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記事No.1523に関するスレッドです


幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第一部 - Name: カナメ No.1517 - 2017/05/21(Sun) 12:14:38
宗教とカリスマとの出逢い。それは平井和正の作家人生にあって、必然であり宿命であったように思います。
シニカルを気取るのでなく、暗闇を彷徨うように「人類ダメ小説」を書いてきた平井和正にとり、「人類はダメじゃないかもしれない」という光明をそこに見出すのは、路上駐車を繰り返すドライバーがいつか反則キップを切られるのと同じぐらい、当然の成り行きであるからです。もともと宗教にハマるべくしてハマる性向の持ち主だったのです。
もっとも、関与した現実の宗教とカリスマに対しては、こんなものにどっぷり浸かってる人間はもっとダメだった、と思い知る苦い失意に終わり、自らの夢や理想を筆に託す作家稼業に再び戻ってきたことは、読者には幸いでした。作者たる己れの自我を切り取った血のしたたるレアステーキのような(“活け造り”とどちらがいいか迷いましたが、まあ多少は火を入れてるだろうとこちらにしました)小説をさらに読めることになったのですから。たとえ劇的な心境の変化があり、作家として変貌を遂げていたとしても。

おりしも、アダルトで『人狼戦線』('74年)を、ヤングで『狼のレクイエム』('75年)を書き上げており、作家的な転機でもありました。これらの作品はエンタメ小説としてのひとつの到達点であって、同じ路線を続けたとしても、これ以上のものを書くのは困難だったでしょう。
よく平井和正は宗教にハマっておかしくなったなどと云われます。確かに『人狼白書』に見られる、シリーズさなかの路線変更はいかにも唐突に過ぎ、小説としては不細工と云わざるを得ません。また、犬神明の口、小説の場を借りた著者のお説教じゃないかと思える部分も随所に見受けられます。特に『ウルフガイ・イン・ソドム』で大天使が説く――しかも話の筋とは直接関わりがない――宗教的な真実なんて、まさに平井和正著「大天使ガブリエルの言霊」(霊言ではない、注意!)そのもの。
リアルの宗教観をいかにフィクションへ昇華するか、その部分でまだまだ加減がわからず、キリスト教の天使や悪魔がその名もズバリで直截に描写される。のちの幻魔大戦では、天使とは云わず「宇宙意識」と称したりして、このあたり随分と洗練されるのですけどね。
ワタシなんかはこの原液そのまんまのフレーバー、水や果汁で割らないどストレートの味わいも嫌いではないのですが、当時のファンの多くはむせかえったことでしょう。

でも、もし仮にそれまでのエンタメ路線を継続し、何ら自己変革も遂げることもなく、自己模倣に終始していたとしたら、それはそれで早晩作品はマンネリ化し、飽きられた挙句、「平井和正はあの頃がピークだった」なんて云われるのがオチだったのではないかと思うのです。
作家としての変化は必然であり、不可避だった。ですが、その変化をウルフガイに反映させたのは、のちに平井和正自身が語っているように、失敗だったのかもしれません。云ったところで詮ない結果論、歴史にifではありますが、この作家的変革期にスッパリ第二次幻魔大戦に移行していれば、読者の動揺はずっと少なかったでしょう。違う作品であれば、単に「好きではない」「趣味ではない」で済ませられるのです。
読者というのは超保守的な生き物なので、好きな作品が好ましからざる変化をすることを極度に厭うのです。ワタシにとっては『幻魔大戦deep』以降の第三次幻魔大戦がそうです。まあでも、それが平井和正なのですけどね。

あるいは後期アダルトウルフガイは、第二次幻魔大戦へと至る試行錯誤の捨て石を引き受けたのかもしれません。
だが、やはり、おれには荷が重すぎると痛感せざるを得ない。真のエースが登板するまでの、ワンポイント・リリーフのつもりなのさ」
「あくまでも、真の主役が出てくるまでのツナギだがね。精いっぱいがんばりますよ。」

ワタシの妄想で、アダルト犬神明が東丈にタッチをする情景が思い浮かびます。

けれども、好きか嫌いかで云えば、やっぱりワタシは好きなんですよ。後期アダルトウルフガイ、『人狼白書』〜『人狼天使』が。宗教テイストには免疫のある幻魔フリークであることもありますが、それ以上に犬神明の犬神明たる魅力は、寸毫も損なわれていないとワタシには思えるからです。

男は殴り返せない相手を殴るべきではなく、侮辱に対して反撃できない人間を侮辱するべきではない。無抵抗の人間をいたぶるほど卑しく恥ずべきことはないのだ。

好きすぎて座右の銘になっている言葉です。過去幾度も取り上げたことがあります。いじめや暴力の問題を考える百万の弁舌よりも、このひと言ですよ。3年B組センセイ・イヌカミですよ。この名言は『人狼天使』において生まれたのでした。ニューヨークの獄舎での悪徳看守に対する犬神明の評です。
世界観は変わっても、犬神明(ウルフ)の魂(ソウル)に変わりはない。多少の反省があったのかはわかりませんが、『人狼天使』においては「白書」や「ソドム」のように暗黒の意識界を舞台にすることはなく、作品的にも狼男(ウルフガイ)らしさを幾分取り戻して現実世界で肉体労働に励みます。
若い弟子たちを集めて教えを説いたり、「光」を使って憑依した悪霊を払い、心霊治療を施したりする。そんな東丈的な振る舞いに、若干の違和感、ガラじゃない感を覚えはします。けれども、それは当の犬神明自身がそう思っているでしょう。悪漢ウルフも闇の勢力との対決にあたっては、天の使いも果たさざるを得ない。そんな悪戦苦闘、奮闘ぶりは、やはりワタシにとり、好もしいものなのです。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 幻魔大戦ジプシー No.1519 - 2017/05/22(Mon) 01:00:18
ちょっと先ほどの返信は作家さんの産みの苦しみに失礼でした。
反省しております。無視していただきますようお願いいたします。
ウルフガイは大学生の頃にかどたひろしさんの漫画を2巻までしか私は読んだことがないです。
私はジャンプ世代でドラゴンボールをリアルタイムで見た人間ですが、
高校時代に「犬神明」という単語をわかる人が周りにいなかったのを覚えています。
私、日創研のセミナー経験者なので、宗教的なのは大丈夫です。
今月の給料が入ったら、人狼天使から真面目に電車の中で読んでみたいと思います。
いつも、カナメさんの投稿楽しみにしております。
次回も何卒宜しくお願い致します。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: DONDEN No.1520 - 2017/05/24(Wed) 23:29:54
横レス失礼します。

幻魔大戦ジプシーさん、アダルトウルフガイをかどたひろし漫画版でしか読んでいないというのは、『あなたはまだ、アダルトウルフガイの本当の物語を知らない』と言って差し支えないかと思います。連載時に立ち読み(それすら途中で億劫になってやめましたが)した範囲の個人評価で言えば、まあケン月影版よりはまだまし、以上のものではありません。はっきり言って原作の持つ魅力が決定的に欠けた漫画にしか思えませんでした。、
人狼天使から、と言わず最初からお読みになることをお勧めします。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 幻魔大戦ジプシー No.1521 - 2017/05/25(Thu) 00:45:23
ご助言ありがとうございます。
一瞬、子供のころに親にキン肉マンの第一巻を買ってもらって面白くなかった記憶がよぎりましたが、
やはり最初の狼男だよなのですね。
Amazon探すと2社から出ているのですね。
たぶん、どっちでも変わらないので、常磐線沿線に住む者としてe文庫版の方をポチってみたいと思います。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 幻魔大戦ジプシー No.1522 - 2017/05/28(Sun) 14:07:48
夜と月と狼と読んでみました。
拷問にあっても減らず口を叩く強い男の詩。それがアダルトウルフガイなのですね。
改竄事件で干された平井和正が、池上遼一版スパイダーマンのシナリオを書かせると説教臭くなってしまったのが何かわかりました。
さて、ハルマゲドンの少女が、電子書籍として配信開始になりました。
カナメさんの評論を楽しみにしております。


Re: 幻魔大戦へのエクササイズ!?〜人狼天使 第1部 - Name: 弘田幸治 No.1523 - 2017/06/02(Fri) 23:59:20
 「第1部」ということは「第2部」もあるということでしょうか。楽しみにしています。

 幻魔→ウルフという読書体験のひとつとして大変おもしろく読ませて頂きました。
 そこで俺が感じる疑問は、なぜ幻魔→GLA(そのほか宗教団体)にいかなかったのかということですね。
 なぜ平井教の方にいったのか疑問なんです。そこに嗅覚なり直感なりが働いていたのでしょうか。
 平井が(広い意味での)教祖に見えていたのでしょうか。その場合、幻魔以外の作品は物足りなくはなかったのでしょうか。

 平井の作家人生において人狼白書のおかげでアダルト・ウルフガイを失ったのは大きな痛手だったと思います。
 一話完結が前提で、よくよく読めば大河ストーリーとしても楽しめる、というアダルト・ウルフガイは、平井入門に最適でしたから。

 後知恵ですが、人狼白書ではなく、真幻魔が書かれていたらなら、平井の作家人生に大きな可能性のひとつを残せたと思います。
 オカルト抜きのアダルト・ウルフガイ、老衰した平井が、どう作品を締めくくったのか、『犬神明』を読んだかぎりでは、往年のパワーは期待できないにしろ、一人称小説ということもあって、犬神明が己の老衰とどう向き合うのか、興味があるんですね。

 俺が後期平井作品にちょっとした嫌悪を感じるのは、平井が自らの老衰に向き合っていない、と感じさせるところがあるからです。そりゃ女を主人公にすれば何とかなるかもしれないが、そこじゃないんだよな、というもどかしさですね。

 衰弱を何とかしようとした悪戦苦闘が垣間見える『地球樹の女神』や衰弱に寄り添った『ボヘミアンガラス・ストーリート』は楽しめた俺は、平井に「私小説作家」を見出していたのかもしれませんね。そこに彼の文学性をみていた。
 だから『月光魔術團』以降には興味をもてないんですよね。

 ウルフ→幻魔と読んだ身としては、ウルフガイに捨て石をみるのはつらいものがありますね。
 星新一の「ウルフガイしか書かなくなって心配した」という指摘がもろに的中したのでしょう。最初から幻魔として書かれるべきでした。


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