 | 「武田信玄」 小暮正雄夫著 講談社火の鳥伝記文庫 読破
武田信虎は農期も考えず戦争ばかりしていたので、 晴信(信玄)は父の信虎を今川家に追放した。 直属の武士団ができるのは信長が採用してからだ。 信玄は氾濫ばかりしている川を信玄堤などを作り治めた。 戦争するときも農期は避けた。 信玄は甲州(山梨)から信州(長野)を手に入れたが、 信州の武将は越後の上杉謙信に助けを求めた。 それで武田信玄と上杉謙信の間で5回にも及ぶ川中島の戦いが起こった。 キツツキ戦法とか車懸かりの陣とか有名だが。 武田と上杉は千日手となるところだったが、 上杉は冬は雪深くて出てこれなかった。 そのすきをついて信玄は上洛戦を起こした。 東海道を通っていく。 家康は信玄に戦いを挑むが大敗北を喫した。 しかし信玄は病気が悪くなり亡くなってしまった。 信長と信玄を戦わせてみたかったが。。 信玄の名言、 人は城、人は石垣、人は掘り、なさけは味方、あだは敵なり また信玄は風林火山の旗をかかげた。 はやきこと風のごとく、 しずかなること林のごとし、 かすめること火のごとく、 うごかざること山のごとし
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No.5977 - 2026/03/28(Sat) 14:54:59
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