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豊臣秀吉 3 / 良太
「豊臣秀吉 3」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は何か月もかかってなおせなかったお城の石垣を
早く仕上げた組には報酬を出すといって競争させて10日で石垣をなおしてしまった。
その頃美濃攻めには川向うの墨俣に城を築かねばならなかったが、
佐久間信盛も柴田勝家も失敗した。
城ができる前に美濃の斎藤軍によってやられてしまうのだ。
そこで武家奉公をしたかった秀吉が墨俣に城を築くと申し出た。
金五百貫をもらった秀吉は野武士の蜂須賀正勝(小六)のもとにいって、
協力をとりつけた。野武士も世に出るチャンスだ。
稲葉山城の裏手の山から木を切ってイカダにして河を下り墨俣に城を築いてしまった。
秀吉は墨俣城をまかされることになり、この頃弟の秀長や家族を墨俣城に呼んだようだ。
秀吉は美濃の武将の調略をはじめた。
美濃も斎藤道三から義龍、龍興と続いてきた。
龍興の代になると腰元が50人を超え、奥の人数は200人くらいいたという。
毎日酒浸りで家臣に腰元を与えたりしてたようだ。
だんだん龍興の家臣たちは出仕しなくなり仮病で休むようになった。
そんな折、竹中半兵衛が龍興をいさめるためたった18人で稲葉山城を奪ってしまった。
秀吉が稲葉山城を受け取りにいったが軽く竹中半兵衛にあしらわれてしまった。
竹中半兵衛は龍興をいさめて城を龍興に返して隠棲してしまった。
竹中半兵衛を憎んだ龍興は竹中半兵衛を殺そうとしいた。
頭が良すぎるのも困ったものだ。
秀吉はそんな竹中半兵衛の元を訪れ軍師に迎えた。
龍興の家臣の調略もすすみ後は稲葉山城を落とすのみとなった。
信長は稲葉山城に総攻撃をかけ、秀吉は稲葉山城の裏手から忍び込んで火をつけた。
信長は稲葉山城を手に入れ美濃を岐阜とあらためた。
秀吉も墨俣に城を築いた武将として有名になった。
そんな折、信長の妻濃姫のいとこという明智光秀が信長に士官してきた。
なんでも室町幕府将軍足利義昭をともなってきたようだ。
秀吉の良いライバルとなった。
伊勢で苦戦している滝川一益の援助に秀吉と光秀がおもむき成果をあげた。
秀吉は信長の妹の17才の市姫に懸想してしまった。

No.5928 - 2025/12/08(Mon) 13:27:40

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