| 「徳川家康 5 うず潮の巻」 山岡荘八著 講談社 読破
信長は朝倉領に攻め入ったが浅井が裏切った。 信長はあわてて京に退却した。 しんがりを家康が申し出てくれた。 秀吉もしんがり買って出た。家康を先に逃がす。 その後の浅井朝倉との姉川の戦いで 家康は6千の兵を率いてきて先陣を申し出た。 姉川の戦いで勝利するも浅井朝倉は比叡山に逃げた。 信長は比叡山を焼いたようだ。 そしてとうとう武田信玄が上洛戦を起こしてきた。その数4万。 信長は3千の援軍しか送ってくれなかった。 信玄は家康など無視して通り過ぎようとしたが 家康は意地で戦った。三方ヶ原の戦いといわれている。 信玄が魚鱗の陣をしき、家康は鶴翼の陣をしいた。 鶴翼の陣は厚みがなく薄く、家康は大敗北を喫した。 しかし信玄は病んでいて進軍も止まり病没してしまった。 信玄は秩父神社を焼いたから罰が当ったんだな。 家康の子信康のもとに嫁いだ信長の娘徳姫は妊娠していた。 しかし信康と母の築山御前(瀬名)は徳姫に冷たかった。 今川の血を引いてるせいか。 岡崎城に信康と築山御前がいて浜松城に家康がいるのだが 築山御前は岡崎城に武田を導き入れようとした。 信康にどこか一城もらい、築山御前は武田の武将の妻になろうとした。 家康が側室を作って築山御前の相手をしなくなったから家康も悪い。
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No.5598 - 2023/01/21(Sat) 22:00:35
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