| 「徳川家康 3 朝露の巻」 山岡荘八著 講談社 読破
竹千代(家康)は14才で今川義元のもとで元服して 松平元信と名乗り、鶴姫(瀬名)と結婚した。 15才で祖先の墓参りとして一時岡崎へ戻って来た。 岡崎衆は大きく育った主君を見て皆涙をながした。 しかしすぐ駿府に戻らなければならなかった。 駿府には妻瀬名がいる。姫も産まれた。 尾張の信長は家康に子供ができたと聞き、 側室を3人増やして子供を産んだ。 弟の信行を斬り尾張を統一していた。 木ノ下藤吉郎(秀吉)も信長に士官をはたしどんどん出世した。 家康は松平元信と名乗ったが信が信長の字だと疑われ 松平元康と名前を変えた。男子も生まれた。 そして今川義元は信玄と謙信が川中島で千日手になっているすきに 上洛戦をおこした。兵数は3万とも4万ともいわれた。 家康は岡崎衆を率いて先陣をまかせられた。 尾張の信長は籠城と見せかけるために秀吉に味噌買いを命じた。 尾張の兵は3千しかいないのだ。 家康は前線の城を落とし、今川義元も安心しきって、 休んで酒などを飲んでいた。 竹之内波太郎が献じた酒や食べ物だった。 信長は今川義元が尾張に接近してきたと聞くや一気に攻勢に出た。 信長は城を飛び出し今川義元が休んでいるという田楽狭間を急襲した。 そして今川義元の首をあげた。 信長と家康が直接戦わないように裏で取引があった可能性もある。 前田犬千代(利家)が工作していたようでもある。
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No.5596 - 2023/01/14(Sat) 17:02:17
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