 | 「新書太閤記 7」 吉川英治著 講談社 読破
武田勝頼を滅ぼし、大阪から本願寺を退去させると 一見平和になったかのように見えた。 家康に駿府を与え、甲信には織田軍が入り、 群馬の最前線では滝川一益が北条と戦っていた。 北陸では柴田勝家が上杉と戦っており、 丹羽長秀と織田信孝は四国に攻め込もうとしていた。 秀吉は毛利と戦っていて援軍を信長に求めた。 家康は上洛して接待を受けていたが、接待役は明智光秀だった。 しかし、明智光秀は信長の不況をかい、 接待役からはずされ秀吉の援軍に行けと命令された。 信長と明智光秀はうまが合わなくなっていた。 明智光秀は1万5千もの兵をもっていた。 それを光秀は信長の泊まっている本能寺にむけた。 前日に光秀が読んだ詩は、 ときは今 天(あめ)が下知る五月(さつき)かな ときは光秀が土岐氏だったことにかけている。 ついに信長は明智光秀の謀反に倒れた。 各地に影響が出た。 甲信では織田軍は領地を守っていくことはできなかった。 最前線で戦っていた滝川一益は北条に敗れた。 北陸で上杉と戦っていた柴田勝家は北の庄まで退いた。 秀吉の元へも信長が倒れたことが伝わってきた。 備中高山城を水攻めしていた秀吉だったが、 毛利に信長が倒れたことを伏せたまま和議の交渉に入ることになるのだが。
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No.5940 - 2026/01/06(Tue) 09:38:12
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