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BLUE HIGHWAYSとBLUE LADYを読んだ - Name: 東京丈 No.1047 - 2005/12/25(Sun) 05:09:28
・因業な読者を納得させる、根拠ある『魔術』
高度なテクノロジーに裏打ちされた先端技術は、得てして魔術のように見えたりする。昔、熱帯雨林で未開部族と出会った白人探検隊が、マッチで火を灯してみせたことから白い神様に祭り上げられたように。
同様に、マシナリーという最先端技術の固まりであるアンドロイドがそのスペックの一端を披露すれば、人はそれを巧みな魔術を見せられたと信じ込んでもおかしくない筈。――トルテック呪術などという、デウス・エクス・マキナ――見方によってはご都合主義――の権化たる手法にこれまで嫌というほど付き合わされてきた身にとって、根拠のある『魔術』がこれほど座りがよいとは思わなかった、といいたかったのでした。
・枯れた樹々と、蒼く静謐なストーリー
BLUE HIGHWAYSとBLUE LADYを、通して一気に読みました。平井和正の最近作は、既成モラルをもって臨むと、頬を張られるが如くのぶっ飛んだ作品が多いわけですが、この二作品には時空や性差、時にはスピ−シ−ズすらも乗り越えたアツい恋の出番はありませんでした。平井作品の最大の特徴ともいえる、フィルムを切り刻んだ紙吹雪のように幾重にも重なる複雑な重層世界構造も、今回のBLUEシリーズには開示されませんでした。
北米の、凍てついたような人の視線が寒々しい田舎町で、主人公と彼女は出会います。『彼』は死の天使と呼ばれ、その名前を聞いた者には例外なく死と破滅がもたらされるという正真正銘の死神。対する彼女は、人生の全てに倦み疲れ、病が死を引き寄せる日を静かに待っている女。本来関わることの無い筈だった二人が出会ったことから、物語ははじまります。
静かに死を迎えよう決めていた故の、物憂げで投げやりな彼女の振る舞いに対し、抑制の利いた態度で接する主人公。全編を通したトーンは、あくまでも穏やかで静謐。怒りを通り越した後にはじめて至る諦めと哀しみ。そんな大人の遣り取りに接したボクは、冬の“枯れた”樹々に似た印象を受けたのです。
ボクは戸惑いました。今まで平井和正という作家は、あらゆる意味で読者の期待を裏切り続けてきた人だからです。その作風は、誰も到達し得ない地平をひた走る孤高のチャレンジャーのようでした。それはまるで――尾いてこれるものならきてごらん――といわんばかりに読者を挑発しているようでもありました。「平井和正の小説は読者を選ぶ」と評されたのは、其処にあったのだと思っています。
ところがBLUE HIGHWAYSは違うのです。物語は読者を挑発しない。まるで小説が読者と距離を置いているというか、例えば読者の反応や期待など期待せずとも、まるで既にそこにあった文学のように、超然とした佇まいで座している。だからこそ、さきに述べたように森閑とした“枯れた”印象を受けたのかもしれません。
それは、BLUE HIGHWAYSの文体がハードボイルド小説を思わせるからでしょうか。
・乾いた都会を往く騎士と片田舎を旅する鋼の男
辞書サイトで検索すると、ハードボイルドとは白身、黄身の両方ともしっかり凝固するまで茹でた「堅ゆで卵」が語源だとあります。
それが転じてミステリの分野では感傷を排して、ことさらに文体や主人公の性格、行動などの冷静さ、一部には冷酷を装った内容をもつ作風の小説や映画のことを指すようになったといいます。
特にBLUE HIGHWAYSにおける彼と彼女の会話体は、レイモンド・チャンドラーへのオマージュのようにも受け取られます(ハードボイルドのなかでもレイモンド・チャンドラーの文体は甘ったるいと評されているようですが、その文体の格調高さは門外漢のボクが申すまでもないでしょう)。でもボクは、何故かグレアム・グリーンの「情事の終り」を連想しました。相手を思う故に男から遠ざかるサラという情熱的な女性と彼女の信仰心は、どちらかといえば不信心(?)で投げやりなBLUE HIGHWAYSのアイリーンとは全く重ならないのですが、舞台となった異国の片田舎に漂う荒涼感がそんな連想をさせたのかもしれません。
・ジョン・エナリーとパイ・ロン
二冊のBLUEシリーズを読めば、これらは連作短編を意図して書かれたものだということがわかります。二つの作品に共通する登場人物から、僅かな時系列の連続性を垣間見ることもできます。
連作短編といえば真っ先に頭に浮かぶのは、田中光司の傑作SF「異星の人」のジョン・エナリーシリーズです。
人類の看視者という指命により地球を訪れた異星人・エナリーは、地球のあちこちを旅し(諜報活動?)多くの人々と出会うことにより、人類は邪悪で愚かな存在であるとする立場から、愛すべき性質も備えた種として『人類』に対しささやかな希望を見いだすようになります。そして次第に人類への関心を抑えきれなくなり、看視者という立場を冒し、人間一人一人の運命に介入してゆくようになる――という小説です(記憶モードなので詳細はハルキ文庫をご参照下さい)。
異星人エナリーとマシナリーである『彼』との共通点は、人類の原罪から逃れた中立な存在であるということです。人間が心に蔵する醜悪な闇に囚われることのない彼らは、傍観者の立場で人々と接することができる。しかし、人類への憐憫を蔵したその視線に、相矛盾した“憧憬”にも似た感情を隠しているのは何故なのか……
・新世紀8マンと私
BLUEシリーズと世界観を共有していると思われる『インフィニティ・ブルー』ですが、「新世紀8マン」と銘打たれて発表されたこともあって、当時のボクは8マンとの関連をあれこれと取り沙汰したものです。
東八郎やさち子が登場しまいか。主役では無いだろうから、こっそりと端役で出てないか。端役も駄目なら、せめて転生とか、あるいは彼らの魂が行間のどこかに刻まれていないかと、目を皿のようにしてページを繰ったものでした。が、このBLUEシリーズに至っては、最早そんなことなどどうでもよくなり、ごく淡々と読み終えてしまいました。ジョナサンと比較すると、パイ・ロン(やっぱり、麻雀の風の謎かけなのかなあ……)の容姿あるいは性質、その他もろもろの要素こそ余程東八郎8マンに近いと思われるのに。これはどうした心境の変化なのか。
人類に対して分かち難いシンパシーを抱いた故に、弱き人々に対し、その出自のあかしである“力”の行使を惜しまなかったジョン・エナリー。彼を待っていたのは破滅でした。
それでは魂の自由を得ることで、ヴァレリーの庇護の下から逃れ(ようとし)たパイ・ロンと、彼なしには生命維持も困難な病にある彼女は、運命に委ねた旅の果てに何を得、その後どのような結末が待ち受けているのか。それを静かに見届けたいという思いの方が、月明かりに照らされたようなこの蒼く静穏な物語には相応しいと思った――それが、心境の変化の理由ではないか。今となってはそう思えるのです。
であれば、ボクはまたもや平井和正の術中に嵌ってしまったということになるのでしょうか。
――それにしても、BLUE LADYの作中で語られる『黒い月の伝説』の英雄とは、一体誰のことなのでしょうね?
なお美さんと由紀さん諸々 - Name: 奈津 No.1046 - 2005/12/24(Sat) 19:49:23
>みどりやさん
>これは、私にとっては、杉村さん本人です(笑)。
わたしにとっては、全くの別人なんですね〜。
いいところ従姉か娘か孫かってぐらいに。
>私の中では、杉村親子、クロノス、お時、ムーンライトは同一人物です。
はりゃりゃりゃ(^^;)
それでは、杉村さんと杉村なお美さんを同一人物だと捉えられるのも仕方がありませんね。
私は、杉村優里=クロノス、お時=ムーンライトと認識していまして、由紀さんは別人です。
杉村なお美って、「日暮らし」の杉村尚美さんからお名前をお借りしたのでしょうか。今ふと結びつきました。
杉村由紀さんの生きがいですが、丈君さえいれば、それで彼女は幸せだろうと思っています。出会えないことが不幸で、会えればどんな形であろうと満足なのではなかろうか?
みどりやさんの「供養説」が気に入りまして、他にもいろいろ考えてみました。江田四朗は絶対deepでは成仏できてないな〜とか、田崎さんや康夫は出てこなかったけど市枝さんと一緒に供養されてしまったか?とかおもしろかったです。
特に江田四朗はなんであんなにdeepでいじめられたのだろうと不思議で興味深かったです。
杉村さん - Name: みどりや No.1045 - 2005/12/24(Sat) 09:54:41
奈津さん、ごきげんよう。
> 杉村さんは供養されたから、deepには出てこなかったのね。
「えっ?」っと思って調べてみたら、deep8でちらっとでてきたのは「杉村なお美」さんなんですね。
だけど、
> 美人秘書の杉村さんは長身の欧亜混血風の素晴らしい美女であり、大きな張りのある眸がきらきらしており、
> 「悪魔のプリンセス」より
これは、私にとっては、杉村さん本人です(笑)。
私の中では、杉村親子、クロノス、お時、ムーンライトは同一人物です。
ムーンライトが目指していたのが、光のネットワークによって、幻魔を退ける世界だったとすれば、幻魔の来襲の無い世界はdeepで丈が最初にいた世界が丈にとって生きながら死んでいた世界であったのと同様、杉村さんにとっては生きがいの無い世界なのかなと思ったりもします。
供養について - Name: 奈津 No.1044 - 2005/12/23(Fri) 23:41:32
みどりやさん、こんばんは。
郁姫が供養されたというのはおもしろい見方だなあと感じました。
そうか、『砲台山』で杉村さんは供養されたから、deepには出てこなかったのね。杉村さんの場合は、幸せにはなれてないけど、忍君に引っ張り回されていろいろ心の整理はついたと思うので、きっと納得して昇天したと思います。
市枝さんは『砲台山』で不完全燃焼だったから、deepで供養されたんですね。きちんと成仏できたことでしょう。
そうやって、一人一人不幸せなキャラを供養するためにdeepはあったと考えると、それはそれで悪くないです。ルナ姫とかソニーリンクスもきちんと供養していただきたいです、私。続編もないとは言い切れないdeepですから、その点において期待したりして。。
deep & 雑記帳 感想3点 - Name: みどりや No.1043 - 2005/12/22(Thu) 12:57:58
・郁姫があのような形で供養されたのには、びっくりしたが感動もした。
・陽子タンは、結局、幻魔シリーズの中では供養されず仕舞いか。残念。
・しかし、女教祖を梯子掛けて屋根に乗っけたのはおまいかよ。屋根の上で何するかは自己責任で、梯子掛けて上に上らせた人間は責任0でいいのかよ。
RE:PDABOOK.jp情報 - Name: みどりや No.1042 - 2005/12/21(Wed) 12:49:10
> BLUE LADY、2週連続1位。メガビタミン・ショックも3位。
> http://pdabook.jp/pdabook/bin/product_ranking.asp?division=100
なんで、1位と8位にあるのかと思ったら、.bookとPDFは、別物扱いなんですね。
さて、deepを読み終わって、再読しようかとも思ったのだが、1巻に戻るのにカタログをみた際に以前に出鼻をくじかれたbug fixされた地球樹の女神が、みつかったのでそちらを読み始めてしまった。
これを読み終わったら、BLUE LADYを購入、読書し、また他のライトノベルの読書に戻ると思うので、deepの再読はしばらく見送りになりそう。
PDABOOK.jp情報 - Name: カナメ No.1041 - 2005/12/16(Fri) 12:42:14
アブダクション、PC版単体売り始まる。
http://pdabook.jp/pdabook/bin/qfind.asp?searchtype=publisher&publisher=eb&sort=2
BLUE LADY、2週連続1位。メガビタミン・ショックも3位。
http://pdabook.jp/pdabook/bin/product_ranking.asp?division=100
ワタシ読み落としてたのですが、メガビタミン・ショックってコミックパートだけだったんですね。買ってみようかな(笑)。
私には、「物語自体は、面白かった」 - Name: みどりや No.1040 - 2005/12/16(Fri) 06:42:34
元平井和正マニア?U世さん、ごきげんよう。
レス、ありがとうございます。
たしかに、あなたのおっしゃるとおりで、「鬼畜系」や「メガネっ娘」という単語からただちにゲームを連想したのは、私の側の問題だったように思います。
面白い情報、ありがとうございます。
>ちなみにぼくは「ブギーポップ」はきわめて優れた青春小説だと思うけど、ここからゲーム感覚をまったく感じることはできなかった。
この辺は、感性の問題で、私にはまだゲーム感覚を感じた理由を言語化して説明することができません。
何か思いついたら書きたいと思います。
それでは。
感想に意見や反論がでて、悪いのかね - Name: 元平井和正マニアU世 No.1039 - 2005/12/14(Wed) 19:45:36
ぼくはこの年齢でゲーム全般に詳しい方だと思うが、正直いうと鬼畜系という表現の仕方は、残念ながら、いままで聞いたことがない。平井和正のクリエイティブな表現でそうなったと思ったが、念のため、美少女ゲーム・鬼畜系で検索するとでてくるようだな。
おかげで美少女ゲームには、純情系と鬼畜系に分かれていることは理解した。一般人からみれば、どちらをやるやつも廃人であることには変わらないが、どうしてこうも温度差がでるのかは理解した。
18禁のなかには、パッケージからして、たしかにあまりよろしくない傾向の作品が圧倒的多数で占めているようだし、タイプムーンのゲームを購買しに「とらのあな」に行ったとき、90年代当初の美少女ゲーム雑誌に関与したぼくでさえ、あの売り場をみた時点で精神的にゲンナリした。レンタルビデオのAVコーナーでさえ受けたことがない、ある種、ゲロを吐き出したくなるような感覚だったので、平井和正がもしあの売り場をみたとしていたらギャルゲー=鬼畜系のエロゲーととっても仕方はないかもしれん。そういう意味では平井和正のある種の原体験が作品に反映したのかもしれん。
ただ、神を信じる作家が、あの売り場をみて、それを乗り越えて買うとは正直思わないがね。
タイプムーンの作品が面白いよ、と薦められて、もしくは某作家の後書きをみて、売り場までは行くかもしれない。だけど、あの状況をみたら、どうなるんだろう。
タイプムーンや某作家が褒め称えたエロゲーとかに手を出していないからこその展開なような気がするね。
あとメガネっ娘はゲームから生まれた表現ではないし、あえてぼかして書くが平井和正に極めて近い関係にあるひとが昔だしていたHPが、メガネっ娘に関したもののだったような気がする。それの影響ではないのかね。
「アブダクション」は、「気まぐれバス」単体ですでに完結している。
そう思うことができず、真のエンディングをめざし始めたのが、そもそもの間違いだと思うが、ゲームというジャンルから学んだ学んでいないとういうことには関係なく平井和正が「TrueEndを目指して試行錯誤」しながら執筆していたのはほぼ間違いないだろうね。
ちなみにぼくは「ブギーポップ」はきわめて優れた青春小説だと思うけど、ここからゲーム感覚をまったく感じることはできなかった。
上遠野自身の弁によれば視点が変わるのはコバルト文庫の某少女小説作家の影響らしいし。たしかにゲームは複数世界構造をみせるのには長けているジャンルであるけど、複数視点(つまりはプレイヤー演じるキャラが複数の)による世界の違いによってすべてを浮かび上がらせるのに優れた手法とは必ずしも言い切れないんじゃないのかな。複数視点により、すべてを浮かび上がらせる作品はゲームより、小説の方が圧倒的に多いと思うよ。
タイプムーンのゲームではほぼプレイヤー固定(変更している個所もあるけど)なのに対し、「空の境界」では複数視点制を置いていたのは、ゲームと小説の違いから起因しているものだと理解しているがね。
単なる感想を述べてるだけなんだど - Name: みどりや No.1038 - 2005/12/12(Mon) 02:44:30
元平井和正マニア?U世さん、ごきげんよう。
私は、自分が作品から何を感じたかの個人的体験を披露しているだけであって、何かを証明しようとしているわけでは有りません。
「鬼畜系」、「メガネっ娘」などという単語をどこで覚えたのだろうと不思議に思い、ギャルゲーを嬉々としてやっている平井和正氏を妄想し、
> 平井和正、ギャルゲー隠れ愛好者疑惑 - Name: みどりや MAIL - HOME No.772 - 2004/09/15(Wed) 12:37
と書いてみたり、
> ゲーム感覚? - Name: みどりや MAIL - HOME No.910 - 2005/06/14(Tue) 12:55
に書いたように
▼
アブダクションの主人公が魅力的ではなかったのに
物語自体は、面白かったというのが謎でした。
▲
という疑問があったので、その回答を自分なりに探し続け、自分なりの回答を披露したのが、
> ゲームプレーヤー・ナオヤ - Name: みどりや MAIL - HOME No.1010 - 2005/12/01(Thu) 12:36
です。
月姫を例に挙げたのは、単に『本≒ゲーム』を主張するのにレベルの同じ作品を対比させる上で、都合が良かったからに過ぎません。
そしてね、月姫は私の頭の中の分類では、ギャルゲーではなく、ビジュアル・ノベルになっている。
「フェイト/ホロウ アタラクシア」は、選択肢はあっても実質ゲーム性はなく、ただひとつのストーリーが進行していく。
電子出版が、単に、テキスト表示する場所を紙からディスプレイに変えただけなのに対し、ビジュアル・ノベルは、コミックやアニメ、映画と並ぶ新しいメディアだと考えています。
蛇足として、メーリングリストに
新作“ABDUCTION -拉致-”
に関して書いて流した文章の一部を再掲します。
Date: Sun, 24 Aug 2003 12:19:01 +0900
Subject: [hiraist:0159] 少年はTrueEndを目指す
▼
さて、新作に関しマルチエンディングと前述していますが、今は、
マルチエンディングというよりは、TrueEndを目指して試行錯誤しているのかなぁ
という感想を持っています。
すなわち、「気まぐれバス」に関しては、
>[hiraist:0058] Re: 非シリーズ作品!?
で感想を述べたとおり、全然、完結した気がしなかったのですが、
これがパソコンゲームのひとつのバッドエンドと考えれば、
いくつもの謎が未解決で残っているのも、全然完結した気にならないのも
納得がいきます。(納得していいのか?(笑))
全20巻でTrueEndに巡り合える保証もないんですけど(爆)
幻魔大戦シリーズも、ある意味、東丈が手を変え、品を変え
TrueEndを目指すといえないことも無いのですが、
ゲームをやっているような感覚はなかったです。
月光魔術團に関してもゲーム感覚とはちょっと違いました。
「人美さんが当たるを幸いこれをコマス、まるでエロゲーのようだ」との意の
コメントには笑えましたけど。
複数ルートから攻めて全体像を浮かび上がらせるといった構成自体は
特に新しい手法というわけではないのだろうけど、
それによりゲーム感覚をもたらす作品が、ぼちぼち出てきたような気がします。
・ブギーポップは笑わない
とか
・赤×ピンク
とか。
▲