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三国志 九 出師の巻 / 良太
「三国志 九 出師の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

関羽は腕に毒矢を受けて苦しんだ。
医者を探して華佗が来てくれて矢傷を治療してくれた。
毒は骨まで達していてノミで骨を削った。
矢傷は結構良くなったが以前のような働きはできなかった。
関羽が魏と戦っているすきに呉が荊州を奪ってしまった。
魏と呉に攻められ関羽の最後となった。
魏では曹操の体調が良くなかった。
関羽の霊でも祟っているのではないかと思われた。
曹操は脳手術をすれば治るといった華佗をころしてしまった。
曹操も最後は梨の木の精にとりつかれて亡くなってしまった。
曹操の後を継いだ曹丕は帝を廃し皇帝となった。
劉備は関羽にとどめをさした呉を恨んだ。
劉備は孔明に止められたが呉に復しゅうしようとした。
劉備は孔明を残して呉に乗り込んだ。
その時、張飛は関羽の復しゅう戦に白い防具を三日で作れといい
三日ではできないという部下を打擲(ちょうちゃく)して
その部下に寝首をかかれてしまった。
部下は張飛の首をもって呉に投降してしまった。
死ぬ日は同じ日にと誓った桃園の義もここに終わった。
しかし、関羽の子関興や張飛の子張苞が加わり勢いづいた。
関羽や張飛には女がいないのかと思われていたが
いきなり関興や張苞が出てきてびっくり。
蜀の75万の兵は連戦連勝で凄い速さで長江を下っていった。
蜀ははやくも呉を制圧するかに思われた。
しかし兵権を握った陸遜は蜀の兵たんが伸びきるのを待っていた。
守りに徹していた呉は蜀兵の中核を火攻めによって攻撃してきた。
蜀の兵は中核が崩されると所々で殲滅されて全滅してしまった。
劉備は白帝城まで逃げ、これに恥じて蜀に帰ることなく亡くなった。
蜀の運命は孔明一人に託された。
時は流れ、蜀と呉はまた修好条約を結ぶことができた。
呉が魏に大勝したのをきに、孔明は南蛮制圧に出た。
孔明は南蛮王孟獲を七度つかまえ七度放した。
孟獲も心から王化に服した。
それから孔明は出師の表をかかげ魏に攻め込もうとする。
魏では司馬懿が頭角を現してきていた。

No.5697 - 2023/09/30(Sat) 15:52:14

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