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良太掲示板

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カケラ / 良太
「カケラ」 湊かなえ著 集英社文庫 読破

イマイチよくわからなかったのでもう一度読むことにしよう。
湊かなえさんの小説は難しいんだよね。
歴史小説とかは流れと結果がわかっているので読みやすいのだけど。
誰の視点で書かれているかよくわからなかった。。
美容外科医かい。。

No.5651 - 2023/05/17(Wed) 20:34:28
教場 / 良太
「教場」 長岡弘樹著 小学館 読破

警察学校の話でした。
40名くらいいて
登場人物が多くてイマイチ分かり辛かったです。
警察学校も結構いろいろ辛そうなことがあるんだなぁ。
私は夜学の大学を中退してしまったので
資格が欲しくて職業訓練校にいったのですが
自衛隊みたいな所かと思っていたのですがゆるかった。
いろいろイヤな目にはあいましたが。。
大学も卒業したかったなぁ。。。
世の中には悪い奴がたくさんいる。
そうい人とも要領よくつきあっていかないといけないんだよなぁ。
私にはそれができませんでした。

No.5650 - 2023/05/15(Mon) 17:57:00
勝手にふるえてろ / 良太
「勝手にふるえてろ」 綿矢りさ著 文芸春秋 読破

恋愛小説でした。
主人公は男性経験のない26歳の女性。
一番好きだったのは中学の時の同級生。
最近、同窓会で会うことができて
二人とも上京していた。
しかしその後の進展はあまりなかった。
他に言いよって来る人はいたが
その人のことが忘れられず
他の人を好きになれなかったのだ。
私も好きな人とはつきあえなかったり、
結婚できなかったりしたけど
眼が悪かったり不安障害があって働けなくなって
しまったのでしょうがない。。。

No.5649 - 2023/05/14(Sun) 17:07:59
エクリチュール 新人作家・杉浦李奈の推論8 / 良太
「エクリチュール 新人作家・杉浦李奈の推論8」 
松岡圭祐著 角川文庫 読破

太宰治の遺書がみつかったけど
鑑定中に燃えちゃった。
何が書いてあったのか、コピーはないのか、
っと大騒ぎになったが。。
私は太宰治の人間失格を過去に5回くらい読もうと思ったが
いずれも3ページくらい読んでつまらなくてやめた。
この松岡圭祐さんの本を読んでまた読んでみようかと思った。
松岡圭祐さんはなんでも書けてすごいね。
しかし私の知り合いの名前を使うのはやめてもらいたいのですが。。

No.5648 - 2023/05/13(Sat) 21:42:39
徳川家康 26 / 良太
「徳川家康 26」 山岡荘八著 講談社 読破

世の中から戦争がなくなることはないっと真田昌幸は言った。
関ケ原の戦い後、戦争は終わったと思ったが
大阪の陣はおこった。
しかし真田昌幸はすでに亡くなってていた。
真田昌幸から教えを受けた真田幸村が戦ったわけだが。
それに対して家康は泰平の世を築くと誓っていた。
秀頼をころしてしまったことが大変残念だったようだ。
家康は大坂の陣から1年たった1616年に亡くなった。
海外から伝わった天ぷらにあたったようだ。


No.5647 - 2023/05/12(Fri) 17:48:46
徳川家康 25 / 良太
「徳川家康 25」 山岡荘八著 講談社 読破

1615年、大阪夏の陣がはじまった。
豊臣側は大阪城の濠を埋められてしまったので討ってでることになった。
しかし、後藤又兵衛などの武将も相次いで倒れていった。
翌日、大阪城をまくらに真田幸村などが陣をしいた。
真田幸村の影武者が7・8人いたようだ。
関ケ原以来幸村についてきた家臣たちだった。
幸村を討たせないためではなく、方々で全員で攻め攪乱する作戦だった。
ちなみに家康の影武者も5・6人いたらしい。
これは家康を守るためだった。
とにかく情報戦だった。
誰々が寝返ったとか誰々の首をとったとか流言が乱れ飛んだ。
豊臣側もよくがんばった。
入り乱れて乱戦となった。
将軍秀忠の前まで7人が到達したようだが、
徳川家の師範の柳生宗矩に皆斬られた。
家康の本陣にも真田幸村が3度突入したが家康を討つことはできなかった。
家康の影武者は一人も残らずやられたようだ。
生き残ったのが影武者で本物の家康はやられたのかもと私は思っている。
真田幸村も力尽き、大阪城は焼けて豊臣軍は敗れた。
家康の孫で豊臣秀頼の妻の千姫が淀殿と秀頼の命乞いにいったが、
家康は助けようと思っていたが将軍秀忠はゆるさなかった。
淀殿や秀頼は命をたたれた。

No.5646 - 2023/05/08(Mon) 11:42:20
徳川家康 24 / 良太
「徳川家康 24」 山岡荘八著 講談社 読破

徳川家は豊臣家をつぶそうと思っていた。
家康は豊臣秀頼や淀殿をころそうとは思ってなかった。
ただ大阪城にいるのはおもしろくなかった。
奈良にでも国替えしようとはかっていた。
徳川家と豊臣家の仲が悪くなると
豊臣秀吉が築いた大阪城に浪人が集まりはじめた。
その数、15万人。
関ケ原で敗れて浪人していたものがたくさんいたのだ。
徳川側は30万の兵で大阪城を取り囲んだ。
豊臣恩顧の福島や加藤などは兵糧は融通してくれたが兵は出してくれなかった。
伊達政宗や毛利や島津も徳川側に加わって兵を出していた。
大阪冬の陣がはじまったのだ。
しかし、徳川側が大砲で大阪城を攻撃しはじめると
大砲に怖くなった淀殿はすぐ家康と和睦してしまった。
大阪城の濠(ほり)を埋めることが和睦の条件だった。
しかし外濠だけを埋める条件だったが内濠までみな埋められてしまった。
もう大阪城で籠城することはできない。
しかし家康が駿府に帰るとまた大阪城に浪人が集まり始めた。
家康はまた大阪城を攻めることになった。
大阪夏の陣がはじまる。

No.5645 - 2023/05/06(Sat) 06:29:20
今日のミューズパーク / 良太
今日のミューズパーク
2023年5月4日(木)
GWでたくさんの観光客が来ています。

No.5644 - 2023/05/04(Thu) 16:47:09
今日のシャクナゲ / 良太
今日のミューズパークのシャクナゲ園
2023年5月4日(木)
階段を降りたり登ったりが大変でした。。

No.5643 - 2023/05/04(Thu) 15:45:05
20歳の自分に教えたい地政学のきほん / 良太
「20歳の自分に教えたい地政学のきほん」 
池上彰著 SB親書 読破

ランドパワーとかシーパワーとか地政学的なことが書いてありました。
特別新たにわかったこととかは無かったけど
確認になりました。
池上彰さんの文章はわかりやすくて良い。

No.5642 - 2023/05/01(Mon) 16:49:16
徳川家康 23 / 良太
「徳川家康 23」 山岡荘八著 講談社 読破

豊臣家の大阪城には秀吉が集めた大量の金があった。
家康は金を使わせようと豊臣家に神社仏閣を作るように命じた。
豊臣家は秀吉を祭った神社を作ったがその鐘が問題になった。
国家安康 君臣豊楽という字が書かれていた。
徳川家は国家安康は家康の字を分断して呪っていると
イチャモンをつけたのだ。
豊臣家と徳川家の関係はいっそう悪くなった。
徳川家では豊臣家に三つの条件を出してその一つを実行しろという。
淀殿を江戸に送ることと大阪城を明け渡すことと
秀頼が江戸へわびに来ることだった。
豊臣家ではどれも受け入れることのできないものだった。
大阪城には金がある。浪人が集まり始めた。
関ケ原で負けて浪人しているものがほとんどだった。
真田昌幸は何年か前に亡くなったが真田幸村も大阪城に入った。
大阪側が勝てば浪人だった人たちが一躍大名になれる。
大阪城で籠城すれば、伊達政宗や毛利や島津が兵をあげるかもしれない。
旧教のフィリップ大王が軍船と大軍を送ってくれるなどどいう噂もあった。

No.5641 - 2023/04/30(Sun) 11:16:50
徳川家康 22 / 良太
「徳川家康 22」 山岡荘八著 講談社 読破

金山を取り仕切っていた大久保長安がしんだが、
調べてみると国に入れる金よりも
長安が着服していた金の方が多かった。
しかもあやしい連判状も出てきた。
家康が新教のウィリアムアダムスを重用していて
旧教側はおもしろくなかった。
旧教側は大阪の豊臣家について
家康に反抗して国を奪うなんて噂ももちあがっていた。
関ケ原以来、平和が10年続いていたが
きな臭い話になってきた。

No.5640 - 2023/04/24(Mon) 15:14:17
徳川家康 21 / 良太
「徳川家康 21」 山岡荘八著 講談社 読破

旧教のソテロは病院などを無償で作ったようだ。
そのソテロは伊達政宗の側室に外国人を世話した。
金髪だったらしい。
関ケ原以降、気概のある者ものといったら伊達政宗くらいになっていた。
秀頼が16才になったら豊臣家に政権を返すと
家康は約束していたがそれは守られそうになかった。
家康は淀殿を江戸に住まわせるか、
大阪から神社仏閣の多い奈良に移封しようとしたが
そんな話がまとまるわけがなかった。
淀殿と家康は家康が大阪城に入った折に関係があったといわれている。
21巻で1609年くらいまで進んでいる。
秀頼の成長が速いか家康がしぬのが速いかっといわれていたが、
家康がしんだら秀頼に眼をかけてくれる人はいなそうだった。
家康はかわいい孫の千姫を秀頼につかわせているのだ。
佐渡の金山とか金山の話が多く書かれていた。

No.5639 - 2023/04/21(Fri) 11:06:23
今日の秩父神社 / 良太
今日は秩父神社を見てきました。
2023年4月20日(木)

No.5638 - 2023/04/20(Thu) 14:00:01
今日の羊山公園の芝桜 / 良太 [関東]
羊山公園の芝桜 2023年4月19日(水)
見頃となっております。

No.5637 - 2023/04/19(Wed) 17:57:10
街とその不確かな壁 / 良太
「街とその不確かな壁」 村上春樹著 新潮社 読破

壁と聞いて「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を
想像したけどやはりその壁だった。
これを読んでないとこの本が理解できるかは不明。
私は読んでおいた方がいいと思うj。
影が壁の世界から脱出して主人公は元の世界に戻ってこれたが
本体は壁の世界に残ってたんだな。

No.5636 - 2023/04/15(Sat) 07:41:25
今日の羊山公園の芝桜 / 良太
羊山公園の芝桜 2023年4月11日(火)
だいぶ咲いてきました。今年は早い。

No.5635 - 2023/04/11(Tue) 18:27:02
徳川家康 20 / 良太
「徳川家康 20」 山岡荘八著 講談社 読破

二代将軍秀忠と江がやっと男子を産んだ。
家光である。
1605年、家康は征夷大将軍を秀忠にゆずった。
豊臣秀頼が16才になれば政権を秀頼に返すと
秀吉と家康は約束したのだがそれは守られそうもなかった。
しかも家光が生まれた。
代々将軍職は徳川家が受け継いでいくことになりそうだ。
秀頼の母、淀殿はおもしろくなかった。
秀忠が上洛するのに秀頼も上洛するように家康は頼んだが
淀殿は受け入れなかった。
徳川は豊臣の家臣ではないかっという主張だった。
家康や秀忠が大阪城の秀頼にあいさつに来いというのだ。

スペイン、ポルトガルを南蛮人といい旧教のカトリックだった。
イギリス、オランダを紅毛人といい新教のプロテスタントだった。
何故、南蛮人や紅毛人が日本に来るようになったかというと
マルコポーロが日本のことを黄金の国ジパングと紹介したからであった。
1549年、いごよく広まるキリスト教と覚えたものだが
ザビエルはスペイン人だった。
初めはスペイン、ポルトガルの南蛮人が調子が良かったが
1600年頃になるとイギリス、オランダの方が調子が良くなっていた。
家康は日本に漂着した新教のイギリスのウイリアムアダムズを
三浦按針と名付け寵愛した。
1588年にイギリスはスペインの無敵艦隊を破り、
1600年には東インド会社を作っている。
とにかく新教と旧教の国は仲が悪く戦争ばかりしていた。

No.5634 - 2023/04/08(Sat) 19:17:16
今日の芝桜 / 良太
羊山公園の芝桜が結構咲いてきました。
2023年4月5日(水)

No.5632 - 2023/04/05(Wed) 16:14:18

Re: 今日の芝桜 / 良太
全体はまだまだです
No.5633 - 2023/04/05(Wed) 16:15:35
徳川家康 19 / 良太
「徳川家康 19」 山岡荘八著 講談社 読破

1603年、家康は征夷大将軍になり江戸に幕府を開いた。
それでも家康は秀吉との生前の約束を果たして、
秀吉の子秀頼と家康の孫(秀忠の子)千姫を結婚させた。
秀頼は信長の妹お市の子淀殿(茶々)の子であり、
千姫はお市の子お江与(江)の子であった。
お江与(江)は二代将軍秀忠と結婚したのであった。
なかなか興味深い所である。
秀頼11才の時に千姫7才と結婚した。
秀頼は大阪城で女に囲まれて生活しており
すでに女を知っていたようだ。
淀殿は毎日酒びたりだったようだ。
まさに大阪城は魔の城であった。

No.5631 - 2023/04/05(Wed) 13:13:11
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