 | 「三国志 十 五丈原の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破
もう何度も書いたので同じことの繰り返しなのですが、 諸葛孔明と司馬懿の決戦の10巻。 はじめて司馬懿が出てきた戦いで孔明は敗れ、 泣いて馬謖を斬った。 馬謖は要道を守れといわれたのだが山の上に陣取ってしまい、 司馬懿に水の手を切られ負け戦となってしまった。 そこが敗れると総崩れとなり司馬懿は孔明の本陣まできた。 孔明のまわりには弱兵が2千人くらいいただけである。 孔明は四門を開け広げ、門の上で琴を引いていた。 司馬懿は何かはかりごとがあるのかと疑い退却してしまった。 後で司馬懿は言った。 「我勝てり、併しついに、我孔明に及ばずであった」っと。 その後の司馬懿の活躍はあまりなかった。 動けば孔明に謀られるので守りに徹して戦わなくなった。 孔明は司馬懿に女性の服を贈った。 おまえは女性のようではないかと。 その使者に司馬懿は孔明の様子をきいた。 激務をこなし少しの食事しかとらないと聞くと 司馬懿は孔明の命は長くないだろうと見抜いた。 星を見て孔明がしんだと見抜いた司馬懿は総攻撃をかけた。 しかし孔明は現れた。 司馬懿はびっくりしてどこまでもどこまでも逃げていった。 後で聞くとその孔明は木像であった。 やはり孔明はしんでいたのだ。 しせる孔明、生きる仲達を走らすっという言葉が生まれた。
泣いて馬謖を斬る、っという言葉は 眼をかけていた部下の首を切るときなどに使われるようになった。
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No.5893 - 2025/08/16(Sat) 18:15:14
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