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幻魔大戦deep四巻の上下巻読了(ネタバレ) - Name: 東京丈 No.923 - 2005/07/05(Tue) 21:45:01
「血縁など何の意味もない。魂で結びついたファミリーこそ大切なんだ」
DOCOMOでは一話ずつ削除しないと続きが読めないので、思わず記憶モードで書いてしまいましたが、小説中で東丈は概ね上記のようなことを語ります。これはボヘミアンガラス・ストリートで描かれた円クンとファミリーの関係と似通っているように思います。そういえば、17歳の肉体に若返った東丈の妖精じみた振る舞いは、どことなくフォースが入った円君に良く似ています。
もしかすると幻魔大戦deepは、多元宇宙で人をレスキューしてファミリーに加えてゆく、というボヘガラとほぼ同じ趣向で描かれている作品であると解釈することができるかもしれません。
自由気ままに振る舞う東丈を見ているとボクなどは、どうしてもボヘガラを連想せずにはおられないこの作品ですけども、実は事態はそんな単純ではない気もするのです。
もしかして……これは……幻魔大戦にて超能力を否定し、言葉だけで戦おうとした東丈が、真のサイキック能力をリミッター無しにフルで行使した――つまり読者が読みたかった、積極的に超能力を行使した丈の――物語ではないでしょうか。
deepの東丈が今までの平井和正の主人公とは異なるのは、東丈は依然『魔法使い達の仲間』でありながら、ナオヤやジョナサンとは異なるアプローチをとることです。たとえ世界を移したとしても、たった一人の女性とその家族への思慕は世界を移っても変わることが無く、丈が選択するのは常に彼女との再会の旅なのです。これは世界毎に異なる女性をレスキューしてゆく最近作とは一線を画す特徴であり、真幻魔において語られた丈とルナ王女との邂逅シーンを思わす純粋さを、ボクはそこに見いだします。
それだけに、丈とみゆきの会話は、涙が出るほど切なく、美しいのです。
それと東丈が象徴的に語るセリフ「人生とは追憶そのものだ」ですが、これはおそらくdeepを読む上での重要なキーワードになるのでしょう。この丈の科白は非常に印象的で、忘れることができません。
最近作では呪術師という、旧弊な倫理観では理解できないぶっ飛んだ主人公が多かったわけですが、願わくば東丈にはこの調子を最後まで貫いて戴きたいと思っています。ルナ王女への想いを告げて宇宙に消えた真幻魔の丈のように、常にたった一人の女性だけに忠誠を誓う騎士でいて欲しいのです。
冒頭で引用した丈の誓約、「血縁など何の意味もない。魂で結びついたファミリーこそ大切なんだ」を、彼が自ら反故にすることがないことを切に祈ります。
>カナメさん
>この文言ですが、幻魔大戦deep3巻に実際に書かれたものでしょうか?
DOCOMOでは一話ずつ削除しないと続きが読めないので(ヒツコイ?)、忘れてしまったのですが、このような対話は確か三巻の終わりの方にありました。但し、引用文はボクの創作です。へたっぴいですけども(^_^;)
もしかして創作? - Name: カナメ No.922 - 2005/07/05(Tue) 12:59:09
▼「梅雨なのに雨が降らないなあ」四国などは既にダムが空っぽの状態だというのに「このままだと夏が大変なことになるぞ」▲
この文言ですが、幻魔大戦deep3巻に実際に書かれたものでしょうか? であれば、章題などの箇所を教えていただけると助かります。auの電子ブックビューアには検索機能がなく、正確な確認が取れないので。
話は変わって、平井和正の漫画の評価は、『めぞん一刻』を境に一変していると思うんで、だがやさんの主張にも、ちょっと同意できないんですね。平井和正が「原作」とは名ばかりの、いわゆる「箱書き」を嫌悪していることは、だがやさんの言うとおりだと思いますが、同時に漫画の吹き出しの洗練性を高く評価していることは、多くのエッセイでのコメントからも明らかなので。
漫画のネーム - Name: 東京丈 No.921 - 2005/07/01(Fri) 21:33:34
マンガのネームも、あれはあれで計算され尽くされた表現手段の一部なので、莫迦にしたものでもないとは思いますが、カナメさんやだがやさんがお書きになったこともご尤もだと思います。
ボクとしては、自分の三章まで読んだ印象が、アブダクまでの平井和正とはひと味違うテイストに感じられた、ということを素直に表現してみたわけです。
だもので、勿論四章以後を読んで、上の印象ががらりと変わることは充分ありえますです(^^)
ただ、今三巻(下)を再読しているのですが、たとえばこんな文章――
「梅雨なのに雨が降らないなあ」四国などは既にダムが空っぽの状態だというのに「このままだと夏が大変なことになるぞ」
あまり上手いたとえではないですが、「」を略して二人の会話を最小限にしてしまう手法などは、完全に携帯に特化した表現ではないか、と思いませんか?
deepは読んでいないけど - Name: だがや No.920 - 2005/06/30(Thu) 20:38:08
小説を漫画のネーム的なものにするというのは、かつてエイトマンの原作とTV用脚本を書き続け文章が荒れて小説が書けなくなった経験を持つ平井氏に関してはありえないと思います。
漫画のネーム的な文章を書くことには憎悪なり、禁忌なり何かしらの感情をお持ちだと思うからです。
むしろ、世に言う新聞連載小説のように短い量で文章を区切ることに対して何らかのスキルを用いるというのなら、それもありだと思います。
しかし、今の平井さんは何よりご自分を第一の読者として小説を書かれているように思えるので、そういう配慮はないのではないかと想像します。
うーん、読んでないからとはいえ、俺の書く文章は「思います」しかないなあ。
何も断言しない男、それが「だがや」だ。(と断言してお茶を濁す)
auの振り子プレゼントは本日締切 - Name: カナメ No.919 - 2005/06/30(Thu) 18:02:02
東京丈さんの力作にどう応えたものか首をひねっていましたが、とりあえず次の部分については首を傾げておきます。結局、ひねったままかい。
▼だから携帯小説の送り手も、あまり手の込んだ表現はしなくなる。過度の繰り返しや、過去に起きた事象との差異をトリックにも出来ない。その結果、携帯小説はシンプルかつ漫画のネーム(略)的にならざるを得ない。▲
携帯というメディアが、読み手にとっての印象を本とは違ったものにするというのならともかく、平井和正がそのために書き方を変えたというのは「そうかなあ?」ですね。携帯はあくまで、販売の一手段。これからCD-ROMにもなるし、出版社からのオファーさえあれば本にもなるでしょう。「これまでとは違う書き方」をしていたとしても、その目的が「携帯で発表するから」だとは、ちょっと思えないんですよねえ。
幻魔大戦deep三巻の上下巻読了(アブダクションのネタバレ含む) - Name: 東京丈 No.918 - 2005/06/25(Sat) 08:51:35
スイスイと読めてしまうdeep三巻。携帯読者にパケ死にを気にしなくさせる
手腕は、やはり平井和正(以後作者)だなあと素直に感心。
でも何故か、三巻(上)を読んだ時点では感想が浮かばなくて。どうしてでしょ
うね? 確かにカナメさんがお教え下さった通り、三巻以降は東丈が出ずっぱりだ
ったことで、前回書いた懸念については解決しました。不満の一つは杞憂であるこ
とがハッキリしたにも関わらず、いつもの様に感想を他人に聞いて貰いたい病や、
またまた下司の勘繰りをせずにはいられない厄介な、裡なる衝動が一向に湧いてこ
ないのです。
いや、決してツマラナくはないンです。カナメさんやSa−Qさんが書かれた印
象と同じで、続きが気になる位には当然面白い。でも、夢中になれたかと聞かれれ
ば返答に窮しちゃうというか。何とも言い難い微妙な読後感に戸惑う自分が此処に
いるのであります。
でもやっと三巻(下)を通勤途中に一気に読了し、三巻の全貌がようやく見通す
ことが出来るようにもなったので、何とか感想の言霊を召喚してみたいと思います。
これって、感想を書かないと先を読めないという強迫観念かな(^^;;
三巻(下)にて丈は、とうとう美叡への操を曲げて『お母さん』と親しげに呼び、
心惹かれながらも「恋愛感情ではない!」と自らを言い聞かせていた相手、雛崎み
ゆきに求婚してしまいます。
#おいおいまた二股かヨ(^^;;
求婚に至るまでの丈の軽さといったら、これがまた奮ってまして三巻のラストで
は「(美叡とは)そんな仲じゃなかった。(そもそも叔父姪の関係だったのだから)」
とまで言い切る始末(補足予想が間違っていたらゴメン)なのです。
美叡との仲を無かったかのように振る舞う、東丈の仁義にもとる無軌道な言動は、
作者最近作の恋愛スタイル(主人公が取っ替え引っ替え女性にプロポーズする)に
も準じています。
にも関わらずそんな丈が、何故か意外にも(爆)、嫌にならない自分が不思議で。
丈の行動原理の示すものは、それぞれの平行宇宙に異なる『妻』を娶る、という
最近の作品構造からいっても明白。なのに何故か、直哉やジョナサンに抱いたよう
な小市民的な義憤を、東丈にはおぼえないのです。これはどーしたワケなのでしょ
う。
丈が五十がらみのオヤジだから許せるのか? 真逆。
もしや――これって慣れ、なのでしょうか? 真逆。
じゃあ何故なんだということで、ボクが丈の行動に拒否反応を覚えなかった理由
を考えてみました。
1)丈の雛崎みゆきへの感情が高まるに従って、美叡が遠い存在になってゆく:
――美叡が丈へ寄せる思慕の程はよもや消える筈はないのに、丈の雛崎みゆきへの
傾斜が深まるにつれて、美叡はまるで避けるように丈の前から姿を消す。
2)愛欲に溺れるシーンを、恋愛対象が変わったからといって繰り返さない:
――時間経過や章を改めることで、その『事実』を匂わせるに留めている。
3)女性が一目で虜になるフェロモンは、そもそも東丈のものだった:
――女性が一目惚れするなど、主人公のモテモテぶりは相変わらず健在なのですが、
丈にはかつて超絶美少年だったいう既成事実があるので、作者の他のどの主人公と
比較しても、フェロモンを発散する存在としては東丈は最も違和感ないキャラとい
える。あ、犬神明もね(^^)
月光魔術團以降のお約束、主人公が多くの美女と『致し』てしまう『呪術師の法
則』が、偏狭な倫理観の持ち主でしかないボクには何とも容認し難い最大の理由だ
ったのですが、ではなぜ三巻では『法則』が発動しなかったのか?
それは、『携帯小説』というジャンルの所為ではないか、とボクは考えています。
単行本や文庫のように、携帯小説はページ単位で文字を俯瞰することが出来ない。
ふと先ほど読んだページに戻って、気になった部分を見直すことすら不可能ではな
いにせよ、面倒で殆どしない。つまり、携帯読者はあの小さい画面に表示される文
字を先に送ることしか多分、しない。だから携帯小説の送り手も、あまり手の込ん
だ表現はしなくなる。過度の繰り返しや、過去に起きた事象との差異をトリックに
も出来ない。その結果、携帯小説はシンプルかつ漫画のネーム(吹き出しの大きさ
と携帯の液晶画面の大きさが似ているから)的にならざるを得ない。
世界を五回もやり直した(間違ってたらゴメンなさい)アブダクションシリーズ
は、連載やバラ売りの販売形態を採らずにCDーROM販売のみでした。全巻擱筆
後に発表されたという事情もあるとは思いますが、第三者の目を経ずに書かれた為
に、作者の実験的な意味合いが未だかつてなく強力だったように思うのです(傑作
『地球樹の女神』は、少なくとも第一部までは雑誌連載していた)。読者がアブダ
クションシリーズに戸惑うのも、そうした側面があったからではないかと。
ところがこのdeepでは、『携帯小説』に触れる新規読者の為に、作者の小説
スタイルをある程度見直す必要が生じたのではないでしょうか。月光魔術團以降の
作者の執筆スタイルがこれでまた変容するのであれば、ボクは諸手をあげて歓迎し
たい。
そういえば、本編の感想を全然書いていませんでした。
deep本編で五十代の丈や六十代の三千子の回想シーンから、時々明らかにさ
れる東丈少年の生い立ち――時には読者が当然承知の――や、高校時代の友人――
郁江や陽子――の消息に触れられるのが、ファンとしては堪らないですね。これが
目的で読んでいるといっても過言ではないし。
かつての幻魔&真幻魔の面影を重ね合わせながらdeepを読むのも、古くから
の幻魔ファンだけに与えられた至福の時間だとボクは思います。
皆さんの書評を拝読したり、三巻まで読んだ段階でボクなりに先を予測すると、
deepとはどうも東丈が重層世界を彷徨することで、重層世界の過去の一つで生
じた幻魔大戦の記憶を取り戻す物語のような気がします。今の段階ではそれが幻魔
か真幻魔の丈の帰還を意味するかは判りませんけども。
ともあれ、記憶を取り戻すプロセスを辿るうちに、ボク等読者とは初対面である
東丈@シニアが、だんだん高校生時代の東丈に遡行して行く話だったら面白いな、
と妄想を膨らませて今からワクワクしています。
ということで、三巻までで定額パケット量が限界に達してしまいました。四巻以
降の感想は七月かな?
久しぶりの本格エッセイ!? - Name: カナメ No.917 - 2005/06/22(Wed) 23:57:44
au端末をお持ちの方に緊急告知。
どこ読の『幻魔大戦deep』プレゼントキャンペーン(15名に振り子が当たる)に、いつの間にアップされたのか、平井和正メッセージ「振り子が秘めた宇宙意志」が公開されています。ちょっとした長文で、読み応えありです。怪力乱神を語る作家の面目躍如といいますか。
この手の四次元話は、常識を逸脱する面白さがある一方で、白黒をつけられないところに、座りの悪さを感じます。これがファンクラブの会報で、プロ作家が一読者の主張を辛辣に酷評しました。これってあり/なし? というような命題なら――同じ土俵で争うのに、プロもアマもない。いかに実力差があろうと、それは人間対人間。ありに決まっとるやんけ! というように自分なりの結論が出せるんですけどね。
ネットだからe迷惑? - Name: カナメ No.916 - 2005/06/17(Fri) 18:10:07
Sa−Qさんのいう作品のみを消費する、という考え方は真理だと思います。
ただまあ困ったことに、ワタシのような作家・平井和正を彼というキャラ(カリスマともいう)も含めて消費している読者にとっては、作品と作品外の言動は不可分なのです。極論すれば、ワタシは平井和正の人生というサーガを読んでいるのであり、作品はその一部でしかない、といっても過言ではありません。極論か過言でないのかどっちや。
さて、平井和正作品の変遷を作者の精神的道程と捉えるならば、平井和正は長く辛い波乱に満ちた旅路の末に、ついに幸せな我が家へとたどり着いたのかもしれません。それはまっとうな人間としては、祝福すべきことだとは思います(そりゃいくらなんでも、あんたは幻魔大戦書ききって死ぬべきだった、とは言えねーべ?)。でも、本音を言えば、ちょっぴり寂しい。これ以上、爆発的変化も進化も望み薄だと思うのは。
幸い、アイドルの追っかけに比べれば、一作家の作品ならびに言動をチェックする、金銭的・時間的負担などしれている(PCとか携帯の導入にかかる費用は、目的をそのためだけに考えるから高いと思うので、どちらもいつかは生活に入り込むものだ)。これからもこのほうっておけない人物を、些細なことで口に泡を飛ばしながら、見守っていきたい。
ああ、そっか。 - Name: Sa−Q No.915 - 2005/06/16(Thu) 23:25:11
一つ分かりました。
避けた方がより小説を楽しめるコト。それは「あまり作家の言うことを聞かない。特に『近況+』とか」(爆)。
いや、ワタシ、ズッと wolfguy.com も saltish.com 行ってないもので。
なんで、幸いにも(?)「雑音」(笑)に悩まされることなく、楽しめました。
振り子はともかく、多宇宙とか「新家族創造譚」とかに関しては、個人的には割と好きというか、感覚的に「安心できるマンネリ」(笑)というか、あんまり気にせずに読めてます。
殆ど、「水戸黄門見るジーサン状態」(爆)?
Re: 今までにない - Name: カナメ No.914 - 2005/06/16(Thu) 03:03:45
そしてまた、繰り返しになりますが、平井和正作品史の観点からすると、大して新しくもなっていないわけです。
いうちゃなんですが、幻魔大戦deepって、アブダクションの焼き直し以外の何者でもないですからね。
もちろん、アブダクションの多宇宙彷徨というガジェットを、伝説の名作・幻魔大戦にあてがった、その面白さは認めます。
ここは敢えて宣伝程度にネタバレをしますが、無印でも真でもない別世界の東丈が、多宇宙をシフトして《東丈が失踪した世界》へと迷い込む。そのスリリングさは、アブダクションのような完全新作では味わえないものです。
しかし、物語それ自体は、多宇宙というガジェットしかり、ダウジングという小道具しかり、世界だの人類だのより大事なのは家族というテーマしかり、平井和正作品の常連客には、あまりにもあまりにもお馴染みのもの。それがいかんとは言いませんが、『作家は、どうしても長年書き続けるうちに、自己模倣という罠に捕まってしまうものです。』などと言われると、さすがに「ハアッ!?」と口をあんぐり開けずにはいられないわけで。
近年の作品の読者離れは、間違いなくこの「過ぎたる前衛主義」ある(No.906)――と言ったばかりでなんですが、意外と読者離れは、マンネリのせいかもしれませんね。新しいことをやってるつもりが、繰り返し。前衛的でありながら、マンネリ。ちょっとこれは、深刻かもしれない。ワタシみたいに、口は悪いが金払いはいい読者とか、なにを根拠にそう思ってるのか知らんが、平井作品しか読まないくせして「平井和正最高」とか言っちゃってる一途な方々とか、そういう固定客から得られる印税だけで、残りの人生食うていけるんなら、それもいいでしょうが。