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クラシック映画BBS2

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バート・ランカスターとフレッド・マクマレー / Ismael
以前から感じていたのですが最近『合衆国最後の日』と『絞首台の決闘』を見て、この2人は下顎をよく動かすしゃべり方がそっくりだと思いました(ジェイムズ・キャグニーもちょっと似た使い方をします)。

ランカスターが第二のマクマレーなどと言われたことはないでしょうし、誰もそれを狙ったわけでもないでしょうから偶然でしょうね。

マクマレーといえば、私などにとっては『ボクはむく犬』や『フラバー』の人なんですね。
70年代のどこかで『テキサス決死隊』をテレビで見て「ふーん、こういう役も演じていたんだ」と思いましたが、もう彼の新作が公開されるような時代では有りませんでした。

名画座で『アパートの鍵貸します』を見ていますが、特に強い印象は受けませんでした。

その後ずいぶん時間が経ってから『深夜の告白』のマクマレーに出会うわけです。

IMDbでもマクマレーは、過小評価されていると言っていますのでアメリカ本国でも地味な存在なんでしょうか。
同じIMDbによると1943までにハリウッドでも最も高給取りの俳優の一人になったと有ります。

1908年生まれの映画関係者には、ジョン・ミルズ、マキノ雅弘、長谷川一夫、レックス・ハリスン、アンナ・マニャーニ、マイケル・レッドグレーブ、川喜多かしこ、ベティ・デビス、ドン・アメチー、デビッド・リーン、マノエル・ド・オリヴェイラなどなどがいます。
No.194 - 2014/01/30(Thu) 19:07:27
「愚かなり我が心」 (1950) / マグカップ
以前から気になっていたのに未見でしたが、先日ネットでレンタルしました。
ダナ・アンドリュースとスーザン・ヘイワードの恋愛映画で、ビクター・ヤングの美しい主題歌が全編に流れます。ダナのひねりのあるジョークが楽しく、私は大変気に入りました。
最後の10分は蛇足かな、と思っていたら、ラストシーンでまた感動してしまいました。
しかし、allcinemaでは、解説も4つのコメントも否定的です。スーザン・ヘイワードはあまり人気がなかったのでしょうか。例えば、私が傑作と思っているミュージカル「わが心に歌えば」もあまり有名ではありません。
ネットレンタルする機会がある人は、この作品も一緒にレンタルして観ていただきたいと思います。
No.170 - 2014/01/17(Fri) 13:59:05
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / B&W
マグカップ様 お返事ありがとうございます。こちらでレスさせていただきますね。

『殺しのダンディ』でボケボケのレスつけてしまってすみません。なに読んでるんですかね〜。お三方のやり取りは読んでるんですけどね…。Amazonで検索して見つからなかったので、ないと思い込んでしまって…。TUTAYA専売なのは権利関係か何かのせいでしょうか…。

>■『愚かなりしわが心』(My Foolish Heart 98分 R:7.2 マーク・ロブソン 1949)
私はこの映画は原作から見知ったほうです。もしかしたら以前に投稿しているかもしれないのですが、下書きも見つからないので、投稿していないものとして、お返事します。

私がこの作品を始めてみたのは多分中学生ぐらいのことで、地方局TVの16:00ぐらいからの『アフタヌーンシアター』とかなんとかいう、洋画放映枠でのことだと思います。1時間半の番組でCMが入るので実際は70〜60分くらいにカットされていたと思います。原作はJ・D・サリンジャー(1919〜2010)の『九つの物語/ナイン・ストーリーズ(1953)』所収の『コネチカットのよろめき叔父さん/コネチカットのひょこひょこ叔父さん』(Uncle Wiggily in Connecticut 1948)で、原作が好きな私は大いに期待してTVの前に座ったものです。タイトルクレジットにJ.D. Salinger と記されていたのを今でも思い出します。
“My Foolish Heart”
http://www.youtube.com/watch?v=FzSPdIZeWEY

そのときの感想は「人物の身なりがキチンとしている!」ということと「普通のメロドラマになってる!」というものでした。今から思うと、かなりカットされていたのでしょう、ストーリーはつながっているけれども、空港での親子(ロバート・キースとスーザンヘイワード)の会話とか、寄宿舎とかダンスパーティーとか、こまごましたシーンがなかったように思います。その後もう一度TVで観て、それから後、何十年も経った比較的最近のことですが、DVDで再見しました。これはグラス家の一族の話で、長男シーモアの双子の弟の片割れウォルトの事を、恋人エロイーズの視点から語った短編小説です。

見直して気がついたことは、映画が始まって、5分ぐらいまではとてもいいですね。原作のエロイーズの辛らつな口調が良く表わされていて、セリフもきびきびしていて、原作の雰囲気が出ています。中学生の私は、会話や振る舞いから想像して、エロイーズを勝手にアメリカン・ニューシネマ風な、フラワーチルドレン風な身なり(デニムのラッパズボンにTシャツみたいな…)と想像していましたが、原作小説が書かれて程なく映画化されているのですから、映画に出てくる姿恰好が正しいんですね。スクリーン上のスーザン・ヘイワードはスターらしく、髪はセットされ、帽子を被って、メイクはばっちり、イディス・ヘッドデザインの素敵なスーツにパンプスです。余談ですが、働くようになってからのことですから映画を見てだいぶ後のことなのですが、作中に出てくる変わり襟のスーツに似たものを、吊るしで見つけて着ていたことがありました…。

ヘミングウェイの『殺し屋』→『殺人者たち』(シオドマク 1946/シーゲル 1964)のように、この映画も原作は短編で、ある情景スケッチと言った風のもので、『殺し屋』よりももっと筋らしい筋がありません。サリンジャーはこの映像化が不興で、その後自作の映画化を一切させませんでした。有名な『ライ麦畑で捕まえて』(1951)も、何度となくあった映画化の話をかたくなに拒否したそうです。If・・・ですが、ニコラス・レイかジョン・カサベテスあたりのメガホンで、見てみたかった気もします。

初見で私ががっかりした点は、映画が原作を勝手に改変して、恋愛物が戦争未亡人物に、一人の女性の魂の物語だったはずのものが、家族が出てくるファミリーメロドラマになっており、主人公はウォルトではなくてエロイーズになっていて、彼女のイメージも私の勝手な想像ではダイアン・キートンやケイト・ブッシュみたいな佇まいの、「目覚めた女性」のはずなのに、スーザン・ヘイワードは「スター」で「美人(だけどただそれだけの)女優」だったので、イメージが合いませんでした。ウォルトももっとエキセントリックなコミカルな人物のイメージでしたが、ダナ・アンドリュースはただのGood Gayで物足りませんでした。全体的にごく常識的な人たちの戦中〜戦後の悲恋の物語になっており、それはそれでいいのですが、原作派の私は、戦争への批判や戦死者への癒されない想いが甘く扱われている映画には “初見のときは” 落胆しました。

しかしカットされていない本来の形でメロドラマとして見ると、タイトルに“Samuel Goldwyn’s”と出すぐらいですから、なかなか見ごたえがありました。ゴールドウィン・タッチというんでしょうか、丁寧に作られた上質のドラマで、ちょっと見直しました。 レビューを読んでみても皆がほめていますが、父親役のロバート・キースがとてもいいですね。空港のロビーで父娘が会話するシーン「戦地から帰郷して、新婚の食卓についてみると、そこには互いに見知らぬもの同士がただ顔を見合わせているだけだった」と述懐するところなど、しみじみとしてうそがなく、ヘイズコードができる間際の1930年代初頭の“女性映画”に立ち戻った感じがあります。プロットに共通点があるせいでしょうか、『ブルースを唄ふ女』(Torch Singer アレクサンダー・ホール 1933 R:6.9 パラマウント) や 『昨日』(Only Yesterday ジョン・M・スタール 1933 R:7.6 ユニバーサル)などを思い出しました。

エプスタイン兄弟の脚本は、非常にたくみに原作のセリフやエピソードを、余すところなく使っています。娘のラモナが誰に似ているかと問われて「夫と姑に似ている、三人並ぶとさながら三つ子だ」と答えるセリフなど、原作にない含意を込めて、うまく使っています。そこが――原作にない重要な改変点なので――サリンジャーの許せないところだったんでしょうが。エプスタイン兄弟に悪気はなかったんでしょうが、映画は原作の、それなりに風刺や皮肉のこもったセリフや設定を、どういうわけかきれいに裏返して通俗メロドラマに変えてしまっているので、試写は原作者にとってはまさに悪夢を見させられているような体験だったかもしれません。私はラモナのエピソード“ジミー・ジメリーノ”やら“ミッキー・ミケラーノ”やらの空想の恋人といつも一緒で、ベッドに寝るときも押しつぶしてはいけないと、片側によって寝る――の部分をもっとうまく使って欲しかったなと思いますが、短編小説だからこそ生きる描写だったかも知れません。私見ですがサリンジャーの小説には、中学生で読んだときから神経質な選民意識のようなものを感じていて、そういう面と映画が本質的にもつ大衆性とは合わないようにも思うので、『ライ麦畑で捕まえて』が映画化されなかったのは良かったのかもしれません。

ブリーン・オフィスはカトリックのせいか、妊娠・出産に関しては生命尊重の視点がより強いように感じます。ただ『ブルースを唄ふ女』は天使のように無邪気なデイヴィッド・マナーズが帰ってくるし(笑)、『昨日』はいつもどおりマーガレット・サラヴァンが――これがデビュー作なんだけど――十字架に昇るので、『愚かなりわが心』のように、インディペンデントなスーザン・ヘイワードのような人生の選択をするのはやっぱり「戦後」の選択で、戦中の女子労働力の進展が背景にあるからなのかなと思います。

スーザン・ヘイワード(1917〜1975)はこれまた女性映画のど真ん中、ファニー・ハースト原作の『裏町』の3度目の映画化で主演しています。いずれも製作はユニバーサル。

○ Back Street (1932 93分 R:7.3 D:ジョン・M・スタール アイリーン・ダン/ジョン・ボウルズ) ←未見です。
○ Back Street (1941 89分 R:7.0 D:ロバート・スティーブンソン シャルル・ボワイエ/マーガレット・サラヴァン)
○ Back Street (1961 107分 R:6.8 D:デイビッド・ミラー※ スーザン・ヘイワード/ジョン・ギャビン)

どちらかと言うと、ヘイワードのスター・ビークルで、プロデューサのロス・ハンターは、過去の名作『裏町』で手堅く興行収益を狙ったと言う感じではありますが、61年版の結末は『愚かなりわが心』と同じように救いのあるものです。ジョーン・クロフォードやバーバラ・スタンウィックが表象した1930〜1940年代の“ハリウッド製”女性像とはまた違った女性像が、ヘイワードにはあるように感じています。

※デルバート・マンと書いていましたが、間違っていたので訂正します(2014/4/29)
No.186 - 2014/01/28(Tue) 01:05:48
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / LB
スーザン・ヘイワードの人気について、当時の『スクリーン』誌の読者投票の結果ですが、ご参考までに。

1952年度ベスト10

1.イングリッド・バーグマン
2.エリザベス・テイラー
3.ヴィヴィアン・リー
4.モーリン・オハラ
5.ジューン・アリソン
6.ジョーン・フォンテイン
7.ヴァージニア・メイヨ
8.アン・ブライス
9.スーザン・ヘイワード
10.ミシュリーヌ・プレール

1953年度ベスト10(『愚かなり我が心』『わが心に歌えば』が日本公開された年でもあります)

1.クレア・ブルーム
2.ジェニファー・ジョーンズ
3.イングリッド・バーグマン
4.スーザン・ヘイワード
5.ピア・アンジェリ
6.エリザベス・テイラー
7.デボラ・カー
8.ヴィヴィアン・リー
9.ジーン・ピータース
10.アン・ブライス
No.187 - 2014/01/28(Tue) 01:35:40
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / マグカップ
B&Wさん、こんにちは。

>原作派の私は、戦争への批判や戦死者への癒されない想いが甘く扱われている映画には “初見のときは” 落胆しました。

なるほど、これはサリンジャーの有名な小説だったのですね。知りませんでした。
私は美しい主題曲と主演2人の恋愛シーンがメインであり、戦争未亡人の個所は付足しとして鑑賞しました。

>レビューを読んでみても皆がほめていますが、父親役のロバート・キースがとてもいいですね。

私も彼のような親父になりたいです。

LBさん、こんにちは。

>1953年度ベスト10(『愚かなり我が心』『わが心に歌えば』が日本公開された年でもあります)
>4.スーザン・ヘイワード


スーザン・ヘイワードの代表作は『私は死にたくない』(1958)と書かれてますが、『愚かなり我が心』『わが心に歌えば』の方が日本で人気があったのではないでしょうか。この女優人気ベストテンを見て、嬉しく感じました。
No.188 - 2014/01/28(Tue) 12:50:18
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / LB
マグカップさんへ

スーザン・ヘイワードの映画ですが、1953年には新作として『キリマンジャロの雪』『真紅の女』『蛮地の太陽』の公開もありますね。
No.189 - 2014/01/28(Tue) 20:28:29
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / マグカップ
LBさん、こんにちは。私なりに調べてみました。

「キリマンジェロの雪」IMDB: 6.3/10 from 2968 users 興行収入 $6.5–$12.5 million

「わが心に歌えば」  IMDB: 7.1/10 from 747 users 興行収入 $3.25 million

「愚かなり我が心」  IMDB: 7.2/10 from 455 users 興行収入 ??

この中では「キリマンジェロの雪」が日本でも1番ヒットしたと思いますが、エヴァ・ガードナーがベストテンに入ってないので、他の映画の人気でスーザン・ヘイワードがベストテン入りしたのだと思います。
No.191 - 2014/01/29(Wed) 12:12:16
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / 44-40
スーザン・ヘイワードと言えば、40〜50年代では私にとって、『タイムリミット25時』(ハロルド・クルーアマン)、『狙われた駅馬車』(ヘンリー・ハザウェイ)、『悪の花園』(同左)です。スター女優というより、屈折して腹に一物秘めたような、得体のしれない役どころの印象が強いです。
『タイムリミット〜』はコーネル・ウールリッチ原作(『暁の死線』)で、あまり評判は良くないようですが、ほぼすべてが夜のシーンのフィルム・ノワールの小品でした。
『悪の花園』はファム・ファタールを西部劇に持ち込もうとした狙いを感じますが、それがうまくいっているかどうかはともかくとして、災厄を生む赤毛女を演じて印象的でした。
『狙われた駅馬車』も駅馬車の駅を舞台にした閉塞感のあるモノクロの言わばノワール西部劇で、一人で旅をする子連れ女を演じていました。タイロン・パワーと情を通ずることになるのですが、これまたどこか正体不明の女を演じ、人間関係の緊張感を生むような役どころだったと思います。

彼女はその低く鼻にかかった声と相まって、どこかしら暗く陰鬱なムードを醸し出せる女優だと思います。私がそう言った映画ばかり見ているからかもしれませんが、代表作が『私は死にたくない』ということからも、あながち間違っていないと思うのですが。
No.192 - 2014/01/29(Wed) 19:18:37
Re: 「愚かなり我が心」 (1950) / マグカップ
44-40さん、こんにちは。

>タイムリミット25時』(ハロルド・クルーアマン)、『狙われた駅馬車』(ヘンリー・ハザウェイ)、『悪の花園』(同左)

この中では『悪の花園』だけ観ました。10年ぐらい前で、スーザン・ヘイワードなど知らなかったです。でも、クーパーの相手役に選ばれているので、大女優なのでしょう。昨日Youtubeで5分ぐらいのものが2つほど観れました。

>彼女はその低く鼻にかかった声と相まって、どこかしら暗く陰鬱なムードを醸し出せる女優だと思います。

『愚かなり我が心』でも冒頭の10分は煙草を吸いながら夫に悪態をつき、正にファム・ファタールを演じます。その後は明るいラブ・コメディになりますが、この冒頭の部分は彼女の真骨頂を発揮したのかもしれません。
No.193 - 2014/01/30(Thu) 12:37:22
ポール・ウェンドコス / Ismael
申し訳ないですがスーザン・ヘイワードには興味が無いので別の書き込みをします。

60-70年代のアクション映画の見直しの一貫です。

この人の作品で一番有名なのは『悪魔のワルツ』でしょうか。
まあ、ジャクリーヌ・ビセットがもっとも美しかった時期の作品ですし、それなりに面白かったのですがこの人の真骨頂が発揮されるのはやはりアクション映画だと思います。

もともとテレビ畑の人のようでフィリもグラフを見るとすごい数のテレビ作品に関わっています。

ゴダールもちょっと褒めていた『タラワ肉弾特攻隊』(1958)は、残念ながら未見。
『悪魔のワルツ』以外では、『決戦珊瑚海』『鉄海岸総攻撃』『コンドルの砦』『地獄の艦隊』『新・荒野の七人/馬上の決闘』を見ています。
TVMでは、70年代に深夜枠で数回放映された『謎のジェット戦斗機』を見ています。

全て平均点以上の出来ですが、傑作というのではありません。

一番出来がいいというか、タイトな仕上がりなのが『鉄海岸総攻撃』ですね。
この作品には、イギリスのスー・ロイドがロイド・ブリッジの妻役で出演しているのですが出番が少ないのが残念。
No.190 - 2014/01/28(Tue) 23:52:46
ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / B&W
*** 以下は再掲:ノワール50選(51ありますけど)スレ ??145、147への返信です ***
長くなるので分けました。


■ 44-40様 刺激的な知見の数々、ありがとうございます。
私はカーティーズの映画については、見ている本数が少ないので、まずは本数をもう少し見ないと、と考えているところです。

>ウェルズのことばの出所がどこだか忘れてしまいました。かなり最近目にしたような気がするのに…。
実は私も最近どこかで見たような気がしていて、しかもどこだったかわからないんです。IMDbのTrivia で読んだと思ったところが、今見るとないんですよ。でも

>ただ私が感じたのは、ウェルズがいかにもインテリ好みのエイゼンシュタインをクサしながら、インテリには見向きもされなかったカーティーズを少し持ち上げようとしたのだろうな、ということです。それが彼(ウェルズ)の性格には合っていると思います。
そういうことなんですね。出所を詮索するよりこういう知見をお伺いするほうが面白いですね。

>彼(カーティーズ)は終生英語が不得意で、「脚本もよく読まず、勘で演出していた」とか、俳優たちを家畜のように扱う、などと陰口をたたかれています。

>サイレント時代からの経験があるカーティーズのほうが(ハザウェイ/ハサウェイよりも)、B&Wさんの言うような説話の効率を巧みに追うことができたということでしょうか。

>カーティーズにはハンガリーでもドイツでもフランスでも作品があるようですが、このことも、彼がことばに頼らない映像派であることの傍証であるような気がします。
44-40様のおっしゃることを、私の言い方でまとめると「カーティーズはサイレント映画の監督だった」ということになりますね。英語が不自由なアメリカでの監督稼業は一人サイレント時代を生きていたようなものであったと。

ちょっと戻りますが、44-40様の『トゥルー・クライム殺人事件』(The Unsuspected 1947)についてのご感想
>なんとも不健康で、ヨーロッパ的で、魅力たっぷりのこの映画は、ファースト・ショットからラストカットまでカーティーズの映像美学が横溢しています。配給はワーナーだが、カーティーズの独立プロで作ったこの映画では、いろんな意味で彼の美意識が保持され、『ミルドレッド・ピアース』などよりずっとまとまりがあります。

>冒頭の殺人シーンは陰影に満ちてとても美しく、これ以降の映画がまったく退屈でも許せてしまうほどの魅力があります。そしてまったく退屈ではないのです。通俗的な安心感とは無縁の不可解な人間関係の設定も、わかりやすい説明の排除も、一般的なアメリカ映画の観客には背を向けているかのようですが、その分この映画はヨーロッパの息(それもやや東欧的なテイスト)が強くかかったフィルム・ノワールとして、今でも輝きを失っていません。

これを出発点に考えたいと思っています。“目の前にある映画の肌理を観る”ということですね。確かにこの作品の冒頭シーンは決定的に美しく、独立プロの初監督作品で、これがカーティーズのやりたいことだったんだと思うと、44-40様のおっしゃることの意味が腑に落ちます。

http://www.youtube.com/watch?v=EawLJUxLk4U

>シオドマクもやはり映像が魅力ですが、カーティーズはひょっとしたら映像以外のことにはあまり興味がないのではないか、とさえ思えます。ですから脚本の中身やジャンル、および俳優の演技をあまり重要視していなかったのではないでしょうか。

>彼には時として映像のために脚本や演技を犠牲にしているように感じられるところがあります。私はB&Wさんとは逆に、説話的な巧みさよりも、計算された奥行きのあるコンポジションや、壮麗な画面展開を最優先にしているように思えるのです。

>したがって彼の映画は、概して内容のわりに短くありません。説話に多少時間がかかっても、俳優の演技がまずくても、映像のつじつまを譲らないような気がします。

マグカップ様へのお返事にも書いたのですが、『ミルドレッド・ピアース』を監督した1945年に、カーティーズは『Roughly Speaking』( IMDbレイティング=6.9原作脚本:ルイーズ・ランドール・ピアソン、出演:ロザリンド・ラッセル、ジャック・カーソン)を撮っています。この作品はある女性の生涯を大恐慌時代などをはさみつつ朝ドラ風に描いたもので、私の感想もやはりカーティーズの「語りのうまさ」「要領よく筋を表現し観客に理解させる能力」を堪能したという感じで、きらびやかなモノクロ映像に見せられたという記憶はありません。私は最初クレジットをちゃんと見ていなくて、観終わってから監督がカーティーズだったと知り、「だから面白かったんだ」と納得したぐらいです。カーティーズは私にとってはわかりやすくて筋がテンポよく展開し、長さも適当で退屈せず、観て損した気がしない監督、という44-40様のご意見とは全く逆の印象なんです。しかしそれも雇われ監督としての仕事で発揮された彼の能力であり、カーティーズ自らが撮りたい絵ではないのかもしれませんね。

一応年表的な情報を挙げておきます。
○カーティーズ(Michael Curtiz)1886年生〜1962年没 ハンガリーのブタペスト出身 173本監督 活動期間:1912〜1961 在米活動期間:1931〜1961
オスカー:カサブランカ(1942) ノミネート:海賊ブラッド(1935)、汚れた顔の天使(1938)、四人の姉妹(1938)、ヤンキー・ドゥードル・ダンディー(1942)

○ハザウェイ(Henry Hathaway)1898年生〜1985年没 カリフォルニア出身 67本監督 活動期間:1930〜1974
ノミネート:ベンガルの槍騎兵 (1935)

■ Ismael様
>単純に、私にとって、これ「も」フィルムノワールだ、とすることで見えてくるものと、これ「は」フィルムノワールではない、とすることで見えてくるものが違う、というだけです。

なるほど。それでは

>・ ニコラス・レイの作品は、メロドラマの新たな系譜としてとらえるべきなのでそのほとんどの作品は、ノワールではない。
>・ 異性愛肯定派のヒッチコック作品は、どんなにノワールに近づいてもノワールではない。
>・ ドン・シーゲルとリチャード・フライシャーはアクション映画作家であり、特に60年代以降の作品はノワールではない。


「このあたりを詳しく展開していただけるとありがたいですね。」

話し変わって、Ismael様は44-40様の“ビジュアル派カーティーズ”論についてはどうお考えですか?私なんぞがおぼつかない筆でちんたらお茶を濁すより、Ismael様こそこの議論にうってつけの方と思います。
No.157 - 2014/01/02(Thu) 22:03:55
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / マグカップ
B&Wさん、こんにちは。
「トゥルー・クライム殺人事件」(1947)を観ました。今年最初に観た映画なのですが、こちらに書き込みます。
カーティズ監督は「情熱の狂想曲」「ホワイト・クリスマス」の名ミュージカル監督だと、私は思ってます。序盤で「アイ・ガット・リズム」や「誰かが私を見つめている」が流れてきて、いい感じでした。
さて、ビジュアル派の話ですが、この作品の冒頭で殺し屋の顔が鏡面の机の上に逆さに数秒映ります。私は映像を止めて見ましたが、顔が小さいので、誰の顔かはっきり分かりませんでした。映画館だと、もっと分かり難いと思います。これはカーティズ監督のお遊びなのか、どういう意図だったのか不思議です。終盤でもジョーン・コールフィールドの顔が机の上に逆さに写されます。
No.163 - 2014/01/08(Wed) 13:24:52
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / B&W
マグカップ様 本年もよろしくお願いいたします(*^-^*) ←餅食って太りました。

>さて、ビジュアル派の話ですが、この作品の冒頭で殺し屋の顔が鏡面の机の上に逆さに数秒映ります。
先の投稿であげた動画ですと、3:25あたり。この動画で見るとはっきりと写りこんでいますね。私も全編通して見たときは、顔まで認識できませんでした。鏡やガラスなどに映りこむ姿・顔を効果的に使うというのは『その女を殺せ』(フライシャー 1952)にもあるし、当時はやったのかもしれませんが、カーティーズのこの作品の場合、机上で逆さまに写しているというのが特徴ですね。

>カーティズ監督は「情熱の狂想曲」「ホワイト・クリスマス」の名ミュージカル監督だと、私は思ってます。
『情熱の狂想曲』(7.2 Young Man with a Horn 1950) は未見です…。クリップを見るとビジュアル的にも美しいですね。
http://www.youtube.com/watch?v=61efqK1jXL4

>(「トゥルー・クライム殺人事件」(1947)の)序盤で「アイ・ガット・リズム」や「誰かが私を見つめている」が流れてきて、いい感じでした。
恐ろしい叫び声のあと、事務的なオペレーターの声があって、息詰まるような無音のテレフォンブースから出ると音楽が聞こえてくる…このあたりのセンスが私の見方だと「サイレント映画の監督」という感じです。ルネ・クレール監督の『巴里の屋根の下』(7.4 Sous les toits de Paris 1930)の音の使い方に感心しましたが、サイレント映画からトーキーへ行った監督(経験の長い監督)にはどこかしら「無音or有音を強調する」というシーンの演出が散見されるように感じます。

マグカップ様のご意見ではカーティーズは「名ミュージカル監督」なんですね…。色々な見方がありますね。私は44-40様の投稿の元々の動機というかきっかけは、旧掲示板の映画虫様のNo.7562 - 2013/12/15(Sun)のコメント
>マイケル・カーチスとか際立った演出スタイルを持たないと言われている監督たちが、類型的なシナリオから手堅い作品を量産した「時代」と関連性があるかもしれませんね。
から触発されたのでは、と思っているのですが(実は私も映画虫様のように考えていました)。

ところで私は加藤幹郎氏のミルドレッド・ピアース論「ジャンルとジェンダー」(『映画 視線のポリティクス―古典的ハリウッド映画の戦い』/筑摩書房 所収)を再読していました。「作家主義の陥穽にはまらない」という筆者だけに、監督カーティーズの演出スタイルと言う視点からは書かれていません。それでもラストシーンの解説「警察署の床をひざまずいて拭く二人の雑役婦は主人公ミルドレッドと秘書アイーダが悔い改めた姿だ」との説には、“ビジュアル派カーティーズ”を思わせるものがありました。多分私は今後44-40様の見方を参照にしてカーティーズを見ていくと思います。

前掲の論文では、『ミルドレッド・ピアース』(1945)の前に、幾多の年少犯罪物・不良少女物の映画があったとしています。私は『ミルドレッド・ピアース』のアン・ブリスのような役、恐るべき子供たちというような役は「戦後」の当為とされた倫理が破壊された世代の象徴と思っていたのですが、当該論文の説では、戦中から男たちの不在により不良青年(特に少女)があふれ、またそういう若者を描いた映画がはやったとしています。旧掲示板でも話題になっていた「デッド・エンド・キッズ」ものを、私は見たことがないので、これも見たいなあと思っているのですが、いつになることやら…。

話し変わって、マグカップ様オススメの『裏切りのサーカス』(7.1 Tinker Tailor Soldier Spy トーマス・アルフレッドソン 2011)を見ようかなと思ったところが、DVDが3千円弱するんですね、高いなあ。準新作だからでしょうか。『殺しのダンディー』(6.2 A Dandy in Aspic A・マン 1968)は売ってないし…。とりあえずル・カレの原作(『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』)を読みましょうかね…。私が前にチラッと触れた『ヒューマン・ファクター』(6.1 The Human Factor 1979 プレミンジャー)はグレアム・グリーンの原作(『ヒューマン・ファクター』早川書房)ですが、傑作です。機会があればご覧になってみてください。長い小説ですが…。
No.164 - 2014/01/09(Thu) 00:00:42
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / マグカップ
B&Wさん、こんにちは。

>恐ろしい叫び声のあと、事務的なオペレーターの声があって、息詰まるような無音のテレフォンブースから出ると音楽が聞こえてくる

オードリー・トッターは電話で悲鳴を聞いているのですが、殺人と言わなかったのが不思議です。

>マグカップ様のご意見ではカーティーズは「名ミュージカル監督」なんですね…。

とはいえ、やはりベストは「カサブランカ」でしょう。

>『裏切りのサーカス』(7.1 Tinker Tailor Soldier Spy トーマス・アルフレッドソン 2011)を見ようかなと思ったところが、DVDが3千円弱するんですね

100円でレンタルできます。

>『殺しのダンディー』(6.2 A Dandy in Aspic A・マン 1968)は売ってないし…。

売ってますよ。No.59を御覧ください
No.165 - 2014/01/09(Thu) 12:47:35
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / 44-40
B&Wさん、

> マグカップ様へのお返事にも書いたのですが、『ミルドレッド・ピアース』を監督した1945年に、カーティーズは『Roughly Speaking』( IMDbレイティング=6.9原作脚本:ルイーズ・ランドール・ピアソン、出演:ロザリンド・ラッセル、ジャック・カーソン)を撮っています。この作品はある女性の生涯を大恐慌時代などをはさみつつ朝ドラ風に描いたもので、私の感想もやはりカーティーズの「語りのうまさ」「要領よく筋を表現し観客に理解させる能力」を堪能したという感じで、きらびやかなモノクロ映像に見せられたという記憶はありません。私は最初クレジットをちゃんと見ていなくて、観終わってから監督がカーティーズだったと知り、「だから面白かったんだ」と納得したぐらいです。カーティーズは私にとってはわかりやすくて筋がテンポよく展開し、長さも適当で退屈せず、観て損した気がしない監督、という44-40様のご意見とは全く逆の印象なんです。しかしそれも雇われ監督としての仕事で発揮された彼の能力であり、カーティーズ自らが撮りたい絵ではないのかもしれませんね。
>


カーティーズが説話が下手だとは全く思いませんし、言った覚えもありません。B&Wさんのおっしゃるように、彼の手練手管は、プロデューサーや映画会社の要求を軽々と乗り越え、堂々たる商業作品として成り立たせることが可能だと思いますが、ただ彼本来の持ち味はそれではないと思う、と言いたかったのです。

彼のビジュアルは、カット割りと編集というよりアングルとコンポジションにその真価があるように思います。前者はむしろハワード・ホークスの属性です。『リオ・ブラボー』でウェインとネルソンが銃を交換して銃撃を続けるシーンのカット割りと編集が、映画学校で教材に使われたように、ホークスの才能と真価はそこにあると思うのです。このようなビジュアル上の技巧はむしろ説話に従属し、よどみなく効率的な展開を生むでしょう。

一方カーティーズのアングルとコンポジションは、説話の効率よりむしろムードや雰囲気を醸し出すことに貢献するような気がします。彼の映画には、独特のムードがしばしば漂います。ウィキペデイアだかIMDBで読んだのですが、カーティーズは登場人物を彼らを取り巻く状況に結びつけるのが巧みだ、というようなことが書いてありました。まさにその通りだと思いました。
このような彼の演出の特徴は、個人の力ではどうにもならない見えない力に翻弄される人物像を、運命論的に描くフィルム・ノワールに合うと思うのです。

ホークスの本質は、やはり主人公の生き生きした活躍や怒涛の行動をスピーディーに描くスクリューボールコメディにあると思います。事実、彼のフィルモグラフィーにはムードあふれるフィルム・ノワールは『三つ数えろ』以外ほとんどなく、『三つ数えろ』も彼の諸作の中では下のほうだと思うのです。むしろ『暗黒街の顔役』のほうがずっとすぐれた作品だと思いますが、これはIsmaelさんならずともフィルム・ノワールとは言いがたい作品です。

ホークスとカーティーズは奇しくも、ヘミングウェイの同じ原作「To have and have not」を相次いで映画化しています。『脱出』(1946)と『破局』(1950)です。ホークスの前者は失敗作と言われ、カーティーズの後者は高い評価得ているようです。

ヘミングウェイの原作は、彼としてはかなり弱く、むしろ駄作扱いですが、この小説を、不本意な行動を強いられた主人公が、のっぴきならない状況に追い込まれもがいてゆく過程を描く、というふうにとらえるならば、その状況やムードを描くことが得意なカーテイーズの属性にあっています。この原作はその線で映画化したほうが、ずっと勝算があると思うのです。ただ残念ながら私は『破局』の方は未見なので、なんとも言えません。でも、来月例のジュネス企画から『破局』がDVD化されるらしいので、何とか手に入れて見てみたいと思っています。

実は私は、『カサブランカ』が成功したのは、ボガートやバーグマンによるものというより、カーティーズの演出によるところが大きいのではないか、とひそかに思っています。『カサブランカ』には、言ってみればおよそ話らしい話がありません。状況は閉塞し登場人物たちの態度は終始煮え切らず、スクリューボール・コメデイのような果敢な行動はありません。あるのはむしろムードです。戦時中のカサブンランカというエキゾチックな場所における、一定のムードであり状況です。これこそカーティーズの面目躍如の題材だと思うのです。

実際この映画は、脚本が未完成のまま撮り始め、最後もどうなるのか決められないまま、いわばなし崩し的に撮り終えた、ということですが、このことからも、カーティーズの才能にとって説話や話の中身は、あまり重要ではないのではないか、と思えるのです。
もしホークスがこの映画を撮っていたとしたら、やはり『脱出』のように駄作になっていたような気がします。

最後になりますが、B&Wさんには、機会があったら『海賊ブラッド』(完全版)の冒頭シーンをご覧になることをお勧めします。ほんの短いシークエンスですが、とても美しく幻想的なカーティーズのビジュアルが花開いていて、コルンゴルトの素晴らしい音楽を伴った、パイレーツ・オブ・カリビアンの物語の幕開けにふさわしいオープニングだと思います。
No.166 - 2014/01/09(Thu) 19:49:18
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / Ismael
B&Wさん

> ■ Ismael様

> なるほど。それでは
>
> >・ ニコラス・レイの作品は、メロドラマの新たな系譜としてとらえるべきなのでそのほとんどの作品は、ノワールではない。
> >・ 異性愛肯定派のヒッチコック作品は、どんなにノワールに近づいてもノワールではない。
> >・ ドン・シーゲルとリチャード・フライシャーはアクション映画作家であり、特に60年代以降の作品はノワールではない。
>
> 「このあたりを詳しく展開していただけるとありがたいですね。」

上記3点は、私個人のいわば作業仮説です。
3点ともハリウッドの基本は、メロドラマであるという前提です。
このメロドラマの刷新を行ったのがレイ、メロドラマを廃棄する方向なのがフィルム・ノワール。
メロドラマにほとんど関心を持たない監督たちとしてシーゲルとフライシャーが存在するということです。


>
> 話し変わって、Ismael様は44-40様の“ビジュアル派カーティーズ”論についてはどうお考えですか?私なんぞがおぼつかない筆でちんたらお茶を濁すより、Ismael様こそこの議論にうってつけの方と思います。


カーティス作品は、フリンの作品などは見ていますが他にはあまり見ていないので私がうってつけとは思えませんね。
感じていることといえば、常に画角が適切だなあ、つまりフレーミングの上手い人だなあということでしょうか。

『シー・ホーク』のフリンとブレンダ・マーシャルを上下の舷窓に配した一種のラブシーンなどは、特に上手いところですね。

エイゼンシュテインとマイケル・カーティスに関するウェルズの発言の出典ですが、確信はありませんがカイエ・デュ・シネマが行ったウェルズとのインタビューだったと思います。

この逸話が日本に紹介されたのはゴダールのエイゼンシュテイン作品の批評に出てきたと思いましたが、手持ちの資料では確認できませんでした。
ひょっとしたら山田宏一か蓮實重彦の対談かエッセイだったかもしれません。
No.167 - 2014/01/10(Fri) 10:11:37
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / B&W
皆様
ずいぶん間が空いてしまってすみません。どうにも投稿内容がまとまらなくて困り眉寄せながらお返事します。

投稿内容がまとまらないのはひとつには、
?@ 撮影技術についての常識的な知識が自分にはない――機材をはじめ、撮影に関する基本用語や、技術の知識、撮影環境についての知識
?A そもそもカーティーズ監督作品をあまり見ておらず、代表的な映画である剣戟物(E・フリン主演)を一つも見ていない。

という、この議論をするには私自身が全く不適任だからです。

しかし、44-40様のお返事を受けて自分なりに興味のあることを考え、調べても見たので、それを中心にお返事したいと思います。ただ、内容は貧しいです…。あと、見当違いが多々あると思います。また、とりとめもなく長くなりそうですが、これは全く本意ではありませんので、投稿後ある一定期間を経たら削除するかもしれません。

映画を語るに映画を見ないで本を読んで語る人というのはダメダメなんでしょうが、今あまり集中して映画が見れない状況で、本なら少しずつでも読みつないでいけるので行き当たりばったりに色々な映画本を参照していました。作品はとりあえず『モスクワへの密使』『ライフ・ウィズ・ファーザー』『カンサス騎兵隊』を見ました。本当は既見のものも見直すと良いのですが。
そもそも私が調べたいと思ったことは二つあります。
ひとつはカーティーズ映画は(ともすれば)冗長なのかと言うことです。私が「44-40様のご意見とは全く逆の印象」と書いたとき、頭にあったのは「長さも適当で退屈せず」と言う私の印象に対し、44-40様のご意見「彼の映画は、概して内容のわりに短くありません」でした。

もうひとつは
>彼のビジュアルは、カット割りと編集というよりアングルとコンポジションにその真価があるように思います。(中略)このようなビジュアル上の技巧はむしろ説話に従属し、よどみなく効率的な展開を生むでしょう。
とは、定説なのかということです。「説話に従属し、よどみなく効率的な展開を生む」 つまり 「語りのうまさ」 「要領よく筋を表現し観客に理解させる能力」 やらは カット割と編集 から生み出されるものなのかということです。もしもそうなら、カーティーズ映画に私が感じていた「わかりやすくて筋がテンポよく展開」するという印象は編集者に大きく関与すると言うことになるからです。
No.172 - 2014/01/24(Fri) 23:30:42
Re: カーティーズ映画のランタイム / B&W
長さについて:私が見た作品や話題に挙げた作品限ってですが、調べた結果です。

min / ratings : 公開年 原題 / 邦題
107 / 6.8 : 1961 The Comancheros / コマンチェロ (1961)
116 / 7.0 : 1958 King Creole / 闇に響く声 (1958)
103 / 6.9 : 1958 The Proud Rebel / 誇り高き反逆者 (1958)
106 / 7.5 : 1955 We're No Angels / 俺たちは天使じゃない (1955)
120 / 7.6 : 1954 White Christmas / ホワイト・クリスマス (1954)
097 / 7.5 : 1950 The Breaking Point / 破局 (1950)
112 / 7.2 : 1950 Young Man with a Horn / 情熱の狂想曲(ラプソディ) (1949)
103 / 7.2 : 1947 The Unsuspected / トゥルー・クライム殺人事件 (1947)<未>
118 / 7.3 : 1947 Life with Father / ライフ・ウィズ・ファーザー (1947)<未>
128 / 6.2 : 1946 Night and Day / 夜も昼も (1946)
111 / 8.0 : 1945 Mildred Pierce / ミルドレッド・ピアース (1945)<未>
117 / 7.0 : 1945 Roughly Speaking / −
109 / 6.9 : 1944 Passage to Marseille / 渡洋爆撃隊 (1944)
121 / 6.1 : 1943 This Is the Army / ロナルド・レーガンの 陸軍中尉 (1943)<未>
124 / 5.4 : 1943 Mission to Moscow / モスクワへの密使
102 / 8.7 : 1942 Casablanca / カサブランカ (1942)
126 / 7.8 : 1942 Yankee Doodle Dandy / ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ (1942)
110 / 6.3 : 1940 Santa Fe Trail / カンサス騎兵隊 (1940)
097 / 8.0 : 1938 Angels with Dirty Faces / 汚れた顔の天使 (1938)
090 / 7.2 : 1938 Four Daughters / 四人の姉妹 (1938)
066 / 6.8 : 1936 The Walking Dead / 歩く死骸 (1936)
119 / 7.8 : 1935 Captain Blood / 海賊ブラッド (1935)
094 / 6.7 : 1935 Black Fury / 黒地獄 (1935)
080 / 6.2 : 1934 British Agent / −
073 / 6.9 : 1933 The Kennel Murder Case / ケンネル殺人事件 (1933)
077 / 6.9 : 1933 Mystery of the Wax Museum / 肉の蝋人形 (1933)
081 / 6.6 : 1931 The Mad Genius / 狂へる天才 (1931)
084 / 6.6 : 1930 Mammy / マミイ (1930)

私の適当な印象では80分台〜100分ぐらいと思っていましたが、実際はワーナーのA級監督らしく、110分前後かそれ以上が多いですね。44-40様の意見は「内容の割りに」という条件のものですから、一概に言えませんが、決して短い映画が多いわけではないですね。『British Agent』は確かに80分と短めですが、『Roughly Speaking』は伝記とはいえ117分もありました。
No.173 - 2014/01/24(Fri) 23:53:59
Re:カーティーズ映画の撮影&編集者 / B&W
次に撮影、編集、編集部&モンタージュ他です。

公開年 タイトル | Camera ; Edit ; ED&M
             
1961 The Comancheros | William H. Clothier ; Louis R. Loeffler ; Orven Schanzer
1958 King Creole | Russell Harlan ; Warren Low ; −
1958 The Proud Rebel | Ted D. McCord ; Aaron Stell ; −
1955 We're No Angels | Loyal Griggs ; Arthur P. Schmidt ; −
1954 White Christmas | Loyal Griggs ; Frank Bracht ; −
1950 The Breaking Point | Ted D. McCord ; Alan Crosland Jr. ; −
1950 Young Man with a Horn | Ted D. McCord ; Alan Crosland Jr. ; David C. Gardner
1947 The Unsuspected | Elwood Bredell ; Frederick Richards ; −
1947 Life with Father | J. Peverell Marley /William V. Skall ; George Amy ; James Leicester /Lee Huntington
1946 Night and Day | J. Peverell Marley /William V. Skall /Bert Glennon ; David Weisbart ; James Leicester
1945 Mildred Pierce | Ernest Haller ; David Weisbart ; James Leicester
1945 Roughly Speaking | Joseph Walker ; David Weisbart ; James Leicester
1944 Passage to Marseille | James Wong Howe ; Owen Marks ; James Leicester
1943 This Is the Army | Bert Glennon /Sol Polito ; George Amy ; James Leicester /Don Siegel
1943 Mission to Moscow | Bert Glennon ; Owen Marks ; James Leicester /Don Siegel
1942 Casablanca | Arthur Edeson ; Owen Marks ; James Leicester /Don Siegel
1942 Yankee Doodle Dandy | James Wong Howe ; George Amy ; Don Siegel
1940 Santa Fe Trail | Sol Polito ; George Amy ; −
1938 Angels with Dirty Faces | Sol Polito ; Owen Marks ; −
1938 Four Daughters | Ernest Haller ; Ralph Dawson ; −
1936 The Walking Dead | Hal Mohr ; Thomas Pratt ; −
1935 Captain Blood | Ernest Haller /Hal Mohr ; George Amy ; −
1935 Black Fury | Byron Haskin ; Thomas Richards ; −
1934 British Agent | Ernest Haller ; Thomas Richards ; Warren Low
1933 The Kennel Murder Case | William Rees ; Harold McLernon ; −
1933 Mystery of the Wax Museum | Ray Rennahan ; George Amy ; −
1931 The Mad Genius | Barney McGill ; Ralph Dawson ; −
1930 Mammy | Barney McGill ; Owen Marks ; −

どうでしょうか…全部のタイトルで調べないと意味がないかもしれません。それに編集権は製作者にあったと聞きますし、エディターの同一性を見るより、製作者のほうを見るべきかもしれません。
No.174 - 2014/01/25(Sat) 00:08:32
Re: カーティーズ映画の説話と編集 / B&W
『ハリウッド映画史講義』(1993 蓮實重彦著 筑摩書房)には、都合よくカーティーズの『モスクワへの密使』(5.4 Mission to Moscow 1943)に触れた部分があります。(*それぞれの論はそれぞれの前提や帰結を持って展開されていますので、部分的につまんで参照するのは不適切ですが、私の個人的な調べ物ですのでご了承ください。)
>【ハンガリー出身のこの亡命者は、久方ぶりに影を多用したヨーロッパ審美主義に立ち返って陰鬱な雰囲気を漂わすことに成功しているが、これは撮影のバート・グレノンの功績だろう。第二班と編集とを担当したドン・シーゲルの引き締まった仕事ぶりが、映画を心理的なスリラーとして上出来なものにしている。】
と、評されています。カッターとしてのドン・シーゲルの存在は、44-40様も指摘しておられましたね。

編集いうと私はすぐにヒッチコックの挿話を思い出します。ヒッチの場合は後期の主要作品のほとんどをジョージ・トマシーニが編集しています。また、アルマ・レヴィルという強力メンバーがいましたので、カーティスとは比べられないかなと思いますが。ヒッチが製作者に勝手に編集されないように、余分なフィルムを撮影せず、編集の可能性を残さなかったと言う挿話は有名ですね。

カーティーズの絵作りについて、前に挙げた『フィルム・ノワールの光と影』(新井達夫著 鳥影社)では、著者はカーティーズをヨーロッパを渡り歩いた根っからのボヘミアン、コスモポリタンと呼び、
>【このハンガリーからやってきた天才職人の特徴は絵作りの巧さにある。大方の人はカーティスのストーリーテリングの巧さに引きずられ、彼の映像にまで思いが至らない。例えば『海賊ブラッド』と他の凡百の海賊映画の違いは、金がかかっているか否かではなく、絵作りの優劣にある。人は剣戟映画の映像に関心を寄せたりしないので、それに気づかないし、評論家も気づこうとはしない。】
と述べています。

ストーリーテリングは「説話の技術」と考えていいと思いますが、その功績を誰のものと看做すかはともあれ、カーティーズ作品において説話が巧みであると言うことは両評者、そして44-40様も認めているわけですね。ただ、彼のビジュアルの“真価”はアングルとコンポジションにあると言うのが44-40様のご意見なのですね。

『モスクワへの密使』について、ブログの“Self-Styled Siren”を読むと、筆者は
>“The Siren had heard that the movie worked fairly well as a drama. It does not. You could make a case, though, that in the hands of a lesser talent Mission to Moscow might be unwatchable. It displays Curtiz's facility with talky expository scenes and his singular gift for pacing, but even that cannot save a script that is just one conversation after another.”(この映画はドラマとしてもかなりよい出来だと聞いていた。そうでもないな。まあでも、もっと才能のないヤツが監督していたら、観れたもんじゃなかったとは思うけど。説明的な会話が続くシーンのカーティーズの腕前や、彼のテンポの良さという非凡な才能を示してはいるけれども、会話の次にまた会話が続くセリフ芝居の脚本を救えはしなかったね。)
と述べていました。Pacingをテンポのよさと私は解釈しましたが、カーティーズについて個人的意見とはいえ私と同じ印象を持つ方もいるのですね。

私は…実のところ、真価は、特徴は、といわれるとわかりません…。カット割りの巧みさも、映像の美しさ、力と言うか説得力も、両方とも同じくらいあるんじゃないかという印象です。『トゥルー・クライム殺人事件』が自プロダクションの処女作であることを思うと、これが一番やりたいことだったんだろうとは思います。ヒッチの『ロープ』(Rope 1948)のような感じですね。

編集においてどれほどカーティーズの意見が通ったのかわかりませんが、ドン・シーゲルにしても、カーティーズに倣ったのであって、シーゲルの能力がカーティーズを助けたのではあるでしょうが、それがカーティーズのモンタージュのセンスを上回っていたとは思えません。それはマグカップ様が感じられているような、音楽とも同期するリズム感覚がカーティーズにあるように思うからです。私が感じるテンポと言ったようなものです。どの作品か不明瞭で申し訳ないのですが、カーティーズ映画は冒頭に音と人物の動き――たとえば階段を上る脚の動きなど――が同期するようなシーンがあったなあと思い出します。ヒッチの『見知らぬ乗客』( Strangers on a Train 1951)の冒頭もそうなので、ある程度普及した常套的な導入部分の演出なのかもしれませんが。
No.175 - 2014/01/25(Sat) 00:11:04
Re: カーティーズとウェルズ / B&W
なんとなくカーティーズはこの作品で、ウェルズ『市民ケーン』(Citizen Kane 1941)の向こうを張りたかったんじゃなかろうかとも思います。当時そう考えた(ウェルズの向こうを張りたい)映画人は多数いたと思いますけれど。

ウェルズ『市民ケーン』の絵作りについて『B級ノワール論』(吉田広明 作品社)では
>【ディープ・フォーカス、長廻し、極端なカメラ・アングル、フラッシュ・バックでめまぐるしく変化する時制、不規則なリズムを打つ編集など、技法の前景化によって、映画があくまでも作り物であることを暴き立てることで、古典映画の自己完結性を揺るがした。】
と評しています。

比較するとカーティーズの『トゥルー・クライム殺人事件』は、ずっと審美的で、かつウェルズよりはストーリーテリングに力点を置いていると思います。この映画自体、錯綜した筋書きですし、人物もちょっと予測のつかない行動をとりますし、ストーリーテリングの能力がない演出だと空中分解してしまいそうです。そういう意味では映像美と説話が両方極められている作品といえますね。

>一方カーティーズのアングルとコンポジションは、説話の効率よりむしろムードや雰囲気を醸し出すことに貢献するような気がします。彼の映画には、独特のムードがしばしば漂います。ウィキペデイアだかIMDBで読んだのですが、カーティーズは登場人物を彼らを取り巻く状況に結びつけるのが巧みだ、というようなことが書いてありました。まさにその通りだと思いました。
>このような彼の演出の特徴は、個人の力ではどうにもならない見えない力に翻弄される人物像を、運命論的に描くフィルム・ノワールに合うと思うのです。


ウィキではSidney Rosenzweigによるカーティーズの絵の特徴を5点挙げていますね。
?@high crane shots to establish a story's environment/物語世界の環境を一瞥できるクレーンショット
?Aunusual camera angles and complex compositions in which characters are often framed by physical objects/風変わりなカメラアングルに複雑な構図、しばしば登場人物は小道具に取り囲まれている
?Bmuch camera movement/カメラが良く動く
?Csubjective shots, in which the camera becomes the character's eye/カメラが人物の目に成り代わる事による主観ショット
?Dhigh contrast lighting with pools of shadows/強いコントラストによる濃くてたっぷりとした影

これらの特徴あるビジュアルスタイルが「登場人物を彼らを取り巻く状況に結びつけるのが巧み」な作品となり、その場合の状況はしばしば登場人物が囚われている運命と一体となり、その中で主人公は道徳的に引き裂かれ、道徳上の選択を迫られる、ということのようです。 
>(This style was not purely visual, but had the effect of highlighting the character's relationship to his environment; often this environment was identified with the fate in which the character was trapped. This entrapment then forces the "morally divided" protagonist to make a moral choice.) 

これを読んで私がふと思ったことは、これは私がカーティーズ作品に感じている「わかりやすさ」に関わってくることなのですが、『モスクワへの密使』の最初のほうで、国連の会議場を出た廊下で、人物たちがウィルソン大統領の胸像の前を通り過ぎるシーンがありました。そのシーンで胸像がコントラストの強い「濃くてたっぷりした影」で強調され、銘板がアップになるのですが、ここまで強調されるといかに英語のわからない私でも、何かあるな、と感じられるわけです。で、この映画が“ウィルソン主義”の立場に立っていることに思い至るわけです。つまり私は知らず知らずにカーティーズの「個性的な映像」で理解を助けられていたんじゃなかろうかと。映像の要所要所で強調されているところ、しっかり目に留めていなければいけないところにアクセントをつけられているために、非ネイティブの私でも、比較的わかりやすく感じられたのかなと思ったのですが。
No.176 - 2014/01/25(Sat) 00:14:10
Re: 脱出/To Have and Have Not 1944 VS 破局/The Breaking Point 1950 / B&W
あと、ホークスとの比較ですが、ブニュエルよりは見ていますが、私にはホークスは遠くて、ただ面白い映画だなって言うだけで、ホークス作品について考えたことがほとんどないですね…思い返してみると。

>ホークスとカーティーズは奇しくも、ヘミングウェイの同じ原作「To have and have not」を相次いで映画化しています。『脱出』(1946)と『破局』(1950)です。ホークスの前者は失敗作と言われ、カーティーズの後者は高い評価得ているようです。(中略)…その状況やムードを描くことが得意なカーテイーズの属性にあっています。この原作はその線で映画化したほうが、ずっと勝算があると思うのです。

『脱出』(To Have and Have Not 1944)はIMDbレイティングが8.0、『破局』(The Breaking Point 1950)は7.5ですが、TCMのサイトでは『破局』をカーティーズの最高傑作としていますね。私は『脱出』が未見です…。『破局』はあまり覚えていません。パトリシア・ニールが苦手で、見ていてあまり乗れませんでしたが、ムードがあると言うか、含意がある映画だったなと思い出します。

『脱出』の高評価は、ひとつにはW・フォークナーが脚本に参加しているからかな?とも思いますが、フォークナー自身は、自分は何も貢献していないと語っていたと思います(『ときにはハリウッドの陽を浴びて』/トム・ダーディス サンリオ)。『破局』の方は原作のプロットをより尊重していると言われていますが、私は原作も未読なので…。
No.177 - 2014/01/25(Sat) 00:15:03
Re: : 編集(説話)の優位 VS 視覚(イメージ)の優位 / B&W
ウェルズ、ホークスと他の監督の名前が出ましたので、編集(説話)の優位 VS 視覚(イメージ)の優位について概論的な意見を引用します。

前掲『ハリウッド映画史講義』より

>【?W 物語からイメージの優位へ】

>【では、「ヘイズ・コード」にははたして映画の保護機能がそなわっていたのだろうか。(中略)アメリカ映画が失ったもの、それは説話論的な経済性に尽きている。古典的なハリウッド映画は、視覚的な効果を犠牲にしてまで物語の簡潔さの追求をあらゆる映画作家に要求したのであり、その要請にふさわしく、撮影所のあらゆる部門が有効に機能していたのである。サイレントからトーキーへの移行期に成立した物語優位の原則は、「ヘイズ・コード」によって助長され、30年代のアメリカ映画の黄金時代を支えたものである。その意味で、トーキー以降のハリウッド映画とは本質的にシナリオの映画であり、編集の映画でもあったわけで、そうした機構と本能的に調和しえた監督だけが、偉大なアメリカ作家足りえたのだといってよい。物語にとって有効ではない視覚的細部を冷酷に切り捨てるプロとして存在していた編集者は会社の意向にどこまでも忠実であり、ドン・シーゲルのような有能な編集者がいれば、たとえ監督が編集室に足を踏み入れる権利を奪われても、映画は間違いなく成立したのである。】

*****

>【?X 反時代的な作家の系譜】

>【薄々気づいてはいたのだが、(中略)次のようなハリウッド映画の定義へとわれわれを導く。それは、あたかも映画が視覚的なメディアであることを否定するように、イメージの独走をおのれに禁じ、もっぱら説話論的な構造の簡潔さと、そのリズムの経済的な統御に専念するものがハリウッド映画だという定義にほかならない。事実、とりわけトーキー以後のアメリカ映画は、物語に従属することのない過剰な視覚的効果を抑圧しながら、見るという瞳の機能を必要最小限にとどめておくことで成立した、ほとんど不条理と呼ぶほかはない反視覚的な記号だったのである。

>実際、シュトロハイム以降の古典主義的なアメリカ映画の歴史には、物語とは無縁の純粋にヴィジュアルな効果を導入した作家は、正確に二人しかいない。バズビー・バークレーとオーソン・ウェルズがそれである。(中略)

>オーソン・ウェルズの場合、『市民ケーン』(41)のスキャンダルとは、ハリウッドがおのれに禁じていたはずの過度の視覚性をついに物語に帰属せしめることなく、純粋に見る機能を瞳に回復してしまったことを意味している。(中略)純粋に視覚的なメディアであるはずの映画をあたかも視線の対象であってはならないというかのごとくに瞳を抑圧するハリウッド映画とは、何よりもまず、見ることが終わった瞬間に、それについて語り、それをめぐって想像をはたらかせることで神話化される倒錯的な記号だったのである。(中略)

>ジョン・フォードが『駅馬車』(39)で獲得しえた大衆性とは、ともすれば物語に対する視覚の優位に惹かれがちだった彼の無意識の前衛的な資質が、ここで決定的に編集による説話論的な構造の簡潔な運動感へと変質をとげたからにほかならない。(中略)とりわけ個性的な作家たち、たとえばハワード・ホークスにしてもラオール・ウォルシュにしても、彼らの才能は、むしろキャメラの存在を意識させないまでにショットの独走を禁じることに発揮されていたのだといってよい。(中略)豪華な衣装も壮大な装置もことさら視覚的に誇張されることなく、呆気ないほどの慎ましさで物語に奉仕するというのがハリウッドのイデオロギーにほかならず、ヨーロッパ系のアルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラングさえが理解したその倒錯性に同調しえず、ショットそのものに「絢爛豪華」な輝きをこめてしまったが故に、オーソン・ウェルズはアメリカから受け入れられなかったのである。】
No.178 - 2014/01/25(Sat) 00:17:27
Re: マダム・サタンは瞳を蹂躙する / B&W
これは20年前に書かれた蓮實氏の意見であって、わたしは引用しましたが、きちんと理解できているわけではないし、納得しているわけでもありません。ただ、『B級ノワール論』に書かれていることが、この本を読んでよく腑に落ちるようになりました。不思議に思うのは、ニューヨークなどの舞台演劇人との交流や相互作用、ロシアからの演劇理論輸入の影響(リチャード・ボレスラウスキーを初めとして、グループシアターなどの果たした役割)、ラジオドラマとの影響関係などはどう考えたらいいのだろう…などと考えてしまいました。他の著書も読むべきなのでしょうね。

読んでいるとヘイズ・コードが何かいいもののように見えてきます。ヘイズ・コードのおかげで、表現が洗練されたみたいな。ヘイズ・コードは犯罪、暴力、そして性を特定の価値観で「自主規制」するものですが、女性、有色人種(異人種交雑の禁止)、一くくりに「性的倒錯」とされているQueerな人々という、制度的マイノリティを抑圧する“文化的装置”なので、ポリティカルに拒否したいところです。規制は最初に脚本を検閲することで行われますから、黄金時代の30年代はシナリオ検閲の制度が出来上がった時代であり、シナリオ映画の時代だったというのは筋が通っていますね。

この著書には前文にも「絢爛豪華」と言う言葉が出てきます。20年位前まではまだ異国のジャパンで通用していたハリウッドに対する「絢爛豪華」というイメージの、実際のところはどうだったのか、を詳らかにしている本であると言えると思います。私は引用文を書いていて不思議なことに『マダム・サタン』(Madam Satan 6.7 デミル 1930)を思い出していました。カメラはきらびやかでもなんでもないが、写っているものは「絢爛豪華」です。 

>「豪華な衣装も壮大な装置もことさら視覚的に誇張されることなく、呆気ないほどの慎ましさで物語に奉仕する」 

の真逆を行ってます(美術は確かミッチェル・ライセン)。セシル・B・デミルの作品の視聴体験は、いつも幾分か拷問に近いものがありますが、この作品については理性を持っていかれて、麻痺状態で観ていたので比較的苦痛は少なかったです。でもケイ・ジョンソンの使われ方はもったいなかったな…。
No.179 - 2014/01/25(Sat) 00:20:39
Re: コルテスはThe Magnificent Ambersonsを撮ってるのね / B&W
つまらない事を長々と書き連ねてしまいましたが、44-40様のご指摘をきっかけに、ずいぶん視野が広がりました。肝心なのは
>「ファースト・ショットからラストカットまでカーティーズの映像美学が横溢」
している「絢爛豪華」な『トゥルー・クライム殺人事件』(カーティーズ 1947)が
>「冒頭の殺人シーンは陰影に満ちてとても美しく、これ以降の映画がまったく退屈でも許せてしまうほどの魅力があります。そしてまったく退屈ではない」
のかどうかですね。 
>「トーキー以降のハリウッド映画とは本質的にシナリオの映画であり、編集の映画でもあったわけで、そうした機構と本能的に調和しえた監督だけが、偉大なアメリカ作家足りえた」
と言う記述がそのまま当てはまるような、偉大なマイケル・カーティーズが、「ハリウッドのイデオロギー」に背を向けて自プロで初めて監督した作品ですから、44-40様ならずとも評価したい気持ちになります。

私が『トゥルー・クライム殺人事件』(103分 R:7.2 撮影:エルウッド・ブレデル 1947)の映像について感じたのは、

『黒い足音』(The Fallen Sparrow 94分 R:6.9 監督:リチャード・ウォーレス 撮影:ニック・ムラスカ 1943)、

『スマッシュ・アップ』(Smash-Up: The Story of a Woman 103分 R:6.6 監督:スチュワート・ヘイスラー 撮影:スタンリー・コルテス 1947)、

『Smart Woman』(93分 R:6.4 監督:エドワード・A・ブラット 撮影:スタンリー・コルテス 1948)

などに似ているなあと言うことです。

『スマッシュ・アップ』も『スマート・ウーマン』もジャンルとしてはドラマ&ロマンスであって、ノワールではありません。この2作については、カメラマンが同じなんだから同じ絵になるのは当たり前ですが、なんというか、カメラマンの手癖というか、美しいモノクロームなんですが、流行のノワールスタイルで類型的に処理しました…風に感じたんですね。ビビットな、オリジナルな美しさがないような。
No.180 - 2014/01/25(Sat) 00:28:25
Re: Nero Manierismo / B&W
私が感じていたことについて『B級ノワール論』の「システム崩壊後のノワール」に、気になる記述がありました。

1948年のパラマウント訴訟連邦最高裁判決後、ハリウッド・メジャーは垂直統合を解除しなければならなくなり、また、TVの登場で映画は画面は大型に、内容はスペクタクルに変化していく。したがって二本立て興行はなくなり、B級映画が消滅する。製作方式もスタジオ・システムは維持できなくなり、ユニット・プロダクション方式になる。映画興行は大型のスペクタクル映画と低予算映画に別れ、かつてのB級映画的なものは低予算映画へ受け継がれるが、一本立て興行される。

>【そうした体制の中で作られるノワールとそれまでのB級映画の差異は、まずは上映時間に表れる。B級ノワールでは上映時間は70分に抑えられるが、B級崩壊以後のノワールは90分近いのが普通である。上映時間の短さゆえに求められた効率性はあまり考慮されなくなる。そこでノワールに生じた変化には、二つの方向性があった。マニエリスム化と普遍化である。技巧が極端に肥大化する方向と、逆に消滅する方向である。B級ノワールの表現主義的技巧は、その短さを極端な印象によってカヴァーする方策でもあったのだか、物語内容がB級的な型からあまり変化せず、しかも上映時間が長くなったとき、技巧そのものが見世物的に目立つことになり、他方物語内容がB級的な型を抜け出し、その上映時間にふさわしいものに変化した場合、むしろ技巧性は影を潜めることになる。】

吉田氏はマニエリスム化の例として『ビッグ・コンボ』(ジョゼフ・H・ルイス 1955)や『キッスで殺せ』(アルドリッチ 1955)、そして 
>【(前略)物語の形骸化にも一切根拠がなく、『キッスで殺せ』における時代の不安のような内容すら一切持つことなく、真にスタイルのみで中空に浮き上がったような映画】
である『黒い罠』(ウェルズ 1958)を挙げています。

この「物語の形骸化」 「真にスタイルのみで中空に浮き上がったような映画」 が、私が『トゥルー・クライム殺人事件』に感じるものです。そこをどう評価するかですね。

他方の、普遍化した、技巧が消滅する方向のノワール、物語内容がB級的な型を抜け出し、その上演時間にふさわしいものに変化したタイプのノワールは、『過去を逃れて』(ターナー 1947)、『成功の甘き香り』(マッケンドリック 1957)、『拳銃の報酬』(ワイズ、1959)などかな?と思います。『狩人の夜』(ロートン 1955)は…?

さてどちらを評価するか…例えば、お一人様1セット限り! 3枚パック¥3,000-で、(A)ビッグ・コンボ+キッスで殺せ+黒い罠 と (B)過去を逃れて+成功の甘き香り+拳銃の報酬 のどちらを買うか、考えてみればいいかもしれませんね(笑)。Aセットを選ぶ方は『トゥルー・クライム殺人事件』向きと言うことで。
No.181 - 2014/01/25(Sat) 00:32:11
Re: リックのモデルはカーティーズ本人なのかな… / B&W
今のところ私が見ている数少ない(本当に少ない)カーティーズ監督作品のベストスリーは
1、 カサブランカ
2、 誇り高き反逆者(…私この映画好きなんです)
3、 トゥルー・クライム殺人事件

『モスクワへの密使』は見ていて途中2度ほど意識を失いましたが、なかなか面白い作品です。1938年のモスクワ裁判について、真正なものであると大使が報告したために評判ガタ落ちになったようですが。私の好きなアン・ハーディングがデイビス大使夫人(Marjorie Merriweather Post:大富豪でゼネラル・フーズの創始者)役で、駅でウォルター・ヒューストンと一緒にピロシキぱくついてました。

彼女の次女がプレストン・スタージェスと駆け落ちしたんですね。彼女の父親C・W・ポストをモデルにスタージェスは『権力と栄光』(7.0 The Power and the Glory 1933) を執筆したとか…。

ブログ“Self-Styled Siren”によると、時の外務大臣モロトフ夫人の香水工場では、カーネーションから作られた「赤いモスクワ」が唯一の香水だったそうな。映画本編よりブログのほうがよっぽど面白い。モロトフ夫人が戦後パージされて強制労働所に送られたなんて、ウィキを読んで初めて知りました。

『トゥルー・クライム殺人事件』の原題“The Unsuspected”は、『カサブランカ』(1943)結末近くのクロード・レインズの名セリフ “Captain Renault: Major Strasser has been shot... round up the usual suspects.”から来ているんですね?原作小説は「疑われざる者」という邦訳のようですね。やっぱり何か、いいタイトルがないものかなぁ〜と思いますね…。警察用語や犯罪用語の隠語で何か適当なのはないでしょうかね?例えば「半落ち」とか「ホンボシ」みたいな。ずっと考えているんですが思いつきません…。
No.182 - 2014/01/25(Sat) 00:34:36
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / 44-40
B&Wさん、

私が感じるままに不用意に書いたことが、思いのほか大げさなことになってしまい、すっかり恐縮しております。
作品を見るばかりで本をあまり読まない私にとって、B&Wさんからの情報はみな目を見張るものばかりで、大変ありがたいです。

> >ジョン・フォードが『駅馬車』(39)で獲得しえた大衆性とは、ともすれば物語に対する視覚の優位に惹かれがちだった彼の無意識の前衛的な資質が、ここで決定的に編集による説話論的な構造の簡潔な運動感へと変質をとげたからにほかならない。(中略)とりわけ個性的な作家たち、たとえばハワード・ホークスにしてもラオール・ウォルシュにしても、彼らの才能は、むしろキャメラの存在を意識させないまでにショットの独走を禁じることに発揮されていたのだといってよい。(中略)豪華な衣装も壮大な装置もことさら視覚的に誇張されることなく、呆気ないほどの慎ましさで物語に奉仕するというのがハリウッドのイデオロギーにほかならず、ヨーロッパ系のアルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラングさえが理解したその倒錯性に同調しえず、ショットそのものに「絢爛豪華」な輝きをこめてしまったが故に、オーソン・ウェルズはアメリカから受け入れられなかったのである。】

私が蓮見重彦と少し違うところは、フォードもカーティーズもハリウッドに受け入れられたのに、ウェルズが受け入れられなかったのは、映像上の問題(3人ともビジュアル派である点では共通だと思います)ではなく、単に立ち回り方の問題だと思っているところです。ウェルズはやりすぎなのです。彼はやはりどうにも異形だと思います。『上海から来た女』程度の内容に150分も回してしまうのは、やはりどうかと思うのです。芸術上の矜持ということかもしれませんが、ヴィスコンティでももう少し短くまとめるのでは、と思ったりします。
フォードやカーティーズは、特に後者は、ハリウッドの制作の流儀(それが蓮見の言う通りだとしても、しなくても)をすべて受け入れたうえで、己のスタイルを随所に刻印する大人の手練手管を持っていたということだと思います。横綱相撲が取れたのです。それに比べるとウェルズは純朴で神経質なアマチュア学生のごとくだったのではないでしょうか。
そう考えると、ウェルズがカーティーズとエイゼンシュテインを同列に並べたのは、彼のカーティーズ(特に「俺には芸術上の野心などみじんもない」とカーティーズが豪語していた点で)に対するリスペクトとコンプレックス(優越・劣等両方の)が相半ばする複雑な心情が透けて見えるような気がするのですが、これは勘繰りすぎかもしれません。
No.183 - 2014/01/25(Sat) 12:46:15
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / Ismael
何かすごいことになっていますね。

ハリウッド育ちの監督よりは、ヨーロッパからの移住・亡命した監督のほうがビジュアル的であるとおもいます。
その理由は、ヨーロッパは、ハリウッド程「説話機能」重点を置かなかったからでしょうし、検閲項目もハリウッドのヘイズ・コードとは異なっていたからでしょう。

カーティスの作品の上映時間の件ですが、少なくとも30−40年代は、カーティスに編集権はなかったと思います。
上映時間を決定できたのは作品のプロデューサーだったはずなので、当時の作品の上映時間とカーティスの資質との関係がどの程度のものかはなんとも言えないのではないでしょうか。
また、当時のカーティス作品は、ワーナーの主力商品でしたからこういう作品にはそれなりの尺数を要求されたはずです。

そこで思い出したのが、大映の『地獄門』です。
海外の映画祭出品を狙っていた永田雅一が撮影を見に来た時に、どうも尺数が永田の考えたほどにはなりそうにないので監督の衣笠貞之助に尺数を増やせと要求。衣笠は、俳優に普段よりセリフをゆっくり喋らせて尺数を増やしたことがあの作品の独特のリズムを生み、それがカンヌ映画祭での受賞の理由の一つのなった云々。

ウェルズがハリウッドに受け入れられなかったのは、44-40さんの仰る通り、彼がハリウッドの『ゲームの規則』に従わなかったからでしょう。


30年代にハリウッドで起こった変化と似た変化が当時のソビエトでも起こったと蓮実は指摘しています。
それはロシアアヴァンギャルドの終焉とそれに取って代わった社会主義リアリズムです。

両方共、ビジュアル(見せること)よりは、観客にわかりやすく語ること(説話機能の重視)を優先したということでしょう。

エイゼンスタインもこの変化を受け入れざるを得なかったわけですね。

ウェルズがエイゼンスタインについて書いた記事がきっかけとなって、2人は長い間文通していたようです。
No.184 - 2014/01/26(Sun) 10:31:28
Re: ビジュアル派 カーティーズ/カーティス/カーチス / B&W
44-40様
>私が感じるままに不用意に書いたことが、思いのほか大げさなことになってしまい、すっかり恐縮しております。

投稿が途絶えていましたので、枯れ木も賑わいになるかと思い「課題図書」の感想文を書いてみました。44-40さまには釈迦に説法かと思いましたので、「皆様」あてで、中には映画鑑賞暦の浅い自分のような人もいるだろうと言うことで…。恐縮されてしまうと、こちらこそ恐縮してしまいます。考えるきっかけをいただきましたことを感謝申し上げます。

>作品を見るばかりで本をあまり読まない私にとって、B&Wさんからの情報はみな目を見張るものばかりで、大変ありがたいです。
恥ずかしいです…。映画本は読むのが悩ましい面がありますね。まっさらな目で作品を見たいと思うので、ネタばれを読んでしまわないよう、用心しながら読むので疲れるし、まだら読みしているので、頭の中でわけわからなくなって、尻切れトンボで終わってしまいます。それに、なるべく鑑賞眼に影響しないよう、読んだらすぐ忘れるようにしているので、結局何を読んだのかわからなかった、てなことになりがちです、私の場合は。それもまた楽し、なんですけどね。

>ウェルズはやりすぎなのです。彼はやはりどうにも異形だと思います。

>フォードやカーティーズは、(中略)ハリウッドの制作の流儀(中略)をすべて受け入れたうえで、己のスタイルを随所に刻印する大人の手練手管を持っていたということだと思います。横綱相撲が取れたのです。それに比べるとウェルズは純朴で神経質なアマチュア学生のごとくだったのではないでしょうか。

>そう考えると、ウェルズがカーティーズとエイゼンシュテインを同列に並べたのは、彼のカーティーズ(中略)に対するリスペクトとコンプレックス(優越・劣等両方の)が相半ばする複雑な心情が透けて見えるような気がするのですが、これは勘繰りすぎかもしれません。

異形のウェルズに対して、それではカーティーズが異形でないのかというと、そうでもないような気がします。毎年コンスタントに3〜4作品を生み出していくと言うのは、ワーカホリックと一言で済ませていいものなのかどうか?IMDbのデータですが、年間の監督本数、30年代と40年代は以下です。

1939年 / 6 本 1949年 / 3 本
1938年 / 5 本 1948年 / 1 本
1937年 / 6 本 1947年 / 2 本
1936年 / 3 本 1946年 / 1 本
1935年 / 6 本 1945年 / 2 本
1934年 / 4 本 1944年 / 2 本
1933年 / 8 本 1943年 / 2 本
1932年 / 6 本 1942年 / 3 本
1931年 / 3 本 1941年 / 2 本
1930年 / 6 本 1940年 / 3 本

30年代のカーティーズは6作とか当たり前に作っていますね(驚!)。やはり、分業&流れ作業で工業製品のように作っていたのでしょうか…。

ちなみにフォード
1939年 / 3 本 1949年 / 3 本
1938年 / 2 本 1948年 / 2 本
1937年 / 2 本 1947年 / 1 本
1936年 / 3 本 1946年 / 1 本
1935年 / 3 本 1945年 / 1 本
1934年 / 3 本 1943年 / 4 本
1933年 / 2 本 1942年 / 3 本
1932年 / 2 本 1941年 / 2 本
1931年 / 3 本 1940年 / 2 本
1930年 / 3 本

40年代に限って言えば、二人とも大差はないですね。


Ismaelさま
>何かすごいことになっていますね。
なっていません。B&Wの作業仮説=枯れ木でにぎわっているだけです。所詮投稿者が数人では、すごいことになりようがありません。

>ハリウッド育ちの監督よりは、ヨーロッパからの移住・亡命した監督のほうがビジュアル的であるとおもいます。
>その理由は、ヨーロッパは、ハリウッド程「説話機能」重点を置かなかったからでしょうし、検閲項目もハリウッドのヘイズ・コードとは異なっていたからでしょう。


>30年代にハリウッドで起こった変化と似た変化が当時のソビエトでも起こったと蓮実は指摘しています。
>それはロシアアヴァンギャルドの終焉とそれに取って代わった社会主義リアリズムです。


>両方共、ビジュアル(見せること)よりは、観客にわかりやすく語ること(説話機能の重視)を優先したということでしょう。

その説話機能で、語られたことはプロパガンダだったということでしょうか(ちょっと脱線)。

検索したら下記のHPに行き当たりました。
>■映像のオントロギー/[34]映画のメディア化、気散じの戦略そしてイーストウッド 長谷正人氏著
ttp://www.ipm.jp/ipmj/eizou/eizou51.ht

>■書評『映像という神秘と快楽――〈世界〉と触れ合うためのレッスン』そして/あるいは長谷正人論 藤井仁子氏著
ttp://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN5/fujii.html
No.185 - 2014/01/28(Tue) 00:59:15
マン+スチュワート / Ismael
アンソニー・マンとジェームズ・スチュワートが組んだ西部劇5作品を見直しました。

活劇として一番おもしろいのはやはりコンビ第一作目の『ウィンチェスター銃'73』ですね。
『怒りの河』と『遠い国』は、双子のようによく似た作品。
結果的にコンビの最後の作品となった『ララミーから来た男』は、コンビの集大成的な作品です。

ご存知のように『ウェインチェスター』は、もともとフリッツ・ラングが監督する予定だったのがラングが降りて、スチュワートの推薦でマンが監督することになり、作品はヒットし、マンの名声を一気に高めた出世作です。
スチュワートは、定額の出演料でなく興行収入から一定のパーセントを出演料として受け取るという方式を採用したそうで、これが最初の事例だそうです。
『ウィンチェスター』のDVD特典としてスチュワートのインタビューが収録されていますが英語も日本語も字幕が有りません。
スチュワートのしゃべりはモゴモゴしていて聞き取りにくく、内容は殆ど聞き取れませんでした。

これは想像ですが、当初は、映画のタイトル通り、名銃とそれに関係する人間たちのドラマに重点を置かれていたストーリーをマンが復讐譚に変えていったのではないかと思います。

吉田宏明がどこかで指摘していたように、ノワーリッシュな世界観をもつ西部劇のごく初期の一本でしょう。

これらの作品と比べると『裸の拍車』は、かなり異質。
確証は有りませんがマン自身が一番扱いたかったのはこの映画ではないかという気がします。
登場人物5人で90分持たせるのは、並みの演出家では無理な芸当です。
ストーリー中頃にインディアンとの銃撃戦がありますが、これはまあおまけというか、観客を飽きさせないためのサービスでしょうが
なくても良かったかもしれません。

マン特有の擬似父息子関係はここではロバート・ライアンとジャネット・リーの擬似父娘関係となっています。
冒頭と終盤の銃撃戦では、マンの撃つ方と撃たれる方の両方を同一画面に捉える演出の見事な成果を見ることができます。
結末は、スチュワートが主演であることから予想はつきますが、あの時代にこれ以外の結末をもってくるのは難しかったとおもいます。
ロバート・ライアンがスチュワートの役だったらもっと非情な結末も可能だったかもしれませんが・・・・・。

5本の映画にあえて優劣を付けるとしたら
1 ララミーから来た男
2 裸の拍車
3 ウィンチェスター銃'73
4 怒りの河
5 遠い国

今回見なおして気づいたのですが『遠い国』のラストのスチュワートとジョン・マッキンタイアのポーチ周りでの銃撃戦の発展形が『西部の人』の最後の銃撃戦ですね。
No.171 - 2014/01/17(Fri) 15:14:57
2013年最後に観た映画 2014年最初に観た映画 / B&W
餅喰って 踊り踊れば 猫の春  ――墨白

あけましておめでとうございます

映画虫様がご多忙に加えてPCの不調で大変なご様子なので(映画虫様 すみませんでした)、僭越ですが、私め B&W@夢と消えた宝くじ が例年のトピックスを立てさせていただきます…

といいながらも、私は2013年秋冬は些事ながら多忙を極め、実は全然映画が観れませんでした。「最後に観た映画」は師走の何ヶ月も前にたまたま出くわした『大いなる夜』(The Big Night ジョゼフ・ロージー 1951)になるのかな〜、とぼんやり考えていて、そうそう『長い記憶』(The Long Memory ロバート・ヘイマー 1953)をギリギリ大晦日に見たんだった…と思い出しました。
『長い記憶』は再見ですが、好きな映画で、吉田広明氏の解説がネットで読めます。
http://www.eiganokuni.com/yoshida/21-7.html

リベンジ物なのですが、どちらかといえば無実の罪で身体・精神的にもまた経済・社会的にも多大な傷を負わされた主人公の、魂の彷徨と救済に焦点が当たっているような映画です。対する「悪」についての描写は少なく、悪を告発し白黒つけるというよりは、主人公がいかに不幸な運命と折り合いをつけるか、その運命の中でそれでも小さな幸福を見出し、人生の再建に歩みだせるかを描いた内省的な作品だと感じています。
アメリカ映画に比べると、「余白の存在」を感じさせる映画で、偽証で主人公を無実の罪に追いやったピューシー(John Slater)のユーモラスな描写(流感で愛人の家で寝込んでいるところに本妻が乗り込んできて痴話喧嘩になる)や、出会った若い女性イルス(Eva Bergh)との不器用な交情など、ハリウッド映画には見られない描写です。ケント海岸の開けた風景とあいまって、どことなく救いがあるというか、苦しみを負いながらも将来への明るさを予感させる不思議な魅力のある作品でした。

この作品を “redemption noir”と呼ぶ人もいるようです。そして『Moonrise』(フランク・ボーゼージ 1948)と比較しているレビューがありました。確かに『長い記憶』ではマイケル・マーティン・ハーヴェイMichael Martin Harveyが演じる隠者、『Moonrise』ではレックス・イングラムが演じる森番が重要な救済者の役目を果たします。F・ボーゼージは『ステージドア・キャンティーン』(1943)で、国内総動員体制的な映画を撮りましたが、ロン・マカリスターLon McCallister演じる“カリフォルニアン・ジャック”には、年若く、恋愛どころかまだ人生が始まってもいない青年を戦地に送る国策の惨さを象徴させていたように感じます。『Moonrise』は『長い記憶』に比べて、より“罪の在所”にセンシティブな製作者の姿勢を感じ、『長い記憶』には傷を負いながらもなお罪や不合理を克服しようとする姿勢を感じました。監督自身の宗教観や信条の違いなのかもしれませんし、終戦後8年経過と3年経過という、製作年度の違いによるのかもしれません。爆撃被害を受けた・受けない、ヨーロッパ・非ヨーロッパなどの違いもあるかなと思います。

作中で隠者が謡っているイギリスの民謡 Searching For Lambs
ttp://www.youtube.com/watch?v=1LRA6F7f3-k

2014年最初に観た映画は、これもたまたま出くわした『その女を殺せ』(The Narrow Margin リチャード・フライシャー 1952)でした。大昔に見たので再見と言ってもほとんど初見に近い印象です。そこでこのたび気がついたのが、オープニングの向かってくる蒸気機関車のシーンです。これは『死を呼ぶ名画』(Crack-Up アーヴィング・ライス 1946)、『犯人を逃がすな』(Cry Danger ロバート・パリッシュ 1951)に使われているのと同じフッテージですね。同じRKOなので流用できたのでしょうか。駅通路の映像なども同じセットが使われていました(『犯人を逃がすな』と『その女を殺せ』)。それにつけても『死を呼ぶ名画』の向かってくる蒸気機関車のシーン(約22分30秒前後からのシーン)は全く見事で、このシーンがあるので、この映画全体の評価が私の中では上がってしまっています。

ttp://www.youtube.com/watch?v=hiALWPIRCtk 『死を呼ぶ名画』22分30秒前後の回想シーン

ttp://www.youtube.com/watch?v=NIlkBtdwyew 『犯人を逃がすな』

ttp://www.youtube.com/watch?v=rJxyf6T-AW8 『その女を殺せ』

アーヴィング・ライスIrving Reis(1906–1953)という監督はラジオ・ドラマ(Columbia Workshop)の功績者だった人なんですね。フィルモグラフィを見ても、ファルコンシリーズをいくつかと、『ビッグストリート』(The Big Street 1942)、『独身者と女学生』(The Bachelor and the Bobby-Soxer  1947)、『All My Sons』(1948)、『魅惑』(Enchantment 1948)と、ビジュアルよりはよく練られた脚本で製作するタイプに思えます。『死を呼ぶ名画』の件のシーンは撮影のロバート・デ・グラスRobert De Grasse (『死体を売る男/The Body Snatcher(1945)』『生まれながらの殺し屋/Born to Kill(1947)』『ボディガード/Bodyguard(1948)』『カモ/The Clay Pigeon(1949)』『静かについて来い/Follow Me Quietly(1949)』『窓/The Window(1949)』)の力量が発揮されたのでしょうか。

『その女を殺せ』についてですが、これは全くの傑作なので、今更感想もないんですが、この度見直して『北北西に進路を取れ』(ヒッチコック 1959)を思い出しました。以前に『高い標的』(The Tall Target アンソニー・マン 1951)を見たときは、『バルカン超特急』(ヒッチコック 1938)を思い出しました。今挙げた四作品とも“列車映画”の名作ですが(列車映画には名作が多いですが)、全編が列車内である映画ばかりでなく、ストーリーの一部が列車内で繰り広げられる映画でも、列車内シーンが出てくるとわくわくしてしまうのはなぜなんだろう〜と考えてしまっています。皆さんのお好きな列車映画には何がありますか?
No.162 - 2014/01/06(Mon) 20:43:23
Re: 2013年最後に観た映画 2014年最初に観た映画 / マグカップ
B&Wさん、こんにちは。

>皆さんのお好きな列車映画には何がありますか?

別スレの「暴力行為 (1948)」を観ました。第2次大戦中の恨みを晴らしに、ロバート・ライアンがバン・ヘフリンを殺しに来るというストーリーです。ラストで機関車が通る横で、主演2人と殺し屋が三つ巴の対決をします。これがすごい迫力です。西部劇の決闘な様なカメラワークで、「ガンヒルの決斗」を思い出しました。

>私は『暴力行為』観てないんですよね…。でも44-40さまお薦めでかつジンネマンなら間違いないだろうということで入れさせていただきました。

この関連スレッドを読みたいのですが、消えているので残念でした
No.169 - 2014/01/13(Mon) 09:25:59
2013年 私が見た映画ベストテン! / B&W
みなさま こんばんは。B&W@寝違えちまいました です。

今日からお休みの方も多いかと思います。そこでお掃除、賀状書き、おせちの味見、あるいは金の算段、取らぬ宝くじの皮算用などなどお忙しいこととは思いますが、今年見た映画のうちで「私のベストテン」を選んでみて、2013年の「私の廃人ライフ」もとい「映画鑑賞記録」をしみじみ振り返ってみてはいかがでしょうか?

○ 本数は最大で10本とし、10本以下なら何本でも良い
○ 選んだ理由、一行感想など、あってもいいし、なくてもいい。一作品のみ熱く語る!でもよい。
○ 鑑賞形態を問わない。劇場で、自宅で、その他もろもろ。
○ 初見、再見を問わない。毎年みているが、やっぱりこれが好き!など、自由
○ アメリカのクラシック映画の掲示板だが、ジャンル、地域、時代も自由とする

などのルールでどうでしょうか?要するに「好き勝手に選んでOK!」ということです。

ところで、私はまだリストUPもできてない状況…(言いだしっぺがすみません)。暫定ですが
1、 ステラ・ダラス(1925 ヘンリー・キング)
2、 不審者(1951 ジョゼフ・ロージー)
3、 Was Frauen träumen /What Women Dream (1933 ゲツァ・フォン・ボルヴァリー )

『ステラ・ダラス』の感想・選んだ理由は後日投稿します。
No.142 - 2013/12/28(Sat) 01:11:51
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / B&W
つづき

>ステラ・ダラス(1925)
『ステラ・ダラス』(1925)は淀川長治と山田宏一の対談『映画は語る』(1999 中央公論社)で淀川氏が思い出話&絶賛していたので、いつか見たいと思っていました。対談自体はゴールドウィン製作の名画のビデオセットが発売になり、その提灯記事だったようですが、中学生の淀川氏は「泣いて泣いて泣き上げた」そうです。学校へ行って先生はじめ皆に喧伝し、皆が見に行って非常に感心したと。当時から広報のようなことをやっていたんですねと、山田氏が感心しています。この本を読むまでは私は『ステラ・ダラス』はバーバラ・スタンウィックの主演映画(1937 キング・ヴィダー)であるという知識があっただけで、リメイクらしいがその元の映画については特に興味も知識もありませんでした。ダグ・ジュニアの映画を色々見ていて、この作品も見たのですが、私も「泣いて泣いて泣き上げ」てしまいました。

淀川氏がステラ役はスタンウィックじゃだめだめ、ベル・ベネット(Belle Bennett 1891–1932)じゃないと、といってますが、私も同感です。また、ゴールドウィンはもとより、脚本のフランセス・マリオンの貢献を高く評価しています。
参考:IVC 1937年版の『ステラ・ダラス』淀川氏の解説
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0027.html

一番好きなシーンは保養地を娘と訪れて、娘の社交の邪魔しちゃいけないと仮病で寝ているが、医者に勧められて久しぶりに散歩へ出かけていくシーンです。ダグ・ジュニア他の上流階級の若者たちとともにいる娘のところへ、満艦飾の母親(ステラ)がどんどん歩いて近づいていくシーンですね。ダグ・ジュニアに“She is panic.”とか“freak”とか言われています。うずたかいソフトクリームのような帽子を被っていたり、派手なシマシマのパラソル(フリル付)をさしていたり、もう勘弁してって言うぐらい派手で成金趣味なんですが、そんなステラをみて、「このファッションセンスは…Campだ」と思いました。そんなステラに魅了されてしまい、このお母さんの肖像は何かに似ている…と考えて思い出した映画が『トーチソング・トリロジー』(1988 ポール・ボガート)のハーヴェイ・ファイアスタイン@うさ耳スリッパです(アン・バンクロフトじゃないよ)。状況設定も環境も、動機も決断も全然違うストーリーなんですけどね…数を見ていないのでたとえが貧しくて。

典型的な「母もの」で、お涙頂戴メロドラマですが、これがベスト1かな〜と。暫定ですが。

>Was Frauen träumen(1933)
『Was Frauen träumen』はドイツ映画で、ノラ・グレゴール(1901-1949)の魅力で3番目にしましたが、お話自体は陳腐な宝石泥棒物です。ビリー・ワイルダーが脚本を書いていて、ワイルダーは完成後劇場で公開されたときに、自分のクレジットが省かれているのを見て、亡命を決意したと一説に言われています。公開時期と亡命の日時を見るとこの話は創作かなと思いますが。何れにしてもこの作品がワイルダーのドイツ時代の最後の作品であることは間違いないです。グスタフ・フレーリッヒ(シュペーアと親しかったという)、オットー・ヴァルブルグ(第1次世界大戦の功労者だったが、ユダヤ人のため迫害され亡命に失敗、スイスでつかまり強制収容所で1944年に死亡)、ピーター・ローレが出演しています。ノラ・グレゴールは今年の6月にオーストリアのエファーディング(Eferding)で'Digging Up'というフェスティバルがあって、そこで女流映像作家に取り上げられたようです。エファーディングには彼女の2番目の夫エルネスト・リュディガー・カミロ・シュターレンベルグの出生地で居城があり、現在は一族の博物館になっているそうです。

ノラ・グレゴールが好きなので、ドイツ語はかけらもわからないのですが、この映画を選びました。彼女の出演作は『ミカエル』(1924 カール・T・ドライエル)、『ゲームの規則』(1939 ルノアール)ぐらいしか見ていなくて、娯楽映画でリラックスして見れるものとしてこの映画を偏愛しています。
No.143 - 2013/12/28(Sat) 20:20:05
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / Ismael
みなさま、

順不同
アンナと過ごした4日間(2008):イエジー・スコリモフスキ
悪魔の手(1943):モーリス・トゥルヌール
並木道(1960):ジュリアン・デュヴィヴィエ+ジャン・ピエール・レオ
鉄海岸総攻撃(1968):ポール・ウェンドコス
ザ・ファミリー(1973):リチャード・フライシャー
たそがれの女心(1953):マックス・オフュルス

ワースト
ザ・スピリット(2008):フランク・ミラー、フィルムノワールの誤用悪用の典型
No.149 - 2013/12/29(Sun) 14:45:29
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / 44-40
順番はつけられないのでアイウエオ順です。

風の武士(1964東映) 大川橋蔵(加藤泰)
 加藤泰の中ではこれが一番好き。橋蔵も善人ぶってなくてよい。

拳銃残酷物語(1964日活) 宍戸錠(古川卓巳)
 この荒々しくもざらざらした犯罪映画にはやはり魅力がある。宍戸錠も「拳銃(コルト)は俺のパスポート」よりこっちのほうが生々しくてよい。

荒原の疾走(1953米) ロバート・テイラー(ジョン・ファロー)
 ホモ・ソーシャルがヘテロ・セクシュアルにかき乱され滅びてゆくノワール西部劇。

最後の酋長(1953米) ロック・ハドソン(バッド・ベティカー)
 インディアンものの秀作。アンソニー・クインが珍しく内省的な平和主義者を演じる。

漆黒の闇で、パリに踊れ(2012仏) ロシュディ・ゼム(フィリップ・ルフェーヴル)
 ひねりのきいたミリウ物の佳作。ほんのちょっとだけメルビル・ブルーを思い出した。

トゥルー・クライム殺人事件(1947米) クロード・レインズ(マイケル・カーティーズ)
 カーティーズの面目躍如の不健康ノワール。

美男城(1959東映) 中村錦之助(佐々木康)
 シバレン原作の佳作。うまく整理して簡潔に見せる佐々木康の手練手管。錦之助の立ち回りはさすが。

平原の落雷(1953米) ランドルフ・スコット(アンドレ・ド・トス)
 南北戦争後の北軍占領時代のテキサスを描く。ド・トス監督による陰影のある映像美と敗者の苦悩。

フロンティア・マーシャル(1939米) ランドルフ・スコット(アラン・ドワン)
 『OK牧場の決闘』より『荒野の決闘』よりこれ。71分の短さと悲劇のエンディングが○。

マカオの竜(1965日活) 小林旭(江崎実生)
 悪役の宍戸錠が最後まで良い。ほとんどエレガント。脚本・演出ともに巧み。

無宿者(1964大映) 市川雷蔵(三隅研次) 
 リメイク嫌いの私もこれならOK。オリジナルはウィドマーク/スタージェスの『六番目の男』。西部劇から時代劇にうまく翻案した星川清司の脚本を、オリジナルより短く仕上げた三隅研次の冷徹さが光る。
No.150 - 2013/12/29(Sun) 19:50:53
訂正 / 44-40
『六番目の男』は85分、『無宿者』が89分だったので、オリジナルより短くなく、4分長かったです。失礼。
No.151 - 2013/12/29(Sun) 20:01:40
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / Ismael
44-40さん

> 漆黒の闇で、パリに踊れ(2012仏) ロシュディ・ゼム(フィリップ・ルフェーヴル)
>  ひねりのきいたミリウ物の佳作。ほんのちょっとだけメルビル・ブルーを思い出した。


これは私もみました。

いろんなことを考えました。

原題の意味が、「一夜」であるようにある刑事の一夜の行動を追うだけのストーリーですね。

主演のロシュディ・ゼムは、ポスト『プライベート・ライアン』戦争映画である『デイズ・オブ・グローリー<未>(2006)』にも出演しているアラブ系(多分モロッコ)フランス人ですね。
役名がシモンとなっているということはキリスト教徒とおもわれます。

フランスでは、長年差別されているアラブ系フランス人が主演のフランス映画が登場する時代なんですね。
No.152 - 2013/12/29(Sun) 21:52:12
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / gapper
 私も参加させてもらいます。

「右門一番手柄 南蛮幽霊(1929)」
「霧の波止場(1938)」
「記憶の代償<未>(1946)」
「三十四丁目の奇蹟(1947)」カラーライズ版
「白熱(1949)」
「ボーン・イエスタデイ<未>(1950)」
「マダムと泥棒(1955)」
 ラストの”あれ”がある「パピヨン(1973)」が、次点です。

 「右門一番手柄 南蛮幽霊(1929)」は、ほとんど見ない邦画なのでおまけ的です。
 ベスト1は、「霧の波止場(1938)」かな。
No.153 - 2013/12/29(Sun) 22:41:29
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / 44-40
Ismaelさん、

> フランスでは、長年差別されているアラブ系フランス人が主演のフランス映画が登場する時代なんですね。

ベストテンと関係ないので簡単に。
『ザ・コード』(La Mentale)(2002)というフランス映画を廉価版DVDで以前見ました。これも見事にアラブ系やロマ系のギャングたちの話でした。まあまあの出来で、日本劇場未公開です。
No.154 - 2013/12/29(Sun) 23:04:40
Re: 2013年 私が見た映画ベストテン! / マグカップ
皆様、こんにちは。
例年は映画虫さんの、今年初めて観た映画のスレッドがあるのですが、これが代用になりますか。
10作選ぶのが難しく、新作から選びました。順不同のアイウエオ順です。

1) 裏切りのサーカス 2010 フランス版「ビヨンド・ザ・シー」に感動。
2) 顔のないスパイ 2012 元気なリチャード・ギア。
3) 風立ちぬ 2013 大人向けアニメ。
4) カンパニー・メン 2010 豪華出演陣の生活ドラマ。
5) キッズ・オールライト 2010 スッキリした同性愛ドラマ。
6) 恋のロンドン狂騒曲 2010 肩の力が抜けたウディ・アレン監督。
7) スター・トレック イントゥ・ダークネス 2013 SF娯楽大作。
8) トランス 2013 逆転、また逆転。
9) マン・オブ・スティール 2013 クリストファー・ノーランらしいアクション。
10) ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 2012 芸術的なCG。
No.155 - 2013/12/30(Mon) 10:44:33
Re: あけおめ ベストテン! / B&W
皆様 年末のご多忙の中、乗ってくださってありがとうございます 。つめたーく無視されたらどうしようと思っていました。

>例年は映画虫さんの、今年初めて観た映画のスレッドがあるのですが、これが代用になりますか。
いえ、今年はじめて観た映画スレは「年末年始、皆さん何を見ました?」「初夢代わりの初映画は何を?」ですから、このトピックスとは趣旨が異なります。例年通り映画虫様、3が日過ぎたあたりでスレ立てお願いいたします。あるいは他の方でも…。

さてさて、言いだしっぺの私はリストアップするうちにだんだん収拾がつかなくなってきました。こんなことやってる時間があったら1本でも映画を見たほうが生産的な気がする…。あー、新年が明けてしまった…。見たら見っぱなしにしてるから、いざとなると整理がつかないんですね〜。(←反省してない)

で、えいやっと決めてしまいました。
邦題/原題 製作年 IMDbレイティング 監督 出演者 です。

1、ステラ・ダラス/Stella Dallas (1925) 7.3 : H・キング/Henry King :ロナルド・コールマン、ベル・ベネット、アリス・ジョイス
2、不審者/The Prowler (1951) 7.3 : J・ロージー/Joseph Losey :ヴァン・ヘフリン、イヴリン・キース、ジョン・マックスウェル
3、Was Frauen träumen (1933) 7.1 : ゲツァ・フォン・ボルヴァリー/Géza von Bolváry :ノラ・グレゴール、グスタフ・フレーリッヒ、オットー・ヴァルブルグ

4、So Evil My Love(1948) 7.0 : L・アレン/Lewis Allen :レイ・ミランド、アン・トッド、ジェラルディン・フィッツジェラルド
  冒頭、甲板で一人波しぶきを浴びているアン・トッドの姿からぐっと惹きつけられる。愛と憎しみの感情は実は似ている。

5、スピオーネ/Spione(1928) 7.7 : F・ラング/Fritz Lang :ルドルフ・クライン=ロッゲ、ゲルダ・マウルス、ヴィリー・フリッチェ
  やっぱりラングが好き。この映画でも「笑い」が相反した状況で笑われる。

6、イヴ・モンタンの深夜列車/Un soir, un train (1968) 7.2 : アンドレ・デルボー/André Delvaux :イヴ・モンタン、アヌーク・エーメ
  日常生活の亀裂から、するりと迷い込むラビリンス。そこで出会うのは女神?それとも…

7、巨人登場/Counsellor at Law(1933) 7.7 : W・ワイラー/William Wyler :ジョン・バリモア、ビービー・ダニエルス、ドリス・ケニヨン
  絶え間なく続く電話交換手のキンキン声の中、人物が歩き扉を潜り抜ける動作が場面と状況・心理の転換をもたらす。元は舞台劇らしいのだか。

8、密告の砦/Szegénylegények(1966) 7.9 : ミクロス・ヤンチョー/Miklós Jancsó :ヤーノシェ・ゲルベ、ゾルタン・ラティノヴィッチ、ティボー・モルナール
  無言の綱引きの結果は90分後に明らかになる。閉塞した状況を描いているのに、どこかしら吹き抜ける乾いた風を感じる。

9、山猫リュシュカ(ルシカ)/Die Bergkatze (1921) 7.0 : E・ルビッチ/Ernst Lubitsch :ポーラ・ネグリ、ヴィクトル・ヤンソン、パウル・ハイデマン
  カワイイはここにあり。

10、最後の偵察/The Last Flight (1931) 7.7 : W・ディターレ/William Dieterle :リチャード・バーセルメス、デイビッド・マナーズ、ジョニー・マック・ブラウン
  ある時代のある世代の経験と感情が鮮やかによみがえる。時代の証言としても貴重。

番外、ホテル・テルミニュス 戦犯クラウス・バルビーの生涯/Hôtel Terminus (1988) 7.8 : マルセル・オフュルス/Marcel Ophüls:クラウス・バルビー、クロード・ランズマン、マルセル・オフュルス

番外、ゲームの規則/La règle du jeu (1939) 8.1 : J・ルノワール/Jean Renoir :マルセル・ダリオ、ノラ・グレゴール、ポーレット・デュボー
  ルノワールはその外見に反して痛烈な皮肉屋・風刺家。カメラと演者が織り成すメヌエットがいつの間にか終わると、大戦前夜。

最後の最後まで迷ったのは
?、幸運の星/Lucky Star (1929) 7.9 : F・ボーゼージ/Frank Borzage :ジャネット・ゲイナー、チャールズ・ファレル、グィン・ビッグボーイ・ウィリアムズ
  涙、涙の怒涛の結末。映画だけにある真実の結末に賢しらな理性を奪い去られる。

?、Other Men's Women (1931) 6.6 : W・A・ウェルマン/William A. Wellman :グラント・ウィザーズ、メアリー・アスター、リジス・トゥミー
  貨車の天辺で仁王立ちするJ・キャグニー、コートを脱ぎながら横っ飛びに踊りだす…。開いた窓を吹き抜ける風。“自由”な映画。

?、秘密指令(恐怖時代)/Reign of Terror(1949) 7.2 : A・マン/Anthony Mann :ロバート・カミングス、リチャード・ベイスハート、リチャード・ハート
  始まったら物語の展開に身を任せるのみ。アーノルド・モスに夢中。

リストアップしたらしたで、なんとなく不満が残るものですね、ベストテンって。で、結局西部劇はひとつも挙げてないと。

おまけ、Out of the Blue (1947) 7.0 : リー・ジェイソン/Leigh Jason :ジョージ・ブレント、ヴァージニア・メイヨ、ターハン・ベイ
  『裏窓』(1954 ヒッチコック)のスピンオフ、っていうか『裏窓』“が”スピンオフ。ブレント&ドヴォラク&ランディスにはもっとコメディに出演して欲しかったな。
Hadda Brooksが主題歌を歌っています ♪“Out of the Blue”
http://www.youtube.com/watch?v=A0PbCVdKcFU
No.159 - 2014/01/02(Thu) 22:17:31
どうにもならない!この11本 / 比和昇
みなさま 明けましておめでとうございます。

 昨年度のベストテンを挙げよ、ということですが、皆様もご存知の通り大病を患ってしまい、とても今年の「ハリウッド」の「クラシック」映画のベストテンをひねり出せというのはもう体力的に無理です。さりとて新作のベストテン(ワーストテンでも可)をあげよ、と言われても、もうあちらこちらのメディアが取り上げていますので新味に乏しいこと。それならば、元来天邪鬼でもありますので、昨年日本ではあまり話題にならなかったけれど、残念ながら?個人的に印象に残ってしまった作品を順不同であげたいと思います。意外と普通のレンタル屋さんに置いているものも多いでしょう。
  
 なお邦題/原題 製作国・製作年 RottenTomatoesレイティング 監督 出演者 の順です。

○『ニーチェの馬』/A torinói ló (ハンガリー・2011)88%:タル・ベーラ/Tarr Béla ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ
 人はパンのみにて生くのであらず、もとい人はイモと水のみで生きるのであった…全編モノクロ、登場人物はほぼ2人、世界の滅亡(?)に直面している荒野の1軒屋の中の日常を淡々とほとんど台詞なしで描ききった作品。おそらくカール・テオドア・ドライヤーの最大の後継者であろう監督であるが、この作品で映画制作をやめてしまうそうな。まことに残念です。

○『できごと』/Accident (英国・1967)89%:ジョセフ・ロージー/Joseph Losey ダーク・ボガード、スタンリー・ベイカー、ジャクリーヌ・ササール
 どういう訳だか、B&W様と監督がだぶってしまいましたが、当方はたまたまレンタル屋で見つけたもので、他意はありません。このDVDは、1986年英国BFIがデジタル復元版として出したもの。画質はまあまあ。脚色は、ノーベル賞作家のハロルド・ピンターによるもので、一筋縄にいかないこと請け合います。美しい田園風景のオックスフォード大学を舞台に繰り広げられる相互不信と人間関係のドロドロさを描く。赤狩り亡命組の監督だけに、人物配置も孤立したのを好み、独特の間が空いたり、時系列も突然回顧シーンが出てきたりなどと、彼らしい編集が随所に見られる一本。

○『ラストスタンド』/The Last Stand (米国・2013)60%:キム・ジウン/김지운 アーノルド・シュワルツェネッガー、ロドリゴ・サントロ、フォレスト・ウィテカー
 時代は現代のバリバリのアクション映画だが、オールド・ファンなら、途中で「あっ、ハワード・ホークスのまんまや!」と騒ぎだすこと間違いなし。昨年は西部劇の大不調(『ローン・レンジャー』(2013)が空前の大赤字に沈んだ)が目立ったが、どっこいそのDNAはこんなところで脈々と受け継がれているのだ。世界中の才能をかき集めるハリウッドの懐の深さもまだまだあるようです。

○『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』/En kongelig affære(デンマーク=スウェーデン=チェコ・2012)89%:ニコライ・アーセル/Nikolaj Arcel マッツ・ミケルセン、アリシア・ヴィキャンデル、ミケル・ボー・フォルスゴー
 実際にあった18世紀のデンマーク王室を舞台とした悲恋の歴史物語。衣装・美術・撮影すべて素晴らしい出来で、役者もすごい。筋の運び方もうまくて、脚本(兼監督)は誰かと調べたら、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009:スウェーデン・オリジナル版)も書いていた人だった。近頃、好調と伝えられている北欧映画の公開がほとんど無くて残念です。

○『桃さんのしあわせ』/桃姐(香港=中国・2011)92%:アン・ホイ/許鞍華 アンディ・ラウ(劉?コ華)、ディニー・イップ(葉?コ嫻)
 昨年惜しくも亡くなった米国の映画評論家ロジャー・イーバート(エバート)が自身の2012年ベスト10に挙げていた作品。何のアクションシーンもあざとい場面もないが、見終わった後、ほっと優しくなれる素晴らしい作品です。ちなみに、長年香港映画、中国映画を支えてきた大物たちがチョイ役として大挙特別出演しているところも見逃せない。

○『別離』/جدایی نادر از سیمین (イラン・2011)99%:アスガル・ファルハーディー/اصغر فرهادی‎ レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ
 ここでペルシャ語が入力できたのは、非常に嬉しい。2012年、世界的にも最も高い評価を得た作品の1本。RT評「道徳的に複雑で、サスペンスに満ち、人を惹きつけてやまない『別離』は、切り離せない人間関係の乱雑さを、鋭い洞察と強烈な緊張感で捉えている」
 ちなみに、この作品は、イラン国外では、うちの方の映画祭で世界初上映されたことでも、記憶に残ることになりました。

○『LOOPER/ルーパー』/Looper(米国・2012)94%:ライアン・ジョンソン/Rian Craig Johnson ジョゼフ・ゴードン=レヴィットト、ブルース・ウィリス、エミリー・ブラント
 SFものだが、脚本が素晴らしい。2013年は、SFがCGや特殊効果より、内容で勝負!の時代に突入したことになるだろう。

○『ザ・マスター』/The Master(米国・2012)85%:ポール・トーマス・アンダーソン/Paul Thomas Anderson ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス
 これは、演技がもの凄い。撮影も、音楽も、その他も一級品だ。ところが、一体この映画は、私たちをどこに連れて行こうとするのだ?

○『マーサ、あるいはマーシー・メイ』/Martha Marcy May Marlene(米国・2011)90%:ショーン・ダーキン/Sean Durkin エリザベス・オルセン、ジョン・ホークス
 上の作品と比べると、テーマは明白だろう。

○『クラウド アトラス』/Cloud Atlas(ドイツ=米国=香港=シンガポール・2012)66%:ラナ・ウォシャウスキー/トム・ティクヴァ/アンディ・ウォシャウスキーLana Wachowski/Tom Tykwer/Andy Wachowski トム・ハンクス、ハル・ベリー
 上映時間172分で6つの異なる時代の物語を同時に並行させて進行していく。まるでD・W・グリフィス『イントレランス』(1916)顔負けの構成です。すっかり頭の中がこんがらがってしまうと覚悟してみたら、よくわかった(笑)。一人4〜6役に臨んだ役者も多くて探すのは大変。これは、SF作品なのですが、さすがにアクションシーンとかCGは見るところは多い作品です。あともう一歩で大傑作になるべき作品ですが、何となく惜しい気がします。原作がもう少し良く書けてれば…。

○『ムーンライズ・キングダム』(米国・2012)94% ウェス・アンダーソン/Wesley Anderson ブルース・ウィリス、エドワード・ノートン、ビル・マーレイ、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン
 今まで挙げた映画の中では、一番オールド・ハリウッドからかけ離れた作品であろうと思われるくらい、全く個性的で、商業映画として成立させるのが不思議な作品です。しかし、俳優の豪華さも批評家受けも、天下一品です。シンメトリックな構図、原色の多用、カメラのパンや平行移動の多さ、クローズアップや切り返しなど、音楽や効果音など凝りに凝っています。しかも、子供たちの「ボーイ・ミーツ・ガール」がテーマなのに、名優たちの演技を完全に食っています。

 と…ここまで書いて11本あることに気がつきました!うーん、どれを抜かすか迷っています。ごめんなさい。

 もちろん、邦画数本や日本のあのアニメたち2本や『ゼロ・グラビティ』(2013・IMAX3D版)などは当然ベストにいれるべきでしょうから、今回は抜かしておきます。何か最近見た作品に偏っている気がします。当然、マグカップさんのリストともだぶらないようにしました。
No.161 - 2014/01/04(Sat) 14:38:18
天使の顔 (1953) オットー・プレミンジャー / マグカップ
「天使の顔」(1953)を観ました。
ジーン・シモンズの継母の殺人計画に、ロバート・ミッチャムが巻き込まれるというストーリーです。彼のもう1人の恋人モナ・フリーマンの方が美人だなあ、下着のシーンが色っぽいなあ、なんて、私は別のことを考えていたら、衝撃のラストに絶句!!

>主人公のモデルはシドニー・フォックスなんじゃないかなと考えているんです。
シドニー・フォックスはどんな人なのか、ネットで探しましたが分かりませんでした。
No.113 - 2013/12/24(Tue) 10:54:05
Re: 天使の顔 (1953) オットー・プレミンジャー / B&W
マグカップ様

>「天使の顔」(1953)を観ました。

早いっ…お返事遅くてすみません。

*** 『天使の顔』(1953 プレミンジャー)のネタばれ含みます ***

IMDbやTCMの作品紹介によると、ジーン・シモンズの契約終了までに撮り上げようと、18日間の撮影期間だったそうですね。シモンズはアーサー・ランクから、プレミンジャーはFOXから、撮影のハリー・ストラデリングはゴールドウィンからかき集めて製作したのですから、ハワード・ヒューズはこの映画は必ず当たると確信があったんでしょうね。

色々なサイトで語られていることは、ヒューズがシモンズにご執心で、いつもブルネットのロングヘアがすきなヒューズは、この映画でもシモンズにそのヘアスタイルを指示したが、シモンズは髪を切って不服従を示したということです。そうすればこの映画に出演しなくてすむだろうとシモンズは考えていたが、ヒューズは鬘を与えてこの映画に主演させたと。『深夜の告白』(1942)でスタンウィックがブロンドの鬘を被って出演したのと照応して面白いですね。

>>主人公のモデルはシドニー・フォックスなんじゃないかなと考えているんです。
>シドニー・フォックスはどんな人なのか、ネットで探しましたが分かりませんでした。


ヘアスタイルの話にも関連するのですが、私は上記のように書きましたが、もともと『天使の顔』は実話の映画化なんですね。1947年にカリフォルニアで発生した、オバレル夫妻のヨット爆発炎上による不審死がモデルで、二人の娘のベウラ・ルイーズ・オバレル/Beulah Louise Overell (17歳)と恋人のジョージ・ゴラム/George Gollum(20歳)が逮捕起訴されました。ですから、モデルは娘のベウラでしょうし、実際写真を見ると、ダークカラーのウェービーロングで、ヒューズが髪型に執着したのはこのせいだったんだなと思えます。

Murderpedia該当ページ
http://murderpedia.org/female.O/o/overell-beulah-louise-photos-1.htm

映画ポスターの中にタブロイド紙を模したデザインのものがありますが、実際の報道も「無垢な若い二人の恋人の運命やいかに!」といった調子で微に入り際に入り報道されたようです。
ttp://www.dvdbeaver.com/film/DVDReviews10/angel-face.htm

ここからは私の妄想ですが、たまたま『Midnight』(1934 チェスター・アースキン)や『The Bad Sister』(1931 ホバート・ヘンリー)を見てSidney Fox(1907–1942)という女優さんを知り、彼女が身長150センチ足らずのコケティッシュな美人で、カール・レムリ・Jrに見出され、スターの座を射止めると同時にその愛人でもあったこと、カール・レムリ・Srともうわさがあったこと、車の運転で堤防を超えて12メートル下に落下する事故を起こしたが、奇跡的にかすり傷で助かったこと、35歳でオーバー・ドーズで亡くなったことなどを知って、そのロリータ趣味的な魅力と、性的奔放さを『天使の顔』のダイアンに重ねてしまったのです。主演した『Midnight』も、上流階級の少女の、痴情のもつれによる「情熱殺人」を扱ったものですし。

Sidney Fox IMDb該当ページ
ttp://www.imdb.com/title/tt0025499/?ref_=ttpl_pl_tt


>衝撃のラストに絶句!!

『天使の顔』のレビューを見ていると、ダイアンのことを「サイコパス」と評しているものがありました。確かにフェム・ファタールと呼ぶにはダイアンは「黒すぎる」ので、ダイアンはエレクトラコンプレックスでサイコパスだとしてよいのですが、『天使の顔』のジーン・シモンズに欲情している観客の、密かなロリータ嗜好は閑却されたままです。

>彼のもう1人の恋人モナ・フリーマンの方が美人だなあ、下着のシーンが色っぽいなあ、なんて

私、別に女優の下着の専門家じゃないので(笑)。シモンズにも“セーターガール”のシーンがありましたね。

私はこの作品では、レオン・エイムスの演技がいいなあ、と思いましたね。堅実ながら軽みがあって。殺人事件の真相も正義も、法廷ゲームのあやうい天秤量りの気まぐれに過ぎないという。

看護婦役でいつもは“美しすぎるメイド”役が多いテレサ・ハリス/Theresa Harris(1906–1985)がチラッと出てきますね。ほんの一瞬なのにいつもながら存在感があります。

Theresa Harris IMDb該当ページ
ttp://www.imdb.com/name/nm0365382/?ref_=ttfc_fc_cl_t30
No.141 - 2013/12/28(Sat) 00:23:42
Re: 天使の顔 (1953) オットー・プレミンジャー / マグカップ
B&Wさん、こんにちは。B&Wさんの内容が難しいので、簡単なものだけコメントします。

>>彼のもう1人の恋人モナ・フリーマンの方が美人だなあ、下着のシーンが色っぽいなあ、なんて
>私、別に女優の下着の専門家じゃないので

B&Wさんはモナ・フリーマンにグラっと来なかったようですね。私と女性の趣味が違うからでしょう。

>シモンズにも“セーターガール”のシーンがありましたね。
バストを強調した服装で色っぽかったです。これも印象に残りました。

>「敗れざる者− The Undefeated」...ヘミングウェイの短編タイトルです。
これも読みました。最後まで強気の闘牛士の物語でした。

>当時の「大まかな合意」とはどういったものだったんでしょうか?
なかったと思います。言ったもん勝ちです。
No.146 - 2013/12/29(Sun) 10:42:27
Re: 天使の顔 (1953) オットー・プレミンジャー / B&W
>B&Wさんの内容が難しいので、簡単なものだけコメントします。
妄想満載で辟易されましたでしょうか。すみません。

>B&Wさんはモナ・フリーマンにグラっと来なかったようですね。私と女性の趣味が違うからでしょう。
いえいえ、モナ・フリーマンの水も滴る美しさは印象に残りました。映画産業ではチャンスに恵まれなかった女優さんのようですね。私は他に『Roughly Speaking』(1945 M・カーティス/カーティーズ)の子役で、彼女を見ています。

そういえばマグカップさんの女優(女性)の趣味というのは記憶にないですね…。私は何でもかんでも大好きと言いますからね。今のところはノラ・グレゴール、マーガレット・サラヴァン、アン・ハーディング、そしてジョーン・フォンテインですが。マグカップさんは正統派の美人で成熟した女性がお好きなのではないですか?(皆そうでしょうけど)。グレイス・ケリーとか。ヘディ・ラマールとか。

>バストを強調した服装で色っぽかったです。
私、女優さんのバストの専門家じゃないんで(笑)。そちらの専門家なら、投稿されている方、ロムだけの方、それぞれうなるほどおられるのではないですか、この掲示板を訪れる人の中には。

私が「セーターガール」という言葉を使うにあたって、念頭にあったのはラナ・ターナーです。『ハリウッド・バビロン』(ケネス・アンガー パルコ)によると、『They Won't Forget』(1937 マーヴィン・ルロイ)に出演した当時16歳のラナ・ターナーが町を闊歩するセーター姿を見た観客が「すげえオッパイ!」と言ったとか言わないとか…。これも実話の映画化で、北部VS南部の対立にユダヤ人差別や黒人差別が絡む、議論百出の作品のようです。クロード・レインズがいつもながらグレーな主役。これはオスカー・ミショーがやはり映画にしています(Murder in Harlem 1935)。

>>当時の「大まかな合意」とはどういったものだったんでしょうか?
>なかったと思います。言ったもん勝ちです。

やっぱり(笑)。ありがとうございます。スッキリしました。。
No.158 - 2014/01/02(Thu) 22:07:24
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の不思議 / gapper
 書き込みが少なくなったようなので失礼します。

 「郵便配達は二度ベルを鳴らす<未>(1946)」のブルーレイがアマゾンから消えているの気が付きました。
 調べると紀伊国屋書店では、発売”延期”になっています。
ttp://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-10-4988135962904

 紀伊国屋書店では、ジェシカ・ラング版の「郵便配達は二度ベルを鳴らす (1981)」のブルーレイも発売延期になっています。
 しかし、ツタヤディスカスでは在庫切れですが、レンタル・リストに載っています。
http://www.discas.net/netdvd/dvd/searchDvd.do?k=%97X%95%D6%94z%92B%82%CD%93%F1%93x%83x%83%8B%82%F0%96%C2%82%E7%82%B7&i=&df=

 いかにも不思議です。
 「シェーン (1953)」のブルーレイと同じような問題が起こったのでしょうか。
No.156 - 2013/12/30(Mon) 23:07:17
(フランス)映画どこへ行く / Ismael
『フランス映画どこへ行く ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(林瑞絵 著)は、まだ読んでいませんが書評はいくつか読みました。

フランス映画に限らず、今後映画ってどうなるんでしょうね。

今、私たちが呼んでいる映画は、今世紀中にはなくなるような気がします。

今年の7月末に4年ぶりでパリに滞在したときのことを少し書きます。

映画関数は、かなり減っています。
2009年11月3日発行のPARISCOPEでは、パリ市内に110有った映画館が今年の7月30日発行のPARISCOPEでは、81です。
映画館の数は、年々減少していましたがこんなに急激に減ったことはなかったと思います。
80年代にほぼ全滅した2本立て映画館は、私が調べた範囲では、サンドニ門近くのポルノ専門館一つのみ(観客は年金生活者と思われるお爺さん連中)。

古いアメリカ映画を上映していた映画館も減りましたがエトワール広場近くのMAC MAHON、モンパルナスFNACからセーヌ川に向けて少し歩くと有るL'ARLEQUINは、健在。

特集上映として、黒澤明、ビリー・ワイルダー、ジョン・カセベデス、アメリカのサイレント喜劇映画、フィルム・ノワールなどがあり出張中でなければもっと滞在したいところでした。
No.148 - 2013/12/29(Sun) 12:11:59
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