昔から寝る前には死ぬ想像をする。 そのことで一番古い記憶は保育園の年長の頃。 「今日寝る前に何を考えて寝たか」という話になって、自分が異質なんだと気付いた。その時はみんなに合わせて「〇〇くんのこと考えた」って言ったけど。周りの「お姫様になった想像をして」とかを聞いて、幼いながらに「建物が倒壊して、梁に潰されて圧死する所を想像した」とは言えないと思ったんだろう。 昔から相当眠くない限り、死ぬ場面を想像して寝る習慣がある。圧死だったり水死だったり失血死だったり病死だったり死因やそれに至る理由は様々なんだけれど、痛いとか苦しいがメインじゃなくて死に至る瞬間或いは死にそうな状態であることがメイン。 睡眠錘という感じなんだと思う。 痛いのや苦しいのは嫌だけど、死ぬこと自体は仕方ないし嫌じゃないんだろうなぁ。 他人の死は悲しいけれど、死自体はどうしようもないし仕方ないと思う。 個人的には何故死んだかという事より、当事者が満足して死ねたかどうかが問題なのかも知れない。そういえば寝る前の想像では必ず「死に往く」ということを認めている。 寝ることは自分にとって死ぬことなら、起きるというのは生まれるということなのだろうか。どちらかというと『引き継ぎ』な気がする。今の自分は寝ることによって死亡して、引き継ぎをした自分が翌朝起動を始める。 それを何千回と繰り返しているんじゃないだろうか。自分はまだ死んでいないけれど、『自分』は既に何千回と死んで起動してを繰り返しているんじゃないだろうか。 少なくとも何千回と死んでいることは確かだ。
いつでもどこでもそういう想像をすれば睡魔が訪れて寝れたのに、最近は寝れない。上手く想像が出来てないのかも知れない。 自分は一体なにを求めているんだろう。 |