| 「徳川家康 10」 山岡荘八著 講談社 読破
秀吉は1年で信長の領地をほぼ掌握してしまった。 岐阜の織田信孝は、秀吉に命ぜられたのか三重の織田信雄によって 切腹させられてしまった。 信雄は自分も危ないとみて徳川家康に助けを求めた。 家康は織田家を助けるために助けに応じた。 名分はできた。 これで秀吉と家康が戦うことになった。 秀吉の兵は5万、家康は2万くらいだったろうか。 家康は尾張の小牧山に陣取り持久戦となった。 秀吉は2万の兵に家康に気づかれないように岡崎をつけと命じる。 中入りと呼ばれる手だ。 しかし家康は秀吉の2万の兵を破り、 秀吉が気づいたときには家康は小牧山に戻っていた。 完全に家康が秀吉に勝った。 小牧・長久手の戦いといわれている。 しかし家康は秀吉を討って世を乱してはならないと思った。 秀吉を討てば日本中の大名を相手に戦わなければならなくなる。 秀吉で治まるものを乱世にしてはならない。
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No.5606 - 2023/02/13(Mon) 23:16:25
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