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徳川家康 19 / 良太
「徳川家康 19」 山岡荘八著 講談社 読破

1603年、家康は征夷大将軍になり江戸に幕府を開いた。
それでも家康は秀吉との生前の約束を果たして、
秀吉の子秀頼と家康の孫(秀忠の子)千姫を結婚させた。
秀頼は信長の妹お市の子淀殿(茶々)の子であり、
千姫はお市の子お江与(江)の子であった。
お江与(江)は二代将軍秀忠と結婚したのであった。
なかなか興味深い所である。
秀頼11才の時に千姫7才と結婚した。
秀頼は大阪城で女に囲まれて生活しており
すでに女を知っていたようだ。
淀殿は毎日酒びたりだったようだ。
まさに大阪城は魔の城であった。

No.5631 - 2023/04/05(Wed) 13:13:11
今日の羊山の桜 / 良太
羊山公園の桜2023年3月29日(水)

No.5630 - 2023/03/29(Wed) 15:04:56
今日の清雲寺しだれ桜 / 良太
清雲寺しだれ桜2023年3月29日(水)

No.5629 - 2023/03/29(Wed) 15:02:56
徳川家康 18 / 良太
「徳川家康 18」 山岡荘八著 講談社 読破

関ケ原の戦いがはじまった。
家康の東軍は7万5千人。
三成の西軍はなんと10万8千人。
家康の東軍が魚鱗の陣をしいてまとまって攻撃してきたのに対し、
三成の西軍は鶴翼の陣をしいてまわりからはさみこんでいく感じだろうか。
しかし西軍の山の上に陣取った武将たちは日和見をきめこんで戦いには参加しなかった。
家康の所領は280万石だったかな。石田三成は二十数万国くらい。
本陣の陣の数が違いすぎる。
魚鱗の陣で全軍で押していけば石田三成の本陣はすぐ破れるはずだと思う。
そして日和見していた小早川秀秋の裏切りで東軍の勝ちは決まった。
小早川秀秋は石田三成の讒言(ざんげん)で秀吉に50万石くらいあった領地を15万石にされそうになり
家康のとりなしで50万石にもどしてもらった。
だから小早川秀秋は秀吉の妻ねねのおいだったと思うけど
三成や秀吉に恨みこそあれ恩はなく家康に恩があったのだ。
小早川秀秋が裏切ったのは当然のことだったのである。
三成は逃亡したがつかまり首をはねられた。
大阪城に入っていた毛利は本領安堵ということで大阪城を家康に明け渡したが
120万石くらいあった領土を30万石にされてしまった。あとのまつり。
この時の恨みが明治維新の時に爆発する。長州藩だけど。

No.5628 - 2023/03/26(Sun) 22:17:18
高校事変 13 / 良太
「高校事変 13」 松岡圭祐著 角川文庫 読破

優莉結衣が大学生となり、
妹の優莉凜香が高校生になった。
高校事変のヒロインも優莉凜香に変わったようだ。
そこへ母違いの新たな姉妹杠葉瑠那が現われた。
瑠那は虚弱体質でパニック障害も持っていた。
しかしそんな瑠那が!?
凜香と瑠那は偶然同じ高校に通うことになった。
各地で女子高生失踪事件が起きていた。
巻き込まれちゃうんだなぁ。

No.5627 - 2023/03/24(Fri) 08:42:36
今日の清雲寺しだれ桜 / 良太
清雲寺のしだれ桜がだいぶ咲いてきました。
2023年3月22日(水)

No.5626 - 2023/03/22(Wed) 16:30:39
テストしています / 良太
テストしています
No.5625 - 2023/03/22(Wed) 08:14:13
魔女と過ごした七日間 / 良太
「魔女と過ごした七日間」 東野圭吾著 角川書店 読破

前作ラプラスの魔女を読んでいないと理屈がわからないかもしれません。
なんか無茶苦茶な展開でしたがおもしろかったので1日で読んでしまいました。
しかし私と関係ある人の名前を使うのはやめてもらいたい。
偶然なのかな。わざとやっているのかな。妄想なのかな。。。
顔認証とかDNA鑑定とかNシステムとか警察のシステムが
わかってよかったと思います。
冤罪をかけられた身としては。
顔認証ですがお店でカメラを見たらブザーがなったことがあります。
どうなってんだよ。。

No.5616 - 2023/03/17(Fri) 20:25:33
徳川家康 17 / 良太
「徳川家康 17」 山岡荘八著 講談社 読破

石田三成を左遷(させん)させた家康は大阪城にのり込んだ。
秀吉の妻高台院(ねね)は自分が住んでいた西の丸を家康に明け渡した。
家康は大阪城で政務をとりはじめた。
前田家は前田利家の妻芳春院(まつ)を江戸に人質に出し完全に家康に屈した。
上杉家は越後から会津へ転封になったばかりだったので
会津で道を作ったり城を築いたり武将をやとったりしていた。
それが家康には上杉の反抗だと受け取った。
上杉家の直江兼続は直江状を家康に送った。
弁明かと思ったら痛烈に家康を批判したようだ。
家康が、これほど無礼な文は読んだことがないっといわれるような代物だった。
家康は上杉征伐をすることになり武将たちを引き連れて東へ向かった。
それを待っていたとばかりに石田三成が西から兵を上げた。
東軍の家康に対し、西軍の筆頭には毛利に立ってもらった。
だいたい東日本の武将は家康につき、西日本の武将は石田三成についた。
関ケ原の戦いがはじまる。

No.5615 - 2023/03/16(Thu) 15:51:23
第三次世界大戦 日本はこうなる / 良太
「第三次世界大戦 日本はこうなる」 池上彰著 SB新書 読破

第三次世界大戦になったら核戦争になると思うから
人類は滅亡するかもしれない。
プーチンも危ないし北朝鮮も危ない。
中国が台湾に侵攻するかもしれない。
そうするとアメリカは中国と戦うから日本も戦わなきゃかもしれない。
北朝鮮は中国につくだろう。
日本に原爆が落ちなきゃいいなぁ。
東京に落ちたら秩父も終わりだ。

No.5614 - 2023/03/09(Thu) 14:18:09
徳川家康 16 / 良太
「徳川家康 16」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉が亡くなり日本は朝鮮から撤兵した。
朝鮮の最前線で戦っていた加藤清正らと
国元でぬくぬくとしていた石田三成などとはうまが合わなくなっていた。
秀吉が亡くなると家康は禁止されていた武将同士の婚姻を結び始めた。
奉行の石田三成は家康を糾弾(きゅうだん)するが
秀吉恩顧(おんこ)の武将たちは家康の元へ集まりはじめた。
石田三成も頼りにしていた秀頼のもり役の前田利家が亡くなり、
家康に怖いものは無くなってしまった。
石田三成は滋賀の佐和山へ身を引くことになった。
家康が婚姻を結んだのは加藤清正、福島正則、伊達政宗、蜂須賀など。

No.5613 - 2023/03/07(Tue) 15:08:33
今日の秩父ミューズパーク梅園 / 良太
今日の秩父ミューズパーク梅園 2023年3月5日(日)
日曜日で結構観光客も来てました。

No.5612 - 2023/03/05(Sun) 16:15:51
徳川家康 15 / 良太
「徳川家康 15」 山岡荘八著 講談社 読破

明国から「汝を日本国王に封ず」といわれ秀吉は怒った。
足利義満はそれで喜んだのだが。
秀吉は第二次朝鮮出兵をする。

秀吉は家康の子の秀忠に淀殿の妹を嫁がせた。
すでに3人と結婚しており子供を4人産んでいる。
何年か前にNHK大河ドラマでやったお江である。
秀忠の間に姫を産み、秀吉は秀頼にこの姫を嫁がせるように家康と約束する。
秀吉も弱って来た。
秀頼のもり役に前田利家になってもらって
五大老に、徳川家康、前田利家、宇喜田秀家、毛利輝元、上杉景勝。
五奉行に、石田三成、浅野長政、増田長盛、前田玄以、長塚正家。
秀吉は秀頼に忠誠をつくすように何度も誓書を書かせたようだ。
そして秀吉は亡くなった。

徳川四天王は、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政。
納屋蕉庵は以前の竹之内波太郎。

No.5611 - 2023/02/28(Tue) 13:53:26
徳川家康 14 / 良太
「徳川家康 14」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は千利休を切腹させてしまった。
千利休の茶道のわび・さびが
派手好きな秀吉には合わなかったようである。
秀吉は赤が好きで千利久は黒を好んだ。
秀吉は黄金の茶室を作ったりした。組み立て式で持ち運びもできた。
千利休の娘を秀吉が望んで断ったり、
貴人も通る寺院の門に千利休の木像を創ったり、
茶釜や茶碗に高額な金額をつけたり、
っといろいろ理由があるらしい。

1590年に秀吉が関東の北条を滅ぼして
秀吉の命令で家康が東海甲信から関東に移って来た。
1592年に家康が秩父神社を再建した。
1569年に秩父神社は武田信玄によって焼かれてしまったのだった。
家康も新たに移って来た土地だけあって人心掌握に苦労したようだ。

日本を統一した秀吉は中国を制圧しようとした。
日本にはもう褒美として家臣にやる土地がなかったのだ。
このようなことが書いてあった。
いま大明国をわれらの手中に納めておかないと
ヨーロッパの諸国がこれを分け取りにして
大明も高麗も日本も南蛮人たちにムチ打たれて
奴隷船に乗せられるときがきっと来る。
その先の先を見越しての催しなのじゃ。
明治維新の頃にもつながる考え方だね。

朝鮮出兵がはじまった。
秀吉は朝鮮は中国まで道案内をしてくれるものと
思っていたがそんなはずはなく抵抗を受けた。
李舜臣によって日本の舟は次々と沈めれれていった。
補給ができない。
和睦(わぼく)するしかなくなった。

秀吉と淀殿(茶々)の子、捨丸は2才で亡くなってしまった。
秀吉の母の大政所もなくなってしまった。
秀吉は悲嘆にくれたがまた淀殿が子供を産んだ。
拾いと名付けれれたようだ。
だがこの子は秀吉の子ではないようだった。
大野修理亮の子供ではないかと思われた。
秀吉はもう60才だし子種もなかったようだった。

No.5610 - 2023/02/26(Sun) 14:36:20
徳川家康 13 / 良太
「徳川家康 13」 山岡荘八著 講談社 読破

茶々に子供が生まれた。鶴松丸または捨丸と呼ばれる。
秀吉は茶々のために淀城を築き、茶々は淀殿と呼ばれるようになる。
秀吉は喜んだ。日本を統一したら中国まで支配下に入れようと考える。
秀吉と中国を戦わせてヘトヘトになった所をヨーロッパで分け取り、
などと南蛮人などは考えていたようだ。
尾張、中村の百姓の子倅が日本一の関白、太政大臣になっていた。
家康に嫁いだ朝日は京だか大阪に帰り病没している。
家康の子、秀忠が毎日、母上様っとあいさつに来てくれるのがうれしかったようだ。
北条征伐がはじまる。
小田原の北条は籠城した。
過去に10万の上杉軍が囲んでも落ちなかった城である。
しかし秀吉の軍はその桁がちがったようだ。
小田原評定などという言葉ができたのもこの時のことによる。
北条は滅び、東海甲信から家康が関東に移ってくることになる。
秀吉としては少しでも家康を大阪から遠くへやりたかったようである。
家康は江戸に拠点を築こうとした。
その頃は人もあまり住んでないさびれた土地だった。

No.5609 - 2023/02/20(Mon) 22:45:24
(No Subject) / 良太
「徳川家康 12」 山岡荘八著 講談社 読破

家康は秀吉の妹を三河に送っても家康は上洛してくれない。
秀吉は自分の母の大政所を家康の元へ送り
やっと家康は上洛してくれた。
やっと家康は秀吉に臣下の礼をとってくれた。
東の恐怖がなくなった秀吉は島津を破り九州まで制圧してしまった。
秀吉が九州までいってみるとキリシタンが
神社仏閣を壊していた。
日本でキリスト教が根付いてきていた。
秀吉はキリスト教が危ういと感じ伴天連追放令を出した。
宣教師、神父を日本から追い出す法令である。
スペイン、ポルトガルなどの南蛮人は
キリスト教を広めて植民地にするような政策をとっていた。
話は変わるが秀吉は茶々に手をつけたようだ。
秀吉の奥はねねがしきっていたが、茶々は受け入れがたかったようだ。

No.5608 - 2023/02/17(Fri) 14:40:34
徳川家康 11 / 良太
「徳川家康 11」 山岡荘八著 講談社 読破

大阪城を作った秀吉は是非家康に上洛してきてもらいたいと思った。
秀吉は結婚している40代の妹の朝日姫を
離縁させて家康の妻にしようとした。
朝日姫と家康が結婚すれば秀吉と家康は義兄弟だ。
家康も上洛してくれるだろうっと思った。
朝日姫の旦那は離縁されると自害してしまった。
なんとも胸糞悪いゲロゲーロな話である。
そしてそれは実行された。
石川数正は家康の元から出奔して秀吉についている。
人たらしの名人秀吉は言葉を巧みに使って噂を流し
敵武将を見方につけたり処分させたりする。
すでに家康の子、秀康を秀吉は養子にもらっている。
当時はそれを人質とよんだかもしれない。

No.5607 - 2023/02/15(Wed) 00:15:40
徳川家康 10 / 良太
「徳川家康 10」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は1年で信長の領地をほぼ掌握してしまった。
岐阜の織田信孝は、秀吉に命ぜられたのか三重の織田信雄によって
切腹させられてしまった。
信雄は自分も危ないとみて徳川家康に助けを求めた。
家康は織田家を助けるために助けに応じた。
名分はできた。
これで秀吉と家康が戦うことになった。
秀吉の兵は5万、家康は2万くらいだったろうか。
家康は尾張の小牧山に陣取り持久戦となった。
秀吉は2万の兵に家康に気づかれないように岡崎をつけと命じる。
中入りと呼ばれる手だ。
しかし家康は秀吉の2万の兵を破り、
秀吉が気づいたときには家康は小牧山に戻っていた。
完全に家康が秀吉に勝った。
小牧・長久手の戦いといわれている。
しかし家康は秀吉を討って世を乱してはならないと思った。
秀吉を討てば日本中の大名を相手に戦わなければならなくなる。
秀吉で治まるものを乱世にしてはならない。

No.5606 - 2023/02/13(Mon) 23:16:25
徳川家康 9 / 良太
「徳川家康 9」 山岡荘八著 講談社 読破

謀反をおこした明智光秀を討って天下を握ったかに思われた秀吉だが
織田家相続で清須会議が開かれることになった。
柴田勝家は織田信孝を推したが
秀吉は信忠の嫡男の三法師を推した。
光秀を破った秀吉の成果が多く、三法師に決まった。
3才くらいの三法師は秀吉に抱かれ皆、三法師と秀吉に頭を下げた。
柴田勝家はおもしろくなく、秀吉に敵対した。
しかし柴田勝家の拠点は日本海側で雪が多く春まで出てこれない。
秀吉は岐阜の織田信孝や三重の織田信雄・滝川一益をあしらい
雪が溶けるとやっと柴田勝家が出てきた。
この賤ケ岳の戦いで秀吉は勝利し北の庄の城で柴田勝家は自害した。
柴田勝家に嫁いでいたお市も柴田勝家と一緒に自害し
3人の娘は城から落ちた。茶々などである。
秀吉の親友の前田利家は柴田勝家についていたが
秀吉に味方し賤ケ岳の戦いではやく退却して秀吉が有利になった。
そのお礼に秀吉は前田利家に加賀100万石を与えることになる。

No.5605 - 2023/02/11(Sat) 22:30:01
徳川家康 8 心火の巻 / 良太
「徳川家康 8 心火の巻」 山岡荘八著 講談社 読破

信長は安土城に家康をまねいた。
接待役に明智光秀がなった。
ここで家康と光秀はかなりの話す時間があったはずだ。
光秀は信長に冷酷にされてきていて、
家康は長男の信康を切腹させられていた。
また信長の元へ毛利と戦っていた秀吉から救援要請が来ていた。
家康も秀吉の元へ援軍に行こうかと秀吉に使者を送ったと書いてある。
これは歴史的な事実なのか山岡荘八が考えたものなのか気になる。
光秀、家康、秀吉でなんか密計があったのかもしれない。
秀吉が毛利と和睦ができたのも出来すぎている。
そして光秀は信長に秀吉の援軍にいくようにいわれる。
援軍に行く直前の光秀は歌会で
「ときは今、あめがしたしる五月かな」っという歌を歌っている。
土岐氏の光秀が天下をとろうと謀反を決意した歌として有名だ。
光秀は1万の兵を信長の閲兵があるからと京へむけた。
敵は本能寺にあり
光秀は信長のいる本能寺に3千7百の兵を向け
嫡男の信忠のいる二条城に4千の兵を向けた。
信長の兵はほとんどいなかった。信長は滅んだ。
各地で戦っていた織田の武将たちは戻ってこれないと思われた。
光秀は安土城に入り、上杉、長曾我部、北条、毛利などに
使者を出したが誰が助けてくれるだろうか。
将軍宣下の勅旨にこだわりゆっくりしていた。
そこへ秀吉が異常な速さで毛利と和睦し中国大返しをやった。
安土城に招待された家康は京や大阪見物をしていて信長の訃報を聞いた。
家康は伊賀越えで苦労して三河に帰り8千の兵で上洛しようとした。
しかし秀吉が光秀を滅ぼしてしまったので帰還して
空き領地となっていた甲州、信州の制圧に向かう。
すでに三河、遠江、駿河を得ている。

No.5604 - 2023/02/04(Sat) 20:45:46
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