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記事No.5922に関するスレッドです

新史太閤記 下 / 良太
「新史太閤記 下」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

信長が明智光秀の謀反によって倒れた。
何故、明智光秀が謀反を起こしたかはこの本には書いてなかった。
その時、秀吉はどうしたかっということが書いてあったのみだ。
秀吉は毛利の備中高松城を水攻めにしていた。
秀吉は訃報を聞き、すぐ毛利と和睦して中国大返しをおこなった。
誰も明智光秀も毛利と戦っていた秀吉が戻ってくるとは思わなかった。
柴田勝家は北陸で上杉と戦っていて、
滝川一益は群馬あたりを拠点にして北条と戦っていた。
秀吉は四国に渡ろうとしていた丹羽長秀と織田信孝と合流して、
天王山あるいは山崎の合戦で明智光秀に勝った。
秀吉が明智光秀に勝ったからといって簡単に天下は秀吉のものにはならなかった。
織田家相続争いで清須会議が開かれた。
織田家では長男の信忠も亡くなってしまったので
織田家継承者には信孝、信雄、信忠の長男の3才の三法師などがいた。
織田家筆頭家老の柴田勝家は織田信孝を推した。
一方、明智光秀を破り天下を自分のものにしたい秀吉は三法師を推した。
光秀を破った功績の大きい秀吉の意見が通り三法師が織田家を継ぐことになった。
三法師を抱いた秀吉が出てきて三法師あるいは秀吉に皆が頭を下げることになった。
皆、居城に帰っていった。
柴田勝家は信孝のすすめで市姫を妻にもらった。
秀吉は悔しかっただろうが市姫の娘の茶々(淀君)を自分のものにして満足しただろう。
秀吉は柴田勝家を賤ケ岳の戦いで破り勝家は自分の城で市姫とともに自害した。
前田利家の娘と市姫の三人の娘は助け出された。
柴田勝家も人質をころすようなことはしなかったのはさすがに筆頭家老だと思った。
賤ケ岳の戦いで柴田勝家派の前田利家は退却してしまい戦闘には参加しなかった。
前田利家と秀吉は美濃時代から長屋が隣同士だったりして仲が良く、
利家の妻まつと秀吉の妻ねねも仲が良かった。
利家はこれで秀吉から加賀100万石をもらった。
加賀では一向一揆が激しく100年間くらい百姓の持ちたる国になっていたかな。
利家も苦労したんじゃないかと思う。苦労したのは柴田勝家かもしれないが。
その後、織田信雄は信孝を追い込んで切腹させ、家康に助けを求めた。
ここに秀吉vs家康の小牧、長久手の戦いが始まる。
秀吉は中入りといって敵の本拠を奇襲する作戦に出たが、
小牧城を密かに出た家康は中入りした秀吉軍を全滅させてしまった。
秀吉が気づいた時には家康は小牧城に戻っていた。
完全に秀吉は家康に負けた。
ところが織田信雄は秀吉に本拠の伊勢を攻められ和睦してしまった。
家康は戦う意義を失い退却した。
ひと悶着あったが秀吉は家康に官位を贈ったりした。
家康は於義丸を人質に送ったが上洛はしてくれなかった。
於義丸はのちの結城秀康である。
秀吉は妹の44歳の朝日姫を離縁させて家康の元に妻として送ったが
それでも家康は上洛してくれない。
秀吉は自分の母を家康の元に送り、やっと家康が上洛してくれた。
秀吉は会見の前の日に家康の元に行き、
明日は尊大な態度をとるが慇懃な礼をしてもらいたいと頼んだ。
家康ほどのものも秀吉に頭をさげれば皆も秀吉に心腹するというものだ。
家康もここまででてきた以上は承知した。
その会見で家康は秀吉にその陣羽織を賜りたいと申し出た。
もう戦いは私に任せて下さい。秀吉様にもう苦労をさせませんと。
これも秀吉がしくんでおいた演技だったのだが。
家康が上洛してくれたところでこの本も終わっています。

No.5922 - 2025/11/29(Sat) 22:35:43

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