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記事No.5958に関するスレッドです

秀吉 夢を超えた男 上 / 良太
「秀吉 夢を超えた男 上」 堺屋太一著 NHK出版

尾張(愛知県かな)でサルと呼ばれた少年(秀吉)は、
義父とうまがあわず家を飛び出した。
父が残してくれた銭を針に変え各地をまわったようだ。
がんまくという者が教えてくれたものだ。
また今川領の松下嘉兵衛というものに仕えたが
納戸役までいったが尾張者だったり体が小さかったりしてせいで
いじめられて暇をもらって尾張に帰ってきた。
秀吉(木下藤吉郎)は信長に士官したいと思った。
またがんまくがとりもってくれて信長に士官を果たした。
がんまくはのちの石川五右衛門であった。
秀吉ははじめは柴薪奉行を勤めた。
帳簿のつけ方をがんまくが教えてくれた。
米を炊くにも薪がいる。秀吉は使い終わった火を消してまわって
焼け残った炭や木を持って行ったようだ。
信長も焼け残った木を見てサルもやってるなと思ったようだ。
当時は火をつけるのが大変で火種を管理する人が決まっていればいいと私は思った。
また蜂須賀小六などの川浪衆を使って柴や薪を安く買い占めたようだ。
蜂須賀小六などの仲を取り持ってくれたのもがんまくだったかな。
2年くらい柴薪奉行を勤めた秀吉を信長は気に入り草履取りにしてくれた。
草履取りになると各武将たちとも会う機会が増え情勢を聞いたりできたようだ。
馬に乗った信長についていくのも大変で他の従者に遅れないようについていけば良いとおもったようだ。
それから秀吉は足軽になり、やっと士分に取り立てられた。
戦いは一人で飛び出すのではなく槍衾をつかって団結することが大事だった。
今川義元が上洛戦を起こしてきたのはこの頃だろうか。
今川義元は前線の勝利を受けて余裕しゃくしゃくで尾張に近づいてきた。
信長はこの時を待っていた、ほら貝を吹き一気に出陣した。
うまく前線にたどり着いた信長はそこで梁田政綱の細作が
今川義元の本陣は桶狭間に向かっているという確かな情報をもたらした。
2万5千人の今川義元も各地の砦に兵を送っており、本陣には5千人くらいがいるだろうか。
信長の兵は2千5百くらいだ。勝ち目はある。
信長が今川義元の本陣に殺到した時には義元はもう逃げ支度をしていた。
服部小平太が一番槍をあげ、毛利新介が義元の首を上げた。
大勝利だ。逃げる今川勢を追って信長軍は皆たくさんの首をあげたようだ。
義元の首を上げた毛利伸介は500貫を加増で、
義元に一番槍とつけた服部子平太は1000貫の加増で
一番の褒美は義元の居場所を教えた梁田政綱で3000貫の加増を受けた。
このあと秀吉は組頭となり丹羽長秀のもとについた。
組頭になったので弟の小一郎秀長を呼び寄せて家来にした。
また組頭になったのでおねとの結婚もできた。秀吉25歳、おね15歳。
お城の崩れた石垣をなおしたのはこの頃だったかな。秀吉の手柄になった。
信長は美濃(岐阜)を攻略するため小牧山に城を移した。
秀吉は川向うの美濃領の墨俣に城を築くことに成功した。
そして博識高い竹中半兵衛を秀吉は三顧の礼で軍師に迎えた。
竹中半兵衛は西美濃三人衆の安藤守就の娘の婿だったことから
西美濃三人衆の安藤守就、氏家卜全、稲葉一鉄は信長についた。
あとは稲葉山城を落とすだけとなり斎藤龍興は降伏して美濃から追放された。
信長は美濃を岐阜と改め天下布武をかかげた。
稲葉山城は岐阜城となって信長の本拠となった。
そこへ越前の朝倉を頼っていた名ばかりの室町幕府将軍足利義昭が
信長に頼りたいと明智光秀をつかわせてきた。
信長はこころよくそれを受けた。

No.5958 - 2026/02/28(Sat) 14:16:21

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