| 「児玉源太郎」 中村 晃著 PHP文庫 読破
なんかよくわかりませんでした。 児玉源太郎という名前は司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を 読んだときにはじめて知りました。 児玉源太郎は1852年生まれで日本が開国した頃に生まれています。 明治維新後に士族の反乱が起きますがその頃から参戦しています。 西郷隆盛の西南戦争の時には熊本城で籠城して守り切りました。 准参謀をしていたようです。 日清戦争で勝つと台湾の統治をまかされました。 また遼東半島も日本領になりましたが、 ロシアとフランスとドイツの三国干渉に会い放棄させられました。 遼東半島はソ連の基地、あるいは軍港(旅順)になってしまいました。 日清戦争で朝鮮を清から独立させました。 このままだと朝鮮半島をロシアに取られてしまうと危惧した日本は 朝鮮半島の統治に乗り出します。 そうして1904年日露戦争が始まりました。 日本は遼東半島の旅順、203高地を攻略しようとしましたが 乃木希典はロシア要塞の機関銃の前に突撃を繰り返し、 たくさんの日本兵が死んでいきました。 みかねた児玉源太郎が指揮をとり203高地を落としてみせました。 203高地からロシアの旅順艦隊を砲撃して艦隊を沈めました。 満州の方でも一時的に日本が勝ちをおさめ、 ロシアのバルチック艦隊を破るとアメリカのルーズベルトに講和を頼みました。 日本は朝鮮半島と満州を手に入れましたが賠償金がもらえなかったので 日本国民は激怒して日比谷焼討事件などが起きました。 日本国民にはもう日本軍の攻撃能力がなくなっていたのがわからなかったのです。 児玉源太郎は1906年に亡くなりました。 日本が朝鮮半島をとる代わりにアメリカはフィリピンをとるという 密約があったとかなかったとか。
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No.5751 - 2024/03/25(Mon) 14:28:15
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