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徳川家康 17 / 良太
「徳川家康 17」 山岡荘八著 講談社 読破

石田三成を左遷(させん)させた家康は大阪城にのり込んだ。
秀吉の妻高台院(ねね)は自分が住んでいた西の丸を家康に明け渡した。
家康は大阪城で政務をとりはじめた。
前田家は前田利家の妻芳春院(まつ)を江戸に人質に出し完全に家康に屈した。
上杉家は越後から会津へ転封になったばかりだったので
会津で道を作ったり城を築いたり武将をやとったりしていた。
それが家康には上杉の反抗だと受け取った。
上杉家の直江兼続は直江状を家康に送った。
弁明かと思ったら痛烈に家康を批判したようだ。
家康が、これほど無礼な文は読んだことがないっといわれるような代物だった。
家康は上杉征伐をすることになり武将たちを引き連れて東へ向かった。
それを待っていたとばかりに石田三成が西から兵を上げた。
東軍の家康に対し、西軍の筆頭には毛利に立ってもらった。
だいたい東日本の武将は家康につき、西日本の武将は石田三成についた。
関ケ原の戦いがはじまる。

No.5615 - 2023/03/16(Thu) 15:51:23
第三次世界大戦 日本はこうなる / 良太
「第三次世界大戦 日本はこうなる」 池上彰著 SB新書 読破

第三次世界大戦になったら核戦争になると思うから
人類は滅亡するかもしれない。
プーチンも危ないし北朝鮮も危ない。
中国が台湾に侵攻するかもしれない。
そうするとアメリカは中国と戦うから日本も戦わなきゃかもしれない。
北朝鮮は中国につくだろう。
日本に原爆が落ちなきゃいいなぁ。
東京に落ちたら秩父も終わりだ。

No.5614 - 2023/03/09(Thu) 14:18:09
徳川家康 16 / 良太
「徳川家康 16」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉が亡くなり日本は朝鮮から撤兵した。
朝鮮の最前線で戦っていた加藤清正らと
国元でぬくぬくとしていた石田三成などとはうまが合わなくなっていた。
秀吉が亡くなると家康は禁止されていた武将同士の婚姻を結び始めた。
奉行の石田三成は家康を糾弾(きゅうだん)するが
秀吉恩顧(おんこ)の武将たちは家康の元へ集まりはじめた。
石田三成も頼りにしていた秀頼のもり役の前田利家が亡くなり、
家康に怖いものは無くなってしまった。
石田三成は滋賀の佐和山へ身を引くことになった。
家康が婚姻を結んだのは加藤清正、福島正則、伊達政宗、蜂須賀など。

No.5613 - 2023/03/07(Tue) 15:08:33
今日の秩父ミューズパーク梅園 / 良太
今日の秩父ミューズパーク梅園 2023年3月5日(日)
日曜日で結構観光客も来てました。

No.5612 - 2023/03/05(Sun) 16:15:51
徳川家康 15 / 良太
「徳川家康 15」 山岡荘八著 講談社 読破

明国から「汝を日本国王に封ず」といわれ秀吉は怒った。
足利義満はそれで喜んだのだが。
秀吉は第二次朝鮮出兵をする。

秀吉は家康の子の秀忠に淀殿の妹を嫁がせた。
すでに3人と結婚しており子供を4人産んでいる。
何年か前にNHK大河ドラマでやったお江である。
秀忠の間に姫を産み、秀吉は秀頼にこの姫を嫁がせるように家康と約束する。
秀吉も弱って来た。
秀頼のもり役に前田利家になってもらって
五大老に、徳川家康、前田利家、宇喜田秀家、毛利輝元、上杉景勝。
五奉行に、石田三成、浅野長政、増田長盛、前田玄以、長塚正家。
秀吉は秀頼に忠誠をつくすように何度も誓書を書かせたようだ。
そして秀吉は亡くなった。

徳川四天王は、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政。
納屋蕉庵は以前の竹之内波太郎。

No.5611 - 2023/02/28(Tue) 13:53:26
徳川家康 14 / 良太
「徳川家康 14」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は千利休を切腹させてしまった。
千利休の茶道のわび・さびが
派手好きな秀吉には合わなかったようである。
秀吉は赤が好きで千利久は黒を好んだ。
秀吉は黄金の茶室を作ったりした。組み立て式で持ち運びもできた。
千利休の娘を秀吉が望んで断ったり、
貴人も通る寺院の門に千利休の木像を創ったり、
茶釜や茶碗に高額な金額をつけたり、
っといろいろ理由があるらしい。

1590年に秀吉が関東の北条を滅ぼして
秀吉の命令で家康が東海甲信から関東に移って来た。
1592年に家康が秩父神社を再建した。
1569年に秩父神社は武田信玄によって焼かれてしまったのだった。
家康も新たに移って来た土地だけあって人心掌握に苦労したようだ。

日本を統一した秀吉は中国を制圧しようとした。
日本にはもう褒美として家臣にやる土地がなかったのだ。
このようなことが書いてあった。
いま大明国をわれらの手中に納めておかないと
ヨーロッパの諸国がこれを分け取りにして
大明も高麗も日本も南蛮人たちにムチ打たれて
奴隷船に乗せられるときがきっと来る。
その先の先を見越しての催しなのじゃ。
明治維新の頃にもつながる考え方だね。

朝鮮出兵がはじまった。
秀吉は朝鮮は中国まで道案内をしてくれるものと
思っていたがそんなはずはなく抵抗を受けた。
李舜臣によって日本の舟は次々と沈めれれていった。
補給ができない。
和睦(わぼく)するしかなくなった。

秀吉と淀殿(茶々)の子、捨丸は2才で亡くなってしまった。
秀吉の母の大政所もなくなってしまった。
秀吉は悲嘆にくれたがまた淀殿が子供を産んだ。
拾いと名付けれれたようだ。
だがこの子は秀吉の子ではないようだった。
大野修理亮の子供ではないかと思われた。
秀吉はもう60才だし子種もなかったようだった。

No.5610 - 2023/02/26(Sun) 14:36:20
徳川家康 13 / 良太
「徳川家康 13」 山岡荘八著 講談社 読破

茶々に子供が生まれた。鶴松丸または捨丸と呼ばれる。
秀吉は茶々のために淀城を築き、茶々は淀殿と呼ばれるようになる。
秀吉は喜んだ。日本を統一したら中国まで支配下に入れようと考える。
秀吉と中国を戦わせてヘトヘトになった所をヨーロッパで分け取り、
などと南蛮人などは考えていたようだ。
尾張、中村の百姓の子倅が日本一の関白、太政大臣になっていた。
家康に嫁いだ朝日は京だか大阪に帰り病没している。
家康の子、秀忠が毎日、母上様っとあいさつに来てくれるのがうれしかったようだ。
北条征伐がはじまる。
小田原の北条は籠城した。
過去に10万の上杉軍が囲んでも落ちなかった城である。
しかし秀吉の軍はその桁がちがったようだ。
小田原評定などという言葉ができたのもこの時のことによる。
北条は滅び、東海甲信から家康が関東に移ってくることになる。
秀吉としては少しでも家康を大阪から遠くへやりたかったようである。
家康は江戸に拠点を築こうとした。
その頃は人もあまり住んでないさびれた土地だった。

No.5609 - 2023/02/20(Mon) 22:45:24
(No Subject) / 良太
「徳川家康 12」 山岡荘八著 講談社 読破

家康は秀吉の妹を三河に送っても家康は上洛してくれない。
秀吉は自分の母の大政所を家康の元へ送り
やっと家康は上洛してくれた。
やっと家康は秀吉に臣下の礼をとってくれた。
東の恐怖がなくなった秀吉は島津を破り九州まで制圧してしまった。
秀吉が九州までいってみるとキリシタンが
神社仏閣を壊していた。
日本でキリスト教が根付いてきていた。
秀吉はキリスト教が危ういと感じ伴天連追放令を出した。
宣教師、神父を日本から追い出す法令である。
スペイン、ポルトガルなどの南蛮人は
キリスト教を広めて植民地にするような政策をとっていた。
話は変わるが秀吉は茶々に手をつけたようだ。
秀吉の奥はねねがしきっていたが、茶々は受け入れがたかったようだ。

No.5608 - 2023/02/17(Fri) 14:40:34
徳川家康 11 / 良太
「徳川家康 11」 山岡荘八著 講談社 読破

大阪城を作った秀吉は是非家康に上洛してきてもらいたいと思った。
秀吉は結婚している40代の妹の朝日姫を
離縁させて家康の妻にしようとした。
朝日姫と家康が結婚すれば秀吉と家康は義兄弟だ。
家康も上洛してくれるだろうっと思った。
朝日姫の旦那は離縁されると自害してしまった。
なんとも胸糞悪いゲロゲーロな話である。
そしてそれは実行された。
石川数正は家康の元から出奔して秀吉についている。
人たらしの名人秀吉は言葉を巧みに使って噂を流し
敵武将を見方につけたり処分させたりする。
すでに家康の子、秀康を秀吉は養子にもらっている。
当時はそれを人質とよんだかもしれない。

No.5607 - 2023/02/15(Wed) 00:15:40
徳川家康 10 / 良太
「徳川家康 10」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は1年で信長の領地をほぼ掌握してしまった。
岐阜の織田信孝は、秀吉に命ぜられたのか三重の織田信雄によって
切腹させられてしまった。
信雄は自分も危ないとみて徳川家康に助けを求めた。
家康は織田家を助けるために助けに応じた。
名分はできた。
これで秀吉と家康が戦うことになった。
秀吉の兵は5万、家康は2万くらいだったろうか。
家康は尾張の小牧山に陣取り持久戦となった。
秀吉は2万の兵に家康に気づかれないように岡崎をつけと命じる。
中入りと呼ばれる手だ。
しかし家康は秀吉の2万の兵を破り、
秀吉が気づいたときには家康は小牧山に戻っていた。
完全に家康が秀吉に勝った。
小牧・長久手の戦いといわれている。
しかし家康は秀吉を討って世を乱してはならないと思った。
秀吉を討てば日本中の大名を相手に戦わなければならなくなる。
秀吉で治まるものを乱世にしてはならない。

No.5606 - 2023/02/13(Mon) 23:16:25
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