| 「徳川家康 20」 山岡荘八著 講談社 読破
二代将軍秀忠と江がやっと男子を産んだ。 家光である。 1605年、家康は征夷大将軍を秀忠にゆずった。 豊臣秀頼が16才になれば政権を秀頼に返すと 秀吉と家康は約束したのだがそれは守られそうもなかった。 しかも家光が生まれた。 代々将軍職は徳川家が受け継いでいくことになりそうだ。 秀頼の母、淀殿はおもしろくなかった。 秀忠が上洛するのに秀頼も上洛するように家康は頼んだが 淀殿は受け入れなかった。 徳川は豊臣の家臣ではないかっという主張だった。 家康や秀忠が大阪城の秀頼にあいさつに来いというのだ。
スペイン、ポルトガルを南蛮人といい旧教のカトリックだった。 イギリス、オランダを紅毛人といい新教のプロテスタントだった。 何故、南蛮人や紅毛人が日本に来るようになったかというと マルコポーロが日本のことを黄金の国ジパングと紹介したからであった。 1549年、いごよく広まるキリスト教と覚えたものだが ザビエルはスペイン人だった。 初めはスペイン、ポルトガルの南蛮人が調子が良かったが 1600年頃になるとイギリス、オランダの方が調子が良くなっていた。 家康は日本に漂着した新教のイギリスのウイリアムアダムズを 三浦按針と名付け寵愛した。 1588年にイギリスはスペインの無敵艦隊を破り、 1600年には東インド会社を作っている。 とにかく新教と旧教の国は仲が悪く戦争ばかりしていた。
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No.5634 - 2023/04/08(Sat) 19:17:16
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