| 「徳川家康 17」 山岡荘八著 講談社 読破
石田三成を左遷(させん)させた家康は大阪城にのり込んだ。 秀吉の妻高台院(ねね)は自分が住んでいた西の丸を家康に明け渡した。 家康は大阪城で政務をとりはじめた。 前田家は前田利家の妻芳春院(まつ)を江戸に人質に出し完全に家康に屈した。 上杉家は越後から会津へ転封になったばかりだったので 会津で道を作ったり城を築いたり武将をやとったりしていた。 それが家康には上杉の反抗だと受け取った。 上杉家の直江兼続は直江状を家康に送った。 弁明かと思ったら痛烈に家康を批判したようだ。 家康が、これほど無礼な文は読んだことがないっといわれるような代物だった。 家康は上杉征伐をすることになり武将たちを引き連れて東へ向かった。 それを待っていたとばかりに石田三成が西から兵を上げた。 東軍の家康に対し、西軍の筆頭には毛利に立ってもらった。 だいたい東日本の武将は家康につき、西日本の武将は石田三成についた。 関ケ原の戦いがはじまる。
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No.5615 - 2023/03/16(Thu) 15:51:23
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