 | 「日本の歴史 19 開国と攘夷」 小西四郎著 中央公論社 読破
1853年、アメリカのペリー率いる黒船が来航した。 アメリカは日本を開国させようとしていた。 当時世界では蒸気船が主流になってきていて、 中国との貿易のためだったり捕鯨をしていて補給地が必要だったりしたのだ。 ペリーは太平洋を渡ってきたのではなくインドの方をまわってきた。 翌年、1854年に日本に再度やってくるが中国の方の港にいただけである。 この時、吉田松陰が黒船に密航しようとしたが失敗している。 またペリー艦隊が来たことにより幕末へ向かっていく。 開国か攘夷か。尊王か佐幕か、さまざまなイデオロギーの対立が起こった。 1858年には井伊直弼が天皇の許可をとらず、アメリカと開国の条約を結んでしまった。 各国とも同じような条約を結ばされた。不平等条約であった。 井伊直弼は尊王攘夷派を処罰していった。安政の大獄である。 その反動で井伊直弼は桜田門外で暗殺されてしまった。 開国しようとした井伊直弼は悪かったであろうか? 長州は外国船打ち払い令を間に受け外国の船を砲撃した。 4か国の連合艦隊が長州に仕返しに来た。 長州は砲撃を受け砲台を簡単に占領されてしまった。 陸戦ならばっと日本の誰もが思っていた。しかし違った。 薩摩も生麦事件の報復でイギリスの艦隊が薩摩に乗り込んできた。 薩摩の建物は砲撃されすごい被害が出たようだ。薩摩も外国の力を知った。 長州と薩摩は戦ったイギリスを頼みに思うようになり、 幕府にはフランスがフランス式の軍隊を学ばせていた。 長州は第一次長州征伐ではやぶれたが第二次長州征伐では幕府に勝った。 戦いの途中で将軍徳川家茂がしんだのだ。 次にようやく慶喜に将軍がまわってきた。 もっと早く慶喜が将軍になっていれば幕府はもう少しまともだったかもしれない。 しかし慶喜が将軍になった頃には大政奉還が言われ始めていた。 慶喜は大政奉還したが徳川家が天皇の摂政になり実権を握ろうと思っていたようだ。 ところが岩倉具視らは倒幕の密勅を用意した。 クーデターが起こる。 良かったのは日本はイギリスやフランスの植民地にならなくてすんだこと。
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No.5823 - 2025/01/14(Tue) 23:05:47
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