| 「三国志 九 出師の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破
荊州は魏と呉に攻められ関羽は最後となった。 劉備は関羽にとどめを刺した呉に攻め込んだ。 それにあたり張飛は部下に皆白装束に3日でしろと 無理なことをいって部下ができないというと その部下を100叩きにした。 部下は張飛の寝首をかき呉に投降した。 死ぬ日は同じ日にっと誓った桃園の義はここに終わった。 孔明は呉に攻め込むのは反対だったので従軍しなかった。 劉備は呉に連戦連勝で勢いよく長江を下っていったが、 75万もいた兵はどんどん厚みが薄くなった。 呉の陸遜はあえて戦わずこの時を待っていた。 蜀の75万もいた兵は火計により中核を崩されると 皆バラバラになり殲滅(せんめつ)されてしまった。 劉備は白帝城まで逃げ、これに恥じてそこを永安宮と名づけ 蜀に帰ることはなくここで死んだ。 死に望んで劉備は孔明に言った。 「わが子に素質がなかったら孔明が帝となり蜀を治めてくれと」 劉備の子、劉禅は帝王の器はなかったが孔明はよくつくすことになる。 それから孔明は蜀呉同盟を復活させて南蛮を制圧に行った。 南蛮王孟獲は七たび捕まり七たび放され心から王化に服した。
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No.5400 - 2021/10/01(Fri) 20:34:22
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