| 「徳川家康 9」 山岡荘八著 講談社 読破
謀反をおこした明智光秀を討って天下を握ったかに思われた秀吉だが 織田家相続で清須会議が開かれることになった。 柴田勝家は織田信孝を推したが 秀吉は信忠の嫡男の三法師を推した。 光秀を破った秀吉の成果が多く、三法師に決まった。 3才くらいの三法師は秀吉に抱かれ皆、三法師と秀吉に頭を下げた。 柴田勝家はおもしろくなく、秀吉に敵対した。 しかし柴田勝家の拠点は日本海側で雪が多く春まで出てこれない。 秀吉は岐阜の織田信孝や三重の織田信雄・滝川一益をあしらい 雪が溶けるとやっと柴田勝家が出てきた。 この賤ケ岳の戦いで秀吉は勝利し北の庄の城で柴田勝家は自害した。 柴田勝家に嫁いでいたお市も柴田勝家と一緒に自害し 3人の娘は城から落ちた。茶々などである。 秀吉の親友の前田利家は柴田勝家についていたが 秀吉に味方し賤ケ岳の戦いではやく退却して秀吉が有利になった。 そのお礼に秀吉は前田利家に加賀100万石を与えることになる。
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No.5605 - 2023/02/11(Sat) 22:30:01
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