| 「徳川慶喜 4」 山岡荘八著 講談社 読破
慶喜が江戸幕府将軍徳川家茂の後見職になり、 越前の松平春嶽は政治総裁になった。 鎖国、開国、勤王、尊王、攘夷、公武合体、倒幕、 様々な思想が出た。 朝廷は攘夷派で 幕府は開国派で慶喜も開国派だ。 慶喜は水戸出身で尊王派でもあった。 公武合体策などがとなえられた。 京では尊王攘夷の志士たちが倒幕に動いていた。 京都守護職を任じられた会津の松平容保が新選組を作り 尊王攘夷の志士たちを取り締まる。 朝廷は長州に占領されていて久坂玄瑞などが活躍していたが 八月十八日の政変で薩摩などによって長州は中央から追い落とされる。 三条実美などを含む七人の公家たちが長州に落ちていった。 七卿落ちとよばれている。 朝廷は薩摩が牛耳るようになる。 長州は薩摩を憎んだ。 長州は朝廷から攘夷を決行するように勅命が出て 下関を通る外国船を砲撃したりした。 薩摩では行列の供先を突っ切ったイギリス人を斬ってしまった。 生麦事件と呼ばれている。 薩摩と長州は尊王攘夷、倒幕と方向性は同じなのだが仲が悪い。
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No.5381 - 2021/08/06(Fri) 22:56:19
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