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73418きなこ 2007/08/25 12:54
今週の題詠「空」24  この題詠は、明日までです。宜しくお願いします。      




西向きの
ベランダ
暑さも和らぐ
絵にもなる
夕焼けの空




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No.73422 2007/08/25 14:58 中谷京華
きなこさん、なんだかとても気持ちが落ち着く風景描写ですね。
夕焼けの空にはいろいろな思い出がありますが、この歌を拝見して中学の頃、テニス部の練習帰りに親友と見た夕焼けの空を思い出しました。




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No.73430 2007/08/25 19:55 きなこ
 京華さん、この歌で中学時代を思い出してもらえるなんて・・・光栄です。ありがとうございます。

73414山田武秋 2007/08/25 11:48
空・23  事故もありますが、平和のお陰だと思います。



ピカチューや
パンダが
飛び交う
夏休みの
日本の大空




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No.73417 2007/08/25 12:41 きなこ
 この前、羽田で、ピカチューの飛行機を見ました。遠くからも目立って、とても可愛いですね。

73411会津 太郎メール 2007/08/25 11:10
自由詠



毎日三回ごはんが食べれて
毎日一回風呂に入れて
毎日八時間眠れて
ああ、生きていることの
すばらしい幸せ




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No.73413 2007/08/25 11:44 山田武秋
「風呂に1回や2回入らなくったって、飯1回ぐらい抜いたって、2〜3日徹夜したって、
人間死にゃしない」といって徹夜マージャンに興じていた大物女性歌手がいました。
戦争時代を生き抜いた人間にとっての「平和」がそんな形で現れていた時代もありました。




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No.73416 2007/08/25 12:37 きなこ
今日は。
私も、毎日、晩酌の時に、その日1日の幸せを感じます。




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No.73427 2007/08/25 18:05 会津太郎
仏文学者の渡辺一雄でしたか、エッセーの中で、「戦争が終わって平和になって何がうれしいかといえば、毎日風呂には入れることだ。」というような文章を書いていまし。でも戦争中だけではなくて、平和な日本の生活の中でも、何周間も風呂には入れない人、何周間も食べられない人、何周間も眠れない人が大勢いるんじゃないでしょうか。たとえば重病で入院している人、災害にあっている人、生活保護を打ちきられ、餓死を目前にしている人など現代の日本でも、よく見れば大勢いるんじゃないでしょうか。そんな状況からやっと脱出できた私の個人的な経験から、戦争だけではなくて平和な時にも感じられる、平凡で、小さな幸せを表現したつもりです。でもそのつもりでも読者に届かなければ、それは私の表現力不足ですね。失礼いたしました。

73408中谷京華 HP 2007/08/25 04:50
昨日、市民センターで千羽づるを見かけました。



広島長崎原爆忌
千羽づるに
込められた
平和への
切なる願い




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No.73415 2007/08/25 12:16 山田武秋
京華さん、戦争の五行歌集「人を殺せとおしへしや」を個人のホームページで大々的にご紹介くださったり
各地の図書館へリクエストいただき、多くの方に読んでいただけるよう普及に御尽力くださり、ほんとうにあり
がとうございます。この本は、戦争の実態を五行歌を通じて多くの方に知っていただくという主旨の本で
小社も最大の努力をいたしておりますが、お陰さまで、主旨にご賛同くださっている多くの皆様のお力で
図書館等への普及も進んでおります。また、各方面から出版に賛同し、ご支援・ご協力・応援の手を差しの
べてくれる皆様が増えております。九州では、毎日新聞九州版で、8月5日から15日にかけて10回も、新聞
のテレビ欄の目立つところに広告を出していただきました。9月4日発売のサンデー毎日では、5回シリーズ
の内、4回分を一挙にご掲載頂くと言うお話もいただいております。これも、「人を殺せとをしへしや」に
作品をお寄せいただいた京華さんをはじめ、多くの五行歌人の「真」が、心ある人々を動かしているのだと
思っております。応援して下さる多くの皆様の温かい心と真情には、ほんとうに感謝いたしております。




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No.73421 2007/08/25 14:47 中谷京華
山田さん、過分なお言葉をありがとうございます。
広島長崎原爆忌として千羽づるが飾られていた市民センターでは生涯学習などの活動がさかんでセンター内に図書館もありますが、その図書館から某日リクエストした『人を殺せとをしへしや』上下を購入しますとのお返事がいただけたときはとてもうれしかったです。
図書館リクエストについては図書館によって体制がちがうようですが、こちらの図書館については昨年までずっと学校の図書活動などでお世話になっていたためリクエストしやすかったのですが、新刊だったことや遊座昭吾様、草壁焔太主宰のメッセージが掲載されたリーフレットも効果的だったようで、リクエストした甲斐がありました。
図書館についてはまだ、もう少し回ろうと思っています。

73407kit 2007/08/24 22:42
題詠 空 22



ひとつ
またひとつ
放り投げたような
円空仏に
語りかけた人また人




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No.73424 2007/08/25 15:12 中谷京華
円空仏について知らないのでちょっと調べてみました。

73405アンドー.・ナツ 2007/08/24 20:41
空:21



見上げる空は
幼い頃と何が違う
雲は流れ虹がかかる
何一つ変わってないじゃない
心が色んな顔を持ってしまったから




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No.73406 2007/08/24 21:18 きなこ
ナツさん、今晩は。
同じ空でも、自分の心によって、違ってみえますね。
この歌、5行目が優しく響きます。

73398山田武秋 2007/08/24 04:54
空・20



真空のエネルギーの
はかり知れない大きさ
この宇宙が
真空から生まれたと
いうのだから




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No.73400 2007/08/24 06:37 山田武秋
ものごとの核心について、私たちは実験で確認できる範囲をはるかに超えた次元で
語られています。無から有が生じるなど、にわかには信じ難い話ですが、そう考え
ることで、この世界が合理的に説明できるということらしいです。
身近な「真実」といわれるものを支えているものも、同じ発想だと思うのですが・・




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No.73401 2007/08/24 10:15 えんた
 物質が消えたり生まれたりするのは、もはや科学では常識のようになっているうえ、人間ような観測者がいるということが、物質の存在する確率の前提になるなど、今までの単純な独我論さえもが、科学の極において当然のこととなるなど、「確か」とか「存在」ということが確かな学問の極であやふやになってきました。
 そこで私たちの形而上学が確かなものとして華やかに舞う時代と思うのですが、なかば笑いながら、そうするのが正しいかなと思っています。
 私は「時間」「空間」の意味を作り出すのは「私」だと確信し、私を励まします。笑いながらも、本気で!
 




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No.73402 2007/08/24 10:51 kit
あっ、真空のエネルギーが歌ねたになってる!
それから、時間は実在しないという議論がありますね。非常に気になります。




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No.73403 2007/08/24 15:31 山田武秋
えんた先生、ご批評を賜り、どうもありがとうございます。
先生のお考えを反芻いたしますと、「時空」の意味を作り出すのは「私」ということは、五行歌を詠む
行為に言い換えた場合、「心の中にある思い=意味=を表現」したものが五行歌ではなくて、
「思い=意味=は私が表現することによって作り出される」というお立場になると思います。
「思い」はあるものを表現することなのか、「私」が作り出すものなのか。
ただ、こういう形で「私」を強調されますと、
多くの「意味」は多くの「私」によって承認されオーソライズされてはじめて、伝達可能になりますから
「私」の中身は、正確には多くは他人が作った意味に依存しているというパラドックスに陥ることも
あるようです。意味を支えるのは「言葉」であり、「言葉」とはまさに「私のものであって、私のもので
はない」というたぐいのことでしょうか。「私」の定義次第と言うところもありますが・・・。
この問題は、五行歌の明日にとっても示唆に富む多くのことがあるように思いますので、残り少ないですが
「草壁塾」などでぜひ取りあげ、御教授いただきたいと思います。

kitさんの「時間は実在しない」というのは「時空は一体」という解釈でしょうか。
この話題は、創造力を大いに刺激されますね。下手な小説などより遥かに面白いです。




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No.73410 2007/08/25 07:33 えんた
 宇宙は生まれたのかどうか。最初から在るのか。その最初さえないとすると、どうなるのか。ビッグクランチとビッグバンを繰り返すものがそれも果てなく在る、最初も終わりもない。
 そんな感じでしょうか。
 この実在と私たちが感じている大きな存在は、私たちと比較の対象にならないというのが私の感じ方で、向こうの世界には「意味」がないと考えます。
 一瞬も永遠も同じで、何が起ころうと無なのです。それは私たちの生まれる前の世界のようなもの。
 一舜とか、永遠とか、あと三年とか、十年経てばとかいう感覚は、いのちある者が時間につけている「意味」であると考えます。つまりいのちある者が時間空間に意味づけしている。
 向こうには、一瞬も永遠も、三年も五年も意味がないのです。意味は、弱みから生じます。脆い有機物の構成でなっている私たちは、生きるに生きられない。
 この構成は壊れやすい。その脆さ、弱さから、欲望、願望、夢…などが起こります。
 つまり弱いから意味が発生します。
 神や永遠や宇宙には弱みがないですから、どんな意味もわからない。弱みからくるこの切望が向こうにわかってたまるかというのが、私のこの世の意味づけです。
 とすると、意味世界は、我々いのちある者のフランチャイズである。つまり、意味を造っている。意味を弱みから発動する。
 オーソライズということは、とりあえず考えません。それは、いのちある者のなかでの人間世界での意味の平均化、常識化、普遍化のようなものですよね?
 みんなでやれば、いいんじゃない?

 私の中は、昔の人のいい考えがぎっしり詰まっていて、有難いとは思うけれども、その意味をしかと感じているのは自分自身ですから、サンキューというだけで、自分の時間や空間の意味の主催者としての今の充実のほうが面白い。
 これをガンガンやっては訴える。相手はやはり人。意味が充実して、人も活用したいなら、オーソライズもされるでしょう。
 しかし、そこに止まりたくない。

 私の時間、空間の意味は、私が作っている。山田さんは山田さんの、会津さんは会津さんの、時間と空間の意味を作り、訴える。
 どこか一致し、どこか違う、しかし、オーソライズなんていうと、どこか面白くなくありませんか?
 というのが、私の時間、空間の意味なのかもしれませんね。そんなことを言ってる暇があったら、どんどん考えを発展させ、創造し(つもりでもいいや)、同じような感官をもつ人にぶつけ、人にも意味を造ってもらってぶつけてもらい、意味の渦を作る。
 そんなことに何か意味があるの? 
 と言いたくなるけれども、時間の意味は自分が作るのだから、なるべく意味があって、動いていくのがいいかと思うのです。これが動物的な意味世界なんでしょう。
面白くない? それじゃあ、面白くしなくっちゃあ、というところが動物界にはあるような気がします。
 私の考えは、人にもどんどん入っていくという実感を持っています。しかし、それをオーソライズと感じたことはありません。
 「そうですね!」と受け入れてもらえるその瞬間の、双方の感動がたまらない。相手から貰うことも多い。いい歌を読んだときなど。
 思想は生きて動くものというのが、今の私の考えです。骨組みだけになったら死んで博物館行き、さあ、私の時間を作ろう!(これを書いている間はいきいきとしてた)




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No.73412 2007/08/25 11:20 山田武秋
世界は意味によって編まれているという考え方はフーコーらに見られるものですが、その「意味」が
「私」に帰属するものであるのか「文化=集団」に帰属するものであるかについては、ロラン・バルト
という人が面白い定義をしています。「ラング(langue)」と「スティル(style)」そして
「エクリチュール(ecriture)というものです。「ラング」は国語(言語共同体の中で共有される言語)
で、いわば外側から意味を規制するもの、「スティル」は文体(個人的、生来的な言語感覚)です。
ところで、バルトは他にもう一つ、「エクリチュール」があるといっています。これは比喩的に言えば
「業界用語」や「仲間言葉」のようなもので、少女は普通、自分のことを「わたし」とか「あたし」と
呼ぶのを「ボク」と言いはじめたときにかわる「言葉遣い」(そして服装から所作まで)のようなもの、
としています。いわば意味の付け替えのようなものと理解すればよいのでしょうか。卑近な例をあげれ
ばそんなことですが、敗戦によって180度変わった日本の価値観などは、この「エクリチュール」の大
規模なケースだったのかもしれません。
そして、主宰の目指しておられる「表現」もまたスティルから発し、文学世界に「エクリチュール」を
現出させたいという強い「思い」ではないか、などと考えながらそのお言葉を噛み締めました。
アプローチの方法や表現方法が違っても、目指していることは同じだったということはよくあります。
もの思う五行歌人すべて、そういうことなのだと主宰のメッセージに強く感動いたしました。
どうもありがとうございました。




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No.73426 2007/08/25 17:43 会津太郎
山田さん、とても熱心な論議に知的な刺激を受けましたので、ちょっと出遅れましたが、ちょっとだけ感想を言わせてください。
フーコー、バルトなど懐かしい名前ですね。大学時代に勉強したフランス哲学、構造主義などを思い出しました。あとレヴィ・ストロースなどという文化人類学者もいましたね?
ところで私のささやかなフランス語の知識では、langueに対する個人的な言語活動を意味するフランス語はparoleだとばかり思っていましたが、バルトはstyleと書いていたんですか。styleの意味を拡大解釈すれば、上のような意味になるかもしれません。でも、むずかしい外国語の専門用語はできるだけ使わずに、わかりやすい日本語に翻訳して書いたほうが、私達日本人には理解しやすく、真意を伝えることができるんじゃないでしょうか。またそういう平易な日本語で表現できることが、すなわち思いを深めるということではないかなあと思いました。でも、小さな親切、大きなお世話になったかもしれません。失礼になりましたら,どうかお許しください。




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No.73436 2007/08/26 01:14 えんた
 ロラン・バルトという人の本を持っていますが、文章論の本でわかりにくい文章(ただし訳文)の例として上げたことがあります。
 言葉の分類をしているうちに、何の話をしているのかわからなくなりません? どんな言葉も、「私風」でもあり、共有語であり、「業界用語」的でもあって、その濃淡が違うだけなのに、三種類の犬のさまざまな混血がそこらにいっぱいいるのに、三種類に分けようとするような混乱が起きるような気がします。
 私は、西洋哲学の用語でものを考えるのをやめてから、いろいろものが考えられるようになったので、彼らと話を噛み合せず、なるべくやまと言葉で話すようにしています。
 で、そのやまと言葉をわかりやすい外国語に訳していうと、彼らは思想(thinking,思い)が深いと感心してくれます。向こうの哲学用語は、日常的な用語じゃないかと思います。
 私の言おうとした「意味」は、弱みのある生物にしか意味はないはずだということです。宇宙のように弱いところを持たないものに「意味」はありますか?
 かりに何もかもが自由になったとしたら、私たちにも意味はなくなってしまいます。
 こういう話をしているときに、どれがラングで、どれがスティルで、どれがエクリチュールだといわれても困ります。話をかみ合わせたくないのかしら、と思っちゃいます。
 それこそ、西洋現代哲学的エクリチュールの土俵に引き込もうとされているのか。私は、哲学をやめて、「もの思い」をすると決めた人間なので、よくニュアンスもわからないフランス語で話し合うのは、運転を知らない機械を操作せよといわれている気分です。
 言葉はそう分類する必要はありません。それを分類して賢そうにしても、何もわかりません。それを分類して使うと舌がもつれるだけじゃないかと思います。
 現代の哲学のほとんどは無意味じゃないかと思います。学者が学者であるための意味くらいしかないのじゃないかと思います。私の直観では近代以降の哲学がみな駄目なような気がします。
 構造を作ろうとしたものがみな駄目だと思いませんか? みんなまともに読まれていないのです。批判の対象にはなっても、人間の基盤として受け取っている人がいません。カントもヘーゲルも、それを基盤としていると言明する人がいません。
 そんなものが、思想、あるいは思いでしょうか。一つの考え方、まとめ方くらいの意味はあると思います。
 私も、思いの論をある程度構造化して、「組井戸理論」というのを作ったりしましたが、構造が出来たとたん、ゴチンゴチンに硬くなってしまい、思いの構造の中に、ぐにやぐにゃで、ほとばしるものでもある「感性」の要素を入れて、元に戻しました。
 その「感性」が意味のもとですから、しかも「感性」はすべてを破るだけの強さもありますから、これを常に抱え込んでいるのが思いであろうということです。
 どういうことかというと、どんな崇高な哲学も、蹴躓いて鼻をドアで打ったら、その瞬間にけし飛んでしまいます。一万円札が落ちていても、美しい女が向こうから笑いかけても、そういうものはすっ飛んでしまいます。
 すなわち、感性を導入して初めて意味を抱え込み、思想(思い)はまともになるのです。
 つまり乾物を水分でふやけさせるようなものです。
 人は、考えを纏めなくてはならないのですが、構造化すると、「意味」がなくなるということを痛感しました。
 本にして権威化するため、学者には必要な意味かもしれませんが、生きていくためには参考にならないものになります。私たちは「意味」の世界に生きているのに、その意味を吹き飛ばしたものを、「哲学」とか「知恵」とか「知識」と思おうとしているのですから。
 哲学に魅力がない理由はおわかりでしょうか。
 それは、人間(生命)の特技である意味を、つまり果物のなかの水分を失っているのです。
 カントが面白くてわかりやすいのも、実践理性批判のあとがきの「夜空の星を見よ。あの美しさと等しい良心が私たちにはあるはずだ」というところですものね。アホかと思いつつも惹かれます。
 あとは全部なくてもいいようなへ理屈です。誰もそれに従っていない。要するに、意味をなくしてしまうと、思いが乾燥果物になってしまうということです。
   ☆
 それはそうと、マザーテレサが自分自身を疑っていたという話をニュースでやっていました。自分が「愛」だといっていたのは嘘じゃないかと悩んでいた。
 アッハッハ、やはりそうかと思いました。安倍節子さんの歌や、佐々木祈美さんの歌がいいわけです。あれを聞くと、西洋の人々も真っ青になります。マザーテレサもあの二つの歌を見たら、真っ青になったでしょう。
 自分の愛が十分だと思っていい人でもそれを疑って悩んでいたということが、人間臭くて私は好きです。
 マザーテレサは四度ほど神のお告げを聞いているというので、こういう根拠、日本では変だと思われるとは言っておりました。日本ではただの神がかりの人と扱われますものね。
   ☆
 山田さん、私は西洋哲学をやらないで、もの思いをします。このやり方、欧米の人たちに対して、とてもいいように思います。
 そうしたほうが日本人は尊敬されるというのが、思うことについて向こうの人々に話してきた私の実感です。五行分け理論は向こうでは無意味ですから、私はむこうでもの思うことを勧め、それが歓迎されているのです。
 「ものを思おう」ということが、向こうの人々をはっとさせるくらい、現代の世界の人々は思うことを忘れているということかと思います。
 さあ、色香も味わいも深みも含めて、もの思いましょう。スカスカにならないように。
 
 
 

  
 




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No.73440 2007/08/26 11:16 山田武秋
えんた先生、お忙しい中、貴重なコメントを賜り、どうもありがとうございました。
えんた先生にいただきましたたくさんのキーワードをもとに、さらに深く考えてみたいと思います。
先生のコメントを拝読いたしておりますと、様々なアイデアがぐるぐる駆け巡って、ワクワクいたします。
私の中で、いろいろなことの焦点が定まってまいりました。どうもありがとうございました。

会津さんも、どうもありがとうございます。
より平易な日本語で表現できるよう、努力してまいりたいと思います。

きなこさん、皆様の場をお借りして、逸脱させてしまいましたことを、お詫び申しあげます。
えんた先生はじめ多くの皆様には多大なご迷惑をお掛けいたしましたが、
「草壁塾」の番外編、ということで、御容赦願えれば幸いです。

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