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今までにない - Name: あめんほてっぷ No.913 - 2005/06/15(Wed) 20:52:42
> 冒険心それ自体は、評価に値しません。「面白さ」を度外視して、「いままでにない」「誰も書かなかった」物語を創ることは、それほど難しいことではないからです。

 あ〜そらそーですね。私もいくら勧められても、「虚航船団」は読めても「ユリシーズ」「フィネガンズ・ウェイク」を読み通すのは不可能ですから(^-^;)。

 前衛性とエンターテインメントのせめぎ合いの問題、このあたり、作者自身に啓蒙されて海千山千のツツイスト諸兄に意見を聞いてみたいところです。


最大パワーで ぶぅらぶらぁ〜♪(後半ネタバレあり) - Name: Sa−Q No.912 - 2005/06/14(Tue) 23:26:42
>カナメさん

わはは(笑)。実は最初入れ込む積もりで書き忘れてたのですが、ダウンジングは、ワタシも違和感有りまくりでした。

だって、考えてもみて下さいよ。
東丈が、例の「深沈とした美少年」面で何か考え込んでる……と思ったら、彼の脳裏には振り子がブラブラしてるッて(笑)。

思わず、「そうそう。『かぁぜもないのぉに ぶぅらぶぅらッ』と……ッてオイ!」とノリツッコミの一つもカマしたくなるッてもんです(ワタシだけか(笑))。

>>
・主人公は無敵かつモテまくり
・襲いかかる危機も、なんとなく奇蹟が起きて解決
普通に考えて、こんなお話が面白いわけないじゃないですか。それがそこそこ以上に面白く仕上げてしまうところが不思議というか、平井和正の凄いところですよ。
<<

まさにそうなんですよね。

仰るように「ベクトル感覚」という面においては、「スタミナ問題」というか、息切れ感は否めないと感じます。

しかし、何故か『インフィニティ・ブルー』の時のようなダレは感じずに読めてしまいました。まぁ、「週一回のお楽しみ」というヒキはあったかと思うのですが。

とはいえ、「襲いかかる危機」はともかく、「”敵”との対決」という面においては、ワタシは良くて辛勝、ぶっちゃけて言えば痛み分け、という結果も含めて、割と「緊迫感」を感じました。

以下、かなりネタバレ度が上がりますのですこし改行をお許し下さいまし。












読み進める間、ワタシはどーも「東丈のパワーが最大値を示す世界」というのが、胡散臭く感じてました。

だもので、もし仮に、”敵”が物語の進行中に推測されてたような「スタイリッシュ」な敵、であるとするなら、何故、東丈はワザワザ敵の土俵に上がるような真似をするんだろう。。。というのがずっと気になってました。

杯を交わした KOBUN 達に対する義理からなのか、あるいは何か他に成算があるのか、その変が気になってるうちに、最後まで引き込まれた、ような印象があります。

結局、「東丈のパワーが最大値を示す世界」が(東丈にとって、あるいは「試行錯誤」の主、宇宙意識にとって)なんだったのかは、未だ良く分からないんですけど(笑)。

ともあれ、『ABDUCTION』シリーズや『Bohemian Glass St.』に比べると、「試行錯誤」する意味が(あくまで、相対的に、ではありますが)分かりやすいのは、個人的にはダレなかった理由の一つではないか、と思っています。


ボーナス一括で。 - Name: カナメ No.911 - 2005/06/14(Tue) 17:40:12
みどりやさん、どうも。まあ、「CD-ROM買います」ってことなら、『後払い』でもいいんじゃないですか。それはともかく。

> ゲームの主人公には強烈な個性は逆に邪魔なだけなのかもしれない。

そうはいっても、小説はゲームみたいに、自分で選択肢を選べませんからね〜。
ああそうか。作者がてめーひとりで、振り子片手にゲーム感覚を楽しんでやがるのか。困った作家だなあ(笑)。


ゲーム感覚? - Name: みどりや No.910 - 2005/06/14(Tue) 12:55:06
>金を払った人間だけが、コキ下ろす資格もあるのです。
すいません。まだ、何も語る資格はないのですが、

>・主人公は無敵かつモテまくり
>・襲いかかる危機も、なんとなく奇蹟が起きて解決
これって、ギャルゲーの面白さに通じるのかもしれませんね。

私にとっては、人美ちゃんもジョナサンも魅力的でした。
アブダクションの主人公が魅力的ではなかったのに
物語自体は、面白かったというのが謎でした。

ゲームの主人公には強烈な個性は逆に邪魔なだけなのかもしれない。


古い奴ほど新しいものを欲しがる、てな歌がありましたが。 - Name: カナメ No.909 - 2005/06/14(Tue) 00:51:20
ダウジングって、どうなんでしょ。
まあ、作者がド本気で信じてるってのは、よーく伝わってくる。ワタシはオカルト/面白不思議大好き人間なので、マークシートのテストを振り子で満点がとれるかとか、実証してもらえまいかと真面目に思ってしまうのですが。
だが、ダウジングの真偽はこの際どっちでもいい。ウルフガイの天使と悪魔のように、スクエアな読者をドン引きさせてしまうリスクもあるが、そんなことよりなにより、物語の小道具として、あまりにも“華”がない。
天才・平井和正の超斬新な感性に、ワタシがついていけてないだけかもしれませんが(←イヤミに見えてしまうのはなぜだらう?)、皆さまのご意見を聞かせてください。以下はSa−Qさんの発言へのレスです。

> 「東丈なんだけど、東丈じゃない」という戸惑いに関しては、良く分かる気がしま
> すが、私自身は、読んでる間はそれほど気にならなかったのですよね。


80's幻魔大戦との対比における違和感を抜きにすれば、近年の平井作品の特質である「ライノベの皮をかぶった呪術小説」として、月光以降では最も面白い作品だったと思います。それがまた不思議でね。東京丈さんの意見ともカブるけど、
・主人公は無敵かつモテまくり
・襲いかかる危機も、なんとなく奇蹟が起きて解決
普通に考えて、こんなお話が面白いわけないじゃないですか。それがそこそこ以上に面白く仕上げてしまうところが不思議というか、平井和正の凄いところですよ。ウルフガイや幻魔大戦のような、肺腑をえぐられる域には及ばないにしても。この謎を解くまでは、ファンはやめても平井和正研究はやめられませんわ。人生の余暇の1割程度を捧げて悔いなし。

> 「二十年前の怨念に満ちた平井和正が書くはずだった、かもしれない幻魔大戦」に
> 籠もるであろうソウルは、「今の時代の日本」では生きていけない、気もします。


ん〜、やはり時代の潮流なんでしょうかね。
無関係ではないと思いますが、長いこと「同好の士と集まって、平井和正について熱く語り合う」ことをやってきた身には、まるで作風の変化と同期するかのような、平井先生の気性の変化とともに、「ファン像の変化」をひしひしと感じずにはいられんのですよ。それはもっとグローバルな、ネット社会、さらには世間全般にも言えることなんですけれども。
ん〜、古い男なんでしょうかね(笑)。


あの持論はどうなったのかなあ。。 - Name: 奈津 No.908 - 2005/06/12(Sun) 23:48:22
5/8の近況+では「絶対に成り行きが(自分自身にも)読めない小説、という課題を自分自身に与えた」と書かれてあったのですが、私はこれを読んだときに不思議でならなかったのですね。
平井和正自身、これまで「小説は感情である」と主張してきたのではなかったか?はて?

徳間書店『キンケイド署長』のあとがきに以下のように書かれてありました。

「これは私の信念なのでありますが、小説の根幹部分は、登場人物達の具えている感情である、と確信しております。いかなるストーリーの目もあやな華々しい千変万化、舞台設定の面白さがあろうとも、それはあくまでも二次的なものであって、登場人物の感情を描いて行くことこそ、小説の神髄である。それが私の持論です」

近況+に書いてあることと、このあとがきは食い違っているように思えて混乱しておりました。だってあまりにも堂々と書かれてあるんですもの。
それともいつの間にか信念は変わっていたのだろうか?はて?

私には平井和正が言うところの言霊が何であるのがよくわかりません。
しかし、東丈と三千子を再登場させたからにはそれなりの必然性があったからなのではないかと考えていました。書きたいものが、描きだしたいことが、語らせたい何かがあるから創作するのではないのかと思っていたのでした。でも、成り行きが読めない小説を課題にして、幻魔大戦の世界が描けるとはちょっと思えないのでした。振り子と相談するっていうのもよくわからないし。ひょっとしたら平井和正には内的必然性によって描き出したい世界はなかったのでしょうか・・・自分で書いて、が〜〜〜ん。。(>_<)


絶望・断念・福音・物語 - Name: Sa−Q No.907 - 2005/06/12(Sun) 22:53:15
いや〜、皆さんそれぞれの見方があって、面白いデス。

カナメさんの仰る、「東丈なんだけど、東丈じゃない」という戸惑いに関しては、良く分
かる気がしますが、私自身は、読んでる間はそれほど気にならなかったのですよね。

No.901 でカナメさんご自身の「理性」が仰ってるコトに、些末ながら付け加えるとすれ
ば、そもそも『幻魔大戦』『真幻魔大戦』の世界(及び、東丈という存在)は、宇宙意識
達の「試行錯誤」の結果であったのですが、決して「到達点」では無かった。
『幻魔大戦deep』は、今も続く「『世界』及び『東丈』という存在についての試行錯誤」
の「実況中継」だという気がしました。

私自身も、『幻魔大戦』『真幻魔大戦』を読んでいた時には「この世界(『幻魔大戦』
『真幻魔大戦』のどちらか)が到達点なのではないか」と半ば無意識に考えていたと記憶
していますが、これはもう、「試行錯誤」は永遠に続く、というコトなのかもしれません
(笑)。

なんの根拠もない「思いこみ」ですけれども。「二十年前の怨念に満ちた平井和正が書く
はずだった、かもしれない幻魔大戦」に籠もるであろうソウルは、「今の時代の日本」で
は生きていけない、気もします。

それは、私自身にとっても一抹の悲しみを感じるものですが、「断念」せざるを得ないの
だろうな、という気もします。


偉大なる反面教師 - Name: カナメ No.906 - 2005/06/12(Sun) 22:08:40
あめんさん、だがやさんのいう講演会での言葉はよく覚えています。そのときに「あらら、ちょっとヤバいかも」と思ったものですから。近年の作品の読者離れは、間違いなくこの「過ぎたる前衛主義」あると思います。

冒険心それ自体は、評価に値しません。「面白さ」を度外視して、「いままでにない」「誰も書かなかった」物語を創ることは、それほど難しいことではないからです。未曾有の物語が、なおかつ面白く、人々を驚かせ、無数の模倣を生み、文化の歴史を変える。その結果が評価されるのであって、マズい創作料理をつくったところで、そらこんな料理だれも作りませんわ、という話でしかない。

ヒネクレ者のワタシは、どうも先生が「前衛に逃げている」ような気がしてならんのです。カレーでナンバー1になろうと思えば、熾烈な競争に勝たねばならない。無国籍の創作料理なら、そもそも競争相手がいない。いかにもプライドの高い先生が、無意識のうちにやりそうなことではありませんか? 実状は紙の本を出したくても出せないのに、いかにも自分の意志で紙の本を捨てて、eブックに志をもってます、ってなポーズにも、それを感じるんですよねえ。

創作者のハシクレとしてのワタシのモットーは、ありきたりを恐れるな、です。面白い物語の骨子なんて、どれも似たり寄ったりなもの。ありきたりな物語のなかに、自分だけのエッセンスを込める。それがオリジナリティだとワタシは思う。まあ、創作を五十年近くも続けていると、いい加減確立された・した方法論に倦んでくるのかもしれませんが。

しかし、ぶっちゃけ、いまの平井和正に「やろうと思えばベストセラー小説が書ける」とはとても思えない。そんな簡単なもんじゃない。第一、ウルフガイや幻魔大戦だって、こうすれば売れると計算して書いたわけじゃない。自らの指向と時代の潮流がシンクロして起きた奇蹟。それにしたって、“力”があったからこそできたことで、いまはその“力”に衰えが見られる。根本は、結局そこなんでしょう。平井先生ご自身がそれを認めないのはしょうがないとしても、読者はそろそろそのことを直視すべきではないかと思ったりします。とっくにそう思ってるか、普通の読者は。

それとも、ワタシは自分の愚かさによって、平井和正の近作の真価を見過ごしているのでしょうか? その一抹の疑問が、平井和正の観察と分析をやめられずにいる理由かもしれません。まあ過去さんざん、なぜ地球樹の魅力がわからん? このボンクラどもめが! てな調子でさんざん悪態ついてきましたからねえ、アッハッハ。ここへきて、なぜこんな小説をありがたがる? この太鼓持ちどもめが! といっちゃうのも、なんかねえ。まあ、いまでも地球樹の魅力がわからんヤツはボンクラだと思ってますけどね、アッハッハ。


今回はまだ金払ってないけど - Name: だがや No.905 - 2005/06/12(Sun) 14:59:12
 創作者ならどこにもない物語、誰の想像もつかない物語を作り出すのに腐心するものなのか?
平井さんは「あらゆる物語の原型は神話にある。その原型にとらわれない話を作りたい」というようなことを言ってませんでしたか?

 ただ最近の作品は下の丈さんの言われるようにご自分の書かれた物語にとてもよく似た展開が多いんですよね。
最近の作品の中で自分が好きなのは「月光〜DNA」と「きまバス(単体)」
この2作は主人公が自分で行動して自体の解決にあたっているからなんです。

 どの作品も冒頭はものすごく面白くて途中から変わってしまう件、カナメさんは作家としてのスタミナと言われるのが凄くショック。
それなら、短編作家に転向していただけると嬉しいかも。
言霊が途中で帰っていっちゃうのか?


興味深い。 - Name: あめんほてっぷ No.904 - 2005/06/12(Sun) 09:44:30
 携帯はウィルコムのAirEdgePhoneなんで、パソコン用ファイルの配信待ちではあるんですけれど、感想興味深く読んでいます。

 講演だったかエッセイだったか失念しましたが、「古来からある『物語原型』からはずれていながら面白い小説」が書けないものか模索している、というふうな意味のことを平井さんが言っていたことがあったかと。

 「主人公に目標を与え、それを邪魔することによってストーリイが出来る」というのは小学館「めざせ!マンガ家」にも書かれている古典的なプロットづくりの定石ですが、ウルフガイにしろかつての「幻魔」にしろ、まさにこの手法を駆使した、極めきった職人芸だったと思います。

 ところが今は、この「原型」からも逸脱していこうとしているかのように見えますね。

 筒井さんが、「ことば」さえも解体していったように、平井さんは「物語」を解体しようとしている、あろうことか、ストーリイの進行を振り子にゆだねて、自らの裡にある「原型」からの影響を努めて排除しようとしている。

 私には、そういうふうに見えますがいかがなもんでしょう。

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