| 「新太閤記 四」 海音寺潮五郎著 文春文庫 読破
秀吉は柴田勝家を破り、 柴田勝家は越中?あたりの城でお市とともに自害した。 お市と浅井長政との3人の娘は城から出された。 その長女茶々は秀吉の妻となる。 茶々は17歳だった。 秀吉も満足したことであろう。 茶々は秀頼を産み淀殿と呼ばれるようになる。 茶々の子供秀頼が秀吉の本当の子供であったのかは永遠の謎だ。 日本を統一した秀吉は朝鮮、明を支配しようと朝鮮出兵をした。 だから秀吉は朝鮮ではいたって評判が悪い。 明が滅んだのは秀吉のせいだともいわれている。 表紙にも載っている秀吉の辞世の句は、 露と落ち露と消えぬるわが身かな なにはのことは夢のまた夢
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No.5527 - 2022/07/19(Tue) 18:29:18
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