「紅の翼」(1954)が「ザ・シネマ」でTV放送されました。私の調べた限りでは、日本でDVDは発売されていません。 昔事故を起こしたパイロットのジョン・ウェインが、飛行中にエンジントラブルに襲われるというストーリーです。 私は観るのが2度目ですが、元気なウェインとティオムキンの美しい主題歌は良かったです。でも「大空港」の方が面白いと思いました。 私が興味を持ったのはallcinemaのコメントです。ウェインとハンフリー・ボガートとの間の確執について書かれてます。
<古井武士氏のコメント> 本作は、デューク(ウェイン)の製作だが、デューク自身は出演する予定ではなかった。 まずスペンサー・トレイシー(フォード一家の大先輩であり、デュークは心から尊敬していた)にオファーしたが、スケジュールの都合がつかずに断念、そこでボギー(ハンフリー・ボガート)のところへ持っていった。 「出演料は50万ドル、それ以下ならノーだ」 ボギーの返答にデュークは絶句し(当時50万ドルのギャラは法外な金額で、つまり断る、という意味だった)、首をひねった。 「断るにしても断り方ってものがあるだろう。 オレはボギーと喧嘩をやらかした覚えはないぞ」 しかしこれはデュークに原因があった。 本作の前年、アラン・ラッド主演の『シェーン』が大ヒットしていたとき、デュークは公の場でジョークを飛ばした。 「あんなチビの西部男じゃサマにならんよ。 ラッドとヘフリンの喧嘩を見ろ、チビはああやって勝つしかないのさ(『シェーン』にはラッドが卑怯に見える手を使ってヴァン・ヘフリンを殴り倒すシーンがある)」 背が低いことにコンプレックスを持っていたラッドはショックを受けたが、それ以上に怒ったのは、そのラッドよりも背が低かったボギーだった。 大柄な西部男たちに囲まれてはチビであることが目立つため、スターになってからは一本も西部劇に出演しなかった、と云うより出来なかったボギーは、本作のオファーを断ることで間接的に恨みを晴らしたのだった。 さらに、『赤狩りの先頭に立った男』と親密な関係だと思われてはまずい、との計算もはたらいていた。 ところが、仕方なくデュークが出演した本作は、デュークの生涯出演作の中でベストテンに入る特大ヒット作となってしまった。 記者たちに「ボギーに会ったら、断ってくれてありがとう、と伝えてくれ」とご満悦で話したデュークも、それから僅か三年後にボギーが亡くなると、名優の早すぎた死に涙を流した。 |
No.385 - 2015/02/24(Tue) 12:42:19
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