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『死霊狩り』論コメントへのお礼 - Name: カナメ No.1577 - 2018/08/31(Fri) 00:33:44
拙文『死霊狩り』論へのコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
我ながら、金にもならぬテキスト書きに何を一生懸命になっているのかと思わないではないのですが、やっぱり好きなんですよね、こういうことが。なにより、これをやると読書が5倍ぐらい愉しく面白くなる。
実際、びっくりするような発見があるのです。ゾンビー化した田村俊夫に血が流れていたなんて、テキストを書くまで、思いもよりませんでした。
不思議なことに、テキストを書くという手続きを踏まないと、こういう発見は訪れません。ひと通り読み返した時点では、俊夫のデスが突然変異だということは頭に入っている。そこでその辺を言及しようと、再チェックをしていると「なになに、代謝がどうだって――?」と気付いたりするのです。

アメブロにも再掲しましたけど、「林石隆の格闘術は、少林寺拳法らしかった。」という記述しかり。
少林拳と少林寺拳法は違うんだけどなぁ、というご愛敬のツッコミどころとしては認識してましたが、ちょっと待て、「らしかった」というからには、これは俊夫の意識だよな? ネタとしてひとくさり書こうとする段になって、こういうところがまるでマーカーでも引いたように、眼に飛び込んでくるのですよね。

これって、ただ景色を眺めているのと、キャンパスにそれを写生しようとするのとでは、おのずと視る集中力が違うということなのかもしれません。

『人狼戦線』や『ウルフガイ・イン・ソドム』にしても、テキストを書く前とあとでは、ガラッと認識が変わりました。人狼戦線がウルフの奮闘ぶりが胸をうつ浪花節に見えて、実は、神の経綸を説いた物語であって、ウルフの行為なくしてリュウの核弾の不発という奇跡もなかった。ソドム篇も生かされなかった伏線ではなく、前作・人狼白書の解決篇だった。これらの認識は、書くという行為なくしては、たどり着けなかったでしょう。もちろん、ますます好きになりました。こういうことがあるので、やめられないのですよね。


弘田さん
近親者から愛読書を受け継ぐ――いいですね。ワタシにはない経験なので、憧れます。
わが実家にも「親父の本棚」はあるにはあったのですが、お前ぜったい読んでねーだろ、という世界文学全集が並んでいるぐらいで。あと、石原慎太郎の「スパルタ教育」を見たときは引きましたね。こんなん読んで、おれをギャクタイしてくれやがったのかと(笑)。


おかもとさん
貴重な死霊、もとい資料のご紹介、ありがとうございます。
アラ探しより愛ある解釈を、というのはまったく同感です。
せんせいご自身はぜんぜん無自覚なのでしょうけど、こういうところがしっかり≪信者教育≫になっているのですよねえ。“S”に育てられた田村俊夫のような平井和正信者がここにもいますけどね。


カナメさんのあまりにも重厚な『死霊狩り』論を読んで。 - Name: 弘田幸治 No.1575 - 2018/08/21(Tue) 16:08:33
 『死霊狩り』には思い入れがある。
 “生頼範義期”の作品のなかでも、もっとも大藪春彦に近似していた時期の作品である。
 「現代を舞台にした活劇小説」、そんなことが可能なのか、と驚愕し、それを可能にした大藪春彦の天才性が顕わになった時期だ。日活無国籍ガンアクションではない。あくまでも現代世界を舞台にした活劇だ。

 『ベーブルース物語』や『戦艦大和の悲劇』などは読んでいたが、一般向けの小説ではじめて読んだのが『死霊狩り』だ。叔母の書棚には大藪春彦の黄色い背表紙やウルフガイの黒い背表紙があったが、にもかかわらず選んだのは緑の背表紙の『死霊狩り』だ。
 霊感が働いた、と書ければカッコいいのだが、実際は「44オートマグ」といういまひとつコンセプトのわからない拳銃に存在をうまく活用している点に興味を覚えたのだ。

 実際に読んだ『死霊狩り』は圧倒的に面白かった。俺が“小説読み”などという非生産的な存続に堕したのは『死霊狩り』のせいである(笑)。

 『死霊狩り』は、平井和正の美質がもっとも現れた作品だと思う。素晴らしいアイディア、周到なプロット、迫力の戦闘シーン、印象的なキャラクター、それらがうまく混ざり合い、傑出したエンターテインメントにしている。
 神秘主義にアレルギー、ある種の文学性に忌避感をもつ人間でも、“気軽”に楽しめるのが『死霊狩り』だ。
 『黄金の少女』がウルフガイの一編として書かなければ、成立したかもしれない、平井小説の頂点のひとつだ。

 平井和正自身は『死霊狩り』をそれほど評価していないように思えるのも印象が残る。
 かれのなかでは『幻魔大戦』シリーズの方が評価が高いのかもしれない。

 俺が思うに、『死霊狩り』は「人類ダメじゃない」小説になっていまっているからである。
 カナメさんのご指摘のように、『死霊狩り』では田村俊夫たちが勝利して、物語の幕は閉じる。
 「人類さん、ハッピーエンドを迎えました、よかったネ」という作品構造に不満を抱いたのではないだろうか。

 『黄金の少女』の長いあとがきを読むとわかるのだが、平井和正は決して人類を「赦して」いなかった。
 地球の裏側の子供たちが何人餓死しようと、自分の飼っているペットが食い過ぎで死んだ方が悲しいと喝破したのが平井和正だ。

 天使の時代? 高橋圭子?

 たしかに影響を受けた。アダルトウルフガイ・シリーズはそれで破綻した。

 しかし平井和正が「人類ダメ小説」の書き手であることは決して変わることはなかった。
 理想への希求と現実への失望。『幻魔大戦』シリーズでそれは繰り返される。しかし決して「人類さん、よかったね、救われましたね」とは書かれないのだ。
 『エディプスの恋人』や『魔法少女まどかマギカ』では、実際に主人公は「時空」そのものになる。そこにある種の「救済」が描かれる。

 東丈はどうだ。失踪したきり時空改変の奇跡もおこさず、残れた人々のエゴ、嫉妬と増長の物語が語られることになる。

 これはカナメさんと立場が違ってしまうのだが、福島第一原発事故のとき「東京」で“反原発踊り”で盛り上がっている人々を俺は憎んだ。
 原発事故など専門家に任せるほかなかく、素人は玄人の努力を応援するほかないのである。人知の領域だからだ。
 一方、津波に亡くなった犠牲者は二万人を越す。人知を越えた悲劇である。マスコミはじめ、いったいどちらを重要視するべきか一目瞭然ではないか。それがあのザマである。雨の降った翌日は線量はあがる。ちょっと調べればわかることじゃないか。それで大騒ぎだ。バカか。シね。人知を越えた「どーにもならない」人々の悲しみも苦しみもそこには存在しなかった。

 平井和正はある作品のあとがきでこう書く。

 人類は原発を乱立し地球温暖化に対応するか、手をこまねいて地球温暖化に身を任せるか、どちらかだ。
 そして原発の過酷事故は必ずおきる。

 原発でもツんでいて、地球温暖化でもツんでいる、それが人類なのだと。

 天使? 高橋圭子?

 そんな時代はとっくに過ぎている。

 それでも平井和正はそう書かずにはいられなかった。 平井和正は決して人類を赦さなかった。
 「人類ダメ小説」を書き続けたのだ。天使もへったくれもないのだ。

 だからこそ、「人類さん、よかったね、救われたね」という『死霊狩り』の自己評価が低いのは仕方がないのかもしれない。


ウルフガイとオカルト - Name: DONDEN No.1572 - 2018/05/20(Sun) 18:57:20
カナメさんのブログの方を読んで、ちょっと書いてみたくなりました。思い切り“あっち”に踏み込んだ話なので、どうしようか迷いましたが…。
かなり偏った私的見解ですが、平井和正自身の語る「言霊」や、某教祖の影響を抜きにして考えても(もちろんリアル氏のことは考慮の範疇外として)、ウルフガイのオカルト・宗教要素はカナメさんの書いていた以上に、根が深いものだと思っています。

忘れがちですが、「犬神」は“憑き物”という一般的な意味でも結構なヤバ目のオカルト案件だったりします。
これについては下記のリンク先の内容が解りやすいと思います。

中山市朗ブログ 2015年07月12日「Dark Night 15」報告、テーマは犬神!
http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/archives/54456138.html

上記リンク先を読んで私が考えたのが、この“憑き物”要素は、少年ウルフガイの“血”に始まる展開、そして「マー」や月光魔術團の「犬神メイ」に通ずるのではということです。長いことバッサリ作品から排除した要素と思い込んでいましたが、SFを触媒にして作品に変換・投影していたのかもしれない、だから最終的に“魔法使い”鷹垣人美が事を収めた(というよりは話を持って行った、か?)のかも、と思い至りました。
また、最近下記の本を読みました。

『霊能動物館』著者:加門七海 (集英社文庫)
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-745665-3&mode=1

要約するには少々雑多な内容なので中身には触れませんが、のっけの章が『狼の部屋』だったりします。なんというか思っていた以上に“狼”の眷属神、神使といった霊的側面は強力だったんだな、というのがその感想です。
これを読んだ後でアダルトウルフガイを考えると、日本古来の自然神の末裔の“狼”男として「犬神明」を名乗った時点で、後の『人狼白書』『人狼天使』につながる複数の要素が、すべて潜在的に備えられていた、某教団の教義の影響は大きいといえど表層上のものであり、むしろ本卦還りしたとすら言える、という風に思考が向いてしまいました。

考えてみれば、そもそも「犬神明」は自身の設定を携えて平井和正の夢枕に立ったのでした。

カナメさんの書く“作家・平井和正の変化――その内的必然”は、作品自体に最初から内在したものが、平井和正を駆り立て牽引し、追求させていったという側面が大きいのではないか。ただそれらが顕在化するに当たり、某教祖・教団の教義が触媒となり後に「堪らない慙愧の念を持っている」と述懐される結果となったのは(長いスパンで見れば必然だったと言えるとしても)、作品にとっての不幸だった、そんな風にも思います。


Re: ウルフガイとオカルト - Name: カナメ No.1573 - 2018/05/23(Wed) 21:39:59
DONDENさん、書き込みありがとうございます。旧作をディープに語るひとはあまりいませんので、こうしてご意見を伺えるのはありがたいです。とても刺激になります。
心霊主義の種子は作者が無自覚のうちに作品に孕んでおり、心霊主義へのシフトは云わば宿命だった。DONDENさんのご意見に、ワタシも同感です。

むしろ、新宗教にありがちな聖書つまみ食いの教義に影響を受けたことは、アダルトウルフガイだけを眺める限りでは、余計だったかなとも思います。本来進むはずだった軌道から、ブレてしまった気がします。「フトマニ」「一霊四魂」とか云ってたのが、「天使」ですからね。リアル石崎郷子さま(回心後)こそこの世に現れて、せんせいに薫陶を授けてほしかったと思います(笑)。

まあ、それはとやかく云っても始まりませんし、その体験があったからこそ、未完の名著・小説『幻魔大戦』『ハルマゲドン』は生まれた。こればっかりは、あったこと、起きたことが全て、というしかないのでしょう。

シリーズ半ばでの世界観の変更は、平井和正の一本気ゆえの「失策」と云わざるを得ません。でも、だからダメ出しして終わりというのではなく――そもそもなぜ確率論を超えてまるで呪われたようにトラブルに見舞われるのか? 「犬神」とはそもそもが妖しの出自の者である、というように読者の側から世界観を補正補完する、そうした「読みの工夫」が肝要でしょう。だって、そのほうがぜったい面白いし、愉しいですからね。読書において、これにまさる正義があるでしょうか。


ソドム、ここだけの話。 - Name: カナメ No.1571 - 2018/04/22(Sun) 19:20:21
リライトした『ウルフガイ・イン・ソドム』評、難産でしたが、ようやくものになりました。よかったら読んでみてください。

ウルが飲むソドムのコーヒーは苦い〜ウルフガイ・イン・ソドム

もっと長々と書いていたのですがね。バッサバサとカットしました。ネタのストックとして保管庫入りです。いずれ発表することもあるでしょう。

天使時代の幕開けが、よりによって『人狼白書』『ウルフガイ・イン・ソドム』という超問題作の連投だったのは、当時のウルフガイフリークにとっては不幸でした。
一方、ワタシはと云えば、無批判全肯定の平井和正ビリーバーであって、どこに目をつけていたんだという明白なツッコミどころにも気付かず、批判的なウルフガイフリークの方々をさんざんディスってきました。

時間はひとを変える。成長もさせる。ガッカリした読者の気持ちがいまはわかります。理解できるというだけでなく、共感できる。逆もあり得るんじゃないのかなと。つまり、あの頃ガッカリした読者も、あらためて読んでみたら、ウルフはやっぱりウルフだったよと、そう思ってくれる目もあるんじゃないかと思ってます。
せいぜいツイッターで五つ六つ、イイネがつくのが関の山のワタシが何を云ったところで、大勢に影響はないでしょう。でも、『狼の紋章』『狼の怨歌』『日本SF傑作選4 平井和正』がハヤカワ文庫から出ました。オールドファンの眼が平井和正を振り返る、大きな機運が高まりを見せています。
そして五月には、『死霊狩り』がハヤカワ文庫から出版されます。全三巻の合本ですよ。かつて早川から出た一巻だけではなく。これはもう、早川書房からの既刊の有無に関わらないということですよ。ということはですよ、「ウルフガイ別巻」だって『狼男だよ』から『人狼地獄篇』までに限らず、『人狼戦線』や『人狼白書』『人狼天使』が出る目も、十二分にあるということですよ。願わくば、そんな未来が訪れてほしいものですね。


スト・ラン、ここだけの話。 - Name: カナメ No.1568 - 2018/04/11(Wed) 00:48:54
『ストレンジ・ランデヴー』再読の感想を書きました。ツイート的にサラッと語るだけのつもりだったのですが、いざ書いてみると、そこそこの長文になってしまいました。よかったら読んでみてください。

奇蹟のノンSF短編集〜ストレンジ・ランデヴー

でも、不思議なんだよねえ。ウルフガイのシチュエーションの意図的模倣なんて、読めば気付かないはずはないし、それならもっと強烈に覚えていそうなものなんですけど、きれいさっぱり忘れておりました。本当に魔法にでもかかっていたのかもしれませんね。お陰で初読同然に愉しめましたけど。
発表当時の感想を探してみたんですが、この掲示板の開設自体が2003年で、間に合わなかったみたいです。

短編『ストレンジ・ランデヴー』は、ウルフガイ・ドットコムの「掘り出し物」のひとつとして発表されました。あのひとが表紙を飾っています。なつかしいなあ。こちらには作者の「追記」が載っていて、元となった小説は浪人生時代の執筆であること、文通していた二人の女の子に読ませるために書いたことなどが語られています。貴重な談話なのですが、残念ながら本の刊行とともにウルコムからは下げられてしまいました。
かなうならルナテックe文庫から、こちらも収録した増補版を出してほしいところです。云いたかないけど、集英社e文庫のアレはないわぁ。

集英社e文庫といえば、『インフィニティー・ブルー』も出ておりますね。奇しくもKADOKAWAからは『サイボーグ・ブルース』が出ていて、読み比べてみるのも一興です。ただ、インブルって額面は2冊でも、実質8巻ですからねえ。深みにはまってしまいそうだ。
ボリュームもさることながら、作品の根本がね。食事もできない、涙も出ない。そんなサイボーグはもう古い。気持ちいいエッチだってできちゃう、夢のテクノボディ・マシナリー。……それって、どうなの? というね。やっぱり、このテーマはいまは重すぎる。いやホント、マジに考え出すと、ファンやめようかな、ということになりかねませんのでね(笑)。グランドライン後半の平井作品、“泉谷あゆみ期”の大海には、いずれ挑みます。
いまは幻魔の旅に専念しようと思います。


Re: スト・ラン、ここだけの話。 - Name: keep9 No.1569 - 2018/04/13(Fri) 20:08:45
懐かしい想い出がよみがえってきました。素人絵描きとしての最盛期と言って良いでしょう(苦笑)。

「やらせてもらえることが名誉」っていうファンアートでしたけど、当時住んでいた富山市内のあちこちを資料写真を撮って歩いたのも良い想い出です。富山って本当に抜けるような青空が滅多に見られないところで、白い空をごまかすためにスカイブルーのグラデーションを重ねたり、とか、解像度の低いデジカメ画像のジャギーを手作業で取り除いたり、とチョコマカした作業に熱中してたなとか、そんなことはよく思い出しますね。

今は職場の子どもたちのためにピカチュウとかプリキュアとか描いたりしてます(笑)。


Re: スト・ラン、ここだけの話。 - Name: カナメ No.1570 - 2018/04/22(Sun) 16:35:13
お返事が遅くなりました。
まさに「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」ですね。いまさらですが、お疲れさまでした。
青少年期のアマチュア時代の小説の表紙をファン読者のイラスト&フォトグラフが飾るのは、企画によく合っていたと思います。偶々の巡り合わせであったにしても、それこそが天の差配であったと、ワタシは信じるものです。
「掘り出し物」として公開された作品は、ほかにも数作あって、keep9さんが表紙画を描いているものもあったのですが、本になったのは『ストレンジ・ランデヴー』の表題作ただ一本のみ。『鏡の中の少女』『待っている』は書き下ろし。ほかのウルフガイ・ドットコム公開作品は、お蔵に入ってしまいました。残念です。
やっぱり、手直しをしたとは云え、若書きの域を出ず、期間限定のサービスであって、作品扱いに格上げはできなかった、ということなんでしょうか?
ルナテックから電子書籍が発行されるなら、ぜひ増補版として、それらの作品も収録してほしいですね。一度は公開しているのだし、「出版したら呪う」なんて遺言もなさっておられないでしょう。


2001年懐古の旅 - Name: カナメ No.1567 - 2018/03/24(Sat) 03:10:45
なんとまあ、味も素っ気もない表紙だこと、集英社e文庫。
でも、ライブラリには本のカバーが表示される。だからウェブページ上の画像は、まあ、あながちウソではないということにはなるんだけれども。
もしや不具合では? と最初は思ったのですが、これは仕様であるらしい。eブック本体には重い画像を載せないという省容量設計。古典的文学作品ならこれでもいいでしょうが、イラスト重視のエンタメ小説でコレはちとさびしい。

あとがきも凄い。『月光魔術團・幻魔大戦DNA篇』の完全予約版の告知が、そのまま掲載されている。
「予約払込受付開始 2001年10月1日(月)。」(笑)。これを見て、いまは存在しない駿台曜曜社に申し込みをするひとは、よほどのうっかりさんでない限りいないとは思いますが……。
「集英社」の付かない我らが「e文庫」だったら、ばっさりカットするか、少なくとも口座番号、住所、電話番号は伏字にし、「これはもうやってません」的な注釈は付けるところでしょう。手を入れる気、一切ナシ。いっそ清々しい。お陰で、懐かしい気分を味わえました。

歳をとると時間が経つのが早くてね。2000年? 満島ひかりがFolder 5のHIKARIだった頃だよね。ついこの間じゃん。とまあ感覚的にはそんなカンジなんですが、客観的には00年生まれのミレニアムベイビーが、高校を卒業しているわけで、容赦ない時の流れを認識させられた当時のあとがきでありました。

無印で6巻「悪霊教団」、真で「夢魔の寝室」まで読み進んだ幻魔の旅ですが、少し休憩して、『ストレンジ・ランデヴー』の三篇を読み返してみましょうかね。
 


前言撤回。 - Name: カナメ No.1562 - 2018/02/27(Tue) 01:03:24
最初の予定では、原作小説のリメイクにすぎなかったのに、私の内宇宙の“幻魔星雲”が強烈なエネルギー照射を行うにつれ、全く異なる様相を呈し始めた。

すみません。ワタシの唱えた「GENKENストーリー既定路線説」※は間違いでした。灯台下暗し、『幻魔大戦』4巻の「あとがき」にしっかり書いとりましたよ。

※幻魔大戦 翻案
 https://ameblo.jp/tkaname/entry-12355458257.html

ワタシが勘繰るほど、平井先生はワルではなかった。それがわかって何よりですが、読者を悩ます問題作家ぶりに何ら変わりはないんですけどね。
『死霊狩り』ではデスハンターをきちんとノベライズしておいて、こちらはこんな無茶な舵を切るんですねえ。つくづく一筋縄ではいかぬお人ですよ。


Re: 前言撤回。 - Name: DONDEN No.1563 - 2018/03/07(Wed) 00:26:54
この件でちょっと考えてみました。
前に久保陽子の件で指摘したコメントからすると、東丈の『真幻魔大戦』への登場自体が、小説『幻魔大戦』4巻執筆以後ということもありうるので、“既定路線”とまでいかずとも最初は『真幻魔大戦』の展開として構想したものが、小説『幻魔大戦』へとシフトしたという可能性はあるのではないでしょうか。
ただそうだったとしても、東丈の年齢と社会的立場が全く違うので、シフトしたのは“前世で縁ある者たちが結集して組織が作られる”という骨子だけなのでしょうが…。


Re: 前言撤回。 - Name: カナメ No.1564 - 2018/03/21(Wed) 18:49:44
DONDENさん、どうもです。ワタシも大筋で同意です。作者としては、いろいろと書きたいことはあった。ただ、物語として、なにもかもブチ込むこともできない。これはワタシなんかがテキストを書くうえでも、「このフレーズ、使いたいけど、この文章の流れには合わないな」ということで、割愛というかネタの保管庫行き、ということはよくあります。
そんな風に、リアル宗教団体に関与して学んだことは、当然書きたいテーマではあったんでしょうけど、それを『真幻魔大戦』でやってしまうと、「世界(宇宙)の真相を描く」という、もうひとつの大きなテーマがおろそかになりかねない。そこでマンガ展開を離れた『幻魔大戦』を、人間の心理や組織の内実をじっくりと描く、そんな地味めの文学的小説の舞台としつつ、もう一方で『真幻魔大戦』では派手めの『悪霊の女王』路線のエンターテイメント性を維持するという住み分けをしたのじゃないか。そのように考えることはできますね。

それにしてもですよ。着手したのは『真幻魔大戦』が先なんですよ。それなのに、真に東丈が出てくる頃には、もう無印は4巻まで書いていたというね。どんだけ急ピッチで書き上げたんだと。それはまあ筋立ては決まっているし、原作小説まであって、スムーズではあったでしょうけれども。
それで云うと、雑誌掲載順というのは、執筆順とニアイコールどころか、まったくその時期・順序とはかけ離れており、アテにはならないということになりそうですね。


Re: 前言撤回。 - Name: DONDEN No.1566 - 2018/03/23(Fri) 23:38:51
この件はその後も妙に考えてしまっていました。平井和正自身の発言を考慮に入れなければ、「GENKENストーリー既定路線説」というのは普通に肯定できる話だなあと…。以下考察を羅列してみます。

「小説『幻魔大戦』の東丈と田崎宏の対決は、考えてみれば『新幻魔大戦』の第四章 魔人・正雪 の対になっているから『真幻魔大戦』で構想した可能性はあるが、あのストレートなぶつかり合いは十代の少年同士でないと出せるものではない」
「『真幻魔大戦』のルナ王女対タイガーマンの時空を超えた再戦は、漫画エピソードを前倒しで小説化したと考えることもできる。作者自身のリメイクへのモチベーションを減じ、GENKENストーリーへのスムーズな移行を図るための布石だったのであろう」
「『新幻魔大戦』の続編が執筆されなかったことも含め作品全体で、結果が分かっているところには寄り道をさせない(作者にも読者にも)という意図が見て取れる。最初から小説『幻魔大戦』を単なる漫画版のリメイクにさせる気は無かったのだ」

…まあこれらは「言霊」「無意識の領域」を論点に入れた“なんでもアリ”な考察ですけど。

あと『真幻魔大戦』と小説『幻魔大戦』の執筆順は、連動エピソードはある程度同じ時期であろうという気はします。はっきり書かれてるのは東丈失踪がほぼ同時なことだけですが、「杉村由紀は過去の海外事故で死亡/奇跡的生存」「木村市枝の時空の関門越え/電車で未来の自分目撃」や、『真幻魔大戦』と『ハルマゲドン』で“アギラ”の名前がでてくる辺りとかの執筆時期は、内容的にも近接していてもおかしくないと思います。


アメプロに関する雑記 - Name: カナメ No.1565 - 2018/03/21(Wed) 18:55:04
このところ忙しく、書きたいものが溜まっております。無印と真を雑誌掲載順に読んでいくというのも、ぼちぼち進んでおりますし。
なのにどうした訳か、Facebookを主とした昔のテキストをアメプロにサルベージするなんて作業に没頭してしまいました。これはあれですね、試験勉強をしなきゃいけないときに、無性に部屋の掃除をしたくなる心理といっしょですね。
いま読み返すと、正直文章にも考え方にも、若干の違和感を覚えないではないのですが、そこを手直しし始めると、もう根本から書き直しということになりかねないので、必要最小限の修正に留め、過去のテキストのままアップしました。

今日は例の生頼範義エスタンプ展の最終日ということもあり、がんばって初日のトークイベントのレポートをアップしました。記録として簡単に済ませるつもりだったのですが、書き始めるとそこそこの長さになってしまいました。よかったら読んでみてください。

■タローさんの「南の国から」〜生頼範義の『神話』をめぐって
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12362038184.html


終わりと始まり。〜新章開幕のごあいさつ、そして利用規約じゃないけどまあそれ的なやつ。 - Name: カナメ No.1559 - 2018/02/22(Thu) 20:48:32
かねてからの告知どおり、「サロン・ド・GENKeeeeN」は店じまいしました。そして、「サロン・ド・ぼへみ庵」として、リニューアルオープンいたしました。
話が違う? ええ、あれから事情も気持ちも変わりまして、もともとログを残すことは決めていたのですが、投稿の機能も継続することにしました。それにあたり心機一転、名称も新たにしました。
やっぱり、掲示板には未練があります。たとえば、これ↓に寄せられた指摘なんて、自分ひとりではまず気付くことはありませんでした。たったひとつの証拠が、自説を根底から覆す。こんなエキサイティングな体験は、ひととの交流があってこそです。

No.1545 久保陽子が「幻魔」を変えた! 〜真幻魔大戦「スリーピング・ビューティー」
http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1545

さて、リニューアルオープンにあたり、ここであらためてルールではないですが宣言をしておきたいと思います。
ここはあくまでも、ワタシことカナメが個人の趣味で開く云わばサロンです。ワタシの判断で、お呼びでないと判断した投稿や人物には、掲載や参加をお断りさせていただく場合があります。あらかじめご了承ください。
その際、表で「お引き取りください」なんて、わざわざ云いません。そういう投稿は、いつの間にか消えています。そしてその投稿者は、二度と投稿ができなくなっています。世はこともなし。
横暴だ、専制だ、発言の自由はないのか、とか仰る向きは、どうぞよそをあたってください。

ニュートラルなボードリーダーぶるのは、もうやめにします。これほどワタシに向いていない、適性の欠如した役割はありません。そんなものになろうとし、やろうとしたことが、そもそもの間違いだったのです。そのせいで、こんな閑古鳥の鳴く掲示板に積極的に投稿してくださった方にも、古くからこの掲示板を読んでくださっている皆さんにも、ともに迷惑をかけてしまったことは、申し訳なく思います。

その反省を踏まえ、これからは自分が付き合う相手ぐらい、自分で選ばせていただきます。なんか文句ある? 文句のある方は、どうぞ以下同文。ウルフガイ・ドットコムでもあるまいし、たかが個人所有のプライベート掲示板、なにを肩ひじ張っていたのやら、って感じです。
まず、ワタシが愉しいと思うこと。それがここのなじみの皆さんにも、よろこばれることだと思っています。そう云えば、不遜に過ぎるでしょうか。

とかそんなことを云いながら、投稿なんてまったく無い、ということも充分考えられるのですけどね。
ワタシ自身のステージは、ブログに移してしまいましたしね。ワタシという、ほとんど唯一の書き手をなくしたこの掲示板が、果たして掲示板として機能するのか? 試してみるのも一興でしょう。
まあ投稿がなければないで、ログの保管場所として残すのは既定路線ですから、何ら変わりはない。投稿の機能はあるが、誰もその機能を使用しない掲示板の跡地としてここに在り続ける、それもまたよし。世はこともなし。


Re: うわ、 - Name: カナメ No.1561 - 2018/02/24(Sat) 11:39:15
おかもとさん、どうも。
さすがに「ひらりん化」は面映ゆいですね。ワタシのような器の小さな人間がパーティを催す際の、ワタシ自身の心得を文章化するとこうなったということです。これまで気心知った者同士の暗黙の了解、空気感にちょっと寄っかかり過ぎてたという反省もあります。古くからここを読み、親しんでくださっていた皆さんには、なんら変わるところはありません。
ひらりんに化せるものなら、化してみたいものです。おれも生きたや、ひらりんのよに。……こう云うと、ちょっと弔辞っぽいですね。


花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ。 - Name: カナメ No.1554 - 2018/01/28(Sun) 22:08:04
アメーバにブログを開設しました。
この辺で当掲示板は店じまいして、ワタシの平井和正活動の場は、今後そちらのブログにシフトしようと思います。別に急に思い立ったわけではありません。このSNS主流の時代に、閉じた掲示板もどうかな、そちらと連携できるブログがいいんじゃないか、そう前々から考えていたのです。画像のアップも1件1枚で貧弱ですし。
ただ、ネックは過去ログも含め数百件におよぶ投稿の数々で、これを消してしまうのは忍びない。それでズルズルとここまで来てしまいました。これを簡単に丸ごと移行できるなら、とっくにそうしていました。
最低限、ここのログだけは閲覧可能な形で遺すつもりですので、その点はどうぞご安心ください。

発信の場がひとつ無くなることに、残念に思われる向きもいらっしゃるかもしれませんが、ご自身でブログや掲示板を開設するなりして、大いに筆を奮っていただければと思います。今後のご活躍をお祈りしています。
それでは、新生サロン・ド・GENKeeeeN ≪ブログの巻≫にお付き合いください。
https://ameblo.jp/tkaname/


Re: 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ。 - Name: 生頼範義展が盛況で何か安心した幻魔大戦バガボンド No.1555 - 2018/01/28(Sun) 22:31:55
いつか、こういう日が来るとは思ってはいましたが、
とうとう来ました。
まあ、私もここのシステムは垢抜けないにもほどがあるなぁと思ってはいましたが。
幻魔大戦の元ネタは、別に過去ログみなくても言えるのですが、
七月鏡一先生のツイート記録と「日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館 平井和正編」は貴重な記録な気がするのでバックアップを取らせて頂きます。


Re: 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ。 - Name: 奈津 No.1556 - 2018/02/14(Wed) 22:31:14
ここを閉じられると知り、一言お礼が言いたくてお邪魔いたします。

こちらでは、随分と楽しませていただきました。過去ログを読んでいると当時が思い出され、ついつい読みふけってしまいます。本当に貴重な場所でした。
ここは残してくださるし、カナメさんの新しい文章はブログで読めるにしても、なじみの場所がまた一つなくなってしまうような寂しさは感じてしまいます。胸がいっぱいになる感じ・・・
本当に、どうもありがとうございました。
お礼がここで言えてよかったです。


Re: 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ。 - Name: 平井和正の再評価を祈っている幻魔大戦バガボンド No.1557 - 2018/02/17(Sat) 18:32:35
私もお礼を申し上げるのを忘れておりました。
2014年ごろにデスマーチ案件から解放されて以来、長年のもやもやと幻魔大戦の続きが読みたい病が発症しておりましたが、
このBBSのおかげで救われたように思います。
新しいブログは陰ながら楽しみに拝見させて頂いております。
2月2日の平井和正さんを偲ぶ会に関する感想などをできれば拝読させて頂ければ幸いです(とある方のツイートで「生前に交流があり且つ昨年の法事まで参加した数名と、遠方で法事に行けなかった同レベルのファンまでしか認めて貰えずファンの確保が大変だったらしい」と伺いました)。

またどこかで私もサイトをシレっと開設して7巻以降の元ネタを書きたいと思います。


Re: 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ。 - Name: カナメ No.1558 - 2018/02/18(Sun) 11:26:24
奈津さん

丁寧なご挨拶をいただき、ありがとうございます。
それで、ちょっと云いにくいんですけど、掲示板、続けることにしました(笑)。
詳しくは、後程。

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