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新太閤記 1 / 良太
「新太閤記 1」 海音寺潮五郎著 文芸春秋 読破

皆に猿と呼ばれていた与助(秀吉)は義父とうまくいかず家を飛び出した。
今川領の松下嘉兵衛という屋敷で奉公してだいぶ奉公の仕方を学んだようだ。
しかし人に嫌がらせを受けたり疑いをかけられたりして
奉公をやめて尾張に帰ってきた。
私も若い頃に嫌がらせを受けたり疑いをかけられたり
はめられたりしてイヤな思いをしたことがある。今もそうかな。
信長に士官をはたした秀吉はとんとん拍子に出世した。
お城の石垣が崩れると秀吉が奉行をまかされることになり
あっという間に石垣をなおしてみせた。
これで信長も秀吉も指揮をまかせることができるとわかったようだ。
秀吉は士の身分になって五人扶持となった。
そのうち今川義元が上洛戦を起こしてきた。その数2万5千。
織田の最前線の砦は落とされてきていた。
信長は出陣だと城を飛び出した。
熱田神宮に2千人くらい集結すると今川義元は桶狭間で幕を張って休んでいるという。
信長は桶狭間を急襲した。
服部小平太が今川義元に一番槍をつけ毛利伸介が首をあげた。
桶狭間の戦いは信長の大勝利に終わった。
松平元康(家康)は今川の人質状態だったが岡崎城から今川の武将が逃げてしまったので
やっと自分の岡崎城へ入ることができた。
信長と家康は同盟を結んだ。
秀吉はとんとん拍子で出世して300石10人扶持になっていた。
そこへ仲の良くなった前田犬千代(利家)はねねのことが好きになり結婚したいと秀吉に相談した。
ところがねねの親は前田家は家督が高すぎて、ねねを嫁にやることはできないという。
秀吉の元へなら喜んで嫁にくれるという。
前田利家も他の者にとられるくらいなら秀吉にねねをもらってもらいたいと言った。
こうして秀吉とねねは結婚することになった。秀吉28歳、ねね16歳だった。

No.5951 - 2026/02/09(Mon) 09:44:31

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