 | 「日本の歴史 23 大正デモクラシー」 今井清一緒 中央公論社 読破
1902年、あの大英帝国のイギリスがアジアの日本と同盟してくれた。 そのせいもあったのか日露戦争で日本はロシアに勝つことができた。 日本がロシアのバルチック艦隊を破るとアメリカのルーズヴェルトの仲介でポーツマス条約が結ばれました。 ただ日本はロシアから賠償金をもらえなかったので日比谷焼き討ち事件などがおきました。 しかしアジアの小国だった日本が大国のロシアに勝ったことは多くのアジアの人に感銘を与えました。 中国などから多くの留学生が日本に来て学びました。孫文もその一人です。 孫文は1911年辛亥革命を起こし、1912年中華民国を立てました。のちの台湾ですが。 このような時に日本は大正時代に突入しました。 大正デモクラシーは1910年代から1920年代にかけての日本で展開された、 政治、社会、文化の各分野における民主主義的な運動や風潮を指します。 この時期に、普通選挙制度の導入や言論、集会の自由、男女平等、労働運動などが活発に行われました。 1914年に第一次世界大戦が起こりイギリスの要求で日本は中国のドイツの権益を手に入れました。 また南洋諸島のドイツの権益も手に入れたようです。 2015年には日本は中国に対し21か条の要求をだしました。日本はちょっと調子に乗っていました。 第一次世界大戦でドイツなどが敗れると1919年にベルサイユ条約が結ばれました。 国際連盟ができて日本は常任理事国になりました。 ワシントン体制ができてイギリス、アメリカ、日本の戦艦を持つ比率が5−5−3に決ましました。 しばらく戦艦はつくらないよう取り決められました。日本も許諾しました。大変なお金がかかっていたのです。 ここで日英同盟は破棄されました。 レーニンがマルクス主義のソビエトを作り、スターリンが引継ぎました。 中国では毛沢東などが中心となり中国共産党ができました。
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No.5831 - 2025/02/20(Thu) 12:06:47
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