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良太掲示板

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今日の芝桜 / 良太
今日の羊山公園の芝桜。
2026年4月13日(月)

No.5986 - 2026/04/13(Mon) 16:12:34
豊臣秀長 / 良太
「豊臣秀長」 全1冊(760ページ) 堺屋太一著 
PHP文庫 読破(再読)

今年のNHK大河ドラマが豊臣兄弟で弟の豊臣秀長が主人公なので一番最初に読んだ本です。
再読してみて凄く良い本だなと思いました。
はじめて読んだ時はよくわからなかったのかもしれない。
760ページもあると最初の方をよく憶えてなくて読書記録も書きにくい。
3冊くらいにしてくれれば良かったのに。
秀吉の弟の秀長は秀吉の補佐役をして調整役をしていたようだ。
美濃の頃は浪人を雇い入れたりしたけど様々な人がいるので
もめ事が起きないようにしたり、知行地の土地の争いなども見たり、
裏方のことは皆秀長がやっていたようだ。
蜂須賀小六や川波衆をなどを家来にした時などは苦労したかもしれない。
また秀吉が戦争に行くときにはいつも城の守りを託された。
毛利と戦っている時に秀吉は1万人くらいつれて安土の信長の元へ行った。
取り残された城には秀長が千人くらいで守らなければならなかった。
柴田勝家との賤ケ岳の戦いの時には秀吉が岐阜に出張っている時に
守りをまかされたのは有名なようだ。
また四国の長曾我部との戦いで総大将を任されて見事に治めてみせた。
またこの本では本能寺の変の前のひりひりとした緊張感が伝わってきて
凄い本だなと思った。
でもだいぶ理解できてきたので最後に読んだ本が一番凄い本だと思うような気がする。
本能寺の変の時に黒田官兵衛が
「今こそ謀反人を討ち取り、天下を手中に収める好機でござりますぞ」
という言葉があって満足した。

No.5985 - 2026/04/11(Sat) 22:40:08
国盗り物語 四 織田信長後編 / 良太
「国盗り物語 四 織田信長後編」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

明智光秀は越前の朝倉に士官してそこへ足利義昭をまねいた。
後に浅井の援軍に2万の軍を出した朝倉だったが上洛する気はなかった。
そこへ信長が美濃(岐阜)を取ったという話が伝わってきた。
明智光秀は美濃で育ち信長の妻濃姫のいとこというツテを使ってか
信長に士官してきた。それに足利義昭がついてきた。
信長は近江の浅井にお市を嫁がせてあるので、
速攻で上洛して京を占領してしまった。
三好三人衆は逃げていき松永久秀は降伏してきた。
松永久秀は足利義輝をころし大仏殿を焼いた男だが信長は許した。
足利義昭は信長が築いてくれた二条城に住んで室町幕府将軍になれた。
義昭は信長に副将軍や管領になってくれと頼んだが信長はなにもいらないといった。
信長が欲したのは堺や大津などの街の支配権だけだった。
信長は欲がないなぁと皆言ったが商業に眼をつけていたのは信長だけだった。
信長は上洛してあいさつにこない朝倉を攻めることにした。
しかし浅井に背かれ京に退却した。
浅井朝倉と戦争になり姉川の合戦では信長は徳川家康の援軍もあり勝った。
そして信長は浅井朝倉が逃げ込む比叡山を焼いた。
そしてとうとう武田信玄が上洛戦を起こしてきた。
徳川家康の領内を通っていく、家康は信玄に挑んだが三方ヶ原の戦いで信玄に大敗した。
しかし信玄は病気で亡くなり武田軍は退却した。
信長は信玄や各勢力に信長を討てと指令をだしていた足利義昭を追放した。
室町幕府はここに滅んだ。
信長は朝倉を滅ぼし浅井も滅ぼした。
浅井長政に嫁いでいたお市と3人の娘たちは保護された。
次に脅威となったのが上杉謙信で北陸を柴田勝家、前田利家、佐々成正などで固めた。
そのうち上杉謙信は卒中で亡くなってしまった。
松永久秀は謙信が上洛すると思って謀反を起こしたが討伐された。
荒木村重などの謀反もあり衝撃を受けた。
最後に残ったのは一向一揆の本拠の大阪本願寺だった。
三重や北陸で一向一揆が起き信長は皆ころしで一向一揆を封じ込めた。
大阪本願寺も和議が成立し本願寺は大阪から退くことになった。
後でここに秀吉が大阪城を築くことになるのだが。
近畿は一躍安全地帯となった。
武田勝頼を長篠の戦で鉄砲3千丁を使って倒している。
そして武田勝頼を滅ぼしてしまった。
この時、明智光秀が「われわれも苦労したかいがありましたな」と言い、
信長は「誰が苦労したというのだ。苦労したのはわしじゃ」といって光秀を折檻した。
結構平和になったので信長は家康を上洛させて接待した。
信長が家康の長男と妻をころしたことは書いてなかった。
家康の接待役が明智光秀でこの時家康と光秀の間で何か話があったかもしれない。
この時毛利と戦っていた秀吉から援軍の要請がきた。
光秀は家康の接待の途中で秀吉の援軍に行けといわれる。
また近江・丹後の所領は召し上げられ出雲・岩見の領地を与えられるが敵国だった。
光秀は謀反を決意する。
信長の泊まる本能寺には護衛もほとんどいない。
光秀は「ときは今、あめが下しる五月(さつき)かな」という詩を読んで
1万の兵力を本能寺に向けた。
信長を滅ぼして天下を取ったと思った光秀だったが、
毛利と戦っていたはずの秀吉が圧倒的な速さで京へ戻ってきて
山崎の合戦で光秀を破った。
主ころしの光秀には兵が集まらなかった。
細川藤孝でさえ光秀の味方にはならなかった。
光秀は落ち武者刈りに会い馬上で槍に刺されて死亡したとされている。

No.5984 - 2026/04/07(Tue) 05:53:12
元気村の花桃 / 良太
秩父市吉田元気村の花桃
2026年4月3日(金)

No.5983 - 2026/04/04(Sat) 03:19:51
羊山公園の芝桜 2026/04/02 / 良太
今日の羊山公園の芝桜
2026年4月2日(木)
意外と結構咲いてる

No.5982 - 2026/04/02(Thu) 21:16:06
羊山公園の桜 / 良太
今日は羊山まで行ってきました。
2026年4月2日(木)
桜の様子です。

No.5981 - 2026/04/02(Thu) 18:28:48
国盗り物語 三 織田信長編 / 良太
「国盗り物語 三 織田信長前編」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

国盗り物語の一・二巻は斉藤道三編になっています。
三・四巻は織田信長編になります。
司馬遼太郎さんの小説はやっぱりおもしろいですね。
秀吉や太閤記でさんざん書いたのでもうあらすじは書かなくてもいいかなと思うのですが、
明智光秀が主人公のようでもあります。
斉藤道三が眼をかけてた人で道三の娘濃姫のいとこでもあります。
山岡荘八の小説と違い、信長と濃姫の様子がむつまじく書いてあり良いです。
明智光秀は斉藤道三が息子の義龍に滅ぼされた時に流浪して各地を歩いたのですが、
越前の朝倉を頼りましたが下積み生活が続きます。
はじめは室町幕府将軍足利義輝に仕えようと思ったのですが、
三好三人衆と松永久秀が足利義栄をたて足利義輝を亡き者にしてしまいました。
細川藤孝や明智光秀はお坊さんをしていた足利義昭を立てようとしたようだ。

No.5980 - 2026/04/01(Wed) 16:46:20
伊達政宗 児童書 / 良太
「伊達政宗」 浜野卓也著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

伊達政宗は小さい時に疱瘡で片目が見えなくなってしまった。
見えなくなっただけならいいのだが腫れて醜くなってしまった。
政宗の従者だった片倉小十郎らは政宗の眼を切り取った。
政宗も最初は痛がったが何日もするとだいぶよくなった。
切り取った眼もだいぶ気にならなくなった。
眼帯をするようになったがそれで独眼竜政宗といわれるようになった。
米沢で生まれた政宗だったが宮城を取り福島も勝ち取った。
しかし天下は秀吉のものとなっており惣無事令をだして戦争を禁止した。
秀吉は政宗に上洛するようにいうが政宗は応じなかった。
秀吉が北条の小田原征伐をし始めると秀吉の力が圧倒的なことを知ると、
やっと政宗は小田原にかけつけた。
秀吉は最初怒っていたが政宗を許した。
福島は取り上げられ宮城あるいは仙台は政宗のものとなった。
政宗はもう一時代先に生まれていたらっと悔んだ。
政宗がもっと早く生まれていたら天下を取ったかもしれない。

No.5979 - 2026/03/29(Sun) 13:08:37
上杉謙信 児童書 / 良太
「上杉謙信」 鈴木俊平著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

織田家や武田家に一族の紛争があったように上杉謙信も一族の紛争があった。
はじめは長尾姓だったが関東管領をゆずってもらう時に上杉姓になった。
武田信玄と川中島で戦いを繰り返したり、
三国峠を越えて北条と戦ったりしていた。
上洛することを夢みていたが卒中で亡くなってしまった。
上杉軍と武田軍は最強だったといわれているがそんなに強かったのだろうか?
岡崎兵は強くて織田軍は弱かったと言われるけど、
江戸時代に徳川家でそういう話にしてしまったのかもしれない。
私は直属の武士団をもっていた信長の織田兵が一番強かったんじゃないかと思っている。
上杉謙信は何故妻をもたなかったのだろうか?

No.5978 - 2026/03/28(Sat) 21:30:53
武田信玄 児童書 / 良太
「武田信玄」 小暮正雄夫著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

武田信虎は農期も考えず戦争ばかりしていたので、
晴信(信玄)は父の信虎を今川家に追放した。
直属の武士団ができるのは信長が採用してからだ。
信玄は氾濫ばかりしている川を信玄堤などを作り治めた。
戦争するときも農期は避けた。
信玄は甲州(山梨)から信州(長野)を手に入れたが、
信州の武将は越後の上杉謙信に助けを求めた。
それで武田信玄と上杉謙信の間で5回にも及ぶ川中島の戦いが起こった。
キツツキ戦法とか車懸かりの陣とか有名だが。
武田と上杉は千日手となるところだったが、
上杉は冬は雪深くて出てこれなかった。
そのすきをついて信玄は上洛戦を起こした。
東海道を通っていく。
家康は信玄に戦いを挑むが大敗北を喫した。
しかし信玄は病気が悪くなり亡くなってしまった。
信長と信玄を戦わせてみたかったが。。
信玄の名言、
  人は城、人は石垣、人は掘り、なさけは味方、あだは敵なり
また信玄は風林火山の旗をかかげた。
  はやきこと風のごとく、
  しずかなること林のごとし、
  かすめること火のごとく、
  うごかざること山のごとし

No.5977 - 2026/03/28(Sat) 14:54:59
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