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記事No.1531に関するスレッドです


作家の意地を魅せたヤング・アダルトウルフガイ〜『若き狼の肖像』 - Name: カナメ No.1531 - 2017/06/26(Mon) 23:04:35
ヤング・アダルト犬神明というと、なんか白いブラックサンダーとか、かおりムシューダみたいで、どっちやねん! という感じですが、実際若い頃のアダルト犬神明のお話なんだから、しょうがない。その名も『若き狼の肖像』。

この作品は切り口が多くて、どういう風に書こうか迷う。まずは周辺事項から書いていきましょうか。
たとえば“言霊使い”を初めてあとがきで自称したのはこの作品であることは、ファンなら押さえておきたいですね。
その言葉を最初に使った(創った)のは、中島梓です。「別冊新評 平井和正・豊田有恒集」に載った評論で「言霊つかい」と云ったのがきっかけとなりました。なお、この評論は電子書籍として刊行された中島梓の平井和正評論集『狼の肖像』※に収録されています。むろん、「若き――」のタイトルも、中島梓の評論からとっています。
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M117L0W/

以後、平井和正は出版社の注文によってではなく、言霊という内的必然性の命じるままに小説を書くという創作姿勢を確固たるものにします。
しかし、その一方で、当時出逢った新宗教とそのカリスマ教祖の絶大な影響下にあって、『人狼白書』〜『人狼天使』を発表し、物語の質的変容ぶりで物議を醸した作者が、その宗教性とはまったく無縁の小説を書いたことに驚きを禁じ得ません。
まあ、犬神明が天使に出逢う前のエピソードであるし、当然そうでなければならない、当たり前っちゃ当たり前の話なんですが、でも、あの平井和正がですぜ? 思わずこう思ってしまうわけですよ。なんだ、やればできるじゃん――と。

この少し前に発表された※『死霊狩り』2〜3もそうです。原典漫画『デスハンター』を忠実にノベライズしていて、田村俊夫の前に天使が現れるといった物語の質的変容(漫画『幻魔大戦』→小説『幻魔大戦』のような)は見られません。
『死霊狩り』なんて、それこそ小説版からはバッサリ削除された漫画版「エピローグ」の部分を発展させて、天使時代の一大巨編にすることもできたはずでした。不定形生物と合体することで人類はより良く進化できるというフィジカル設定に、作者の宗教観はなじまなかったのだろうとは思いますが。

『死霊狩り 2』/「野性時代」1976年9月号掲載
『死霊狩り 3』/「野性時代」1978年2月号掲載

ここから結論できるのは、(云い方は悪いですが)平井和正は「まともな」小説が書けなくなってしまったわけではないということですよ。よくヘタクソな絵を「ピカソの絵」とか云ったりしますが、云うまでもなくピカソはヘタクソであんな絵を描いてるわけではありません。写実的な絵を描かせたら幼少時から神童と云われた画家が、常人離れした発想・感覚でキュビスムの世界に行き着いたのです。平井和正もまた、真っ直ぐのつもりで描いた線が曲がっているとか、全力で投げた球がスローボールとか、そういうことではなく、アダルト・ウルフガイの質的変容は、まさに意図的に舵を切っていたのです。ファン・信者としてのリスペクトとして、と同時にヒネクレ・イジワル読者のツッコミとして、云わせていただきましょう。ワルいひとだなぁ(笑)。

では中身ついて、触れていくことにしましょう。
本当に久しぶりに読み返しました。前回読んだのはいつだったか。ハルキ文庫版が刊行されたときか? でも、買うだけで読まなかったかもしれない(大いにあり得る話だ)。ファンクラブの機関誌で特集が組まれたときか? そんな特集が組まれたかどうかも覚えちゃいませんが。まあ、それぐらい超ご無沙汰でした。ストーリーのディティールなんて、すっかり忘却の彼方です。お陰でほぼ初読の新鮮さで、読むことができました。

つい忘れがちですが、犬神明ってライター稼業なんですよね。ルポライターの「ライター」の部分を見過ごしてしまうのは、物語にあまり描かれたことがないからでしょう。実際、彼の職業が物語の起点になったことは、ほとんどありません。『狼狩り』、『虎よ! 虎よ!』のいずれも芸能界マナベプロがらみの事件ぐらいでしょう。確かに「事務所の狼男」とか「人狼、締切りに死す」では締まらない。ウルフランド的に一編ぐらいあってもいいとは思いますが。
職業もののドラマで陥りがちなのは、ストーリーの軸である出来事以外のルーチンの業務がどこかへ消えてしまうことですが、学生トップ屋の犬神明は荒事師たち相手に大暴れするさなかにも、雑誌記事原稿の締め切りを忘れることはありません。荒事師たちをやっつけたあとも、勝利の美酒に酔うこともなく、締切間際の原稿書きに精を出します。特に水中銃のモリで利き腕に重傷を負いながらも、口述筆記(ウェイトレスのマキコ→事務員の田島昭枝)で乗り切るところなど、アクションと物書きの見事な融合というほかはなく、ウルフの文筆のお仕事にスポットを当てたシリーズ随一の作品として貴重です。

締切厳守の職業意識プロ根性は尊敬に値しますが、下半身はだらしないですねえ。一人称でカッコ良く語ってはいますが、なかなか最低なヤツですよ、コヤツは。

なにが飢えた狼と哀れな子羊だ。女は外見ではわからない。性的に飢えているこの痩せっぽちの娘が、おれを餌食にしたということにすぎなかった。

おれは自らを女の所有に帰すことをだれにも許すことができないのだ。おれは二羽の小鳥がくっつき合っているようなべたついた関係を絶対に持ちたくなかった。いざという時に世間並みの規範を乗り超える行為に自己投企することが不可能になってしまうからだった。

おれは決して鉄鎖につながれた従順な飼犬であることができないし、荒野にある一匹狼であることに対して孤高な誇りを抱いていた。

おれが心の底から慄然とするのは、餓鬼どもがけたたましく走りまわる家庭で、髪にピンカールをたくさんつけた女房と怒鳴りあうという光景だった。他愛もないことで苛立ったり、あるいはドメスティックな自己満足に充足する飼い殺しの恐怖だった。

そう思うんなら、女の子に手出しすんなよと。もちろん、そんなことは本人もよくわかってはいるんですが、どうも犬神明氏の精神構造は、月の満ち欠けに似て、躁と鬱の振幅が激しいようです。このあたり、少年犬神明の爪の垢でも煎じて飲んだほうがよろしいですね。ちょっとここへ来て座りなさい。お前はたかと出逢うまで、エッチ※禁止だ!
※一九六X年の君にそう云ってもわかるまいが、セッ●スのことだ。

上の引用は羊子というバーの女の子と一戦交えたときのものですが、別れ際に自宅や事務所の電話番号でなく、雑誌編集部のナンバーを教えられた彼女なんてまだいいほうで、ウェイトレスのマキコなんてことの寸前でおあずけをくわされた挙げ句、暴力団に拉致されて、ひどい目に遭わされてしまいますからね。かわいそうといったらない。
若いころのワタシは、こんな感想は持たなかったと思います。ひたすらウルフのカッコ良さにシビれていた。歳とともに感じ方も変わるものですね。

そして、もう少し作品を俯瞰して批評家的に語るなら、宗教に思いっきりカブれている時期に、これが書けたということに注目してしまいます。これが当時の作者自身の本心であるはずもなく、必ずしも思想や自我をストレートに投影した主人公や物語しか書けないわけではないことを証しています。

「マサヒロ! マサヒロ! 死ぬな、マサヒロ!」
 盤台面が悲嘆に暮れて叫んだ。
「兄ちゃんが悪かった! マサヒロ、死なないでくれよ! お前がぐれちまったのは兄ちゃんのせいだ! 頼む、死なないでくれよ!」


この冒頭に登場する暴力サディスト変態兄弟も、だったらもっとマトモに生きろって感じなんですが、人殺しを屁とも思わない残忍な殺し屋にも、兄弟の愛情はあるのだなという、妙な可愛気を感じて、印象に残っています。この兄弟の登場は冒頭のワンシーンのみで、以後登場はしない端役なのですが、こんな端役にも血を通わせる、こういうところ平井和正というひとは本当に名手ですね。妙な可愛気といえば、石崎郷子を崇め奉る妖怪じじいも、なかなかいい味を出していたのですが、それはまた後程。

石崎郷子さまが物語に登場するのは、そろそろ終盤に差し掛かろうかというところで、ずいぶんじらされました。出てきたときは郷子さまキタァァァーッ、って感じでしたね。同じ大学にいても「口だってめったにきいたことがない」というウルフの彼女に対する印象はすこぶる悪く、この物語では二人の関係にさほどの進展はありません。しかし、郷子もまた自分と同じ人間社会のアウトサイダーだとウルフが知るのは、もはや時間の問題でしょう。この物語の一件が、よそよそしかった二人の距離を一気に縮めたのです。

「お前に申し渡す。石崎郷子に近づいてはならぬ。あれはお前ごときが触れることはおろか、目をあげることすら許されぬ神聖なる者だ。あの女に接近した者はことごとく落命する破目になる。あの者は祟り神の御稜威そのものだ」

「あの者は大いなる祟り神の子孫であり、憑代だ。あの者を穢す下賤なる者があれば、皇国には災いが降りかかってくる。多くの困難が襲いかかってくるのだ」

石崎郷子を崇め奉る妖怪じじい。三星商事の会長室に自由に出入りしているが、三星の会長=郷子の祖父ではない。物語のそもそもの起こりは、この老人の妄執であった。ウルフの行動とは無関係に手打ちになった石崎郷子拉致事件※も、同業者・和田が持ち込んだFX戦闘機疑獄※も、読者を惑わすフェイクでしかなかった。
ウルフは「気の触れた右翼老人」といってドン引きしているが、ワタシは認める。あんたが云っていることは正しい。老人が見誤っていたのは、ウルフもまた石崎郷子に等しく、彼女の友にふさわしい古代神の末裔であったということだ。
ほうっておけば犬神明が自ら郷子に近づくことはなかったし、あたら老い先短い寿命を縮めることもなかったものを。やはり、ウルフと郷子を結びつけることが、彼の使命だったのでしょう。もうちょっと穏当にキューピット役を務められればよかったのにね。
※石崎郷子拉致事件
 ウルフの奮闘むなしく、石崎郷子はご帰宅されていた。妖怪じじいが手を回して解決したのだろう。河内老執事も、初めからこちらに頼めばよかったのに。
※FX戦闘機疑獄
 和田の口にした「右翼の領袖と結ぶ“黒幕”の老人」とは、この妖怪じじいと思われる。

もし「ヤング・アダルトウルフガイ」がシリーズ化されていたら、ウルフと郷子が親友になるまでのプロセスが描かれていたのかもしれません。この物語でそこまで描かなかったのは、それを温存していたのではなかったのかなと。
ウルフが強敵と認めたマック※や菊川※が、死闘を演じつつも勝負なしで生き延びたのも、続編への布石であったように思えます。アダルト本編にも、これほどの常人の強敵はいませんでした。アダルトにおける西城になれるキャラだったと思います。願わくば、読んでみたかったですね。
※マック
 妖怪じじいに雇われた殺し屋コンビの片割れ。相棒のタイニーは巨大漢の変質者で冒頭の荒事師兄弟と相似形だが、こちらはコンビ間の友情は皆無。犬神明をして「満月でもない時期に喧嘩するには手強すぎる相手」と云わしめたプロフェッショナル・キラー。
※菊川
 妖怪じじいの護衛。手裏剣などの古武具を用いる剣客。犬神明いわく「こんなおっかないファイターにはほとんどお目にかかったことがない」。妖怪じじいへの忠誠心は本物。

そういえば、綿貫一平には何もコメントしてませんね。う〜ん、特に書いておきたいことはありません。


Re: 作家の意地を魅せたヤング・アダルトウルフガイ〜『若き狼の肖像』 - Name: カナメ No.1532 - 2017/06/26(Mon) 23:31:52
これで、アダルトウルフガイ再読マラソンを終えました。ずいぶん長くかかってしまいましたが、こんなものはまだまだ序の口です。平井和正ワールドの大冒険は、まだ始まったばかりだ(笑)。次なる冒険は「幻魔大戦を発表順に読む」だ。


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