしさを幾分取り戻して現実世界で肉体労働に励みます。
若い弟子たちを集めて教えを説いたり、「光」を使って憑依した悪霊を払い、心霊治療を施したりする。そんな東丈的な振る舞いに、若干の違和感、ガラじゃない感を覚えはします。けれども、それは当の犬神明自身がそう思っているでしょう。悪漢ウルフも闇の勢力との対決にあたっては、天の使いも果たさざるを得ない。そんな悪戦苦闘、奮闘ぶりは、やはりワタシにとり、好もしいものなのです。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 幻魔大戦ジプシー No.1519 - 2017/05/22(Mon) 01:00:18
ちょっと先ほどの返信は作家さんの産みの苦しみに失礼でした。
反省しております。無視していただきますようお願いいたします。
ウルフガイは大学生の頃にかどたひろしさんの漫画を2巻までしか私は読んだことがないです。
私はジャンプ世代でドラゴンボールをリアルタイムで見た人間ですが、
高校時代に「犬神明」という単語をわかる人が周りにいなかったのを覚えています。
私、日創研のセミナー経験者なので、宗教的なのは大丈夫です。
今月の給料が入ったら、人狼天使から真面目に電車の中で読んでみたいと思います。
いつも、カナメさんの投稿楽しみにしております。
次回も何卒宜しくお願い致します。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: DONDEN No.1520 - 2017/05/24(Wed) 23:29:54
横レス失礼します。

幻魔大戦ジプシーさん、アダルトウルフガイをかどたひろし漫画版でしか読んでいないというのは、『あなたはまだ、アダルトウルフガイの本当の物語を知らない』と言って差し支えないかと思います。連載時に立ち読み(それすら途中で億劫になってやめましたが)した範囲の個人評価で言えば、まあケン月影版よりはまだまし、以上のものではありません。はっきり言って原作の持つ魅力が決定的に欠けた漫画にしか思えませんでした。、
人狼天使から、と言わず最初からお読みになることをお勧めします。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 幻魔大戦ジプシー No.1521 - 2017/05/25(Thu) 00:45:23
ご助言ありがとうございます。
一瞬、子供のころに親にキン肉マンの第一巻を買ってもらって面白くなかった記憶がよぎりましたが、
やはり最初の狼男だよなのですね。
Amazon探すと2社から出ているのですね。
たぶん、どっちでも変わらないので、常磐線沿線に住む者としてe文庫版の方をポチってみたいと思います。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 幻魔大戦ジプシー No.1522 - 2017/05/28(Sun) 14:07:48
夜と月と狼と読んでみました。
拷問にあっても減らず口を叩く強い男の詩。それがアダルトウルフガイなのですね。
改竄事件で干された平井和正が、池上遼一版スパイダーマンのシナリオを書かせると説教臭くなってしまったのが何かわかりました。
さて、ハルマゲドンの少女が、電子書籍として配信開始になりました。
カナメさんの評論を楽しみにしております。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 弘田幸治 No.1523 - 2017/06/02(Fri) 23:59:20
 「第1部」ということは「第2部」もあるということでしょうか。楽しみにしています。

 幻魔→ウルフという読書体験のひとつとして大変おもしろく読ませて頂きました。
 そこで俺が感じる疑問は、なぜ幻魔→GLA(そのほか宗教団体)にいかなかったのかということですね。
 なぜ平井教の方にいったのか疑問なんです。そこに嗅覚なり直感なりが働いていたのでしょうか。
 平井が(広い意味での)教祖に見えていたのでしょうか。その場合、幻魔以外の作品は物足りなくはなかったのでしょうか。

 平井の作家人生において人狼白書のおかげでアダルト・ウルフガイを失ったのは大きな痛手だったと思います。
 一話完結が前提で、よくよく読めば大河ストーリーとしても楽しめる、というアダルト・ウルフガイは、平井入門に最適でしたから。

 後知恵ですが、人狼白書ではなく、真幻魔が書かれていたらなら、平井の作家人生に大きな可能性のひとつを残せたと思います。
 オカルト抜きのアダルト・ウルフガイ、老衰した平井が、どう作品を締めくくったのか、『犬神明』を読んだかぎりでは、往年のパワーは期待できないにしろ、一人称小説ということもあって、犬神明が己の老衰とどう向き合うのか、興味があるんですね。

 俺が後期平井作品にちょっとした嫌悪を感じるのは、平井が自らの老衰に向き合っていない、と感じさせるところがあるからです。そりゃ女を主人公にすれば何とかなるかもしれないが、そこじゃないんだよな、というもどかしさですね。

 衰弱を何とかしようとした悪戦苦闘が垣間見える『地球樹の女神』や衰弱に寄り添った『ボヘミアンガラス・ストーリート』は楽しめた俺は、平井に「私小説作家」を見出していたのかもしれませんね。そこに彼の文学性をみていた。
 だから『月光魔術團』以降には興味をもてないんですよね。

 ウルフ→幻魔と読んだ身としては、ウルフガイに捨て石をみるのはつらいものがありますね。
 星新一の「ウルフガイしか書かなくなって心配した」という指摘がもろに的中したのでしょう。最初から幻魔として書かれるべきでした。


「幻魔大戦は完結している」という噂について考える - Name: 幻魔はつらいよ 幻魔大戦ジプシーの告白 No.1515 - 2017/05/20(Sat) 12:24:31
私は時々職場の同僚と話をしていて、「昔、幻魔大戦にハマってしまったー」という話題になったときに、
だいたい訊かれるのですよ、「最後に幻魔に勝つの?」って。
私はそこで、「結局負けたままになって終わる」というと、なんじゃそりゃ?という感じで場の空気が沈んで話が盛り上がらずに気まずくなってしまいます。

で、9年前の2008年に俗に完結編と言われているdeepトルテックが出たわけですが、
ネットを見ていると「幻魔大戦は一応完結している」という旨の声が大きいように思います。

http://oookaworks.seesaa.net/article/412678863.html
http://oppincle.blog52.fc2.com/blog-entry-878.html
http://katakoriyoutu.blogspot.jp/2015/01/blog-post_21.html
http://www.thx-design.net/blog/?p=13153

ざっくり読むと、
・最後に少年マガジン版のラスボスである幻魔地球兵団の司令官シグが登場して、雛崎みちるに封印される。
・東丈はついに帰還し、幻魔大王と最終決戦に入る。
・東丈は幻魔大王だった。
・幻魔と戦うことはそれ自体が幻魔と化す、と東丈が言って、幻魔大戦は終結を遂げた。

と私は解釈しました。正直、これも、「なんじゃそりゃ?」という風に私は思いました。

平井和正が鬼籍に入られ、週刊新潮で次のような記事が出ます。

週刊新潮 2015年01月29日号 P35-36
==============ココカラ================================================
『平井和正 幻魔大戦2000万部作家が最後に書いた「ネット小説」』
 地球を滅ぼそうとする魔物と超能力者の終わりなき戦いを描いた「幻魔大戦」シリーズは、
累計2000万部以上という大ヒットを記録しただけでなく、多くの作家が影響を受けたものだ。
その作者・平井和正氏が晩年、情熱を傾けたのは「ネット小説」だった。

「父はここ3〜4年ほど、高齢のために気力が弱ってしまい、食もどんどん細くなっていました。
どこかが悪いのではなく老衰というのでしょうか。心臓が弱くなり血圧が低くなると、
体のあちこちが悪くなって昨年の夏から入退院を繰り返していたのです」
 そう話すのは長女で漫画家の摩利さんだ。年明けには意識も朦朧とするようになった平井氏は、
1月17日、鎌倉市内の病院で眠るように息を引き取ったという。享年76、心不全だった。
 平井氏といえば、人気漫画「8マン」の原作を手掛けたことから一躍脚光を浴び、
石ノ森章太郎氏との共著で生み出した「幻魔大戦」はあまりにも有名だ。
「当初のストーリーは、人類の破滅を予告していったん結末を迎えるのですが、
その後に続く作品は、いつの間にか平井さんの手による幻魔大戦(小説)、石ノ森さんによる幻魔大戦(漫画)と分裂し、
そして再び平井さんの単独作品に戻るという不思議な展開になるのです」(SF雑誌関係者)
「新幻魔大戦」、「真幻魔大戦」と続くうち、累計の発行部数は2000万部を超え、
日本のSF小説を代表する大作となったが、大友克洋氏などその世界観に影響を受けた作家は少なくない。
社会にも大きなインパクトを与えた。作品の中で語られた「ハルマゲドン(最終戦争)」は、
流行語となり、オウム真理教などのカルト教団にも影響を与えたと言われている。
 幻魔大戦は未完のまま
 宗教学者の島田裕巳氏も言うのだ。
「平井氏自身も、一時期、新興宗教のGLAの教えに影響を受けたことがあり、
幻魔大戦の主人公も神格化してゆきます。それもあって、幻魔大戦の世界観は、
新興宗教に帰依するような若者に大きな影響を与えたと言えるでしょう」
 幻魔大戦をライフワークとして書き続ける一方、平井氏は、いち早くネットを通じての作品発表に乗り出すようになる。
「もともとは80年代に、締め切りが重なって腱鞘炎にかかってしまい、
ペンの代わりに、売り出されたばかりの富士通のワープロ(親指シフト)で原稿を書くようになったのがきっかけでした。
まだ、誰もが原稿用紙を万年筆で書いていた時代からパソコン通信を使いこなし、
94年に発表した『ボヘミアンガラス・ストリート』は日本で初めてのオンラインノベルと言えます」(前出のSF雑誌関係者)
 10年ほど前から、平井氏は小説発表の場を主にネットに移すようになる。
だが、2008年に書下ろしの続編「幻魔大戦deepトルテック」などをネット上で発表しているものの、
近年は昔の作品をネットに掲載することが多かった。
「最近は目の衰えもあり、パソコンの画面を見ることが辛くなっていたようです。
それもあって、創作意欲も目に見えて落ちていました。
元気だったら今も新しい物語を書き続けていたはず」(摩利さん)
 かくて、幻魔大戦は未完のままシリーズの幕を閉じるのである。
==============ココマデ================================================
それにかぶせて、ウルフガイ・ドットコムの公式Twitterで
「ちなみに幻魔大戦は、『幻魔大戦deepトルテック』で完結しています。」
と明言されました。
http://www.bluelady.jp/post-12411/

なんか、もやもやするので、図書館に行ってみたら、幻魔大戦deepトルテックが置いてあったので、読んでみました。
期待を今まで裏切られ続けてきたので、面白くないことは織り込み済みのつもりで臨みましたが、
想定以上に期待外れで面白く無い上に、ネットで声の大きめの人たちが小説に書いていないことを微妙に書いていることを知りショックでした。

さらにネットサーフィン(死語だな・・・)していると、それに関しては、2009年に秋田書店から出版された秋田文庫版の幻魔大戦に
平井和正があとがきを書いているという情報を入手しました。
実は私、当時これ買ったのですが、読んでみて、宣伝文句の幻の未収録ページがたったの2ページでどうでも良いと思い捨ててしまいました。
慌てて買いなおして確認しました。
==============ココカラ================================================
 私は幸運な作家であり、「8マン」「ウルフガイ」「幻魔大戦」と立て続けに大ヒット作品に恵まれた。
そして四十数年間にわたり、作品が「生き続けた」からだ。この三作品はいずれもコミック作品と深い縁がある。
原作者として異常なほどの幸運に恵まれ、偉大な漫画家たちによって人々の記憶に残るほどのものとなった。
 特に「幻魔大戦」は四十数年に至るも新作を生み続けている。
最新の三千五百枚の「幻魔大戦deep トルテック」は奇しくも石森章太郎さんとのスタートラインに始まった『最初のコミック版「幻魔大戦」』に帰結を与えることになった。
地球大戦となった恐るべき敵幻魔シグを東丈が彼の弟子にして娘であるみちるによって退けることに成功したからである。
 しかし幻魔大戦はまだまだ終わりを告げる気配もない。
==============ココマデ================================================

作者、自らが公言していました!!!
幻魔大戦は未完なのです。しかも、「まだまだ終わりを告げる気配もない。」と続編への色気を匂わせてまでいます。
あと、このあとがきが、平井先生ウマいなーと思ったのは、
シグのことを「幻魔司令官」と言わず「敵幻魔」という表現にとどめています。

小説版の幻魔大戦シリーズが始まったときに、漫画幻魔大戦の設定は、
「ルーナ」は「ルナ」になり、
「サンボ」は「ソニー・リンクス」になり、
「矢頭四朗」は「江田四朗」になり、
「レオナード・タイガー」は「レオナード・タイガーマン」になり、
「フロイ」は「犬のような姿をした異星人」でなく「高次元の宇宙意識」になり、
「サメディ」は「ザメディ」になり、
「ゾンビー」は「ザンビ」になり、
という風にいくつか改訂されています。
この後書きから読めるのは、その改訂の一つとして、
シグは幻魔司令官という役職から幻魔偵察という役職に変更され、
中年っぽいデザインから美しい若者に変更されていたことです。

deepトルテックのエピローグでは、月が落ちてきた後に、東丈はその次元の記憶を保持したまま別の次元に移動したことも匂わせています(シグの封印は東丈がみちるにやらせたのではなくて、みちるが自発的にやったように読めたんだけど・・・)。

ウルフガイ・ドットコムの人は、なぜ作者が公言したこととは逆の内容を明言したのでしょうか。
私なりに考えてみました。ヒントはトルテックのハードカバーの奥付に書いてある住所です。
葛飾柴又の近くです。一駅上れば亀有(こち亀は昨年きれいに終わりましたね)です。
「男はつらいよ」は渥美清が鬼籍に入って、誰もが完結したと思っています。
松竹も48作+特別篇で全てだと公式サイトに書いています。
売る側として未完だと言ってしまうと、続きを書かせる人を見つけて来る義務が発生します。
松竹が男はつらいよが未完だと言ってしまうと、誰かほかの役者を連れてきて、
続編つくるんかい!?って話になります。だから松竹は特別篇作って、それでシリーズを締めている訳です。
だから、幻魔大戦はもうこれで全てだ。完結している。と言わざるを得なかったのではないでしょうか。
東丈は結局、幻魔のいない世界に生まれ変わったけど、ストーカーみたいな幻魔が趣味で執拗に追いかけてきたが、
東丈の弟子が女トルテックの秘術で封じ込めてしまった。そして、その世界を終の棲家とした。
でおしまい。
でも七月鏡一先生と早瀬マサト先生が師の夢を果たすべく続編を紡いでいる。
というのが、私のたどり着いた結論です。
あと、若干、違うなと思ったのがみちるがシグに仕掛けた幻影城。脱出するのに何千年もかかると言っていますが、
あれ、実はブラフで本当は無限に出られないようにつくっているのではないかと私は思います。
もしコンピュータの世界で何千年もかかって壊せるほどの仮想インスタンスを入れ子に構成する技術が確立されたとしても、
天文学的なメモリやCPUなどのリソースを食うことになるのではないかと思います。

シグが閉じ込められたのは、仮想(幻)のたまねぎ宇宙を並列で連ねた巧妙な片方向循環リストなのではないでしょうか。
シグがそれに認識できない限り、無限にその片方向循環リストをめぐり続けることになる。
シグは不死身でもそのうち脱出できると思い込んでいるので、永遠に循環し続けるが何億回・何兆回か巡回するうちに精神的に参って考えることをやめさせて、永遠にそこに閉じ込めておくという策ではないかと私は勝手に推察した次第です。


Re: 「幻魔大戦は完結している」という噂について考える - Name: カナメ No.1516 - 2017/05/21(Sun) 11:32:29
https://twitter.com/ebunko8/status/561000997057622016
記述のページのなかに公式ツイッターの件の発言が埋め込まれていたのですね。読み進めるまでそのことがわからなくて、一瞬あれ? と思ってしまいました。あわてん坊の方が「個人サイトじゃないか」で読むのをやめてしまってもいけませんので、コメントしておきます。
公式ツイッターの発言が重いのは確かですが、それでもあくまで本城さん個人の見解に過ぎません。「新」も「無印」も「真」も明らかな話の途中であって、包括的なエピソードをきれいに閉じることで「完結」というなら、『ハルマゲドンの少女』でも同じことが云えます。云わば解釈完結ですね。
幻魔シリーズは発表されたエピソードに限っても、全てを完成させるのはまず不可能です。なにをもって「完結」というのか? その言葉のニュアンスをすり合わせる必要を感じますが、そう仰った皆さんは少なくとも「スッキリ」されたのだろうなと思います。


Re: 「幻魔大戦は完結している」という噂について考える - Name: 初めて50以上のリツイートを獲得した幻魔大戦ジプシー No.1518 - 2017/05/21(Sun) 22:20:09
>記述のページのなかに公式ツイッターの件の発言が埋め込まれていたのですね。読み進めるまでそのことがわからなくて、一瞬あれ? と思ってしまいました。あわてん坊の方が「個人サイトじゃないか」で読むのをやめてしまってもいけませんので、コメントしておきます。
お手数おかけします。このBBSの制限に収まるように張り付けるURLを考えていたら紛らわしい感じになってしましました。

私、この歳になっても、平成ライダー見ているのですが(戦隊は起きられません)、
平成ライダーは結構、放りっぱなしにして未回収な伏線がいっぱいあります。
平井和正/庵野秀明なみに広げた風呂敷を畳んでいません(クウガとアギトと龍騎と555と響鬼と鎧武は、こんなんでええーんか!?と思いました)。
ただ、とりあえず、年度の変わり目にラスボスみたいなのを倒して、なんか無理やり終わらせています。
石川賢の5000光年の虎みたいに「俺たちの戦いはこれからだッ!」でも良いと思います。

ただ、テレビシリーズのエヴァンゲリオンとか、真のキールが異世界の断面に飲み込まれる所とか、
そういう作者が袋小路にぶち当たって思いつかなくなって、何も思いつかなくなって、なんか、「俺知ーらないッ」という感じで放り投げられた感じが嫌なのです。
なんかわかります。私プログラマなんですが、デスマーチという悪循環に陥って回らなくなった案件で、毎日矢継ぎ早にプログラム組んでて発狂しそうになることあります。
もういっぱいいっぱいで疲れ果てていて、「どう実装してええんか、全然わからへん、逃げたい、寝たい、家帰りたい」と思ったときとかあります。

そういうのわかるのですが、お金もらっている社会人として最低限の締めは区切りをつけるのがプロなのではないかと私は思います。


『エイトマンAFTER』ノベライズ二作 - Name: カナメ No.1504 - 2017/05/05(Fri) 20:12:33
■中原周『8マン after 永遠なる肉体』(1992年9月)
■ORCA『8マン ニュー・ジェネレーション』(1995年4月)
前述の『超犬リープ』の大貫健一氏がキャラクターデザインを務めたOVA『エイトマンAFTER』のノベライズ。読み比べてみても面白いかもしれません。つまらなかったらゴメンなさい。
同じアニメ作品で、すでにノベライズ小説があるにも関わらず、わざわざ後者が刊行されたのは、『エイトマンAFTER』の続編ないしシリーズ化の企画が進行していたからではないかと思われます。アニメが出たら、その小説版も続々出版する構想だったのではないかと。
アニメの続編については、『エイトマンAFTER』4巻に封入された予告チラシがありますので、そちらを写した画像を添付しておきます。残念ながら「希望」はかなわなかったようで。


Re: 『エイトマンAFTER』ノベライズ二作 - Name: カナメ No.1505 - 2017/05/05(Fri) 20:19:54
中原周『8マン after 永遠なる肉体』


Re: 『エイトマンAFTER』ノベライズ二作 - Name: カナメ No.1506 - 2017/05/05(Fri) 20:21:32
ORCA『8マン ニュー・ジェネレーション』


Re: 『エイトマンAFTER』ノベライズ二作 - Name: keep9 No.1513 - 2017/05/09(Tue) 22:11:07
「永遠なる肉体」版の主人公・羽座間逸郎はシリーズキャラクターらしさが良く出ていて、エンタメ志向が強い感じがしました。続編も実は読んでみたかったんですけどね。アニメ版はそもそもの羽座間8マンの誕生経緯が異なっていて、ストーリイそのものに密接に関連しているためによりシリアスさが増してしまった気がします。どっちが良かったかというと、私はニュー・ジェネレーション、アニメ版よりはこの小説版の方が好みでした。


Re: 『エイトマンAFTER』ノベライズ二作 - Name: 8マンを読んだことがない幻魔大戦ジプシー No.1514 - 2017/05/12(Fri) 22:26:13
羽座間逸郎という名前の意味が分からなかったのですが、
夢の中で閃いてしまいました。
AZUMA HATIROUの文字を入れ替えるとHAZAMA ITUROUになる。
東八郎のアナグラムなのですね。


末松正博の8マン - Name: カナメ No.1500 - 2017/05/05(Fri) 15:09:39
実家で発掘シリーズ第三弾は8マンです。
8マンの関連作はホントに多くて、全てあげろと云われたら、スマホなしにパーフェクトに正答する自信がありません。発掘シリーズですので『8マン インフィニティ』のようなメジャーどころは今回はスルーし、当時買ったひともいい加減忘れてそうな作品をチョイスしてみました。

■末松正博『8マン ANOTHER STORY 前編』(1992年12月)
「8MAN OFFICIAL BOOK VOL.1」に掲載。実写映画『8マン すべての寂しい夜のために』をベースに漫画化。一郎くんが「チーマー」だったりするあたり、当時の世相が反映されています。掲載誌の「VOL.2」以降が発刊されることはなく、後編が発表されることはありませんでした。おかげでこの作品に登場する8マンは、暗いシルエット越しのカットに終始し、はっきりとした姿さえ見せず終いでした。末松氏の8マンは、まとうムードをそのままに、舞台を百年後の未来に移した『エイトマン』に受け継がれることになります。

■末松正博『エイトマン』(1994年10月〜1995年4月)
「月刊MANGA BOYS」に『バチ▼ガミ』と同時期に連載されました。こちらは単行本化されています。もし電子書籍化されることがあるのなら、前述の『8マン ANOTHER STORY』を併録してもらいたいですね。
個人的にはこの作品のデーモン(出門)博士には違和感があります。デーモン博士の頼みとするところは徹頭徹尾己れの頭脳、自身の造り上げたテクノロジーであって、だからこそ「好敵手」でもあったのですが、生身の人間に細工して人間爆弾というのは、らしくない上にフラットな悪人に成り下がってしまった印象があります。


Re: 末松正博の8マン - Name: カナメ No.1501 - 2017/05/05(Fri) 15:15:38
8マンオフィシャルブックVOL.1


Re: 末松正博の8マン - Name: カナメ No.1502 - 2017/05/05(Fri) 15:21:24
末松正博『エイトマン』


Re: 末松正博の8マン - Name: カナメ No.1503 - 2017/05/05(Fri) 15:24:38
私がエイトマンだ!


大橋薫『狼のエンブレム』 - Name: カナメ No.1509 - 2017/05/07(Sun) 01:32:21
ゴールデンウィークも今日が最終日。実家で発掘シリーズもこれが最後。ラストを飾るのは、画・大橋薫、企画・ウルフガイ・プロジェクト、『狼のエンブレム』です。
ファンが書いた続編(※1)を原案にウルフガイ・プロジェクトスタッフがリライト、商業誌デビューとなる大橋薫の作画で「少年キャプテン」1985年2月号から7月号にかけて全6回にわたって連載されました。ちなみに「もともと6回の約束だった」(※2)そうです。

青鹿晶子の遺児・犬上真那はたった七年でハイティーンの容姿になり高校に通う、こちらは見た目は変わっていないらしい犬神明は彼女を見守るために同じ高校に転入する。こうしてウルフガイが再び学園を舞台に動き出す。西城の息子・沢恵一、虎4の双子の妹・虎9らを交え、物語は次第に国家的謀略戦へと雪崩れ込んでいく。

ストーリーについて云えば、ファンの模作の域を出ません。まあ、もともとが模作ですからね。(新)ウルフ会の発足や、映画「狼の紋章」の上映会などと並ぶ、当時のウルフガイ復活を祝うお祭り・企画の一環、と見るべきなんでしょう。

とは云え、肝心の本家『黄金の少女』のほうは、「ウルフガイ復活!」「少年犬神明が帰ってくる!」と派手にブチ上げておいて、実態は犬神明出る出るサギの朝鮮戦争帰りのアメリカ南部の警察署長の物語だったわけで、ファンの無聊を大いに慰めたことは間違いありません。
小説版が前述の「ウルフランド」に掲載されていて、漫画版が終了したその後の展開を読むことができます。

※1 丹下真弓・作『狼のレクイエム第三部』『新・狼の紋章』『新狼の紋章』。それぞれ「狼火」創刊号、第六号、第十号に掲載。
※2 「ファンロード」1985年7月号「FRマンガ家特集 大橋薫&真弓(楠桂)シスターズ」による。


Re: 大橋薫『狼のエンブレム』 - Name: カナメ No.1510 - 2017/05/07(Sun) 01:33:53
「少年キャプテン」1985年2月号


Re: 大橋薫『狼のエンブレム』 - Name: カナメ No.1511 - 2017/05/07(Sun) 01:35:32
小説版『狼のエンブレム』

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