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元気村の花桃 NEW / 良太
秩父市吉田元気村の花桃
2026年4月3日(金)

No.5983 - 2026/04/04(Sat) 03:19:51
羊山公園の芝桜 2026/04/02 / 良太
今日の羊山公園の芝桜
2026年4月2日(木)
意外と結構咲いてる

No.5982 - 2026/04/02(Thu) 21:16:06
羊山公園の桜 / 良太
今日は羊山まで行ってきました。
2026年4月2日(木)
桜の様子です。

No.5981 - 2026/04/02(Thu) 18:28:48
国盗り物語 三 織田信長編 / 良太
「国盗り物語 三 織田信長前編」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

国盗り物語の一・二巻は斉藤道三編になっています。
三・四巻は織田信長編になります。
司馬遼太郎さんの小説はやっぱりおもしろいですね。
秀吉や太閤記でさんざん書いたのでもうあらすじは書かなくてもいいかなと思うのですが、
明智光秀が主人公のようでもあります。
斉藤道三が眼をかけてた人で道三の娘濃姫のいとこでもあります。
山岡荘八の小説と違い、信長と濃姫の様子がむつまじく書いてあり良いです。
明智光秀は斉藤道三が息子の義龍に滅ぼされた時に流浪して各地を歩いたのですが、
越前の朝倉を頼りましたが下積み生活が続きます。
はじめは室町幕府将軍足利義輝に仕えようと思ったのですが、
三好三人衆と松永久秀が足利義栄をたて足利義輝を亡き者にしてしまいました。
細川藤孝や明智光秀はお坊さんをしていた足利義昭を立てようとしたようだ。

No.5980 - 2026/04/01(Wed) 16:46:20
伊達政宗 児童書 / 良太
「伊達政宗」 浜野卓也著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

伊達政宗は小さい時に疱瘡で片目が見えなくなってしまった。
見えなくなっただけならいいのだが腫れて醜くなってしまった。
政宗の従者だった片倉小十郎らは政宗の眼を切り取った。
政宗も最初は痛がったが何日もするとだいぶよくなった。
切り取った眼もだいぶ気にならなくなった。
眼帯をするようになったがそれで独眼竜政宗といわれるようになった。
米沢で生まれた政宗だったが宮城を取り福島も勝ち取った。
しかし天下は秀吉のものとなっており惣無事令をだして戦争を禁止した。
秀吉は政宗に上洛するようにいうが政宗は応じなかった。
秀吉が北条の小田原征伐をし始めると秀吉の力が圧倒的なことを知ると、
やっと政宗は小田原にかけつけた。
秀吉は最初怒っていたが政宗を許した。
福島は取り上げられ宮城あるいは仙台は政宗のものとなった。
政宗はもう一時代先に生まれていたらっと悔んだ。
政宗がもっと早く生まれていたら天下を取ったかもしれない。

No.5979 - 2026/03/29(Sun) 13:08:37
上杉謙信 児童書 / 良太
「上杉謙信」 鈴木俊平著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

織田家や武田家に一族の紛争があったように上杉謙信も一族の紛争があった。
はじめは長尾姓だったが関東管領をゆずってもらう時に上杉姓になった。
武田信玄と川中島で戦いを繰り返したり、
三国峠を越えて北条と戦ったりしていた。
上洛することを夢みていたが卒中で亡くなってしまった。
上杉軍と武田軍は最強だったといわれているがそんなに強かったのだろうか?
岡崎兵は強くて織田軍は弱かったと言われるけど、
江戸時代に徳川家でそういう話にしてしまったのかもしれない。
私は直属の武士団をもっていた信長の織田兵が一番強かったんじゃないかと思っている。
上杉謙信は何故妻をもたなかったのだろうか?

No.5978 - 2026/03/28(Sat) 21:30:53
武田信玄 児童書 / 良太
「武田信玄」 小暮正雄夫著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

武田信虎は農期も考えず戦争ばかりしていたので、
晴信(信玄)は父の信虎を今川家に追放した。
直属の武士団ができるのは信長が採用してからだ。
信玄は氾濫ばかりしている川を信玄堤などを作り治めた。
戦争するときも農期は避けた。
信玄は甲州(山梨)から信州(長野)を手に入れたが、
信州の武将は越後の上杉謙信に助けを求めた。
それで武田信玄と上杉謙信の間で5回にも及ぶ川中島の戦いが起こった。
キツツキ戦法とか車懸かりの陣とか有名だが。
武田と上杉は千日手となるところだったが、
上杉は冬は雪深くて出てこれなかった。
そのすきをついて信玄は上洛戦を起こした。
東海道を通っていく。
家康は信玄に戦いを挑むが大敗北を喫した。
しかし信玄は病気が悪くなり亡くなってしまった。
信長と信玄を戦わせてみたかったが。。
信玄の名言、
  人は城、人は石垣、人は掘り、なさけは味方、あだは敵なり
また信玄は風林火山の旗をかかげた。
  はやきこと風のごとく、
  しずかなること林のごとし、
  かすめること火のごとく、
  うごかざること山のごとし

No.5977 - 2026/03/28(Sat) 14:54:59
清雲寺しだれ桜 / 良太
今日は清雲寺しだれ桜を見てきました。
2026年3月27日(金)

No.5976 - 2026/03/27(Fri) 20:24:46
真田幸村 児童書 / 良太
「真田幸村」 砂田弘著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

真田昌幸が父で、その子、兄の真田信幸で弟が真田幸村。
真田は長野の上田から群馬の沼田あたりを治めていた。
まわりを大国の武田や上杉や北条に囲まれていたので苦労した。
武田についたり上杉についたり北条についたりみさかいがなかった。
信長が武田を滅ぼすとそこへ徳川家康が入ってきた。
家康は二度上田に攻め込んだが真田に敗れた。
秀吉の時代が来ると秀吉について真田幸村は秀吉に仕えた。
一方信幸は家康に仕えて本田忠勝の娘を嫁にもらった。
豊臣秀吉が亡くなると関ケ原の戦いが起きた。
真田昌行は幸村は西軍につき信幸は家康の東軍についた。
どちらが勝っても負けても真田は生き延びる知恵だった。
昌幸と幸村は中仙道を行く東軍3万を上田で足止めをさせ、
関ケ原の戦いに間に合わないようにした。
昌幸と幸村は西軍が勝ったと思ったことだろう。
しかし関ケ原の戦いで西軍は敗れ東軍の家康が勝利した。
天下は豊臣家から徳川家が治めることになった。
真田昌幸と幸村は高野山九度山に蟄居となった。
昌幸はそこで亡くなった。
そして家康が大阪城の豊臣家を滅ぼすため大阪の役が起きた。
真田幸村は大阪城に入った。
家康は真田昌幸が大阪城に入ったのかと思って大変びっくりしたようだ。
昌幸には二度負けているのだ。
昌幸はもう亡くなっているではありませんかっと聞き、
子供の方かと聞き安心したようだ。
しかしその子供の幸村が大阪城に真田丸を作って徳川軍をさんざん苦しめ、
家康本陣まで幸村が突撃してきて家康は30kmも逃げたという。
家康の影武者は皆やられたと聞いたのだけど生き残ったのが影武者ではないかと私は思っている。
しかし幸村も力つきて大阪城も焼かれ豊臣家は滅亡した。

No.5975 - 2026/03/27(Fri) 11:56:36
黒田官兵衛 児童書 / 良太
「黒田官兵衛」 楠木誠一郎著 講談社火の鳥伝記文庫 読破

織田配下だった荒木村重が背いて毛利、本願寺側についてしまい、
黒田官兵衛は荒木村重を説きに行くが、
捕まって1年間地下牢に入れられた。
荒木村重の城は織田軍によって落とされ、
黒田官兵衛は助け出された。
織田家に預けておいた官兵衛の子供はころしてしまったとのことで
信長はすまぬっとだけ言った。
ところがしんだ竹中半兵衛がころしたと偽って美濃の奥地でかくまっていた。
官兵衛とその子供は再会することができた。のちの黒田長政なんだが。
また備中高山城を水攻めにしていた秀吉の元に本能寺での信長の訃報が届いた。
官兵衛は「運はこちらに向いております」と言った。
いよいよ秀吉に天下をとらせる時が来たっと心に誓った。
天下を取った秀吉が、わしがいなければ誰が天下を取るか?と問いたが、
秀吉は官兵衛だと答えた。
官兵衛はそれを聞いて身の危険を感じて隠居してしまった。
また関ケ原の折の時に家康が黒田長政の右手を取って礼を言ったそうだが、
官兵衛は「その時、左手は何をしていたのか?」っと言ったそうだ。
何故、左手で家康を刺さなかったのかと言いたかったのではないかと言われている。

No.5974 - 2026/03/26(Thu) 22:47:15
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