| 「徳川家康 23」 山岡荘八著 講談社 読破
豊臣家の大阪城には秀吉が集めた大量の金があった。 家康は金を使わせようと豊臣家に神社仏閣を作るように命じた。 豊臣家は秀吉を祭った神社を作ったがその鐘が問題になった。 国家安康 君臣豊楽という字が書かれていた。 徳川家は国家安康は家康の字を分断して呪っていると イチャモンをつけたのだ。 豊臣家と徳川家の関係はいっそう悪くなった。 徳川家では豊臣家に三つの条件を出してその一つを実行しろという。 淀殿を江戸に送ることと大阪城を明け渡すことと 秀頼が江戸へわびに来ることだった。 豊臣家ではどれも受け入れることのできないものだった。 大阪城には金がある。浪人が集まり始めた。 関ケ原で負けて浪人しているものがほとんどだった。 真田昌幸は何年か前に亡くなったが真田幸村も大阪城に入った。 大阪側が勝てば浪人だった人たちが一躍大名になれる。 大阪城で籠城すれば、伊達政宗や毛利や島津が兵をあげるかもしれない。 旧教のフィリップ大王が軍船と大軍を送ってくれるなどどいう噂もあった。
|
No.5641 - 2023/04/30(Sun) 11:16:50
|