2008/05/10(Sat)
TV見てちょっと腹が立ったので。


馬っっっっ鹿じゃないの?
初任給が20万から17万になるから先生になるの止めよう、という奴はそもそも先生になるべきじゃない。
お金でしか職業を計れない人間は例え能力が優れていようと『優秀な人材』じゃない。
大体、大卒初任給が17万より低い職業はどうなんだ。他職業に比べて低過ぎるならそういう事態も有り得るかもしれないけど、異常に低い訳でもないでしょう。
減らされる側からすればとんでもない話かもしれないけど、それだけ自分の所属するところが無駄使いしてるんだから多少は諦めて欲しい。
大体「民間とは違う」っていうけど、そのサービスを利用するしないに関わらずお金貰ってるんだし、良いところは民間から学ぶことも必要でしょ。そういう考えだから「お役所仕事」とか揶揄されるんだよ。

2008/05/01(Thu)
別に落ち込んでるとかそういう訳ではないのだけれど。

中一の時にあったとある出来ごとに絡んだ全校集会以来、度々ふと、今私が死んだら家族以外で泣いてくれるひとは居るのかな、と思う。今もなんとなくそう思った。
死んだ時に悲しんでもらえる人になりたいと、やっぱりその集会以来思っているのだけれど、そういう人で居られてる自信は正直ない。自分がどんな嫌な部分を持っているのかとかは自分でよく分かってる訳だし。
世界中の人に悲しんでもらえるとは全く思っていないけど、少なくとも私が友達だと思ってる人たちには少し悲しんでもらえれば良いな、と思う。そのひとたちに少しだけ悲しんでもらえたら、きっと私は幸せな人生を送れたんだろう。
現実どうだかはそれこそ私が死ぬまで誰にも分からないのだけれど。

偉くなったり一財産築いたりするよりも、やっぱり私は誰か一人にでも死んだことを惜しんでもらえるようになりたいなぁ。

2008/02/29(Fri)
写真を指差しながら「コイツはこういう奴でさ」なんて話を笑顔で出来るようになって、ちょっと安心しました。安心というか切ないようなホッとしたような微妙な感情ではあるのですが。
思うこともあるのでしょうが、少なくともそういう思い出話を出来るくらいに彼の中で消化することが出来たんだなぁと。さほど親しくなかった、というのもあるんでしょうけれど、直後の様子を知っているので少し気になっていたのです。
きっと、彼等の中ではあの子を含め彼等のクラスメートは40人のままで、思い出を振り返るときもあの子はその中に居るんでしょう。居なくなってしまったのは悲しい事ですが、それでもそういうクラスに居られたというのは、そういうクラスの一員であるというのはきっと幸せなことなんじゃないでしょうか。

2008/02/15(Fri)
※今回の記事には一定の作品に対して少々否定的な意見があります。

<言い訳或いは予防線>あまり「単純にコレが嫌い」ということを書くまいとは思っているんですが(既存作品の映像化等に関する意見は別として)、少々思う所があったので書きます。毒かもしれません。今更ですが。</言い訳或いは予防線>

さて突然ですが私は「お涙頂戴」的な話があまり好きではありません。「感動的な」話が嫌いな訳ではないんですが。
何というか、初めからそういうあざとさを感じるとどうも駄目なんですよねぇ…。「泣かせるぞー」「感動するぞー」という雰囲気が好きじゃないようで。特にそういう雰囲気のドキュメンタリーやドラマ仕立てのソレが一番苦手です。母はすごく好きなのですが。
ドキュメントのドラマ仕立てでも淡々と事実を列記してるだけのようなものなら別に気にならないんですがね。そこに主観が入ってくると一気に苦手になってしまいます。前者は何かを開発したり発案したりのドキュメントで多いんですが、人の死が関わってくると一気に「お涙頂戴」の演出が入ってきてしまう気がします。死が悲しいのは当然なんだからそこに遭えてスポットライトを当てて「悲劇の物語」風にする必要は無いと思うんですよね私は。何というか、事実なのだから事実を伝えれば良いのではないかと。本や手記の場合はそもそもソレが書き手の主観の下に書かれたものですから気にならないんですが。前提の問題だと思うんですがね。まずドラマというのは基本視聴者主観のものだと思っているので、提供する側で「ね、悲しいでしょう?」と提示するのはちょっと違うんじゃないかと。ドキュメントなら突き放してやれば良いじゃないかと思うんですよね。
フィクションならある程度は分かるんですけどね。そういうことを意図して作るんであれば問題は無いと思うんですよ。あらかじめ「そういうもの」ですから。でも事実というのは誰かを悲しませたり感動させたりという意図でそうなった訳じゃないじゃないですか。ただ結果そうなってしまった事実を「悲しませる」「感動させる」という意図を持って伝えるというのはどうなのかなーと。まあそういう風にした方がより多くの人に共感を持ってもらえるんだろうなとは思うんですけれどね。自分で書いておいて何に対する共感なんだよと思わなくも無いですが。
ただでさえニュースって他人事になるものなんですよ。(若干前に書いたことと矛盾するかもしれませんが)ニュースには主観が無いような気がしますが編集者やそれを発信する側からの主観等から情報を操作・誘導されることもあるワケですし。まあ世界中の出来事を自分で見るなんて不可能なのでニュースや新聞に頼る事になる訳ですが、それを自覚して情報を受け取るのと発信された情報を全くの真実として受け取るのとでは差が生まれるんじゃないかなと。ともかく、美化や誇張された一面を知っただけで何を、と思うんですよ。例え良い事をして死んだ人だって悪い面もありますよ。成人君主みたいな人なんてそうそう居ないんですから。逆にたまたま悪い事をして死んでしまった人だってそういう面ばかりじゃないんですよ。死んでなくても犯罪者はチマチマとしたことを「これがああだったから彼は」みたいに言われますけど。ソレってどうかと思うんですよね。猟奇小説が好きな普通の人だって大勢居るのにそのシリーズを愛読していたり人に勧めただけで異常扱いとか何なんだと。まあ中には本当に異常な人もいるのかも分かりませんが。
話がそれましたが要するに、ただでさえ誰かの主観が入り込んでしまうものに、更に手を加えて発信したら完全に一方向からしか物事が見えないんじゃないのかなと。多分、だから苦手なんです。一方的な情報を受けただけでその人やその出来事を全て知ったような顔をするのが嫌なんですね。まあ自分がそれに近いことを体験したというのも大きいんでしょうけど。

ちなみに言ってしまうと最近流行の「純愛」系も今一つ。まあ前述のノンフィクション物含めそういったものが好きな方を否定する気はありませんが。単に趣味嗜好の問題ですし。
ですがまあ言わせて頂くと最近多い「純愛」モノに関して私は、非常に冷めた言い方になってしまいますが「相手が死んだら純愛ですかそうですか」としか思えなくてですね。似たようなタイプの話しか知らないからかもしれませんが。でも現在巷でもてはやされているのってそんなのが多いような気がするんですよね…。話そのものを否定するつもりは無いんです。ただそれの売り方はちょっと、と思わなくもありませんが。
まあ私の方の問題として、物語に感情移入する前に「悲しい」とか「悲劇的」というのを出されてしまうと引いてしまって物語りに入り込めなくなってしまう、という点はあるのですが。

色々ぐだぐだ書きましたけど、一言でまとめると「死ぬのが悲しいのは当たり前なんだから脚色しなくて良いじゃん」ってことになりそうですね。

あ、別に作中で人死にがある事を否定する訳ではないですよ。ただそれがノンフィクションのドラマなんかで主軸にあるのがどうなのよ、と私が思っているだけなので主人公やらが死ぬ前提が悪い訳でもないです。それをいわゆる「感動もの」「お涙頂戴」に仕立てあげる発信サイドが好きじゃないだけなので。

2007/10/26(Fri)
正直、事情を知らないで外野からワーワー騒ぎ立て囃し立てるのって何よりも残酷だってことを思い知った。
知らないのだから無理も無いのだけれど、起きたことが起きたことなんだから一部の事実だけを見て馬鹿だ馬鹿だというのは止めて欲しい。確かに話を聞いただけではそうなってしまうのは仕方ないし、分からなくもないのだけれど。何より、関係のある人がその場に居ると知らないのだから余計なのだろうけれど。でも、あの子の時は今と同じで私もその子を知っていると周りは誰も知らなかったけれど、その時はその中の一部があの子とクラスメートだったってこともあってか、あまり話題にしてはいなかったと思う。少なくともそんな風には言わなかった。確かに状況は違うけれど、同じような経験をしているのだから、少しは考えて欲しい。顔も存在も知らなかったとはいえ、自分の後輩にその言い方は可哀相だと思う。
そしてやっぱりマスコミは嫌い。報道の自由・知る権利を主張する輩に関してはともかく、仕事だという言い分はまあ分かるのだけれど、やっぱりそこには気持ちが無いから。話題性ばかり求めて付き回るのがマスコミだとは分かっているつもり、だけど。それでも、もう少しくらいは慮ってあげて欲しい。何で悲しい思いをしているところに拍車をかけに来るんだろう。話題性?悲劇性?知ったことじゃない。
感情が入らないというのはある面でとても有効で誠実だけれど、別の面ではその分残酷で情け容赦が無い。化学や物理、歴史検証や各調査研究なんていうのにはそういうのは必要なんだけど、生身の人間が関わっているものに、それを伝えるというだけのものに、それだけの無情さは本当に必要なんだろうか。まして、一方からだけの見解でそれを伝達するというのは。多方面から伝えることの難しさは分かっているけれど、今回の件や過去の誤報や何かを考えると、どうしたってそう思ってしまう。上にも書いた通り、マスコミが欲しがっているのは話題性であって真実ではないのだと分かってはいるのだけれど、やっぱり感情的に納得できない。
不幸中の幸い、というのか、今はスポーツの方で色々と大騒ぎをしているから、あまり大々的に報道されていないのが救いだな、と思う。それだけは感謝かな。妙な形だけれど。
今まで色々考えてきたけれど、やっぱり当事者になると違う。当事者というには私は遠い場所に居るけれど、それでもその事をリアルに感じる。松葉杖を付いてから身体が不自由な時に必要な事・不必要な事等を痛感したけれど、世の中はやっぱり自分がそうならないと分からない事だらけなのだなと思う。想像してもそれ以上だったり、案外何気ないと思っている事が大変なことだったりするというのは分かるのだけれど。それにしたって、もう少し考えてくれたって良いんじゃないのかと思ってしまうのは、いけないことなのだろうか。
その子がどんな子だったのか知らないから。その子のクラスメートが、先生が、親が、どんな思いなのかを知らないから。その子のいなくなったクラスがどんな様子なのかどんな思いでいるのかを知らないから。その子がこれからどんな夢や希望を持ってどんな道に進もうとしていたのか知らないから。その他大勢の人がそれらを知ることが出来ないのは分かっている。だから、知らないというのは残酷だけれど、罪では無いと私は思う。言ってみれば、知ろうと思えば知ることが出来るのに知らないこと、考えてみれば分かるだろうにそれを考えてみないこと、それが罪なのだと思う。それを超えてしまったことは、どうしようもないことだし、それでもそれを自分で反省をすればそれで良いんじゃないかと思うんだ。それに、思いやりってそこ等辺をきちんを考えてあげることだと思う。
私も、そんなに偉そうなことは言えないけれど、それでも、やっぱりそういうことは慮ってあげられる人でありたいと思っているし、あろうとしている、と思う。自分自身が嫌悪しているような身勝手な人にはなりたくないし、何よりそんな思いを他人にさせたくは無い。
もう少しだけでも構わないから、そう考えてくれる人が増えて欲しい。

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