 | 「日本の歴史 21 近代国家の出発」 色川大吉著 中央公論社 読破
薩摩や長州では士族の乱が起こったが、 土佐では板垣退助を中心に自由民権運動が起こった。 板垣退助は自由党を作って活動していたが、 自由党を弱めるために板垣退助は洋行を勧められ海外に行ってしまった。 政府は集会を取り締まり、それぞれの党首を処罰したり追放したりして 自由民権運動も弱くなっていった。 板垣退助が海外から帰ってきた時にはどうも自由党も弱くなったいたようだ。 秩父事件が起こった時に自由党に協力を求めたが自由党は弱くなっていた。 秩父事件の映画「草の乱」にもそのことがちょっとふれられている。 日本の最初の首相になる伊藤博文はドイツに行ってドイツの憲法を学んできた。 日本の憲法はドイツの憲法を参考にしたようだ。 伊藤博文はビスマルクに心酔していた。 そして1889年に大日本帝国憲法が発布された。 伊藤博文が首相になり貴族院と衆議院からなる二院制の帝国議会ができた。 欧米諸国はアジアの日本が西洋の政治制度を取り入れ、 大日本帝国憲法を制定し、立憲君主制を導入して二院制の議会を設置したことに驚いたそうです。
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No.5827 - 2025/01/28(Tue) 08:39:48
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