*** 以下は再掲:ノワール50選(51ありますけど)スレ ??145、147への返信です *** 長くなるので分けました。
■ 44-40様 刺激的な知見の数々、ありがとうございます。 私はカーティーズの映画については、見ている本数が少ないので、まずは本数をもう少し見ないと、と考えているところです。
>ウェルズのことばの出所がどこだか忘れてしまいました。かなり最近目にしたような気がするのに…。 実は私も最近どこかで見たような気がしていて、しかもどこだったかわからないんです。IMDbのTrivia で読んだと思ったところが、今見るとないんですよ。でも
>ただ私が感じたのは、ウェルズがいかにもインテリ好みのエイゼンシュタインをクサしながら、インテリには見向きもされなかったカーティーズを少し持ち上げようとしたのだろうな、ということです。それが彼(ウェルズ)の性格には合っていると思います。 そういうことなんですね。出所を詮索するよりこういう知見をお伺いするほうが面白いですね。
>彼(カーティーズ)は終生英語が不得意で、「脚本もよく読まず、勘で演出していた」とか、俳優たちを家畜のように扱う、などと陰口をたたかれています。
>サイレント時代からの経験があるカーティーズのほうが(ハザウェイ/ハサウェイよりも)、B&Wさんの言うような説話の効率を巧みに追うことができたということでしょうか。
>カーティーズにはハンガリーでもドイツでもフランスでも作品があるようですが、このことも、彼がことばに頼らない映像派であることの傍証であるような気がします。 44-40様のおっしゃることを、私の言い方でまとめると「カーティーズはサイレント映画の監督だった」ということになりますね。英語が不自由なアメリカでの監督稼業は一人サイレント時代を生きていたようなものであったと。
ちょっと戻りますが、44-40様の『トゥルー・クライム殺人事件』(The Unsuspected 1947)についてのご感想 >なんとも不健康で、ヨーロッパ的で、魅力たっぷりのこの映画は、ファースト・ショットからラストカットまでカーティーズの映像美学が横溢しています。配給はワーナーだが、カーティーズの独立プロで作ったこの映画では、いろんな意味で彼の美意識が保持され、『ミルドレッド・ピアース』などよりずっとまとまりがあります。
>冒頭の殺人シーンは陰影に満ちてとても美しく、これ以降の映画がまったく退屈でも許せてしまうほどの魅力があります。そしてまったく退屈ではないのです。通俗的な安心感とは無縁の不可解な人間関係の設定も、わかりやすい説明の排除も、一般的なアメリカ映画の観客には背を向けているかのようですが、その分この映画はヨーロッパの息(それもやや東欧的なテイスト)が強くかかったフィルム・ノワールとして、今でも輝きを失っていません。
これを出発点に考えたいと思っています。“目の前にある映画の肌理を観る”ということですね。確かにこの作品の冒頭シーンは決定的に美しく、独立プロの初監督作品で、これがカーティーズのやりたいことだったんだと思うと、44-40様のおっしゃることの意味が腑に落ちます。
http://www.youtube.com/watch?v=EawLJUxLk4U
>シオドマクもやはり映像が魅力ですが、カーティーズはひょっとしたら映像以外のことにはあまり興味がないのではないか、とさえ思えます。ですから脚本の中身やジャンル、および俳優の演技をあまり重要視していなかったのではないでしょうか。
>彼には時として映像のために脚本や演技を犠牲にしているように感じられるところがあります。私はB&Wさんとは逆に、説話的な巧みさよりも、計算された奥行きのあるコンポジションや、壮麗な画面展開を最優先にしているように思えるのです。
>したがって彼の映画は、概して内容のわりに短くありません。説話に多少時間がかかっても、俳優の演技がまずくても、映像のつじつまを譲らないような気がします。
マグカップ様へのお返事にも書いたのですが、『ミルドレッド・ピアース』を監督した1945年に、カーティーズは『Roughly Speaking』( IMDbレイティング=6.9原作脚本:ルイーズ・ランドール・ピアソン、出演:ロザリンド・ラッセル、ジャック・カーソン)を撮っています。この作品はある女性の生涯を大恐慌時代などをはさみつつ朝ドラ風に描いたもので、私の感想もやはりカーティーズの「語りのうまさ」「要領よく筋を表現し観客に理解させる能力」を堪能したという感じで、きらびやかなモノクロ映像に見せられたという記憶はありません。私は最初クレジットをちゃんと見ていなくて、観終わってから監督がカーティーズだったと知り、「だから面白かったんだ」と納得したぐらいです。カーティーズは私にとってはわかりやすくて筋がテンポよく展開し、長さも適当で退屈せず、観て損した気がしない監督、という44-40様のご意見とは全く逆の印象なんです。しかしそれも雇われ監督としての仕事で発揮された彼の能力であり、カーティーズ自らが撮りたい絵ではないのかもしれませんね。
一応年表的な情報を挙げておきます。 ○カーティーズ(Michael Curtiz)1886年生〜1962年没 ハンガリーのブタペスト出身 173本監督 活動期間:1912〜1961 在米活動期間:1931〜1961 オスカー:カサブランカ(1942) ノミネート:海賊ブラッド(1935)、汚れた顔の天使(1938)、四人の姉妹(1938)、ヤンキー・ドゥードル・ダンディー(1942)
○ハザウェイ(Henry Hathaway)1898年生〜1985年没 カリフォルニア出身 67本監督 活動期間:1930〜1974 ノミネート:ベンガルの槍騎兵 (1935)
■ Ismael様 >単純に、私にとって、これ「も」フィルムノワールだ、とすることで見えてくるものと、これ「は」フィルムノワールではない、とすることで見えてくるものが違う、というだけです。
なるほど。それでは
>・ ニコラス・レイの作品は、メロドラマの新たな系譜としてとらえるべきなのでそのほとんどの作品は、ノワールではない。 >・ 異性愛肯定派のヒッチコック作品は、どんなにノワールに近づいてもノワールではない。 >・ ドン・シーゲルとリチャード・フライシャーはアクション映画作家であり、特に60年代以降の作品はノワールではない。
「このあたりを詳しく展開していただけるとありがたいですね。」
話し変わって、Ismael様は44-40様の“ビジュアル派カーティーズ”論についてはどうお考えですか?私なんぞがおぼつかない筆でちんたらお茶を濁すより、Ismael様こそこの議論にうってつけの方と思います。 |
No.157 - 2014/01/02(Thu) 22:03:55
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